2011/10/05

日帝はすべての未婚女性を連れて行った (米州中央日報 2007年)



2007年の記事であるが、強制連行がどの様な物として認識されていたか、その一端を示す資料として。残念ながら原文は存在していない。2chから蚯蚓φ訳を拝借した。

イ・ドンウォン(ロックビル・MD)

安倍日本総理が従軍慰安婦問題と関連、「(日本)政府が見つけた資料の中で、強制連行を直接現わす記述を見つけることができなかったという内容を閣議決定で採択した」と言う。果してそうであろうか?

1938年、日帝は国家総動員令を公布、1939年から朝鮮人を強制で引き出し始めた。日本大蔵省の資料によるとおおよそ112万9812人の朝鮮人が強制徴用された。特に1944年8月に制定、公布された女子従軍慰安婦勤労法によって日帝は病弱者を除いたすべての未婚女性、多少の既婚者まで含む、12才以上40歳以下の女性たちを強制でひいて行った。

引かれて行った朝鮮女性たちは中国関東軍傘下の慰楽施設、慰安所、簡易慰安所、陸軍娯楽所などに配置されて関東軍の慰み者の役をした。20万名が越える美しい女性たちが、満州、南洋群島、ビルマなど最前線のざんごうで‘女子愛国奉仕隊’と言う名のもとに軍需品扱いを受けた。

当時、朝鮮総督府は道知事に、道知事は郡守に、郡守は面長に朝鮮女性強制連行人員を割り当てた。警察は警察で、若い女性たちをひいて行った。金一勉(キム・イルミョン)の本‘天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦’(三一書房刊)には舌と腕を切られる痛みなしに読めない証言が記録されている。

「第1陣慰安婦が到着した日、慰安所の前には兵士らが長蛇の列を成した。第1陣の女達は連日生き地獄で苦しんだ。生き地獄で苦労した後、日本に生還した朝鮮人慰安婦によると一日90人余りの兵士らを相手したと言う。食事する時間もなしに兵士らが押し寄せて来た。
それを見た管理担当兵士がオニギリを作って入れてくれたので、従軍慰安婦女性たちは兵士らがお腹の上に乗った状態でそれを食べたと言う。」

20万名の慰安婦の中で故郷に帰ることができずに戦場で死んだ人々も多い。1944年北ビルマ戦線のある日本軍守備大将は自分たちが全滅する前、7人の朝鮮人慰安婦を手榴弾で皆殺しさせた。また同年2月20日トラック島では70人余りの慰安婦たちが機関銃で虐殺された。
たまに運が良く生き残った幾多の女達も自分たちの過去のため、故郷に背を向けたまま不慣れな異国で寂しく死んだ。

そういう悲劇的運命の主人公の一人のキム・ジュンフィさんが1964年ベトナムで死亡した時、故国には彼女の家を継ぐ人さえいなかったと言う。事実がこうであるにもかかわらず、安倍総理とその周辺の人士が、従軍慰安婦強制動員の資料がないと否定することが話になるのか?実に稚拙で野蛮な発想だ。

太陽が二つの方角から出ても二度とこのような恥辱の歴史が繰り返されてはいけないということを肝に銘じよう。安倍総理は日本女性、横田めぐみの北朝鮮拉致を言う前に、20万人の挺身隊員を拉致した罪過に対して謝らなければならない。政治家という以前に人間としての良心を期待する。

中央日報Washington DC(韓国語)2007.3.22
http://dc.koreadaily.com/Asp/article.asp?sv=dc&src=opn&cont=opn&aid=20070322061856100100

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