2015/07/04

「法的賠償を」挺対協、老婆を使って国務省にすがる

国務省を訪問したキム(2日)

キム・ボクトンが、アメリカの国務省本部で、死ぬ前に日本政府が法的謝罪(&法的賠償)するところが見たいと訴えたそうな。ここで国務省の役人が、「法的賠償とは、それは何ですか?」と尋ねたら、彼女はどんな顔をしただろう。「そう言えって言われたから、そう言ったんだ」と、怒り出したかもしれない。彼女だって、自分が何を言っているのか分らないのである。

「法的責任」にこだわる挺対協も必死である。もう韓国政府も相手にしてくれなくなった。アメリカ政府にすがろうと老婆にこんな事を言わせているが、無駄である。

米国務省を訪れた慰安婦被害女性「死ぬ前に日本政府の謝罪・賠償が見たい」

 旧日本軍慰安婦被害者が日本政府に「歴史を変えることはできない」とし「後世に歴史をしっかりと教えよ」と話した。

  韓国挺身隊問題対策協議会によると、慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(89)は2日(現地時間)、米国バージニア州フェアファックス・カウンティ政府庁舎に立てられた旧日本軍慰安婦記念碑を訪れて献花した後、このように明らかにした。

  金さんは日本政府に「民間人が慰安婦被害者を連れて行ったというとんでもない嘘を中断し、過去の過ちをすべて明らかにして謝罪せよ」と伝えた。

  続いてワシントンD.C.の国務省本部を訪れた金さんは省役人と会い、「死ぬ前に日本政府が過ちを認めて法的謝罪とともに法的賠償をするところが見たい」と伝えた。



7 件のコメント:

  1. 参照:
    韓国人慰安婦・金福童はニセモノ

    http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-12023289527.html


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    江戸時代の新井白石の言葉

     「それ朝鮮は狡猾にして偽り多し。利のある所、信義を顧みず」

    http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2015/07/187.html?showComment=1435935939538#c2107138961869023679

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  2. >韓国人慰安婦・金福童はニセモノ

    21歳ってえ、名簿作成時の1947年のときの年齢では?
    ならば、計算が合う。
    ( このブログの人は、何故か、1945年のときの年齢として計算している )

    金福童さんについては、旧日本軍が敗戦前後の時期に慰安婦を準看護婦として雇用したとの史実を裏付ける貴重な「生き証人」と思っています。
    韓国側の主張する、敗戦時に旧日本軍は慰安婦を殺した(殺す方針であった)との主張に対する有力な反証。

    、、、にしても、旧日本軍のこうした措置があったからこそ、無事に帰国できた可能性もあるのに、ならば、ほんと、恩をアダで返すような人ですね、、、他の元慰安婦たちが名乗りを挙げてないのも、こうした措置もあって恩義を感じているからってこともあるのでは?

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    1. 最後はインドネシアだったようです。
      インドネシアは進駐時を除いて戦場にはならず、戦後も治安維持を命じられて軍政がそのまま継続した。日本軍が養成した独立義勇軍との再上陸した英蘭軍とのあいだで1949年まで1千万人の負傷者を出す独立戦争がゲリラ的に続いた。独立軍に加勢するとポツダム宣言違反で日本人の帰国が危うくなるために、軍籍を離脱して日本を捨ててインドネシア軍に参加した日本兵が数千人出た。安全に優先的に帰国するためには民間人よりも軍関係者の方が有利。それで終戦後に従軍看護婦の資格にしたのではないかという推測もあるようです。

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    2. 生年月日が分からないと名簿作成時の満年齢は分からないから、採用時で年齢を書いたという判断なんじゃないですか?このブログの方はそれで同姓同名の別人という判断です。同時に雇用された仲間がたくさんの記載されているのだから、本人に聞いて、同一人物であるという事なら、同僚を探せばいいと思うのだが。
      帰国しやすいように看護婦登録にしたのであれば、採用年月日(なんでしょう?20.8.31は)はデタラメかもしれません。
      でも、公文書偽造するのは、大変な事なんじゃないんでしょうか?

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  3. 敗戦前後に旧日本軍が慰安婦の女性たちを補助看護婦として雇用することにしたことを裏付ける資料としては、次に添付の林博史氏による資料が一級なのではないでしょうか?

    『 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ 南・北・在日コリア編・下』明石書店、2010年
    資料紹介 看護婦にされた「慰安婦」たち 』
    http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper99.htm
    (前略)
    >ここで紹介するのは海軍について、日本人「慰安婦」を病院の補助看護婦にするように命令したこと、ならびにそうした措置をとったことを示す海軍の電報である。いずれもイギリス軍が日本海軍電報を傍受し、暗号解読をおこなって英訳したものである。
    (後略)

    ( もっとも、本件については分りませんけど、林氏とか、吉見氏の場合には、捜し出してきた資料の中から自身の主張に都合の良い記事だけを抜き出し、都合の悪い記事については敢えて言及しない(隠す?)ようなことをするところも見受けられますのでその辺は注意は要するかとは思われますが )
    それはともかく、この「電報」の発信日によれは、そうした雇い入れの措置が1945年8月中に行われた可能性が高く「留守名簿」に記された「8月31日」は実際の雇い入れの日とするのは妥当なようにも。

    また、朝鮮日報の記事ですけど、
    ( どこまで、記事内容が正確なのかは分りませんが )

    朝鮮日報  2005/01/11 20:23
    http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k285.html
    (前略)
    >名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所が1997年に発行した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。
    (中略)
    >この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と明らかにしている。
    (後略)


    また、「留守名簿」の作成年が1947年というのは、南方軍は1948年1月まで現地に抑留されていたようですから、このような作成年の「留守名簿」があっても不思議はないようにも。
    断言はできませんけど、年齢については「名簿」作成時の年齢が記載されていたと考えるのが妥当なようにも( 「名簿」については、毎年、日本本国で現地と連絡を取りながら、生存者を確認のうえ、物故者は別途記載し、生存者は年齢を更新していたとか 、、、復員のための資料などにするために )

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  4. Fairfax訪問も国務省訪問も英文報道ないですよね。

    わずかに、朝鮮日報英字版だけ。
    http://english.chosun.com/site/data/html_dir/2015/06/29/2015062901554.html

    国務省はともかく、Fairfax訪問ぐらいはもっと報道があってもよさそうなのに。

    婆あも以前の神通力を失ったかな?

    by喪黒服造

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  5. 匿名と呼ばれた男2015年8月30日 14:56

    捕虜になる事を禁止されていた皇軍兵士の中には敗走中、足手まといになる野戦病院に手榴弾を投げ込んで行ったという話が今日まで伝わっている。
    慰安婦にもこの話はあり、簡単に否定できるものではない。

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