2015/07/08

高橋哲哉 安倍首相に歴史修正主義者レッテルは当然

「証拠を積み上げ確立した歴史」ねぇ・・

安倍首相が訪米する二日前の4月24日に朝日新聞が掲載した高橋哲哉東大院教授のインタビュー。

安倍首相が欧米から歴史修正主義者(リビジョニスト)と叩かれているのは、慰安婦問題の影響が大きい。高橋の言う、1990年代後半から被害者が声を上げたという下りも、慰安婦問題を指していると考えるのが自然だろう。そして、安倍首相の訪米を控えたタイミングでのこのインタビュー。曖昧にしているが、高橋は慰安婦問題で安倍首相が(国際社会から)歴史修正主義者とレッテル貼りされ叩かれるのは当然だと言っているのだろう。

歴史に限らず、学問は修正されて進歩するのが当たり前だと思うのだが、そこは「証拠を積み上げ確立してきた歴史を、根拠が薄弱なまま疑わしいと主張するから」ダメなのだとうそぶく。判断と認識を磨き続けよと首相にお説教までしている。

「証拠を積み上げ確立してきた歴史」とか「根拠が薄弱な主張」と言いつつ、その内容は具体的には語らない。確立した歴史とは何のことか?慰安婦が存在したこと?誰も否定してません、そんなこと。具体的に語らないのは、語った瞬間に誤魔化しが露呈するからである。

証拠重ねた歴史政治家は尊重を

文書資料や証言を中心に記述され、語られてきた歴史が、時の推移を経て見直されることは当然ある。歴史記述や歴史観の修正自体は、学問的にも正当なことだ。

しかし、現在の歴史修正主義が否定的に語られるのは、証拠を積み上げ確立してきた歴史を、根拠が薄弱なまま疑わしいと主張するからだ。論理的な飛躍を犯しながら、自分たちが否定したい事柄は「捏造だ」と言い、修正を図る。

日本は敗戦後、アメリカの庇護の下で経済成長にいそしみ、真に過去と向き合ってきたとは言いがたい。帝国主義時代の精神性やものの見方が清算されずに、残っているとも言える。その中で、1990年代後半から歴史を見直す動きが激しくなった。戦争の被害者自らが、日本による侵略と植民地支配の責任を問う声を上げると、それに反発する形で歴史修正主義的な言説が広かった。

だからこそ、政治家の歴史に対する姿勢が問われる。民主主義や平和を追求するなら、人々の権利を侵害した歴史を直視し批判的な認識を持つことが必要だ。政治家は歴史家による事実の探求の成果を尊重した上で、自己の判断と認識を磨き続けなければならない

(聞き手・藤原慎一)

朝日新聞 2015.4.24 14面

4 件のコメント:

  1. 参考:


    http://ameblo.jp/myaimistrue/entry-10393857985.html

    ④高橋哲哉


    これまた東大教授ですが、この人も姜尚中と同じように、学者というより左翼活動家なんですよねぇ。

    高橋は姜尚中や和田春樹(これまた東大教授)と共にコリアNGOセンターの専門職員を務めているそうですが、その組織の理念は「『東アジア共同体』の形成の寄与」があるそうです。

    それらの主張(沖縄観も含む)を聞いていると、鳩山由起夫首相にかなり近い存在なのではないでしょうか。


    そして、北朝鮮系の新聞にも「頼もしい論客」として賞賛を受けているのです。


    [「朝鮮新報(北朝鮮系新聞)」の記事より]

    「高橋教授は、テポドン騒動や拉致事件などで繰り広げられた北朝鮮ネガティブキャンペーンを利用して、いま、日本では『戦争ができる国づくり』への動きが強まっていると警鐘を鳴らした。高橋教授は武力に依らない平和構築の最前線に立つ気鋭の哲学者である。(略)この日の講演でも(略)、日朝国交正常化交渉をつぶした戦争勢力に反対すべきであると語った」


    高橋:「『犠牲』の論理が破棄された、犠牲なき国家、犠牲なき社会がもしありうるとしたら、それは軍を持たない国家か、軍を持たない社会である」


    「犠牲」という言葉が連発されていますが、個人的には、上述の「ICU→東大」学生の「成功していると思われる国においても、必ず国家の犠牲になる人がいるのです」という発言を思い出しました。それに対する僕の返答は「犠牲のない世界など存在しない」だった気がします。


    高橋:「本当に愛する人を守りたければ、何よりも戦争だけはしてはならないのです。まず他国と戦争状態に入ることを回避する。そのような状態をつくらない。そのためにあらゆる政治的な力を発揮し、努力を続けていくことが重要だと思います」


    「あらゆる政治的な力を発揮し、努力を続けていく」というのは、最近、日本共産党の議員がよく使うフレーズ「99%外交」を思い出します。

    「で、残りの1%は?」

    「99%外交!!」


    そして、「本当に愛する人を守りたければ、何よりも戦争だけはしてはならない」というパラドックスですね。

    この「守る」は何を守ろうとしているのか?

    おそらくは「命だけ」だろう。

    となると、大切な女性を連れている時にゴロツキに囲まれた時、この人は「この女性の命だけを助けてくれるなら、好きなようにしてもらって構いません。僕も邪魔なんかしません。何よりも喧嘩だけはよくありません」とエセ平和主義っぷりを見せ付けるのだろう。


    高橋:「重要なことは、戦争においては国民がまず犠牲にされるということ、戦争によって守られるものはないということを見破ることです」


    数年前だったか、テレビで「反戦ドラマ」が放送されていた。エピローグでは「男って戦争ばかりして本当にダメな人たちね。これからは女である私達が頑張って平和を維持しなくちゃ」というようなセリフで締め、フェミニズムとエセ平和主義のプロパガンダのようなドラマでした。

    そうした女性たちがいう「女性は平和主義者」だという主張ですが、そうした本能があっても不思議じゃないと思います。「女性は語学が得意」という主張も絡めて、そうした本能を述べたいと思います。

    ※女性蔑視ではありません。そうしたフェニミズム・エセ平和主義に染まる「女性」に対する皮肉として記します。


    人類の長い歴史の中(正確には「歴史」以前)で、おそらく果てしない侵略と殺戮の歴史が繰り返されたでしょう。

    そうした中、侵略者たちは被侵略地の男性を皆殺しにするか奴隷にし、女性を強姦して孕ませられるか虐殺したのではないかと思います(何故なら、そうした人類の醜い習性は、1990年代のボスニア紛争でも証明されましたから)。

    となると、侵略者たちがやって来た場合、「戦争好き」の男性は自分たちが皆殺しにされないために、大切な女性たちが強姦されたり虐殺されることから守るために戦ったことでしょう。

    さて、そうした時、「平和好き」の女性たちはどうしたでしょうか。侵略者たちに抵抗して戦争となって、侵略者たちの怒りを買って、戦後、自分たちが虐殺されたり、交戦中の流れ矢にでも当たって死ぬよりは、とっとと「平和」を訴えて戦争を止めさせて、男性たちが皆殺しにされても関係ないし、自分たちは新しい侵略者たちを迎え入れれば良いだけだ、と思うかもしれませんね。その方が(自分の)「子孫を残す」という本能に沿っています。

    これは「女性は語学が得意」にも当てはまります。侵略者たちは侵略に成功したら、自分たちの言語を被侵略地に押し付けるでしょう。当然、男性たちは皆殺しにされていますから、女性は新しく迎え入れた侵略者の言語を早く吸収した方が得です。そのため、男性は言語を押し付けるだけであり、女性は言語を吸収することに力を注ぐようになる習性が身についても不思議ではありません。

    もちろん、現代に生きる我々は、「歴史」以前のそうした本能だけで生きていたような「人間」とは違っているでしょう。それは長い歴史で培った倫理観や道徳心があるからです。無論、極限状態においてはそれらが希薄になるのでしょうが、そうした歴史を破壊する左翼にとっては、本能むき出しで生きることが正しいようです。


    話を戻しますが、東大大学院で必修の授業を設けている、この高橋哲哉ですが、日米安保廃止論者であり、非武装論者です。


    高橋:「憲法9条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄する必要がある」


    http://ameblo.jp/myaimistrue/entry-10393857985.html

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  2. 結局日本のアカデミズムというか大学自身がサヨクの巣窟ですからね。

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  3. 無茶を言ってることは、本人も自覚してるんでしょうにね。

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  4. 「民主主義や平和を追求するなら、、、、」

    民主主義は王政を打倒して誕生している。フランス革命で王や貴族たちは断頭台のツユとなった。日本に民主主義をもたらした米国は英国との独立戦争によって誕生し、民主主義は南北戦争という内戦を経て確立される。日本の全国統一も武力による。

    平和も民主主義も、戦争や武力と切り離すことができない。中学生でも知っていることを東大の歴史学者が知らないはずがない。
    そこには歴史を修正して国民を愚弄し、自分の地位を維持し、自己の利益を図ろうとする卑劣な品性が見える。職業倫理にすら反する。

    「平和と民主主義」を主張する政治勢力は40年以上前に若者達に否定され、教授達は大学構内で学生達に吊るし上げられた。当時の若者達はこの大人達の不誠実さに我慢がならなかった。

    一世を風靡した「《平和と民主主義》批判」も、その勢力が消えれば、伝える者がいなくなり歴史から消えてしまう。歴史とは勝者の歴史だ。それでも一度、地に落ちたものが再び光り輝くことはない。当時の世代は皆知っていて、その冷たい視線を浴びるからだ。

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