2015/05/09

アジア女性基金妨害した上野千鶴子の後悔

「橋下発言に抗議する緊急院内集会」(2013)より

最近再評価されているアジア女性基金だが、かつて進歩派日本人の一部がこれを潰しにかかった。基金が不本意な形に終わったのは、実力行使にまで訴えて妨害した(お金の受け取りを希望した慰安婦をバッシング)挺対協のせいだけではない。国家賠償派であった日本の左派にも責任がある。上野千鶴子は、その一人として今後悔を口にしているのだが・・・。

「NGOで市民基金が実現していたら、その共感をもっとうまく伝えられたかもしれない」という上野。よく分らないが、そんな事をしていたらもっと状況を悪化させたのではないか?「痛恨の思い」と言うが、反日団体に加担して解決を難しくした罪を償う気はあるのだろうか?

(人生の贈りもの)わたしの半生 社会学者・上野千鶴子:9 66歳

90年代には、もう一つ重要なことが起きてる。「慰安婦」問題です。北京女性会議でも、アジアの女たちが慰安婦を女性の人権侵害として焦点化し、世界に発信した。それに対して強いバックラッシュ(反動)が起きました。

――ご自身も会議に参加されたのですね。

「慰安婦問題をどう解決するか」というワークショップを主催しました。民間から集めたお金を元慰安婦に「償い金」として渡す、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」に抗議する署名を参加者から集め、それを日本政府代表団に手渡すという活動を、仲間と共にやった

――なぜ基金に反対したのですか。

国の基金ではないし、日本政府の責任をあいまいにするものだった。代替案として、市民基金のようなものを作れなかったのかという思いはありますね。

政府の公式謝罪を市民が代わってすることはできない。でも国家を背負っていない市民も共感を示すことはできる。NGOで市民基金が実現していたら、その共感をもっとうまく伝えられたかもしれない。できなかったのは運動の側に力量がなかったこともあるけど、支援者側には政府の責任追及が最優先でお金による解決に忌避感があった。

――いまなら、別のやり方もあったと思いますか。

自社さ政権のもとで村山談話が出され、不十分ながらも戦後補償の枠組みが示された。アジア女性基金を推進した人たちが、こうした状況を千載一遇のチャンスだと考えた政治判断は、歴史的に見れば当たっていた。痛恨の思いをこめ、それは認めざるをえません。これほど政治や世論が右傾化するとは、当時は思ってもみなかった。・・・

朝日(一部) 2015.5.3