2011/11/05

1921年から慰安婦 タイで韓国人元慰安婦亡くなる



1921年で21歳。終戦の1945年には45歳・・・。挺対協はタイに住むこの女性とも接触して、韓国で開催された「第10回日本軍『慰安婦』問題解決のためのアジア連帯会議」にも招聘している。KBSが掲載しているこの古い写真は本人を写したものだろうか?45歳には見えない。

挺対協の過去のソース 閉架には、彼女は21歳だった1942年にプサン近郊の井戸で洗濯している時に日本の警察に強制連行された(그녀는 21세이던 1942년 어느 가을날 부산근교 동구밖 우물터에서 빨래를 하던 중 일본경찰에 강제로 끌려간)と書かれた物もある。

1921年というのは流石に誤植だと思うが、それはともかく、日本の警察に強制連行されたという話は果たして本人がそう言っていたものなのだろうか?韓国社会から遠く離れたタイに暮らし、戦後の反日教育とも90年代の慰安婦強制連行キャンペーンとも無縁だった老女が突如こんな事を口にするだろうか(もちろん、「強制連行」を体験した貴重な証言者であるという可能性もあるにはあるのだが・・・)?

元従軍慰安婦 タイの病院で死去

旧日本軍のための元従軍慰安婦だったノ・スボクさんが、韓国時間で4日夜、タイの病院で亡くなりました。90歳でした。
韓国挺身隊問題対策協議会によりますと、慶尚北道(キョンサンブクド)安東(アンドン)出身のノ・スボクさんは、21歳だった1921年、釜山から旧日本陸軍の従軍慰安婦として日本軍に連れて行かれ、シンガポールやタイなどで、慰安婦をさせられていました。
ノ・スボクさんは、日本が戦争に負けた後、国連軍の捕虜収容所に入れられ、韓国に帰国できずにタイで暮らしていました。
これで元従軍慰安婦の生存者は、65人となりました。

KBS WORLD 2011.11.5

挺対協の幹部は、過去タイまで出向いてこの女性と接触し、後に韓国に呼び寄せている。しかし、彼女たちは自国に今も暮らしているはずの朝鮮戦争時の韓国軍慰安婦には目もくれない・・・。

左の人物が挺対協のユン・ミヒャン ノ・スボク元慰安婦と