2011/11/14

イ・ヨンスinハーバード大 (2007年)


写真左の人物がソ・オクチャ(徐玉子)中央でマイクを握っているのがイ・ヨンス。2007年、アメリカ。

28日(現地時間)アメリカ東部の名門ハーバード大学で慰安婦証言に出たイ・ヨンスお婆さんは証言で終始涙を隠すことができなかった。

イお婆さんは何も知らない15歳の時、わけも分からないまま日本軍に捕まって慰安婦生活を始めた、としながら自分の惨めだった慰安婦生活を証言した。

泣き声混じりに証言を続けながら、行事場所であるハーバード大学のジョン・F・ケネディ スクール内ベルビル5階のベルホールはおごそかで静かな雰囲気の中にあちこちで切ない溜息の声が何度も聞こえ、目頭を赤くする参席者たちの姿も見えた。

イお婆さんは自分が慰安婦生活をしながら受けた電気拷問の後遺症で未だに苦しんでいる。
歴史の生き証人だと言って生きている証人がいるにも関わらず「日本は最後まで嘘をついて欺いて、またも欺いている」と慨嘆した。

イお婆さんは「日本軍は私を慰安婦と呼んだけれども、私の名前は慰安婦ではなく両親がつけてくれたイ・ヨンス」と言い、日本総理は私の前にひざまずいて公式謝罪し、賠償しなければならないし、そうすることが子孫たちが平和に住めるようになる道だと強調した。

イお婆さんの証言が終わった後、慰安婦問題は単純に韓日間の問題ではなく日本と残りのアジア国家間の問題で、人権と道徳の問題という司会の説明に大部分の参席者たちが共感を示した。

ハーバード大学で化学を専攻していると明らかにしたイングリッド・エコリンドヤンさんは「慰安婦は存在した日本政府が強制に動員したという証拠が目の前にいるのではないか」とし「日本政府は軍隊慰安婦問題に対して公式に謝罪する義務がある」と指摘した。
始終深刻な表情で、イお婆さんの証言を傾聴したエコリンドヤンさんは報道を通じて慰安婦問題に対して関心を持ったとしながら、アジア女性基金を通じて賠償して謝罪したという日本の主張は偽りで日本政府は歴史歪曲の試みを中断しなければならないと声を高めた。

ジョン・F・ケネディスクールで東アジア地域の政府について研究しているというエイミー・ボンドさんも日本が卑怯にも真実にそっぽを向いていると責めつつ、もう遅い気もするが日本政府は軍隊慰安婦犠牲者たちに公式に謝らなければならないと言った。

ボストン地域で初めて開かれた慰安婦証言行事には、予想より多い100人余りの聴衆が殺到してイお婆さんの証言を傾聴し、聴衆の中では親と一緒に来た同胞青少年たちの姿がたくさん見られた。また中国系アメリカ人とハーバード大学生たちも多数参加した。参席者たちは行事が終わった後、イお婆さんを尋ねて慰労と理解の意味を表示したし即席で米下院慰安婦決議案採択を促す署名運動を行ったりした。

ソース:聯合ニュース(韓国語)<ハーバード大校庭に響いた慰安婦お婆さんの叫び>
http://www.yonhapnews.co.kr/politics/2007/04/29/0503000000AKR20070429011300072.HTML

2ch蚯蚓φ訳 2007.4

16 件のコメント:

  1. このばあちゃん、まだらボケだろ。
    証言のたびに言うことが違う。
    正気とボケとが交互にくるから判定しにくいタイプ。
    でも、アメリカの各地で集会をやって、そのたびに現地韓国人社会がワーッとなって慰安婦碑やら対日非難決議がされると困るんだよな。

    講演内容について英文記事を探したがみつからない。ハーバード大の講演は対日悪宣伝に何ら影響力なしと判定。

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    1. >ハーバード大の講演は対日悪宣伝に何ら影響力なしと判定。

      これは2007年の話ですが、現在では、この時より問題が大きくなっています。

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  2. hazamnaさん:

    主戦場が英語世界に移っていますからね。吉田青治に端を発した韓国国内の反日団体と日本国内の反日日本人との共闘は、強制連行の証拠がいっこうにでないので、ほぼ崩壊したとみていい。日本人で強制連行を信じる人はいまは非常に少ないでしょう。

    韓国人のいやらしいところは、アメリカに舞台を移して対日悪宣伝をやっているところです。執念深いというか、なんと表現したらいいか分からない。だけれども、韓国人の絶叫スタイルはあっちでは通用しないと思いますね。ちゃんとした情報を提供すれば、ある程度の民度のある連中だから理解しますよ。

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    1. >ちゃんとした情報を提供すれば、ある程度の民度のある連中だから理解しますよ。

      私もそう思います。理解されるはずがない、諦めろ、と言う人も多いですけど。

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  3. 李容洙の発言の変遷は、アメリカの記念碑建設の動きにとって打撃になるはず。ただ、元記事のうち一つが入手できずに使えないのが残念。

    具体的には、07年3月7日のワシントンポスト記事。「15歳のときウルサンで、働いていたレストランへ行く途中、2人の大男に腕を掴まれ、5人の女とともにトラックに放り込まれた」というもの。

    李容洙の発言の変遷のうち、しばしば年齢の変化をいう人がいるけど、多少の年齢のずれは、相手に「大昔のことだから」と弁明の余地を与えてしまうんですよ。私は他人の裁判に首を突っ込んでいたことがあるから分かる。

    しかし、こういう、93年ぐらいに言っていたこと、また同じ07年の2月(わずか一月前!)に米下院公聴会で述べていたこととも根本的に違うストーリーは、弁明の余地がなくて「偽証」と判断される有効な決め手になる。

    ただ、こちらも「単なるウワサ」で問題を指摘することはできない。元記事にあたり、コピーを取っておかねばならない。

    07年2月に「14歳で日本兵に首を掴まれ、家からひきずり出された」と述べたことはジャパンタイムズに記事があるそうだから、こちらは大きな図書館に行けば手に入ると思われる。93年頃の出版物も図書館と古本でコピーを取れることが分かっている。米下院公聴会での証言内容もネットでPDFダウンロードして入手できる。

    元記事入手のめどが立たないのが、冒頭の07年3月7日のワシントンポスト記事だけなのだが、なんとかならないものか。どなたかご存知の方、ご教示くださいませんか。

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    1. ワシントンポストなら、日本の国会図書館でも探せるのではありませんか?確認していませんが。

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  4. ちなみに、米下院公聴会の証言スクリプトを読むと、イ・ヨンスが家を出た状況について、次の2つのストーリーが書かれているのです。

    (1)明け方、友だちのプンスンがやってきて小窓を叩くので、母にも告げずにそっと家を出て待っていた男と合流、ほかの娘たちとも汽車に乗るというもの。(2)明け方、男女2人が家の外で小声で話していて、この2人が家に侵入してきて「口を塞がれ」て、体ごと連れ去られる、というもの。

    同じ報告書に、ですよ。我が目を疑いました。つまり、イ・ヨンスは07年の2月と3月の同時期に合わせて4つの異なるストーリーを言っている。

    上記のうち(1)が93年頃に述べていた状況に近いわけですね。こういう状況を整理してイ・ヨンスの立ち回り先に送ってやる。これは有効な対抗策になるはず。

    というのは、在米韓国人団体が慰安婦碑を作るには、ひとつのパターンがあって、まず連中が突き動かしている政治家がいる。そこへイ・ヨンスみたいな元慰安婦が来て「体験を聴く会」みたいな集会をやる。すると、在米韓国人社会らがワーッとなって、慰安婦碑を作れ、対日非難決議を採択しろ、となる。

    でも、これは連中にとっても諸刃の剣であって、「お祭り騒ぎ」のニュースが出れば出るほど、そこにURLを掲示できるコメント欄も用意されるわけです。ぼくは先に紹介した自分のサイトを既に30箇所ぐらい掲示していますよ。

    こういうことを地道に続けて行く事が大事だと思うのです。

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    1. 根気のいる作業ですよね。頑張って下さい。よければまたお寄り下さい。

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  5.  今日は1日かけてイ・ヨンスお婆の資料集めをしました。件のワシントン・ポスト紙は国会図書館まで行って探しましたが、07年3月7日の現物に該当記事はなかった。元記事にあたらずにものを書く怖さは、こういうところにある。いい加減な情報(秦郁彦教授がまとめた表の一部を盲信した人が出元をチェックせずにネットに流しまくっている)は結局は信用を失うモトですからな。弘法も筆の誤りということはある。この記事を使うには教授による再確認が必要だ。やはり、若い人には任せられない。このケンカは私が適任だ。

     これ以外は全て元記事のコピーができました。特に、Japan Times Feb 22, 2007の記事で「寝ているところを日本兵に首根っこを押さえられて引きずり出された」の記事を確認できたことは大きい。これはイ・ヨンスが前日に参議院議員会館で本人が陳述した内容が記事になっているもので、同月15日の米下院公聴会の陳述から1週間でまるで違ったことを言っているわけですからな。

     イ・ヨンスの証言食い違いリストの英語版が完成したら、また来ます。

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    1. 楽しみにお待ちしています。

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  6. 昨日からいろいろ考えてみたのですが、事情があって李容洙の証言食い違いリストは和文も英文も当面は作らないことにしました。

    理由は、07年2月に米下院公聴会で李容洙が証言した時点(この時、李容洙は79歳)で、既に同女には「認知症」の初期症状がみられると思うからです。昨年12月に川崎の集会で証言した際(この時は83歳)には、もうかなりはっきりしている。

    ひょっとすると、神経を病んで妄想を口走っているのかもしれない。若い頃に不特定多数の異性と性交していた過去を考慮すれば、様々に食う違う言動の根源を性病に求めることも、全くできないとはいえない。

    但し、李容洙を「客寄せパンダ」のように使って集会を開き、慰安婦碑を作る、対日非難決議を可決させる運動のきっかけにしようと目論む輩どもはいるので、それによる実害が目に余るほどになれば、既に手元にある資料から必要に応じ検証ページを作成することにします。

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    1. それが良いかもしれませんね。私の経験では、細かい検証をして見せても外国人はあまり興味を示してくれないようですから。

      >言動の根源を性病に求めることも、全くできないとはいえない。

      医学的な事は丸っきり分からないのですが、そういう事もあり得るのですね?老人の認知症なら、古い記憶は残っているものですから、他に原因があるということなのかもしれません。

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  7. 李容洙の証言のずれを指摘する英文ページ、やっぱり作りました。

    Changes of Testimonies of Lee Yong-soo
    http://www.howitzer.jp/korea/page06.html

    やはり、こういうお婆をノーチェックで放っておくことはマズイ。
    それに、今やらないと、和文世界から英文世界に情報を橋渡しを機会が失われる。
    とりあえず作ったという状態のため、数日かけて見直し、リファインします。

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  8. 上記HPは一応完成です。

    それから、今度のことで私は覚悟を決めました。日韓の間には情報戦争という「見えない戦い」があると。そこでは、日本人が普通に抱く相手への「思いやり」みたいな感情は、むしろ危険でさえある、ということです。

    こういう考えに至ったのは、桜井よし子さんのブログを読んだことが大きい。「敵」は対日悪宣伝を通じて日本の国力を弱める行動に出ているのだから、こちらも相応の戦いをしなければいけないのです。

    老婆が涙を見せれば、一応は聞いてやろうかという気持ちになる。もう「冥土のみやげ」の観光旅行だろうから、あまり邪魔しなくてもいいか、とも思ってしまう。しかし、一歩下がって冷酷に見れば、それによって、イ・ヨンスがノーチェックになってしまうことの危険を考えるべきなのです。

     ということで、上記HPの拡散にご協力ください。

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    1. お疲れ様でした。新しいエントリー(今日も一つエントリーを上げる予定です)のコメント欄をご利用下さい。真面目なものなら、エントリーの内容と無関係なコメントでも歓迎しています。新しいエントリーなら、比較的多くの人の目に触れるはずです。

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  9. 1993年当時のイ・ヨンスの証言 1993.7「写真記録 やぶられた沈黙」1993.10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」より抜粋
    「1944年夏のある日、酒屋をやっていた友達(キムプンスン)のお母さんが「今のような苦しい生活をしている必要はないじゃないか。私の言うところに行けばご飯がたくさん食べられ、豊かな生活ができる」と言いました。ですが私は「嫌だ」と言って飛び出て来ました。
    それから何日かたったある日の明け方、キムプンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。~(中略)~行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。~(中略)~それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。大邱から私たちを連れて来た男が慰安所の経営者でした。」

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