2014/08/20

本岡質問へのプロローグ(社会党・竹村泰子)「強制連行とは、どういう人たちですか?」 90年5月

よく分からないまま「強制連行」という言葉を使った

前回、慰安婦問題が政治問題化する端緒となった本岡昭次の慰安婦の強制連行を巡る質疑(90年6月6日)を紹介した。竹村泰子(社会党)の参議院予算委員会での質疑(90年5月30日)はその先触れとなるものである。ついでだから、これも紹介しておこう。

彼女も基本的に「強制連行」という言葉を、日本政府が国家権力でもって(朝鮮半島から)人を動員することを意味すると認識していたらしい。だが、定かではないので、「強制連行というのは一体どういう人たちですか?」と質問している。そんな言葉は国語辞典にもないのだから、知らないと撥ねつければいいのに、役人は本岡の時と同様「徴用」という正当な日本語に言い換えて説明してやっている。彼女がここでした「従軍慰安婦についても調査なさいますね?」という質問が、翌月の本岡議員の質疑につながるのである。

「韓国側から日本側に対して、強制連行された人のリスト、朝鮮人のリストを示してもらいたいというお話がありました」という部分も、要注意だろう。高崎宗司によれば「反日感情」韓国・朝鮮人と日本人・・・?)、「強制連行」という言葉は韓国にはないということなので、韓国政府も「強制連行」という言葉は使っていないはずなのである。

○委員長(林田悠紀夫君) 

次に、竹村泰子君の余の一般質疑を行います。

この際、坂本官房長官から発言を求められておりますので、これを許します。坂本官房長官。

○国務大臣(坂本三十次君) 

日韓外相会談で韓国側から日本側に対して、強制連行された人のリスト、朝鮮人のリストを示してもらいたいというお話がありました。

太平洋戦争中に強制連行された朝鮮人リストについては、何分古い話のことでもありますが、当時の事実関係や法律関係について、現在内閣官房を中心にして関係省庁と共同して調査をいたしておりますので、もう少しお待ちください。

○ 竹村泰子君 

閣議で大変御検討いただきましたそうで大変うれしく思いますけれども、強制連行というのは日本政府が国家権力で連れてきた人を指すのですね。 昭和十七年から敗戦までぐらいだと思いますけれども、その前、昭和十四年ごろから自由募集というような形で連れてこられた人がいたということですけれども、いかがでしょうか。

○政府委員(有馬龍夫君) 

ただいま官房長官が仰せられましたように、当時の事実関係をまさに今調査しているところでございまして、その結果、今御指摘になられましたような問題についても、ある段階では適切なお答えができるかと思っております。

○ 竹村泰子君 

私がお聞きしたいのは、強制連行というのは一体どういう人たちですかという概念をお聞きしたかったんですけれども、今お答えできないというこ とですので、仮にこの人たちが個人で日本に賠償請求をしてきたらどうなさいますでしょうか。戦勝国アメリカでも日系人の強制収容に関する賠償法というのを 立てまして千九百五十億円賠償しておりますけれども、そのようなことをどういうふうにお考えになりますでしょうか、官房長官。

○政府委員(谷野作太郎君) 

お答え申し上げます。

この点は、先生御存じかと思いますが、徴用された韓国人に対する補償の問題は、確かに日韓国交正常化交渉において韓国側から対日請求の一つとして提起された経緯がございますけれども、いずれにいたしましても、昭和四十年に締結されました韓国との請求権及び経済協力協定によりまして、日韓間の問題としては既にそのとき決着済みというのが日本政府の立場でございます。

○竹村泰子君 きょうは国会図書館館長においでいただいておりますけれども、資料がございましたでしょうか。

○国立国会図書館長(指宿清秀君) お答えいたします。

私ども国立国会図書館に所蔵いたしております資料の中には、ただいまお尋ねのような関係の名簿等はございません

○竹村泰子君 韓国の太平洋(引注:戦争?)遺族会という方たちが九〇年の四月においでになっておりますが、このときに軍属、軍人の名簿はあったと厚生省は認めておられますけれども、公開は拒否しておられますね。このことを厚生大臣は御存じでしょうか。

○ 政府委員(末次彬君) 御指摘のとおり、軍人軍属につきましては全体の名簿の中にそういう方が入っているということでございます。これは一種の人事に関す る記録でございますから、名簿の提示をしてほしいというお話がございましたが、プライバシーに関することでもございまして、国内においても同様の取り扱い をいたしておりまして、その名簿の提示はできないというふうにお答えしております。

○竹村泰子君 中央協和会というのが戦中にございまし て、移入労務者の指導員講習などをやっております。これは厚生省と内務省と地方自治体で協力をしてやっているんですけれども、そういうことなど多くの、私 の調査によりますと、名簿がないとは言えない現状がございますが、いかがでしょうか。

○政府委員(有馬龍夫君) 繰り返して申しわけございませんけれども、今調べているところでございまして、御指摘の諸点については今この段階では明快にお答えすることができません。

○竹村泰子君 従軍慰安婦の調査もなさいますね、官房長官。

○政府委員(有馬龍夫君) 先ほど官房長官が仰せになられましたように、今内閣官房が中心となりまして関係しておられるところと協力しながら調べております。

○竹村泰子君 各大臣にお答えいただきたいんですが、時間がございませんので、十分誠意を尽くして調査をしていただきますことを官房長官お約束してください。

○国務大臣(坂本三十次君) きのう内閣官房で、関係各省庁に対してそういうリストがあったら出してもらいたいということで、今鋭意調査中であります。

○竹村泰子君 一九六五年の日韓条約は経済協力だけです。個人補償は別ではないでしょうか。また、北朝鮮に対しては全く放置されたままでよいというのはどういうことでしょうか。

敗戦後四十五年、余りにも遅い戦後処理ではないでしょうか。反省もざんげもなかったことがまさに今問われていると思います。韓国、朝鮮の人のみでなく、そ して従軍慰安婦も、日本の植民地支配に対するすべてのことを調査するという前向きの閣議決定を受けて、窓口をきちんとつくり、遅まきながら誠意を持って調 査をしていただきたいと強く要望して終わります。

○委員長(林田悠紀夫君) 以上で竹村泰子君の質疑は終了いたしました。(拍手)

33 件のコメント:

  1. 山路 敬介2014年8月20日 18:58

    これは慰安婦問題の源流をたどる、いい記事ですね。
    思い出します、この後に本岡質問に対して厚生省の役人かなんかが、不用意にも国の関与を否定する答弁をするんですね。
    そこに喰らい着いた社会党が「一点突破、全面展開」とばかりにせめて行くのでした。
    しかしこの頃、政府は全く無防備で、まるで対策の気配もありませんでしたね。
    最悪なのは、河野と並ぶ慰安婦問題の戦犯、両巨頭といえる谷野作太郎が
    外務省で音頭をとっていたことでしょう。
    で、このような動きと吉田証言を接着させることに腐心したのが朝日の役割だったんですねえ。

    それにしてもこの頃からすでに、竹村さんの質問、高崎宗司さんの著書なんかもそうですが、北朝鮮シンパか、もっといえば影が色濃く見え隠れしているのがあらためて新鮮です。
    今日の挺隊協の本質と通じるんじゃないかと思いますね。

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    1. 本岡議員の質疑はこれなのですが
      http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2014/08/9066.html
      ネット上の議論を見ていると、あまり原点まで遡って反論する人はいないようですね。労働省の担当者の答えは、「私たち(労働省)」としては関わっていないというものだったのですが・・・。

      >影が色濃く見え隠れしている

      サハリンの残留韓国人問題に取り組んでいたグループが関わっていましたからね。思いっきり左でしたね。

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  2. この後、前エントリーの本岡昭次の質疑における、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言したとされ、これに反発したことが尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成することに繋がるようですね。

    同年10月17日には韓国の37の女性団体が清水労働省職業安全局長の発言を「歴史的事実に反する無責任な発言」と糾弾し、日本の海部俊樹首相に慰安婦問題に関する政府への6項目の要求をしています。

    1・日本政府が朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認める。
    2.公式謝罪する。
    3・蛮行の全てを自ら明らかにする。
    4・慰霊碑を建てる。
    5・生存者・遺族への補償。
    6・歴史教育で(慰安婦問題に関する)事実を教える。
    (後に責任者処罰が加えられる。)

    そして、同年11月からはソウルの日本大使館前で「日本軍による慰安婦問題」に対する抗議デモ(水曜デ)がスタートすることになるようですが、この時の6項目の要求と抗議の根拠となったのが「吉田証言」だとネットでは散見されますが、残念ながらこれの明確なソースは見つかりませんでした。

    いずれにせよ、この時は「強制連行」、つまり国家や軍の権力行使の形での強制的な動員が問題とされていたようですね。

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    1. BLOGOSの慰安婦関連の記事とそのコメント欄を読んでいると、強制連行を否定する側の人々でも、この辺の経緯を理解していない人が殆どのようですね。つまらない話だとは思いますが、大事なポイントなので、このシリーズは続けようと思っています。

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  3. AがBを連れて行く事を連行と言います。ついて行くのは同行。犯人は連行し、容疑者には同行を求める。連行の同義語には、拘留、勾留、引致があります。従って、Aが強制力を行使し、Bは強制力を行使される。

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    1. 竹村氏だって「連行」の意味ぐらい知っています。「山くじら」とは何かと訊かれて「くじら」の説明をしてもしょうがないでしょう。

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    2. 失礼しました。人違いでした。

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  4. 強制連行は重複しています。今は強制性が問題にされていますが、当初問題になったのは連行ということになります

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    1. 強制起訴という言葉があります。では、任意起訴がありますか?弁護士にもマスコミにも、法に強制起訴という名称はない、起訴は強制性があるのになぜ強制をつけるのか?と訴えましたが何の反応もありませんでした。この様な名称にするのは作為があります。強制連行も同じです。強制を強調して連行の定義を曖昧にします。

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  5. 朝日の同族支配が問題を悪化させてきた気がします。産経も朝日もアプローチの仕方こそ違いますが半島(他国)との距離の取り方を間違えているような。朝日の植村隆元記者と義母との関係も含めてです。

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    1. 国と国の関係は、もっとドライであっていいでしょう。

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  6. 強制連行とはこれのことでしょうか?
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9EZF8/dj19-22/ref=nosim/

    慰安婦狩り

    アンボン島のような小さなケシ粒のような小さな島にも、中国大陸の戦線と同じように、男性の生理的欲求を処理するための「慰安所」が設置されていた。

    日本国内にもあった「赤線地区」であり、昔は「女郎屋」と呼ばれていた売春宿であり、軍隊がつくっていた公認のものであった。

    そこには日本女性も動員されていたし、もちろん現地人女性が多く集められて運営されていた。彼女たちは、軍人を慰める目的であることから「慰安婦」と呼ばれていた。国家権力による強姦強要である。

    わたしがアンボンに着任した1944年3月ごろはまだ慰安所があったが、日本人女性はすでに後方に送られ、ほとんど現地人女性だった。

    それは44年8月の大空襲まで続けられたが、この大空襲を境に日本人料理屋も後方に送られ、現地人女性もいっさい解散させられてしまった。

    (中略)

    そして再び現地人の女性を集めて、慰安所をつくろうという動きが海軍指令部からだされていた。

    それまでも毎月一回司令部の庭で政務会議が開かれていた。政務会議というのは、島の防衛を中心とした警備隊の任務本来の会議とはちがって、島の民政に関する会議だった。この島の警備に民政関係の方針をどうするとか、民政関係からみて警備隊はこの点にとくに注意してもらいたいとか、本質的に対立する戦争目的の警備隊と民政部の矛盾をできるだけ解決していこうとする会議だった。

    出席者は各警備隊の司令・副長、民政部は当時政務隊となって成良司政官が政務隊長として出席し、民政警察の木村司政官も顔をだしていた。セラム新聞社から青木さん、インドネシア語新聞は木元記者、宗教関係からはキリスト教牧師の花房氏か若い加藤牧師だった。特警隊からは、わたし、司令部からは、参謀長・先任参謀・副官であった。陸軍側からはアンボン地区の憲兵分隊長、陸軍少佐沼田氏も出席していた。

    情報の交換とアンボン島の民政に関する諸問題が討議されていた。

    その日の政務会議は少し変わっていた。議題はどうやって至急に元のような慰安所をつくるために慰安婦を多く集めるかということだった。そのために、慰安婦を集めることと治安上起きるかもしれない民衆の反感について討議されることになった。

    四南遣艦隊司令部の先任参謀が中心で開かれ運営されていたが、実際は副官の大島主計大尉が一人でガアガアしゃべって会議は進行していた。

    (中略)

    つぎは、いったいだれがそれをやるかということになった。

    出席者がわたしの顔を見た。恐れられている特警隊の力をもってやれば簡単だし、当然そうだろうという空気があった。

    「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくからどうか」。副官がそう発言したので、わたしは立ちあがった。

    「もちろん、副官のいわれるようにわたしの隊で集めれば、早くやれるでしょう。それは慰安所の設置ということが、もっとも大切なことだということでしたらうなずけますが、特警隊は島の治安関係の任務が、もっとも大切な第一任務です。女性集めを表面にたってやれば、住民の反感は直接目に見えない発案者にではなく、直接住民に接する行為者にむけられるでしょう。それが人情ではないでしょうか。そうなれば治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなると思います。特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察官とか、住民の中のボスを利用して、反感が直接日本軍にくることを防ぐ方法があります」。

    わたしは、もっともらしくそういった。めんどうなことから、なるべく逃げようという下心があった。そうするには、やはり大義名分が必要だった。

    副官の大島主計大尉は、なにがなんでもやってやるぞ、という決意を顔一面に表して、「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、そのためには宣撫用の物資も用意する。いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、自由意志で集まったようにすることにしています」。

    そこまで準備が考えられて、承諾書までとる話にはわたしも驚いた。副官は法科でもでているのか、と思われた。

    こんな小さな島に、これだけの銃を持った日本軍が陣地をつくっているのだから、日本軍の要求することを自由意志で拒否もでき、承諾もするという対等な自由が、本当に存在すると思っている考え方もじつに自分勝手であっただろうが、そんなことに気づいていなかった。

    (中略)

    結局女集めは民政関係の現地人警察を指導している政務隊(民政警察)におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになった。

    民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。

    「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!娘を返せ!と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」。

    わたしは、そこまで強制されたとは知らなかった。特警隊からも売春容疑者を捕らえて、収容所に送って協力いていた。それは犯罪容疑者として捕らえていた。

    (禾晴道『海軍特別警察隊 アンボン島BC級戦犯の手記』1975年)

    吉田清治なんかよりも前に強制連行の証言はあったわけですね。

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    1. 「こんな小さな島に、これだけの銃を持った日本軍が陣地をつくっているのだから、日本軍の要求することを自由意志で拒否もでき、承諾もするという対等な自由が、本当に存在すると思っている考え方もじつに自分勝手であっただろうが、そんなことに気づいていなかった」と禾晴道が認識の甘さを反省していますね。旧軍としても、日本国としても大いに反省すべきことです。ただ、これは吉田清治の証言とは異なり、「強制連行(日本政府による徴用)」について語ったものではないようです。

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    2. 「慰安婦狩り」の小題は著者がつけたものですが、内容に狩りはありません。治安責任を有し、軍法会議への起訴権と刑の執行権を持つ特警は尻込みして、民生警察に任せています。そもそもの提案は美味しいものたらふく食べさせて承諾書を取るというもので、うまく行かずに強制性が強まるにしても、狩り場面はありません。編集者が注目を引かせるために付けた題でしょう。これが1975年出版で、吉田証言は1977年が初出。国会議事録が1990年。狩りという小見出しを付けても容認される雰囲気がこの時点であったことになる。そういう背景が吉田証言や朝日の記事が生き延びた背景でしょう。

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  7. 慰安婦は娼妓取締規則によって許可された民間の職業です。それを軍が利用したものです。法によって国に協力を求められた徴用や女子挺身隊とは事なります。徴用や女子挺身隊で連行があったというのが、当初の議論です。強制はありますが連行はありません。

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    1. 日本人女性が対象になった女子挺身勤労令の場合は、拒否出来ませんでしたからね。

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  8. 村を包囲して銃剣で娘狩りをするのと、承諾書をとろうとするのが同じだとする考えは冷静さを欠いています。総体としては強制ですが連行ではありません。拳銃に手をかけても拳銃を抜いていません。インドネシアではスカルノが意見をして村から慰安婦を調達するのをやめさせて都会から娼婦を連れてきて慰安婦にした例があります。

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    1. >スカルノが意見をして

      その話は知りませんでした。

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    2. ミナン[*9]の地でも敬虔な乙女たちが日本の軍人に狙われた。しかしその時、スカルノはブキッティンギ[*10]の軍指揮官フジヤマ大佐に警告を発した。彼の部下がミナンの地の少女たちを狙うのを放置してはならない。もしこの警告が守られないなら、西スマトラの人々は反乱を起こすだろう、と。とはいえ、日本の軍人たちが性的なサービスを必要としていることを、スカルノは理解していた。この地の少女たちの名誉を守るため、スカルノはジャワの娼婦たちにこの地で日本軍人のために働くよう懇願したのだ。ジャワの娼婦たちのために特別な施設が作られた。日本の軍人たちは一週間に一度だけ専用のカードを使ってそこへ入ることが出来た。一度そこへ入るとカードには穴があけられた。一つ穴が穿たれると、それは一回その地区へ入ったことを意味し、以後同様に処置されたのだった。

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    3. ↑インドネシアの歴史教科書2006年高校3年用の中の記述です。
      スカルノは日本軍に協力して独立するときの力を蓄えるという方針だったが、日本側も民族主義者であるスカルノの協力に対して配慮をしたようです。

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    4. ありがとうございます。それは、日本語でも読めますか?
      明石書店の「インドネシアの歴史 (世界の教科書シリーズ) 」http://goo.gl/d3TsZVというのがそれでしょうか?

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    5. 紹介したのはこのページです。
      http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang3.html

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    6. >ミナン[*9]の地でも敬虔な乙女たちが日本の軍人に狙われた<
      [ミナン[*9]の地でも]というのが、他にもあった事をうかがわせる記述になっている。

      >日本の軍人たちが性的なサービスを必要としていることを、スカルノは理解していた<
      というのも、重要だよな。それまでいたオランダ軍にはその手の配慮が不要だったが、日本軍が来ると少女が慰安婦にさせられるので、特別な配慮をした・・・と。
      やれやれ、悲しい話だ。

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    7. オランダがインドネシアを植民地にして数百年が経過していたこともお忘れなく。日本の朝鮮統治は数十年ですが、基地村売春(米軍)のような問題は起こしていません。

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  9. 拒否できますよ。拒否出来ないと言うから強制連行変わらないとなるのではないでしょうか?拒否すれば懲役刑や罰金になります。しかし、挺身隊員にならなくて済みます。だから連行を「連れて行く」と解釈して前に強制を付けて補強し、日本軍が強制連行したという議論になってしまうのです。権力機関が連行するとは、拘留や勾留のための連行であり裁判所の逮捕令状や勾留命令基づくものものです。任地に強制連行する法律などまともな法治国家ではあり得ない。奴隷に対するもので、国民に対するものではありません。

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    1. ツリーにつなげられません。女子挺身隊勤労令を見ると朝鮮も台湾も対象になっています。対象者を規定する令を調べると南洋庁まで読み替えがされており東南アジアも対象になっています。wikiでは朝鮮は対象外と書かれていますが、参考文献は表示されていても令を否定する根拠は示されていません。

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    2. wikiの女子挺身隊勤労令には拒否すると国家総動員法によって懲役1年又は罰金千円と書かれていますが間違いです。同令には同法第5条に基づく令だと書いてあります。同法は第4条が徴用で第5条が協力です。第4条違反にはこの罰則がありますが第5条に関しての罰則はありません。女子挺身隊を徴用だとする誤解を広めているのはwikiの様です。

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    3. 丁寧にありがとうございます。アジア女性基金の資料によれば、44年8月26、27日付けの毎日新報で女子挺身勤労令が朝鮮でも実施されることが報じられていたようですね。なお、高崎宗司氏は、罰則はあったと書いています。
      http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf (p.53)

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    4. 上記発言を訂正します。
      そのpdfから調べてみました。
      1944/3閣議決定
      女子挺身隊制度強化方策要綱
      1. 本要綱中基本事項ニ就テハ国家総動員法第5条ニ基ク勅令ヲ制定スルモノトス
      2.協力命令ヲ肯ンゼザル者ニ対シテハ必要ニ依リ国家総動員法第6条ニ基ク就業命令ヲ発シ得ルモノトスルコト

      法第5条に基づく女子挺身勤労協力を挺身勤労とし(令第2条)、挺身勤労を為さざる者に法第6条に基づく就職を命ずることができる(令第17条)
      5条の協力(罰則なし)に6条(同あり)を適用して、4条(同あり)の徴用と同じものに5条を改ざんした。下位法である勅令が上位法を変えるというかなり怪しい勅令。

      1944/8-1945/3の女子挺身勤労令はこの方針に基づいているので、徴用と同じとみなされても仕方が無いと思われます。しかし就職命令が実際出ていなければ徴用とは言えない。

      pdfにある朝鮮のどの事例も、第5条に基づく女子挺身勤労令書は出ていない。したがってこれを拒否したときの第6条就職命令も出ていない事になります。

      また志願すれば同令の対象つまり志願者は女子挺身隊になります。

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    5. >就職命令が実際出ていなければ徴用とは言えない。

      仰ることは、理解出来ます。

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    6. 朝鮮半島におけるこの手の強制は社会圧力を利用したものが多い。炭坑への強制徴集や(自主的と謳った)徴兵に応じない村には食糧徴集の割り当てを増やすとかいうやり方で、そのために面事務所の人が説得、脅迫したりして人数を集めた。
      勤労女子挺身隊にも同様なやりかたがなされ、この場合やらされたのが教師だった。
      その際には「腹いっぱい食事ができる」とか「進学して勉強ができる」とか言う嘘が使われた。教師自身もその嘘を信じていたかも知れないが。
      当時、総督府がこうした回りくどいやり方をしたのは、基本異民族であった朝鮮の人々が、追い詰めれば暴動が起るかも知れなかったからだ。中国と長期に渡って闘い、米国にしかけた以上、半島では光州事件のような大々的反抗がおこるのは避けたかったからだ。

      このやり方は江戸時代の5人組によく似ている。日本伝統の支配システムと言えるだろう。

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    7. 貴方もこの韓国ドラマに涙したくちですか?
      http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2012/09/blog-post_8.html (韓流ドラマに見る慰安婦強制連行)

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