2014/08/15

[写真で見る水曜デモ24] 慰安婦記念日2周年


2年前から8月14日は慰安婦記念日ということになったようである。キム・ハクスン(金学順)が、キーセンに売られ初めての仕事だと思い慰安所に連れ行かれて稼いだお金を弁償して下さい、と公式の場で訴えた・・・もとい、私は日本軍によって強制連行された慰安婦でした(そういえば記者会見では実際に何と言ったんだっけ?)と名乗り出た日とされている。

「日本人への憎悪ではなく『平和と和解』を口にする韓国の人たちに感銘を受けた」と、デモに参加した20歳の山崎ふみえさん。それはそうだろう。子供のイジメでも、憎悪丸出しでイジメてるケースは少ない。大抵は、イジメを楽しんでいるものだ。日本大使館前の通りを「平和路」と名づけ、慰安婦像は「平和の碑」。大儀があれば、暴力やイジメのハードルが下がるというのは法則である。要はそういうことなのだが、これくらい鈍感でないと「良心的日本人」にはなれないのだろう。この日、世界中から集まった160万筆の署名が日本大使館に届けられた。

世界中から集まった160万筆の署名

反日運動は韓国社会から浮いている、一部が騒いでいるだけという見解もあるが、これだけの動員力を持っているのも事実のようである。160万という数の署名を集める組織力と国民的支持も。

慰安婦:日本政府の謝罪と賠償求め92カ国・150万人署名

在韓日本大使館前で「慰安婦記念日」集会
日本人学生十数人も参加「日本人として恥ずかしい

「元慰安婦のおばあさんたちが記憶をたどり、旧日本軍にやられたことについて話をしたとき、涙が出てきた。そんな経験をしながらも「日本人への憎悪」ではなく「平和と和解」を口にする韓国の人たちに感銘を受けた」(20歳・山崎ふみえさん)

光復節(日本の植民地支配からの解放を記念する日。8月15日)を2日後に控えた13日正午、ソウル市鍾路区中学洞の在韓日本大使館前で「世界日本軍慰安婦記念日」の行事が行われた。「慰安婦記念日」とは、故・金学順(キム・ハクスン)さんが第2次大戦中、慰安婦として連れていかれ経験したことを、韓国人として初めて公の場で証言した1991年8月14日を記念するものだ。この日の集会は元慰安婦たちによる1139回目の「水曜集会」も兼ねたものだった。92年1月8日に日本大使館前で初めて水曜集会が行われた当時237人だった元慰安婦は、今では53人にまで減っている。

この日、元慰安婦の金福童(キム・ボクトン)さん(88)は「すでに多くの元慰安婦たちが世を去っている。悔しい思いをした少女たちの恨(ハン=晴らせない無念の思い)を解きほぐしてほしい」と語った。その上で金さんは「日本が1日でも早く公式の謝罪や賠償を行うべきだ」と訴えた。集会が終わった後、金さんとキル・ウォンオクさん

9 件のコメント:

  1. 私が大学生(というと、もう30年とちょっと前のこと)の頃は、韓国はこんなにキチガイじゃなかったです。
     日本人と韓国人の青年たちが談笑している場面は、大学の実生活のなかにもテレビ番組のなかにもあった。
     在日朝鮮人のクラスメートもいて、就職のときだけ日本人より不利、その程度の感覚でした。それでも、当時はソニーが韓国との取引が大きく、他にも韓国と取引を拡大している企業は幾つもあったから、おおむね問題なしに就職していった。だから、韓国との関係で真っ先に思い浮かぶ事は在韓米軍の兵士が日本にきて羽を伸ばしている、といった程度のことしかありませんでした。
     ある日、韓国の家庭を訪問した日本の青年たちが、ホームステイ先の若い韓国人と談笑をしているTV番組を見ていて、突然、老婆が割り込んできて、「日本人は朝鮮人の家に乗り込んできて、すべてを奪っていった!」とか喚きだすと、本当なのかなあ?という疑問と同時に、この婆あどもが皆死んでしまえば、まあ、韓国も日本の大衆文化を締め出すようなバカな行為はやめる時代がやってくるに違いない、と本気で思っていました。
     ところが、今の韓国を見ていると、松木国俊さんが言うように、「明けても暮れても反日をやりすぎて自家中毒を起こしている」ように思います。
     もっと分かり易くいうと、反日ドーピングに依存しすぎて、麻薬中毒患者と同じ道を辿っている。最初はシンナー、次が大麻、その次がコカイン、最後にLSDといった具合に、次から次へと深みに入っていって、途中で戻ってくることがない。その結果はどうなるか。
     いわずと知れた「田代正義」ですよ。はい、廃人への道、まっしぐらです。

     以前、見沢知廉と酒の席でいっしょになったことがあります。この男も、若いときに殺人をやらかして、12年ぐらい刑をくらったあと出所して本を書いていたのだが、時折訪れる欝状態から脱出するために向精神薬を過剰摂取していた。薬局に持っていく処方箋をコピーして、たくさん買って服用していたらしい。「らしい」というのは、彼が自宅のマンションから飛び降り自殺をして、死後に仲間内で話題になったからなのだが、死の直前の状態は、まさに廃人寸前といった状況だった。

    反日ドーピングの行き着く先に何があるのか。個人ではなくて国が廃人になると、どういう状況になるのか、じっくりと拝見しましょう。

    韓国人の心の隙間をお埋め致します。 ダーッ! おーほほほ。

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    1. >反日ドーピング

      彼らを薬中にしてしまったのは、我が国かもしれませんね。

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  2. アジア女性基金の世話人の一人大沼保昭氏の「『慰安婦』問題とはなんだったのか」を読んでいたのですが途中で疲れてしまい、挫折しました。
    納得できない点がいくつかあります。
    1)セカンドレイプにならないように元慰安婦に対する反証尋問は行わないという方針は偽物をいくらでも紛れ込ませられる。
    2)インドネシアのケースを不本意としているのですが、善意の押しつけが感じられました。インドネシアとしては、当時数百万円もらえるとなれば、元慰安婦じゃなくとも我も我もと手を挙げる人間が出てくるのは人情というものだが、異常な人数が名乗り出たことを恥じる気持ちがあったのではないかと、当時のインドネシア高官の話から感じました。
    3)結局韓国の元慰安婦に韓国のコンセンサスが得られないまま償い金を渡して、結局誰が幸せになったのだろうか?

    なんとなく、十分がいいことしたことで満足したかっただけのような気がする。
    ちょっと厳しい言い方かもしれないが、関連する政府や挺対協のような組織を避難しつつ、われは正義なりという感じがして、読んでいて徒労感に襲われました。

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    1. 私は、大沼氏をいわゆる「良心的日本人」とはまた違うタイプだと思っていますが、その善意が問題を複雑にしてしまった部分はあるかもしれない、と新井佐和子氏の「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」という本を読んで思いました。

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  3. 以前、グレンデールに慰安婦碑が建つというので危機感を感じ、慰安婦問題を勉強しはじめたときに感じたのですが、台湾及び東南アジアと韓国では、元慰安婦たちの態度に大きな違いがあると思いわれました。

    最初に出版された証言集は、おそらく「写真記録 破られた沈黙」(伊藤孝司 風媒社 1993年)でしょう。これには台湾や東南アジアから慰安婦になった人たちの証言も記録されています。近所のおばさん、おじさんから食堂で働くと聞かされて行ってみたら、そこが慰安所だったというような話しが幾つか収録されています。
    以前、ソ連が崩壊して、統制経済が崩壊して、ロシアの経済がズタボロになったことがあります。そのとき、たくさんのロシア娘が西側でウェイトレスをやると聞かされて西ドイツに行ってみたら、そこが売春窟だったという話しをNEWSWEEKで読んだ記憶があり、そのあたりは同じ事情なんだな、と思いました。武装警察が急襲して、ヤクザをぶっ殺して数十人かの女性を解放した事件で、女性らの話では「NATO軍兵士がよく来ていた」と。

    「破られた沈黙」を読んでいて、ふと思ったのが、この本の出版が1993年だということです。つまり、収録されている証言の大部分が、バブルの末期に集められているということです。はは~んと思ったのは、この人たちは、日本の繁栄のおすそ分けが欲しいのだろう、ということです。
    あの頃の日本人は凄かった。私は当時、ゼネコンに勤務していたのですが、とにかく中年男といえば誰も彼も成金みたいな存在で、胴巻きに札束を詰め込んで豪遊しているような連中が多かった。胴巻きの右側から札束をドカっと出す。左側からもドカっと出す。二挺拳銃みたいに出すような輩がいて、台湾やマレーシアにメカケを囲っているなんてのは珍しくなかった。まだ若かった私も、ずいぶんとモテました、ハイ。
    戦争でコテンパンに負けたはずの日本が高度成長を果たし、昭和元禄も超えて繁栄の絶頂期に達したのが、1980年代の半ばのことです。
    何でもカネで解決するという点では、日本人のモラルが最も低下した時期とも言えるのですが、それはともかく、かつて慰安所で一緒に過ごした人たち、言ってみれば戦友のような人たちの国が大出世したのだもの、私たちにもちょっとはいい思いをさせてよ、と思うのが年増女の考えることではないか。

    で、アジア女性基金なるものができて、日本政府がカネをばらまいた。やはり、私の見立ては正しかった。台湾と東南アジアからの元慰安婦たちは、皆、何も言わなくなった。
    韓国の元慰安婦だけです。今でもグダグダと言っているのは。やはり、この国には、この国ならではの何かがある、と思わざるを得ないのですよね。

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    1. イデオロギーが絡んでいるかどうかでしょうね。挺対協は明らかに政治的意図を持っています。経済原理で行けば、アジア女性基金を受け入れるのが最良の選択です。おそらく世界初の人道に基づくおかわり賠償ですから。

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    2. >女性らの話では「NATO軍兵士がよく来ていた」と。

      そのニューズウィークの記事は読んでみたいですね。

      日本人の中に、インドの金持ちのように「成功者である日本は、アジアの負け組国家に恵んでやるべきだ、細かいことは言うなという思い上がりがあったのかもしれませんね。

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    3. アジア女性基金ができた前後の空気は今も覚えているのですが、戦後賠償は済んでいるのに何で?という主張の反面、婆さんたちが老いて困っているらしいという声も片方であった。基金ができたのは、発足は村山内閣のときだけれども、本格的にカネを出したのはポマード橋本内閣のときではなかったか。
       あの頃、確かポマード橋本か中川秀直のどっちかの発言だったと思うけれども、「路頭に迷っている婆さんがいたら、家に入れて世話をしてやるのが男というものだ」という言葉があったように思うのですよ。
       大部分の日本人には実感がないと思うのですが、私が若いときにマレーシアに行った時分には、路上で空腹の余り倒れこむ老婆って、実際にいたのですよ。昔の日本も、きっと同じような状況だったと思うのですよね。社会保障が全くないところでは身内だけが頼りだけれども、身寄りのない婆さんは生活力そのものがないから、かなり追い詰められる。 
       アジアで出世頭になった日本が、何もせずにいるわけにはいかない、という気分はあったのではないか。それに、若い頃に実際に慰安所の体験をした世代が巧なり名を遂げて引退期にさしかかった、それが80年代です。ぶっちゃけたハナシ、戦場に行く前に童貞を捨てられて良かった、みたいな感覚は心のどこかにあったかもね。
       だから、アジア女性基金も、余り大きな反対もなく、わりにすんなりと実施された。当時の自民党のお偉方の感覚って、「そうかそうか、あの時のネーちゃんたちが、今困っているのか」みたいな多分に心情的なものではなかったかと思いますよ。

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    4. 河野談話には問題もありますが、あの時代にああいう談話を出してしまったという点については、理解出来る部分もあります。社会全体がそういう雰囲気でしたから。

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