2015/03/30

[絵で見る強制連行 2] 悲しい時間の記憶 (東北アジア歴史財団)

よく読むと「内地において・・・募集するにあたり」と書かれているのだが



韓国政府系の東北アジア歴史財団(東北アジア歴史ネット)製作のアニメーション(2015)。慰安婦の強制動員について解説している。慰安婦の徴用(強制連行)が事実でないと分かり、最近は騙して連れて行くのも強制(動員)だという話にすり替わっている。確かに就職詐欺はあったろうが、それは日本軍が認めるものではなかった。しかるに、韓国のテレビドラマなどでは、日本軍が後ろで糸を引いた強制動員(詐欺)ということにされている。ナレーションが理解出来ないので当て推量だが、この動画もそのパターンらしく見える。

実は一枚目の写真も、業者の選定を適切にせよという内容の通達である(『軍慰安所従業婦等募集に関する件』)。つまり、(普通に考えれば)募集に当って不正を許すなという通達。しかもこの通達、内地で出されたもので朝鮮半島は関係ないのである。




悲しい時間の記憶_日本軍慰安婦動員事例

いつのまにか老婆になってしまった彼女たちの青春の辛い物語。
女性はどのように「日本軍慰安婦」になったのだろうか。
彼女たちはなぜ、望まない歴史の主人公になってしまったのだろうか。
「日本軍慰安婦」はどのように動員されたのか、記録された歴史を覗く。

Youtube(財団公式)2015.3.5

동북아역사재단(동북아역사넷)에서 제작한 애니메이션(2015.01.제작)

어느새 할머니가 되어 버린 그녀들의 청춘의 아픈 이야기.
그 여인들은 어떻게 '일본군 위안부'가 되었던 것일까.
그녀들은 왜 원하지 않은 역사의 주인공이 되어버린 것일까.
'일본군 위안부'는 어떻게 동원되었는지,
기록된 역사를 들여다 본다.

12 件のコメント:

  1. >記録された歴史を覗く。

    どこに記録されてるのかネェ。

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    1. 韓国語の「歴史」は「ガンボウ」と読むらしい。

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  2. インターネットで拾った詐欺案件に関連した資料を添付致します。
    ご存知の資料も多いかとは思われますが、ご参考までと思い失礼致します。
    ( なお、直接、原著にはあたっていませんので、正確な引用か否かは別途確認が必要かと思われますが )

    ・各資料、注釈をつける必要のあるところもありますが、ざっくりとは、詐欺などの犯罪案件については、旧日本軍側はその排除に努めてることを原則としていた可能性が高いということが言えるのではないでしょうか?

    ・ただし、戦地に近い慰安所など通信の不便、時間をとっている余裕のないような慰安所では、かなり杜撰な対応がなされていた可能性は否定できないとも思われますし、また、例えば、本人は完全に騙されていたとしても、多額の前借金があって、かつ、親は承諾している場合には、旧日本軍担当者も難しい対応が迫られて、細かな事情を知らない者の目でみると不十分な対応と感じられる対応もあった?

    ・一方、吉見義明氏などの慰安婦問題肯定派は、詐欺行為があったというところのみを取り上げ、それに対して旧日本軍がどのように対応していたのかを紹介しなかったり(意図的に隠したり)、あるいは、なんらかの理由があって不十分な対応にならざらるをえなかったような事例を取り上げ、旧日本軍が詐欺行為と一体であったような印象を世論に与えようとしているとの印象を持ちますね。




    【1】( 山田清吉著『武漢兵站』図書出版社、1978年発行 著者は慰安所担当の陸軍少尉 )
    「慰安婦が漢口へ到着すると、楼主とともに必要書類をもって兵站慰安係へ出頭する。係の下士官は、彼女たち本人の写真、戸籍謄本、誓約書、親の承諾書、警察の許可書、市町村長の身分証明書などを調べ、所定の身上調書をつくり、それに前歴、父兄の住所、職業、家族構成、前借の金額などを書き入れる。身上調書はうつしをとって憲兵隊へまわしておく。あとで反則などで営業停止をうけたりすると賞罰欄に、病気入院などすると、病名、期間などを病歴欄に記入し、また備考欄には、酒癖あり、浪費癖ありなどと、あとからその妓の特徴などを記入しておいた」「内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓、女給などの経歴のある20から27、8の妓が多かったのにくらべて、半島から来たものは前歴もなく、年齢も18、9の若い妓が多かった。『辛い仕事だが辛抱できるか』とたずねると、あらかじめ楼主から言われているのか、彼女たちはいちように仕事のことは納得しているとうなづいていた」(86~87ページ)


    【2】(昭和19年4月)「私の不在中に、第34軍の法務部から電話があった。係の下士官が代わって用件をきくと、誘拐されて来た妓がいるから調べてみるように、とのことだった。これはよくズブの素人で、軍の酒保で働くのだなどとだまされて来たという妓がいたからである。さっそく組合長(引用者注:慰安所側の組合長と思われる)を呼んでそれとなく調べさせてみると、松浦楼のみつ子のことらしい」「まだ18、9の子供っぽい素人じみた妓であった。みつ子の素性は、大阪在の箕面とかの生まれで、早熟な不良少女だったらしい」「友だちが軍の接待婦となって漢口へ行くという話をきき、一緒に行く約束をしたが、警察では前歴がなければ渡航を許可しないという。そこで、前にカフェーで働いたことがあると嘘をついて許可をとった。また前借がなければ駄目だというので、いりもしない金を借り、その金は親戚のおばさんとかにあずけて貯金してもらったそうである。ところが、一緒に行くはずの友だちは、親が許さないとかで取りやめになり、自分ひとりだけ、楼主に連れられて漢口へ渡って来たという。楼主とはどんな話し合いになっていたものか、特に娘分として家族同様に待遇され、楼主と一緒に食事したりして、ほかの妓とは別扱いということだった」(89~90ページ)




    【3】( 長沢健一著『漢口慰安所』図書出版社、1983年発行。著者は漢口兵站司令部付の軍医 )
    (昭和19年10月)朝鮮から2人の朝鮮人に引率された30人あまりの女が到着した。どういう人間がどのような手段で募集したのか、支部の知るところではないが、そのうちの一人が、陸軍将校の集会所である偕行社に勤める約束で来たので、慰安婦と知らなかったと泣き出し、就業を拒否した。支部長(引用者注:軍側の担当責任者と思われる)は業者に対しその女の就業を禁じ、適当な職業の斡旋を命じた(220~221ページ)



    【4】( 小沢昭一著『雑談にっぽん色里誌』徳間文庫、1985年発行(原本、講談社、1978年発行)  須川は業者 )
    「小沢 その、むこうで慰安所へ行くんだということを知らない女のコには、なんていって連れていくんですか。詳しく知らない女のコには」
    「須川 だいたい、女もね、多少はかんづいてはいましたけどね、まあ、金が非常に儲かると……」(86ページ~88ページ)
    「南京の下関に行ったのは先発でしたね。ええ、最初なんです。そうしてね、そこでもって、慰安所をいよいよ開業しまして、開業する前に女たちを集めましてね、こういう具合でもって、こういう仕事だと、兵隊さんが遊びにくると……(小沢 お国のためだと)ええ、まあ、そういう意味もありますしねえ、それから、やってくれという具合にたのみましたらね、まあ全員、承知してくれたわけです」(89~90ページ)


    【5】( 広田和子著『証言記録従軍慰安婦・看護婦ー戦場に生きた女の慟哭』新人物往来社、1975年発行。同書中、昭和15年から敗戦まで南方・トラック島の松島砲台勤務だったという野口の証言 )
    (ラバウル)お国のために働く兵隊さんのお役に立ちたいと志願してくる女学生もあったそうですよ。だけどそういうのは一応病院でもって検査するときに、医者もびっくりするけど本人もびっくりしちゃってね。わたしは兵隊さんの慰安隊だっていうので志願してきたのに、こんなことをするのが慰安とは思いませんでしたと泣き出すのもいました。そんなのはみんな内地へ送り帰しました」(53ページ)



    【6】( 瀬間喬著『わが青春の海軍生活ー素顔の帝国海軍・別巻』海友堂、1981年発行。著者は海軍主計中佐 )
    (昭和13年、中国・安慶)また若い女性が駆けこんで助けを求めてきたので、事情を聞いてみると、戦地で兵隊さんのための食堂で勤めると聞いてやってきたら、売春を強いられるので怖くなり逃げてきたことが判り保護してやったこともある」(118ページ)


    【7】( 大西覚著『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版、1977年発行。著者は、昭和17年からシンガポールで特別警察隊長 )
    (昭和17年?、シンガポール)これら婦女子は、タイピストまたは事務員として募集した者を、酒席のサービスを強制された者もあったと聞く、どうしても嫌という者は一部商社に勤めた。内地の大料亭で、当初から芸妓、酌婦などを連れて来たものは問題はなかった」(233~234ページ)




    【8】( 小俣行男著『戦場と記者』冬樹社、1967年発行。著者は読売新聞の従軍記者 )

    ( 昭和17年3月ごろ、ビルマのラングーン )「ある日、『日本から女が来た』という知らせがあった。連絡員が早速波止場へかけつけると、この朝到着した貨物船で、朝鮮の女が4、50名上陸して宿舎に入っていた。まだ開業していないが、新聞記者たちには特別にサービスするから、『今夜来て貰いたい』という話だった。『善は急げだ!』ということになって、私たちは4、5名で波止場ちかくにある彼女らの宿舎に乗りこんだ。私の相手になったのは23、4の女だった。日本語はうまかった。公学校で先生をしていたといった。『学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか』ときくと、彼女は本当に悔しそうにこういった。『私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話で募集がありました。私は東京へ行って見たかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗りこんだところ、東京へ行かずに南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで、半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけにも行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ可哀想なのは何も知らない娘たちです。16、7の娘が8名います。この商売はいやだと泣いています。助ける方法はありませんか』。彼女たちのいうように逃亡できる状態ではない。助ける方法って何かあるだろうか。考えた末に、『これは憲兵隊に逃げ込んで訴えなさい』といった」「これらの少女たちがかけこめば、何か対策を講じてくれるかもしれない」「結局この少女たちは憲兵隊に逃げこんで救いを求めた。憲兵隊でも始末に困ったが、抱え主と話し合って、8名の少女は将校クラブに勤務することになった」(334ページ)

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    1. ありがとうございます。とても分りやすくまとめられていますね。

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  3. 私の3月29日のコメントが削除された後、復活したようなので本日3月31日のコメントを削除していただけますでしょうか。

    http://urx.nu/j1eO

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  4. 最初の写真の本文(ネットにありました)

    支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス

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    1. ありがとうございます。日本人なら、読めば意味は分りますね。強引な解釈をする「専門家」もおられるようですが・・・。

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    2. 県警の台帳に登録し、営業場所と住居を指定され、県外への移動を禁じられ、定期的な性病検査を義務付けられ、そうして売春業が合法となった。法を破れば処罰された。売春業自体が法による数々の強制のもとでの営業であった。

      戦地あるいは軍隊内では軍法が適用されるので、県警の行政業務を軍が行うことになる。軍が関与しなければ怠慢になる。加えて、利用者としての立場もあるから、違法な業者を使う事は出来ない。鬼の首をとった様に軍の関与を示す証拠だという学者の頭はイカれている。

      内地ー娼妓取締規則ー県警ー裁判所
      戦地ー軍法 ー憲兵--軍法会議

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    3. ついでですが、「良い関与」という胡散臭い主張はやめた方が良い。行政は法に基づいて業務を行うのだから、「良い関与」は「良い法律」に基づく業務という事になる。アホらしい。軍の業務も同じ。

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    4. >鬼の首をとった様に軍の関与を示す証拠だという学者の頭はイカれている。

      知っててああいう事を言うんですよね。

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