2012/07/13

朝日新聞が英字版で重ねる罪



日本語と外国語で記事を書く場合、記事の書き方に違いが出てくるのは理解できる。たとえばお盆の帰省ラッシュについて書こうと思えば、外国人読者にはお盆とは何かから説明しなければならない。したがって、朝日新聞の社説と、同日付の英字版、The Asahi Shinbunの社説の文章が微妙に違うのは不思議なことではない。朝日新聞社が外国人読者の為に親切にも説明を補ったのである。慰安婦とは何か、について。

ところがその内容はというと・・・。

慰安婦とは何か。ザ・アサヒシンブンの解説はこうである。 who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II (第二次大戦中とそれ以前に日本兵たちに性を提供することを強制された人々)

1983年の朝日新聞紙面。写真は吉田清治
朝日の「強制連行」キャンペーンが騒動の始まり

・・・朝日新聞は、ま~だ(隠れて)こんなことをやっていたのである。本気でこう思っているなら、本紙の方でも堂々とやるべきである。「誰が」強制したかという主語を誤魔化すのは運動家たちの常套手段である。こうしたレトリックがどれほど混乱をもたらしたか、朝日新聞は誰よりも知っているはずだ。

Japan Probeのコメント←でも指摘されていたように、外国人は慰安婦問題について偏った知識しか持っていない。そこで朝日新聞がすべきことは、外国人読者のために慰安婦問題の背景を丁寧に説明することであるはずだ。しかるに、朝日新聞がやっているのはその真逆。もともと、朝日新聞は90年代に慰安婦騒動を引き起こした張本人だった。さりげなく路線転換した後も謝罪はおろか訂正もしない朝日新聞に対しては今も批判が絶えない

訂正する勇気がないなら、せめてこれ以上罪を重ねないことだ。日本人読者の目が届かない所でこういうことをする。慰安婦騒動の国際化は、本来なら韓国メディアの政治宣伝を中和すべき日本の英字メディアの一部が、あろうことかプロパガンダに力を貸していることも原因の一つである。もっとも悪質なのは共同通信の英字版だが、過去を精算しないまま罪を重ねる朝日新聞はより罪深い。

韓国の英字報道には
ハングル版でも見られないハッタリが少なくない。
国際社会に向けた政治宣伝色が濃い

6月29日の朝日新聞とThe Asahi Shinbunの社説の比較 ↓ 慰安婦に関する説明が、(逆の意味で)より詳しくなっている。

元従軍慰安婦をテーマにした写真展を、ニコンが一方的に中止すると決めた問題で、東京地裁は「ニコンは契約に基づき、会場を貸さなければならない」という仮処分決定を出した。同社は異議を申し立てたが、写真展は予定どおり始まった。(朝日新聞)
第二次世界大戦前から大戦中にかけて日本兵に性を提供することを強制された「慰安婦」をテーマにした写真展をニコンがキャンセルした問題で、東京地裁はニコンに対し、写真家との契約に従い会場を提供するよう命じた。ニコンは異議申立てを行ったが、写真展は予定通り6月26日に始まった。(The Asahi Shinbun 訳:狭間)

そして、肝心の社説の内容だが、書いてあるのは多様な意見を認めようといった奇麗事ばかり。なぜ一部の日本人が反発しているのか、根深い対立の背景については解説しない(きっかけを作ったのが朝日自身だからだろうが)。さんざん騒動を煽った後の、ええ格好しいである。

The Asahi Shinbunのもう一つの問題は、日本の「ネット右翼」の生態を宣伝することで、韓国メディアによる、日本の右翼勢力(含む日本政府)によって日韓の和解が妨げられている--風の政治宣伝に説得力を与えていることだろう(韓国メディアは自国のナショナリズムに対してはダブルスタンダードを使い分けている)。




EDITORIAL: Freedom of expression must be protected

On the question of Nikon Corp.’s decision to cancel a photo exhibition featuring “comfort women” who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II, the Tokyo District Court issued an injunction requiring the company to provide the venue in line with the contract with a photographer.(第二次大戦前から大戦中にかけて日本兵に性を提供することを強制された「慰安婦」をテーマにした写真展をニコンがキャンセルした問題で、東京地裁はニコンに対し、写真家との契約に従い会場を提供するよう命じた)Although Nikon filed an appeal, the photo exhibition opened on June 26 as scheduled. 

We find Nikon’s actions all the more regrettable because the company has a strong social impact. Could it be that Nikon lost its cool in the face of loud protests against the event and missed something important?

During court proceedings, Nikon argued that it could not provide the venue, whose purpose is to advance photographic culture, for an event that has political implications. In response, the court stated that depending on themes, photographic culture may not be completely free from politics. The court concluded that the exhibition in question does not run counter to the “purpose” advocated by Nikon.

The ruling showed the court’s clear-cut stance to protect freedom of expression.

Comments blasting the comfort women exhibition as “treason” swirled around the Internet after the announcement of the planned event. Nikon has received complaints, as well. The development apparently led to its decision to call off the show despite its earlier approval.

It is understandable that a business wants to avert trouble. But abruptly depriving a photographer of a venue to exhibit his works is too rash.

Nikon lenses have captured various controversies around the world, including war and pollution, and recorded many images of joy and grief. The company has also been highly commended for making social contributions, including its program to support photographers. It is a pity that its reputation has been damaged by an issue concerning none other than freedom of expression.

If threats are expected, the company should seek police cooperation to ensure safety. Still, in light of objective facts, if a serious situation is likely, only then should the company consider cancelling the show. Nikon should have taken appropriate measures based on past court rulings over similar cases.

Thanks to the security of freedom of expression and speech, including the exhibition of photos, people can freely exchange ideas, gain support and have an opportunity to realize their own mistakes. It is upon such ground that democracy is built.

However, attacks against people with different ideas have become increasingly common, including those on the Internet.

We also recognize the emerging trend among people to think it is safer not to put up resistance but to swim with the tide. Which way is such an oppressive society headed? We need to remember the lessons of history.

An intolerant society is fragile and weak. What should each of us do to prevent Japan from becoming such a country? We must always think and use our wisdom.


慰安婦写真展―表現できる社会を守る

社会的影響力のある企業だけに残念でならない。大きな声にあわてて、大切なものを見失ってしまったのか。

元従軍慰安婦をテーマにした写真展を、ニコンが一方的に中止すると決めた問題で、東京地裁は「ニコンは契約に基づき、会場を貸さなければならない」という仮処分決定を出した。同社は異議を申し立てたが、写真展は予定どおり始まった。

裁判でニコン側は「写真文化の向上を目的とする会場を、政治性のある催しに貸せない」と主張した。これに対し地裁は、扱うテーマによっては一定の政治性を帯びるのが写真文化だと述べ、今回の企画はニコンが唱える「目的」に反するものとはいえないと結論づけた。

表現活動を理解し、その自由を守る姿勢をはっきり示した判断といえる。

今回の写真展をめぐっては、ネット上に「売国行為」といった批判が飛びかい、ニコンにも抗議が寄せられたという。こうした動きが中止の判断につながったのは想像に難くない。

もめごとを避けたい気持ちはわかる。だが、いきなり公表の場を奪うのは乱暴にすぎる。

ニコンのレンズは戦争や公害など世界の矛盾を切り取り、多くの喜びと悲しみを記録してきた。写真家への支援などの社会貢献でも高い評価を得ている。そんなイメージを、ほかでもない表現の自由をめぐる問題で傷つけてしまうとは。

混乱が心配されるのなら、警察に協力を求めて万全を期す。それでも、客観的な事実に照らして、重大な事態が具体的に予測されるときに初めて中止などを検討する――。今回と似たようなケースをめぐって裁判所が重ねてきた判断を踏まえ、適切な対応をとるべきだった。

写真の発表をふくむ表現・言論の自由が保障されているからこそ、人々は考えを互いに交換し、賛同者を増やしたり、逆に自分の誤りに気づくきっかけを得たりする。その土壌のうえに民主主義は成立する。

ところが最近は、ネット空間の言論をはじめとして、異なる考えを認めず、過激な批判を浴びせ、萎縮させる動きがさかんだ。抗せず、なびいた方が無難という風潮も見え隠れする。そうして息苦しくなった世の中はどこへゆくのか。歴史の教訓に思いをいたすべきだ。

ひと色に塗りこめられた社会は、もろく弱い。この国をそうさせないために、一人ひとりがそれぞれの現場で何をなすべきか。常に考え、知恵を働かさねばならない。

朝日新聞 2012.6.29