2012/11/23

韓国人学生が作った慰安婦動画




韓国の大学生が作った動画。タイトルは「日本による軍用性奴隷の悲しみ」。朝日新聞は今になっても「問題の本質は、尊厳を踏みにじる行為が本人の意に反して行われ、そこに国が関与していたこと」と吉見義明の受け売りで粘っているが。韓国の人気ドラマの例などに見たように、韓国人にも国際社会にもそんな風には思われていない。韓国では慰安婦問題がどのように語られているのか、この動画も参考資料の一つとなるだろう。

大学生ならば物心ついた頃には慰安婦騒動が始まっていたはずで、90年代以降の教育を受けて育った世代の思い描く慰安婦像の一つのサンプルである。

なおここで、「朝鮮民族絶滅(抹殺)計画」というのが出てくるが、これは初代挺対協(共同)代表であったユン・ジョンオクが主張していたことで、挺対協は日本の慰安婦政策とはエスニック・クレンジングであると国際社会に訴えていた。国際社会にはこの話を真に受けている人もいるようだし、アメリカで行われている「慰安婦=アジア版ホロコースト」キャンペーンもその流れの上にあるのだろう。



1940年4月30日

朝鮮の片田舎・・・。


今日、一人の少女が村の共同井戸から水を汲んで家に帰ってきます。

苦労して壺を担ぎながら。

少女が転ぶのではないかと、一人の少年が心配して見ています。


少年が歩み寄って、自分の頭の壺を担ぎ上げます。

壺は重いけれど、少年の心はとても軽いのです。

ありがとう・・・。

少年は頭を掻きながらはにかんだ笑いを浮かべています。


少年は思い切って打ち明けようとします。

これ、僕からのプレゼントです・・・。

少年の気持ちにまんざらでもない様子の少女は頬を赤らめています。

少年ははにかんで逃げて行きます。



日本の朝鮮人絶滅計画

少女は自分の国が失われることを悲しみました。



日本兵たちが泣いている少女を運んで行きます。

彼女は抵抗し叫びましたが、彼らは乱暴に彼女の手を引いて行きました。

日本兵の為の慰安婦の施設。

少女は何も分からぬまま狭い部屋に入れられました。



一人の日本兵が部屋に入って来ます。

彼は少女を手と足を使って酷く打ちつけます。

少女は重症を負い、怯えています。

少女は痛ましく酷い日々がどれだけ経過したのか分かりません。


少女は少年がくれたハンカチを見つめます。

私は堪えなければいけない。生きたい・・・。

1945年8月15日、朝鮮独立の日。

戦争の酷い日々が終わります。

少女は日本兵たちから自由になってとても嬉しかった。


しかし、周囲の人々の態度は冷たかった。

少女は見覚えのある影に気付きました。

あの少年でした。

彼女は彼に呼びかけます。(しかし相手にされない)


「慰安所」での3年間、30年の沈黙。60年の彼女の人生。




「男性に愛されたい。・・・そんな経験はなかったから」

「あまりにも苦しく、腹立たしいから生きていられない。どうか私の青春を返して欲しい」

「私が生きているのは夢のよう。でもそれは、恐ろしい夢」


「慰安婦」という言葉は、第二次大戦中、日本軍によって性奴隷制度に強制された女性を差して使わてた。何人の女性が巻き込まれたかの推定は、日本人学者の2万人から中国人学者の4万人まで幅がある。正確な数は現在も調査議論されている。

ウィキペディアより


どうか彼女たちが経験した過去を記憶に留めておいて下さい。

The sorrow of 'military sexual slave by Japan
日本による軍用性奴隷の悲しみ)

余談。慰安婦たちは恋愛も経験したし、結婚の申し込みもあった。驚くことに、その対象は日本人の兵隊であった。ただし、C.サラ.ソー(?)も指摘したように、そういった話は慰安婦支援団体の語る慰安婦像では無かったことにされている。ある者にとっては、慰安婦であった時代よりも戦後の方が辛かったという。

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