慰安婦合意は「すでに死亡」 政府・裁判所に問題解決求める=韓国団体
韓国の慰安婦被害者支援団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」は27日、慰安婦問題を巡る韓日合意から28日で5年を迎えるのを前に、「合意はすでに死亡した」として、「韓国政府と裁判所が慰安婦問題の解決に乗り出すべきだ」と訴える声明を出した。
正義連は「ドイツ・ベルリンのミッテ区の少女像(撤去を試みた)事態こそこの合意が死亡したという証拠」として、「日本政府は真実を認め、被害者の(名誉)回復のために努力するどころか、慰安婦問題自体を消そうとしている」と批判。その上で「文在寅(ムン・ジェイン)政権は日本政府に再交渉を求めないという韓日合意の処理方向を頑(かたく)なに守っている」とし、政府の積極的な姿勢を促した。
また、「来年初め、ソウル中央地裁で言い渡される慰安婦被害者と遺族が日本政府を相手取って起こした損害賠償訴訟の結論が注目される」とし、「もう韓国の裁判所が『日本が責任を取るべきだ』という国際社会の法的常識を宣言しなければならない」と訴えた。
聯合ニュース 2020.12.27
2020/12/27
ベルリン少女像撤去要請こそ日韓合意が死亡した証拠(挺対協)
2020/12/06
産経「韓国市民団体は巧みにその意図を隠し・・・」
ベルリン慰安婦像の撤去遠のく 韓国系市民団体などが巻き返し
2020.12.5 産経
ドイツの首都ベルリン市ミッテ区に設置された慰安婦像の撤去が遠のいている。ミッテ区のフォンダッセル区長が10月に撤去命令を出したものの、韓国系市民団体などの巻き返しにより命令撤回の意向を今月1日に表明。像の設置が当面維持されることが事実上決まった。日本政府は早期撤去に向け粘り強く取り組むと同時に、像の設置を未然に防ぐ施策を強化する必要がある。
「日本政府の立場やこれまでの取り組みと相いれない、極めて残念なことだ」
茂木敏充外相は4日の記者会見で、慰安婦像の撤去命令が撤回されたことについてこう述べ、早期撤去を求めていく考えを示した。
ミッテ区の慰安婦像は、ドイツの市民団体「コリア協議会」が中心となって9月下旬に設置された。茂木氏がマース独外相に撤去を要請するなど日本側の働きかけが奏功して一度は撤去命令が出たが、韓国市民団体側に再び巻き返された。
慰安婦像は不当な日本批判の象徴といえる。だが、韓国市民団体は巧みにその意図を隠し、「戦時下の女性への暴力に反対する像」などと説明して回ったという。ナチス・ドイツによる強制収容所などの歴史問題を抱えるドイツでは、そうした主張が共感を得やすいとの算段が透ける。外務省関係者は「日韓の事情に疎いドイツ人は納得してしまう」と頭を抱える。
在独日本大使館は現在も「総力態勢」(外務省幹部)で撤去に向けた働きかけを続けているものの、見通しは厳しい。慰安婦像の設置期間は来年9月までの1年間とされるが、ミッテ区議会は像の「永続設置」を求める動議を今月1日に圧倒的多数で可決した。
自民党の佐藤正久外交部会長は「設置をされてしまうと撤去は極めて難しくなる。設置を未然に防ぐことが重要だ」と指摘する。
外務省は、ベルリン市内で像設置の動きがあることは事前に察知していた。しかし、韓国市民団体側の動きは「ステルス化」(外務省関係者)しており、詳細をつかみ切れず止めることができなかった。現地在住の日本人女性らの団体が設置を支援したことに加え、新型コロナウイルスの影響で大使館の情報収集や関係者への接触が難しくなったことも逆風になった。
それでも、慰安婦像の設置を防ぐのは政府の責務といえる。情報網の充実や広報戦略のさらなる強化などが急務だ。(石鍋圭)
産経「ベルリン慰安婦像 河野談話の撤回が必要だ」
【主張】ベルリン慰安婦像 河野談話の撤回が必要だ
2020.12.6 産経
韓国が始めた慰安婦像の設置という反日運動がドイツの首都ベルリンに飛び火し、日独の友好にひびが入りかねない事態になっている。
日独両政府は、歴史を捏造(ねつぞう)して日本を貶(おとし)める慰安婦像を撤去させるべく行動してもらいたい。
ベルリン市ミッテ区の公有地に、韓国系市民団体「コリア協議会」が設置した慰安婦像について、同区議会が永続的な設置を促す決議を採択した。区による1年間限定の許可が永続化される恐れがある。
像の台座には「第二次大戦中、日本軍はアジア太平洋地域の無数の少女や女性を強制連行し、性奴隷にした」と記されている。決議は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話を引用している。
このまま放置すれば、慰安婦とは強制連行された「性奴隷」であるという歴史の捏造が欧州の主要国ドイツで広まってしまう。到底看過できない。
河野談話を作成した際の日本政府の調査で強制連行を裏付ける資料は一切なかったことが明らかになっている。平成26年には朝日新聞が強制連行説の根拠となった「吉田証言」が虚偽だったと認め関連記事を取り消し謝罪した。
日本政府はこれらの経緯を広く発信し、像の撤去を実現させなければならない。虚偽が含まれ、日本を傷つけるだけの河野談話は白紙撤回すべきである。
自民党の佐藤正久外交部会長が11月、区長や区議会議長、ベルリン市長に書簡を送り、撤去を求めたのは妥当だ。書簡は、日本が慰安婦問題に真摯(しんし)に取り組んできた経緯を紹介し、像の設置が「日韓の政治問題をドイツに持ち込むことにより日独関係を損なう」との懸念も伝えた。ドイツ側は真剣に受け止めてもらいたい。
平成27年の日韓合意は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した。「国連など国際社会」において互いに非難、批判することは控えると約束した。
だが、日本政府がベルリンの像撤去を求めたことに韓国政府は「元慰安婦への謝罪の精神に逆行する」と反発した。
日本は不当な反日宣伝から身を守ろうとしているだけだ。史実に基づかない反日の像設置を勢いづかせるような韓国政府のほうが国と国との約束を反故(ほご)にしている。恥を知らなくてはならない。
2016/10/18
水原市民、現地韓人会と協力しドイツ慰安婦像計画再推進
「水原市とドイツのフライブルク市が進めていたヨーロッパ初の平和の少女像」「フライブルク市が日本側の妨害と圧力で建立合意を履行できないという公文書を水原市に送ってきた」・・・?
フライブルクの市長は、像は姉妹都市からのプレゼントだと考えていたが、日本に対する外交圧力が狙いだった知り、慰安婦像の提供を水原市に断ったのである。現地紙のインタビューで本人がそう語っている。市長の気持ちを理解しようとしない人々。彼らからも「平和の少女像」からも、まったく平和の香りがしない。
姉妹都市への贈り物作戦が失敗し、水原市の市民団体は作戦を変更。現地の韓人会と韓国系の?教会が設置場所を提供し、水原の市民団体が像を製作してドイツに持ち込むという計画。ドイツ人平和運動家ポール・シュナイス牧師なる生臭坊主まで出て来たが、シドニーの時のビル・クルス牧師といい、よくこういう胡散臭い人間を見つけてくるものである。国連の人権デーに合わせて設置しようとか、こういう演出が大好きなのである。
失敗に終わったドイツ平和の少女像、水原・ドイツ民間団体が再推進
水原推進委員会、現地韓人会や教会とドイツの他の都市に設置で合意
市民の寄付で少女像を製作、今年の年末の建立を目標
京畿道水原地域の市民社会団体がドイツの韓人会などと協力し「ドイツ平和の少女像」の建立を目指す(?)。
水原市とドイツのフライブルク市が進めていたヨーロッパ初の平和の少女像建立が日本政府と右翼団体の圧力で先月失敗に終わるや直ちに民間レベルでドイツの他の都市に少女像を建立することに方向を定めた。
「ドイツ平和の少女像建設推進委員会」のキム・ヨンギュン事務局長は17日、「二つの行政機関の間の協議で推進された少女像の建立が日本の圧力で失敗に終わり非常に遺憾だ」としながら「再びこのようなことが起きないように民間レベルでドイツの他の都市に少女像を建立する計画だ」と語った。
ドイツ平和の少女像建立推進委員会は「水原市国際姉妹都市ドイツのプライブルク市平和碑建立推進委員会」に、その名称だけ変更され、平和碑推進委員会に参加した水源地域の70余りの市民社会文化団体がそのまま新しい少女像建立に助力している。
フライブルク市平和碑建立募金運動を行った推進委員会は先月の21日、フライブルク市が水原市に平和碑造成の白紙撤回(霧散)を通知するや直ちに緊急(?)総会を開き、議論の末、ドイツの民間団体と一緒に少女像の建立(計画)を継続して進めることを決定した。
これに伴い、先月の3日から8日にかけて推進委員会の関係者がドイツのフランクフルト市でドイツ韓人会と教会関係者たちと会い、少女像の共同設置のために協議した。
この席でドイツの韓国人団体と教会が少女像の建立場所を用意すれば、水原の少女上推進委員会が市民の寄付で少女像を作り、運搬まで担当することで合意した。
推進委員会はまた、5・18民主化運動を全世界に知らせたドイツ人平和運動家ポール・シュナイス牧師とも会い、「少女像建立に参加する」という意思を確認した。
ポール・シュナイス牧師は2014年の8月27日午後、ソウル市鍾路区の日本大使館の前で開かれた第1141回水曜デモに参加し、「日本政府は自分たちがした事に対して謝罪する必要がないと主張するが、真実は隠すことはできない」として「若者たちは、私たちが処(?)歴史的悲劇を正しく理解し、世代を繋いで戦って行かなければならない」と述べた。
推進委員会は可能な限り国連が定めた第68周年世界人権デーである12月10日に設置しようとしたが、時間的に無理だと判断し今年中に目標を変更した。
推進委員会は少女像建立基金の用意のために20日午後3時水原万石公園の第2野外音楽堂でコンサートを開く。
推進委員会が目標にしている少女像建立費基金は少女像の製作費と運送費などを含め計7,700万ウォン。 現在の推進委は1千700万ウォンを集めた。
水原市は先月の5日、市長同士の合意でフライブルク市に平和の少女像を建立することで合意したと発表し、これに伴い水原の市民団体で構成された推進委員会が発足し、建立費の募金を始めた。
しかし2週間後(?)の同月21日、フライブルク市が日本側の妨害と圧力で建立合意を履行できないという公文書を水原市に送ってきてヨーロッパ最初の少女像建設が失敗に終わった。
2016/09/19
独・慰安婦像計画に松山・福井市の早い対応(日本の意識改革)
韓国の水原市がフライブルク市に慰安婦像を建てさせようとしている件で、両市と関係のある日本の地方自治体が素早い反応を見せている。
数年前まで日本の各地の自治体で「慰安婦意見書」の採択ラッシュがあった。今はピタリと止んだが、市民運動家に人権問題だからなどと丸め込まれて政府の対応を非難する意見書を採択していた地方が、今や「世界平和や女性の人権保護のため(フライブルク市)」といった説明にも騙されない。水原市と同じくフライブルクと姉妹都市の関係にある松山市がフライブルク市に像を設置を思いとどまるよう働きかける予定で、水原市と友好都市関係にある福井市も予定されていた市長の水原市訪問の中止するかもしれない。変われば変わるものである。外務省も松山市に協力する。漸く、官民の意識が変わってきた。
今回のドイツでの慰安婦像の建立騒ぎは、聯合ニュースが言うように、市民運動家の工作によるものではない。水原市長がフライブルク市長との個人的な関係を利用したのである。韓国には、水原市以外にも中央政府に代わって慰安婦問題の「国際化」と蒸し返しを図る首長が何人かいる。
フライブルク市長は、水原市役所近くの慰安婦像を案内され、まさかこれが日本への嫌がらせだとは想像もしなかったろう。そんなものが公共の場に堂々と建っているとは・・・。水原市のヨム・テヨン市長は、フライブルクのサロモン市長に日本政府や「日本の極右」から反対されるであろうことを予め吹き込み、予防線を張っていた。アメリカのグレンデール市のように市長が完全に取り込まれているとすれば、事は慎重に運ばなければグレンデールやパリセイズパークの失敗を繰り返すことになる。
フライブルク市は松山市に対して「日本による人権侵害への批判を目的にしたものでは一切ない」と説明しているが(「強制連行」やら「性奴隷」といった話はもはや影も形もない)、挺対協がこの「少女像」を使った抗日戦を呼びかけている事実、そして水原市の市長がその挺対協に像の建立資金を提供したという事実は、韓国メディアの報道によって裏付けることが出来る。松山市は、そうした証拠を用いて丁寧に説明して行くべきだろう。
独に欧州初の慰安婦像設置で合意か 福井市姉妹都市の韓国・水原市
福井市と友好都市提携する韓国水原市の廉泰英(ヨムテヨン)市長が、旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像をドイツに設置することで現地の市長と合意したと、韓国紙が報じたことが7日までに分かった。福井市は同日、日韓合意に反する恐れがあるとして、近く廉市長宛てに真意を問う文書を送る方針を固めた。返答の内容によっては、10月に予定している東村新一福井市長の水原市訪問を中止する可能性もあるという。
福井市国際室が6日、韓国紙の中央日報のネットニュースで報道を確認した。報道によると廉市長が今年5月、姉妹都市提携しているドイツのフライブルク市長に、慰安婦被害を記憶しようとの趣旨で、同市への少女像の共同設置を提案。国連が定めた「人権デー」の12月10日に、同市中心部に少女像を設置することで合意したらしい。少女像設置が実現すれば、欧州では初めてだという。
福井市は2001年に水原市と友好都市提携を締結。職員の相互交流を行っている。11、12年には竹島問題などの影響で水原市長の来福が取りやめとなったことがあった。
東村市長は10月7~9日、水原市の世界遺産「水原華城(ファソン)」にちなんだ催しに合わせ、同市を訪れる予定。今回の少女像設置の理由が日韓合意に沿わない場合などは、訪問中止を検討することもあり得るとしている。宮下和彦・市観光文化局長は「今のところネットの情報だけで、報道の真偽すら分からない状況。報道の内容が事実なのか、どういった意図で少女像設置を考えているのか、文書を送り確認したい」と話している。
ラオスで7日午後(日本時間同)に開かれた日韓首脳会談でも、慰安婦問題を巡る昨年末の日韓合意の着実履行を確認したもようだ。
問題意識は福井市や松山市だけではなく、福井新聞や愛媛新聞といった地方紙にも共有されているような印象も受ける。
産経によれば、松山市はフライブルク市に対して、日韓の戦後処理を巡る政治問題が背景にある可能性があると説明したらしい。ドイツもギリシャなどからの戦後補償を巡る難癖に不愉快な思いをしているから、こうした説明の方が通じるかもしれない。
独フライブルクに慰安婦像計画 松山市、中止要請へ 愛媛新聞2016年09月17日(土)
愛媛県松山市の姉妹都市ドイツ・フライブルク市で、旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の設置計画があり、松山市は交流に支障が生じる恐れがあるとして設置中止を求める方針であることが16日、同市への取材で分かった。同問題に関する説明などについては外務省の協力も得て、近く野志克仁市長名の書簡で、ディーター・ザロモン市長に要請する。[...]松山市は外部の指摘で9月6日に計画を把握。フライブルク市に確認すると「世界平和や女性の人権保護のため」と回答があった。韓国メディアで日本を歴史問題で圧迫する狙いがあるなどとも報じられており、松山市側が水原とフライブルク両市で認識が違う可能性があることを伝えた。
同課は、国家間の政治問題を都市の交流に持ち込むのはふさわしくないとの認識を示し「1989年の姉妹都市提携以降、27年に及ぶ友好の絆をなくしたくない。設置中止をできるだけ早く申し入れる」としている。松山市には計画中止への働き掛けを求める電子メールなど約70件の意見が寄せられている。
愛媛新聞(一部) 2016.9.17 [全文]
水原市の関係者はドイツの事を(陰で?)「戦犯国家」と呼んでいる。反日キャンペーンを人権問題にすり替え「犯罪行為が再び起きないように国際社会の共同対処が必要だ」などといつもの調子でサロモン市長を丸め込んだようである。
日本は撤去圧迫「平和の少女像」ドイツに建てる
独フライブルク市に…米・カナダ・オーストラリアに続きヨーロッパに初めての建立
12月10日の世界人権宣言記念日に合わせて市内中心街にたてて
「私は自由の象徴であり特に女性に対する暴力を根絶しようという意味で水原市長の『平和の少女像』の建立提案を喜んで受け入れたいと考えています」。
京畿道水原市と国際姉妹関係にあるドイツのフライブルク市のDietor Salomon市長が7月1日水原市に送ってきた親書でこのように明らかにした。
日本のように第2次世界大戦を起こした戦犯国だが戦争に対する反省と絶えず謝罪する「謝罪の模範国」ドイツの都市らしくフライブルク市は日本が起こした帝国主義戦争の被害者を賛えようという水原市の要請を喜んで受け入れた。
戦争被害国に対する謝罪と反省にケチな日本が昨年末妥結した韓日慰安婦交渉を契機にソウルにある平和の少女像撤去を圧迫しているのと対照的だ。
ドイツのフライブルク市に日本軍慰安婦被害ハルモニを賛える「平和の少女が第68周年世界人権宣言記念日である12月10日設置されると水原市が5日明らかにした。
ヨム・テヨン市長はこの日、月例会議で職員(?)らに少女像の設置過程の意味を直接説明した。
日本は撤去圧迫「平和の少女像」ドイツに建てる
ヨム市長は先月の31日、サロモン市長と電話を通じて平和の少女像の設置場所と設置時期などについて最終的に合意した。
平和の少女像はフライブルク市内の中心部にある中央公園(シュタトガルテン)に建立される予定で、設置時期も平和と人権、歴史の象徴である「慰安婦」ハルモニの記憶を再確認する意味で12月10日世界人権宣言記念日に合わせることにした。
水原市は少女像建立委員会を作り、水原オリンピック公園の平和の少女像と同じ少女像を市民の寄付で作ってから、10月の初めに運送式開いて速やかにフライブルクに送る予定。
ヨーロッパで初めてドイツのフライブルクに平和の少女像を建立することになったのは、水原市とフライブルク市の間の地方外交の成果と解釈できる(?)。
水原市とプライブルク市は昨年の11月4日、都市革新分野交流などのための姉妹提携を締結して急速に接近した。
ヨム市長とサロモン市長は1960年生まれの同い年の上に環境運動家出身であり、持続可能な発展のための世界地方政府ネットワーク(ICLEI)という地方自治体環境協力国際団体の執行委員という共通の基盤(分母)がある。
この3月、水原市の招きで訪問したサロモン市長にヨム市長は市役所の向いのオリンピック公園に2014年市民の寄付で設置した平和の少女像を見せた。
それから5月には親書を送り、慰安婦ハルモニが経験した人権侵害と犯罪行為が再び起きないように国際社会の共同対処が必要だと平和の少女像建設を提案し、これをサロモン市長が受け入れた。
当時ヨム市長は「日本軍慰安婦被害者の人権と名誉回復、国際社会の平和を念願する『平和の少女像』を建立し、人類の普遍的な価値を実現するのに貢献できるよう努力しよう」と手を差し出した。
サロモン市長は「数年間私たちのフライブルク市は女性の権利増進と両性平等のために多様な政治的活動とキャンペーンを展開した」としながら「自由の象徴であり特に女性に対する暴力を根絶しようという意味でフライブルク市に少女像を建立しようというヨム市長の提案を喜んで受け入れる」とうなずく返事をした。
ヨム市長がアメリカに平和の少女像建立の際、日本政府と極右団体の妨害と圧迫が大きかった事例を紹介するとすぐにサロモン市長は逆に「私たちの市価日本政府や私たちの市(詩)日本姉妹都市からの反発や圧迫を恐れはしない」と断固として答えることもした。
フライブルク市は日本の松山市と30年以上姉妹都市関係を維持している。
サロモン市長はまたフライブルク市の中心部の人の往来が多い中央公園を平和の少女像の設置場所に推薦した。
世界的な環境都市として有名なフライブルク市は「一国家一都市姉妹提携」の原則を守り国内では水原市とだけ姉妹提携を維持している。
ドイツ西南のライン川ほとりに位置するフライブルクは「自由の性(?)Freiburg im Breisgau」という意味を持つ人口25万人の中小都市で、太陽光を都市開発に積極的に活用し世界的な環境首都と呼ばれている。
平和の少女像は2011年12月14日の一千回目の水曜デモの際、ソウルの鍾路区の駐韓日本大使館の向い側に建てられたのを皮切りに、国内外20ヶ所余りに建立された。アメリカ、カナダ、オーストラリアに設置されたが、ヨーロッパではドイツのフライブルク市が初めて。
水原市の関係者は「ドイツのフライブルク市『平和の少女像』の設置は、日本と同じ第2次世界大戦の戦犯国であるドイツに建立されるという点と、これまで海外で進行された民間交流方式でない両国地方政府間の公式協議で行われた事に特別な意味がある」とし、「ヨーロッパの他の国にも平和の少女像の建立が拡散する契機になることを期待する」と語った。
産経新聞: 慰安婦像、今度は独フライブルク市に年内設置へ、欧州で初 姉妹都市・韓国水原市長が働きかけ
2016/09/06
ドイツ・フライブルク市に慰安婦像を(水原市長働きかけ)
カナダに慰安婦像を建てようと画策した華城市長。オーストラリアに建てようとした城南市長。そして今度は水原市長がドイツに慰安婦像(平和の少女像)を建てようと動いている。狙われたのは、ドイツのフライブルク市。人気取りなんだかなんだか、韓国の地方自治体にはこういった首長が少なくない。国内に慰安婦関連の碑や銅像を建てた首長となると更に多い。
フライブルク市は松山市と姉妹都市らしいのだが、美しいヨーロッパの町並みにあんな物を建てるとか、理解を絶する。水原市は3月に姉妹都市になったばかり。
慰安婦少女像、欧州で初めてドイツに設置
旧日本軍慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」が欧州では初めてドイツに設置される。
少女像は現在、韓国国内では30カ所に、海外では米カリフォルニア州(2カ所)、カナダ・トロント、豪シドニーの計4カ所にある。
京畿道水原市(スウォンシ)は国連が定めた世界人権宣言記念日の12月10日に独
フライブルク市内の中心部に少女像を設置することにしたと5日、明らかにした。設置の時期をこの日に決めた理由は、旧日本軍によって人権を蹂りんされた慰安婦被害者を記憶しようという趣旨だと、水原市側は説明した。
今回の少女像のドイツ設置は、今年3月の両都市の姉妹提携式をきっかけに、廉泰英(ヨム・テヨン)水原市長が5月にジャロモン・フライブルク市長に少女像の共同設置を提案する手紙を送ったことで実現することになった。
2016/08/17
<進歩韓国のための欧州連帯>ミュンヘンでイベント
進歩韓国のための欧州連帯(European Network for Progressive Korea)は、THAADに反対したり、要するに韓国の左翼系がベースになっているのだろうが、彼らのフェイスブックを見ると一番気になるのはやはり慰安婦問題らしい。左翼であれば、韓国軍の問題もチリやブラジルの人権活動家に教えてやるべきだろう。
ドイツでは進歩韓国連帯以外にも韓国系や日系団体が慰安婦問題を宣伝中。この日のベルリンでも別のイベントが同時開催された。こちらには日系人グループも関わっていた。
「日本は慰安婦被害者に謝罪せよ」 芸術家たちがミュンヘンでデモ
「生存被害者に法的補償を」プラカードデモ
日本軍慰安婦問題は人類の犯罪行為であり、日本政府の心からの謝罪なしにはこの問題を解決できないという声が、ドイツのミュンヘンの街に鳴り響いた。性格も不明な支援金10億円で慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的」に覆い隠そうとする韓日政府の行動に対する批判が相次いでいる。
欧州に住む革新志向の同胞の集まりである「進歩韓国のための欧州連帯」は、今月13日(現地時間)にドイツのミュンヘンで世界の芸術家たちと人権活動家たちが参加し、慰安婦問題の真の解決を求めたことを、15日(現地時間)、フェイスブックへの書き込みや写真の掲載で全世界に知らせた。第4回全世界慰安婦メモリアル・デーの共同行動を迎え、キャンペーンを展開した彼らは、ミュンヘンの街で「反人類犯罪は我々皆にかかわる出来事」(Crime Against Humanity is Everyone's Business)と書かれたプラカードを持って、慰安婦問題に対する現地人たちの関心を呼びかけた。
イベントに参加した映画監督のビヨーン・イェンスン(ドイツ)氏は「第2次世界大戦中、日常的な強姦および暴力の被害者である慰安婦生存者たちは、まだ日本政府の公式謝罪を待っており、大多数の人々はなぜこの問題が日本国内で公論化されないのかを理解できずにいる」としたうえで、「現在の日本政府が約70年前のことに対して直接的な責任はないとしても、慰安婦被害当事者たちと将来の世代を向けて日本軍慰安婦の歴史が忘れられないように、適切な処置を取るべき責任がある」と指摘した。イェンスン氏は今年6月、ソウル国際女性映画祭に「忘れられたフィリピン慰安婦」(Forgotten Sex Slaves – Comfort Women in the Philippines, 2015)を出品した。
チリの女性人権活動家であり、画家のコリナ氏は「過去に人類が犯した犯罪を記憶することで、犠牲者の存在を心に留め、再発を防ぐことは極めて重要だ。日本政府は慰安婦犯罪について明確に謝罪し、生存している被害者たちに法的補償をすべきだ」と指摘した。 ブラジルから来た人権活動家のクリストファー氏は、「1960~80年代にわたる軍事独裁時代に、多くの女性たちが刑務所で拷問と性的な暴力を受けたブラジルの不幸な過去を思い出す。 家父長的社会における反女性的暴力は、全世界が関心を持つべき問題」だと話した。欧州連帯は「自分の名誉回復だけでなく、人間の尊厳性が尊重される社会を作るために25年という長い歳月を戦ってきた元従軍慰安婦ハルモニ(おばあさん)たちを心から尊敬する。被害生存者たちが、正義が実現されたことを目にする日が来ることを願っている」とあるミュンヘン市民が話したと伝えた。
2016/07/14
矢嶋宰が性転換?希望の蝶欧州ツアーに合流
本当にこの女性が矢嶋か?
ドイツで慰安婦問題を拡大中の矢嶋宰が、現在ヨーロッパで告げ口外交中の韓国の<希望の蝶>と合流したようである。昨年は、<関西ネットワーク>のメンバーがドイツで<希望の蝶>のデモに参加している。ドイツにおいては日本人運動家の活躍が目立つ。矢嶋は相変わらず変人ぶりを発揮しているが、もはや日本の一般市民は彼らに同調してくれないと認めている。彼は、日本政府と「合意」した韓国政府にまで文句を言ってる。
希望の蝶のメンバーが、韓国人以外の慰安婦の話を持ち出すようになったのは、アメリカで活動中のキム・ヒョンジョン(KAFC)と同じ理由からだ。韓国政府が日本と手打ちしてしまったので、日韓意外の国を巻き込んで問題を蒸し返そうと謀っているのである。・・・ところで、ハンギョレの記事によれば、矢嶋はいつの間にか女性になっている。単なる記者の勘違いなのか?
[インタビュー]韓国政府は「慰安婦」被害者を無視してまで合意するのですか
韓国人より「慰安婦ハルモ二」を愛したマリオさん
写真家のマリオさん(本名・矢嶋宰)は日本人であるにもかかわらず、韓国人よりも韓日政府による昨年の「12・28合意」に憤慨している。「あんな風にハルモ二(おばあさん)の意思を無視してもいいでしょうか?なぜ政府が被害者を差し置き勝手に合意するようなことができるのですか?」
日本政府は仕方ないとしても、韓国政府の態度は理解できない。「加害者の日本政府の立場をそのまま受け入れました。日本政府はこれ以上の責任がないと確実に念を押したのです。ハルモ二たちが謝罪と賠償を要求すると、日本政府はこの合意を口実に自分にはそのような義務がないと主張できるようになりました」
彼女は社会人になったばかりの頃、朝日新聞(注:アサヒグラフか?)で3〜4年間、写真記者として働いた後、フリーランスに転向した。大学生の時から関心を持っていた「日本軍慰安婦」問題をもっと深く掘り下げするために、2002年に韓国の京畿道広州(クァンジュ)にあるナヌムの家を訪ねた。2003年からはナヌムの家でハルモ二たちと共に暮らし始めた。本人もハルモ二たちとの共同生活を望んでいたが、「頻繁に訪ねてくる日本人訪問者のための通訳や案内を引き受けてもらいたい」とハルモ二たちに頼まれたからでもあった。2006年にナヌムの家を出た後は、日本には帰らずにドイツで活動している。
「日本はこの問題を解決できません。政府だけでなく、市民社会も関心がありません。昔はその内容を知らなかったからという言い訳もできましたが、今は若者でさえ皆知っているのに、動こうとしません。彼らのほとんどは、政府が主張するように、自ら望んで慰安婦になった、1965年の日韓交渉の際、両国政府によって解決された問題だと簡単に信じてしまいます。その方が楽ですからね」
7月3日、ベルリンのブランデンブルク門前のパリ広場を訪れて、(「蝶の夢」の)キャンペーンを目にした日本人女性観光客から聞いた話に、彼女のショックを受けた。「『韓国人があんなことをするから日韓関係が悪くなる、日本は十分謝罪したのではないか、なぜこんな行動に出るのかわからない』と、安倍首相の言葉をそのまま繰り返していました」
とんでもないと思ったが、マリオは日本軍慰安婦の真実を世の中に知らせるのがどれだけ大切なのかを改めて痛感させられたという。「日本軍慰安婦問題は、韓国人だけの問題ではありません。女性の人権が踏みにじられたことに関する問題であり、帝国主義の歴史を清算する問題でもあります。2度と戦争と女性の人権に対する蹂躙が繰り返されないようにする、人類の歴史の発展の契機が内包された問題です」
彼女は「蝶の夢」キャンペーンに胸を打たれた。キャンペーン方法も印象的だったが、「韓国の活動家たちのほとんどが韓国の被害者の話をするだけだったのに、今回のキャンペーンではアジアひいてはヨーロッパの被害者ハルモニたちについても一緒に話している」からだ。
自ら進んで「蝶の夢」一行を率いて、ヒトラーが放火したものを社会混乱勢力の仕業だとねつ造し、社会主義者や共産主義、さらには同性愛者まで拘禁・拷問して殺害するために使われていた帝国議会の建物、学生と教授がナチスに抵抗していたフンボルト大学、ユダヤ人虐殺の記憶を刻んでいるホロコースト記念館、「戦争と国家暴力の犠牲になった人のため殿堂」、ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」像などに案内した。
彼女はその間ずっと韓国語で説明していた。慶尚道と全羅道の方言が少しずつ混ざっている韓国語だった。「様々なところから来られた「ナヌムの家」のハルモ二たちに教わったから」そうなったそうだ。
2015/09/22
ドイツで慰安婦問題国際会議 林博史・挺対協が参加
ヨーロッパツアー中のキム・ボクトンを招き、ベルリンで慰安婦問題をテーマにした会議が開催される。国際会議と銘打つのは少々オーバーな気もするが、日本から林博史教授が参加。そして挺対協のユン・ミヒャンも講演するらしい。林教授は、確か昨年(?)もユン・ミヒャンらとヨーロッパで行動を共にしていた。挺対協としては、韓国の研究者よりも日本の「専門家」の方が頼りになるようである。日本批判に理論的裏づけを提供するのは、女性戦犯法廷の頃から日本人の役割だった。ちなみに、「アジア・太平洋戦争」というのも、日本の左翼言葉だったと思う。
現地の韓国系の団体のウェブサイトには、アジア・太平洋戦争中、14歳で日本軍によって誘拐されたキムは20万人の「慰安婦」の数少ない生き残りと紹介されている。日本の安倍首相は、悪いのは民間業者で国に責任はないと言い張っている、と。
現地時間23日には、ベルリンの日本大使館前で水曜デモが執り行われる。写真は、若い頃のキム・ボクトン。[ソース]
追記: ベルリンの水曜デモは、韓国人と日本人のグループにより執り行われた。キム・ボクトンが大使館内に入ろうとしたが拒否されたという噂。
2015/07/18
欧州平和ツアー2015、若者達の「告げ口外交」19泊20日(希望の蝶)
挺対協のユン・ミヒャン代表が慰安婦を伴ってアメリカツアーに出掛けたほぼ同じ頃。ヨーロッパへ向けて別のグループが飛び立った。「希望の蝶平和ツアー2015」のメンバーである。昨年に続き、今年もヨーロッパで若者たちによるスミア(中傷)キャンペーンが行われた。
青春謳歌中(2015)
若者たちはテントに寝泊りし、自炊しながらヨーロッパを旅して回る。19泊20日。昨年と同じなら4500キロの道のり。目的は、「日本軍慰安婦問題」をヨーロッパに拡散すること。喜びと悲しみを仲間と分け合う彼らの紀行文は青春そのもの。そんな彼らに「告げ口外交」の片棒を担いでいるという自覚はないのだろうか?彼らは本気でこれが平和に繋がると思っているのだろうか?
日本政府に対し、「公式謝罪して法的に賠償しろ!」と叫ぶ若者たち。アメリカでは、90になるハルモニが、国務省に「法的責任」を訴えた。法的責任が何を意味するかなど、老婆に分ろうはずはない。ドイツ人の聴衆に「公式謝罪」や「法的賠償」を訴える韓国の若者たちだって分ってやしないだろう。日本政府に法的賠償を呑ませる事が困難になってきた挺対協が、老人や子供を利用して状況を変えようとしているのだという事を。これから毎年これをやるのだろう。希望の蝶のメンバーにとっては、青春のひとコマなのだろうが、やってる事はヘイトスピーチである。今回は、日本の政治団体のメンバーが現地で合流した。関西ネットワークの奥田和弘がフランスやドイツで希望の蝶メンバーに混じり、日本政府が慰安婦問題の歪曲を日常的に行っていると演説。しかし、関西ネットワークの奥田の写真は見事に「日韓進む反日の低年齢化と高齢化」である。
「慰安婦問題の謝罪」豪雨も防げなかったミュンヘンの水曜デモ
[希望蝶々2015ヨーロッパ平和ツアー]第5シーン
ドイツ、ミュンヘンの新市庁舎前のマリエン広場。 周辺に露天カフェが並び、あちこちで無名芸術家の即興公演が広がる広場はいつも人々で混み合います。 毎時定刻になると音楽が鳴り人形が踊る時計塔も観光客の足を止めさせる名所です。
ベネルクス3国を経てドイツに向かった希望の蝶ヨーロッパ平和紀行団は8日、ここで日本軍「慰安婦」問題の解決を促す水曜デモを開きました。 今回の旅程の中での初めての水曜デモを開催したパリは「慰安婦」被害ハルモニが三回水曜デモを行ったた経験があるが、ミュンヘンは今回が初めてなので準備段階から困難が多かったです。 まずドイツは集会申告の手続きがとても難しいのです。 ミュンヘンに住所を持っている居住者が集会申告を出さなければならず、集会の最後まで席を守らなければなりません。 噂をたよりに捜したあげく「セウォル号を記憶するミュンヘンの行動」で活動する海外同胞が助けてくれ、現場に来た警察官との協議もうまく調整してくれました。
デモの前日私たちはキャンプ場の主人に許可を得てキャンプ場の入口の空地でフラッシュモプ(flash mob)とキャンペーンの準備で一日半を過ごしました。 現地の人や観光客と共に平和を念願する絵と文句を描き入れていく(?)大型の垂れ幕の絵の準備チームはペットボトル(?)を切って絵の具入れを用意し蝶をかたどった布、木工用ボンド(?)などを几帳面に整えました。 現場で朗読する声明書と発言内容の翻訳を担当した団員はほとんど眠らずに(?)夜が明けました。 フランスでは摂氏40度を上下する猛暑に苦しめられたが、今度は雨소식が心配でした。 夕方頃激しい風が吹き始めると明け方から激しい雨が降りました。 轟く雷鳴と稲妻とテントを容赦なく叩く豪雨のせいでデモが出来なくならないだろうか心配して全員寝られませんでした。
幸いにも電車に乗ってマリエン広場に移動する時には止んだ雨が。デモを申告した午前10時になるとまた降って来ました。 右往左往している希望の蝶(のメンバー)に向かってキム・ヒョンジュン平和ツアー団長が叫びました。 「雨が降っています。 雨がどれくらい降るのか、ひょっとして終わるのか私たちは誰も分からないです。 私たちがすることができる最善を尽くしましょう。 自分たちを、お互いを信じてファイトです」
警察官は空を指差して「本当にやるのか」と尋ねました。 私たちはニッコリ笑って答えて、力強く平和キャンペーンを始めました。 時計塔の人形のダンスを見るために集まった人々が一人二人と私たちの方に近寄って来て、日本軍「慰安婦」問題についての説明を聞いては喜んで署名したり大垂れ幕に絵を描き入れる(?)作業に参加しました。
午前11時。私たちは水曜デモを開く歌「岩のように」を呼んでミュンヘンの真ん中で初めての水曜デモを始めました。 撮影を担当した友達は、雨も意に介さず楽しくしっかりと律動をする団員の姿があたかも一つの岩のように見えたといいます。
遠く日本から飛んできてパリの水曜デモに参加した「日本軍慰安婦問題解決のための関西ネットワーク」の奥田和弘共同代表が今回のデモにも参加しました。マイクを持った奥田代表は力説しました。 「今の日本政府は過去日本が犯した戦争犯罪を認めるどころか否定しようとする流れが強くなっています。 安倍政権は極右勢力の顔色を伺い狡猾に平和憲法の内容を自分たちの口に合うように修正しようとして、影響力の大きなメディアを対象にロビー活動をしながら日本軍『慰安婦』問題に対する歪曲を日常的に行っています」。
団員たちは手に持っていた被害ハルモニの写真を濡らす雨を絶えずぬぐい胸がジーンとしました。 拭っても拭っても再び降りしきる雨があたかもハルモニが一生流した血の涙のように感じられたためです。 水曜デモが開かれる二日前、また、一人の被害ハルモニが胸中の恨みをはらせないまま目をとじました。 今年だけすでに七人のハルモニが亡くなりました。 もう48人だけになった生存被害ハルモニを思い私たちはもっと大きく叫びました。 「日本政府は日本軍『慰安婦』被害者に公式謝罪して法的に賠償しろ!」
悪天候のせいで体は大変でしたが、私たちの心は一層強固になりました。 あの雨の中でも私たちの主張に耳を傾け、快くペンを取って(?)世界1億人署名運動に参加した人々に会う間、感動の瞬間が続きました。 ある年配の方は「すでに固まっているヨーロッパ社会でこのような人権と正義の叫びを聞かせてくれてありがとう。 皆さんの活動が人類の未来だ」と話しました。 ある中国系カナダ人は「中国や他のアジア地域にも日本軍慰安婦問題があるのに、このように活動するのは韓国学生たちだけしか見ない」としながら「本当に勇気ある若者たち」だと褒め称えました。 「このような活動が、中国にもたくさん知られるようにして欲しい」という風にも伝えました。 自分の祖父が第2次大戦時日本軍海軍将校だったという一人は、私たちに「申し訳ない」としてお金を渡したりもしました。 彼はお金を遠慮して代わりに差し出した署名用紙に名前をギュウギュウ押して少なかったし周辺に一杯知らせて欲しいという私たちの要請に頷きました。
同じ年頃の若者たちの呼応も続きました。 平和キャンペーンを見守ったドイツの大学生は「感動した」と言いながら、続けて進めた水曜デモに参加して最前列を守りました。 旅行中という韓国人大学生はチョコレートと飲み物を買って抱かれて応援しました。 他の韓国人観光客も自身のジャンパーを脱いでデモ現場を撮影中であるカメラを覆ったり団員に傘を差しかけました。溢れる豪雨の中で本当に多くのことを感じ、考え、学ぶことができました。 この日の経験が残された平和紀行をさらに堂々と継続する力になるでしょう。
希望の蝶ヨーロッパ平和ツアー団
Korea Times 2015.7.10 [原文]
2015/03/14
ドイツの歴史教科書にも「強制された」日本軍慰安婦
ドイツのクレット社(1897年創立)の歴史教科書にも日本軍慰安婦が取り上げられているというニュース。ドイツでも一生懸命この問題を売り込んでいる人々がいるわけだし、予想された事ではある。次は、挺対協が盛んにキャンペーンをやっているフランスかな?
西ヨーロッパでは相互チェックが働くから、素人考えでは、アメリカに比べ独善的な歴史教育が行われにくいように思われるが、東洋の事なればいい加減な話でもチェックをかいくぐってしまうのかもしれない。実際の文章は正確には分らないが、外務省は「われわれは人数は分からないという立場なので指摘していく必要がある」という反応らしい。2万から40万と書けば文句は言えないということか?「売春を強いられた」というのは、「強制(的な)連行」説は採用していないということなのだろう。その点で、マグロウヒル社(米国)のケースとは違うのかもしれない。
ドイツではdidactaと呼ばれる大掛かりな教育フェアが毎年行われ、今年もハノーバーで開催され、8万人以上の来場者が見込まれていた。こういう場で、人々は実物の教科書・教材を手に取ることが出来るようになっているらしい。
「20万人の婦女子が売春強いられた」 ドイツの歴史教科書に記述
独出版社「クレット」が出版した中等教育用の歴史教科書に、先の大戦に関し「日本の占領地域で20万人の婦女子が軍の売春施設で売春を強いられた」とする記述があることが12日、分かった。外務省が自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」で明らかにした。同省側は「われわれは人数は分からないという立場なので指摘していく必要がある」としている。
問題の記述は「民主主義と独裁のはざまで欧州と東アジアにおける第二次世界大戦アジアをアジア人の手に」と題された7章目に含まれていた。「経済的搾取、数多くの戦争犯罪および占領地域における民衆に対する差別は抵抗運動の高まりを招いた」と解説している。
外務省によると、ドイツでは原則として州ごとに教科書の検定が行われ、各校の会議で教科書を選んでいる。
2014/07/16
ドイツ・コリア協会と矢嶋宰 「安倍政権は日本の歴史歪曲の結果」
「ドイツ政府には左右を問わず過去清算に対する合意が形成されているが、日本の保守政党は侵略戦争美化を絶えず試みてきた。 安倍政権の問題は突然始まったことでない」。・・・たとえ「慰安婦問題の解決を!」の人であっても、まともな人なら、韓国系の運動家が出鱈目な話をしていることやドイツ軍にも「慰安所」が存在したことを承知しているはず。矢嶋宰のような人間は、生まれ変わりでもしなきゃ改まらないのだろう。小林よしのりの言うところの「真っ直ぐ君」である。
彼については過去のエントリーに譲るが、彼の隣に写っているのがコリア協会(Korea-Verband)のハン・ジョンファ代表(Nataly Jung-Hwa Han?)と思われる。矢嶋は以前にもこの女性と一緒の写真に写っており、記事にもあるように、二人三脚でドイツにおける慰安婦キャンペーンを行っているらしい。コリア協会の代表自らKorean comfort womenを宣伝して回っているのだから、ドイツでもやっぱり慰安婦問題はディスカバー・コリアだった。
Die Ausstellung „Frauen und Krieg“ über das System der Zwangsprostitution im Zweiten Weltkrieg durch das japanische Militär...(第二次大戦中の日本軍による強制売春システムに関する「女性と戦争」展)
ドイツが慰安婦に謝罪もせず、再軍備も果たし、多国籍軍の一員となって戦争に参加していることなど、バカバカしくて矢嶋の話にはつっ込む気にもならない。自分は何度かネットで真面目な(!)韓国人とこの問題について真剣な議論をしたこともあるが(それは決して徒労ではなかった)、矢嶋のような日本人とは話にならないだろう。こういう日本人は彼一人ではないが、本当に困った・・・というより迷惑な(日本)人達である。日本にとっても韓国にとっても。
「日本の継続的な歴史歪曲の結果が安倍政権」
軍慰安婦問題活動矢嶋宰
「日本では1990年代に入り保守的な政治家・学者・言論などが持続的に歴史歪曲を試みてきました。 その結果が今の安倍政権です。 ドイツは社会全体に「ナチは絶対ならない」という合意がなされています。 日本とドイツの最も大きい相違点です」。
3日(現地時間)ドイツのベルリンで会った日本人写真作家矢嶋宰(43・写真)は前日安倍内閣が集団的自衛権を許容する閣議決定し、軍国主義の素顔を見せたことに対して「いつかこうした時がくると予想していた」として心配な表情を隠すことができなかった。 彼は2009年から韓国人市民団体であるコリア協会(Korea-Verband)のハン・ジョンファ代表とともに慰安婦ハルモニの被害事実をドイツ全域に知らせる活動を行っている。
<朝日新聞>カメラマン出身である彼は、2003年から慰安婦被害者ハルモニが集まって住む京畿道広州の「ナムヌの家」で3年間ボランティア兼研究員で仕事をし、ハルモニたちと縁を結んだ。
大学生の頃出会った韓国人の友達から慰安婦問題に接したという彼は、「私が、何かの助けになるかどうかは分からなかったが、カメラマンとして歴史の記録を残さなければならないと考えた」と言う。 初めには「なぜ日本人の男がここにいるのか」と怒ったり拒否感を見せたハルモニは時間が経過し徐々に心を開いた。 最近も時折インターネットの動画通話でお互いの安否を連絡する。 「3年共に過ごしたら、ナヌムの家のハルモニが本当に祖母のようです。 韓国語もハルモニに学んび、八道(?)訛りもすべてすることができるそうです」。
2006年の結婚と共にドイツに移住した後、彼はハン・ジョンファ代表とともにドイツ全土に慰安婦問題を知らせる活動を行っている。 慰安婦の記録フィルムの上映とハン・ジョンファ代表の講演、矢嶋の写真プロジェクトをジョイントして慰安婦問題を多角的に見せる形式だ。 2009年末から今までドイツ都市20ヶ所余りを訪れた。 彼は「ドイツの市民社会は『歴史に誤りがあれば清算しなければならない』という共通した認識があるので、慰安婦の問題をすぐ理解し反応もいい」と付け加えた。 「ドイツ政府には左右を問わず過去清算に対する合意が形成されているが、日本の保守政党は侵略戦争美化を絶えず試みてきました。 安倍政権の問題は突然始まったことでないことでしょう。 反面ドイツは多くの時間とお金、人材を入れて過去清算に対する社会的合意を成し遂げました。 このような雰囲気なしで日本での過去清算は不可能です」
彼は「ドイツの68世代が『下からの清算』を引き出した反面、日本の68世代は戦争犯罪より米-日軍事同盟反対とベトナム戦争反対に集中した。 戦犯国である両国の差はここで生じた」と惜しんだ。 コリア協会は来月14日から17日までドイツのベルリンで開かれる平和フェスティバルのイベントに慰安婦ハルモニお二人を招待して「証言台会」を開催した後、旧東ドイツ地域とドイツ南部地域を回り、慰安婦被害を知らせるイベントを行う計画。
ベルリン文・写真チェ・ヘジョン ハンギョレ社会政策研究所首席研究員
ハンギョレ 2014.7.14
“일본의 지속적 역사왜곡 결과가 아베 정권”
군위안부 문제 활동 야지마 쓰카사
“일본에서는 1990년대 들어 보수적인 정치인·학자·언론 등이 지속적으로 역사왜곡을 시도해왔습니다. 그 결과가 지금의 아베 정권입니다. 독일은 사회 전체에 ‘나치는 절대 안 된다’는 합의가 이뤄져 있어요. 일본과 독일의 가장 큰 차이점입니다.”
지난 3일(현지시각) 독일 베를린에서 만난 일본인 사진작가 야지마 쓰카사(43·사진)는 전날 아베 내각이 집단적 자위권을 허용하는 각의(국무회의) 결정을 내리며 군국주의의 민낯을 보인 것에 대해 “언젠가 이런 때가 올 것으로 예상했다”며 걱정스런 표정을 감추지 못했다. 그는 2009년부터 한인 시민단체인 코리아협의회의 한정화 대표와 함께 위안부 할머니들의 피해 사실을 독일 전역에 알리는 활동을 벌이고 있다.
<아사히신문> 사진기자 출신인 그는 2003년부터 위안부 피해자 할머니들이 모여 사는 경기도 광주의 ‘나눔의 집’에서 3년간 자원봉사자 겸 연구원으로 일하며 할머니들과 인연을 맺은 바 있다. 대학 시절 만난 한국인 친구들에게서 위안부 문제를 접했다는 그는 “내가 무슨 보탬이 될지는 알 수 없었지만, 사진작가로서 역사의 기록을 남겨야겠다는 생각을 했다”고 한다. 처음에 “왜 일본 남자가 여기에 있냐”며 화를 내거나 거부감을 보였던 할머니들은 시간이 지나며 차츰 마음을 열었다. 요즘도 가끔 인터넷 영상통화로 서로의 안부를 전한다. “3년을 함께 지내다 보니 나눔의 집 할머니들이 진짜 친할머니 같아요. 한국말도 할머니들에게 배워서, 팔도 사투리도 다 할 줄 안답니다.”
2006년 결혼과 함께 독일로 이주한 뒤, 그는 한정화 대표와 함께 독일 전역에 위안부 문제를 알리는 활동을 벌이고 있다. 위안부 기록 필름 상영과 한정화 대표의 강연, 야지마의 사진프로젝트를 결합해 위안부 문제를 다각도로 보여주는 형식이다. 2009년 말부터 지금까지 독일 도시 20여곳을 찾았다. 그는 “독일 시민사회는 ‘역사에 잘못이 있으면 청산해야 한다’는 공통된 인식이 있기 때문에, 위안부 문제를 금방 이해하고 반응도 좋다”고 덧붙였다. “독일 정부에는 좌우를 막론하고 과거청산에 대한 합의가 형성되어 있지만, 일본 보수정당들은 침략전쟁 미화를 끊임없이 시도해왔습니다. 아베 정권의 문제가 갑자기 시작된 게 아닌 거죠. 반면 독일은 많은 시간과 돈, 인력을 들여 과거청산에 대한 사회적 합의를 이뤄냈습니다. 이런 분위기 없이 일본에서의 과거청산은 불가능합니다.” 그는 “독일의 68세대가 ‘아래로부터의 청산’을 이끌어낸 반면, 일본의 68세대는 전쟁범죄보다 미-일 군사동맹 반대와 베트남 전쟁 반대에 집중했다. 전범국인 두 나라의 차이는 여기에서 생겨났다”고 아쉬워했다. 코리아협의회는 다음달 14일부터 17일까지 독일 베를린에서 열리는 평화 페스티벌 행사에 위안부 할머니 두 분을 초청해 ‘증언대회’를 연 뒤, 옛 동독 지역과 독일 남부 지역을 돌며 위안부 피해를 알리는 행사를 벌일 계획이다.
베를린 글·사진 최혜정 한겨레사회정책연구소 수석연구원
2014/05/03
「日本の政治家は慰安婦の存在を否定」安倍来訪に抗議する日系「ベルリン女の会」
国際反日包囲網は海外に移住した中韓国人だけがやっているのではない。日本(系)人の活躍も目立つ。ドイツでは、むしろ日系人がリードして慰安婦騒動を煽っている(ドイツには慰安婦問題に熱心な韓国人団体も存在するが、彼らのウェブサイトを見る限り今回は動いていないようである)。「ベルリン女の会」である。・・・今回のデモは、反原発や憲法もあるが、「まず慰安婦のため」と代表の池永記代美は言っている。
実はグレンデールでも、事情を知らない日系三世・四世を「日本の歴史修正主義への戦い」に巻き込もうという動きが出ている。まずは、日本人自身が歴史認識をしっかりしないと、池永のような「日本の政治家が慰安婦の存在を否定した」などという煽動家に騙される人は後を絶たないだろう。
安倍首相ドイツ訪問、待ち構えていた日本女性=「慰安婦に真の謝罪をすべき」など抗議―中国メディア
2014年5月2日、日本の安倍晋三首相がドイツを訪問した4月30日、ドイツ首相府前には現地の抗議者が少なからず集まった。抗議者らは慰安婦らの写真を持ち、「慰安婦に謝罪し、賠償しろ」「中国、韓国と対話しろ」「平和憲法を守れ」「原子力はいらない」「靖国神社はいらない」など様々なスローガンを掲げた。
抗議活動を発起した組織、ベルリン女の会はすでに30年の歴史を持ち、毎年夏にデモ行進を行い、日本政府の慰安婦への賠償問題に注目している。今回参加者らは安倍政権の原子力政策、安保政策、靖国神社など歴史に対する姿勢にも不満を表明した。メンバーの大部分はベルリン在住の日本女性だ。
活動の発起人、池永記代美氏は「抗議活動は臨時のものだが、これほど多くの人が参加したことを嬉しく思う。抗議活動は現地メディアの注目も集めた。抗議者は『日本国内のより多くの民衆がボトムアップ式に歴史を省察し、認識することを望む』との考えを表明した」と語った。
ベルリンに20年以上居住する池永氏は「日本には本当の民主がない」と指摘。「安倍氏のベルリン訪問の時期に抗議活動を行うのは、まず元慰安婦のためであり、日本政府は彼女らに賠償すべきだ」と語った。
「慰安婦に真の謝罪と賠償をすべきだ」。池永氏は「真の謝罪は日本の首相が慰安婦被害者におわびの意を一度表明するだけではなく、日本がかつて何をしたのかを全ての日本人が理解するようにすることだ。そして、こうした真摯な謝罪は維持し続けていくべきだ。私たちはすでに、こうした謝罪が後に撤回されるのを見てきた。日本の政治家が慰安婦の存在を否定したり、『被害者の自らの意思だった』と詭弁を弄したのは一度だけではない」と指摘。「日本政府と日本社会が一貫した明確な姿勢を持たない限り、この問題が真に解決されることはない」と憤った。
安倍氏の靖国神社参拝も抗議者には理解できない。池永氏は「安倍氏がなぜ隣国を怒らせ、隣国の人々の感情を傷つけようとするのか分からない。これは変えなければならない。安倍氏は平和を望むと言っているが、彼のすることなすことはこれと全く無関係だ」と指摘した。
抗議者は安倍政権に隣国との対話も要求。「日本の政治屋の右翼言動のため、安倍氏は就任から1年半経っても中韓両国首脳との単独会談を実現できていない。これは考えられないことだ」との認識を示した。
人民網日本語版 2014.5.2
池永による呼びかけ文。
安倍首相がベルリンに!
ゴールデンウィークの外遊の一環で、安倍首相がベルリンでメルケル首相と会談することが明らかになりました。
多くの国民が原発に対する不安をかかえているにもかかわらず、多くの被災者がフクシマの事故の直接・間接的被害で未だに苦しんでいるにもかかわらず、民主党の目指した脱原発社会から180度転換し、原発を「重要なベースロード電源」とするエネルギー基本計画を現政権は4月11日に閣議決定しました。
民意を無視する安倍首相の態度はこの一つの例にもよく現れています。考えてみれば2012年12月、安倍氏が2度目に首相の座について以来、集団自衛権の 行使、武器輸出三原則の緩和、秘密保護の強化など、戦後日本が大切にしてきた平和主義、民主主義を骨抜きにしようという動きが大変顕著になっています。こ れが安倍首相の描く「美しい国」のあり方のようです。
ところがその「美しい国」では、自国の植民地下や戦時の加害責任はことごとく否定、それどころか被害者を罵ったり、弱い立場の人を差別することが放任されています。
首相自身の靖国神社訪問や、「慰安婦」問題での不誠実な対応は、韓国、中国など大切な隣国との関係を悪化させ るだけでなく、首相が最も重視する対米関係をも困難な状況にもたらしました。
こんなに多くの問題を巻き起こす安倍首相の政治に抗議したいと考え、首相の訪独の機会を利用して、ベルリン・女の会は、抗議集会を開くことにしました。
安倍首相に直接抗議したい方、全員集合!
日時:2014年4月30日(水) 11:45から14:00
場所:Kanzleramt (Willy-Brandt-Str.1, 10557 Berlin)前
横断幕や看板を掲げ、安倍首相に直接メッセージを送りましょう。
様々な安倍政権の政策の一つにでも異議申し立てしたい方、是非参加してください。手作りの横断幕、小道具持ち寄ってください。メガフォンのお持ちの方、持ってきて使って下さって結構です(使用申請済み)。
グループで来られる方、演説をしたい方は女の会・池永までご連絡ください。
ベルリン・女の会
池永記代美 mail -----------
http://www.peeep.us/346cd293
2013/11/13
今度はドイツに慰安婦像?
アメリカの次はドイツが狙われるだろうとは思っていたが・・・。もっとも、ドイツに慰安婦像をという話は、韓国メディアや挺対協からはあまり明確には聞こえて来ないような・・・。どこまで具体的な話なのか、あるいは日本側の妨害を恐れて水面下で計画を進めているのか。
慰安婦像、ドイツにも計画 ソウルで集会1100回目
元日本軍慰安婦らが「日本政府の謝罪と補償」を訴えてソウルの日本大使館前で続けてきた集会が13日、1100回目を数えた。欧米からも支援者が参加。元慰安婦を記憶するための像を韓国や米国に続き、ドイツにも建てる計画が紹介された。
ドイツ人牧師のポール・シュナイスさん(80)は「集会はドイツでも知られている」と話し、問題解決を訴えるため、来年中にもベルリンなどに慰安婦像を建てたいと報告した。元慰安婦の吉元玉(キルウォノク)さん(85)は「我々のようなむごい目に子孫たちが遭わないようにしてほしい」と訴えた。
集会は1992年1月に始まり、毎週水曜日に開かれている。元慰安婦の少女時代を題材にしたブロンズ像は2011年12月、通算千回を記念して支援者らが大使館前に設置。日本政府は撤去を求めるが、今も残る。米国でも今年、同じデザインの像が建てられ、一部の日系人が抗議した。
朝日 2013.11.13
2013/10/01
日本はひどい、ドイツ人にも知らせなければ、(ベルリン女の会)
「(日本政府の態度は)まったくひどい」「ドイツの人にも知らせなければ」とドイツで頑張っているのは、ベルリン女の会の梶村道子ら。日本人自らが反日キャンペーンの尖兵と化してしまっている(しかも外国で)のだから笑えない。けっきょく、日本人自身が歴史を正しく語り継いでいないから、それと知らずに反日プロパガンダの片棒を担がされてしまう。
「ドイツでは戦争責任のあり方が日本とはまったく違います。韓国人の友達もいるし・・・」
彼女たちが過去(ナチス?)を反省するドイツに憧れる気持ちも理解できなくはないが、ドイツだって賠償問題だろうと言い掛かりだと思えば、ポーランドやギリシャのクレームをthere is nothing to discuss(話し合うことは何もない) already settled(解決済み)とはねつけている。そもそも事実でないことに謝罪したりはしない。
追記: コメント欄で凧さんに梶村道子が梶村太一郎の妻であることを指摘された。つまり素人ではなかったわけだ。
ドイツ首都で抗議行動
「慰安婦」問題 日本政府の態度ひどすぎます
在住日本人女性ら活動 注目集める
ドイツのベルリン在住の日本人女性たちの会、「ベルリン女の会」が、日本軍「慰安婦」の問題を取り上げて活動し注目を集めています。
普段はドイツで生活する上で必要な知識を交換し、日本語で話す機会をつくって活動しています。会員は日本人女性30人です。
「会」は8月14日、ベルリンのブランデンブルク門前で「慰安婦」の写真を掲げ、行動しました。「会」のメンバー20人だけでなく、韓国人グループ、ドイツ人の人たちも参加し、参加者は70人になりました。
この日、「慰安婦」への公式謝罪と補償を求めて安倍首相宛てに公開質問状を出しました。国連拷問禁止委員会が5月31日、日本政府に、被害者の苦難を和らげるべき立法、行政および司法上の措置を取るよう5項目にわたる勧告を出しましたが、日本政府は「勧告に従う義務はない」と否定。これが公開質問状のきっかけとなりました。
「会」で「慰安婦」問題を担当している梶村道子さん(67)は、「(日本政府の態度は)まったくひどいと思いました。このことをドイツの人にも知らせなければとドイツのマスコミに知らせ、ドイツの市民グループに一緒に抗議しようと公開質問状をまとめました」と語ります。
ドイツの大きな女性組織、「ドイツ女性の輪」やアムネスティ・インターナショナルのドイツ支部、キリスト教団体などが賛同し、当日は「会」の代表とともに日本大使館に申し入れました。賛同団体は現在、26団体に増えました。
会のメンバーの一人、浜田和子さん(68)は、「ドイツでは戦争責任のあり方が日本とはまったく違います。韓国人の友達もいるし、そこからさまざまな見方ができます」と話しました。
赤旗 2013.9.30
2013/09/29
日本人写真家とドイツ人記者のコラボ記事
ドイツ版BBCといったところなのだろうか、ドイチェ・ヴェレに掲載された「慰安婦の悲しい物語」は、ドイツで活動する写真家、矢嶋宰の写真15枚を使った日本軍慰安婦問題のレポートである。この記事はコメント欄で凧さんから教えて頂いた。
キャプションを書いたのはSonja Ernst。最初、解説がかなり「巧み」に慰安婦支援団体側の主張に沿って書かれているので、ドイツ人が書いたものではないだろうと思ったが、Sonja Ernstは南アジアや韓国を専門にするフリージャーナリストで、韓国滞在中には中央日報の英字版にも関わったらしい。
記事はアジア女性基金には触れておらず、女性基金を拒否することを条件に韓国政府が渋々提供した財政援助についてだけ触れている。朝鮮人の男に騙されたキム・スンドク(金順徳)も、ここではあたかも日本人に騙されて慰安婦にされたように語られている。アジア太平洋戦争という日本の左翼用語由来(?)の言葉も使っている。
The sad story of the "comfort women"矢嶋の考えは分からないが結果的にプロパガンダの拡散に加担してしまっている
Ruined lives
Lee Sudan, now 88 years old, used to be a "comfort woman." An estimated 200,000 other girls and young women were forced to "comfort" Japanese soldiers during Asian-Pacific War. "Comfort" is the cynical euphemism the Japanese used; it was really prostitution into which the women were brutally forced.
Japanese war
Most of the prostitutes were from Korea, like Lee Sudan. She was 17 years old when she was kidnapped and taken to China. Korea had been a Japanese colony since 1910. In 1937 the war between Japan and China broke out and started the Second World War in Asia. Japan's greed for power and brutal Asian expansion cast a dark cloud over the entire continent.
Coping with the past
The Japanese photojournalist Yajima Tsukasa took portraits of "comfort women" in China and Taiwan. He lived in a South Korean home, "The House of Sharing," for the women from 2003 to 2006. There he took care of and photographed survivors like Pak Duri, who had been kidnapped and taken to Taiwan. The harsh beatings from the soldiers took a toll on her hearing and made her nearly deaf.
Sex slaves
The Japanese systematically organized forced prostitution; they set up military brothels on the frontlines. The war crimes that happened there were justified with cynical excuses, for example, that the authorities were trying to prevent mass raping from taking place in the occupied territories. Ji Dori was taken to a military brothel in China a few months before the war ended in 1945.
Bridging gaps
Yajima's grandfather was a soldier in China. He avoided the questions his grandson asked him about the war, so Yajima looked for the answers to his questions later as a photographer. The 39-year-old says he wants to bridge the gap that still exists between Koreans and Japanese.
Gaining trust
"I came as a man, a Japanese man no less, and as a photographer to the House of Sharing," said Yajima. "That was not easy for the women in the beginning. But they let me stay." He listened to and helped the women. Slowly but surely he gained their trust and friendship.
Never-ending torture
Kim Sundeok (left) and Oklyon (right) were sex slaves who survived the torture. Pak was kidnapped by the Japanese military and taken to a military brothel in what is now called Papua New Guinea. The girls and young women there had to be available for the men around the clock. They were raped by up to 40 men each day.
False promises
Kim Sundeok(金順徳?) was taken to a military brothel in China at the age of 17. She had fallen for a false recruitment for nurses. The Japanese recruited young Korean women to work in China for a few months to earn a little money. Young women from poor families were looking for means to help their families financially. But their dreams ended with humiliation and violence.
Alone and far from home
Yajima Tsukasa visited Pak Seoun in China. The 93-year-old lives in the north eastern city of Jilin. The Korean woman had been taken to China in 1937 at the age of 20. After Japan's capitulation in August of 1945, the Japanese fled and left the "comfort women" behind. The young women were far away from home, traumatized and penniless.
Still alone
Pak Seoun stayed in China. She was too embarrassed to go back to her family. She married twice but both marriages ended in divorce. Her husbands had been unable to accept her past.
Suppressing the memories
After 1945 the comfort women did not speak of their hardships. The shame was too overwhelming and governments and societies never asked questions - neither in Japan nor in the previously occupied territories. Lee Okseon (left) also kept quiet. She had been taken to China at the age of 16 and stayed there. She started a family and didn't return to Korea until the year 2000.
The end
The year 1991 was an important year for Lee Okseon and other comfort women. Hak-Soon from Korea was the first to break the silence that year. She told her story on TV, which inspired other women to tell their stories, like Lee Okseon. The 82-year-old presented herself on an international stage and became active in the fight for recognition.
Japan should apologize
Comfort women from all over Asia came together. They all had a similar past and also shared the same feelings of anger toward the Japanese government, which to this day has still not officially apologized. Comfort women and others demonstrate each Wednesday in front of the Japanese embassy in Seoul. The 900th demonstration took place at the beginning of 2010.
The clock is ticking
Many of the comfort women remained childless and many fell into poverty. South Korea started offering the victims financial help in the mid-1990s. In China and Indonesia, however, many still live in poverty. The comfort women have started a movement and are demanding compensation from the Japanese government.
Fighting for dignity
Up to 1995, 235 comfort women had come out in South Korea; today there are only 82 left. The clock is ticking for the women, who are now over 80 and 90 years old. They broke the silence nearly 40 years after the atrocities happened to demand recognition and an apology from the Japanese government. Author: Sonja Ernst (sb) Editor: Thomas Baerthlein
2013/09/22
在独日本人「誇りを持って慰安婦運動に参加」 シュピーゲル誌
英訳して読んでいるので間違いがあるかもしれないが、シュピーゲルによれば「第二次大戦中日本の兵士たちが数万人の女性を拉致した(記事の中では、20万人が日本人によって拉致されたという説明もある)。彼らはいわゆる『慰安婦』を拷問し、レイプした。日本政府はこの犯罪を認めたことがない」「17ヶ国の出身者のうちの殆どは朝鮮人」だったということである。
はるばるドイツでこういった話を吹聴しているのが、少なくともその一部が日本人であるという話を信じ難い思いで聞く人もいるかもしれない。しかし、先日日本人留学生の方がコメントして下さったように、これは事実のようである。
ベルリン在住の学生です。
僕の友人がこの元慰安婦であったという方の講演会に足を運んでいたので話を聞いたところ、会場は満席で立ち見も出るくらいであり、韓国人やドイツ人だけでなく日本人も多く見受けられたとのことです。
正直ベルリンは土地柄リベラルな考えを持った人が多いと思うので、こういった女性の人権を盾にされてしまうと反論はできません。
(中略)
僕もベルリンで歴史のことについて話すことが何度かありましたが、僕の思う正しい歴史認識など全く相手にされません。史料や事実などは語るだけ無駄・・といった感じです。悔しいですが、土地柄かここに住んでいる日本人も反原発や自虐史観の方が(大変)多いです。[...]
シュピーゲルの記事は在独日本人矢嶋宰とイ・オクソンの再会に焦点を当てている。この記事では、「生き証人」であるイ・オクソンは朝鮮人と日本人の私服姿の兵士に蔚山で拉致されたことになっている。日本政府は謝罪もしていないし、事実を認めもしないと。
そして矢嶋の説明だろうか。日本では石器時代や偉大なSAMURAIの時代(!)、広島長崎への原爆は習うが、日本軍の真珠湾攻撃によって戦争が始まったという事実は教えられていないと、日本で教育を受けた人間には到底理解できないような話をシュピーゲル誌は報告している。
矢嶋は、勇敢な『慰安婦』たちの運動の一翼を担っていることを誇りに思うと語っている。
Zwangsprostitution im Zweiten Weltkrieg: Japans Schande
Im Zweiten Weltkrieg verschleppten japanische Soldaten Zehntausende Frauen. Sie vergewaltigten und folterten die sogenannten "Trostfrauen". Die Regierung in Tokio hat die Verbrechen nie anerkannt. In Berlin kommen nun zwei Menschen zusammen, die das nicht hinnehmen wollen.
Tsukasa Yajima hat alles auf seinem Laptop, Schwarz auf Weiß, die Fotos der Überlebenden. Es ist 8 Uhr morgens, er sitzt in einem Bus nach Frankfurt.
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Die Frauen auf seinen Bildern legen Zeugnis ab von den Geschehnissen im Krieg, über die in Japan bis heute meist geschwiegen wird. Lee Ok-Seon, 86, ist der lebende Beweis. Die alte Dame mit dem weiß toupiertem Haar ist ebenfalls auf dem Weg nach Frankfurt, im Flugzeug, aus Seoul, der Hauptstadt Südkoreas.
Drei Jahre haben sie sich nicht gesehen, Tsukasa Yajima und Lee Ok-Seon, der 42-jährige Fotograf und die Frau, deren Schicksal er dokumentiert hat.
"Ich erzähl das nicht gern"
Die Geschichte beginnt am 29. Juli 1942, in der koreanischen Stadt Ulsan, als ein japanischer und ein koreanischer Soldat in Zivilkleidung nach der Hotelangestellten greifen. Lee Ok-Seon ist 15 Jahre alt. Die Männer verschleppen das Mädchen in ein japanisches Armeebordell nach China.
Die Entführer knebeln das Mädchen, fesseln es an Händen und Füßen und werfen es auf eine Lkw-Pritsche. Da sind schon fünf junge Frauen.
Korea war damals japanische Kolonie, als Verbündeter des Nazi-Regimes führte Japan Krieg gegen China und die USA. Noch in derselben Nacht brachten die Männer ihre Gefangenen über die Grenze in die nord-west-chinesische Provinzhauptstadt Yanji. Dort gab es zwei Vergnügungshäuser für japanische Soldaten, kleine Zimmer in Holzbaracken, eine Matte, eine Waschschüssel. Neun Mädchen arbeiteten hier, die Jüngste war elf Jahre alt.
Pro Zwangsprostituierte waren es 40 bis 50 Soldaten täglich, sagt Lee Ok-Seon. Sonntags waren die Schlangen vor den Baracken besonders lang. "Ich erzähl das nicht gern", sagt sie, aber sie müsse jetzt darüber reden. Lee Ok-Seon erinnert sich, dass das elfjährige Mädchen das Pensum nicht schaffte, ein Soldat wurde wütend, er malträtierte das Kind mit einem Messer, dann vergewaltigte er es. Das Mädchen starb an den Verletzungen. Eine andere junge Frau wehrte sich stark, ein Soldat zerrte sie daraufhin nach draußen und tötete sie mit zahllosen Messerstichen.
Bürgermeister verteidigte Bordelle
Die Geschichte von Lee Ok-Seon ist auch die Geschichte von 200.000 Mädchen, die damals von Japanern in Militärpuffs entführt wurden. "Trostfrauen" nannten die Japaner die Sexsklavinnen. Sie stammten aus insgesamt 17 Ländern, die meisten jedoch aus Korea. Von ihnen sind noch 57 am Leben.
Der Krieg endete am 15. August 1945. Japan kapitulierte bedingungslos, doch die Geschichte von Lee Ok-Seon endete nicht. Die japanische Regierung erkennt das Verbrechen bis heute nicht an. Lee Ok-Seon wartet auf eine Entschuldigung. Doch davon scheint Japan noch weit entfernt: Im Mai hatte der Bürgermeister der Metropole Osaka, Toru Hashimoto, die Bordelle sogar verteidigt. Es sei nötig gewesen, um die "Disziplin aufrechtzuerhalten" und den Soldaten, die ihr Leben riskierten, eine Pause zu ermöglichen.
"Ich war schockiert"
Das Gesicht von Lee Ok-Seon ist voller Runzeln, sie hat eine flache Stupsnase und hohe Brauen, beim Reden stützt sich die Greisin auf einen Gehstock aus Holz. Am Dienstag wird sie ihre Geschichte an der Technischen Universität in Berlin erzählen, die Welt soll wissen, was sie erlebt hat.
Tsukasa Yajima hatte nie von den Verbrechen Japans gehört, bis er 29 Jahre alt war. Der Japaner wuchs in Gum auf, einer Stadt in Japan, hundert Kilometer von Tokio. Tsukasa lernte in der Schule über die Steinzeit, erfuhr vom Leben der großen Samurais im 17. Jahrhundert und dass Japan Opfer des Zweiten Weltkriegs wurde, als die Nuklearbomben 1945 auf Nagasaki und Hiroshima fielen. Dann aber war die Schule aus.
Der japanische Überfall auf die US-Pazifikflotte in Pearl Harbour etwa, der im Dezember 1941 zum Kriegseintritt der Amerikaner führte, war im Geschichtsunterricht nicht mal eine Fußnote wert. Irgendwann stand Tsukasa Yajima vor Lee Ok-Seon. Ein japanisch-koreanischer Universitäts-Workshop über Feminismus und Gender-Studien hatte ihn nach Seoul geführt.
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"Ich war schockiert darüber, dass mein Land andere asiatische Länder überfallen und dort so grausam gewütet hatte", sagt der Japaner. Tsukasa Yajima zog ins "House of Sharing", eine private Wohnanlage der überlebenden "Trostfrauen".
Drei Jahre lang lebte Tsukasa Yajima mit den alten Damen, Tür an Tür, ein junger Japaner und die Opfer seines Volkes. Tsukasa Yajima dokumentierte das Schicksal der Frauen mit der Kamera. Er fotografierte die Orte, an denen sie damals festgehalten wurden. Die meisten der Zwangsprostituierten sind inzwischen tot, und wenn sie noch leben, sind sie oft bettelarm. Viele kehrten aus Scham nie in die Heimat zurück, zahllose konnten keine Kinder bekommen, weil Medikamente sie unfruchtbar gemacht hatten. So erging es auch Lee Ok-Seon.
All das hat Tsukasa Yajima auf seinem Laptop gespeichert, auf Schwarz-Weiß-Bildern, die berühren. Der Fotograf lebt inzwischen in Deutschland, auch weil er glaubt, dass dort erfolgreicher mit einer schrecklichen Vergangenheit umgegangen wird als in seinem Heimatland. Am Ende seiner Busfahrt trifft er Lee Ok-Seon am Flughafen. Der Japaner Tsukasa Yajima ist jetzt Teil der Bewegung der mutigen "Trostfrauen". Und stolz darauf.
シュピーゲル 2013.9.3
参考: グーグル訳
During World War II Japanese soldiers abducted tens of thousands of women. They raped and tortured the so-called " comfort women " . The government in Tokyo has never recognized the crime. In Berlin, two people come together now , who do not want to accept .
Tsukasa Yajima has everything. Onto his laptop, black on white, the photos of the survivors It is an 8 clock in the morning, he sits in a bus to Frankfurt.
DISPLAY
The women in his paintings bear witness to the events in the war , is mostly silent on in Japan today. Ok- Seon Lee , 86, is living proof . The old lady with the white hair toupiertem is also on the way to Frankfurt , on the plane from Seoul, capital of South Korea.
Three years they have not seen Tsukasa Yajima and Lee Ok- Seon, the 42- year-old photographer and the woman whose fate he has documented .
"I do not like the narrative "
The story begins on 29 July 1942 , engage in the Korean city of Ulsan , as a Japanese and a Korean soldier in civilian clothes to the hotel staff . Ok- Seon Lee is 15 years old. The men kidnap the girl in a Japanese army brothels in China.
The kidnappers gag the girl , tie it on the hands and feet and throw it on a flatbed truck . There are already five young women.
Korea was a Japanese colony at that time , as an ally of the Nazi regime led war against Japan, China and the United States. That same night, the men brought their captives across the border in the north- western Chinese province capital Yanji. There were two houses entertainment for Japanese soldiers , small rooms in wooden barracks , a mat , a wash bowl. Nine girls working here , the youngest was eleven years old.
Pro forced prostitutes there were 40 to 50 soldiers a day, says Lee Ok- Seon . Sundays were the very long queues in front of the barracks . "I do not like to tell ," she says, but she had to talk about it now . Ok- Seon Lee remembers that the eleven year old girl did not manage the workload , a soldier was angry, he tortured the child with a knife, then he raped her . The girl died from injuries . Another young woman fought back strongly , a soldier dragged her outside and then killed them with numerous knife wounds .
Mayor defended brothels
The story of Lee Ok- Seon is also the story of 200,000 girls who were then kidnapped by Japanese in Militärpuffs (?) . " Comfort women " the Japanese called the sex slaves . They came from 17 countries , but most of them from Korea. 57 of them are still alive.
The war ended on 15 August 1945. Japan surrendered unconditionally , but the story of Lee Ok- Seon did not end . The Japanese government recognizes the crime still not on . Lee Seon - Ok waiting for an apology. However, it seems Japan still far away : in May was the mayor of the city of Osaka, Toru Hashimoto, the brothels even defended. It was necessary to " maintain discipline " and that to allow the soldiers who risked their lives a break.
"I was shocked "
The face of Lee Ok- Seon is full of wrinkles , she has a flat upturned nose and high brows , while talking to the old woman relies on a walking stick made of wood. On Tuesday, she will tell her story at the Technical University in Berlin, the world should know what she has experienced .
Tsukasa Yajima had never heard of the crime in Japan until he was 29 years old. The Japanese grew up in Gunma(?) , a city in Japan , a hundred kilometers from Tokyo . Tsukasa learned in school about the Stone Age, learned about the life of the great samurai in the 17th Century and that Japan victims of the Second World War, when the nuclear bombs dropped on Nagasaki and Hiroshima in 1945 . But then school was out .
The Japanese attack on the U.S. Pacific Fleet at Pearl Harbor about that led to the American entry into the war in December 1941 , was not even worth a footnote in history lessons . Eventually, Tsukasa stood before Yajima Lee Ok- Seon . A Japanese- Korean university workshop on feminism and gender studies had led him to Seoul.
DISPLAY
"I was shocked that my country was invaded other Asian countries and there raged so cruelly ," said the Japanese. Tsukasa Yajima moved into the "House of Sharing" , a private gated community of the surviving " comfort women " .
Three years lived Tsukasa Yajima with the old ladies next door , a young Japanese and the victims of his people. Tsukasa Yajima documented the plight of women with the camera. He photographed the places where they were then arrested . Most of the prostitutes are now dead, and if they are still alive , they are often destitute . Many never returned to his homeland in shame , countless could not have children because of drugs they had made barren. This also happened to Lee Ok- Seon .
All that Tsukasa Yajima has stored on his laptop, on black - and-white images that touch . The photographer now living in Germany , also because he believes that there is dealt successfully with a terrible past than in his home country. At the end of his bus , he meets Lee Seon - Ok at the airport. The Japanese Tsukasa Yajima is now part of the movement of the brave " comfort women " . And proud of it.
2013/09/05
慰安婦のドイツ講演 (イ・オクソン)
日本政府は変わらないという矢嶋。変わらないのは彼の方かもしれない。本文にもあるように矢嶋は昔、ナヌムの家でボランティアをしていた。ドイツに渡ってからも、運動家らと協力して慰安婦問題をドイツに普及させる活動を行っている。
アメリカでの講演を終えたイ・オクソンはドイツに渡り、矢嶋と再会。彼の通訳でドイツで講演している。ドイツのメディアによれば、彼女はアメリカでの証言と同様、慰安所は屠殺場であった話している。天皇ヒロヒト批判や、自分が(日本)兵によって釜山の路上で拉致されたとも話したようだ。韓国系の団体は、南ドイツ新聞に日本によって拉致された20万人超の慰安婦は主に11歳から15歳の少女であったと説明しているようである。人数のインフレーションと、年齢のデフレーションは相変わらず。
「日本の奴(일본놈)」の声を聞いても気分を悪さない日本人・・・ドイツ慰安婦証言会通訳引き受けた矢嶋氏
「なぜ度々日本の奴と写真を撮れといって!」
3日(現地時間)ドイツベルリン工科大で証言集会を開いた慰安婦被害者イ・オクソン・ハルモニ(86)は通訳を受け持った矢嶋宰(42)氏を示して気兼ねなく「日本の奴」と呼んだ。言葉とは異なり顔には情感が満ちていた。
矢嶋氏とイ・ハルモニの縁は格別だ。名門早稲田大学を卒業後、朝日新聞出版のカメラマンとして普通の生活を送った矢嶋氏は2003年会社を止め、京畿道広州市退村面元堂里のナムヌの家でボランティア活動をした。「加害国の市民の一人としてお婆さんが受けた苦痛を分けて悪い歴史に日本人たちがもう少し関心を持つようにするため」というのが当時彼が明かにした奉仕の弁だった。 イ・ハルモニともここで出会った。
矢嶋氏のボランティア活動は2005年まで続いた。その後、ドイツで写真家として活動、ドイツ人女性と結婚もした。そうするうちにイ・ハルモニが先月28日からドイツの様々な都市を回って証言活動をするという便りを聞いて通訳を自任したのだ。 彼は「日本政府は政権が変わってもまったく変わらない」と話した。
この日証言会では、200席余りの席が一杯になり、一部の聴衆は立ち見になるなど盛況となった。 生き生きした証言が続くと、すぐに一部の聴衆は目をとじたり涙を流した。イ・ハルモニは「(望みは)奪われた人権と名誉を回復することだけ」と答えることもした。
国民日報(聯合ニュース)2013.9.4
‘일본놈’ 소리 들어도 기분 나빠하지 않는 일본인… 독일 위안부 증언회 통역 맡은 야지마씨
“왜 자꾸 일본놈하고 사진을 찍으라고 해!”
3일(현지시간) 독일 베를린공대에서 증언회를 연 위안부 피해자 이옥선 할머니(86)는 통역을 맡은 야지마 쓰카사(42)씨를 가리켜 스스럼없이 ‘일본놈’이라 불렀다. 말과는 달리 얼굴에는 정감이 가득했다.
야지마씨와 이 할머니의 인연은 남다르다. 명문 와세다대를 졸업하고 아사히 신문 출판국 사진기자로 평탄한 삶을 살던 야지마씨는 2003년 회사를 그만두고 경기도 광주시 원당리 나눔의 집에서 봉사활동을 했다. “가해국민의 한 사람으로서 할머니들이 받은 고통을 나누고 나쁜 역사에 일본인들이 좀 더 관심을 갖게 하기 위해서”라는 게 당시 그가 밝힌 봉사의 변이었다. 이 할머니도 이곳에서 만났다.
야지마씨의 봉사활동은 2005년까지 이어졌다. 이후엔 독일에서 사진작가로 활동하며 독일인 여성과 결혼도 했다. 그러다 이 할머니가 지난달 28일부터 독일 여러 도시를 돌며 증언활동을 한다는 소식에 통역을 자처한 것이다. 그는 “일본 정부는 정권이 바뀌어도 도무지 변하지 않는다”고 말했다.
이날 증언회는 좌석 200여석이 꽉 차 일부 청중들이 선 채로 듣는 등 성황을 이뤘다. 생생한 증언이 계속되자 일부 청중들은 눈을 감거나 눈물을 흘렸다. 이 할머니는 “(소원은) 빼앗긴 인권과 명예를 회복하는 것 뿐”이라고 답하기도 했다.
연합뉴스
[資料・独語] イ・オクソンのドイツ講演
Dem "Menschenschlachthof" entronnen
Lee Ok-Seon ist 14 Jahre alt, als sie verschleppt und in einem japanischen Militärbordell zur Prostitution gezwungen wird. Ein Schicksal, das sie im Zweiten Weltkrieg mit Tausenden Koreanerinnen teilt. Noch heute kämpft sie um Entschädigung und eine Entschuldigung ihrer Peiniger. Eine Begegnung.
Von Martin Mühlfenzl, Berlin
Die runde Brosche am Blazer von Lee Ok-Seon scheint eine gewaltige Last für die kleine, zierliche Frau zu sein. Es wirkt, als sei das Schmuckstück schwer, so schwer, dass es die 86-jährige Koreanerin gewaltsam zu Boden zerren könnte. Tief gebeugt sitzt sie an ihrem Platz, während sie ihre Geschichte erzählt. Doch Lee Ok-Seon lässt nichts und niemanden mehr Gewalt über sich gewinnen; sie setzt sich zur Wehr. Gegen die Vergangenheit, die Erinnerung, die Schmerzen und gegen einen großen und mächtigen Gegner: den Staat Japan.
Lee ist eine von mehr als 200.000 "Trostfrauen", die während der japanischen Herrschaft über die Koreanische Halbinsel in der ersten Hälfte des 20. Jahrhunderts in Militärbordellen verschleppt, vergewaltigt, geschlagen und erniedrigt wurden. Bis heute hat sie dafür keine Gerechtigkeit erfahren. Doch sie kämpft gegen die Sturheit des japanischen Staates an. Sie will eine Entschuldigung und Entschädigung. "Für das Blut, das wir gegeben haben."
Lee führt diesen Kampf jeden Montag in der südkoreanischen Hauptstadt Seoul. Mit ihren Leidensgenossinnen demonstriert sie dann vor der japanischen Botschaft. Doch der Staat ihrer ehemaligen Peiniger hört ihr nicht zu. Noch nicht.
"So haben sie mich gepackt"
"Hier in Deutschland oder in den Vereinigten Staaten ist das anders", sagt Lee bei ihrem Besuch an der Technischen Universität in Berlin. "Hier ist man viel weiter, auch mit der eigenen Geschichte. Aber ich bitte Sie: Hören sie mir ganz genau zu und unterstützen sie uns. Hören sie zu."
Es ist der Moment, in dem das Lächeln aus dem von tiefen Falten zerfurchten Gesicht der 86-Jährigen verschwindet. Lee schließt die Augen und erinnert sich an jenen Tag, der ihr Leben für immer veränderte. Plötzlich fahren die beiden Arme der zierlichen Koreanerin in die Luft, der linke Arm ergreift den rechten und zieht heftig daran: "So haben sie mich gepackt, die beiden Männer. Einfach so, und dann haben sie mich auf einen Lastwagen geworfen und mitgenommen."
Mit 14 entführt und ins Bordell gebracht
Es geschah in ihrer Heimatstadt Busan im heutigen Südkorea. 1941 - vier Jahre vor Ende des Krieges in Europa und Asien. Lee Ok-Seon war damals 14 Jahre alt und arbeitete als Hausmädchen bei einer fremden Familie. Zur Schule gehen durfte sie nicht, die Eltern konnten sich das Schulgeld nicht leisten. Doch auch ihre Zeit als Hausmädchen währte nicht lange. An einem Spätnachmittag im Frühjahr schlugen die Besatzer zu. Zwei Soldaten ergriffen die 14-Jährige auf offener Straße und verschleppten sie, fort aus ihrem Heimatland mit dem Zug über die Koreanische Halbinsel bis ins ebenfalls von den Japanern besetzte China. In ein Militärbordell - "Troststation" nennt Lee ihre Hölle noch heute. "Bordell" kann sie nicht sagen. Die Scham über das Erlebte sitzt immer noch zu tief.
Es ist sehr still an diesem Abend in der Berliner Universität. So still wie an den Abenden zuvor in Darmstadt, Hamburg und Berlin. Lee ist der Einladung des Korea Verbandes gefolgt, einer Institution, die sich dem interkulturellen Austausch widmet und zwischen zwei sich sehr fremden Kulturen für Verständnis werben will. Wenn Lee Ok-Seon an ihre Leiden zurückdenkt und ihren Zuhörern davon erzählt, legt sie eine Hand auf ihre Brust - ihre Stimme aber ist stark und kontrolliert. Sie verliert sich nicht in Details über das, was ihr in dem Bordell in der chinesischen Provinz Jilin angetan wurde. "Darüber will ich nicht sprechen", sagt sie entschieden. Und es ist auch nicht notwendig, um zu verstehen. Nur so viel: "Wir wurden in Kimonos gesteckt, die wir bis dahin nicht kannten. Und wir mussten tun, was von uns verlangt wurde."
Rückkehr nach Korea
Wie viele Frauen von den Japanern während des Zweiten Weltkrieges tatsächlich verschleppt wurden, ist bis heute nicht geklärt. Der Korea Verband geht von weit mehr als 200.000 Mädchen aus, meist im Alter zwischen elf und 15 Jahren. Sie sollten die japanischen Soldaten und Offiziere zum einen davor schützen, sich Geschlechtskrankheiten einzufangen; zum anderen wollten die Besatzer mit den "Troststationen" Massenvergewaltigungen in den okkupierten Gebieten verhindern.
Die Machthaber setzten ihren Willen mit roher Gewalt durch. Den Mädchen, die schwanger wurden, wurden die Bäuche mit Messern aufgeschlitzt, erinnert sich Lee. Die Kinder wurden getötet und vergraben, die Frauen verbluteten. Auch sie selbst wurde Opfer von Gewalt. Ein Soldat verletzte sie mit einer Machete am Oberarm, als sie ihm widersprach und davonlaufen wollte: "Aber was hätte es gebracht? Ich wusste ja nicht wohin und ich hatte kein Geld."
Geld. Darum dreht sich auch der Protest der noch lebenden Trostfrauen. Erstmals hat sich im Jahr 1991 in Korea eine der ehemaligen koreanischen Zwangsprostituierten mit ihrer Lebensgeschichte an die Öffentlichkeit gewagt. Seither folgten ihr Hunderte Leidensgenossinnen - immer unter dem so skeptischen wie schamvollen Blick der Öffentlichkeit. Und Japan? Hat zwar längst die Existenz von Trostfrauen anerkannt, zu Entschädigungen oder gar einer umfassenden Entschuldigung aber konnten sich die Japaner nie durchringen - und werden es wohl auch nie. "Die sitzen das aus. Bis es von uns keine mehr gibt", sagt Lee Ok-Seon, und die Verbitterung ist ihr anzumerken. Doch ihr Hass ist mittlerweile verflogen: "Es gibt nicht nur schlechte Japaner. Aber einer davon war der Tenno, der sich nie bei uns entschuldigt hat." Gemeint ist Japans verstorbener Kriegs-Kaiser Hirohito.
Das Ende des Martyriums
Dass sie selbst den "Menschenschlachthöfen" der Japaner entkommen ist, hält Lee für ein kleines Wunder: "Das habe ich sicher nur geschafft, weil Gott bei mir war." Der Glaube habe ihr durch diese Zeit geholfen. Auch dann, als die Japaner ihr die Gebärmutter entfernten.
Nach dem Ende ihres Martyriums blieb sie zunächst in China, lernte dort ihren späteren Mann kennen, der ebenfalls aus Korea kam und kümmerte sich um dessen Kinder. 2000 aber wagte sie nach dem Tod ihres Mannes einen gewaltigen Schritt und kehrte nach Korea zurück. In das Land, aus dem sie Jahrzehnte zuvor von fremden Machthabern verschleppt wurde. Heute kämpft sie dort um ihre Ehre und Würde.
Plötzlich öffnet Lee in dem Raum an der TU Berlin wieder ihre Augen. Ein Ruck geht durch ihren Körper, sie reißt ihren linken Fuß nach oben, legt ihn auf den Tisch. Dann lacht die zierliche Koreanerin: "Da wurde ich von einem Soldaten mit einem Schwert verletzt. Er wollte mich töten, aber ich war schneller." Der Schmerz an der Stelle, an der sie getroffen wurde, kommt immer wieder - manchmal in den komischsten Momenten. Bei Veranstaltungen wie dieser, bei Protesten oder in ihrem Zuhause, einem Heim für ehemalige Trostfrauen in Seoul. Doch manchmal, in Situationen wie jetzt, kann Lee Ok-Seon sogar darüber lachen.
2013/01/19
独紙 河野談話=20万人以上の女性の拉致を認めたもの
17日のドイツのシュピーゲル紙は、1993年の河野談話を、20万人以上の女性を(日本国・軍)が拉致(abduct)した事を認めたものとして書いている。そして、安倍首相が、軍による拉致の事実どころか、軍が慰安婦にセックスを強制した事すら認めようとしないと非難調である。
なぜ、安倍晋三は河野談話の見直しを主張するのか。それは、河野談話がこのような誤解の源になっているからである。ジャパン・バッシャー達が河野談話の見直しに反対するのも、実はまったく同じ理由からなのだろう。つまり、これは鏡の裏と表なのである。そんな河野談話を必死になって守ろうとしている朝日新聞は、一体誰の為に河野談話の修正に抵抗しているのか?
[...]In 1993, Tokyo officially apologized for abducting at least 200,000 Asian women to be used as forced prostitutes. Abe, on the other hand, publicly questions whether the military actually forced the so-called "comfort women" to provide sexual services[...]
(1993年、日本政府は、最低限20万人のアジアの女性を、強制売春の目的の為に拉致したことを公式に謝罪した。その一方、安部は、いわゆる「慰安婦」に軍が性的サービスを強制したかどうかについて公に疑問を呈している)
Atavistic Abe: Japan's PM Courts Old Dangers
By Wieland Wagner
シュピーゲル 2013.1.17
そういえば、先月(12月)の情報になるが、ツイッター上でこのような呟きが見られた。この人は現地の情報に詳しい人らしい。
以下がWieland Wagnerの署名入り記事の全文。欧米メディアにあり勝ちな(というより、アジアを含め世界標準とも言うべき)政治家安部晋三に対するステレオタイプ。
Atavistic Abe: Japan's PM Courts Old Dangers
By Wieland Wagner
Before Japan's newly elected prime minister took office, he made a pilgrimage to the graves of his ancestors in Yamaguchi Prefecture, in southwestern Japan. He lit incense sticks and pressed his hands together in front of his chest. Then he told his supporters what he had pledged to the dead: "This time, I am determined to fulfill the mission."
With his solemn promise in late December, Shinzo Abe wasn't exactly suggesting that his first attempt as prime minister had failed miserably. Indeed, he resigned in September 2007 after a number of failures and owing to his poor health. Instead, the 58-year-old was invoking the political legacy of his father and grandfather precisely because that is his platform.
On Dec. 16, Abe recaptured the majority in the lower house of parliament for his conservative Liberal Democratic Party (LDP), which was voted out of power only three years ago. Now Abe wants to lead the aging and insecure Asian economic power back to its former greatness and, most of all, to rid it of its unpopular "postwar regime."
In saying that, Abe is referring to what the American occupiers imposed on the Japanese Empire after it lost World War II: its pacifist constitution, a relatively liberal education system and an understanding of history that is wholly foreign to Abe. This reading, which the Allied victors inserted into court decisions in the 1948 war crimes trials in Tokyo, painted both Japan and Germany as aggressors in need of permanent taming.
The premier wants to return Japan to its former position as a "beautiful country," which is also the title of a book in which he describes his vision for the nation's future. He wants this new Japan to re-embrace the values promoted by his father, former Foreign Minister Shintaro Abe (1924-1991), and practiced by his grandfather Nobusuke Kishi (1896-1987), whom he admires.
Kishi was the Japanese version of Albert Speer, Hitler's minister of armaments and war production. He expedited the subjugation of China in occupied Manchuria in the 1930s, and he later managed Japan's war machine against the Allies.
Although arrested after Japan's surrender in 1945, Kishi had already returned to the political stage in 1957 as prime minister, blocking efforts to reconcile his country with China. By making a name for himself as an anti-communist ally of the United States, he gained new influence for his country.
Worrying Friends and Foes
Now that Abe is prime minister, Japan's past is suddenly present again. Fourteen of the 19 members of his cabinet belong to a group of lawmakers that promotes pilgrimage tours to the Yasukuni Shrine, a heroes' memorial where even the men who were designated Japan's main war criminals are among those worshipped as Shinto deities.
"Many Japanese don't see their country as a perpetrator, but rather as a victim of the war," says Kenichi Shimamura. The sociologist believes that the Japanese prefer to think about the suffering they endured in the war, especially after the atom bomb was dropped on Hiroshima, rather than about the war crimes they committed.
The new rulers would even prefer to blot out tentative gestures of remorse. In 1993, Tokyo officially apologized for abducting at least 200,000 Asian women to be used as forced prostitutes. Abe, on the other hand, publicly questions whether the military actually forced the so-called "comfort women" to provide sexual services.
Neighboring countries, such as China and South Korea, aren't the only ones who view Japan's new revisionist trend with suspicion. The United States, its main ally and protector, also fears that Abe's cabinet of atavistic politicians could heighten tensions in East Asia.
The situation is already tense enough after last fall's dispute over the Senkaku Islands in the East China Sea. Last Tuesday, Tokyo summoned the Chinese ambassador to protest an incident in which four Chinese ships had spent 13 hours in waters Japan claims as sovereign territory.
Almost every day, Chinese patrol boats and the Japanese coast guard are engaging in risky naval maneuvers and power games in the region. In December, a Chinese reconnaissance plane flew over the disputed islands at a low altitude.
With such acts of provocation, Beijing is alarming the Japanese. Their biggest hope for Abe is that he can bring the ailing economy back to health. But because they also fear China, which replaced Japan in 2010 as the world's second-largest industrial power, Japanese voters decided to give the nationalist politician a second chance as prime minister.
Now Abe wants to quickly increase defense spending. He is expected to buy surveillance drones from the United States soon in response to China's unveiling of eight new unmanned aircraft at an aviation show in November.
But Abe is also a flexible political realist. A few days ago, he sent a special envoy to South Korea to inform Park Geun Hye, its newly elected president, that he has no intention of fueling the dispute over another archipelago, the Dokdo Islands controlled by Seoul, which the Japanese refer to as Takeshima.
During the election campaign, the LDP had stoked tension by announcing plans to introduce an annual "Takeshima Day." But, for the time being, Abe has his hands full preparing his country to face a more dangerous rival, China.



























