キム・グラのことは取り上げるタイミングを逸し続けていたのだが、前々から写真家アン・セホンが検閲されたの表現の自由を尊重しないのと日本に対し苦言を呈しながら(慰安婦問題に絡んだ)自国の表現・言論の自由の問題を棚に上げているのが気になっていたので、この際一度エントリーしておいた方がいいと思った。
国民的アイドルとなった慰安婦を娼婦と結びつけることは、韓国ではタブーになっている。古くは大学教授がアメリカ軍基地村の売春婦の問題も無視すべきでないと言って辞職を迫られた(彼を叩いていた連中が今何をしているかと言うと→「米軍売春問題を取り込む挺対協」)。
キムはテキサス村の娼婦がバスに分乗してデモに向かったことを、慰安婦のデモ以来と発言してバッシングを受けたのである。彼はテレビの番組を降板し、復帰が許されたのは5ヶ月近く経った先月末であった。その間、(イ・ヨンフン教授と同じように)ナヌムの家で膝をついてハルモニに謝罪したり、息子の学校にマスコミが押し寄せたり。贖罪の為にいろいろな事をやらされたようである。
父親の騒動で息子の音楽デビューも延期された
アン・セホンの場合叩いていたのは日本のネチズンや保守系の市民団体だったが(住所を晒すなどかなり悪質な事も行われたようである[要確認])、キム・グラの場合はマスコミなど社会を上げて彼を叩いたのである。
贖罪の為ナヌムの家人権コンサートに出席したキム(2012.6.6)
「慰安婦卑下発言」キム・グラ暫定引退
10年前にした日本軍隊慰安婦卑下発言で論議に包まれた放送人キム・グラが現在の出演中である7個の放送プログラム下車を宣言して暫定引退した。 キム・グラは16日午後7時30分報道資料を通じて日本軍慰安婦さげすみ発言に対する謝罪の立場を伝えてこのように明らかにした。
キム・グラは「成熟でなくてたくさん不足した時期にインターネット放送を通じて話した内容がほとんど10年余りができていく今もう一度問題になるのを見ながら口外に出てきた話を再び拾ってつめることができないという世の中の真理を新たに悟った」と話した。 引き続き今日この時間から私自身を見て回って自粛する時間を過ごすことに決心した。”として暫定引退の立場を伝えた。
問題になったキム・グラの日本軍慰安婦卑下発言は2002年タンジ日報のインターネットラジオ番組「キム・グラ、ファン・ボンアルの時事対談」で行き来した対話だ。 キム・グラは当時集娼村の女性たちが警察取り締まりに反発、貸切りバスに乗って国家人権委員会を訪ねて行って沈黙デモを行ったのを置いて「売春婦が貸切りバス二台に別れて乗るのは以前に挺身隊(引用注:慰安婦)とかそうだ、久しぶりに見るのではないか?」と話した。
(1)ソウル新聞 2012.4.17
家族と共にお婆さんたちに誠意を尽くす・・・と言えば聞こえはいいが、かつては大学教授、女優、無名のネチズンが慰安婦を侮辱したとして社会的に糾弾され、許しを請う為にこうしてナヌムの家を訪れている。キム・グラの熱心な贖罪活動を美談と捉えるか、社会的生命を断たれようとしている人間の懸命な行動と見るか、人それぞれだろう。
キム・グラ、慰安婦ハルモニにひざまずき謝罪… 「私が無知だった」息子ドンヒョン君、妻とともに3回訪問…
過去の失言で放送暫定引退を宣言した放送人キム・グラが慰安婦おばあさんを直接訪ねひざまずいて謝罪した。
キム・グラは最近3回にかけて京畿道広州に位置する慰安婦おばあさんが集まって住む「ナムヌの家」を訪ねた。
「ナムヌの家」のアン・シングォン所長は11日ノーカットニュースとの通話で「キム・グラ氏が毎週『ナムヌの家』を訪ねハルモニたちと時間を過ごしている。 初めはここに来た事実を明かしたがらながったが、家族と一緒と真心をつくすキム・グラ氏の心が感じられた」と伝えた。
アン所長によれば、キム・グラは先月18日に「ナムヌの家」で初めて連絡を取ってきて、ハルモニを訪ねボランティアしてもかまわないかと尋ねた。 キム・グラがすべての放送で降板(?)を宣言して二日ぶりだ。
アン所長は「4月22日のお昼頃ここを初めて訪れた。 到着しても車を降りずに再度自身が行ってもかまわないかと尋ねた。 ハルモニ(は?)6分程度おられたがその方たちの前でキム・グラはひざまずいて『助けは差し上げられなくてもそのような発言をして申し訳ない』と頭を下げて謝罪した」と伝えた。
謝罪するキム・グラに慰安婦ハルモニは暖かい手助けを差し出した。 ハルモニはこうして訪ねてきてうれしくて、歴史について知らずにこうしたことが起きたことだから、これを機会に歴史に対してよく知って行けばという心を伝えた。
その後にもキム・グラは二度さらに「ナムヌの家」を訪れた。 4月29日息子ドンヒョン君と共に訪問したキム・グラはドンヒョン君に「ナムヌの家」私の(?)位置した日本軍慰安婦歴史館を見学させ、義母が包んだというギョーザを持ってきてハルモニたちと餃子スープを作って食べ共に草を摘む(?)など意義深い時間を過ごした。
また、父母の日を控えた5月6日、妻とドンヒョン君と共にこちらを探したキム・グラはハルモニにカーネーションを付けて上げて、贈り物をした。 特に二度目に「ナムヌの家」を訪ねたドンヒョン君は祖母対するようにハルモニたちと気立てが優しく過ごしたし、キム・グラ家族全員で「ナムヌの家」の保守工事と清掃などを鉄だって長時間留まり帰った。
アン所長は「この日キム・グラ氏が粘り強い助けを望んで『ナムヌの家』後援登録をして行り、今後もずっと訪問してもかまわないのか尋ねた。 私たちの立場では感謝したことなのにキム・グラ氏はやたらと来て気を遣う(?)ことはないかと心配をしたよ。 着実に『ナムヌの家』を探すことにしたし、その間よく分からなかった歴史を知るようになりハルモニに会って感謝しますという言葉も共に伝えた」と明らかにした。
一方、キム・グラは10余年前インターネットラジオ放送で売春女性を慰安婦(挺身隊)に比喩した事実が知らされて荒々しい非難を受けた。 これによってキム・グラは4月16日、芸能界暫定引退を宣言して出演中であるすべてのプログラムを降板し、現在の自粛中だ。
(2)hanlooli.com 2012.5.11
事件は、息子のドンヒョンにとっても文字通り他人ごとではなかった。
父親と一緒にTVに出たことも
キム・グラ息子苦衷、学校に集まる取材陣「もヒドイよ!」
キム・グラの息子ドンヒョン君に対する憂慮の声が高まっている。
最近放送人キム・グラ(42)が10年前従軍慰安婦卑下発言に対する責任を負ってすべての放送で電撃降板して、取材熱がドンヒョン君にまで及んでいる。
このためにキム・グラは去る16日降板を公式宣言し、家族としばらく旅行に出ることもした。 しかし19日中学生であるドンヒョン君が再び登校した19日から取材陣が学校に集まっており、苦衷が並大抵でない。
取材陣は校門の前で待ちかまえ、ドンヒョン君が現れるとすぐに父親の近況を尋ねるかと思えば、ドンヒョン君の友人にドンヒョンの状態を尋ねるなど過剰取材論議に包まれた。
キム・グラも息子に対する心配が大きい。 引退宣言直前にも彼は「(ドンヒョンが)とてもナイーブな時期に事件が起こった」として「息子に過去の話をたくさんしたし、幼い心に恨まない(?)話を幾度もしてきた」と話した。
一方、このような取材熱気に対してネチズンは「現代版連座制ではないのか」 「いくら取材といっても、配慮が必要ではないのか」等批判の声を高めている。
(3)이비ニュース 2012.4.20
キム・グラの復帰が叶ったのは、5ヶ月近くも経ってから。
活動中断していたキム・グラ、tvN「タクシー」で復帰
ことし4月、元従軍慰安婦への問題発言で活動を中断していた韓国タレントのキム・グラが、tvN「現場トークショー タクシー」で活動を再開することがわかった。
tvNは、キム・グラがイ・ヨンジャ&コン・ヒョンジンのバトンを受け継ぎ、来る13日から「タクシー」のMCとして出演することを明かした。
制作陣は「初回放送で活動を中断することになり、休んでいた期間に懐かしく感じていた人々に再び会い、近況や現在の心境を正直に語ってくれるだろう」と伝えた。また、キム・グラとタッグを組む人物が決定していないため、初回放送ではキム・ソンジュが特別MCとして参加するという。
キム・グラは、2002年に進行されたラジオ番組で「娼婦たちが貸し切りバス2台に分かれて乗っているのを見て、過去の従軍慰安婦を見ているようだった」と話した内容がSNSを通じて広がり、物議をかもしていた。
今回、活動復帰を決意したキム・グラは「悩んだ末に、MCとして番組に出演することを決めた」とし、「放送を通して良い姿をお見せすることが、最も良い方法だと思った」と心境を語っている。
「タクシー」制作陣は「番組が、『MCキム・グラ』へと新たに衣替えをしたことで、これにマッチする番組となるよう努力していきたい」と伝えた。
2007年にスタートした「タクシー」は、MCがゲスト乗せたタクシーの中で様々な質問を投げかけ、トークを繰り広げる番組だ。
WoW!Korea 2012.9.3
少し前になるが、キム・グラは(韓国の基準では)決して非常識な歴史観を持った人間ではないと中央日報はフォローしていた(あくまで、黒田記者を「極右」と呼ぶような韓国の基準での話だが)。黒田勝弘とキム・グラの歴史問題を巡るやり取り。「正しい歴史認識」で対抗しようとしたキムだったが、どうやら黒田に論破されてしまったらしい。
慰安婦関連の暴言で非難されたキム・グラが、5年前に極右派日本人と繰り広げた討論の映像が新たに話題を集めている。
キム・グラは2007年にケーブルチャンネルXTMで準備した光復節特集放送にパネラーとして参加した。当時日本側代表として討論に出たのが黒田勝弘氏(当時産経新聞ソウル支局長)。彼は「竹島は日本の領土だ」「韓国は植民支配の恩恵を受けた」と話すなど日本国内の代表的な極右派の1人と評価される人物だ。
当時キム・グラは慰安婦問題に対し、「米国下院議会では決議案を通過させなかったか」と質問し、黒田氏は「ひとつの意見であるだけ。1年に数千件の決議案が採択されるが、その中の1件にすぎない。当時日本社会には職業的にそのような女性(売春)が存在したし違法ではなかった」と答えた。
これに対しキム・グラが「私たちはそのような時代ではなかった」と反論すると、黒田氏は「貧困などの理由で自分が望まないことまでしなければならない状況もあるにはあっただろう。戦争は広い意味の強制性がある」とし、「日本政府は当時謝罪しなかったか」と強い語調で話した。しかしキム・グラは「ならば毎回謝罪するのはいらいらしているのか」と鋭く言い放ち、黒田氏は「慰安婦問題をはじめと過去史はすべてそうだ」と答え討論は一段落した。
その後キム・グラは、「(相手が)父親のような年齢で思った通りに話せなかった。多くの知識で詭弁ばかり並べた」と悔しがった。
この映像が話題を集めているのはキム・グラが2002年にインターネット放送でした話とかみ合わさったためだ。当時キム・グラは性風俗従事者の集団デモを慰安婦に例え物議を呼び、16日に謝罪の意味からすべての番組を降板した。
中央日報日本語版 2012.4.18
「私は検閲されている」日本に抗議するアンだが、
自国の言論の自由については一言ないのだろうか?
自国の言論の自由については一言ないのだろうか?
日本の写真家たちは少々近視眼的になってないか?
※1
‘위안부 비하 발언’ 김구라 잠정 은퇴
10년 전에 했던 일본군위안부 비하 발언으로 논란에 휩싸인 방송인 김구라가 현재 출연 중인 7개 방송 프로그램 하차를 선언하며 잠정 은퇴했다. 김구라는 16일 오후 7시 30분 보도자료를 통해 일본군위안부 폄하 발언에 대한 사과 입장을 전하며 이같이 밝혔다.
김구라는 “성숙하지 못하고 많이 부족했던 시절에 인터넷 방송을 통해서 말했던 내용들이 거의 10여년이 다 돼 가는 지금 다시 한번 문제가 되는 것을 보면서 입 밖에 나온 말을 다시 주워 담을 수 없다는 세상의 진리를 새삼 깨닫게 됐다.”고 말했다. 이어 오늘 이 시간부터 저 자신을 돌아보고 자숙하는 시간을 보내기로 결심했다.”며 잠정 은퇴 입장을 전했다.
문제가 된 김구라의 일본군위안부 비하 발언은 2002년 딴지일보 인터넷 라디오 프로그램 ‘김구라 황봉알의 시사대담’에서 오간 대화다. 김구라는 당시 집창촌 여성들이 경찰 단속에 반발, 전세버스를 타고 국가인권위원회를 찾아가 침묵 시위를 벌인 것을 두고 “창녀들이 전세버스 두 대에 나눠 타는 것은 예전에 정신대라든지 참, 오랜만에 보는 것 아닙니까?”라고 말했다.
※2
김구라, 위안부 할머니에 무릎꿇고 사죄… "제가 무지했다"
아들 동현군, 아내와 함께 3차례 방문… 후원과 봉사 약속
[제휴기사=노컷뉴스 방송연예팀 봉준영 기자] 과거 말실수로 방송 잠정 은퇴를 선언한 방송인 김구라가 위안부 할머니를 직접 찾아 무릎을 꿇고 사죄했다.
김구라는 최근 3차례에 걸쳐 경기도 광주에 위치한 위안부 할머니들이 모여 살고 있는 ‘나눔의 집’을 찾았다.
‘나눔의 집’ 안신권 소장은 11일 노컷뉴스와의 통화에서 “김구라 씨가 매주 ‘나눔의 집’을 찾아 할머니들과 시간을 보내고 있다. 처음에는 이곳에 온 사실을 밝히기 꺼려했지만 가족과 함께 와 진심을 다하는 김구라 씨의 마음이 느껴졌다”고 전했다.
안 소장에 따르면, 김구라는 지난달 18일 ‘나눔의 집’으로 처음 연락을 취해왔고, 할머니들을 찾아뵙고 봉사해도 되겠냐고 물었다. 김구라가 모든 방송에서 하차를 선언한 지 이틀 만이다.
안 소장은 “4월 22일 점심 무렵 이곳을 처음 찾았다. 도착해서도 차 안에서 내리지 못한 채 재차 자신이 가도 되겠냐고 묻더라. 할머니 여섯 분 정도 계셨는데 그분들 앞에서 김구라는 무릎을 꿇고 ‘도움은 못 드릴망정 그런 발언을 해 죄송하다’며 머리 숙여 사죄했다”고 전했다.
사죄하는 김구라에게 위안부 할머니들은 따뜻한 손길을 내밀었다. 할머니들은 이렇게 찾아와줘서 반갑고, 역사에 대해 몰라서 이런 일이 벌어진 것이니 이번 기회에 역사에 대해 잘 알고 갔으면 하는 마음을 전했다.
그 후에도 김구라는 두 차례 더 ‘나눔의 집’을 찾았다. 4월 29일 아들 동현 군과 함께 방문한 김구라는 동현 군에게 ‘나눔의 집’ 내 위치한 일본군 위안부 역사관을 관람시켰고, 장모님이 싸주셨다는 만두를 가지고 와 할머니들과 만둣국을 끓여먹고 함께 풀을 뽑는 등 뜻깊은 시간을 보냈다.
또한 어버이날을 앞둔 5월 6일, 아내와 동현 군과 함께 이곳을 찾은 김구라는 할머니들에게 카네이션을 달아드리고, 선물을 전했다고. 특히 두 번째로 ‘나눔의 집’을 찾은 동현 군은 친할머니 대하듯 할머니들과 살갑게 지냈고, 김구라 가족 모두 ‘나눔의 집’ 보수공사와 청소 등을 도우며 오랜 시간 머물다 돌아갔다.
안 소장은 “이날 김구라 씨가 꾸준한 도움을 원해 ‘나눔의 집’ 후원 가입을 하고 갔으며 앞으로도 계속 방문해도 되는지 물었다. 우리 입장에서는 감사한 일인데도 김구라 씨는 괜히 와서 신경쓰이게 하는 것 아니냐며 걱정을 하더라. 꾸준히 ‘나눔의 집’을 찾기로 했으며 그동안 잘 몰랐던 역사를 알게 되고 할머니를 만나 감사하다는 말도 함께 전했다”고 밝혔다.
한편, 김구라는 10여년 전 인터넷 라디오 방송에서 윤락여성을 위안부(정신대)에 비유했던 사실이 알려지며 거센 비난을 받았다. 이로 인해 김구라는 4월 16일, 연예계 잠정 은퇴를 선언하고 출연 중인 모든 프로그램에 하차했으며 현재 자숙 중이다.
※3
김구라 아들 고충, 학교로 몰려드는 취재진 ‘해도 너무해!’
김구라 아들 동현 군에 대한 우려의 목소리가 높아지고 있다.
최근 방송인 김구라(42)가 10년 전 종군위안부 비하 발언에 대한 책임을 지고 모든 방송에서 전격 하차하자, 취재 열기가 동현 군에게까지 미치고 있는 것.
이 때문에 김구라는 지난 16일 방송하차를 공식 선언하고 가족들과 잠시 여행을 떠나기도 했다. 그러나 19일 중학생인 동현 군이 다시 등교한 19일부터 취재진이 학교로 몰려들고 있어 고충이 이만저만이 아니다.
취재진은 교문 앞에서 기다리다 동현 군이 나타나자 아버지 근황을 묻는가하면, 동현 군의 친구들에게 동현이의 상태를 묻는 등 과잉취재 논란에 휩싸였다.
김구라 역시 아들에 대한 걱정이 크다. 은퇴 선언 직전에도 그는 “(동현이가) 한창 예민한 시기에 일이 터졌다”며 “아들에게 과거 얘기를 많이 해줬고 어린 마음에 원망하지 말을 누누이 해왔다”고 말했다.
한편, 이 같은 취재열기에 대해 네티즌들은 “현대판 연좌제 아닌가” “아무리 취재라고 해도 배려가 있어야 하는 거 아닌가” 등 비판의 목소리를 높이고 있다.[데일리안 연예 = 이선영 넷포터]