2012/09/27

相次ぐ慰安婦による高額寄付


財産を寄付するというのが善行であることは間違いない。だから、そのこと自体を非難したり笑ったりすべきではない。また(韓国人)慰安婦の財産全てが公的資金によって作られたものとも限らない。

しかし、今や国民的アイドルとなったハルモニたちがある程度の資産を持ち、生活上の不自由がない(同年齢の一般女性たちと比べ)というのは間違いなさそうである。

彼女たちのバックにいる支援団体は執拗に日本に賠償を求めてくるが、彼女たちはお金を必要としていない。賠償金の要求が「被害者」としての権利だと言うなら、顧みられることのなかった日本人慰安婦や米・韓国軍の慰安婦に目を向けるべきだろう。

挺対協に逆らった慰安婦たちは公的支援の対象から外されたことも覚えておきたい。挺対協は、その後も彼女たちについて無視を決め込んでいるが、彼女たちはあるいは貧困の内に死んで行ったのかもしれないし、アジア女性基金から金を受け取って不自由のない老後を送ったかもしれない。

なお、これだけ恵まれた老後を送れたのは韓国人だけで、フィリピンやインドネシアの慰安婦はこれほど恵まれてはいなかったろうと思われる。日本人の慰安婦たちも・・・。

慰安婦被害ハルモニ、3千万ウォン奨学金寄付

京畿道広州市の「ナムヌの家」に居住する日本軍慰安婦被害ハルモニが少しずつ集めたお金を仏教大学に奨学金を寄付した。 ナムヌの家のペ・チュンヒ(裴春姫 89)ハルモニは26日、財団法人美しい同行を通じ京畿道金浦市中央僧大学校に奨学金3千万ウォンを伝達した。

寄付金はペ・ハルモニが慰安婦被害者に支給される生活安定支援金を惜しんで集めたお金だ。

慶北(キョンブク)城主(星州)で生まれたペ・ハルモニは19才の時から中国、満州で慰安婦として苦難に遭い、解放後中国と日本での生活を経て1981年帰国。1997年からナムヌの家に住んでいる。

老患で昨年の秋以後水曜集会に出られず、一ヵ月前から食事もまともに出来ないまま臥病中だ。

普段仏教に関心が高いペ・ハルモニはこの日不便なからだを導いて寄贈式に参加する情熱を見せた。
6月に亡くなった故キム・ファソン・ハルモニも6千万ウォンを寄付して人権センター建設が推進されている。 2000年にはキム・クンジャ(86)ハルモニが美しい財団に5千万ウォンを寄付した。

ナムヌの家被害者以外にソウルに住むHwang-geumja(89)ハルモニも2010年に1億ウォンを奨学金に出したのに続き、全財産を寄贈するという遺言状を作成したことがある。

大邱に住んでいた故キム・スンアク・ハルモニも財産の半分(5千万ウォン余り)を寄付する遺言状を残して2010年1月亡くなった。

mkニュース 2012.926

ペ・チュンヒが寄付したのは3000万ウォン。日本円では、208万円。
キム・ファソンは6000万ウォン。416万円(現在のレート)
キム・クンジャが5000万ウォン。347万円(同上)
キム・スンアクも5000万ウォン。347万円(同上)。しかも彼女の資産はこの二倍あった。
Hwang-geumjaに至っては、1億ウォン(同上)。694万円を寄付している。


위안부 피해 할머니, 3천만원 장학금 기부

경기도 광주시 '나눔의 집'에 거주하는 일본군 위안부 피해 할머니가 한 푼 두 푼 모은 돈으로 한 불교대학에 장학금을 기부했다. 나눔의 집 배춘희(89) 할머니는 26일 재단법인 아름다운 동행을 통해 경기도 김포시 중앙승가대학교에 장학금 3천만원을 전달했다.

기부금은 배 할머니가 위안부 피해자에게 지급되는 생활안정지원금을 아껴 모은 돈이다.

경북 성주에서 태어난 배 할머니는 19살 때부터 중국 만주에서 위안부로 고초를 겪었으며 광복 이후 중국과 일본 생활을 거쳐 1981년 귀국해 1997년부터 나눔의 집에 살고 있다.

노환으로 지난해 가을 이후 수요집회에 나가지 못했고 한 달 전부터 식사도 제대로 하지 못한 채 와병 중이다.

평소 불교에 관심이 많은 배 할머니는 이날 불편한 몸을 이끌고 기증식에 참석하는 열정을 보였다.

지난 6월 세상을 떠난 고(故) 김화선 할머니도 6천만원을 기부해 인권센터 건립이 추진되고 있다. 2000년에는 김군자(86) 할머니가 아름다운 재단에 5천만원을 기부했다.

나눔의 집 피해자 이외에 서울에 사는 황금자(89) 할머니도 2010년 1억원을 장학금으로 내놓은 데 이어 전 재산을 기증한다는 유언장을 작성한 바 있다.

대구에 살던 고(故) 김순악 할머니도 재산의 절반(5천여만원)을 기부하는 유언장을 남기고 2010년 1월 세상을 떠났다.