[資料] 「花岡事件」原告団長が死去
「花岡事件」原告団長が死去
太平洋戦争中、秋田県に強制連行された中国人の労働者が暴動を起こした「花岡事件」のリーダーで、戦後、損害賠償を求めた裁判では原告団長を務めた中国人の耿諄さんが、老衰のため中国の自宅で亡くなりました。
97歳でした。
花岡事件は昭和20年、秋田県大館市の花岡地区で、今の大手建設会社鹿島の工事現場に強制連行された980人余りの中国人の労働者が、過酷な仕事や待遇に抗議して暴動を起こしたもので、400人以上が死亡したとされています。
耿諄さんは当時の中国人労働者のリーダーで、平成7年に生存者と遺族から成る原告団の団長を務めて鹿島に損害賠償を求める訴えを起こしました。
そして平成12年、鹿島が強制連行された全員を救済するために5億円を提供して基金を設立することで、和解が成立しています。
中国人の強制連行について、企業が和解に応じたのは、初めてでした。
耿さんは中国河南省許昌市の自宅で暮らしていましたが、先月27日、老衰のために亡くなったという連絡が、3日、耿さんの家族から日本の支援者に入りました。
97歳でした。
花岡事件を後世に伝える活動を行っている大館市のNPO「花岡平和記念会」の谷地田恒夫副理事長は「耿諄さんが原告団長になって裁判を起こしたことで、戦後の補償問題に風穴があいた。まだ政府やほかの企業が十分に責任を認めようとしないなかで、さらに力を尽くしてほしかった」と話しています。