慰安婦騒動を作り出している人々は、日韓共通の敵である
韓国の歴代政権が反日を利用してきたことを認めつつ、自分はそういうことはしたくないと語ったイ・ミョンバク大統領。本心だったのだろうが、そんな彼を追い込んだのが、慰安婦問題、もう少し具体的に言えば、8月の憲法裁判所判断。慰安婦問題に関する野田の対応がそっけなさ過ぎたという分析もあるが(田原総一朗?)、慰安婦騒動がいかに両国関係を損なってきたか今さらながら痛感させられる。
時代の証言者 民主党 野田佳彦 16
日韓関係急激に悪化
<2011年10月、野田首相は最初の外遊先として韓国を訪問し韓国重視の姿勢を示したが、12月の日韓首脳会談で李明博大統領は、いわゆる元従軍慰安婦問題の解決を求めてきた。野田氏は応じず、12年8月、李氏の竹島上陸と天皇謝罪要求の発言で、日韓関係は急激に悪化した>
僕は日韓のEPA(経済連携協定)を進めたいと思っていました。もう一つはGSOMIA(軍事情報包括保護協定)、ACSA(物品役務相互提供協定)。経済協力だけでなく、安全保障協力も前に進めたいと思っていました。
大統領の任期を考えると早い時期、李明博さんが安定している時にやらなければいけないと思って、韓国訪問を急ぎ、最初の訪問地をあえて韓国にしたのです。
その際のファーストコンタクト(最初の接触)は非常にいいムードでした。李明博さんは韓米FTA(自由貿易協定)締結について、国内世論は大変だけれども国益を考えたらやるしかないんだ、悔いはないときっぱりと言っていました。先輩リーダーとして、非常に尊敬できるなと、この時は思いました。
もう一つ彼が言ったのは、歴代の韓国の大統領は任期後半になると、「反日」を使いながら支持率を上げようとする繰り返しだった。私はそういうことはしたくないということでした。
その直後の12月、京都(での日韓首脳会談)から慰安婦問題でおかしくなりました。(韓国政府の対応を違憲とした)憲法裁判所の判決が(8月にあったことが)大きかったのでしょう。10月(の会談時に)は、まだ最初だから抑えていたのでしょうね。外務省ルートも1往復くらいのやりとりはあるだろうと言っていましたが、(首脳会談の)時間の大半を慰安婦問題でくるとは思いませんでした。
こちらは1965年に(日韓請求権協定によって)法的には完全に決着しているという立場につきました。(韓国側が)ソウルの在韓日本大使館の前に(慰安婦を象徴する)少女の像のようなものを設置したので、それを撤去するように言ったところ、相手はより感情的になってしまいました。
(李氏の)竹島上陸はちょうど(社会保障・税) 一体改革法案が参院で成立した8月10日だったのを覚えています。スキャンダルなどがあって、どんどん(政権)支持率が下降していた時だったので、いよいよ支持率との関係で反日的な動きをやったのだろうと思いました。しかも天皇陛下の訪韓の話まで言い出しました。私から(竹島上陸や天皇謝罪要求発言などに遺憾の意を伝える)親書を出したら、受け取らないで返ってきた。どうしてこんなに常軌を逸したことが続くのかと思いました。
その後、国際会議で立ち話をした時、(李氏は)「天皇に対する発言はあんな意味ではない」とか、いろいろ言っていました。後ろめたさを感じながら、どうやって距離感を縮めようかという感じがありました。
読売 2013.10.29 12面