もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (4)
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労務報告会に戻ると長谷川嘱託が来た。今日は背広姿だったが、この男は軍服なんか着るよりそのほうが似合っていた。
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「今日は身体検査を受けさせています。女たちには慰安所行きとは言っていません。事実を言えば逃亡しますから、対馬の陸軍病院の雑役婦募集だと言って志願させました」
「それは名案でしたよ。それであんな若い子が集まったんですね。対馬行きにしては船旅がながいが、御用船だからどこかに寄って貨物をおろしてから対馬へ行くとでも説明しましょう。海南島に着くまでは秘密にしておかないと、身投げでもされると困ります」
「海南島で、百名を一か所に収容するのですか」
「楡林の三か所の慰安所へ分けます。船の中で三班に編成しますが、特別上等なのがいたら将校慰安所にまわすかもしれません。それからお手数ですが、胸に名札をつけさせてくれませんか。貨物船だから船艙に分けて積むことになるでしょう。点呼のとき手間どると思うんですよ」
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前渡金の支給日の八日は、朝から挺身隊の女たちが集まってきた。動員係が会計の女子職員といっしょに、名前の書いた封筒へ一円札で二十円入れたり白布をはさみで切って名札をつくったりして時間がかかった。林と山田が大声をはりあげ、女たちを名簿順に歩道に一列に並ばせて一階の配給係で前渡金を渡し始めた。松井が一人一人に名簿の氏名の下に拇印を押させて、前渡金の封筒と名札を渡すと、林は名札は服の胸にぬいつけてくるんだと言って自分の胸につけて見せて、女のまねをしてみんなを笑わせた。
「二十円もらって逃げたりしたら、警察につかまって刑務所に入れられるからな」と山田が言うと、前渡金を受けとった女がやりかえした。
「逃げても、日本には仕事がないよ。つしまへ行って三十円もうけたほうがいいよ」
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四月十日は前夜の雨があがって上天気だった。朝から空襲警報が発令されて職員たちは床下や裏庭に掘った防空壕に掛けこんだりした。「朝鮮人女子挺身隊」の集合時間は十時にきめていて、沿岸の労報飯場の前には女たちが集まってきた。長谷川嘱託が昨日午後にやってきて、御用船は海峡のブイに係留されているので税関岸壁から通船を雇ってほしいと言ったが、下関には通船がないので機帆船をたのんだ。念のため今朝松井を東南部(ひがしなべ)の関門機帆船組合の下関支部へ確認に行かせた。
動員係の部屋に行くと下関署の労政係主任が来て女子挺身隊名簿を見ていた。
「若いのがよく集まりましたね。十八歳が多いじゃないですか」
「佐々木さんのおかげですよ。十八歳未満が十名ばかりいますが、動員命令書にあわせて十八歳と書いてあるので十八歳が多いんです。みんな窃盗の前科があります」
「乗船のときの警備は水上へ連絡してありますか」
「その必要はないですよ。みんな対馬の陸軍病院の雑役婦だと信じていますから。もうかなり集まっているようです。行ってみませんか」
「そういうわけなら、あまり制服で近よらんほうがいいでしょう」と言って労政係主任は署に帰って行った。
十時に動員係をつれて労報飯場へ行くと、倉庫の前まで女たちであふれていた。年寄りや子供たちもたくさん見送りに来ていたが、いつもの勤労報国隊派遣のときとちがって今日はにぎやかだった。朝鮮服を着た女はすくなくたいてい日本人のようなモンペ姿で、ワンピースやスカートの女もいた。
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十二時になって挺身隊を広場へ整列させるときも、はじめと同じように手間どった。山田が先頭に立って、挺身隊は倉庫がならんだ道を貨物引込線にそって三百メートル先の税関に向かった。見送りの家族たちが道いっぱいになってついてきた。対馬行きを見送るつもりで、家族たちは笑いながらにぎやかにしゃべって、不安げもなく歩いていた。
税関庁舎前の広場へ着くと庁舎から軍装の長谷川嘱託たちが出てきた。
「ご苦労さま。税関の手続きはすみました。女子挺身隊の荷物の検査はしないそうです」
「機帆船は一時に来ることになっています。挺身隊の受領をお願いします」
挺身隊員と名簿の照合確認が終わると、税関待合室で朝鮮人女子挺身隊百名の派遣受領証に、○○部隊長長谷川嘱託の受領印をもらった。午後一時過ぎ、百人の大坪の女は二隻の機帆船に分乗して岸壁を離れて御用船に向かった。