熊本の地震を利用してまたしても何やら挺対協が
美談を作ろうとしている様子だったので、5年前の東日本大震災の時のエントリーをリライトして再掲。
東日本大震災の被害に苦しむ日本の為にハルモニたちが立ち上がった。「罪が憎いのであって、人が憎いわけではない」と慰安婦たち。統一ニュースのコラムでは、挺対協のユン代表が「被害者たちの広く大きな心を日本政府が少しでも見習って、過去の歴史の責務を早急に」清算することを望むと綺麗にまとめていた。
韓国CBSニュースは以下のように伝えた。
「
挺対協は日本の大地震で大きな被害にあった日本人たちを助けようという
ハルモニたちの提案により来月26日まで6週間募金運動を行うことになり、
韓日両国民に大きな衝撃を与えている(정대협은 일본 대지진으로 큰 피해를 당한 일본인들을 돕자는 할머니들의 제안에 따라 다음달 26일까지 6주간 모금운동에 나서기로 해 한일 양국 국민들에게 큰 울림을 주고 있다.) 」。
しかし同時にユンは、ハルモニたちが普段「日本なんて水に沈んじゃえばいい」「地震でも起きちゃえ」などと毒づいていたことも明かしている。実は、こうした日本に対する不信感を慰安婦たちに植え付けているのもユンら運動家である。ユンは先週の水曜デモでも陣頭に立った(写真左上 2011)。地震のニュースを見て
ハルモニたちが日本への援助を提案したのではなく、未曾有の災厄に見舞われた日本を見て、
「あっ・・・これから歴史問題清算の活動はどうやっていけばいいんだろう。・・・どうやって・・・日本政府に向けて過去の過ちを問い詰め、賠償までしろと闘えばいいのだろうか」
と焦ったユンが、運動継続の為の言い訳に窮余の一策として募金パフォーマンスを思いついたというのが真相ではないのか。ユンのコラムを訳した日本の市民団体は、ハルモニたちから「人間として最も大切なこと」を学んだと言うが、ハルモニに日本の悪口を言わせているのも、募金活動のような美談を演出しているのも背後にいる支援者たちだろう。
【コラム】日本の地震被害、「ひと」を中心において考えてみよう
2011年3月24日
ユン・ミヒャン 韓国挺身隊問題対策協議会常任代表
「罪が憎いのであって、人間が憎いわけではないじゃないですか」
教会での説教のタイトルで出てきそうなこの言葉は、日本軍「慰安婦」被害者である吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニが、今年3月16日に日本軍「慰安婦」問題の解決に向けた第961回水曜デモで記者団に向けて述べたものだ。
日本軍「慰安婦」被害者たちと韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は、この日の水曜デモを震災による被災者たちへの追悼の意を込めてサイレントデモで進めた。その集会を取材していた約50人の記者のうちの一人が、ハルモニに質問をした。
「ハルモニ、日本が憎くないですか?」
ハルモニは、「罪が憎いのであって、人間が憎いわけではないじゃないですか」と答えた。
ハルモニのこの答えは、日本が自然災害に襲われてたくさんの尊い命が手の施しようがないまま亡くなり、行方不明になり、また被害を受けている現状をおいて、韓国のある大手の教会の牧師が「日本の地震は神様の警告」と話したという発言とは対照的で、多くの人々の心に穏やかな感動を与えた。
戦争の中で「獣のような扱い」を受けるどん底の状況下、日本軍の「性奴隷」という恐ろしくつらい経験をした被害者。その戦争が終わって65年が経つ今も、何ひとつ解決しておらず、街頭に立って「謝罪せよ!」「賠償せよ!」と求める闘いを続けている彼女である。そんな彼女に、彼女の考え方の中心には、「ひと」、「人に対する愛情」があったのである。
3月11日、日本の東北地方に大きな災害が押し寄せてきた。地震と津波はあっというまに日本の東北地方の町を焦土化し、その地域に住んでいた日本の市民はもちろん在日や外国人の命がさらわれた。生き残った人々の被害もとてつもなく、生活の基盤を全て壊してしまった。どうしてあんなことが起きてしまったのだろう。すぐ隣の国で。目の前に流れるニュースの画面が偽りの映画のように思えた。
しかし、そうしてしばらくニュース画面に気を取られていた次の瞬間、恐ろしいことに、筆者の頭の中をよぎった考えは被災地にいる人々への心配ではなかった。「あっ……これから歴史問題清算の活動はどうやっていけばいいんだろう。災害で国全体がそれどころじゃないというのに。どうやって国会議員たちを説得し、日本政府に向けて過去の過ちを問い詰め、おまけに賠償までしろと闘えばいいのだろうか」という心配だった。
過去の清算に向けた活動も、平和統一の活動も、人権活動も、結局はその中心に「ひと」を据えたものでなければならない。なのに、ひとよりも「仕事」が中心になってしまっていたのだ。こんな筆者にとって、吉ハルモニの至って普通なその言葉は、全ての混乱が片付くに充分なものだった。
韓国のインターネット・ポータルサイトに入ってみると、今まさに日本の災害について二つに分かれて討論が行われている。犠牲者のためにお金を集めようという側と、募金には反対するという側がお互い熱心に意見を述べ、署名を行っている。この討論の中心には「日本」がいる。過去に犯罪を犯した日本、そして過去の歴史を歪め、美化している日本、関東大震災のときには朝鮮人を虐殺していた戦犯国である日本、女性たちを日本軍の性奴隷にさせ、人権を蹂躙した日本がいる。これらは、私たちが絶対忘れてはならない日本である。
その一方、地震の被害から助けようという人々の討論の中にも、「日本」はいる。「日本へ希望を!」「日本へ慰めと愛を!」 隣の国、日本があんな被害に見舞われたのだから、その日本に元気と希望を伝えようということである。
ここで筆者は、今日本の災害を見て、日本の被害を助けようという側もそれに反対している側もみんな、日本ではなく吉ハルモニが関心をよせている「ひと」を中心において考えてみようと言いたい。
軍国主義の日本、戦争犯罪国の日本、経済大国の日本ではなく、今まさに被害に見舞われている「人々」のことを考えてみよう。この人々の中には在日朝鮮人も、在日韓国人もいて、外国人労働者がいて、また日ごろ私たちと一緒に一所懸命平和と人権のために力を合わせて活動してきた市民活動家の方々がいる。またその「人々」の中には、植民地時代に日本に自分で渡ってきたか連れて来られ、故郷に帰ることができずに日本に生活の基盤をおいて生きている日本軍「慰安婦」の被害者もおり、徴用や徴兵被害者の方々もいる。そしてそのどちらでもないけど家族の幸せのために、普通に仕事をこなし、普通に暮らしている日本の人々がいる。
その人々の中で恐ろしい数が今まで犠牲になり、生きていても「死んだも同じ」というべき暮らしに直面しているのである。
ハルモニたちはしばしば、「本当にもう、日本なんて水に沈んじゃえばいいのに」「地震でも起きちゃえ」みたいなことを口にしていた。これまで日本の右翼が妄言を口にしたときや、歴史の歪曲が伝われるたび、被害者たちとしては他にその怒りを発する道がほかになかったのだ。このような発言は、ハルモニたちが怒りを表す方法だったのである。
19年間、毎週の水曜日に水曜デモを行ってきたが、日本大使館の門はいつも固く閉じられていた。何十回も日本政府に宛てた手紙や要請書を送ってきたが、ただの一回も答えを返してこなかった日本政府を見て、沸いてくる絶望感の表現でもあったのだ。
そんなハルモニたちの口から、心から、今「水曜デモを追悼デモにしよう」とか「犠牲者たちのために私たちも募金をしよう」という提案が出ている。恐らく誰よりも、今日本で被害を受けている日本の方々や在日同胞・外国人を含めた「ひと」が面している痛みの深さと大きさを、被害者たちはよく知っているからだろう。
それでは、これから日本に向けた正しい過去の歴史清算のための活動はどうやっていけばいいのだろうか。「早急な復旧!早急な謝罪!」 これが、同じく第961回水曜デモのことを報道したある日刊紙に載せられた吉ハルモニのインタビュー内容である。
特に今年は日本の中学教科書の採択が行われる年である。今教科書の検定を実施している文部科学省が3月末に検定の結果を公表し、8月のうちに全国約 500ヶ所の地区において来年度から使われる教科書を決めることになる。既に予想されている通り、これらの教科書の中には侵略戦争や不法的な植民地の歴史を正当化し美化する内容や、独島(日本名では竹島)の領有権を主張する内容が含まれている。日本軍「慰安婦」制度に関する記述は既に大分以前から削除されている。
歴史に関する誤った教育と記憶は、またしも過去の過ちを繰り返さざるをえない現在と未来を改めて生み出すことだろう。そうなるとまた人の命が犠牲になり、人権が無残に踏みにじられる歴史が繰り返される。つまり、日本政府の歴史に対する責任、犯罪に対する法的責任は、どんな出来事でもお蔵入りされたり、後回しにされたり、棚上げにされてはならないものである。
日本の大震災による被害を早急に復旧できるようにサポートすると同時に、日本が過去の戦争犯罪について明確に責任をとることができるよう積極的な活動は一刻も立ち止まってはならない。
一日でも早く日本が大震災という惨事から回復し、震災による犠牲者たちへ「ひと」を中心においた温情を傾けた被害者たちの広く大きな心を日本政府が少しでも見習って、過去の歴史の責務を早急に清算することができることを願う。