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2017/05/03

ロシア軍・ドイツ軍の慰安婦 (第一次大戦)

ロシア軍(第一次大戦)
ドイツ式「慰安所」の導入を計画

慰安婦問題の”プロフェッショナル”達が「第2次世界大戦下では旧日本軍とナチス・ドイツだけです」などとわざわざ限定条件をつけるのは、第二次大戦以降もフランス軍や韓国軍に「慰安所」が存在していたという事実が、彼らにとって都合が悪いからなのだろう。そのドイツにしても、第二次大戦で初めて「慰安所」や「慰安婦」が登場したわけではなく、これらは第一次大戦から存在していたのである。ただこれについても、ナチス期以外のドイツと比較されるのは都合が悪いのか、プロ達は触れようとしない。

そしてロシア軍も、ドイツのシステムに注目し「慰安所」の導入に着手していた。もしも成功していたら、1945年のベルリンの悲劇は防げたのかもしれない。「“世界のどこにでもある話”とすることで旧日本軍の犯罪行為を免罪しようとする卑劣な発言です」と、赤旗は慰安婦問題の普遍化を牽制するのであるが・・・。

軍隊(陸軍)のセックスと軍用売春宿が大戦争の勝利に貢献
Army sex and military brothels contributed to victories in major wars

第一次大戦中、ロシア陸軍に売春宿を設ける試みは三つあった。皇帝派も臨時政府もいくつかの理由で陸軍の為に野戦売春宿を設ける事を計画した。ボルシェビキも、1917年の4月に同様の計画を進めていた。ロシア陸軍の売春宿は、1915年から陸軍兵士たちにサービスを提供していたドイツ軍の野戦売春宿をお手本とするはずだった

1916年夏のブルシーロフ攻勢の後、ロシア陸軍はドイツの野戦売春宿をいくつか確保した。ロシアの新聞は、コサック兵たちが娼婦たちをとても大事に扱っていたと報じた。新聞によると、女性たちはロシア軍が更に西方に移動する間、かなり長い期間コサック兵たちと一緒にいた。当時ブルシーロフ将軍の部隊はよくやっていたので、司令部は兵士たちが酒色に耽ることについて大抵見て見ぬ振りをした。戦争はやがて長期の塹壕戦に突入した。その結果、ロシア陸軍の前線部隊の近くに売春宿が建つようになった


ロシア臨時政府は、軍用売春宿の合法化を計画した。1917年の3月、「勝利まで戦う」の熱心な賛同者だった当時の外務大臣パーヴェル・ミリュコーフが、敵の経験を利用してロシア陸軍に野戦売春宿を設ける事を提案した。ミリュコーフは、辞職を申し出るほんの数日前にこの提案を思いついた。ミリュコーフによれば、野戦売春宿は兵士たちの士気を高めるはずだった。そして、兵士たちの臨時政府に対する敵対的な態度を変える為に計画されたものでもあった。

ミリュコーフの提案は公的な支持を得ることは出来ず、臨時政府は次の機会にと先送りした。しかしペトログラード・ソビエト実行委員会(?)の委員たちは、明かにこの提案に注目していた。1917年の4月、ペトログラード・ソビエトは、ロシア陸軍に野戦売春宿を設けるべく指令第三号を発令した。ペトログラード・ソビエトは、頻発する軍人による地域住民に対する乱暴な犯罪を減らす助けになると期待した。またしても(?)計画はドイツの経験を活用するものであった。しかし、結局計画は実行されなかった。ロシアで内戦が始まり、世界革命がそれに続いた。世界革命の勃発によっても、ドイツの軍用売春宿は1945年まで将兵に対するサービスの提供は止めなかった。

ドイツ軍当局は、武器や糧食の配給について規則に厳格なまでに固守する事で知られていた。兵士の性生活に関するドイツ軍当局からの命令も同様に四角四面だった。陸軍当局は、兵士たちの士気を維持する為には、常識の範囲で売春婦との接触を認めねばならないという事を明白に認識していた。その為に、ドイツ軍の占領地に将兵の為の軍用売春宿を確実に設置するべく手段が講じられた。5人から20人の「戦場の花」で構成された野戦売春宿が陸軍に従った。軍用売春婦の生活は気楽なものとはとても言えなかった。規則によれば、娼婦は、月に最大600人の兵士の相手をしなければならなかった。さもなければ、給料や報酬を取り上げられた。

妓楼には三種類あった。最上級は将校や士官用、その下の下士官用、三番目は一般兵士用。規則によれば、兵士100人に一人、下士官75人に一人と将校・士官50人に一人の娼婦が配給されることになっていた。しかしながら、軍当局はすぐに、肉欲に駆られた軍人たちの要求に応じられるだけの愛国心に満ちたドイツ人娼婦を売春宿に供給するのはますます難しくなる事に気づいた。しかも、仕事の過酷さから娼婦は長く耐えられなかった。

結果として、軍当局はドイツ軍占領地の女性を雇わざるを得なくなった。占領地の慢性的な悲惨な状況に、ほとんどの女性は自発的に仕事についた。彼女たちが敵に体を売る最大の動機は金と配給品だった。ドイツの将校は最初、占領地の女性といかなるものであれ、親密な関係を持つことを厳しく禁じられていた。ほどなく士官たちは、軍の売春宿のドイツの夜の女に飽きがくるようになった。必然的に、高級将校たちは、ドイツ軍士官と地元女性の無数の交流について目を瞑るほかなかった。将校の中には子供を設けた者さえいた。

ドイツ軍司令部は、もともとは、軍の中の性病の広がりを抑えるために軍用売春宿を設けた。予防手段を徹底するには、陸軍の衛生担当者の管理下にある軍施設が最善と思われた。ドイツ軍には、占領地の娼婦から移される性病の蔓延を抑える為に手段を講じる相応の理由があった。例えば、性病に罹患したドイツの兵士は、ハンガリーでだけでも、一か月の全ドイツ軍の戦闘における死傷者より多かった。軍の娼婦を利用したいと思う兵士は、毎回厳しい衛生基準に従わねばならなかった。

一次大戦中に慰安所を導入した独軍
慰安所は1945年(二次大戦)まで存在した

規則は軍当局からおもいっきりドイツ風の厳めしさで下達された。概して、軍の売春宿の利用は、兵士たちにとって酒色に耽るどころではなかった。入場カードを手にする前に、兵士たちは全員必須の健康診断を受けねばならなかった。通常の情報、例えば割り当て時間と売春宿の番号を記入する以外に、カードには終了後に売春婦のサインと登録番号を書くスペースがあった。兵士は衛生官よりコンドーム3つと消毒パウダーの缶を支給され、シャワー室に案内される。兵士は性交の前に、最初に自分の性器、次に売春婦の性器に消毒薬をふりかけるよう言われる。出る時に、兵士は自分のカードと消毒薬の空き缶を担当の曹長に見せねばならなかった。それどころか、兵士たちは、売春宿で性交渉を避ける事を許されなかった。セックスしなかったり、売春宿へ行くことを拒否するのも懲罰ものとみなされかねなかった。一般兵士は月に6回売春宿に行く権利が与えられていた。

1915年、ドイツ軍は、東部戦線の複数の防御区域に宣伝ビラを撒くのに飛行機を使った。ビラには、スラブ系の少女たちが派手な服を来た若い男たちを抱きしめていた。「イワン。君の恋人は、君が戦争をしている間に他の男とお楽しみだぞ!」とキャプションがついていた。

イギリス軍は、第二次大戦中のドイツの売春宿システムに付け込んだ。多くのドイツ兵が、イギリスのスパイが持ち込んだ汚染されたコンドームによって軍の売春宿で病気をもらい、病院で疥癬の治療を受けた。

戦後日本で慰安婦の提供を受けた米軍
ソ連でもサービスを受けていた?(ムルマンスク港)

未確認の情報によると、第二次大戦中、ソ連軍の諜報機関がムルマンスク港に西側の水兵用に売春宿を造った。ムルマンスクは、戦時中赤軍に武器や糧食を運ぶ米英の護送船団に大いに利用されていた。国営の売春宿は、諜報機関の士官により選抜された若く魅力的な女性で一杯だった。1945年に戦争が終わって直ぐに、当局はもっとも恐ろしい方法で女性たちを処分した。噂によれば、300人の女性ははしけに乗船することを命じられ、はしけは海に引き出され沈められたと言う。

プラウダ 2007.2.4  [原文]


2016/07/01

韓国による蒸し返しは、漁業協定破棄通告に対する報復か(辺真一)


慰安婦問題を韓国政府は外交問題化させるつもりはなかった。ところが、98年に日本政府から日韓漁業協定の破棄を通告されると、これに対する外交上の駆け引きとして慰安婦問題の蒸し返しが決定された、この時同時に始まったのが韓国政府による日本の国連常任理事国入り反対キャンペーンではないか、と辺真一は分析している。日本の良識派が言うように、日本側の妄言が問題を蒸し返したといったものではなく、もっと現実的な理由から慰安婦問題は蒸し返されたようだ。韓国側によって。

今流行りの人権問題という建前でのまぜっ返しも、とうの昔に韓国政府が試みていた。キム・デジュン大統領が慰安婦問題を人権問題と強調した事を利用して、「人権問題の次元から日本の責任と直接的な賠償を促」せるのではないかと、韓国政府は考えた。皮肉なことに、田原総一朗によれば当のキム・デジュンはこの問題を決着させた積りだったようなのだが・・・。

そういえば、今年こんなニュースもあった。昨年の日韓合意を踏まえてだろう、韓国大使館からアメリカの連邦議員たちに、慰安婦関連の動きを停止してくれるよう要請が行われた。梯子を外された族議員は、「これまで強調してきた普遍的人権の話はどうなるのか」と困惑を隠しきれなかった。

慰安婦問題は対日対抗措置の一つだった!?

(略)日本政府が1998年1月23日に日韓漁業協定の破棄を通告した際に韓国政府は報復措置として▲漁業自主規制協定の破棄▲日本政府が外国漁船の入漁を阻止している北方領土周辺での操業▲日本の水産資源保護に決定的な打撃を与える漁獲方法を取る構えをみせていた。実際に日本が日韓漁業協定の破棄を通告した翌日から操業自主規制区域であった北海道沖、襟裳岬沖で韓国漁船(8隻)の操業を許可していた。

また、外交的報復措置も検討され、韓国国会では日本の国連安保理事国加盟に反対し、従軍慰安婦問題の解決を国家として日本政府に要求することなどが議論されていた

日本の国連安保理常任理事国への加盟問題について韓国政府はそれまでは沈黙を守っていた。また、従軍慰安婦問題については国家レベルでは補償を求めないとの立場を取っていた。しかし、日本政府が日韓漁業協定の破棄を通告するや日本の国連安保理事国加盟に反対の立場を明らかにするだけでなく、阻止運動を展開し、かつ慰安婦問題でも日本政府が法的に責任を負うべきとする政府見解の表明も検討していた。

当時から日本は慰安婦問題では1965年に締結された日韓条約により国家レベルでは解決しているとの立場を取っていたが、柳宗夏外相(当時)は破棄通告から3日後の1月26日、国会統一外務委員会で「1965年の韓日請求権締結協定当時は従軍慰安婦問題の不法性が論議されなかった」と述べ、「日本政府が今になって慰安婦問題で賠償責任がないと主張するのは道理に合わない」と日本政府を批判していた。

実際にこの年、韓国通商外交部は「金大中大統領が最近、日本人との会談で慰安婦問題は過去を清算する問題ではなく、人権問題であることを強調しているので、政府は人権問題の次元から日本の責任と直接的な賠償を促す方案を検討している」としてスイスのジュネーブで開かれた第54次国連人権委員会で従軍慰安婦に対する徹底した真相究明と被害者に対する日本政府の直接補償を促すよう動いていた。

当時、日韓漁業協定が破棄されれば、1,600隻の韓国の漁船が日本の排他的経済水域から締め出され、その損失額は3千億ウォン(約300億円)を超すとされていた。(以下略)

辺真一 YAHOO!ニュース(全文) 2016.6.30

2014/05/27

慰安婦問題に火をつけた日本人、本岡・高橋・戸塚(産経)

本岡に見出された戸塚だったが、後に本岡とも対立

慰安婦騒動は日本人が焚きつけたものであるが、この中には、言うなれば故意の人(犯)と過失の人(犯)がいた。戸塚悦朗は前者、本岡昭次は後者だろう。

1990年の本岡の国会での質問が慰安婦問題のきっかけである(この時社会党の議員であった本岡は、強制連行<徴用>された韓国人の中に慰安婦はいなかったのかと質問した)。その本岡が、国際問題化した現在の状況を憂えているというのは意外だった。曰く「納得がいかない。・・・問題の解決に役立つとは思わない」。しかし、戸塚悦朗に慰安婦問題を国連に持ち込ませたのも本岡であったらしい。その戸塚が国連に慰安婦=性奴隷言説を定着させた。そのことで本岡は戸塚と言い争ったというが・・・。

「私も火付け役」
胸を張る?高橋

慰安婦騒動の母ユン・ジョンオク千田夏光の本を売り込んだ矯風会高橋喜久江は、自分も火付け役だと胸を張っているらしい。そう産経は伝えている。

【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(5)後半】
火付け、たきつけた日本人たち

平成4年8月にソウルで開かれた「挺身隊問題アジア連帯会議」で、日本だけをたたく韓国とは違う視点を示した台湾やタイの女性に対し、「余計なことを言うな!」と怒鳴った相手が誰かを、ジャーナリストの舘雅子は記憶している。

声の主は、日本キリスト教婦人矯風会メンバーで「売買春問題ととりくむ会」事務局長を務める高橋喜久江。明治19年に発足した矯風会の初期の主な活動の一つに公娼制度の廃止運動(廃娼運動)がある。

高橋によると、矯風会が慰安婦問題に関わるようになったのは昭和63年のことだ。高橋が、のちに韓国の挺身隊問題対策協議会(挺対協)共同代表になる梨花女子大教授の尹(ユン)貞(ジョン)玉(オク)に出会ったことがきっかけだった。

この年の春、高橋は韓国・済州島で尹の講演を聞き、「講演で挙げた資料に(日本の作家の)千田夏光の本がないのはなぜか」と尹に話しかけた。帰国後、「従軍慰安婦」という造語を広めた千田の著書を尹に送り、連携を強めていった。高橋は日本国内での慰安婦問題の拡大、過熱について「挺対協がのろしをあげてくれた」と評価した上で、こう自負する。

「私も火付け役をした」

高橋は平成2年6月6日の参院予算委員会での議事録を尹に送った。それは、社会党参院議員の本岡昭次の質問に、労働省職業安定局長が「(慰安婦の)実態について調査して結果を出すことはできかねる」と答えた部分だった。

この答弁について、現在、挺対協常任代表を務める尹(ユン)美(ミ)香(ヒャン)は今月20日、日本人記者団にこう評価した。

「韓国世論が(慰安婦問題に)関心もなく、被害者自体も(名乗り)出ていなかった中で、世論(の共感)が盛り上がる大きなきっかけは、本岡の国会質問に対する日本政府の答弁だった

日教組傘下の兵庫県教組委員長出身の本岡は、元年から兵庫県における「朝鮮人強制連行」の実態調査を開始した。その過程で慰安婦問題にも着目し、3年12月に神戸市内で韓国人元慰安婦の金学順と面会した。その時のことを、本岡はこう振り返る。

「『国会議員でしょ。本来ならあなた方が解決しなきゃいかんことじゃないですか』とやられた。『そこまで言われたら、国会議員としてやれるだけのことはやってみせます』とたんかをきったんですよ」

本岡は以後、慰安婦問題に本格的に取り組む。13年8月に参院副議長に就任するまでの間、慰安婦と日本政府の法的責任をめぐる国会質問は20回以上にのぼった。

「日本で問題にならないなら、ジュネーブの国連委員会に議論を持ち込もう

こう考えた本岡が白羽の矢を立てたのが、英語に堪能で、国連に人脈を持つ弁護士、戸塚悦朗だった

戸塚は4年2月、ジュネーブの国連人権委員会に対し、慰安婦問題を取り上げるよう求め、初めて慰安婦は「性の奴隷」だと主張した。「龍谷法学第45巻第2号」の中で、戸塚は「この問題を国連に報告すべき時期が到来したと判断した」と説明している。

別の雑誌では「性奴隷」という言葉を用いた理由について、こう記している。

「『従軍慰安婦』問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これを法的にどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、日本帝国軍の『性奴隷』(sex slaves)と規定した。直感的な評価だった」

戸塚は、7年までに少なくとも15回以上欧米などに渡航し、国連などで活発なロビー活動を展開した。その結果、8(1996)年2月、国連人権委は、慰安婦を性奴隷と認定した「クマラスワミ報告」を採択するに至る。それが2007年7月の米下院慰安婦決議などにもつながった。

戸塚を運動に巻き込んだ本岡だが、慰安婦を性奴隷と規定することには違和感を抱き、「戸塚と言い争った」と語る。

本岡は「国の責任で法律をつくって『慰安婦』問題を解決すべきだ」との立場だ。とはいえ、「20万人強制連行説」や「性奴隷説」が慰安婦像や碑文とともに世界で流布されている現状に対しては不満がある。

「納得がいかない。そういうことが独り歩きするのは嫌だし、問題の解決に役立つとは思わない

産経新聞は戸塚に複数回にわたって取材を申し込んだが、「(私の)論文を読んでいただきたい」として応じなかった

産経 2014.5.25

追記: この産経の記事には一部事実と異なるという指摘もある。

2014/05/24

冷めた心で慰安婦問題の渦中にいた朝日記者

前川惠司 asahi.comより

産経新聞が慰安婦問題ビッグパン(秦郁彦)当時、騒動の中でも比較的冷静だった朝日新聞の前川惠司元記者を取材。女子挺身隊として(強制)連行された韓国人慰安婦が名乗り出たと報じた同僚の植村隆記者の記事を見て前川は、「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」と振り返る。現在慰安婦像を建てて回っている人々に対しても批判的だという。

当時騒動の中心だった朝日新聞の中にも疑問を感じている人はいた。しかも、この人は現場で取材もしている。前川だけではない。取材班を率いた人の中にも後悔を口にしている人がいる。にも関わらず、朝日新聞の方向性が変わることはなかった。

なお、記事を読むにあたって注意したいのは、名乗り出た女性がお金をもらえると喜んでいたとか、支援団体が無理やりデモに駆り出したというのは昔の話であって、現在では挺対協とハルモニの力関係は逆転しており、挺対協はハルモニが嫌がる「性奴隷」という言葉を使わない。ただし、お婆さんたちの目の届かない所(英語)では別。

【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(3)前半】元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」

慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として前川惠司(現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・済州島で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた吉田清治とも会った。

「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」

本紙の取材にこう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身(ていしん)隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞平成3年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆(今年3月退社、大学講師)の署名記事についても首をひねる。

「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った

挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。

前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。

エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。

93年11月、当時の首相、細川護煕と韓国大統領、金泳三による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。

厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白(そうはく)だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。

これが人権団体のやることか

前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。

別の集会では、元慰安婦らは「『今度、国連に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉(うれ)しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。

前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。

「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」

取材に対し、こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。

「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、李朝時代を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶(おとし)められて、侮辱を感じないのだろうか」

前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。

「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」

産経 2014.5.23

2014/04/06

なぜロスやパリで日本軍性奴隷の話が流布するのか(鄭大均)


20万人の女性をアジア全域から拉致し性奴隷とした・・・なぜこんな話が国際常識になってしまうのか。反日外国人が悪い!で片付けてしまう向きが多いが、それではいけないと思う。もう少し深い分析必要で、それに基づいて対策を立てないといけない。

鄭大均は、「植民地主義ジェンダーの組みあわせからなる物語には(欧米の?)人びとの心のなかに過去をよみがえらせる力があるからであり、現実の日韓関係から遠ざけられている欧米人には、それを偏見想像力で補う・・・」と指摘する。彼はこれを「現代の迷信」だと言う。

シリカ太郎さんに教えて頂いた記事。

慰安婦への無知と想像力 「名」と「実」の間の欺瞞 首都大学東京特任教授・鄭大均

 日韓のメディアや学界は、相変わらず中国や北朝鮮の巨大な人権・人道犯罪よりも日本の過去史にご執心のようである。似通った傾向は米国にもある。公の関心は共産主義世界に起きた巨大な残虐行為よりもナチズムやホロコーストの犯罪史に向けられるもので共産主義世界に批判的なものはやや恥ずべき存在とされる空気もある。

その恥ずべき存在にやがて自分もなるのだとは知らなかったが、1981年、韓国の大学で教えるようになって違和感を覚えたのは、メディアや学界の安易な反日の態度である。もう忘れられていると思うが、歴史認識の問題で韓国が日本叩(たた)きの道具としてまず利用したのは在日コリアンの被害者性の問題であり、私はそのことに強い違和感を覚え、いつかそれを批判する本を書かねばと思った。

やがて90年代半ばに私は職場を日本に移し、それから10年ほどを経て出したのが『在日・強制連行の神話』という本である。この本は荀子の『正名篇』にある「邪説・僻言(へきげん)には3つの型がある…名前を偽って正しい名前を混乱させるもの…事実を偽って正しい名前を混乱させるもの…名前を偽って事実を混乱させるもの」の言葉に啓示を受けて、“強制連行”の「名」と「実」の間の欺瞞(ぎまん)を指摘したものであり、在日被害者論のバイブルである『朝鮮人強制連行の記録』を批判した本でもある。

それからさらに10年が過ぎ、私は定年を迎えたが、過去史への隣国からの攻撃はさらに激化し、国際社会への発信も強化されている。今、日本叩きの最大のテーマとなっているのは慰安婦の問題であり、「日本軍は韓国女性20万人を性奴隷として強制連行し、その多くを虐殺した」などという物語が世界を駆けめぐり、ロスでもパリでもそれを訳知り顔に語るものがいる。ここにも「名」と「実」の間の欺瞞があるのは周知のとおりである。

日本の尊厳を傷つけるこうした新しい動きに日本人が怒るのは当然だが、一方では、なぜそのような物語が東京やソウルのみならず、パリやロスでも流布するのかを考えてみる必要があるだろう。答えは明瞭である。植民地主義とジェンダー(社会的性差)の組みあわせからなる物語には人びとの心のなかに過去をよみがえらせる力があるからであり、現実の日韓関係から遠ざけられている欧米人には、それを偏見や想像力で補う自由があるということである。これはいわば現代の迷信というべきものであり、したがってその捏造(ねつぞう)性を指摘したからといって消えてなくなるものでもないだろう。

 というと、反日を批判したって仕方がないということになるが、だからこそやりがいがあるともいえる。私自身はというと、韓国の反日には早くから関心を寄せていたというのに、いまだにきちんとした作品が書けないでいることを情けなく思う。どうも韓国人の反日には現実と想像の世界の不思議な融合があって、気がついてみると、自分自身が思い込みの虜(とりこ)になっていることを発見する。

 「もういいかげん、日韓関係なんかよしたらどうなの」と妻からいわれる。とはいえ、このまま反日批判から手を引いてしまったら、人生に悔いが残るのは目に見えている。『慰安婦・性奴隷の神話』という本はぜひ誰かに書いてほしいが、自分にもやれることが少しはあるに違いない。

産経

2014/01/28

日本軍慰安婦の特徴は公的動員 (朝鮮日報)


ハッキリ書いてないが、「部隊の小規模売春」とは、ひょっとして韓国軍の慰安所の事を言っているのか?口が裂けても、毛布部隊(韓国軍慰安婦)の名は言いたくないか?

公的動員、強制、残酷性、大規模が旧日本軍従軍慰安婦の性格を規定する際の核心」だと朝鮮日報は言う。そう、日本以外の国にも形式は様々だが「慰安婦」が存在した。・・・にも関わらず、日本だけが特別と思われているのは、慰安婦の「公的動員」が行われたと信じられているからである。公的動員、すなわち強制連行(徴用)の事である。

しかし、その慰安婦の強制連行は事実では無かったのである。

慰安婦:「強制・残虐・大規模」無視した籾井発言の無知

 2007年に通過した米下院の決議案は「旧日本軍従軍慰安婦」を「旧日本軍に性的サービスをひたすら提供することを目的として若い女性を公的に動員した。日本政府による強制軍隊売春制度『慰安婦』はその残酷性と規模で前例がないもの…20世紀最大規模の人身売買の一つ」と規定している。「公的動員」「強制」「残酷性」「大規模」が旧日本軍従軍慰安婦の性格を規定する際の核心だ。

 これを部隊の小規模売春と同一視した籾井勝人NHK新会長の発言は「自分は豆粒ほどの知識も知らない無知な人間」と言っているのと同じだ。

東京= 安俊勇(アン・ジュンヨン)特派員

2013/12/21

尹貞玉を訪ねて【日本の人格が問われてる】朝日新聞

ピロティホール 「若い母親が慰安婦として連行された」そう信じた日本人も多かった

挺対協の初代(共同)代表ユン・ジョンオク(尹貞玉)が90年代、すなわち慰安婦騒動が持ち上がった頃、日本人の聴衆に何を語っていたか。(再掲)

乳の張った若い母親が慰安婦として連行されたという話は、吉田清治の影響と思われる。現在では若い母親の話は出てこず、むしろ日本は12(14)歳からの少女が連行したという風に、「被害者」の幼さがアピールされることが多いようだ。

「私は無知でした」と「加害者」として打ちひしがれる日本人女性。ユン・ジョンオクは、挺身隊として動員された少女の一部が慰安婦に回されたと語っていたから、彼女の苦悩もひとしおだったろう。この時期、慰安婦 問題は、「朝鮮人」女性の問題として認識されていたらしいことも記事の中から透けて見える。

このインタビューは91年頃のもの。取材は朝日新聞の井上裕雅記者。女たちの太平洋戦争は、新聞紙上の連載をまとめたもの。

何万人もの若い朝鮮人女性が日本の手で従軍慰安婦として強制連行され、悲惨な最期を遂げました。今生きている人も心身ともに破壊されています。日本は責任をとろうとはしません。経済大国になったといわれますが、本当の”大国”とはいえないのではないでしょうか」。

韓国・梨 花女子大の前教授で、韓国挺身隊問題対策協議会共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク 65)はこう言って私の顔をじっと見た。日本各地で慰安婦たちの足跡を調べるために1991年8月末に来日した尹さんに、強行日程の中、短い時間だったが、インタビューに応じてもらった。

日本政府は信用できない

日本の植民地下で少女時代を送ったため、尹さんの日本語は流暢だ。

「アジアの平和をいうなら、日本は歴史を整理する必要があります。加害者としての日本、つまり侵略した責任を処理しなくては」

「相手が小さいと無視しようとする。その日本の”人格”が今問われています」

「・・・日本政府は信用できない。でも、日本政府と日本国民は違います。『アジアの平和と女性の役割』についてのシンポジウムが1991年5月末から6月初めにかけて東京と神戸で開かれましたが、そのとき日本の女性たちは真剣に取り組んでいました」

・・・日本を追及する言葉の内容とは逆に、疲れを柔らかい笑顔に包んでいた。その表情が心に残った。

尹さんは、私との会見の中で、従軍慰安婦 問題について責任を認めようとしない日本政府と、日本人は別だ、といった。が、「考える集い」では、在日女性の間から「日本の民衆も謝罪を」「日本の女性は加害者の立場にいたのだ」という意見が出た。・・・



8月24日の夜、大阪・森ノ宮ピロティ小ホールで開かれた「『朝鮮人従軍慰安婦 問題』を考える集い」には在日韓国・朝鮮人の女性をはじめ、男性、日本人らが参加した。その数300人で、会場に入りきれないぐらい。従軍慰安婦問題に対する関心の高まりがみえた。

尹貞玉さんの講演をはさんで十余人の参加者が同問題などについて自分の考えを発表、最後に「8・24アピール」を採択した。

大きな拍手に迎えられて登壇した尹さんはよくとおる声で話し始めた。日本語だ。メモをとる参加者が多い。

「慰安婦たちは『モ ノ』扱いだった。天皇の『下賜品』でした。『突撃一番』というコンドームをつけない軍人もいた。梅毒にかかり精神が錯乱した女性もいた。目が見えなくなっても軍人の相手をさせられた人もあったのです」

尹さんの講演に先立って語った日本人女性は声をしぼり出すようにして語った。

「世の中で一番いとしいものは自分の乳を飲んでいる赤ん坊ではないでしょうか。その若いお母さんたちが、何時に広場に集まれといわれ、赤ん坊を寝かせて集まると車に乗せられ、従軍慰安婦として連行されました。張る乳をおさえながらどんなに日本人を恨んだことでしょう。私は1944年、ソウルの朝鮮人の子供たちの学校に勤めていました。命令で子どもたちも軍需工場へ、ということで毎晩のように家庭訪問しました。私は無知でした。親御さんにとって私は鬼のように思えたことでしょう」

「日本の女性は従軍慰安婦のことをほとんど知らない。慰安婦のことがちゃんとされないと私は安心して死ねません」

加害者側にいた自分をさらけ出した話だった。

2013/12/11

1990年、ついに韓国で火が着いた慰安婦問題 (秦郁彦)

千田の錯覚・金の偏見・吉田の詐話をユンが韓国に持ち込んだのが
日韓の悲劇の始まり

秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」より、第二段(もちろん本を丸ごと転載するような事はしない)。

千田夏光が思い込みから朝鮮半島で慰安婦の強制連行(戦時徴用)が行われた風の事を著書に書いてしまったのは、1978年。金一勉が民族抹殺の一環として日本により朝鮮人女性が慰安所に送り込まれたと書いたのも70年代。吉田清治も「朝鮮人慰安婦と日本人」を77年に出版していた。

しかし、これらの本が出版されても社会からは相手にされなかった。胞子は日本の大地では芽吹かなかったのである。日本人や在日朝鮮人が70年代に撒いた危険な因子が発芽するのは、「フェミニズム X (反日)ナショナリズム」という絶好の培地を持った韓国に持ち込まれたのが切っ掛けであった。1990年、いよいよ慰安婦騒動に火が着く。

その1: 1992年慰安婦問題のビッグバン(秦郁彦)

2 前史--千田夏光から尹貞玉まで

すでに触れたように、戦場帰りの兵士たちが溢れていた敗戦直後から、慰安婦たちは戦記、小説、映画、演劇作品のなかに、なじみ深い脇役ないし点景としてしばしば登場していた。

主として月刊誌や週刊誌に書き散らされた一九五〇―六〇年代の文献は「大宅文庫」の目録などで知れるが、「身の毛もよだつ娘子軍の話」「軍需品の女」「売春婦となった従軍看護婦たち」のようなタイトルが示すように、読者の好奇心に訴えるキワ物風のスタイルが多かった。文学作品では田村泰次郎の『春婦伝』(一九四八)や、七年も中国で戦った伊藤桂一による一連の戦場小説が、兵士と慰安婦の交情を暖かいまなざしで描き出しているが、七〇年代以降に生れた問題意識とは無縁だった。

フェミニスト的視点もほとんど見られず、『サンダカン八番娼館』(一九七二)の著者山崎朋子は「戦場慰安婦は、相手こそ外国人でなくて同国人であったけれど、新たなくからゆきさん〉であった」し、米兵相手のパンパン・ガールも「まさしく現代のくからゆきさん〉にほかぬ」と書いていた。いつの世も変らぬ女性哀史の一コマという視点である。

慰安婦と慰安所について、初めてまとまったレポートを書いたのは千田夏光と言ってよい。今では古典的作品となった・『従軍慰安婦』正続)は、一九七八年に三一書房から刊行されたが、著者の序文によると、初版は『従軍慰安婦--”声なき女”八万人の告発』の書名で七三年に双葉社が発売している。

三一新書版に変ってから五十万部以上が売れたというが、「書評は『赤旗』の読書欄くらいにしか載らなかった。社会的にも話題になることはなかった・・・女性からの反応は皆無に近かった」という。

千田は戦場体験こそないが、元新聞記者らしい取材力と筆致で、何人かの元慰安婦、業者、相当数の兵士、軍医などに取材してまわり、全体像に迫ろうと試みた。そして、狙いはそれなりに成功し、良くも悪くもその後のイメージ形成に大きな影響を与えることになる。

問題は、韓国での取材が日本と勝手がちがったせいか、女子挺身隊と慰安婦を混同したり、朝鮮総督府や現地部隊による慰安婦の「半強制・強制狩り出し」が横行したかのような書き方をした点にあった。本が出た時にはとくに注目されたわけではないが、のちに八〇年代から九〇年代にかけて、慰安婦問題に取り組んだ関係者の多くが、千田の著作を読むところからスタートしただけに、抜きがたい先入観を植えつけたと評せよう。

千田夏光を日本側の先駆者とすれば、韓国側で似た役割を果したのは、挺身隊問題対策協議会(略称は挺対協)を設立した尹貞玉(ユン・ジョンオク)女史であろう。

一九二五年牧師の娘として平壌(ピョンヤン)に生まれた尹は、慰安婦問題と取り組むようになった動機を二九四三年十二月、私か梨花女子専門学校一年生のとき、日帝が朝鮮半島の各地で未婚の女性たちを挺身隊に引っ張ってゆくという恐ろしいことが頻繁に起こるようになった。多くの学生たちは挺身隊を免れるために結婚を急ぎ、続々と退学・・・私は両親のすすめに従って退学し挺身隊を免れたが私と同じ年頃の若い女性たちは日帝によって連行されていた」という彼女の戦中体験から説明している。

ミッション系の梨花女子専門学校(戦後に女子大へ昇格)は、朝鮮半島の上流子女が集まった名門校である。

戦時中の朝鮮半島で内地と同様に未婚の女性が女子挺身隊に動員され、工場などで働らかされたのは事実である。

戦後に母校の英文科教授(一九九〇年定年退職)となった尹貞玉は、一九八〇年頃から北海道、沖縄、タイ、パプアニューギニアなどをまわって慰安婦たちの足跡をたどり、その過程で日韓双方の研究者や運動家たちとの人脈を広げていく

その成果は、九〇年一月の『ハンギョレ新聞』に「挺身隊取材記」(連載)として発表された(ブログ主注:この本の中で一部読めたはず)。しかし本人が直接に取材した元慰安婦は、すでに川田文子『赤瓦の家』(一九八七)に登場していた沖縄在住の裴奉奇(ぺ・ポンギ)と、タイに定住し里帰りしたことのある女性の二人だけ、吉田清治や千田夏光の紹介した現場をまわっだルポ記事が主で、慰安婦問題の全貌へ迫るには、ほど遠いものだった

朝鮮半島では実証的に近現代史を調べ、記録する伝統が乏しい。高崎宗司によれば、挺身隊や慰安婦への関心は一九七〇年代から高まってはいたが、情報はほとんどが千田、吉田清治、金一勉朴慶植など日本(と在日朝鮮人)からの輸入に依存し、官庁記録や元慰安婦の周辺など第一次情報に当ろうとする風潮は乏しかったという。

なかでも八九年に韓国語訳が出た吉田の『私の戦争犯罪』は、アフリカの奴隷狩りさながらに済州島で慰安婦狩りをやった体験の告白記(それがフィクションにすぎなかったことは第七章を参照)、金一勉(在日韓国人)の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(一九七六)は、慰安婦連行が日帝による「朝鮮民族抹殺構想」から来ている、と断じた反日色の強い作品である。

それ以前は、一九三〇-四〇年代の生活感覚を知る世代が健在だったせいか、韓国マスコミの平均的認識はむしろ日本側より穏健だった。たとえば『東亜日報』編集局長だった宋建鎬は一九八四年に刊行した著書で、金大商などの所論に依拠しつつ次のように書いている。
日本当局は一九三七年末の南京攻略後、徐州忤戦が開始される頃に、朝鮮内の御用女衒たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮女性を多数中国大陸へ連れて行き、「慰安所」「簡易慰安所」「陸軍娯楽所」などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした……日本軍に出入りする御用女衒たちが朝鮮に来て、駐在所や面長を先頭に「らくちんで金もうけできる仕事場かおる」とだまして連れ去ったのである。
つまり朝鮮人の女衒による就職詐欺まがいの勧誘が主で、その多くは売春婦だったことが的確にとらえられており、官憲による「強制連行」というイメージはあまり出ていない。

その意味で西岡力が、慰安婦強制連行説は「時期の関係から見ても内容を見ても……日本発だということは明らか」と指摘したのは正しく、韓国サイドで起爆剤の役割を果したのが尹のルポ記事であったことは否定できない。

その場合、彼女が与えたインパクトは、慰安婦たちの存在自体というより、「女性の性に対する観念を徹底的に変える社会的な意識変革を」と訴え、慰安婦たちは「民族心の主人公であらねばならぬ」と、ナショナリズムにフェミニズムを結びつける視点から来だのではないかと思われる。

折から韓国では、高度経済成長がもたらす急速な社会的変動のなかで、伝統的な男尊女卑の観念がゆらぎ、第一期フェミニズム運動の高揚期を迎えようとしていた。運動体にとって慰安婦問題は、恰好のキャンペーン材料にちがいなかった。

申菫秀によれば、慰安婦問題がはじめて公式に取りあげられたのは、一九八八年に韓国女性団体連合会が開催した女性と観光問題(いわゆるキーセン観光)についてのセミナーで、「それ以来、この問題は韓国における女性運動の共同の課題」になったという。

一九九〇年十一月、尹貞土と同僚の李効再教授(社会学)を共同代表に戴く挺対協が結成された。七月に生まれた挺身隊研究会(会長鄭鎮星)を母体に、韓国女性団体連合会を含む三十余の女性団体が寄り集まる連合体で、やがて日本政府の謝罪と補償を要求する有力な圧力団体へ成長する。 

その後、類似の運動体が日韓だけでなく、アジアの近隣諸国にも次々に生れるなかで、挺対協は総本山の役割を果すことになった


(1)一九九六年までの文献については女性のためのアジア平和国民基金編『〈慰安婦〉関係文献目録』(ぎょうせい、一九九七)を参照。一九八九年までの関係作品は単行本一三五冊、論文三十五篇。

(2)山崎朋子『愛と鮮血--アジア女性交流史』(三省堂新書、一九七〇)四五--四六ページ。
(3)『Ronza』 一九九七年八月号の千田夏光稿。

(4)千田夏光『従軍慰安婦』正篇、一一四ページ以下、続篇一一ページ。

(5)尹貞玉他『朝奸人女性がみた〈慰安婦問題〉』三一新書、一九九二) 一四ページ。なお彼女が在日韓国民主女性会『朝鮮人従軍慰安婦』(一九九一年五月)に寄稿した取材記も同主旨を書いているが、「日帝が……未婚の若い女性たちを手当りしだいに挺身隊に狩り出すむごたらしいできごとが繰りひろげられ」三一ページ)と表現している。

(6)千田の著書は七〇年代に丁海洙訳で出版され、映画にもなった。金一勉の著書も、林鍾国『挺身隊実録』(一九八二に翻訳紹介された。古田清治の著書(一九八三)は、一九八九年に『私は朝鮮人をこのようにして捕えていった』という書名で、チョング研究所から韓国語訳が刊行された。別に金大商『日帝下強制人力収奪史』(一九七五)がある(主として高崎宗司「韓国における従軍慰安婦研究」『婦人新報に 一九七六年十月号による』。

(7)宋建鎬『日帝支配下の韓国現代史』(風濤社、一九八四)三四五-四六ページ。

(8)西岡力『従軍慰安婦論は破綻した』(日本政策研究センター、一九九七) 一一ページ。

(9)申莖秀「慰安婦問題の国際化」(『裁かれるニッポン』日本評論社、一九九六)

(10)李効再は一九二四年、牧師の娘として生れ、戦後コロンビア大学に留学して一九五八―九〇年母校の教授をつとめたが、民主化運動で一時大学を追われた経験を持つ。のち代表を辞任、金允玉(弁護士)に引きつぐ(C.S.Soh,"The Korean Comfort Women Movement for Redress"Asian Survey, Dec.1996,p.1233")。

2013/12/05

慰安婦は日帝の「三光政策」 (金一勉)

これは、旧ブログのエントリーの再掲。



金一勉は挺対協のユン・ジョンオクにも影響を与えた。「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」(1976年)は反日色の強い本である。

その女たちはその戦争中「お国のため」と称して「篤志看護婦」とか「軍要員」とか「女子工員」とかの名目で強制的に集められた17歳から20歳までの処女ばかりであった。そしてそれは日本軍首脳と朝鮮総督府日本の売春業者のボスの間で秘密協定を結んだうえ、「女子徴用」の形で大がかりな国策--すなわち日本帝国の「朝鮮制圧」の国策として敢行した国家的大詐欺行為であった。

・・・その8割~9割までが、うら若い朝鮮女性であった。ここにいう「慰安婦」とは日本軍独特の軍隊専属の女郎のことである。・・・朝鮮各地から17~20歳の娘ばかりを強制的に集めて「篤志看護婦にする」とだまして戦地へ送り込み、いきなり「軍隊娼婦」に投げ込んだのである。その数を「推定20万」と挙げるむきもある。

・・・それは [1]軍の要請にもとづき、女郎屋のオヤジが女を連れて乗り込んで店開きし、軍隊の性欲の処理に供したのであった。そして彼女らの多くは衰弱して命を喪い、北部ビルマの陣地では、いわゆる「玉砕」の前夜に防空壕に入れられたまま爆死させられた

・・・日本軍が、十数万という朝鮮の女性を連れ出して「娼婦」に抱えていたことも、「軍事機密」の名のもとに、ひた隠してきたものである。日本軍隊の「慰安婦」というのは、世界じゅうのどこの軍隊にもみられない、特異にして恥ずべき存在であった。

・・・日本軍隊が戦場で「慰安婦」を抱えるようになった事情には、次の四条件がそれを可能ならしめたと言えるであろう。

① 日本軍隊は戦場で、略奪と強姦を日常的におこない、それが習性となっていたこと。

② アジア各地に日本人経営の遊郭(売春業)が発展しており、これが「満州事変」を契機に、関東軍部隊の周辺に群がって繁昌したこと。

③ 対中戦争の本格化(1937年)と同時に、日本軍の首脳がみずから「陸軍慰安所」を開設し、のちに現地の売春業者と秘密協定を結び、これの [2]経営いっさいを委託したこと。

④ 「朝鮮」の民族独立の意欲を挫折せしめ圧殺せしめる根本策として、朝鮮の青壮年を朝鮮半島の外へ連行せしめる政策を樹てたこと。すなわち青年は兵隊に、若い未婚女性は「軍隊娼婦」に仕立てて「民族の消滅」を図ったこと。

これらの四点が噛み合って、朝鮮の未婚の娘を片っ端から徴発して、戦地兵士の「慰安婦」に投げ込んだのである。

・・・日本人業者たちは朝鮮各地から「女工募集」の名で女を釣って投げ込んでいた。直接・間接的に官憲から黙認されていたのはいうまでもない

・・・ところが対中戦争に突入するや、大部隊の投入と共に、大量の「慰安婦」獲得の必要から、現地司令部は各地の売春業者を動員する一方、朝鮮総督府に対しては「軍要員の女」の供出を依頼した。当時は軍人独断の時節だったのである。

そこで、大小さまざまの売春業者は軍に協力する国策企業を名乗りながら、朝鮮各地の警察まわりをし、白昼堂々と朝鮮娘を手に入れて、戦地へ連れ出すに至った。ときに総督府の、朝鮮での「三光政策」とも合致していたわけである。


整理すると、金は日本軍が悪徳業者に少女たちを拉致し虐待することを許していたという立場で、現在欧米で広く信じられている「日本軍に誘拐され、日本軍に虐待されていた」というイメージとは距離があるような気がする。

なお、金一勉は(初期だけ?)こういった業者が日本人だったと主張しているが、秦郁彦は女衒はほぼ全員朝鮮人、業者は日本人朝鮮人が半々と分析している。また、下のような新聞記事も残っていることから、金のように何もかも日本人の仕業とするのは無理がありそうだ。

朝鮮人の女が朝鮮人の女性を売り飛ばしていた事件
「魔女」「処女貿易」の文字が見える(東亜日報 1939)

日本に対する憎しみに満ち溢れた奔流のような金の文章だが、よく読むと、1921年の生まれだけにある程度の実情は察していたようだ。慰安婦の強制動員が国策だったという強引な展開こそあるものの、軍の周辺にいた「陰湿な『死の商人』・・・それは軍隊めあての売春業者」の役割の大きさに気付いている。それを端的に表しているのが、[注1][注2]の部分だろう。この点で、彼は後輩であるユン・ジョンオクとは違う。だが、ユンは金の著書から慰安婦制度が朝鮮民族に対する三光作戦だったという部分だけ引き継いでしまった。現在の慰安婦騒動の原型を作った本のひとつと言えるかもしれない。

2013/11/10

韓国政府機関調査「慰安婦11歳から強制動員」

イン・ジェクン議員
靖国参拝した日本の議員をリストアップしたりも

「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会Ko.Wikipedia」というのは、国務総理直属の機関で、中身をどう評価するかは別として、国が慰安婦(その他)について継続的に調査を行い公表している。公式ホームページもある。この他にも、女性家族省(部)も慰安婦問題に特化したホームページを持ち、こちらは英語・日本語版もある。この点、調査・広報に消極的な日本政府とは対照的である。

どう見ても「強制連行」世代は混じってない(支援委員会HPより)

さて、イン・ジェクン議員だが、靖国神社を参拝した日本の国会議員をリストアップしたり、竹島を日本領と記載した日本の教科書を洗い出したりする、まぁそういう政治家である。

しかし一方で、元慰安婦の「強制動員」当時の年齢を把握していなかったり出身地を間違えていたりと、韓国政府(女性家族部)の資料管理が杜撰だという事は、イン・ジェクン議員自身認めている

11歳少女や赤ん坊の母親も日本軍慰安婦として連行された

対日抗争期、日本が11歳の少女から赤ん坊の母親まで軍慰安婦として強制動員したことが分かった。 強制動員は敗戦が迫った1945年まで続いた。

国会女性家族委員会のイン・ジェクン民主党議員は国務総理所属「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」から「日本軍慰安婦被害実態現況」の提出を受け、被害者243人の証言を分析した結果を6日発表した。

軍慰安婦として強制動員された年齢は主に16~18才(58%)であった。 最年少被害者では11歳の少女もおり、28才で強制動員されたり赤ん坊の母親が連れて行かれた場合もあった。 強制動員は1930年から45年敗戦の時まで全期間にかけてなされた。 その中で日中戦争が勃発した37年から44年まで動員されたと述べた被害者が206人(85%)で大多数を占めた。44年28人(11.5%),45年2人(1.2%)など敗戦直前まで強制動員がなされたとのことも確認出来た。

慰安婦被害者のうち半数(47.7%)は就職詐欺にあって強制動員された。 慰安所で殴打された人が半分(49.8%)に達したし威嚇(28.8%)飢えさせること(12.8%)監禁(10.7%)拷問(6.2%)のような苛酷な行為を経験したこれらも多かった。 一日平均相手にした軍人数に対しては「21~30人」(14.8%) 「셀がない」(12.8%)「6~10人」(11.1%) 「11~15人」(9.9%)等だと答えた。

被害者出身地は慶尚道が123人(50.6%)で最も多く、全羅道43人(17.7%),忠清道20人(8.2%),ソウル・京畿17人(7%),平安道10人(4.1%)順だった。

イン議員は「この数は慰安婦被害者の証言だけに依拠して出た結論で女性部の歴史的検証と研究努力が不足した実情」としながら「被害者に対する事実関係と資料をまともに把握して整理することが名誉回復と真相究明の第一歩であり、これを通じて歴史を正しく立て直して日本の謝罪を引き出すことができる」と指摘した。

国民日報 2013.11.7


11세 여아도 아기 엄마도… 일본군 위안부로 끌려갔다

대일항쟁기 일본이 11세 여아부터 아기 엄마까지 군 위안부로 강제 동원한 것으로 파악됐다. 강제동원은 패전이 임박한 1945년까지 계속됐다.

국회 여성가족위원회 민주당 인재근 의원은 국무총리 소속 ‘대일항쟁기 강제동원 피해조사 및 국외 강제동원 희생자 등 지원위원회’에서 ‘일본군 위안부 피해 실태 현황’을 제출받아 피해자 243명의 증언을 분석한 결과를 6일 발표했다.

군 위안부로 강제 동원된 연령은 주로 16∼18세(58%)였다. 최연소 피해자로는 11세 소녀도 있었으며 28세에 강제 동원되거나 아기 엄마가 끌려간 경우도 있었다. 강제 동원은 1930년부터 45년 패전 때까지 전 시기에 걸쳐 이뤄졌다. 그중 중·일전쟁이 발발한 37년부터 44년까지 동원됐다고 진술한 피해자가 206명(85%)으로 대다수를 차지했다. 44년 28명(11.5%), 45년 2명(1.2%) 등 패전 직전까지 강제 동원이 이뤄졌다는 것도 확인할 수 있었다.

위안부 피해자 중 절반(47.7%)은 취업 사기를 당해 강제 동원됐다. 위안소에서 구타를 당한 사람이 절반(49.8%)에 달했으며 위협(28.8%) 굶기기(12.8%) 감금(10.7%) 고문(6.2%) 같은 가혹행위를 경험한 이들도 많았다. 하루 평균 상대한 군인 수에 대해서는 ‘21∼30명’(14.8%) ‘셀 수 없다’(12.8%) ‘6∼10명’(11.1%) ‘11∼15명’(9.9%) 등이라고 답했다.

피해자 출신지는 경상도가 123명(50.6%)으로 가장 많았고, 전라도 43명(17.7%), 충청도 20명(8.2%), 서울·경기 17명(7%), 평안도 10명(4.1%) 순이었다.

인 의원은 “이 수치들은 위안부 피해자의 증언에만 의존해 나온 결론으로 여성부의 역사적 검증과 연구 노력이 부족한 실정”이라며 “피해자에 대한 사실 관계와 자료를 제대로 파악하고 정리하는 것이 명예회복과 진상규명의 첫걸음이며, 이를 통해 역사를 바로 세우고 일본의 사과를 이끌어낼 수 있다”고 지적했다.

2013/11/06

韓国政府、慰安婦登録者の詳細把握せず


これは日本談児さんから

慰安婦騒動の始まりから20年も経ってから高齢のお婆さんに代わり保護者が申請に来る。しかも、慰安婦になった状況すら政府は把握していない。慰安婦の子孫にも日本から賠償金を受け取る資格が受け継がれるべきだという意見もあり、ソウル市の場合、来年から慰安婦が亡くなると9万円の弔慰金を支給することが決まっている。生活補助の制度もあるし・・・いや、これ以上は言うまい。

それにしても、韓国人だけで8~20万人(文脈からはそう読めるが)なら、慰安婦の総数は何人になってしまうのか?

資料管理が杜撰では「正しい歴史教育」が出来ないとイン・ジェグン議員。これは逆だろう。深く追求しないからこそ「(政治的に)正しい歴史教育」が出来るのである。河野談話もしかり。

イン・ジェクン「慰安婦被害20万人推定…確認は243人わずか」

「被害者受付広報予算0ウォン…資料管理も杜撰」

5日国会女性家族委員会所属イン・ジェクン(民主党)議員が女性部の「日帝強制占領下に日本軍慰安婦として動員された韓国政府の推定人員および真相調査現況・対象者登録申込書」と委員会の「被害届」を比較・分析した結果によると、政府が推定した日本軍慰安婦被害者人員は8万~20万人と推定されるが、被害者と登録された人員は243人に過ぎなかった。

日本軍慰安婦被害者であるイ某お婆さんは女性家族部に被害対象者登録申請して2年2ヶ月経た去る1月被害対象者として登録された。

2010年11月お婆さんの保護者が日本軍慰安婦被害者と申し込んだが、しばらく申込書が受理さえされず登録が遅れた。

日本軍慰安婦被害者大部分がかなり高齢なので保護者や周辺の人の助けを得ずに被害者申請をするのは難しいが、女性部が関連法規制(?)に入り(?)本人の申請だけを受けつけているからだ。

イン議員は「これは被害者ハルモニを積極的に探さなかったせいだ」とし「平均88才に達する被害者ハルモニ本人だけ登録申請できる法的限界などを改善しなければならない」と主張した。

イン議員はまた、2007年以後現在まで女性部が日本軍慰安婦被害者支援事業予算119億のうち被害者申告受付関連広報に使った予算は0ウォンだったと指摘した。

実際に女性部に登録された被害者の話によれば「政府で慰安婦被害申告を受け付けるのか分からなかった」と述べた例が多かったとイン議員は伝えた。

女性部に日本軍慰安婦被害者として登録された237人に対する資料管理も不十分だった。

イン議員が女性部が出した「被害者関連書類目録保有現況」などを検討した結果、政府は被害者生活安定支援・記念事業審議委員会審議資料を保管していないでいるだけでなく、強制動員当時の内容も分からずにいた

また、被害者237人中149人の強制動員当時年齢も把握できずにおり、被害者10人の出身地域を間違えているだけでなく日本軍慰安婦被害者の年度別受付・処理件数も一部整理されていない状態だったとイン議員は指摘した。

イン議員は「日本軍慰安婦被害者の詳しい内容が入れられた記録を整理して管理しなければならない女性部が基本的な資料管理さえできなくなっているようでは、歴史的真相究明は言うまでもなく、正しい歴史教育もできない」として女性部に根本的な対策準備を促した。

韓国日報 2013.11.5

인재근 “위안부피해 20만명 추정…확인은 243명 불과”

“피해자 접수 홍보 예산 0원…자료 관리도 엉망”

5일 국회 여성가족위원회 소속 인재근(민주당) 의원이 여성부의 ‘일제강점하 일본군 위안부로 동원된 한국 정부의 추정 인원 및 진상조사 현황’·’대상자등록신청서’와 위원회의 ‘피해신고서’를 비교·분석한 결과에 따르면 정부가 추정한 일본군 위안부 피해자 인원은 8만∼20만 명으로 추정되지만 피해자로 등록된 인원은 243명에 불과했다.

일본군 위안부 피해자인 이모 할머니는 여성가족부에 피해 대상자 등록 신청을 한 지 2년 2개월 만인 지난 1월 피해 대상자로 등록됐다.

2010년 11월 이 할머니의 보호자가 일본군 위안부 피해자라고 신청했지만, 한동안 신청서 접수조차 안 돼 등록이 지연된 것.

일본군 위안부 피해자 대부분이 초고령이어서 보호자나 주변인의 도움 없이 피해자 신청을 하기 어렵지만, 여성부가 관련법 규정을 들어 본인의 신청만 받고 있기 때문에 벌어진 일이다.

인 의원은 “이는 피해자 할머니들을 적극적으로 찾지 않았기 때문”이라며 “평균 88세에 이르는 피해자 할머니 본인만 등록 신청할 수 있는 법적 한계 등을 개선해야 한다”고 주장했다.

인 의원은 또 2007년 이후 현재까지 여성부가 일본군 위안부 피해자 지원 사업 예산 119억 중 피해자 신고 접수 관련 홍보에 쓴 예산은 0원이었다고 지적했다.

실제로 여성부에 등록된 피해자들의 말에 따르면 “정부에서 위안부 피해 신고를 받는지 몰랐다”고 진술한 경우가 다수였다고 인 의원은 전했다.

여성부에 일본군 위안부 피해자로 등록된 237명에 대한 자료 관리도 미흡했다.

인 의원이 여성부가 낸 ‘피해자 관련 서류 목록 보유 현황’ 등을 검토한 결과 정부는 피해자 생활안정지원·기념사업 심의위원회 심의자료를 보관하지 않고 있을 뿐 아니라 강제동원 당시 내용도 모르고 있었다.

또 피해자 237명 중 149명의 강제동원 당시 나이도 파악하지 못하고 있고 피해자 10명의 출신 지역이 틀릴 뿐 아니라 일본군 위안부 피해자의 연도별 접수·처리 건수도 일부 정리되지 않은 상태였다고 인 의원은 지적했다.

인 의원은 “일본군 위안부 피해자의 자세한 내용이 담긴 기록을 정리하고 관리해야 할 여성부가 기본적인 자료 관리조차 못 하고 있다면 역사적 진상 규명은 물론이고 올바른 역사교육도 할 수 없다”며 여성부에 근본적인 대책 마련을 촉구했다.

2013/05/31

「従軍慰安婦を否定する安倍首相」 清水澄子(2007年)

「従軍慰安婦」を否定する安倍首相

元参議院議員  清水 澄子

国会で「従軍慰安婦」問題追及

「従軍慰安婦」について「狭義の意味で強制を証明する事実はなかった」という安倍首相の発言は、一九九三年の「河野談話」(資料参照)を真っ向から否定するものです。

戦後五十年を目前にした一九九○年から、当時参議院議員だった私は「従軍慰安婦」問題で政府を追及してきました。しかし、政府の態度は「解決済み」、「資料が見当たらない」という不誠実なものでした。

「政府は『解決済み』と言うが、それは国家間で約束したことで、これは個人の人権回復の要求だ。個人の人権回復の請求権を消滅させた国家があるのか」と追及したら、政府は「それはない」と答えざるを得ませんでした。一九九一年に、金学順(キム・ハクスン)さんが「従軍慰安婦」だったことを公表し、日本国を相手に提訴しました。日本政府は「個人の人権回復を国家に請求する権利はいかなる理由があろうと消滅させることはできない」ことを認めざるを得ませんでした。

政府は「朝鮮に関する資料がない」と答弁しましたが、敗戦直後、軍から二週間以内に都合の悪い役所の資料は焼却せよ、という指令が出されていました。この指令で他の必要な資料まで燃やしてしまったと、岩波から出ている本に書かれています。戦後調査したものも焼却していたようです。私は「徹底して真相解明すべきだ」と要求しました。

そうした追及をしている時に、中央大学の吉見義明教授が防衛庁研究所図書館で「従軍慰安婦」に関する軍の資料を発見し、九二年に発表しました。「南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為」「醜業ヲ目的トスル婦女約四百名」を送れなどとあります。陸軍省が中支派遣軍参謀長に出した通牒には、軍の威信を傷つけないように、「募集ニ当リテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニ」せよと書かれています。私はこの資料で事実を政府に確認しました。

「強制とは何か」という質問に対して、政府は「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅してといいますか畏怖させて、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせた、そういう場合も広く含むというふうに私どもは考えています」(一九九三年三月二三日参議院予算委員会)と答弁しました。つまり、だましたり脅したりして本人の意思に反して慰安婦にした場合も、強制だとはっきり答弁しています。

私はさらに、どんな経過、どんな方法で連れていかれたのか、「慰安婦」にされた本人たちからの聞き取り調査を要求し、政府に実行させました。この時、A級戦犯で絞首刑になった板垣征四郎の息子である板垣正議員らが「いまさら、恥をさらして何になる」と、ものすごい野次を飛ばしていました。
この問題で政府を徹底して追及してきた一人として、こうした事実をくつがえそうとしている安倍首相の言動は絶対許せない思いです。

市民運動と世論が政府を動かす

一九九〇年代から、市民運動の側でもアジア各国からの戦争被害者を招き、証言してもらう取り組みがさかんに行われ、「従軍慰安婦」問題など戦後補償の問題が国民の中に広まりました。これに火をつけたのは国会の活動だったと思います。戦後五十年をひかえ、遅くなったけれども過去の歴史を見直し、反省しなければならないという認識で、当時の社会党が頑張ったのです。

韓国の被害者たち、フィリピンや台湾などアジア各地の被害者も立ち上がり、女性を中心にして国際的な世論にもなりました。国会と市民の運動と大きな世論が、政府を動かしました。「従軍慰安婦」問題では、不充分にしても政府が軍の関与を認めて謝罪しました。それが九三年八月の「河野談話」です。そこで「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」と述べています。だから、私たちは次の世代に引き継いでいくために、教科書に掲載するよう要求しました。宮沢首相も「教科書に載せていく」と答弁し、「従軍慰安婦」問題が教科書に掲載されるようになりました。

その後、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)ができました。この基金については批判もありました。国が三百万円、民間が二百万円出し、アジア女性基金を通じて申請のあった元「慰安婦」の方に償い金を渡したのですが、政府の責任において謝罪し、補償するという形をとらなかったからです。政府は他の戦後補償に波及することを恐れたのです。韓国では受け取りを拒否する運動が起こりました。しかし、被害者は戦後も大変な苦労をしてきたわけですから、せめて生きているうちに償い金をもらって、自分の身内に少しでも配りたいという人もいました。私たちは首相の謝罪文をつけるよう要求し、償い金と首相の謝罪文が渡されることになりました。

「従軍慰安婦」は、国際的には「日本軍性奴隷」という表現が使われています。とくに奴隷制度のあったアメリカでは、奴隷ということについてものすごく敏感なのです。国連人権委員会でも「日本軍による性奴隷」という表現になっています。「河野談話」を発表するとき、軍の命令があったのだから「性奴隷」という表現を使うべきだと主張しましたが、「日本で奴隷という言葉はなじまない」と拒否されました。強制についても結果的には「本人たちの意思に反して」とか「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」という表現になりました。

歴史的事実の否定

「河野談話」は自民党の右翼的な人たちには我慢できないことでした。彼らは「河野談話」の数日後に、「自民党歴史・検討委員会」をつくって動き始めました。九三年七月に初当選したばかりの安倍議員は、すぐこれに参加しました。「大東亜戦争」は侵略戦争ではなかった、南京大虐殺や「従軍慰安婦」は事実ではなかった、というのが歴史・検討委員会の総括でした。

教科書に「従軍慰安婦」問題が載るようになり、九七年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足すると、安倍議員はこれを支援する「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、事務局長に就任しました。「若手議員の会」は、「確たる根拠もなく『強制性』を先方に求められるままに認めた」と「河野談話」を非難し、河野元官房長官を呼びつけて撤回を迫りました。安倍首相はこうした動きの中心人物でした。

「狭義の強制性はなかった」という問題の立て方そのものが、「従軍慰安婦」の存在を否定しようという安倍首相の本音を表しています。狭義だろうと広義だろうと、何十万という人たちの人権を侵害したことに変わりはありません。これは性犯罪、戦争犯罪、人道に対する罪です。

世界各地で批判の世論が盛り上がりました。ようやく外交関係を回復した韓国や中国でも大きな問題になっています。特にアメリカの反応は、安倍首相にとっては意外だったのでしょう。訪米前でもあり、「河野談話」を継承すると言いました。しかし、強制を否定した発言を撤回せず口をつぐんだだけで、本音は何も変わっていません。

日本は「従軍慰安婦」だけでなく、たくさんの朝鮮人を強制連行して強制労働をさせましたが、政府は認めていません。徴用した軍人・軍属の遺骨問題もずさんなままで、遺族に生死すら伝えていません。強制連行した労働者の遺骨問題は放置したままです。

安倍首相は北朝鮮の拉致問題だけが人権問題のようです。「従軍慰安婦」問題など過去の人権問題を認めていません。現に起こっている被差別部落問題など日本人に対する差別・人権問題、また在日の人たちに対する差別・人権問題については何もしません。人権条約の大事なところは批准を保留したままです。国際社会に向かって人権外交だと威張るのは矛盾しています。

みんなが立ち上がらなくては

「従軍慰安婦」の存在を否定することは、あの戦争は間違っていなかったと、過去の侵略戦争や植民地支配を正当化することです。安倍首相に、過去の歴史を本当に反省して新しいアジアの友好的な関係を作ろうという意思のないことは、見え見えです。これらはみな、憲法を改悪すること、日本を軍事大国にすることにつながっていると思います。

アメリカやよその国に批判されて、安倍首相はやむを得ず修正のふりをしていますが、これでは何も解決しません。日本の中でもっと大きな運動を起こすときです。その場合、意見の違いはいろいろあっても、「河野談話」の誠実な実行を求めて、みんなで力をあわせなければ状況を変えることはできません。国会の中でもワーワー騒いで追及するべきです。日本の将来のために、日本の良心的な部分の姿勢が見えるようにするべきだと思います。


2013/03/26

東京新聞 遅れて来た強制連行派


昨年11月、旧日本軍による慰安婦の強制連行を否定する民間団体の意見広告が米紙に掲載された。第一次安倍内閣当時の2007年6月、別の米紙に載せた意見広告とほぼ同じ内容だが、ある「事実」が抜け落ちた。軍がオランダ人女性を強制連行した事件だ。強制否定派は「関係者は直ちに処分された」と強弁するが、実は責任者は事件後に出世し、都合の悪い話だった。(佐藤圭)

東京新聞 2013.2.24

強制連行を否定する民間団体」と書きながら、途中で「強制否定派」と言い替え、「強弁」するのはお馴染みの手法である。

「実態は『性奴隷化』河野談話見直しは論外」「慰安婦『強制』否定派の米紙広告」といった見出しが躍った2月24日付けの東京新聞。90年代の朝日新聞を彷彿とさせるような熱の入った特集は、赤旗と見紛うほどだったが、幸いWeb版は登録制なので、口の悪いネチズンのカモにされることはなかったようである。

しかし、今どきねぇ・・・。

東京新聞が戦いを挑んだのは、学者や他紙ではなく新聞広告

基本的には、90年代の慰安婦の強制連行を巡る議論の蒸し返しなのだが、なぜか攻撃対象は「強制連行否定派」の学者や新聞ではなく、昨年日本人有志がアメリカの新聞に出した意見広告THE FACTS 2の内容・・・それもその一部分に限定している。

要点はこれだろう。↓

強制連行否定派が唯一、軍による強制連行と認めるスマラン事件は、紛れもなく「強制性を裏付ける証拠」だ。

スマラン事件を強制連行の証拠というレトリックはネットでもお馴染みなので、詳しく説明する必要もないだろう。ようするに、新聞の拡張員が暴力を振るえば、新聞社の組織的犯行だという理屈。そう上、大胆にも・・・

結局、強制連行否定派に残された論点は、植民地下の朝鮮で軍による略取があったかどうかだけのようだ。

話をすり替えるどころか、話の順序をアベコベにしている(慰安婦の強制連行問題とは、元々朝鮮半島での徴用の有無を巡る議論だった)。

しかし保守派の議論に隙が多いのも事実。高村元外相のような知性派でも、韓国以外では強制連行はあった、とか口走っていたし、ここでも、スマラン事件は軍規違反のケースとだけ言っておけばいいのに、処罰したとか言うから揚げ足を取られている(この他にも細かい間違いがある)。

ところが、従軍慰安婦問題に詳しい吉見義明・中央大教授によれば「旧日本軍はスマラン事件の責任者を処罰していない。少なくとも厳罰には処してはいない。逆に責任者はその後出世している。例えば、南方軍幹部候補生隊隊長の少将は、最後は師団長にまで昇進した。

東京新聞では、社会部の記者が傷害事件を犯し、後にその時の社会部の部長が出世したら、東京新聞が暴力団という事になるのか?いつもの吉見調だが、東京新聞の記事は殆どが彼の主張をそのまま拾って拡声しているだけ。

なにより、これは5年前のTHE FACTS 1の話であって、今回の新バージョンにはスマラン事件は載っていない。ではなぜ、東京新聞が問題にしているのかと言えば・・・。

(スマラン事件)が外れた理由は何か。事件が広く知られるようになったので一度は載せたが、やはりまずいと思ったのか。

なぜ新バージョンではスマラン事件に関する弁解を省いたのか。西村幸裕は「費用の問題でスペースが確保できなかった」と語ったそうだが、東京新聞は「『スペースなかった』理由だが・・・」と小見出し(?)をつけて、怪しいと言わんばかり。

とにかく、記者の日本語も支離滅裂。

強制とは本来、本人の意思に反して連れ去る「強制連行」、慰安所で無理に働かせる「強制使役」がセットだ。それなのに安倍氏らは、強制の定義を強制連行に限った上で、力ずく奪い取る「略取罪」、相手をだます「誘拐罪」、「人身売買罪」のうち、軍が直接手を下した略取だけに絞り込んだ

そうした「協議の強制性」でさえも、スマラン事件を見れば「あった」ことは明らかだ。

結びは吉見教授に丸投げ。

吉田証言が否定されても「慰安婦問題全体の構図は崩れず、河野談話も揺るがない。軍による略取は中国やフィリピンでも確認されている。朝鮮でも、軍が選定した業者による誘拐・人身売買などの強制連行があり、軍の施設である慰安所に入れられたからだ」と<引用者注:吉見は>断言する。

そもそも欧米では、強制連行の有無は重要な問題ではない。「連行の過程には関心を払っていない。問題は女性たちが慰安所で悲惨な目に遭ったということだ。強制的に軍人の相手をさせられた慰安婦は文字通り性奴隷にされた」(吉見氏

...吉見氏は安倍氏に警告する。「河野談話を見直し、政府の責任を否定すれば国際上孤立する...」

2013/03/08

日本軍性奴隷制問題1億人署名運動


サイバー外交使節団VANKが日本の戦争犯罪映画祭を企画している頃、挺対協は署名運動を展開中。猫も杓子も反日運動。

Japan had forcefully mobilized girls and young women for sex slavery to battle fields and violated their human rights(日本政府は少女や若い女性を性奴隷として強制的に戦場に動員し、彼女らの人権を侵害した)

government-led war crime(政府主導の戦争犯罪)

Japanese government [...] has denied forceful mobilization of ‘comfort women (日本政府は強制動員を否定した)

The World demands!(世界は要求している!)



100 Million Signatures Campaign for the Resolution of the Japanese Military Sexual Slavery Issue

100 Million Signatures Campaign
for the Resolution of the Japanese Military Sexual Slavery Issue

“The World demands!”
“Japanese Government’s State Apology and Legal Reparation to the Victims!”

During the Asia-Pacific War from early 1930s to 1945, Japan had forcefully mobilized girls and young women for sex slavery to battle fields and violated their human rights. After the war, they were either slaughtered or abandoned to death, never to return. Even after some survivors came back to their home country, any reparations were not made to them as Japan concealed and distorted its own crimes. The survivors were forced to silence their sufferings for more than 50 years.

As the Korean feminist movement for the Resolution of the Japanese Military Sexual slavery (“Comfort Women”) issue started in Korea in early 1990s, victims started to speak out and report Japan’s crime to the world. They also have demanded the Japanese government to admit their guilt and to take immediate actions for state apology and legal reparation. The movement has expanded across Asia to international community and lead to gain global sympathy with the resolution from international human rights organizations including UN and ILO who defined Japanese Military Sexual Slavery as a war crime and a crime against humanity. They have recommended the official apology and legal reparation followed by other measures to the Japanese Government.

However, the Japanese government has ignored these demands by victims and international community and avoided legal responsibilities on this government-led war crime, only to cover them up by raising private fund for “atonement money” instead. Furthermore, rather than redressing their damage, it has denied forceful mobilization of ‘comfort women,’ which distorted the nature of the crime, insulted victims, which violated their rights, and abuses human rights activists working in Japan to support the victims. These are ongoing violations of human rights, which is not appropriate for the member of UNHRC to take.

Toward international community and human rights organizations, we announce that the resolution of the Japanese Military Sexual Slavery issue is a task that all humanity should join and work together for. Besides, in order to restore victims’ human rights through the apology and reparation to them immediately in effect and to prevent violence against women in armed conflicts like sex slavery and systemic rape, we will make cooperative efforts with the global community. To do this, we promote <100 data-blogger-escaped-campaign="" data-blogger-escaped-for="" data-blogger-escaped-issue="" data-blogger-escaped-japanese="" data-blogger-escaped-military="" data-blogger-escaped-million="" data-blogger-escaped-of="" data-blogger-escaped-resolution="" data-blogger-escaped-sexual="" data-blogger-escaped-signatures="" data-blogger-escaped-slavery="" data-blogger-escaped-the="">.

We demand as followings;

■ Japanese government should admit state responsibilities for the Japanese Military Sexual Slavery, and make official apology and legal reparation to the victims!

Victim countries’ governments including Korea should take proactive diplomatic measures to Japan and international community to restore victims’ human rights!

■ International organizations including UN and ILO should urge the Japanese government to follow recommendations by international organizations and resolve this issue immediately!

The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan
39-13 Seongsan-dong, Mapo-gu, Seoul, 121-843, Republic of Korea
Phone : 82 2 365-4016. Fax: 82 2 365-4017. email: war_women@naver.com
100 Million Signatures Movement for the Resolution of the Japanese Military Sexual Slavery issue



The World demands!

Japanese Government’s State Apology and Legal Reparations to Victims!

挺対協HP 2013.3.7

2013/03/05

なぜ日本軍慰安制度は特別なのか--フェイスブック


フェイスブックに「慰安婦被害者に対する日本政府の謝罪を要求します (위안부 피해자들에 대한 일본 정부의 사죄를 요구합니다)」というページが出来たのが、先月。どうやら、最低、日英韓と三ヶ国語バージョンはあるらしい。これはFBの公式ページではないので、エントリーのタイトルは誤解を招き易かったかもしない(スペースの都合)。

最近では、日本軍の慰安婦システムが軍隊による管理売春の一つであるという指摘が増えて来たが、そういった声は、さすがに彼らにも伝わっているらしい。そこで彼らはこうやって特定の個人(国)に対するバッシングを正当化している。

慰安婦被害者に対する日本政府の謝罪を要求します
2月25日

なぜ日本の従軍慰安婦だけが、問題になるの?

従軍慰安婦の話を聞いた日本人の中で、「なぜ日本の従軍慰安婦だけが問題になるの?」と聞いてくる人が多いです。たいてい「男性の欲求を解消するための施設は、戦争中にはほかの国でも存在していた」のがその理由です。次はその質問に対する答弁です。

1.募集方式の過ち
大部分の少女たちは「日本の食堂で働いてお金を儲けることができる」、「日本の工場で働けば監獄にいるお父さんが釈放できる」、「日本で勉強が続ける」などの言葉にだまされて、強制で慰安婦になりました。拉致された場合もあります。

2.その組織性と残虐性
確かに戦争中の強姦、敵国や植民地の女性を性奴隷として使った事は人類史の中でいつも存在してきました。しかし、日本のように組織的に慰安所を設置して、女性たちを監禁、子宮を摘出してまで直接運営した国はほとんどないです。それに、その女性たちへの拷問、脅迫などの仕打ちは、生理中にも変わらず毎日30-40人の軍人の相手になり、反抗者はくぎがめり込んだ鉄板の上に体を転がして殺害、火に熱した鉄棒を子宮に刺して殺害など、かつてないほど残酷でした。

3.日本政府の態度
今も紛争地域では女性に対する暴力、強姦事件が起こっていますが、日本は先進国です。ドイツの場合、ユダヤ人の虐殺に対して首相がひざまずいて謝罪しました。しかし日本政府は、 各界の知識人まで動員してこの仕事を隠蔽しようとしています。なお、「慰安婦は全て娼婦だった」と主張しています。

皆さんや皆さんのお嬢様が、「外国で留学できる」など言われて、外国で強制で性奴隷になって、やっと逃げて戻ってきたらその国の政治家から「娼婦」だと言われていると思ったら、どうですか。謝罪なしには、同じ事は必ずまた起きます。どうぞこの事実に気付いて、周辺にも知れわたってください。

従軍慰安婦の証言(英語)--> http://www.hermuseum.go.kr/eng/bbs/bbs_list.asp?s_top=2&s_left=1

彼らの基本的な認識、慰安婦論はこんな感じ。基本は日本(政府)による強制動員。

慰安婦被害者に対する日本政府の謝罪を要求します
2月23日

世界2次大戦間、日本は韓国を占領して韓国の少女たちを「日本の工場に就職できる」という言葉で誘いました。大部分10代だったこの少女たちは無理やりに軍隊に引かれて、生理中にも関係なく一日に10人から70人ほどの日本の軍人たちにレイプされました

姙娠した少女たちは胎児と一緒に子宮を摘出されたり、殺されました。「将校に梅毒を移した」という理由で火に熱した鉄棒を子宮の中まで刺されて殺された少女もありました。一日に百人の軍人の相手ができないと答えたという理由で、他の少女たちの前でくぎがめり込んだ鉄板の上に体が転がされて殺されたこともあります。軍人たちはその死んだ女性の中で一人の生首を他の女性たちに無理やりに食べさせました。

400,000人の韓国、中国、台湾、ベトナム、ネーデルランド、そして日本の女性もこの期間中「慰安婦」として犠牲されました。2次大戦後、大部分の女性たちは殺されるか死にました。しかし、日本政府はナチに対する「永遠な責任」を約束したドイツ政府とは逆に、彼らの過ちを認まず、むしろこの女性たちが娼婦だったと主張しています

この女性たちの中で少数だけが今まで生き残って、日本政府に対する糾弾デモを続いています。しかし、大部分の女性たちがもう非常に年をとっているので、あまり時間がありません。日本政府はまた慰安婦についての内容を公式教科書から全て省略しました

どうぞこの話をご家族やお友達にシェアしてください。今のドイツの人たちがナチの過ちを認めるように、現在の日本も過去の過ちを認めて、謝ってもっと平和な世界へ一歩を進めるんだと思います。


2013/03/01

慰安婦騒動を煽った政治家--清水澄子


現在の日韓両国に祟り神のように取りついている河野談話。当時の外交当局者らの善意は信じたいが、当時からあの内容では後で必ず災いの元になると警告していた人もいた。にも関わらず、ああいう形の談話が出来上がったのには、幾つか要因があったのだろう。最大の原因は河野洋平という「まっすぐ君」の存在だが、横から煽った人もいた。社会党の議員たちである。彼女たちは、意図的であっただけに河野洋平より悪質であった。

「外交的問題になると警告」する裏で、清水澄子議員はせっせと慰安婦問題を炎上させていたのである。この21年後、彼女の後輩である福島瑞穂も、政府がちゃんと対応しないと慰安婦問題はより拗れるとしたり顔で忠告したが(録音 0:45)、彼女もまた慰安婦騒動の火つけ役の一人であった。これらのマッチポンプER達が日韓関係の正常化を邪魔してきたのである。

当時社会党の議員たちは、慰安婦が戦時徴用者に含まれていたのではないかと質問し、それに対し、政府は民間業者の従業員であると答弁していたのである(Wikipedia参照)。90年代のこのインタビューでも、清水は読者をミスリードしようとしている。彼女はさらに、慰安婦の強制連行(?)が軍による組織的な行為であり、性奴隷という言葉と共にその事を河野談話に明記させようとしたが、河野洋平もそこまでは認めなかったということだろう。

対談相手は和田春樹。この人についても、いずれ取り上げなければならない。



「従軍慰安婦」問題は韓国の方から問題になったんでしょうか。それが日本の中に反響をよんできたんでしょうか。

「一番最初は90年6月の参議院予算委員会で強制連行との関連で、質問があり、厚生省が「民間業者がやったことと答弁したが、その場での追及はなく素通りしていたらしいのです。ですから「慰安婦」に関しては報道もされず、予算委員会メンバー以外は分かりませんでした。

ところが、その年の90年10月29日に沖縄の渡嘉敷島で韓国の「従軍慰安婦」の慰霊祭があり、そこに参加した「韓国協会女性連合」尹栄愛さんから私に電話が入ったのです。6月の政府答弁に抗議したい。公開書簡を総理に渡せるようにしてほしい。そして女性議員との懇談の場をつくれないか---。私は早速、女性議員懇談会と外務省の交渉をセットしましたが、これが事のはじまりになりました[...]

韓国では10月17日に8団体が声明を出していますね。6月6日 元岡議員が『朝鮮人強制連行の中に慰安婦はいなかったのか』と質問されて、これに厚生省が答えているんです。国会でご質問になったのはいつでしたか。

「90年の12月18日の外務委員会で取り上げたのが最初です。『国と軍は慰安所に関係していないという政府の認識は変わりはないか』と尋ねました。政府は『変わらない』と言い切り、『関与していなかった』と繰り返すばかりでした。

[...]私は政府の認識と対応の修正しなければ大きな政治的・外交問題になることを警告し、調査の実施と、担当する責任所在の窓口の設置を要求しました。91年にようやく調査は4省庁から6省庁に拡大し、責任行政機関は内閣外政審議室になりました。(以下略)」

(中略)

「こうして93年8月4日、政府の第二回調査報告とともに河野内閣官房長官の談話となるわけです。
その談話の文面についてずいぶん注文をつけました。例えば『軍による組織的、強制的な行為であった』と記入すべきと主張しましたが、組織的とは言えないと『旧日本軍が直接あるいは間接的に関与した』となり、強制的であったはずだと主張したことには『本人たちの意思に反して集められた』とやわらかい表現に変えてきました。
また『軍は女性を性的奴隷として人権を侵害した』と書くべきだと言うと、日本には奴隷制度はなかったから、そういう表現は馴染まないと言う。それならば『女性の名誉と尊厳を著しく侵害した』と書きなさいと要求し、公式の場で初めて女性の尊厳という言葉が使われたのです」


和田が言うように、社会党の本岡の質問は、「朝鮮人強制連行の中に慰安婦はいなかったのか」というのが主意だったにも関わらず、清水は「国と軍は慰安所に関係していないという政府の認識は変わりはないか」と相手が言ってもいない事を言い出し、話をすり替えたのである。

それに対する政府の答えは「少なくとも厚生省関係それから国民勤労動員署関係は関与していなかったと。それ以上のことになりますとちょっと確認のしようもなかった参議院外務委員会H.2.12.18」というものだった。

「(国や軍は)『関与していなかった』と繰り返すばかりでした」・・・嘘つき。

2012/11/23

韓国人学生が作った慰安婦動画




韓国の大学生が作った動画。タイトルは「日本による軍用性奴隷の悲しみ」。朝日新聞は今になっても「問題の本質は、尊厳を踏みにじる行為が本人の意に反して行われ、そこに国が関与していたこと」と吉見義明の受け売りで粘っているが。韓国の人気ドラマの例などに見たように、韓国人にも国際社会にもそんな風には思われていない。韓国では慰安婦問題がどのように語られているのか、この動画も参考資料の一つとなるだろう。

大学生ならば物心ついた頃には慰安婦騒動が始まっていたはずで、90年代以降の教育を受けて育った世代の思い描く慰安婦像の一つのサンプルである。

なおここで、「朝鮮民族絶滅(抹殺)計画」というのが出てくるが、これは初代挺対協(共同)代表であったユン・ジョンオクが主張していたことで、挺対協は日本の慰安婦政策とはエスニック・クレンジングであると国際社会に訴えていた。国際社会にはこの話を真に受けている人もいるようだし、アメリカで行われている「慰安婦=アジア版ホロコースト」キャンペーンもその流れの上にあるのだろう。



1940年4月30日

朝鮮の片田舎・・・。


今日、一人の少女が村の共同井戸から水を汲んで家に帰ってきます。

苦労して壺を担ぎながら。

少女が転ぶのではないかと、一人の少年が心配して見ています。


少年が歩み寄って、自分の頭の壺を担ぎ上げます。

壺は重いけれど、少年の心はとても軽いのです。

ありがとう・・・。

少年は頭を掻きながらはにかんだ笑いを浮かべています。


少年は思い切って打ち明けようとします。

これ、僕からのプレゼントです・・・。

少年の気持ちにまんざらでもない様子の少女は頬を赤らめています。

少年ははにかんで逃げて行きます。



日本の朝鮮人絶滅計画

少女は自分の国が失われることを悲しみました。



日本兵たちが泣いている少女を運んで行きます。

彼女は抵抗し叫びましたが、彼らは乱暴に彼女の手を引いて行きました。

日本兵の為の慰安婦の施設。

少女は何も分からぬまま狭い部屋に入れられました。



一人の日本兵が部屋に入って来ます。

彼は少女を手と足を使って酷く打ちつけます。

少女は重症を負い、怯えています。

少女は痛ましく酷い日々がどれだけ経過したのか分かりません。


少女は少年がくれたハンカチを見つめます。

私は堪えなければいけない。生きたい・・・。

1945年8月15日、朝鮮独立の日。

戦争の酷い日々が終わります。

少女は日本兵たちから自由になってとても嬉しかった。


しかし、周囲の人々の態度は冷たかった。

少女は見覚えのある影に気付きました。

あの少年でした。

彼女は彼に呼びかけます。(しかし相手にされない)


「慰安所」での3年間、30年の沈黙。60年の彼女の人生。




「男性に愛されたい。・・・そんな経験はなかったから」

「あまりにも苦しく、腹立たしいから生きていられない。どうか私の青春を返して欲しい」

「私が生きているのは夢のよう。でもそれは、恐ろしい夢」


「慰安婦」という言葉は、第二次大戦中、日本軍によって性奴隷制度に強制された女性を差して使わてた。何人の女性が巻き込まれたかの推定は、日本人学者の2万人から中国人学者の4万人まで幅がある。正確な数は現在も調査議論されている。

ウィキペディアより


どうか彼女たちが経験した過去を記憶に留めておいて下さい。

The sorrow of 'military sexual slave by Japan
日本による軍用性奴隷の悲しみ)

余談。慰安婦たちは恋愛も経験したし、結婚の申し込みもあった。驚くことに、その対象は日本人の兵隊であった。ただし、C.サラ.ソー(?)も指摘したように、そういった話は慰安婦支援団体の語る慰安婦像では無かったことにされている。ある者にとっては、慰安婦であった時代よりも戦後の方が辛かったという。

2012/10/02

話を混乱させるフェミニスト

「『強制』させられることだけが被害なのか」「お金をもらっていたら被害者ではないのか」

・・・結局、こういう人達が話を混乱させているのだろう。学問として論じるのは意味があるのかもしれないが、慰安婦問題が深刻な外交問題となっている今、こういう頓珍漢は日韓両国民にとって迷惑以外の何物でもない。

ちなみに日本人慰安婦は売春婦だったから別(被害者ではない)と言っていたのは、韓国のフェミニストたちもそうだが、先日の「たかじん」でも田嶋陽子が同じ事を言っていた。いいのか?

日本人「慰安婦」実態迫る

市民団体シンポ 「低い人権感覚」指摘

戦時下における性暴力の実態調査や告発を行っている市民団体「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(バウラック)は29日、東京都新宿区でシンポジウム「日本人『慰安婦』の被害実態に迫る」を開きました。約100人が参加しました。

 バウラックは昨年から日本人「慰安婦」についての調査・分析を開始。活動の中間報告や被害者の足跡などを発表しました。

 バウラック共同代表の西野瑠美子さんは、日本人「慰安婦」の実態解明が遅れているのは、「公娼制度下にあったため」と指摘しました。「お金をもらっていたら被害者ではないのか『強制』させられることだけが被害なのか。『慰安婦』問題とは何か捉え直したい」とのべました。近現代日本女性史の研究を行っている立教大学の小野沢あかね教授は、軍が秘密裏に「慰安婦」を募っていたことなどを報告しました。

 「慰安所」が設置されはじめた1930年代は、国際連盟が公娼廃止を日本政府に提言(31年)するなど、国内外で婦女売買禁止の流れが強まっていました。小野沢教授は「政府が婦女売買禁止の措置をとらなかったため、軍の命令で女性を徴集できてしまったことが問題。売春婦だったから『慰安婦』の被害者ではないという考えは、人権感覚の低さがうかがえます」とのべました。

赤旗 2012.9.30

2012/09/23

渡辺美奈(wam)は橋下市長が許せない

人権問題と思うなら、反日運動とは一線を画すべきである

wam(女たちの戦争と平和資料館)の現在の事務局長は渡辺美奈だったと思ったが、wamブログで事務局長が橋下大阪市長に対する怒りをぶちまけている。自分で「橋下(←すでに呼び捨て)は・・・」などと書いているから、相当頭に来ているのだろう。気性が激しい人という印象はなかったのだが。

慰安婦を支援する日本の市民団体には、年配の人が多く、「韓国と仲良くしたい」とか「ハルモニの涙に心が痛む」といった素朴な主張が目立ち、あまり難しい理屈は言わないし、分からないようである。だが、指導者クラスは十分に事情を知った上で運動を主導しており、渡辺もその一人である。彼女の言っていることは「慰安婦問題の専門家」たちがこれまで繰り返してきた理屈の受け売り。証拠は燃やされたとか強制連行(行政による戦時動員)の話を戦地の性暴力の話にすり替えるなどはお馴染みの手である。「テレビも新聞も反論しないじゃない」と彼女は怒るが、朝日新聞でもこんな見え透いた手はもう使えないのである。渡辺は先日メンバーが渡韓し水曜デモに参加した全国行動2010の幹部でもある。

「日本は戦争についての国家による総括がない」(2012.9.19

一方の橋下市長だが、彼の考えは道上尚史(元外交官)に近いようだ。日本人は過去の戦争についてちゃんと教わって来なかった、恨まれても仕方ない部分もある、それを踏まえた上で韓国や中国に言うことは言わなければいけないというもの。産経の記事よりも、記者会見での彼の生の声の方が彼の真意が伝わる。悪かったことは悪かったと認めることと、慰安婦の強制連行を否定すること(橋下は証拠がないと言っているだけ)は矛盾しないのである。橋下の方が筋が通っている。

「慰安婦」の「強制連行」と橋下大阪市長の勘違い

いやあ。びっくりした。政治家が言ったもん勝ちになっている今のメディア状況。
どんどん、発言がエスカレートしているのに、テレビも新聞も反論しないじゃないか!
というわけで、しょうがないので、権力も波及力もないけど解説します。

まず、火付け役、何でも言いっぱなしの橋下大阪市長の発言の「間違い」「勘違い」からはじめましょう。8月21日と24日の記者会見はyoutubeにも載っているけれど、wamでは正確さを期すために、書き起こしをウェブに掲載(wam de カフェ資料)していますので、詳しくはそちらをご覧くださいね。

(1)「慰安婦」の強制連行の「証拠」がないという「嘘」

8月24日、橋下(←すでに呼び捨て)[ママ]は、「2007 年に強制連行を示す、それを裏付けるような、直接示すような記述、直接の証拠はなかったということを安倍内閣のときに閣議決定がされているわけです」と発言し、さらにツイッターでは、「2007年の強制連行を裏付ける証拠はなかったとした閣議決定との整合性はどうなんだ」とまで言ってます。

こんなこと読むと、「そうか、河野談話はすでに覆されているんだ」と思ってしまいそうなアナタ、気をつけましょう。

まず第1のすり替えは、「記述」と「証拠」をごっちゃにしていること。2007年の閣議決定というのは、実は辻元清美議員が提出した質問主意書に対する答弁書(2007年3月16日、内閣衆質一六六第一一〇号)で、質問主意書への答弁は、すべて閣議決定することになってます(ちなみに今年の180国会で出された衆議院の質問主意書は424本!)。それは以下のように書かれています。

「同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」

はい。政府が1993年の河野談話を発表するまでに発見した資料には、「軍や官憲による強制連行を直接示す」「記述」がなかったといっているわけです。防衛庁(当時)やら、外務省やら、厚生労働省から発見された文書にそういうものに、なかった。そして、河野元官房長官、石原信雄元官房副長官が『オーラルヒストリー アジア女性基金』(女性のためのアジア平和国民基金発行)で明らかにしているとおり、軍や官憲が女性たちの意に反して連行したことは、韓国の被害者16人の証言を聞いて、「信頼するに十分足りる」と判断したとかかれています。

なので、賢い官僚に囲まれている野田総理大臣や玄葉外務大臣は、「整合性がない」なんて答弁しません。だって、政府が1993年までに発表した文書に記述がなかっただけだもの。整合性、あるんです。

ここで、みなさん、質問するでしょ?「でも、やっぱり強制連行を示す証拠はなかったんですか?」って。

証拠はあります。被害者の証言は、証拠です(被害者証言を証拠じゃないって思うみなさん、十分に検討された証言が証拠じゃなかったら、争いをどう解決するんでしょう?) さらに、河野談話が発表された1993年以降、オランダ政府はオランダ人の「慰安婦」被害の調査報告書を発表していますし、東京裁判の証拠書類の発掘も進んでいて、「軍や官憲による強制連行」を裏付ける記述は多数あります。1990年代以降の「慰安婦」訴訟の判決のなかで被害認定をしているものも、裏付ける文書といえるでしょう。

じゃ、何がないんでしょうね? 
そもそも「軍や官憲による強制連行を直接示す」文書って、どんなものですか? 
たぶん、「直接」っていう言葉がキモなのでしょうね。それこそあったら出して欲しい。
「軍は、朝鮮の女性を強制的に連行せよ」っていう命令書ですか?「これらの女性たちを軍は、強制的に連行してきた」という日誌ですか? そんな違法行為をわざわざ軍の文書に残すはず、ないじゃないですか!? 

そもそも、日本政府と陸・海軍は、ポツダム宣言受諾決定直後、関係省庁や軍部のすべての機関に対して、重要書類の焼却を通達で出していました。都合の悪いものはガッツリ燃やしちゃったわけです。それでも、「慰安婦」制度を軍が設置し、女性たちを移送し、維持・管理した文書が300件近く見つかった・・・。つまり、「燃やしきれなかった」んですね、あまりに当たり前のことだったので。

河野談話を発表するために、以下の資料を使ったと政府報告には書いてあります。

▽調査対象機関:警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館
▽関係者からの聞き取り:元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等
▽参考として国内外の文書及び出版物:韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。

このうち、聞き取りをされた「慰安婦」被害者は韓国の16人です。ほかの国の被害者は聞き取りされていません。フィリピンや中国など、占領地での被害もすさまじいものです。それにこの時点で見つからなくても、中曽根元総理大臣がインドネシアのバリクパパンに設置した慰安所の文書などは、2011年に防衛省の図書館を調査した市民団体が見つけています。

wam blog(事務局長のひとりごと) 2012.9.13


産経は橋下の発言を「歴史の再検証が不可欠との認識」と解説しているが、橋下は日本の教育に欠陥があると言っているようである(公平を期すなら、渡辺の批判は以下の記者会見の前に表明されたもの)。

過去の戦争「総括すべし」 尖閣、竹島めぐり橋下氏「恨み持たれてもしょうがないことも」

新党「日本維新の会」の代表を務める橋下徹大阪市長は19日、尖閣諸島や竹島の問題に絡み「中国、韓国が何を怒っているのか、しっかり過去の戦争を総括すべきだ。恨みを持たれてもしょうがないこともある」と述べ、問題解決には過去の歴史の再検証が不可欠との認識を示した。

橋下氏は「日本人はアジアの歴史をあまりにも知らな過ぎる。今の日本の体たらくが、竹島、尖閣の問題に結び付いている」と強調した。

 同時に「敵を知って己を知らないと、自分の主張を通すことはできない」として、こうした問題につながる日本の歴史を国民が正確に理解しておかなければ、中国や韓国に対抗できないとの認識を示した。

 市役所で記者団の取材に応じた。

産経 2012.9.19


日本が何が悪かったのか韓国が何を怒っているのか総括した上で
日本はどういう主張をするのか 2012.9.19 [未bu編集]