2015/09/30

パク大統領、国連演説で再び踏み込む

NHK

昨年は、「直接言及せず、抑制的な内容になった」「昨年(2013年)の国連総会では・・・慰安婦問題を強く示唆したうえで、『被害者が納得できる責任ある措置と名誉回復』を事実上、日本政府に要求していた。今年はこうした表現はないことから、日韓の関係改善の雰囲気が高まっている中、水を差さないよう配慮した可能性がある」朝日 2014.9.25などと報じられていたのだが・・・。

朴大統領、慰安婦問題の解決要求 国連演説、安保法牽制

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は28日、国連総会の一般討論演説で旧日本軍の慰安婦問題について、「解決策が速やかにまとめられなければならない」と述べた。10月末にも開かれる日中韓首脳会談の際に、安倍晋三首相との初めての日韓首脳会談が調整されており、その前に日本側に慰安婦問題解決を強く求めた形だ。

慰安婦問題について朴大統領は、第2次世界大戦当時に厳しい性暴力を経験した元慰安婦の女性がもう何人も残っていないと指摘した。その上で元慰安婦の女性が生きている間に「心の傷を治すことができる解決策」を要求。「過去を認識できずに、未来を切り開く道はない」と述べ、日本側に問題の重要性を十分に理解するよう促した。

演説では、集団的自衛権を行使できるようにする日本の安全保障関連法にも触れた。(以下略)

朝日 2015.9.29

中央日報は、「旧日本軍慰安婦を国際イシュー化 」と小見出しをつけた。韓国政府の関係者は3カ国首脳会議を前に日本政府に対して「圧力を加えた」と語ったとされるが、日本政府の反応は聞こえて来ない。空振りか?

 ◆旧日本軍慰安婦を国際イシュー化

  朴大統領は昨年の国連総会演説で歴代大統領では初めて旧日本軍慰安婦問題に言及した。「戦時の女性に対する性暴行は時代や地域を問わず、明確に人権と人道主義に反する行為」と述べながらだ。今年も約160カ国の首脳の前でこの問題を持ち出した。普遍的人権レベルで言及した昨年に比べ、より具体的で強度も強まったという評価だ。

  朴大統領は今回の演説では「第2次世界大戦当時に過酷な女性暴力を経験した被害者はもう何人も残っていない。この方たちが生きている間に心の傷を治癒できる解決策が早く用意されなければいけない」とし「過去を認知せずに未来を開いていく道はない」と述べた。政府関係者は「10月末または11月初めに韓日中3カ国首脳会議が開催される可能性が高まっているだけに、日本政府が進展した立場を示すよう圧力を加えた」と説明した。

中央日報日本語版(一部) 2015.9.30[2]

読売は社説の中でパク大統領の言及を批判的に取り上げた。

今回の演説では、元慰安婦を念頭に、生存者が少なくなっており、「心の傷を癒やす解決策」が早急に必要だとも述べた。

問題は、朴氏が具体的な解決策を提示せず、日本の歩み寄りだけを求めていることだ。日本のアジア女性基金の活動を評価したこともない。基金は、韓国の元慰安婦61人に首相のお詫わびの手紙とともに「償い金」を支給している。

朴氏は「国連人権委員会の特別報告者らの努力を無駄にしてはならない」と語った。クマラスワミ報告は、慰安婦を「強制連行された軍用性奴隷」とするなど、事実誤認が多い。これに依拠した日本批判は受け入れがたい。

読売社説(一部) 2015.9.30

2015/09/27

梁澄子、韓国大田市に協力要請

梁澄子(中央左)

ソン・シンド(宋神道)は内戦に明け暮れる朝鮮人を嫌い、今で言うところの嫌韓派だった。韓国社会も最近まで日本軍慰安婦に冷淡だったし、洋公主には今も冷淡である。しかし最近では、震災でソン・シンドが行方不明と聞けばメディアが騒ぎ出すわで在日朝鮮人慰安婦まで蝶よ花よ(子供じゃないが)の扱いである。

記事にもあるように、ヤン・チンジャ(梁澄子)は日本政府を訴えたソンを支援している・・・ということになっているが、ソン本人が裁判をしているのか運動家の訴訟に利用されているのか微妙な所である。震災後はソンを東京に引き取り面倒を見ている。

ヤンは慰安婦博物館(ソウル)の日本後援会の会長も務めており、この博物館の建設の際は、方清子(パン・チョンジャ)と建設委員に名を連ねていた。政府だけでなく、最近では韓国の地方自治体も慰安婦騒動に介入してきた。意見書を採択したり、慰安婦像を建てたり。日本側にあって、その仲介役として期待されるのが、日本生まれのヤン・チンジャのような人々ということだろう。彼女は挺対協の日本代理店のような働きをしている

余談だが、大田市の前市長は、訪韓したKAPAC(米国)のイ・チョルウと何やら打ち合わせしたりもしていた。まだ取り上げていないが。

参考: 大田市に慰安婦像 来年予算に5000万ウォン(2014.11)

「慰安婦」被害者ソン・シンド ハルモニ日本国内後援者大田市訪問

日本に唯一人生存している日本軍「慰安婦」被害者ソン・シンド ハルモニを後援している「日本軍慰安婦問題解決全国の行動」の共同代表であるヤン・チンジャ氏が18日大田市を訪問してクォン・ソンテク大田市長と歓談した。

今回のヤン・チンジャ氏の訪問は、クォン・ソンテク市長が光復節を控えた8月8日から10日までイ・カプスク性平等企画特別補佐官を日本に派遣し、ソン・シンド ハルモニを見舞ったことに対する感謝と、日本軍慰安婦の問題が解決するよう大田市が継続的に関心を持ってくれることを要請するためだ。
この席でクォン・ソンテク市長は「日本が我が国を侵略し植民地支配する当時想像できない被害をこうむった慰安婦ハルモニの問題に対し、日本の真の謝罪と反省を通じた早急かつ適当な解決が実現するよう地方政府レベルでも積極的に努力したい」と話した。

この日の会談にはチェ・ヨンミン大田平和女性会共同代表と前回の日本訪問に同行したイ・ヨンボク前大田平和の少女像建立市民推進委員会執行委員長が同席(?)した。

この日訪韓したヤン・チンジャ氏は北海道生まれの在日朝鮮人二世として現在日本で「全国行動」の共同代表と「戦争と女性の人権博物館日本後援会長(ソウルの慰安婦博物館のこと)」を務めている。1990年の12月に日本YWCA会館で韓国挺身隊対策協議会のユン・ジョンオク共同代表の講演を聞き、日本軍「慰安婦」問題解決のための活動を始めた、1993年ソン・シンド ハルモニのために「在日朝鮮人慰安婦裁判を支援する集い」を結成して支援してきた。

また、2007年ソン・シンド ハルモニの法廷闘争と支援運動を入れたドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』を製作して日本全国100ヶ所余りで上映した。2011年の日本の大地震の際被災したソン・シンド ハルモニを東京に迎え現在まで世話している。

 Newsinsight 2015.8.18[2]


‘위안부’피해자 송신도 할머니 일본 내 후원자 대전시 방문

일본에 유일하게 생존하고 있는 일본군 ‘위안부’피해자 송신도 할머니를 후원하고 있는 ‘일본군 위안부 문제해결 전국행동’ 공동대표인 양징자 씨가 18일 대전시를 방문하여 권선택 대전시장과 환담했다.
이번 양징자 씨의 방문은 권선택 시장이 광복절을 앞둔 지난 8월 8일부터 10일까지 이갑숙 성평등기획특별보좌관을 일본에 보내 송신도 할머니를 위로한데 대한 감사의 인사를 전하고 일본군 위안부에 대한 문제해결이 이루어지도록 대전시가 지속적인 관심을 가져주기를 요청하기 위해서다.

이 자리에서 권선택 시장은 “일본이 우리나라를 침략하여 식민지 지배 할 당시 상상할 수 없는 피해를 입은 위안부 할머니들의 문제에 대해 일본의 진정성 있는 사죄와 반성을 통한 조속하고 합당한 해결이 이루어 질 수 있도록 지방정부 차원에서도 적극 노력하겠다”고 말했다.
이날 만남에는 최영민 대전평화여성회 공동대표와 지난번 일본 방문에 동행했던 이영복 전 대전평화의소녀상건립 시민추진위원회 집행위원장이 함께 했다.
이날 방한한 양징자 씨는 일본 홋카이도 출생 재일 조선인 2세로서 현재 일본에서‘전국행동 공동대표’와‘전쟁과여성인권박물관 일본후원회 대표’를 맡고 있으며,
1990년 12월, 일본 YWCA회관에서 한국정신대대책협의회 윤정옥 공동대표의 강연을 듣고 일본군’위안부’문제해결을 위한 활동을 시작하였으며 1993년 송신도 할머니를 위해‘재일조선인위안부 재판을 지원하는 모임’을 결성하고 지원해 왔다.
또한 2007년 송신도 할머니의 법정투쟁과 지원운동을 담은 다큐멘터리 영화 ‘나의 마음은 지지 않았다’를 제작하여 일본 전국 100여개 소에서 상영한 바 있으며 2011년 일본 대지진 당시 피해를 입은 송신도 할머니를 도쿄로 모시고와 현재까지 돌보고 있다.

2015/09/25

サンフランシスコに慰安婦碑決定



サンフランシスコ市議会が慰安婦の碑の設置を決定した。これについて書かなければいけないことは幾つかあるが、とりあえず、一番悪い形で決着したというのが感想である。現地の事情に詳しい人によれば、碑文は曖昧な物になるだろうという。今後こういうパターンが増えるのではないか。一時期、日本の地方議会で猛威を振るった「意見書」採択運動と同じ。批判が高まると中身を曖昧にして批判をかわす。意見書の場合は採択させることに・・・採択数を稼ぐことに意味があり、中身にはさほどこだわらない。慰安婦モニュメントもそう。設置させたという実績、モニュメントが存在することに意味がある。既成事実を作れば、後は好きなように政治利用出来るし、子供の「教育」に使える。

「日本軍に拉致された20万超の女性」(パリセイズパーク)
露骨な碑文は言い逃れし難い

だから、後で言い逃れ出来ない分、グレンデールやパリセイズパーク(写真)のような露骨なモニュメントの方が望ましいとも言える。

そういう意味で、サンフランシスコの件は一番悪い形で決着したと述べたが、悲観する必要もない。サンフランシスコ市は、二年前「性奴隷制度非難決議」なるものを採択している。そこには、日本政府が「国家の意思として」慰安所に送る目的で女性を拉致したことが肯定されている[大阪市 リンク切れ]。我々は、サンフランシスコに設置される碑を、この決議とセットで記憶していけばいい。

NHKのトーンも微妙?

サンフランシスコ市議会 慰安婦の碑など設置求める決議

アメリカ・サンフランシスコの市議会で22日、いわゆる従軍慰安婦の碑や像の設置を求める決議案が全会一致で採択され、日本では慎重な対応を求める声も上がっていたことから、今後、反発が強まることも予想されます。

この決議案はことし7月、サンフランシスコ市議会の11人の議員のうち8人が共同で提案したもので、民間団体と協力して、市に、従軍慰安婦を記憶するための碑や像を設置することなどを求めています。

22日開かれたサンフランシスコ市議会の本会議で決議案の審議が行われ、議員たちからは「歴史の真実を伝えていくことが必要だ」という意見が相次ぎました。続いて採決が行われ、全会一致で決議案は採択されました。

議場には大勢の中国系や韓国系の住民が傍聴に訪れ決議案が採択されると拍手が上がっていました。決議に拘束力はありませんが、現地では中国系や韓国系の団体が像の設置を目指す動きがあり、こうした動きの後押しにつながるという見方もあります。

一方、決議案に対しては、姉妹都市である大阪市の橋下市長が、先月27日付けでサンフランシスコ市議会に、慎重な対応を求める公開書簡を送るなど日本側から懸念の声も上がっていたことから、今後、反発が強まることも予想されます

決議の採択について提案者の一人、エリック・マー議員は「全会一致で採択されたことで大きく前に進んだ。今後1年以内にロサンゼルス近郊のグレンデールのように慰安婦像が設置出来ることを望む」と述べました。また傍聴に訪れていた中国系アメリカ人の男性は「中国系、韓国系、それに日系を含めすべての人たちが一緒になり、問題の解決と将来の世代の教育のために取り組んだことがよかった」と話していました。会場を訪れていた、いわゆる従軍慰安婦だったという女性は「歴史の真実を覆い隠すことは出来ません。皆さんのおかげです。ありがとう」と話していました。

NHK 2015.9.23[2]

2015/09/22

ドイツで慰安婦問題国際会議 林博史・挺対協が参加


ヨーロッパツアー中のキム・ボクトンを招き、ベルリンで慰安婦問題をテーマにした会議が開催される。国際会議と銘打つのは少々オーバーな気もするが、日本から林博史教授が参加。そして挺対協のユン・ミヒャンも講演するらしい。林教授は、確か昨年(?)もユン・ミヒャンらとヨーロッパで行動を共にしていた。挺対協としては、韓国の研究者よりも日本の「専門家」の方が頼りになるようである。日本批判に理論的裏づけを提供するのは、女性戦犯法廷の頃から日本人の役割だった。ちなみに、「アジア・太平洋戦争」というのも、日本の左翼言葉だったと思う。

現地の韓国系の団体のウェブサイトには、アジア・太平洋戦争中、14歳で日本軍によって誘拐されたキムは20万人の「慰安婦」の数少ない生き残りと紹介されている。日本の安倍首相は、悪いのは民間業者で国に責任はないと言い張っている、と。

現地時間23日には、ベルリンの日本大使館前で水曜デモが執り行われる。写真は、若い頃のキム・ボクトン。[ソース]

追記: ベルリンの水曜デモは、韓国人と日本人のグループにより執り行われた。キム・ボクトンが大使館内に入ろうとしたが拒否されたという噂。


2015/09/20

高麗大教授「慰安婦は大金を稼ぎ、敢えて戦地に留まった」

チョン教授を糾弾する壁新聞

欧米の日本研究者が日本軍慰安婦を20世紀の性暴力の中でも「特筆に値する」と批判し、アメリカの政治家が日本の「否定論者」を恥を知れと面罵する中、彼らよりも日本と朝鮮半島の歴史に詳しい韓国人の学者は、必ずしも彼らと認識を共有していない。そして、こうした声は韓国においても大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。なぜなら、「歴史修正主義者」の言う事の方が説得力があるからである。

慰安婦は性奴隷といった物ではなく、数ヶ月働けば故郷へ戻る資金を稼ぐことが出来(前借金も完済?)、商売の為にあえて戦地に留まったと教え子たちに教えていたのは、高麗大のチョン・アンキ(정안기)教授。当然、こんな事を言えば、要注意人物として(社会から)マークされるわけだが・・・。

追記:その後、教授は学生らから糾弾される。性病が発覚すれば銃殺された慰安婦は性奴隷と呼ばれるに相応しい、教授の発言は韓国民としてあるまじきと。

「慰安婦は莫大な金を受け取っていた」高麗大教授発言波紋

高麗大の教授が「慰安婦は性奴隷といったものではなく、 莫大な(?)金を受け取っていた」と教えたことが明らかになり、波紋を呼んでいる。

19日京郷新聞は高麗大の経済学者チョン・アンキ(정안기)教授が今月15日「東アジア経済史」の授業で植民史観発言を行い物議をかもしたと明らかにした。

授業を聞いた学生と関係者などによれば、チョン教授はこの日「慰安婦は性奴隷ではない」「莫大な金を儲け、数ヶ月仕事をするだけで故国への運賃(?)を稼いだが<金を儲けるために>残った」と教えた。

引き続き「その時代、全員が親日派だった」として「当時の世相を理解しなければならない」等の発言をした。

また、チョン教授はこの日、安倍談話を擁護する内容のコラムをコピーして学生たちに配った。

コラムはソウル大のイ・ヨンフン教授が「未来韓国」というメディアに寄稿した「韓国人、貴方たちは何者なのか」というタイトルの植民史観観点を入れたコラムだ。

授業での発言が物議を醸し、チョン教授の過去の授業内容も再度注目されていている。

昨年も、チョン教授の授業を受けた学生たちが匿名で情報を上げることができるフェイスブックのページ「高麗大学竹林(?)」に似た内容の文を載せている。

匿名の高麗大生は「二学期チョン・アンキ教授の『経済学概論』授業を聞く」として「(教授が)植民史観を持っており、それを授業時間に話す」と打ち明けた。

学生によればチョン教授は「日本が我が国を収奪したというが、それは事実ではなく、日本は我が国の発展を助けた」とか「靖国神社がなぜ問題になるのか分からない」という風に話した。

チョン教授は18日京郷新聞との電話で、「当時<日帝に抵抗した>独立活動家1人のために99人の普通の人々が罪人扱いされるのは不合理だ」として「育つ学生たちに『正しい歴史観』を身につけさせる(植えつける)ために歴史教科書の改革と国政(?)化が必要だ」と話したと伝えられた。

Insight 2015.9.19 [2]

"위안부 어마어마한 돈 받았다" 고려대 교수 발언 파문

고려대 교수가 "위안부는 성노예가 아니다. 어마어마한 돈을 받았다"고 가르친 것으로 드러나 파문이 일고 있다.

19일 경향신문은 고려대학교 경제학자 정안기 교수가 지난 15일 있었던 '동아시아 경제사' 수업시간에 한 식민사관 발언을 해 물의를 일으켰다고 밝혔다.

수업을 들은 학생과 관계자 등에 따르면 정 교수는 이날 "위안부는 성노예가 아니다"라며 "어마어마한 돈을 벌었고 몇 달만 일하면 고국행 비행기 삯을 벌 수 있었지만 (돈을 벌기 위해) 남은 것"이라 가르쳤다.

이어 "그 시대에는 모두가 친일파였다"며 "당시 시대상을 이해해야 한다" 등의 발언을 했다.

또 정 교수는 이날 아베 담화를 옹호하는 내용의 칼럼을 복사해 학생들에게 나눠줬다.

해당 칼럼은 서울대 이영훈 교수가 '미래한국'이란 매체에 기고한 '한국인, 당신들은 누구인가'라는 제목식민사관적 관점을 담은 칼럼이다.

해당 수업에서의 발언이 문제를 일으키면서 정 교수의 과거 수업 내용도 다시 주목 받고 있다.

지난 해에도 정 교수의 수업을 들은 학생들은 익명으로 제보를 올릴 수 있는 페이스북 페이지 ‘고려대학교 대나무숲’에 유사한 내용의 글을 올린 바 있다. 

익명의 고려대 학생은 "2학기 정안기 교수님의 ‘경제학개론’ 수업을 듣는다"며 "(교수님이) 식민사관을 가지고 계셨고 그것을 수업시간에 이야기하신다"고 털어놨다.

학생에 따르면 정 교수는 "일본이 우리나라를 수탈했다고 하지만 그것은 사실이 아니고 일본은 우리나라 발전에 도움을 주었다"거나 "야스쿠니신사가 왜 문제가 되는지 모르겠다"는 식으로 발언을 했다.

정 교수는 18일 경향신문과의 통화에서 "당시 (일제에 저항한) 독립운동가 한 명 때문에 99명의 보통 사람들이 모두 죄인 취급을 받는 것은 불합리하다"며 "자라나는 학생들에게 '올바른 역사관'을 심어주기 위해 역사교과서 개혁과 국정화가 필요하다"고 말한 것으로 전해졌다.

2015/09/19

[メモ] 「無かったと言っているのもキチガイ」 (マイケル・ヨン)


「(虐殺など)何も無かったと言っているのはキチガイ。中国の言うことを真に受けるのもキチガイ」(マイケル・ヨン)

Only nutcases are denying that anything happened, and only nutcases take China at their word.‬

2015/09/17

2016年欧州「告げ口外交」ツアー参加者募集中


フランス、スイス、イタリア、ドイツを巡る19泊20日の、若者たちによる告げ口外交ツアーもとい平和ツアー。来年度の参加者募集中。2015年のツアーには、日本の市民運動家も合流。そしてこちらが→2014年のツアーの様子。

過去のツアーの様子
「日本は戦争をしたがってる」

沖縄の運動家 「親戚の警官が朝鮮で女性を拉致した」

キャプションはアメーバニュース

警察官だった親戚から戦時中朝鮮半島で女性を拉致して日本に送っていたと聞いた・・・と母から聞いた。親戚が経営していた慰安所で働いていたのは、そうした女性たちだったのかと思った。韓国へ謝りに行きたいと、沖縄の平和運動家。

沖縄の三線もあまり変わらないと思うが、芸者でもいきなりは三味線は弾けない。座敷に出る前の年齢から稽古を積んで文字通り芸者になる。拉致されて来た朝鮮人女性が、三線を教えているという光景はちょっと想像し難い。親戚が経営していたのも、やはり慰安所というより料亭(妓楼)だったのだろう。朝鮮人だけでなく、沖縄の女性も幼い頃に親に「売られて」来ていたはずである。沖縄の言葉で「尾類売い(ジュリウイ)」と言ったらしい。警察官が銃を突きつけて女性を誘拐すれば一生を棒に振る。しかも伝聞の伝聞。

「戦後、間もなくして朝鮮から数人の女性が米軍のジープに乗って、母を訪ねてきた。お世話になったと、お礼のお金を持ってきた」・・・沖縄の辻遊郭の出身だった上原栄子は、家族的繋がりの強い世界だったと回顧している。つまりそういう事だったのでは?

「国が従軍慰安婦の強制連行を否定したことが許せなかったのでしょう」。おじさん→母→本人→息子。伝聞を伝聞した人の気持ちを更に別の人間が忖度。

伊佐さんの記憶に残っている話をもうひとつ。戦前の泡瀬の町の外れに日本軍が駐屯していた。駐屯地の近くには料亭が2、3軒あった。どこも日本兵の慰安所になっていた。伊佐さんの親戚も「アブガドー」という屋号の料亭(慰安所)を経営していた。そこでは朝鮮半島から連れてこられた女性たちが4、5人働いていた。

13歳だった伊佐さんは、親戚の料亭によく遊びに行き、そこのお姉さんから三線(さんしん)を教えてもらっていた。色白で、いつも白粉(おしろい)の匂いがするとても優しいお姉さんだった。

2階には毎日40、50人の兵隊が並んで順番を待っていた。ある時、おかみさんが三線を教えているお姉さんに「早く2階に上がりなさい」と言った。お姉さんは「今日は痛いから休みたい」と言ったが聞いてもらえず、2階に姿を消した。着物の裾から見えた奥のほうが真っ赤にはれていた。少年の伊佐さんには意味がわからなかった。ただかわいそうだと思っていた。

戦後、伊佐さんの母親が朝鮮半島から帰ってきた親戚のおじさんから、彼が戦時中に朝鮮で何をしていたのかと聞いた。警察官だったおじさんは、若い娘を探して捕まえ、日本に送っていた。娘の父親が助けてと言っても、銃を突きつけて脅して無理やり連行したと得意げに言っていたという。

伊佐さんは「そうだったのか、三線を教えてくれたお姉さんはそうやって連れてこられた慰安婦だったのか。なら、もう二度と三線は弾かない」と、持っていた三線を壊してしまった。

母親は朝鮮の女性たちからの相談にいろいろ乗っていたらしい。戦後、間もなくして朝鮮から数人の女性が米軍のジープに乗って、母を訪ねてきた。お世話になったと、お礼のお金を持ってきたのだ。その時の日本円と米軍軍票のB円は今も大切に保管されている。

彼女らは慰安婦だったのでしょうか。母は私には言葉を濁していましたが…」

伊佐さんは、親戚の家が慰安所だったことを子供たちにも語らなかった。この話を語り始めたのは、ヘリパッド反対の座り込みが始まった前後からだ。

国が従軍慰安婦の強制連行を否定したことが許せなかったのでしょう。その頃から少しずつ話をするようになった」

と、息子の真次さんは言う。80歳を過ぎてから伊佐さんは家族に「韓国に行きたい」と言うようになった。

「どうしても、慰安婦にさせられた人たちに会って謝りたい。あの時、助けてあげられなかったことを謝りたい。申し訳なかった、と」

日頃穏やかな伊佐さんがこの時だけは厳しい目つきになった。

週プレNEWS(一部) 2015.9.13[2]

2015/09/16

ワシントン挺対委、芸術・学術コンペ開催(米国社会に周知期待)

「許しへの希望」ねぇ

ワシントン挺対委が、アメリカ社会に慰安婦問題を周知させる目的でエッセイやアートのコンペを開催する。論文やアート作品を公募し、賞金も出すよ、と。アメリカの将来を担う青少年にこの問題を広く知らしめることが出来ると関係者は期待している様子。

「コンペ通じ慰安婦問題知らせる」
ワシントン挺対委、学術・芸術公募展開催
エッセイ・美術・研究論文など部門別

慰安婦問題をより幅広く知らせる目的で「第一回慰安婦問題学術・芸術公募展」が開催される。

ワシントン挺身隊問題対策委員会(会長イ・ジョンシル)は「日本軍慰安婦問題と関連した考証資料を収集して一般の人たちに問題に対する警戒心を鼓吹させる目的でエッセイ、研究論文およびアートの公募展を開く」と明かした。

イ・ジョンシル挺対委会長は「より多くの一般の人たちに慰安婦問題を知らせるという趣旨で大会を主催することになった」「ジョンズ・ホプキンス大韓米研究センター(SAIS)の後援でこうした大会を開くことになり嬉しく、(米国の)主流社会の主役になる青少年に慰安婦問題を広く知らしめる機会になることを願っている」と話した。

中高生を対象にしたエッセイコンテストは、一等二等三等にそれぞれ300ドル、200ドル、100ドルの賞金をかけて(?)1000~1200字のエッセイを募集する。 応募締め切りは10月31、エッセイのテーマは慰安婦決議案(HR121)およびワシントン挺対委のウェブサイトに掲載された各種資料を読んで抱いた自分の考えだ。 美術の公募展の応募資格は高校生以上、慰安婦の痛みと彼女たちの傷を抱く内容を作品に含めなければならない。 大賞受賞作は2016年から始まる各種慰安婦関連展示会に有名作家の作品と一緒に展示される予定。 募集締め切りは12月1日.

一方、大学生以上の一般人を対象にした研究論文の公募展は、慰安婦問題に関する知られていない考証文献を発掘し、自由な論旨で作成した研究論文がテーマ。 審査委員は資料の希少性と歴史性および論旨の創意性、参考文献、および論文の構成などを総合的に審査する予定だ。 一次選抜者の中から一位から三位までそれぞれ500ドル、300ドル、200ドルの賞金が与えられ、ワシントン挺対委の2015年冬季カンファレンスで発表される。 一次選抜者らの論文から選ばれ、2016年1月に発表される最終優勝者には500ドルの追加賞金が与えられる。 また、最終優勝研究論文はアメリカで刊行予定の慰安婦問題関連著書籍に収録される。


“공모전 통해 위안부 문제 알린다”
워싱턴 정대위, 학술·예술공모전 개최
에세이·미술·연구논문 등 부문 나눠

위안부 문제를 보다 폭넓게 알리기 위한 목적으로 ‘제1차 위안부 문제 학술 및 예술공모전’이 개최된다.

워싱턴 정신대 문제 대책위원회(회장 이정실)는 “일본군 위안부 문제와 관련된 고증 자료를 수집하고, 일반인들에게 문제에 대한 경각심을 고취시키기 위한 목적으로 에세이, 연구논문 및 미술 공모전을 개최한다”고 밝혔다.

이정실 정대위 회장은 “보다 많은 일반인들에게 위안부 문제를 알리기 위한 취지로 대회를 주최하게 됐다”면서 “존스홉킨스 대학 한미연구센터(SAIS)의 후원으로 이같은 대회를 열게돼 기쁘고, 주류사회의 주역이 될 청소년들에게 위안부 문제를 널리 알리는 기회가 되길 희망한다”고 말했다.

중고생들을 대상으로 한 에세이 경연대회는 1, 2, 3등 각각 300달러, 200달러, 100달러의 상금을 내걸고 1000~1200자 분량의 에세이를 모집한다. 모집마감은 10월31이며 에세이의 주제는 위안부 결의안(HR121) 및 워싱턴 정대위 웹사이트에 게재된 각종 자료를 읽고 갖게된 자신만의 생각이다. 미술공모전은 고등학생 이상이 참가할 수 있으며, 위안부들의 아픔과 그들의 상처를 보듬는 내용을 화폭에 담아야 한다. 대상 수상작은 2016년부터 시작되는 각종 위안부 관련 전시회에 유명 작가들의 작품과 함께 전시될 예정이다. 모집마감은 12월 1일.

한편 대학생 이상 일반인들을 대상으로 한 연구논문 공모전은 위안부 문제에 관한 알려지지 않은 고증문헌을 발굴해 자유로운 논지로 작성한 연구논문이 주제다. 심사위원들은 자료들의 희소성과 역사성 및 논지의 창의성, 참고문헌, 및 논문의 구성등을 종합적으로 심사할 예정이다. 1차 선발자 중에 1~3위까지는 500, 300, 200달러의 상금이 수여되며 워싱턴 정대위 2015 동계 컨퍼런스에서 발표된다. 1차 선발자들의 논문 중에 선발돼 2016년도 1월 발표되는 최종우승자에게는 500달러의 추가 상금이 주어진다. 또한 최종 우승 연구논문은 미국에서 발간 예정인 위안부문제 관련 저서에 수록된다.

2015/09/15

慰安婦像ブーム 釜山でもイザコザ

釜山では設置場所を巡り市と対立
慰安婦像ブームの実相

カナダに慰安婦像と建てようとしたが、一旦は協力を約束されながら地元にその約束を反故にされた華城市は、「韓国人所有の私有地に少女像を設置するのは可能だが、どうしてもバーナビー市の中心に建てるのとは意味が違ってくる」と未練たらたら。

韓国の昌原市では、他所でやれと地元の商店主に抗議される中、どうしても人通りの多い繁華街に建てたいと設置を強行。

そして釜山市。人が多い市民公園に建てさせろと言う市民団体と、博物館の中でいいだろうと突き放す市当局が対立。慰安婦像ブームは韓国国内でもあちこちで悶着を起こしている。

慰安婦像を設置しようという運動が国内外で盛り上がっているが、慰霊に相応しい静かな場所に・・・という発想はないようである。要するに動機が不純なのである。

設置場所巡りイザコザ…釜山慰安婦少女像製作中断

釜山の日本軍慰安婦少女像の製作が、設置場所を巡る争いのせいで暫く中断する事になった。

14日、社団法人挺身隊問題対策釜山協議会(釜山挺対協、理事長キム・ムンスク)によれば、少女像の製作は今年の6月に始まり、形は出来上がった状態だが鋳造(?)作業に入れずにいる。

キム・ムンスク理事長は、「市民公園内の少女像設置が不可解どうすることも出来ない状況だ」と説明している。

釜山挺対協と釜山市は、何ヵ月目(?)少女像の設置場所を巡り見解の違いを狭めることが出来ずにいる。

釜山挺対協は代表(的な?)都心の(?)公園である釜山市民公園が(慰安婦像に)最も相応しい場所だと見なしている。

釜山市は市民公園でなく南区の「日帝強制動員歴史館」という立場だ。

キム・ヘユン釜山市女性家族と女性権益増進チーム長は「歴史館の二階の『慰安婦展示館』が展示と教育のためのシナジー効果があり、より相応しい」と説明した。

日帝強制動員歴史館は2014年の5月に竣工したものの、運営主体などを巡る争いのせいで開館が遅れている。早ければこの10月に開館する予定だ。

キム・ムンスク理事長は「少女像は市民が多く往来する市民公園に入ってこそ意味がある」と話した。

釜山挺身隊対策協は少女像建立のために6月から募金(活動)を行っている。 建設費用7千万ウォン超のうち6千万ウォン余りが集まっている。

聨合ニュース 2015.9.14[2]


건립부지 놓고 옥신각신…부산 위안부 소녀상 제작 중단

(부산=연합뉴스) 김재홍 기자 = 부산 일본군 위안부 소녀상 제작이 건립부지를 둘러싼 다툼 탓에 잠정 중단됐다.

14일 사단법인 정신대문제대책부산협의회(부산 정대협, 이사장 김문숙)에 따르면 소녀상 제작은 올해 6월 시작돼 형태가 완성된 상태지만 주물 작업에는 착수하지 못하고 있다. 

김문숙 이사장은 "시민공원 내 소녀상 건립이 불가해 이러지도 저러지도 못하는 상황"이라고 설명했다.  


부산 정대협과 부산시는 몇달째 소녀상의 건립 부지를 두고 견해차를 좁히지 못 하고 있다.  

부산 정대협은 대표 도심공원인 부산시민공원을 가장 적합한 곳으로 보고 있다.

부산시는 시민공원이 아닌 남구 '일제 강제동원 역사관'이어야 한다는 입장이다.

김혜윤 부산시 여성가족과 여성권익증진팀장은 "역사관 2층의 '위안부 전시관'이 전시와 교육을 위한 시너지 효과가 있기 때문에 더 적합하다"고 설명했다.

일제 강제동원 역사관은 2014년 5월 준공했지만 운영 주체 등을 둘러싼 다툼 탓에 개관이 늦어졌다. 이르면 오는 10월 개관할 예정이다.

김문숙 이사장은 "소녀상은 시민들이 많이 오가는 시민공원에 들어서야 의미가 있다"고 말했다.  

부산 정대협은 소녀상 건립을 위해 지난 6월부터 모금을 벌이고 있다. 전체 건립비용 7천여만원 중 6천여만원이 모였다. 

2015/09/14

バーゲン郡の慰安婦碑に顕花する子供達(動画)




撮影時期は最近と思うが、詳細は不明(アップロードされたのは、今月13日)。バーゲン郡の慰安婦碑に顕花する子供たち。こういった碑は、米国において反日教育とは無縁だった子供たちに「正しい歴史教育」を施す為に利用されている。碑文に拉致(強制動員)と書いてあろうがなかろうが関係ない。もっとも、バーゲン郡の碑の場合、「日本帝国の軍隊によって性奴隷制に強制された数十万人」の女性云々と明記されているわけだが・・・。

在米韓国学校協議会の幹部がKACEと会談し、「今後近傍の韓国学校から慰安婦顕彰碑を訪問して碑を歴史教育に活用する方法を研究し、世界史と関連して韓国の歴史を教える」と公言したのは、昨年の12月だった。彼らはそれを着実に実行している

さて、17日に公聴会を控えたサンフランシスコの慰安婦像の件、どうなることやら。

2015/09/13

慰安婦像・子供・韓国旗(在外同胞写真コンテスト)

「121コーカス万歳」(部分)

先日、アメリカ在住の人にグレンデールに慰安婦像を設置した人々(KAFC)は反日ではなかったと言われた。そういう事もあるだろう。実はアメリカにおける慰安婦騒動は単純な反日ではなく、韓国系による民族神話造りの一面もあるのではないか、それを含めて当ブログは勝手にディスカバー・コリアと呼んでいるわけであるが、こういう小説←が現れる背景である。

韓国系が慰安婦像を死守せんとするのは、「神話」のマーケティングの邪魔をされていると考えるからで、日本人はしかし、ディスカバー・コリアがディスカウント・ジャパンと表裏を成しているだけに看過出来ない。そんなわけで、今サンフランシスコで日本人と韓国人が揉めているのだろう。

大賞に慰安婦応援作品=第3回在外同胞写真コンテスト

在外同胞財団(チョ・ギュヒョン理事長)主催の光復(日本による植民地支配からの解放)70周年記念「第3回在外同胞写真コンテスト」で、米国在住のシン・ジェドンさんの作品「121コーカス万歳」が大賞に選ばれた。

この作品には、従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」の隣に座り、太極旗(韓国国旗)を振る子どもの明るく天真らんまんな姿が写っている。「歴史の被害者である慰安婦を慰め、応援する写真で、光復70周年の意義がよく表現されている作品だ」と評価された。

同財団は「写真作品名『121コーカス万歳』は米下院の従軍慰安婦決議案(HR121)可決8周年にあたって日本の安倍晋三首相に謝罪を促す米国議員の会結成推進を歓迎する気持ちが込められており、格別の意義と感動を伝えた」と紹介している。(以下略)

2015/09/12

韓国高校教科書 新ガイドライン


日本国が多くの朝鮮人女性を慰安婦として連行し女性の人権を蹂躙した事を明確に記載、世界各国がこの問題を戦争犯罪とみなしている点についても留意し、日本の官憲によって強制的に連れ出されたケースを紹介すること・・・というのが、韓国の高校生向けの教科書の新しいガイドライン。

一方、公聴会では、内容が学問上の定説と関係ないものになれば歴史教育にとってマイナスという意見も出たようである。

早ければ2017年から高校で使用される韓国史の教科書に、日本軍による慰安婦の強制連行、哨戒艦「天安」撃沈、延坪島砲撃などについての記述が大幅に強化される見通しだ。高句麗についての説明では、当時の正確な東アジア情勢についての理解も促すことにした。

国史編纂委員会は11日「歴史科編纂準拠開発試案公聴会」を開催し、上記の内容を含む高校韓国史教科書執筆基準の試案を公表した。「教科書執筆基準」とは、執筆者らが教科書の内容を記述する際に従うべき一種のガイドラインに相当する。

この試案によると、特に慰安婦についての執筆の方針として「日帝が多くの女性を日本軍慰安婦として連行し、女性の人権をじゅうりんした事実を明確に記載せよ」と明記されている。また国際機関や世界各国が慰安婦問題を戦争犯罪とみなしている点についても留意し、日本の官憲によって強制的に連れ出されたケースを紹介するよう指示されている。また独島(日本名、竹島)や間島についても同じように明確に記述するようにした。たとえば独島については「われわれの固有の領土という事実を説明せよ」となっており、間島については「日帝が自国の利益を前面に出し、間島協約を締結した点に留意せよ」との試案を定めた。

さらに現代史においては北朝鮮の3代世襲や核兵器開発問題に加え、哨戒艦「天安」撃沈や延坪島砲撃など、最近の北朝鮮の動向にも留意するよう指示している。現在、天安撃沈と延坪島砲撃をいずれも紹介している教科書は全8冊中3冊だが、この試案が確定すれば、この問題についての説明が強化される見通しだ。

 さらに1940年代における大韓民国臨時政府の活動について説明する際には「韓国独立党と朝鮮民族革命党が協力して光復に向けた準備を行っていた点に留意し、内容を構成せよ」となっている。

 試案ではさらに、高句麗を自国の地方政権と見なそうとする中国の「東北工程」に対抗し、生徒たちが正しい歴史観を持つよう「高句麗と隋、高句麗と唐が戦争を行ったことなど、アジアにおける国際情勢やその背景などについて理解できるよう説明せよ」となっている。

教育部(省に相当)の関係者は「今回の試案は現在の韓国史教科書検定体制を国定に転換する問題とは別に定められるものだ」とした上で「公聴会で出た意見などを参考に、今月末には試案を確定させる予定だ」と説明した。

一方この日の公聴会では、執筆基準について研究を行っている5人の研究者が「もし歴史教科書が再び国定となり、内容も学問上の定説と関係ないものになれば、歴史教育が被るマイナスの影響は決して小さくはなくなるだろう」と主張し、国定化反対を改めて訴えた。

2015/09/10

カナダ慰安婦像計画頓挫で、次はフランス?

華城市のチェ・インソク市長
仏のリモージュ市辺りが次のターゲット?

カナダ(バーナビー)の慰安婦像を巡る騒ぎもまだ若干燻っている。現地の方の話だと実質計画は阻止されたが、日系人側は韓国系と話し合いには応じる姿勢で、そこに向こうは一縷の望みを託しているようである。

バーナビー市に慰安婦像を建てる計画は、韓国の華城市がバックアップしている。市が、というより、この市長だろう。同市では昨年市内に慰安婦像を設置しており、姉妹都市だか友好都市だかの関係を使ってバーナビーにこの話を持ち込んだ。日本人・日系人の反発が生じてからは、「少女像の目的は・・・女性の人権と尊厳を重んじることを訴えることにある」「日系社会や他のコミュニティーもかかわってほしい」「日系とコリア系の住民の友情を育みたい」週間金曜日とリップサービスに余念がないが、チェ・インソク華城市長は「20世紀最大の反人倫、反人権、反歴史的蛮行を世界に知らせるために少女像建立を積極的に推進している」と言っている。こちらの方が本音に近いような気がする。乗松聡子のような日本の平和運動家も「歴史の共有と和解のケースとなるか、今後の進展に注目」週間金曜日などと言って日系人団体を説得しようとしているが、日系人側からは距離を置かれていると聞いている。

9月9日の水曜デモに参加した華城市の女性団体

バーナビーに慰安婦像をという話は実現しそうになくなったが、華城市のチェ・インソク市長は中国やフランスの友好都市を念頭に次を考えているようである。地元の反対で一時期設置が危ぶまれた昌原市の慰安婦像(結局、反対を押し切り設置)を華城市が買い取り、それを転用しようと考えている。市民から集めた8000万ウォンの資金もある。もう一波乱あるかもしれない。

※ 聨合ニュースの記事は、ひろさんから。

チェ・インソク華城市長、昌原の平和の少女像買い取り海外に設置

京畿道華城市が一部の商店主(?)の反対で設置に困難を経験している慶南道昌原市の「平和の少女像」を買い取る計画を推進する。チェ・インソク華城市長は13日、「日本軍慰安婦として強制動員され、性奴隷として被害に遭った女性たちの名誉と人権を回復し、20世紀最大の反人倫、反人権、反歴史的蛮行を世界に知らせるために少女像建立を積極的に推進している」とし「昌原市の平和の少女像を買い取り、海外友好都市の『平和の少女像』の設置に使用する」と明かした。華城市は、カナダのバーナビー市をはじめ、中国の龍井市フランスのリモージュなど国外の姉妹及び友好交流都市の『平和の少女像』建立(計画)を推めている。華城市はその目的で、市民の自発的な参加で8000万ウォンを超える寄付を集めた。先に華城市は、昨年8月14日東灘セントラルパークに「平和の少女像」を除幕した 。「平和の少女像」は現在、ソウルの日本大使館向かいと慶南道の巨済など国内9カ所、ロサンゼルスのグレンデール市デトロイトのサウスフィールドなど海外2ヶ所に設置された。

この一方、華城市は光復70周年を迎え、3・1運動の精神を称え、当時日本の蛮行に殉国した23人を追悼するために「堤岩里3・1運動殉国記念館」を歴史公園に指定されるよう政府に要請した。



カナダ バーナビー平和の少女像建立事業漂流10ヶ月

華城市、了解覚書締結・設置費用意…日本人の反対で直ちにバーナビー市が事業保留決定

華城市がカナダのバーナビー市に推進中の「平和の少女像」の建立事業が現地の日本人たちの反対にぶつかって10ヶ月目足踏みをしている。

華城市は、日本軍慰安婦被害者の名誉と人権を回復するために姉妹都市であるカナダのバーナビー市に平和の少女像を建立する事業を昨年から始めた。

チェ・インソク華城市長が昨年10月8日バーナビー市を訪問、現地の韓人会およびバーナビー市と「平和の少女像設置のための了解覚書」も締結した。

平和の少女像はバーナビーのセントラルパークに設置、バーナビー市が設置場所を無償で提供することになった。

このため華城市平和の少女像建設推進委員会が結成され、市民を対象に募金運動を行い、建設費と配送料など4千万ウォン超を用意した。

今年解放70周年を控え、平和の少女像を建立しようとしていた華城市の計画は、4月15日バーナビー市(が?)突然平和の少女像建立事業の凍結(保留)を宣言してひびが入り始めた。

バーナビー在住の日本人を中心に平和の少女像建設反対の署名を市に提出して反発するや、市がこれにプレッシャーを感じ直ちに事業の凍結を決めたためだ。

現在の華城市と現地の韓人会が平和の少女像建設事業再開のために努力しているが、バーナビー市を翻意させるには至っていない。

華城市の関係者は「韓国人所有の私有地に少女像を設置するのは可能だが、どうしてもバーナビー市の中心に建てるのとは意味が違ってくる」としながら「当初の計画のとおり事業が推進されるように努力している」と話した。

華城市は昨年8月14日東灘セントラルパークに平和の少女像を除幕した。

平和の少女上は現在の国内外11ヶ所に建設され、全州市や原州市など国内13ヶ所に新たに設置を推めていることが分かった。


参考: 平和の少女像建立事業新局面 平和運動家乗松聡子も協力(vanchosun.com 2015.4.21)
追記: 華城市長、ナヌムの家を訪れる(アパートニュース 2015.9.26)

2015/09/09

強制動員名簿で認定された慰安婦、連行時10歳

どう考えても慰安婦ではない

83歳。終戦時は13歳くらい。12歳で日本に連れて行かれたと言うが、国民学校4年生なら、満年齢で9~10歳か。原爆が投下された1945年には広島にいた。この時、13歳。

1992年に慰安婦として韓国政府に認定されたような事が書かれているが、92年と言えば、韓国のマスコミが戦時中の学籍簿を漁って小学生が従軍慰安婦に動員された大騒ぎした年。その顛末は、産経の黒田記者の説明が分かり易い。中央日報も、学籍簿には学徒たちに対する説得過程・動員経緯・出発の日付・場所まで記録されていた、日本政府が体系的に従軍慰安婦の動員に関与していたことが証明されたなどと騒いでいたようである

本人は、思い出せない悪夢を口にしたくないと言っているが、断片をどう読んでも慰安婦の体験談とは思えない。戦後70年。高齢の女性から亡くなって行くと、ますますあり得ないような年齢の「被害者」が目立ってくる。今年の6月には、80歳の元慰安婦の訃報がニュースになった。一応、今年は戦後70年である。

<慰安婦生存者13人証言>12歳で経験した悪夢…その痛みを包んだ暖かいコート

  先月12日、慶尚南道昌原(チャンウォン)の金福善(キム・ボクソン)さん(83)の家を訪問すると、金さんは壁に静かにもたれてテレビを見ていた。ニュースが放送されるテレビから安倍晋三首相の名前が聞こえた。金さんはすぐに背を向けた。「安倍の話が出てくればテレビを消してしまう。あまりにも憎くて。以前の首相はまだこれほどではなかったが、この人は違う。私たち慰安婦被害者の話を少し聞くべきなのに…」。 

  金さんは12歳の時に日本に連れて行かれた。当時は国民学校(小学校)4年だった。誰かが当時のことを尋ねると、金さんは「はっきりと思い出せない」と答える。あまりにも幼かったということもあるが、それよりは悪夢を口に出したくないからだ。しかし金さんは「言葉で表現できない、日本は…」としながら話を続けた。「私たちが貧しく、もやしを育ててご飯を食べさせたが、警察や日本の人が来て器を足で蹴飛ばした。よい印象がない、日本は。慰安婦の時もあちこちに連れて行かれ、どこかはっきりと分からなかったが、本当に苦しかった」。

  金さんは広島の原爆の恐怖も振り返った。「広島県に爆弾が落ちた。その爆弾が落ちたところの近くに私たちがいた。それで布団などを持ってみんな出て行き、堀端に隠れていた。爆弾を受けないように。それははっきりと覚えている」。

  解放後に韓国に戻った金さんは遅れて中学校に入った。当時は中学校まで行くケースが多くなかったため、金さんが自慢する記憶だ。その後は結婚して子どももできた。みんなが貧しかった時代、金さんも子どもの腹を満たすためにあらゆる苦労をした。最初に始めたのは木の器を売る商売だった。休む間もなく働いていると、いつのまにか子どもが成長してかわいい孫が生まれ、小さな家も持った。しかし金さんの傷は癒えなかった。

  慰安婦被害者調査・登録が始まった1992年、政府は金さんが通った小学校の強制動員名簿を確認し、金さんを被害者として登録した。その後、一度だけ放送に出て被害事実を証言したが、当時に受けた傷のため二度と被害事実を述べたり写真を撮影したりはないという。

  「当時、近所の女性たちが私について『ああ、あの人の家はどれほど貧しかったのか…。あんなところに連れて行かれて』と話していた。私の中学校の同窓生もまだ近所に暮らしていたが、親しい友人も同じだった。それでいかなる行事に行っても絶対に写真も撮らず話もしない。私は…」。

  周囲の誰にも堂々と話すことができず、むしろ罪人のように暮らした。冷たい視線を向けられるのでは、子どもが被害を受けるのでは、と思うと怖かった。その金さんに小さな慰めになったのは別の被害女性だった。金さんは数年前から近い地域にいる被害女性と親しくなり、外出したりもする。小さな喜びも享受する時間は多くない。金さんはあきらめることなく日本政府から謝罪を受ける日を待っている。認知症にならないよう外出して人に会い、歌の教室にも通っている。金さんに最も重要なのは女性家族部から昨年贈られた冬用のコートだ。

  「これは私がデパートに行って自分で選んだ。本当に気に入って冬によく着た。健康が悪化して認知症になってはいけないので、できるだけ外に出ようと思う」。



2015/09/08

女性省長官、大学生に日本軍慰安婦問題を講義


「日本軍慰安婦被害者問題と関連した本質と惨状、問題解決のための我が国政府と市民団体、国際社会の努力を」紹介。紛争地の女子供に対する暴力を学び、世界平和の守りとなって欲しいと女性省の長官が次代を担う子供たちに訴える。まぁ、大人の言うことだから、韓国政府が基地村売春婦に訴えられている件については、触れないつもりだろう。「被害者」に対して、違法行為を立証しなければならないと突っぱねる韓国政府のダブルスタンダードに対して、この子供たちが目覚める日は来るのだろうか?

それでも、キム・ヒジョン長官は前任者に比べれば大人しいか。

キム・ヒジョン長官、同徳女子大で慰安婦問題解決特別抗議

女性家族部(省)のキム・ヒジョン長官は8日午後、ソウル市城北区の同徳女子大学を訪れ、学生400人余りを対象に日本軍慰安婦問題解決のための青年の役割に対して講義する。

女家省によれば今回の講義は同徳女子大が名士を呼んで実施する「同徳リーダーシップ特講」講演者としてキム長官を招請して実現した。

キム長官はこの席で「真実を求める叫び、平和のための行動!」というタイトルで、日本軍慰安婦被害者問題と関連した本質と惨状、問題解決のための我が国政府と市民団体、国際社会の努力を紹介する予定だ。

また、全世界の紛争地域に蔓延する女性・児童対象性暴行実態を伝え、我が国(?)の青年が歴史の真実をまともに勉強してその教訓を実践することによって世界平和の守りになって欲しいと要請する予定だ。

キム長官はこれに先立ち、今年の前半、民族史観高校と大元外国語高校の生徒たちを対象に同じ内容の講義を行っている。

ZUM 2015.9.[2]

김희정 장관, 동덕여대서 위안부 문제 해결 특강

권혜진 기자 = 김희정 여성가족부 장관은 8일 오후 서울 성북구 동덕여자대학교를 찾아 대학생 400여명을 대상으로 일본군 위안부 문제 해결을 위한 청년의 역할에 대해 강의한다.

여가부에 따르면 이번 강의는 동덕여대가 사회 명사를 초청해 실시하는 '동덕 리더십 특강' 강연자로 김 장관을 초청해 성사됐다.

김 장관은 이 자리에서 '진실을 위한 외침, 평화를 위한 행동!'이란 제목으로 일본군 위안부 피해자 문제와 관련된 본질과 참상, 문제 해결을 위한 우리 정부와 시민단체, 국제사회의 노력을 소개할 예정이다.

또 전 세계 분쟁지역에서 벌어지는 여성·아동 대상 성폭력 실태를 전달하고 우리 청년들이 역사적 진실을 제대로 공부해 그 교훈을 실천함으로써 세계 평화의 지킴이가 되어 달라고 요청할 계획이다.

김 장관은 앞서 올 상반기 민족사관고등학교와 대원외국어고등학교 학생들을 대상으로 같은 내용으로 강의한 바 있다.

2015/09/07

[絵で見る強制連行 3] 学生絵画コンテスト


8月15日にソウルの光化門広場で開催された学生を対象にした慰安婦をテーマにした絵画コンテストの入選作らしい。[ソース]



2015/09/06

朝日OB 「イデオロギーに囚われた記者が虚報と混乱をもたらした」


産経新聞が植村隆元朝日新聞記者のインタビューを何回にも分けて連載しているが、長い。まだ終わらない(6日現在)。植村へのバッシングは明らかに行き過ぎで、産経紙上に反論の機会を得たのは植村としては僥倖であった。産経は植村に塩を送る積りはなかったろうが、前半戦では、植村の反論に阿比留記者らがグウの音も出なくなっていた。当然である。産経の慰安婦報道は雑なのである。

産経VS植村の全景は別の機会に見て行くとして、連載後半になって植村が自分の事だけでなく朝日新聞の報道自体について開き直る様子を見せているので、ちょっと、他のOBの意見も取り上げたい。朝日関係者で朝日の慰安婦報道を批判しているのは、前川恵司だけではない。植村は(朝日以外も含めて)記者は皆善意だったと繰り返すのだが・・・。

侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪、おわび。そういう気持ちがやっぱり社の一つのジャーナリズムの柱だったと思う。だから慰安婦問題も多分そういう流れ。女性の人権の流れ。松井やよりさん、ご存じだと思うんですけども松井やよりさんが、80年代にさまざまな形で発掘してきた、そういう流れがあった。...松井やよりさんは、(韓国挺身隊問題対策協議会代表の)尹貞玉さんとも交流があって、やっておったわけですよね。...朝日新聞がやってきた、アジアへの侵略戦争の反省と、それを伝えようという作業。そういう作業というのは、僕自身、それを誇りに思っている


松井やより
「新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした」(長岡)

では、その松井やよりを同じ朝日OBの長岡昇はどう語っているか。長岡は松井の振る舞いを活動家だったと回想している。「イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した」とまで言っているのである。そういう記者たちが「慰安婦問題の虚報と混乱をもたらした」と。

1978年から30年余り、私は朝日新聞で記者として働きました。体力的にも精神的にも一番エネルギッシュな時期を新聞記者として働き、そのことを喜びとしていた者にとって、慰安婦問題をめぐる不祥事は耐えがたいものがあります。[...]慰安婦報道をめぐる過ちは、勘違いや単純ミスによる記事の訂正と同列に論じるわけにはいきません。[...]「問題の本質は何か」などという論理で逃げるのはおかしい。[...]

慰安婦報道に関して思い出すのは、この問題に深くかかわっていた松井やより元編集委員のことです。彼女は退社した後、私がジャカルタ支局長をしていた時にインドネシアを訪れ、かつての日本軍政時代のことを取材していきました。来訪した彼女に対して、私は後輩の記者として知り得る限りの情報と資料を提供しようとしたのですが、彼女は私の話にまったく耳を傾けようとしませんでした。ただ、自分の意見と主張を繰り返すだけ。それは新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした。[...]イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題の虚報と混乱をもたらしたのだ、と私は考えています。(以下略)

2015/09/05

武藤前特命全権大使 「挺対協に武器を与え続けてきた朝日の罪は重い」


武藤正敏著『日韓対立の真相』。在韓国特命全権大使を務めた人物だけに、温和な人物である。読んでいて歯痒く感じてしまう部分も多いのだが、朝日新聞と挺対協に関してはかなり厳しい。

朝日新聞が第三者委員会に過去の慰安婦報道の検証を依頼したのは昨年。報告書は12月に公表された。この中で委員の一人は、外国の新聞を分析して朝日新聞の慰安婦報道は国際社会に対してあまり影響しなかったと結論づけた(報告書 p.82)。ただし、そう結論づけた委員(林香里)自身、調査の限界も指摘しており、影響は無かったという結論に釈然としない人も多かったろう。

武藤は、外国メディアが朝日新聞を直接引用したか否かではない、韓国の慰安婦支援団体を通じて、朝日新聞は間接的に外国メディアに誤解を広めたと見ている。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。(外国の)報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼ら(挺対協)の主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。・・・海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

韓国民は挺対協によってマインドコントロールされており、挺対協は「一部であったかもしれない状況を誇張し」それを一般化することで現在の慰安婦のイメージを作り上げた、日韓が首脳会談を行えないのも挺対協が原因だと武藤前大使は分析する。

嫌韓の始まりを作ったのも朝日新聞?
92年1月11日の一面 首相訪韓のタイミングにぶつけたと言われている。

武藤はまた、嫌韓の始まりも朝日新聞の例の1992年1月11日の記事が原因だったと考えている。当時武藤は、外務省のアジア局で韓国を担当していた。「浴衣がけで来てほしい」と招かれていた宮沢首相の訪韓は朝日の報道で青天の霹靂となり、韓国側の態度は日本の親韓議員すら憤慨させた(朝日新聞は、この記事を宮沢首相の訪韓のタイミングに意図的にぶつけたと言われている)。「日本人の嫌韓感情の始まりだった」・・・そして現在の最悪の日韓関係に至る。朝日新聞の罪は重い。

この「慰安婦報道」の国際的な影響については、第三者委員会でも分析しています。林香里委員(東京大学大学院情報学環教授)は、「国際社会に対する朝日新聞による慰安婦報道の影響」について定量分析を行ない、「欧宋の報道機関の朝日新聞からの引用数は三十一本にすぎなかった」とし、「韓国における吉田氏への吉田氏への言及もわずか六十八本だった」と述べています。

他の委員やインタビューに応じた海外の有識者らにしても、日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にしたとのイメージが相当定着しているとしたうえで、「朝日新聞がそういうイメージの形成に大きな影響を及ぼした決定的な証拠はない」としています。

しかし一方で、「韓国側の慰安婦問題に関する過激な言説を、朝日新聞その他、日本のメディアはいわばエンドース(裏書)してきた。それは韓国における過激な批判に弾みをつけ、さらに過激化させた」と、同委員会は指摘しています。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼らの主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。

韓国のマスコミや有識者はよく「良心的日本人」の意見を紹介します。彼らのなかには「竹島は韓国の領土だ」とすら言う人がいて、韓国では英雄として扱われています。同様に、日本で「もっとも信頼度が高い」とされてきた朝日新聞か、慰安婦問題について日本を貶めるイメージを報道すればどうなるでしょうか。

また、海外のメディアが引用する回数が少ないといっても、外国で慰安婦像を次々に設置して報道を焚きつけている挺対協に、朝日新聞は「武器」を与え続けてきたのです。海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

朝日新聞がミスリードした罪

韓国の人々は挺対協によってマインドコントロールされており、その主張が通説となっています。彼らは一部であったかもしれない状況を誇張し、それを一般化して流布することで現在のイメージを形成しているのです。しかし、韓国政府も有識者たちも、それがおかしいとは言えない。といって、日本側が否定しても取り合おうとはしません。

この団体は、日本への悪印象を韓国社会に定着させ、彼らが主張する人道的な不法行為に対して法的責任を認めさせ、謝罪と賠償が実現するまで日韓関係を改善するべきではないと言い張っています。朴大統領が「日本政府が誠意を示すまでは首脳会談は行なわない」と頑なな姿勢を崩さないのも、挺対協の主張に振り回されているからです。朝日新聞の報道は、その流れをつくった大きな要素だったと言えるでしょう。

とくに日韓関係を転換させる重要なエポックとなったのが、。一九九二年一月十一日の記事です。宮沢総理の韓国訪問直前のこの日、朝日新聞は第一面で「慰安所の運営にあたり、軍の関与を示す新資料を発見した」と報じたのです。

同時に解説や社説を通して「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は八万とも二十万とも言われる」と伝えられました。これこそ、のちの挺身隊の主張そのものです。

このような記事が掲載されたことで、蘆泰愚大統領の追及が厳しくなり、宮沢総理は謝罪するとともに、調査を約束せざるをえない状況となりました。当初、「浴衣がけで来てほしい」との招待を受けていた総理でしたが、訪韓したら様相はがらりと変わっていました。もちろん、朝日報道だけが原因ではなかったのでしょうが、大きな影響を与えたことは間違いないと考えます。

そして、私はこのときの総理訪韓における韓国側の対応が日本人の嫌韓感情の始まりだったと見ています。当時、私はアジア局で韓国担当の課長を務めていたのですが、帰国後、多くの国会議員の方々から「韓国は実にけしからん。この状況をなぜ防げなかったのだ」と、大変厳しいお叱りをいただきました。とくに、それまで日韓関係のために努力をしてこられた議員からの声が大きかったと記憶しています。

朝日新聞の報道がどれほど日韓関係に悪影響を及ぼしたのか、当事者である朝日のみなさんがどの程度わかっていたのかは知る由もありません。しかし、私が先輩に教わってきたように、外務省の人間がマスコミをミスリードすることは絶対避けるべきであるのと同様、マスコミも世論をミスリードすることは許されないはずです。

「吉田証言」に誤りがあると判断した時点、あるいは疑わしいと考えた時点で訂正するべきだったのではないでしょうか。それを放っておいたために現在の難局を招いた朝日新聞の責任は甚大だと言わざるをえません。



2015/09/02

ストラスフィールド 「慰安婦像失敗、豪州の民主主義が勝利」

「三姉妹像」
姿に惑わされてはいけない

オーストラリアのストラスフィールド市を一年以上悩ませていた慰安婦像設置を巡る騒ぎに、先月漸く終止符が打たれた(たまには、英字新聞も翻訳してみた)。

地元紙がタイトルに使った「オーストラリアのデモクラシーの勝利」、これはVaccari市長の言葉らしいのだが、実はこの市長が慰安婦像推進派に取り込まれており、インタビューに決着に15ヶ月も要した言い訳をしているが、長引いた原因の一つはこの人物らしい。彼としては、こう言う他なかったのだろう。前市長の息子は、問題を大きくしてしまった市を批判している。Vaccari市長周辺の動きは、現地で反対運動を行っているAustralia-Japan Community Networkのウェブサイトに詳しい。もしも像の設置が決まっていたら、市長はどう言ったろう?新聞はどんなタイトルをつけたろう?やはり「オーストラリアのデモクラシーの勝利」と言ったろうか?新聞はともかく、市長はこうは言わなかったような気がする。

確かに、慰安婦像のオーストラリア大陸進出はひとまず阻止された。しかし、誤解が解けたわけではない。カナダやオーストラリアは慰安婦像の設置を食い止めたが、現地の日本人は、歴史論争には踏み込まず、モニュメント設置(既成事実作り)を阻止することに専念する、いわば言いたいことも言わず我慢する作戦を取っているからである。

それでも、なんとなくオーストラリアの雰囲気が微妙に変わって来てはいまいか?住民へのアンケートの結果、慰安婦像を支持する声は少数で連邦政府も像の設置にいい顔をしていなかったようである。これは、像のテーマが市の規定に適っていないというだけの理由だろうか?議員の中には、市が反日団体に嵌められたとハッキリと言う者までいた。

それにしても、「オーストラリアの勝利!」・・・こういうのがウケるのは、やはり移民国家だからなのだろうか?

※Ourstrathfieldの記事は江川さんから

慰安婦像の挫折、デモクラシーの勝利

国際社会が見つめる中でのオーストラリア・デモクラシーの勝利というのが衆目の一致するところだった。ストラスフィールド議会は今夜、第二次大戦中のいわゆる慰安婦を追悼するモニュメント(像)の設置を見送ることを票決した。

この決定により、ストラスフィールドの広場がこのような記念碑に相応しいかどうかについて、長く、時に感情的となった議論に終止符を打たれると見られている。

この問題は、70年前、20万人の若い女性が朝鮮や中国やその他のアジアの国々から日本兵の性奴隷として連れ去られたという主張を巡る議論の渦中にある二つの国--日本と韓国でニュースになっていた。

この問題は大きな歴史論争となり、昨夜、この問題の為だけの特別議会が開かれたストラスフィールドの公民館にへと流れ込んだのである。

入り口を警備員が固める中、日本人と韓国人を主体とした160人を超える人々が、あるいは意見を表明する為に、あるいは聴衆となる為に集まった。

テレビの画面では三ヶ国語の実況解説が流れ、日英韓国語によるストラスフィールド・シーン(ローカル紙)の特別版が配られた。

一部で懸念されたような抗議活動には発展せず、討論は繊細にかつそつなく進められ、文明的だった。

議長を務めたVaccari市長は、三人の外国メディアのレポーターに向かい、「オーストラリアのデモクラシーの勝利です。オーストラリアのデモクラシーが生きていることを知りました」と語った。

結論が出るまでに15ヶ月を要したことについて長過ぎたと思うかと問われ、市長は「もっと早く片付けば良かったと思う。・・・だけど、キチンとする必要があったので」と答えた。

住民の意識調査の結果、過半数が碑に反対と分った。そして、オーストラリアの首相府と外務省に問い合わせた結果も。

6人の議員は無記名投票で、碑が市の方針に反すると言う議会のスタッフたちの勧告通り、設置の提案について実行しない方向に票を投じた。

記念碑は、地域住民の献身を記念する物であるべきだと議会スタッフらは報告していた。本件は、「市の記念碑の基準に合致しない」と。

Sang Ok議員は、自分は日本の戦争犯罪を追及する全豪州中韓連合の前(? passed)議長だったという理由で議事には参加しなかった。

賛成反対双方から4名ずつ、8名の演説者が意見表明の為に5分ずつ時間を与えられた。退席する際、全員に拍手が送られた。

慰安婦問題はオーストラリアと日米の関係を不安定化させる陰謀であるという主張もあった。また、歴史の過ちを正すために像を建てて欲しいという訴えもあった。

日本人の妻が最近子供を出産した南アフリカ生まれのGlenn McRaeは、碑は「人道問題とも女性の人権問題とも関係ない」と主張した。

Peter Wertheimは会場に向かい、「多文化社会であるストラスフィールドで記念出来ずに、どこでやるのか?」と問うた。

McRae氏は、一部の移住者のコミュニティーは、オーストラリアに移民して来ても歴史的敵意を徹底していると主張した。「彼らは、我がオーストラリアの価値観を受け入れるべきだし、尊重すべきなのです」。

シドニー工科大でジェノサイドを教えるPanayiotis Diamadis博士は、イスラム国(ISS)が女性や若い娘を人身売買しているという話は、慰安婦問題によって提起された問題は今も生きている。碑は全ての民族の女性の為の物だと主張した。

前市長の息子でありストラスフィールド市のalderman(参事会員?市会議員?)でもある元新聞販売業Geoff Boyceは、記念碑に関する市議会のポリシーは地域の英霊の為の物というものであって、この碑には無理があると述べた。

「ここはオーストラリアであって・・・ここには韓国人や中国人やアメリカ市民の支部は存在しません。我々は皆オーストラリア人なのです」

彼は、議会の「幾分不注意」がこの問題をここまで大きくしてしまったと付け加えた。

シドニー・インナーウェスト区中華ビジネス連合と「日本の戦争犯罪を追及する全豪州中韓連合」のDong Dong Yang氏は、「この碑は・・・戦時下で苦しんだ全ての民族の女性を象徴する物です」と述べた。

しかし、ゴトウ・メイコは、この碑がオーストラリアの国家安全保障を損なう(?compromise)、日本は慰安婦問題について何度も謝罪して来たと主張した。

最後に21歳のYeo Ji Yanは、碑が全ての女性に対する暴力を抑止する役に立つと述べた。

Helen McLucas議員は、会場の人々に、これは市で扱うべき問題ではなかったのに「反日」組織によって「我々に押し付けられた」と話した。

地元のコミュニティからは碑に対する支持は無かったし、(オーストラリアの)ANZACデーに絡め、この碑が全ての女性に対する暴力を防止するなどと主張するのは「侮辱だ」と彼女は述べた。

「この碑は、地域に大きな分裂をもたらしている」と彼女は付け加えた。

Daniel Bott議員は、これは外務省が扱うべき問題であり、ストラスフィールド市の問題ではないと主張した。

Stephanie Kokkolis議員は、自分は、過半数が碑を支持しないと言っている住民の見解に従うことに決めたと述べた。Andrew Soulos議員は、これに同意し、時期的に不適当だと述べた。

Vaccari議員は、会場に向かってこう述べた。「戦争に勝者はない。男にとっても女にとっても、人間にとって悲劇なのです」。

「この話には二つの側面がある」ことを認めつつ、彼もまた、この問題は「ストラスフィールド市の手に余り」連邦政府が扱うべき問題だと主張した。

最後にRaj Datta議員が、このような討論の場が設けられることは、オーストラリアの勲章(オーストラリアへの贈り物)であると述べた。結局は、殆どの者が決定を受け入れ、「オーストラリア人として家路に着くのです」。

そういうわけで、集会は平和裏に解散となり、どうやらその通りになったようだ。


AAAプロジェクト 韓人団体らとワシントン日本大使館前で「リメンバー・パールハーバー」


「後悔は謝罪ではない」「慰安婦決議はどこへ行った?」「リメンバー・パールハーバー」。8月26日、ロサンゼルスから自転車でやって来た二人連れの若者たちと、ワシントンの日本大使館でデモを行っているのは、メリーランド州韓人会とワシントン挺対協のメンバー。

自転車の二人は、AAAプロジェクトと銘打ち、慰安婦問題を訴える為に北米大陸を横断して来た。AAAプロジェクトについては、いろいろニュースがあったがまとめ切れないでいる。スタート地点は、例のグレンデールの慰安婦像の前だった。 [ソース 他]