--本で「尹美香(ユン・ミヒャン)事態も女性運動系と既成政界の結託」と批判した。
「韓国女性運動と『日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正議連)』の前身である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)運動は同じ幹だ。1987年に韓国女性団体連合ができ、その3年後の1990年に韓国の進歩左派女性団体36団体が集まって挺対協を作った。尹美香議員が下っ端活動家だった時から見守ってきた。女性運動と尹美香議員、挺対協と正義連は同じ延長線にある。批判を受けるとしても一緒に受けざるをえない」
--「正義連が実質的に慰安婦問題解決を望んでいない」と主張した。
「正義連は挺対協と統合したが、まだそれぞれ違った法人資格で女性家族部から補助金を別途受けているではないか。こうしたことは非常に間違っている。補助金問題だけではなく、彼女たちにとっては慰安婦活動がまるで巨大な産業になってしまった。慰安婦問題が本当に解決されたら、正義連の存在価値は消えるから…慰安婦問題を本当に解決するつもりがあるのか疑問を感じるのだ。慰安婦問題を一日でもはやく解決するためには、正義連のような市民団体に任せるのではなく、最初から最後まで政府が直接責任を取ってやらなくてはならない」
--女性家族部も繰り返し批判している。何が問題なのか。
「女性家族部ができて20年になる。その時は女性家族部が必要だった時期だ。今と違っていたから。ところがいま予算1兆2000億ウォン(約1130億円)以上も使うこの組織が必要なのかどうかよく分からない。青瓦台(チョンワデ、大統領府)の国民請願に最も多く投稿される請願が『女性家族部の解体』だ。文在寅(ムン・ジェイン)政府になって関連請願が1500件ほど投稿された。名前を『性平等家族部』に変えるか、少子化・女性・老人・女性脆弱階層、男性問題も総合的に扱うようにしなければならない。男性たちも解決すべき問題が本当に多い。解体に近い改編が必要だ」
2021/01/23
韓国の反フェミニスト「挺対協は、慰安婦問題の解決を望んでいない」
韓国の国民請願に最も多く寄せられる請願が「女性家族部の解体」だというのは、初めて知った。
2020/05/09
イ・ヨンス「水曜デモはもう止めるべき」
「慰安婦問題の当事者が支援活動を批判するのは異例で、波紋を広げそうです」・・・少なくとも、これが初めてではない。
ユン・ミヒャンは国会議員に当選したが、水曜デモに対抗したデモも韓国で始まっている。そろそろ終わりの始まりが訪れたのかもしれない。イ・ヨンスは水曜デモをある意味ヘイト・スピーチだと言っているのだ。
韓国元慰安婦女性 日本政府への抗議集会 開催しないよう求める
韓国の元慰安婦の女性が、28年前の1992年から毎週、ソウルの日本大使館の周辺で開かれている日本政府への抗議集会について、参加する学生たちに隣国への憎しみを植えつけているとして、今後開催しないよう求め、みずからも参加しない意向を示しました。慰安婦問題の当事者が支援活動を批判するのは異例で、波紋を広げそうです。
韓国の首都ソウルにある日本大使館の周辺では、28年前から毎週水曜日に、日本政府に謝罪と賠償を求める抗議集会が開かれていて、主催する支援団体は、2011年に1000回目の集会を記念して慰安婦問題を象徴する少女像の設置を強行したことで知られています。
この団体と長年行動を共にしてきた元慰安婦のイ・ヨンス(李容洙)さん(91)は、7日、抗議集会について、隣国への憎しみを植えつけているとして、今後開催しないよう求め、みずからも参加しない意向を示しました。
さらにイさんは、▽この団体が学生たちから集めた寄付金の使いみちが不透明だと主張するとともに、▽団体を率いてきたユン・ミヒャン(尹美香)氏が、先月の総選挙で与党候補として初当選し政界に進出したことにも不満を示しました。
これに対し団体側は、韓国の通信社、連合ニュースの取材に対し、「一緒に活動する中で誤解が生じた可能性もある」としていますが、慰安婦問題の当事者が支援活動を批判するのは異例で、波紋を広げそうです。
NHK 2020.5.8
イ・ヨンスの挺対協批判「事実と異なる証言集を出された」(2015)
イ・ヨンスが挺対協(正義連)を批判して挺対協が動揺しているようだが、彼女は過去にも挺対協を批判していた。水曜デモも批判している。これは5年前のものだが、これ以外にもあったはず。
それでも、今回ほど話題にならなかったのではないか?確証はないが、空気が変わりつつあるのかもしれない。
証言内容が変わると言われるイ・ヨンスだが、「挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」という部分は興味深い。本人も批判を気にしているのかもしれない。
それでも、今回ほど話題にならなかったのではないか?確証はないが、空気が変わりつつあるのかもしれない。
証言内容が変わると言われるイ・ヨンスだが、「挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」という部分は興味深い。本人も批判を気にしているのかもしれない。
元慰安婦が支援団体「挺対協」批判 「当事者の意見聞かない」「事実と異なる証言集出した」
慰安婦問題で日本政府に謝罪や賠償を要求している「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に対し、挺対協から“支援”されているはずの元慰安婦の女性が、韓国メディアとのインタビューで「当事者(元慰安婦)の意見も聞かず、日本との協議を拒否している」と強く批判している。
元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(86)は、最近発行された週刊誌「未来韓国」の中で「日本が話し合おうといっているのに。会わずに問題が解決できようか」と挺対協のかたくなな姿勢を問題視した。また、挺対協が在韓日本大使館前での毎週行っている抗議集会について「何のためにしているのか分からない。ただ、『謝罪しろ』『賠償しろ』と叫んで集会の回数をこなせばいいというものではない」と疑問を呈した。
李さんはさらに「なぜ自分たちの思うままにやるのか分からない」と挺対協の独善的な姿勢を問題視した。「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない。挺対協の人たちは闘争家の側にいるようだ」とも批判した。
一方、「証言は私の命同然なのに、挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」と挺対協の情報収集のずさんさも指摘。「静かな場所で証言を聞かねばならないのに、食事をしながら問答したのが大部分。そのために、(自分の)証言にはめちゃくちゃになったものが多い」とも語っている。
李さんは一方で、1965年の日韓請求権協定に触れ「日本から援助を受け浦項製鉄を作り、京釜高速道路を建設したのはいいことだ。あの時の金で(韓国が)経済発展をしたのなら、今度は韓国政府が慰安婦問題の解決に積極的になり、日本に先立ち私たちに賠償してほしい」とも述べている。
また、李さんは「問題を解決するなら、韓国政府が慰安婦団体と被害者らを一つの場に集めて議論し、意見を聞かなければならない。そうすれば、被害者らが何を望んでいるかが分かり、解決策が出てくる」と韓国政府に訴えている。
2017/01/08
朝対委と挺対協 韓国治安機関幹部「92年に南北政府が約束してから」
ユン・ジョンオク元挺対協代表とホン・ソンオク朝対委委員長
(2008年)
朝対委と挺対協の繋がりに関する産経新聞の加藤達也記者のレポート。加藤記者は、韓国の治安機関の幹部から1992年の南北首相級会談で北朝鮮と韓国政府が慰安婦問題で共闘することに合意した(記事の書き方が分かりにくく、北朝鮮と挺対協が話し合ったという風にも読めるが)という証言を得た。後に2000年の女性国際戦犯法廷で両国の代表団が協力することになるが、それに先立つこと8年である。韓国政府と北朝鮮政府が共闘に合意した後、その年の内に東京で朝対委と挺対協が初めて合流したという(日本の市民グループが南北の活動家の仲介役を果たしたというのは、これまでにも指摘されている)。
「韓国当局が朝対委を『朝鮮労働党統一戦線部(当時)の偽装部署である』と断定していたにもかかわらず、活動の勢いが止められない」(加藤記者)
北に侵食された韓国の闇 日本大使館前の慰安婦像で目にした異様な光景
・・・昨年秋に発覚した崔順実(チェ・スンシル)被告による国政介入事件をきっかけとして、朴槿恵政権打倒を掲げた大規模デモが起きた。朴氏の身から出たさびではあるが、スキャンダルに付け入った勢力は主催者発表で「100万人」規模となった「国民の声」を背景に、ついに国会での朴氏の弾劾を可決させた。ここまでは、韓国の内政問題である。
問題はここからだ。デモの中核には韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)がいた。挺対協はソウルの日本大使館前に慰安婦像を設置した団体である。
像が設置された翌年の2012(平成24)年8月15日、筆者はそこで異様な光景を目にした。
その日、日本大使館前には警察当局の推計で約1300人が集結。仮設された演壇に「朝鮮日本軍性的奴隷および強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)」という聞き慣れない団体の代理人が立っていた。
その代理人が挺対協との共同声明として、日本政府に「慰安婦問題での公式謝罪」を要求。さらに「日韓の軍事協力を徹底的に阻止する」と宣言した。
当時、現場でその様子を視察していた韓国警察当局者は筆者に、両団体の主張が日米韓の軍事的な結びつきを嫌う北朝鮮の主張と同一であることを認めた上で、「現在の民主化された韓国では、こうした団体の動きを封じることはできない」とささやいたのだ。
その後、挺対協と朝対委の関係を韓国治安機関に取材した。治安機関の幹部によると、北朝鮮は1992年2月に平壌で開かれた南北首相級会談で、当時、韓国側で始まっていた慰安婦問題を利用した対日追及活動への共闘を打診。韓国側がこれを快諾したというのである。
そして、両団体は同年12月、東京で開かれた「『従軍慰安婦』等国際公聴会」で初合流。「慰安婦」を「性奴隷」と位置づけて、全世界に向けて日本を糾弾する政治宣伝工作を始めたのだ。
根が深いのは、韓国当局が朝対委を「朝鮮労働党統一戦線部(当時)の偽装部署である」と断定していたにもかかわらず、活動の勢いが止められないほど、韓国の「民主化」が進んでいたことだった。(以下略)
産経(一部) 2017.1.8[全文]
2016/08/23
慰安婦は挺対協動物園の動物だ(マイケル・ヨン)
二週間前シドニーで新しい慰安婦像がお披露目され、元慰安婦キル・ウォノクが式典に出席した。現地紙の報道を読んだマイケル・ヨンは、「慰安婦は動物園の動物だ」と辛辣な感想を述べた。
「緊張続く中、シドニーの慰安婦像除幕」
この写真の中の元娼婦キル・ウォノク89歳は、銅像の隣に座っている。
キル・ウォノクは挺対協の動物園に、動物(見世物)として囲われている。挺対協の大いなる詐欺に利用される為でもある。
私は今年韓国で彼らを長時間インタビューし、ソウルのオリジナル慰安婦像の傍で車から転がり落ちそうになっているキル・ウォノクも撮影した。
ソウルにはいくつか娼婦像がある。・・・キル・ウォノクが転んだのは、アメリカ大使館からも遠くない旧日本大使館の近くにある像の所だ。
私は、キル・ウォノクの面倒を見ていた挺対協の関係者に手を貸すハメになった。控え目に言っても「ムナクソ悪い」といったところだ。
こんな事はもう許されるべきではない。韓国人は挺対協に対して立ち上がり、この年取った娼婦たちが動物のように連れ歩かされるのを止めさせるべきだ。この人間動物園騒ぎは、韓国全体の恥だ。
マイケル・ヨン Facebook 2016.8.6
"Comfort women statue unveiled in Sydney despite ongoing tensions"
The former prostitute in this photo, Won-Ok Gil, 89, sits next to the statue. Won-Ok Gil is kept as a zoo animal for Chong Dae Hyup and their massive scam. I interviewed them at length this year in Korea and even photographed Won-Ok Gil as she was falling out of a van near the main prostitute statue in Seoul. There are several prostitute statues in Seoul -- the statue where Won-Ok Gil stumbled is near the old Japanese Embassy, not far from the US Embassy.
I had to help someone from Chong Dae Hyup who was helping Won-Ok Gil. "Disgusting" is putting this mildly.
This should not be allowed to continue. Koreans should rise up against Chong Dae Hyup and stop allowing these old prostitutes to be paraded as zoo animals. This human zoo act brings shame to the entire nation of Korea.
2016/01/10
「慰安婦像を撤去せよ」単独デモ ”骨まで親日派”に共感も
「21世紀の親日派になりたい」
「嫌韓デモを身を持って防ぎたい」
単なる変人かもしれない。しかし、迫害を恐れず、人生を賭けて日韓友好を訴えているかもしれない。自費出版を行い訴訟覚悟でネットで日本擁護論、挺対協批判を展開。注目を集める為に、反日団体の集会にも赴き警察につまみ出されたりしているのが、写真の人物シン・ミンチョル(ペンネーム:ソ・ギソク)。
彼の本を読んだわけではないので、どの程度の知識に裏づけられているのか分からないが、『親日派のための弁明』を書いたキム・ワンソプを思い出した。自らを「骨の髄まで親日派」という言う彼は、キム・ワンソプより少し下の世代で短期だが日本留学の経験がある。経歴はオーマイニュースの取材である程度確認されたようである。
彼は、挺対協を批判し、日本軍の慰安婦を民間人女性を守る為の先進的なシステムだと主張する(キム・ワンソプも似たような事を言っていたような気がする)。「21世紀の親日派になりたい」、日本に広がる嫌韓デモを全身を投げ打って防ぎたいからだと言う。
当然ネット上では「売国奴」「日本のスパイ」と
ヘイトの連鎖は終わるか?
オーマイニュースも彼のような韓国人が今後増えることを予想している。精神障害者扱いされても、ごく一部には彼の主張に共感する韓国人がいて、第二のシン・ミンチョルや実社会に現れる「親日派」が今後増えるだろうとオーマイニュースは予想している。懸念している、と言った方が正確か。
シン・ミンチョルだけではない。挺対協への風当たりは強まっている。ハルモニが全員他界すれば日韓間の最大の懸案事項は自然消滅する。それまで辛抱すればいい、という訳には行かなくなっていた。挺対協がダムの役割を果たしていたが、そのダムが脆くなって来たからだ。韓国で、未だ少数とはいえ、ポリティカルコレクトネスに意を唱える人が現れ始め、本当の意味での親日派が少しずつ社会に顔を出し始めたというのなら、時代は確実に変化している。遅かれ早かれ、日韓は「手打ち」をする運命にあったのだろう。
「慰安婦は自発的」 単独デモ敢行したソ・ギソクの正体
[人物追跡] 「少女像を撤去しよう」などイルベ닮은「極右」主張する背景を見たら・・・
「慰安婦少女像を撤去しよう。挺対協ユン・ミヒャンと従北主義者は自爆せよ」
「ナヌムの家の慰安婦お婆さん、真っ赤な嘘は止めて下さい。あなた方が自発的に慰安婦になったという真実を、私ははっきり知っています」
日本軍慰安婦問題を交渉する韓国と日本の外交長官会談が開かれた昨年の28日の午後、会談場所であるソウル市鍾路区の外交部(外務省)前は騒々しかった。
「会談の結論(結果)が日本が法的責任を回避する『政治的野合』となる可能性がある」として平和市民団体が憂慮の念を濃くした記者会見を行っていた最中 、『大韓民国時代精神』の著者だと名乗るソ・キソク氏が乱入し「慰安婦は自発的だった」と主張し、騒動を引き起こした。彼は続けて「少女像を撤去しよう」と書いたプラカードを掲げたが、警察に制止された。
後日の嵐は激しかった。「自発的慰安婦」のプラカードを持って写った写真が報道されてから、フェイスブックやツイッターなどネット上では写真の人物に対する容赦ない非難が荒れ狂った。一部の市民団体はツイッターに写真を載せ「売国奴」として彼を「公開手配」することまでした。そこには「『大韓民国時代精神』を使ったソ・ギソク(実名シン・ミンチョル)」として「日本のスパイ」というコメントなどが走った(?)。7日現在、シン氏はツイッター上で「日本のスパイ」として知らされている。彼は本当に日本のスパイなのだろうか、彼は5日の午後<オーマイニュース>との電話インタビュー(?)で、「(私は)日本と韓国を親しく、友好的にさせるという意味で親日派だ」と語った。続けて「本名がシン・ミンチョルでペンネームがソ・ギソクというのは、間違いないか」という記者の質問に、「100%正しい」と答えた。「慰安婦は先進的・人権的な制度」極端な主張繰り広げる極端な主張をするシン氏(ペンネーム:ソ・ギソク)がどのような人物なのかを調べてみた。結論から言えば、日本のスパイではないものの、日本の一部極右勢力と見紛うばかりに極端な考え(の持ち主?)だった。彼は全部で3つのブログを開設しており、三つのブログ全てのIDが「親日派ソ・ギソク」だ。2015年の2月に出た著書『大韓民国時代精神』の中で彼は自分を1970年に韓国の江原道で生まれたと明かしている。今年数え年で47才、学生運動の先頭に立った(?)386世代(60年代生まれ)の直後に生まれたわけだ。シン氏は著書の中で自分が「韓国外国語大学政治外交学科を卒業(確認した結果、韓国外大政治外交学科91年度入学生に、実際に1970年生まれのシン・ミンチョルがいる。-記者)」「若い(?)頃から『歴史』について深い関心と情熱を抱き、小学生から大統領まで全ての韓国民が「親日派」がならなければならないという信念を持った」と書いている。 彼は「一日30分瞑想をしながら知恵と自由を耽溺する自由な魂の所有者」と自分を紹介している。
シン氏が書いた文章には彼の極端な見解がそのまま表れている。 自ら「慰安婦ハルモニに告訴・告発される覚悟で使った」と紹介するこの本の副題は「骨の髄まで親日派が送る丁寧な呼び掛け」だ。 本人のブログと本の中でシン氏は繰り返し次のように主張する。 ▲慰安婦少女像を全て撤去しなければならない▲慰安婦ハルモニは嘘をついている▲水曜デモは従北勢力の統一戦線戦術だ、というのがそれだ。
著書を詳しく見て行くとさらに驚くべき主張が展開されている。「李承晩は高宗がアメリカに送った密使(122ページ)」「,(伊藤博文を狙撃した)安重根は愚かな事をした(99ページ)」、「独島が正確に韓国領土という証拠はない、韓国人の自尊心と劣等感が表出される執着の現場が独島である(86ページ)」というものだ。 彼は慰安婦制度が「先進的かつ人権的」だったとも主張している。 戦時であったから止むを得なかったといった風(?)だ。
「慰安婦については、実際多くの誤解がある。戦時兵士たちは死の恐怖の前で深刻なストレスを受ける。そのような重度なストレスに苦しめられる兵士たちはややもすると民間人女性たちを強姦するなど残忍な行動をしかね(?)ない。日本軍はこのようなことを防ぐために慰安婦制度を運用した。 (…)慰安婦は複数の点で(?)日本軍が民間女性を保護するための先進的で人権的な制度であった」 (<大韓民国時代精神> 46ページ)
「늙은 계집(「老ビッチ」のようなニュアンスか?)」など刺激的な言葉で主張する理由昨年の(12月)28日デモの現場、騒ぎを起こして警察に連行されて行きながらも彼はプラカードに自分の著書とペンネーム、ブログのアドレスまで書いてこれを宣伝した。 それ以後、ツイッターなどのSNSと彼のブログでは「売国奴」「韓国人とは全く思えない(?)」「日本に行ってしまえ(?)」などの非難のコメントが走った。 それでもシン氏がこのような主張を繰り返す理由は何なのか。
ヒントは彼が残した文章にある。シン氏は単独デモの4日前の12月24日、収益型ブログで悩む人々のオンラインの集いである「ブログ収益化の全て」カフェで自分のブログを紹介した。
彼は自分を「政治・社会・歴史」分野のブロガーと紹介し」(ブログの)一日訪問者数3千人」と書いた。インターネットユーザーがたくさん訪れるのが自慢らしい。単独デモで議論になった後、ブログ訪問者数は3~4日で1万人近く増えた。
一種の「ノイズ・マーケティング」の性格も伺える。ブログによれば、シンさんは今月の18日に別の著書の出版を控えている。単独デモの際写真に写り図らずも宣伝になったブログの名前も、ブログのエントリーのそこかしこで「要注目」と著書を宣伝した。被害者ハルモニを「늙은 계집」「ばばあ(?)」などと刺激的に描写して公憤を呼び起こすのも同じ脈絡だ。彼は韓国政府の対中外交を批判し、「習近平という中国共産党の老いたキツネ-똥오줌을 못가리는 パク・クネ」というタイトルの文章も書いた。
「日本政府と韓国政府は難しい交渉をよく解決した。拍手を贈りたい。ユン・ミヒャン従北主義者と自発的に慰安婦になった嘘つき慰安婦ハルモニ、老ビッチ(?)が最後の必死のあがきをしている。大韓民国5千400万の国民が、彼らの汚く邪悪な本質を直視しなければならない」 (本人のブログ)
だが「(実名がシン・ミンチョルでペンネームがソ・ギソクというのは)100%正しいという彼の話によれば、初めての本『大韓民国時代精『』は本人が直接書いて出版まで一貫した(?)ように思える。本の裏(?)に著者ソ・ギソク、発行シン・ミンチョル、発行元「위대한탄생비트코인出版社」とされているからだ。インターネットあちこちに「(株)위대한탄생비트코인上 シン・ミンチョル代表」が残した跡がある。 本に紹介されたEメールIDは二つとも「親日派ソ・ギソク」が運営するブログのIDと一致する。「自発的慰安婦」等主張が溢れているが、根拠は無いか少ない「極右」とは、辞書では極端に保守主義的とか国粋主義的傾向の人や勢力の意味だが、シン氏が書いたブログの文章や著書を見ると、彼を「極右」と呼ぶのも曖昧だ。 むしろ彼が主張するように「骨の髄まで親日派」、すなわち韓国よりも日本と近い人物と言った方が合う。
彼は本の中で「韓国は日本の文明圏に属している(202ページ)」として韓国を日本の属国と見る。 「日本と韓国には100年の差がある」として「朝鮮500年歴史は太宗イ・バンウォンと世宗大王の時代を除けばこれという成果が一つもない半(ほとんど)未開文明だった」とも書く。シン氏は生存者の証言や写真、学術論文など歴史的資料が明確に残っている 「堤岩里虐殺事件」も「日本軍が果たしてそのような残忍蛮行を犯したのだろうか。堤岩里虐殺事件は小説で虚実だ」と主張する。 これは1919年の3・1万歳運動が起きた京畿水原(現華城市堤岩里で日本軍が住民30人余りを教会に追い立てた末、銃撃を加え火を着けて殺した事件だ。
シン氏は著書を通じ典型的な植民地近代化論を主張する。 「朝鮮人は日本統治の下、徐々に文明世界へ入り、幸福感と自信を感じ始めた(120ページ)」とか、「1910年韓日併合は歴史のジン(?)より、朝鮮半島という小さな野蛮国に日本の近代文明が輸入された進歩(109ページ)」といった感じだ。しかし溢れ出る主張に比して、根拠は殆ど無いか少ない。本の序文(?)からしてそうだ。「誤った歴史観と世界観により苦痛を受ける大韓民国」という大げさなタイトルに比べ、実際の内容は全て推測だ。「日本の土である独島を韓国が不法占拠しているではないか」とか「安重根は烈士かテロリストか」という背中、序文の合計45の文章のうち23が推定を現わす語尾「가」または「-か」で終わる。
慰安婦は自発的だった」という主張の根拠も同じだ。被害生存者のうちの一人であるイ・ヨンスお婆さんが初期の証言で「真っ赤なワンピースと革靴が見えた、幼い心にどれくらい嬉しかったか分からない、思わず他のことは考えないでついて行くことになった」という(?)発言を問題にする。 シン氏はしかし同じ証言で、ハルモニが「옷보퉁이を押し退け、これ持っていないから家に送ってくれと言って泣き続けた」とか「日本人の男から電気拷問にあって気を失い、日本の軍人に便所で強姦された事実は問題視しなかった。
同じサイトに上がってきた数多くの他の被害証言は無視された。彼はこれと関連した日本の責任はもちろん、戦争当時の状況と性別間の差別も認めない。不確実な情況証拠を根拠に「1940年代朝鮮の貧しい女性が生計のために日本軍に従って行った」と断定する。
「強制的に連行されて行った20万人の少女」は過大な主張という印象を拭えない。(…) 1940年代の朝鮮の貧しい女性たちは生計のために日本軍に従っていった。様々な情況証拠から推論してみる時、私は就職詐欺にあったり日本軍と官憲によって強制的に連行されて行ったケースは20~30%未満という慎重な推定を試みる」 (<大韓民国時代精神> 55ページ)
これと関連してナヌムの家のアン・シングォン所長は「日本の右翼が主張するのと全く同じだ」として「(シン氏は)被害者の強制性を無視するが、これは国連の人権委など国際社会と河野談話等を通じてすでに認められたことだ」と反論した。 実際にシン氏は「日本軍が強制的に慰安婦を連行することはなかった(57ページ)」と書いた。日本軍慰安婦被害者と共にある「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」側はシン氏について、「相手にする価値もない」と一蹴した。20代に日本留学後「親日派」に変身、「イルベ」に投稿した文章が削除されることも地元韓国人であるシン氏がこのように日本に友好的な「親日派」になったのは、20年前、つまり27才の時の日本留学の影響と見られる。 韓国に戻った後、彼はソウルの日本大使館の前で24年目開かれている「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜デモ」に行っても「日本大使館の職員が非常に苦労しているという残念な気持ちになる」(本55ページ)と書いた。 シン氏は留学当時の経験を描写してこのように書く。「私は1996年に6ヶ月間東京で語学研修を受けた。当時<朝日新聞>には慰安婦ハルモニのインタビューがたくさん載っていた。そして日本のマスコミで韓国に関する報道が多かった。私は「日本は韓国を非常に重要視しているのだ、韓国と緊密に協力したいのだ」という印象を受けた。 慰安婦問題についても日本もたくさん努力しているのだなという印象を受けた」 (<大韓民国時代精神> 63ページ)極右・極論を繰り広げるという点でシン氏の主張はインターネットコミュニティ「日刊ベスト貯蔵所(イルベ)」とぶつかる(?)こともある。 シン氏は実際に自身の主張と著書の紹介をイルベに継続して上げ、掲示文を削除されたりしている。
彼は昨年の3月28日、「親日派イ・ギソク」のIDでイルベに「日帝統治35年を眺める視点などについて私が書いた文章が削除された、とんでもない」として「イルベには表現の自由がないのか」と抗議する文章を掲載した。
それでもシン氏は自分をむしろ真実を語り迫害を受ける人間」と描写する。 「この記事を書き無数の非難を聞くことを考えると、多少心配が先に立つ。 どうしようと、誰か一人でも真実を言わなければならないと思う(89ページ)」と、逆に彼と異なる多数の韓国人が「70年間反日洗脳教育」を受けて来たと考える。 彼は「中国と韓国の歴史教科書が間違っていて、日本の歴史教科書は間違っていない(133ページ)」という危険な主張を展開する。
一部ではシン氏を精神異常者扱いし、再考する価値もないと言われる。しかし注目すべきは、以前とは違いシン氏が自分の意見を「単独デモ」という形で不特定多数の人々に公然と表明したという点だ。 以来、彼の意見に同調する人も現れた。 ブログで大多数の人はシン氏を非難したが、ごく少数の幾人かは「真実を恐れない姿が素晴らしい」「私も志を同じくしたい」とコメントした。
オンラインだけでなくオフラインでも似た主張が出始めた。「もう日本を許そう」と、4日の日に記者会見を行った「ママ部隊奉仕団」はソウルにある挺対協の事務所に赴き「挺対協にはハルモニを前面に出して社会を乱そうとうする不純な動機があるようだ」と語った。6日、保守系団体「父母連合」も「(水曜デモを先導する)挺対協指導部は北朝鮮を称賛する勢力」と主張し、「従北レッテル」を貼った。
水曜デモが従北?オン・オフラインあちこちに「第2のシン氏」出現極右主張を広げる「第2のシン氏」や他の「親日派」たちのオフライン出現は今後さらに頻繁になるものと見られる。 セウォル号特調委員の弁護士がイルベの掲示文をSNSで拡散し(?)国政監査の場でイルベサイトに接続する「イルベ国会議員」がいる(?)限り、ネット上やオフラインで同じような主張を根拠無く繰り(?)広げる人々が現れるだろう。イルベ利用者のインタビューやデータ分析などを通じて週刊誌<시사인>と一緒にイルベを分析した「아르스프락시아」のキム・ドフン代表はイルベの生存戦略を「센 놈에 붙어라」と定義する。 彼は「この戦略で少数者に手を差し延べ連帯するのはタブーだ、『国家-父』に対する順応は少数者嫌悪の原動力になる」と付け加えた。「韓国政府は難しい交渉をよく解決したが嘘つき慰安婦ハルモニ、老ビッチ(?)が最後の必死のあがきをしている」というシン氏の発言とピッタリ一致する。シン氏は当初、6日の日に<オーマイニュース>と会ってインタビューを受ける予定だった。しかし彼は前日の午後になって突然電話でインタビューをキャンセルし、(電話での?)インタビューを拒否した。「インタビューの話を聞いた周囲の人々が私を心配するのが想像以上(?)、私の考えが整理されるまでは報道機関のインタビューには応じない」というのが理由だった。
シン氏は「私が書いた本は告訴・告発されることを覚悟して心血を注いで書いた」「どんなことでも十分に責任を負う覚悟は決めている」と話し、急いで電話を切った。
「私は21世紀の親日派になろうと思う。なぜか?私は日本で広がる嫌韓デモを全身を投げ打って防ぎたい気持ちが切実(?)だからだ。(…)もう過去を忘れよう。韓日軍事同盟を結ぶためにも過去の歴史を下ろそう。慰安婦少女像を撤去することが韓国と日本の未来のために賢明な道だと確信する。 慰安婦問題で日本政府をこれ以上圧迫するのをやめよう」 (<大韓民国時代精神> 70,231ページ)
2016/01/06
「従北勢力挺対協の正体を暴く!」 少女像近くで保守派デモ
「挺対協は従北勢力、その正体を明らかにする」
それでもやっぱり反日(苦笑)
慰安婦問題となると右も左もなくなると思われた韓国だが、パク・クネ大統領が日本と「最終かつ不可逆的解決」に合意したことで、大統領を支持する保守派とこれを非難する挺対協に代表される左派が分裂。二日前も、挺対協の事務所に保守派が押しかけたが、今日は、挺対協が聖地とする日本大使館前に挺対協を糾弾する保守派が押し寄せた。市民同士の衝突を憂慮した警察に阻止され、慰安婦像には近づけなかったらしい。
正午に始まる水曜デモはまだ開催中だったのか?
今日は、挺対協による恒例の水曜デモが正午に開催され、たまたまだが、24周年記念日ということで1000人以上が集まっていた。反挺対協グループが現れた時、水曜デモはまだ開催中だったのだろうか?ここ数日は、夜も左派系の学生グループが慰安婦像の前に詰めている。毎日新聞は、「日本政府関係者は、韓国側で意見が割れる状況について『韓国側で対応すべき問題だ』と突き放す」と伝えている。面白いことに、アメリカの韓国系は、右も左もお互い上手くやっているらしい。もっとも、これだって、いつまでも続くとは限らないか。
追記: 父母連合は慰安婦像の前で安倍首相に扮して(?)ひざまずいたり、旭日旗を破るパフォーマンスを行ったということである。
父母連合、「慰安婦」団体に「従北勢力」卑劣な言葉
大韓民国父母連合をはじめとする保守系団体が韓国挺身隊問題対策協議会を「従北勢力」と批判して論議が予想される。
これらは6日の午後2時頃、ソウル市鍾路区寿松洞の元(注:現在建替え中)日本大使館前の平和の少女像の近くで開いた記者会見で、「挺対協指導部は大韓民国を転覆させ、北朝鮮を称賛する勢力が完全(?徹底的)に掌握しており、彼らは北朝鮮礼賛 전력(全力?)で実刑まで生きた(?)人間だ」と主張した。
また、彼らは挺対協が「挺身隊(問題?)の妥結があたかもパク・クネ政府の過ちであったかのように、世論を糊塗している」とし「これ以上この国を揺るがすような真似はするな」と主張した。 続けて「挺対協の巧妙かつ卑劣な戦略に対抗し、彼らの正体を明らかにし、大韓民国を従北勢力から守るのに率先(?)する」と話した。
一方彼らは、過去キム・デジュン政権(政府)とノ・ムヒョン政権の対日外交の例を指摘しながら、今回の政府の慰安婦合意については「過去のどの政権も成し遂げられなかった外交的成果(結実) であり未来指向の国益のための大統領の勇断」と評価した。
日本政府とメディアに対しては「金を前面に出した日本の処世は大韓民国国民を冒涜する行為だ」として「今後(?)このようなニュアンスが漂う政治的発言とメディアプレイは中断しなければならない」と要求した。
これに先立ち、保守系団体のメンバーたちは少女像の前で記者会見をしようとしたが、これを阻止するための市民同士の衝突を憂慮した警察が阻止したことで、しばらく対峙する状況があった(?)。
어버이연합, ‘위안부’ 단체에 “종북 세력” 막말
대한민국어버이연합을 비롯한 보수단체들이 한국정신대문제대책협의회에 대해 “종북 세력”이라고 비판해 논란이 예상된다.
이들은 6일 오후 2시경 서울시 종로구 수송동 옛 일본 대사관 앞 평화의 소녀상 부근에서 연 기자회견에서 “정대협 지도부는 대한민국을 전복시키고 북한을 찬양하는 세력이 철저히 장악하고 있으며 그들은 북한 찬양 전력으로 실형까지 살았던 인물들”이라고 주장했다.
또 이들은 정대협이 “정신대 타결이 마치 박근혜 정부가 잘못한 것인 양, 여론을 호도하고 있다”면서 “더 이상 이 나라를 흔드는 일을 해서는 안 된다”라고 주장했다. 이어 “정대협의 교묘하고 비열한 전략에 맞서 그들의 정체를 밝히고, 대한민국을 종북세력으로부터 지켜내는데 앞장설 것”이라고 말했다.
한편 이들은 과거 김대중 정부와 노무현 정부의 대일 외교 사례를 지적하면서도 이번 정부의 위안부 합의에 대해서는 “과거 어느 정부도 하지 못했던 외교적 결실이며 미래지향적 국익을 위한 대통령의 용단”이라고 평가했다.
일본 정부와 언론에 대해선 "돈을 앞세운 일본의 처세는 대한민국 국민을 모독하는 행위"라며 "이 시각 이후 이런 뉘앙스가 풍기는 정치적 발언과 언론플레이는 중단해야한다"고 요구했다.
앞서 보수단체 회원들은 소녀상 앞에서 기자회견을 하려 했으나 이를 저지하기 위한 시민들 간의 충돌을 우려한 경찰의 저지로 한동안 대치 상황이 벌어지기도 했다.
2016/01/05
「安倍は謝罪した」「政治利用止めろ」挺対協前で保守派がデモ
親日とか日韓友好ではなく、大統領支持派による挺対協批判ということなのか?挺対協の事務所の前で、慰安婦問題の政治利用を批判する韓国の保守派。毎週やってもらいたい。
ママさん部隊 「安倍は、真の謝罪をした」엄마부대 "아베, 진정한 사과했다"
ママさん部隊など保守系の団体の会員20人余りが4日午後、ソウル麻浦区の韓国挺身隊問題対策協議会の事務所前で記者会見を開き、「安倍の謝罪を受けたのだから、日本を許してみよう」「挺対協は、この問題を政治利用するな」と主張した。
엄마부대 봉사단 등 보수 성향의 단체 회원 20여명은 4일 오후 서울 마포구 한국정신대문제대책협의회 사무실 앞에서 기자회견을 열고 "아베의 사과를 받았으니 일본을 용서하자"며 "정대협은 이 문제를 정치적으로 이용말라"고 주장했다.
2015/09/05
武藤前特命全権大使 「挺対協に武器を与え続けてきた朝日の罪は重い」
武藤正敏著『日韓対立の真相』。在韓国特命全権大使を務めた人物だけに、温和な人物である。読んでいて歯痒く感じてしまう部分も多いのだが、朝日新聞と挺対協に関してはかなり厳しい。
朝日新聞が第三者委員会に過去の慰安婦報道の検証を依頼したのは昨年。報告書は12月に公表された。この中で委員の一人は、外国の新聞を分析して朝日新聞の慰安婦報道は国際社会に対してあまり影響しなかったと結論づけた(報告書 p.82)。ただし、そう結論づけた委員(林香里)自身、調査の限界も指摘しており、影響は無かったという結論に釈然としない人も多かったろう。
武藤は、外国メディアが朝日新聞を直接引用したか否かではない、韓国の慰安婦支援団体を通じて、朝日新聞は間接的に外国メディアに誤解を広めたと見ている。
韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。(外国の)報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼ら(挺対協)の主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。・・・海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。
韓国民は挺対協によってマインドコントロールされており、挺対協は「一部であったかもしれない状況を誇張し」それを一般化することで現在の慰安婦のイメージを作り上げた、日韓が首脳会談を行えないのも挺対協が原因だと武藤前大使は分析する。
嫌韓の始まりを作ったのも朝日新聞?
92年1月11日の一面 首相訪韓のタイミングにぶつけたと言われている。
92年1月11日の一面 首相訪韓のタイミングにぶつけたと言われている。
武藤はまた、嫌韓の始まりも朝日新聞の例の1992年1月11日の記事が原因だったと考えている。当時武藤は、外務省のアジア局で韓国を担当していた。「浴衣がけで来てほしい」と招かれていた宮沢首相の訪韓は朝日の報道で青天の霹靂となり、韓国側の態度は日本の親韓議員すら憤慨させた(朝日新聞は、この記事を宮沢首相の訪韓のタイミングに意図的にぶつけたと言われている)。「日本人の嫌韓感情の始まりだった」・・・そして現在の最悪の日韓関係に至る。朝日新聞の罪は重い。
この「慰安婦報道」の国際的な影響については、第三者委員会でも分析しています。林香里委員(東京大学大学院情報学環教授)は、「国際社会に対する朝日新聞による慰安婦報道の影響」について定量分析を行ない、「欧宋の報道機関の朝日新聞からの引用数は三十一本にすぎなかった」とし、「韓国における吉田氏への吉田氏への言及もわずか六十八本だった」と述べています。
他の委員やインタビューに応じた海外の有識者らにしても、日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にしたとのイメージが相当定着しているとしたうえで、「朝日新聞がそういうイメージの形成に大きな影響を及ぼした決定的な証拠はない」としています。
しかし一方で、「韓国側の慰安婦問題に関する過激な言説を、朝日新聞その他、日本のメディアはいわばエンドース(裏書)してきた。それは韓国における過激な批判に弾みをつけ、さらに過激化させた」と、同委員会は指摘しています。
韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼らの主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。
韓国のマスコミや有識者はよく「良心的日本人」の意見を紹介します。彼らのなかには「竹島は韓国の領土だ」とすら言う人がいて、韓国では英雄として扱われています。同様に、日本で「もっとも信頼度が高い」とされてきた朝日新聞か、慰安婦問題について日本を貶めるイメージを報道すればどうなるでしょうか。
また、海外のメディアが引用する回数が少ないといっても、外国で慰安婦像を次々に設置して報道を焚きつけている挺対協に、朝日新聞は「武器」を与え続けてきたのです。海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。
朝日新聞がミスリードした罪
韓国の人々は挺対協によってマインドコントロールされており、その主張が通説となっています。彼らは一部であったかもしれない状況を誇張し、それを一般化して流布することで現在のイメージを形成しているのです。しかし、韓国政府も有識者たちも、それがおかしいとは言えない。といって、日本側が否定しても取り合おうとはしません。
この団体は、日本への悪印象を韓国社会に定着させ、彼らが主張する人道的な不法行為に対して法的責任を認めさせ、謝罪と賠償が実現するまで日韓関係を改善するべきではないと言い張っています。朴大統領が「日本政府が誠意を示すまでは首脳会談は行なわない」と頑なな姿勢を崩さないのも、挺対協の主張に振り回されているからです。朝日新聞の報道は、その流れをつくった大きな要素だったと言えるでしょう。
とくに日韓関係を転換させる重要なエポックとなったのが、。一九九二年一月十一日の記事です。宮沢総理の韓国訪問直前のこの日、朝日新聞は第一面で「慰安所の運営にあたり、軍の関与を示す新資料を発見した」と報じたのです。
同時に解説や社説を通して「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は八万とも二十万とも言われる」と伝えられました。これこそ、のちの挺身隊の主張そのものです。
このような記事が掲載されたことで、蘆泰愚大統領の追及が厳しくなり、宮沢総理は謝罪するとともに、調査を約束せざるをえない状況となりました。当初、「浴衣がけで来てほしい」との招待を受けていた総理でしたが、訪韓したら様相はがらりと変わっていました。もちろん、朝日報道だけが原因ではなかったのでしょうが、大きな影響を与えたことは間違いないと考えます。
そして、私はこのときの総理訪韓における韓国側の対応が日本人の嫌韓感情の始まりだったと見ています。当時、私はアジア局で韓国担当の課長を務めていたのですが、帰国後、多くの国会議員の方々から「韓国は実にけしからん。この状況をなぜ防げなかったのだ」と、大変厳しいお叱りをいただきました。とくに、それまで日韓関係のために努力をしてこられた議員からの声が大きかったと記憶しています。
朝日新聞の報道がどれほど日韓関係に悪影響を及ぼしたのか、当事者である朝日のみなさんがどの程度わかっていたのかは知る由もありません。しかし、私が先輩に教わってきたように、外務省の人間がマスコミをミスリードすることは絶対避けるべきであるのと同様、マスコミも世論をミスリードすることは許されないはずです。
「吉田証言」に誤りがあると判断した時点、あるいは疑わしいと考えた時点で訂正するべきだったのではないでしょうか。それを放っておいたために現在の難局を招いた朝日新聞の責任は甚大だと言わざるをえません。
日韓対立の真相 p.59-63
2015/07/14
「日本の知識人まで挺対協を問題視」 日本の同志が韓国で憂慮
挺対協の立場が微妙になって来た。ことに日本での評判は悪い。以前から、彼女たちは日本の慰安婦支援者たちからも顰蹙を買っていた。一方で、「全国行動」やwamのような同志的団体も日本には存在する。しかし、彼女たちにとって深刻なのは、日本の一般社会にまで悪評が広がっていることだろう。それも、進歩的な人々からも問題視されている。他ならぬ、挺対協の友好団体がそう零しているのだから、かなり深刻なのだろう。
ソウルで開催されたNGOの集まり(第6回歴史NGO世界大会)で、挺対協と近い日本のNGOが、「日本の『自由主義派』の間でも挺対協の主張が問題の解決の障害になっているという観念が浸透している」と憂慮したという。憂慮の念を表したのは、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の梁澄子。
それにしても、こういった場合「日本では×××という考えが広まっている」とだけ書けばいいのに、「日本では誤った主張が浸透している」などと書くから、ほとんどアジビラ。新聞とは思えない。挺対協はアメリカや韓国の研究者からも非難されているが、決して「根拠もなく非難」されているわけではない。
日本では、最近右派を超えて知識人の間でまで、「慰安婦」と関連して韓国の女性団体の原理・原則的な主張を問題視する誤った主張が徐々に浸透していると指摘されだした。戦後70年を迎え、韓日間の歴史問題の解決に向けた議論で進展を得るためには、韓国政府のより積極的な努力が必要だと専門家たちは口をそろえた。
(中略)
梁澄子(ヤン・ジンジャ)日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表は、日本で韓国の女性団体の活動への非難がかなり深刻な状態に達したと説明した。彼女は「慰安婦」問題を解決しようとする、いわゆる日本の『自由主義派』の間でも韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張が問題の解決の障害になっているという観念が浸透している」と憂慮した。日本政府の事実認定と公式謝罪、賠償が先行しなければならないが、朴槿恵(パク・クネ)政権の頑固な姿勢、韓国社会のナショナリズム拡散に対する批判的視点と相まって、知識人の中でも挺対協が被害者の意思を無視したまま、アジア女性基金を拒否するなど、原則的な姿勢で問題の解決の妨げになっていると、根拠もなく非難する人々が増えているということだ。(以下略)
ハンギョレ日本語版(一部) 2015.7.13
2015/07/05
我が国のメディアはなぜ反日を煽動し国益を損なうのか!(韓国)
ワシントンの日本大使館前で抗議する挺対協
実は韓国にも迷惑
挺対協は北朝鮮と繋がりのある左翼団体だから当然としても、なぜ事情を知るメディアまでが挺対協に乗せられて日本を叩き続けるのか、その結果日本では嫌韓ムードが広がり、韓国の経済にも安全保障にも悪影響を及ぼしている・・・そんな意見が朝鮮日報に掲載されている。
陸軍士官学校22期のイ·サンジンなる人物が書いたものを、韓国国防研究院の元副院長が紹介しているのがこの記事、ということでいいのか?韓国にも冷静に日韓関係を見つめ現状を憂う人がいて、そしてその意見が、珍しい例かもしれないが、新聞に掲載されたということ。
※ こちらも: 挺対協と北朝鮮 産経のまとめ
挺身隊問題対策協議会は左派指向の団体
昨日新聞に(よると?)、ワシントンの日本大使館前で初めての水曜集会が開催されました。
キム・ボクトン慰安婦ハルモニは米日韓同盟関係を不安にし、国に損害を及ぼします。キム・ボクトンハルモニは以下にコピーした文を読んでみてください。
--------------------------
(筆者:イ·サンジン陸士22期)
最近我が国(?)の新聞やテレビを見ると、日本軍慰安婦ハルモニに関する内容をあまりにも頻繁に、連日報道されていてイライラする。 その内容が、毎日報道する程新しいものではなく、すでに知っている話とほとんど同じだ。 日本大使館の前の水曜デモのニュース、日本やアメリカで誰かが語った慰安婦関連のニュースなどだ。
「聞きやすい花の歌も一度二度」という言葉があるように、韓国メディアで毎日「日本の総理は慰安婦ハルモニに謝罪をしなければならない」と騒いでいると、筆者もそんな報道に接するたびに実証(?)が出るが、日本側はどれくらい韓国が嫌いになるだろうか? 日本の嫌韓ムードが日増しに高まっているというのも当然だという気がしてくる。
これによって対日輸出は毎年減少し、韓国を訪問する日本人観光客の数も減っている。 経済的損失だけでなく、北朝鮮の脅威に対処する韓米日安保協力に致命的な悪影響を及ぼしていることがより大きな問題だ。
慰安婦ハルモニに対する謝罪問題で韓日関係が友邦でなく敵対関係に変わっているというのは、言うまでもなく、韓米日安保同盟を重視するアメリカにとっても癇癪をかもし出すようにして韓米同盟にもひびが入る状況にまで発展した。 70年前の慰安婦お婆さんの人権問題が、現在の大韓民国の経済・安保利益より重要なのだろうか?
単純に慰安婦ハルモニの人権問題の改善でなく、韓国に致命的な損害を及ぼそうとする意図がないなら、なぜそこまで執拗にぶらさがろうか(こだわるのか?)。 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)を指導する人々の面々を見ればそんな疑いを抱く。
ユン・ミヒャン常任代表の夫キム・サムソク氏は1994年兄弟スパイ集団事件で懲役4年を宣告されたスパイだった。ソン・ミヒ対外協力委院長は40回以上北朝鮮訪問し、統合進歩党解散決定に反対するデモを行い、キム・ジョンイル弔問を主張した前歴がある。 そしてソン・ミヒの夫ハン・チュンモク氏はマッカーサー像撤去集会など各種の反米闘争を主導して実刑を宣告受けた人物だ。
挺対協のこのような性質が分らない一般国民が彼らの扇動に騙され、韓米日安保同盟の重要性を忘れ日本だけ罵っている現象が本当に残念だ。 挺対協は彼らの指向によりスパイの側に立ち慰安婦ハルモニを前面に出し、韓米日同盟を壊す逆賊質をする打って(?)、しかし韓米日同盟の重要性をよく知るメディアはなぜ従軍慰安婦に関する内容を連日報道して国民を扇動して国益に害を及ぼしているのか? この時点で筆者はもう一度メディアの指向を悟ることになった。 やはり韓国のメディアは反逆を日常行うほど左に偏向しているのだ!これをどうしてすればいいのか?
(イ·サンジン、前韓国国防研究院副院長)
정신대문제대책협의회는 좌파성향의 단체
어제 신문에, 워싱턴 일본대사관 앞에서 첫 수요집회를 열었습니다.
김복동 위안부 할머니는 미일한동맹관계를 불안하게 하고 나라에 손해를 끼칩니다
김복동할머니는 아래의 복사한 글을 읽어보세요.
요사이 우리의 신문과 방송을 보면, 일본군 위안부할머니와 관련된 내용을 너무나 자주, 연일 보도하고 있어서 짜증이 난다. 그 내용이 날마다 보도할 만큼 새로운 것이 아니라, 이미 알고 있는 것과 거의가 같은 내용이다. 일본대사관 앞의 수요집회 소식, 일본이나 미국에서 누군가가 이야기 한 위안부 관련 소식 등이다.
‘듣기 좋은 꽃노래도 한번 두번’이라는 속담이 있듯이, 한국 언론에서 날마다 ‘일본 총리가 위안부할머니들에게 사과를 해야 한다’고 떠들고 있으니, 필자도 그런 보도를 접할 때마다 실증이 나는데, 일본측에서는 얼마나 한국이 싫어질까? 일본에서의 혐한(嫌韓) 분위기가 날로 고조되고 있다는 것이 당연하다는 생각이 든다.
이로 인하여 대일 수출은 해마다 줄어들고, 한국을 방문하는 일본 관광객의 수도 줄어들고 있다. 경제적 손실 말고도, 북한의 위협에 대처할 한미일 안보공조에 치명적 악영향을 끼치고 있는 것이 더욱 큰 문제이다.
위안부할머니 사과문제로 한일관계가 우방이 아니라 적대관계로 변하고 있는 것은 말할 것도 없고, 한미일 안보동맹을 중요시하는 미국으로 하여금 짜증을 자아내게 하여 한미동맹에도 금이 가고 있는 지경에 이르렀다. 70년 전의 위안부할머니의 인권문제가 현 대한민국의 경제/안보적 이익보다 더 중요할까?
단순히 위안부할머니들의 인권문제 개선이 아니라, 대한민국에 치명적인 손해를 끼치려는 의도가 없다면 왜 그렇게까지 집요하게 매달릴까? 한국정신대문제대책협의회(정대협)를 이끌고 있는 인사들의 면면을 보면 그런 의심을 하게 된다.
윤미향 상임대표의 남편 김삼석씨는 1994년 남매 간첩단 사건으로 징역 4년을 선고 받은 간첩이었다. 손미희 대외협력위원장은 40여 차례 방북을 했고, 통진당 해산결정 반대시위를 했고, 김정일 조문을 주장했던 전력이 있다. 그리고 손미희의 남편 한충목씨는 맥아더 동상 철거집회 등 각종 반미투쟁을 주도하여 실형을 선고 받은바 있는 인물이다.
정대협의 이런 속성을 모르는 일반 국민들이 그들의 선동에 속아서 한미일 안보동맹의 중요성을 잊고 일본만 욕하고 있는 현상이 참으로 안타깝다. 정대협은 그들의 성향에 따라 간첩의 편에 서서 위안부할머니를 앞세워 한미일 동맹을 깨는 역적질을 한다 치고, 그러나 한미일 동맹의 중요성을 잘 알만한 언론은 왜 종군위안부 관련내용을 연일 보도하여 국민을 선동하고 국익에 손해를 끼치고 있을까? 이 시점에서 필자는 다시 한 번 언론의 성향을 깨닫게 되었다. 역시 한국의 언론은 반역을 일삼을 정도로 좌편향 되어 있구나! 이를 어찌 하면 좋을까?
(이상진, 전 한국국방연구원 부원장 )
2015/06/02
池萬元「慰安婦は蒙昧な父兄の虐待の産物」
池萬元(チ・マンウォン)のこの「オピニオン」は、少し前に崔さんのツイートで知った。2chでもLingLing ★記者がスレを立てていたが、独自に注釈を施すなど丁寧に訳されていた。以下の訳でも一部参考にさせて頂いた。
池萬元
けっきょく韓国ではこういう扱い?
けっきょく韓国ではこういう扱い?
不幸な家庭から、新時代の到来(それをもたらしたのが、日韓併合というわけか)に希望をつなぎ都市へと逃げ出した朝鮮半島の少女たちが人身売買の罠にかかり娼婦となったのは、やはり悲劇である。チ・マンウォンが紹介するように、比較的正直に語ったと思われる慰安婦の回顧譚にはこの種の話が少なくない。だから、「人身売買の犠牲となって筆舌に尽くしがたい思いをした方々のことを思うと、今も私は胸が痛い」と語った安倍首相は、彼を人非人のように言い、「事実を知りながら慰安婦問題を政治問題として浮上させるために社会に誤った認識を拡散(池萬元)」させている挺対協系の人々よりよほど慰安婦の不幸(人生)を正しく理解している、と言えるかもしれない。
ただし、人身売買は日本政府によって禁じられ、軍もこれを認めなかった。今日の朝日新聞で、尹明淑が「軍に選ばれた業者などが就業詐欺や人身売買で女性を集められたのは、まさに植民地だったから」などと思わせ振りな事を言っているが、日本統治下の朝鮮でも就職詐欺や人身売買はご法度である。その一方で、九州(内地)の女性が騙されて慰安婦にされるという事件だってあったのである。
『解放前後史の再認識』
チ・マンウォンは、10年前にも、貧しさから自ら売春した慰安婦が8割だと主張して、挺対協に告訴されている。挺対協や尹明淑のような人々が徹底して無視する慰安婦の本当の不幸(人生)。
[オピニオン]池萬元の国民の喊声
挺対協の不純な慰安婦ゲーム、中断させなければ
慰安婦問題を韓米日の安保協力体制を毀損(?)するために、悪用している
『解放前後史の再認識』第1巻の434-476ページに、サンフランシスコ州立大学のソ・ジョンヒ教授(C. Sarah Soh)の貴重な論文が掲載されている。以下に要旨を紹介する。
植民統治の最後の10年(1935-45)は朝鮮の産業革命期だった。 農民たちは土地から追われ、 労働階級が胎動して人口の流動性が増し、都市社会が広がり、女性界では、いわゆる新女性に対する羨望が広がったそんな時代(時期)だった。1917年、李光洙(イ・グァンス)の小説『無情』 が連載された。 この小説は新文明の普及の書だった。西欧の新文明が流入し、開化思想が広がり、新青年と新女性を恋愛の表象とした新小説だった。1935年の(?)沈薫(シム・フン)の常緑樹は息苦しく、せせこましい農村を啓蒙する啓蒙書だった。当時の農村の人々の考えがどれほど固陋で原始的かを赤裸々に描いた。 慰安婦もこのような開化期時代の産物だったのだ。
190人の慰安婦を調査したところ、88%に当たる168人がまさに脱農村期である1937-44年の間に慰安婦になっていた。 都市に憧れる一種のゴールドラッシュ真っ只中の時期に家を飛び出した娘が、人身売買団の格好の餌食になったのである。181人の慰安婦を調査した結果、4分の1以上がすでに家族と離れ家政婦や工場労働者、食堂、妓生の家、接待婦などとして働いていた最中に慰安婦になっており、66%程度が満州や台湾、中国などに送られていた。
慰安婦となったケースは、すでに家庭から出奔していた女性だけが該当するのではなかった。 家庭で親や兄たちから暴力を受けていた若い娘たちが暴力を避けて逃げ、それで人身売買団の罠に引っかかることもあったし、勉学の(?)蜃気楼を求め広くなった世界に逃げて来たのが(?)、ほどなく人身売買団の餌食になり慰安婦の道に入ることもあった。 当時、人身売買団の手先は大部分が朝鮮人であり、軍隊慰安婦を経営する人たちの中には朝鮮人たちもかなりいた。
慰安婦になるルートは二つあった。 家庭-労働市場と慰安婦業所に行く過程があり、直に家庭-慰安婦業所に行く過程があった。 このような過程を促進した媒体が人身売買団であり、人身売買団に捕らえられた環境は、つまり、女性に対する家庭内暴力や虐待、そして勉学に対する憧れを無条件に抑圧する無知蒙昧な朝鮮家庭の女性卑下文化のためだった。
ソ・ジョンヒ教授は、家庭から直に慰安婦という穴に落ちた恨多き慰安婦6人のケースを挺対協資料から容易く見つけ出した。 こうしたことにも挺対協は、この事実を知りながら慰安婦問題を政治問題として浮上させるために社会に誤った認識を拡散させた。
挺対協の主張によれば、全ての慰安婦は家庭にいた慎ましい娘たちであったのが、ある日突然、日本の巡査たちが押しかけてきて強制的に捕まえ、日本軍が運営する遊郭に入れたというのである。 ソ・ジョンヒ教授によれば、これは事実ではない。 ソ・ジョンヒ教授が調査した6人の慰安婦のケースはこれを理解するのに明白な資料になる。以下にソ・ジョンヒ教授の事例を要略して紹介する。
朝鮮の親が娘たちを慰安婦に追いやった代表的なケース
1)ムン・ピルギ: 挺対協が毎週日本大使館前で主催するデモに常に参加している女性である。彼女は18歳になった1943年の後半から2年間満州の軍慰安所で働いた。1945年、解放を迎え、平壌 - 開城 - ソウルを経て故郷に行ったが、すぐに故郷を離れ、晋州 - 木浦 - 光州-全州を回りながら独身で過ごしていたという。
彼女は1925年、慶南金陽郡で2男9女の小さな雑貨屋で生まれた。子供の頃、最もしたかったのが勉強だった。父は「女が勉強すれば、キツネにしかなる他ない」と怒った。母がこっそり一升の米を売って、普通学校に入れてくれた。一週間も経たずに、父が娘を教室から連れ出し、本を燃やしてしまった。それでも、怒りが収まらず、娘を激しく(?)殴って家から追い出してしまった。本家(?)に行っていたが、もう勉強しないと約束して、家に帰ってきた。
勉強ができなかったことが恨になった状態で9歳から家事をして、畑仕事もして、綿畑の草取り、繭紡ぎもした。雑貨屋で売るサツマイモも蒸した。農作業のたびに、ご飯を炊いて野に運んだ。そんな1943年の秋のある日、村に住む日本の手先役をする50代のおじさんが、勉強も出来てお金も稼ぐことができる場所に送ってくれるというので、ついて行った。18歳だった。その男と日本人巡査が彼女をすぐに車に乗せ、釜山に連れて行った。長い髪を切ってチマチョゴリを脱がせワンピースを着せた。そして、他の4人の女性たちと一緒にそのまま満州に送られた。この物語を含め、以下のすべての話は挺対協が編纂した「証言集」に収録されている。
この女性は、毎週水曜の12時に日本大使館の前で、日本が自分を強制的に連行して慰安婦にしたと謝罪と被害補償を要求しているのである。この慰安婦ゲーム(?)は、(北の)スパイの妻であり、挺対協の常任代表ユン・ミヒャンが運営している。問題は、この元慰安婦女性にではなく挺対協にある。
2)イ・サンオク:この慰安婦の父は慶尚北道達城郡達城面長だった。作男を置いて農業を行う富農でもあった。9歳の時に学校に入ったが、兄が「小娘を学校にやって、どうするのか」と学校に行けないようにし、本をかまどに入れて燃やしてしまった。それでも学校に行こうとしたところ、殺すと言って脅かした。隣家のお姉さんが学校に通うのがとても羨ましく、その年、母にも知らせず、ソウルに逃げ出した。
叔母が学校に行かせてくれたが、兄が叔母に執拗に圧力を加えた。叔母の家を出てトンビという家に入った。9人の娘がいたが、みな自分の父親によって売られて来たと言っていた。 15歳の彼女が最も幼かった。娘たちが行く所について行くと、下関だった。彼女らを引率した軍属が10人の生娘たちを渡した所は、まさに朝鮮夫婦が運営する軍の遊郭だった。彼らは、娘たちとは何の関わりもなく金をやり取りした。
この元慰安婦の女性は日本語を話すために日本軍の病院で働いて給料ももらった。日本人の軍医が彼女を不憫に思い朝鮮に帰そうと思ったが、その日、爆撃を受け話がふいになった。この女性の場合も、女性への家庭内暴力のために遊郭に追いやられたケースであった。
3)イ・ドゥクナム:この慰安婦は1918年生まれである。彼女は1939年から3年は中国で、そして残りの(?)3年はスマトラで慰安婦生活をした。学校に行きたかったが、父は飲んだくれな上博打打ちで、理由もなくむやみに殴った。
「家にいるのが死ぬほど嫌だった」17歳で嫁に行けと言われたが、彼女はこれを売られることだと考えた。近所の友達と一緒に給料がもらえる仕事を見つけるために、列車に乗って仁川紡織工場に行った。それが慰安婦への道だった。
4)キム・オクシル:この慰安婦は1926年に平壌市内の10里なる村(?)で生まれた。現在はキム・ウンレとして知られている。彼女の父親も勉強しようとする娘に過酷に鞭を食らわした。11歳の時、近所の友達がハングルも教えてくれ歌も教えてくれるところがあるといって一緒に行ったが、何日かして父にバレた。
「小娘の分際が文字を学んでどこに書くんだ、ラブレターでも書く(?)のか!」と叱る父が怖くて祖母の後ろに隠れたが、脚を折ってやると言いながら殴った。その後、父を見たくないので家を出た。ある日、おばさんから平壌では妓生が最高だと聞かされた。綺麗な服を着て、綺麗な輿に乗って通うという妓生になりたくて妓生ハウスに行って養女となった。わずか一週間で父に見つかった。 「この小娘は先祖の恥さらしだ、村の恥を沢山かかせて歩き回ってる」と殴られ、無理やり家に戻された。そして靴下工場に逃げ出した。そこで3年、タバコ工場で4年働き、やがて人身売買団に引っ掛かった。
5)ペ・ジョクガン:この慰安婦は1922年生まれ。この女性は自殺しようとしたほど母親からひどい虐待を受けた。粗織りの木綿工場で働かせてくれるという地元の区長の嘘に騙されて家を出たのが、すぐに中国に送られた。中国のあちこちの慰安所を巡った。1946年に家に帰ってきたが、母は冷淡だった。 母は臨終の時、娘を探したが、彼女は行かなかった。
6)ソン・シンド:この慰安婦は1922年生まれで、母親からひどい虐待を受けた。 16歳の時から生活のために多くの職を転々とし、良い仕事を探してくれるという近所の人の誘惑に乗せられ、中国に行き、1938年から1945年まで慰安婦生活をした。日本人兵士が結婚しようとして日本に同行したが、彼は日本に到着するや否や彼女を捨てた。
政治目的のために慰安婦を悪用する挺対協
この6つのケースはごく一部に過ぎないが、当時の朝鮮の社会像をよく映している。 彼女らを悲劇のどん底に追いやったのは、日本の巡査ではなく、彼女たちを生んでくれた父と母、兄たちだった。 当時、社会は開化の風に乗っていた。 若い娘たちは外の世界への憧れや、家庭における暴力からの脱出を選択しており、その脱出は、そのまま人身売買団への進入を意味した。
このような事情を置いて、「当時、朝鮮の娘たちはみな家庭にあり、日本の巡査たちが家庭に押しかけ(?)て来て娘たちを強制的に連れて行った。 謝罪し、補償をせよ」こう叫んでいるのだ。 もちろんシム・ミジャのケースのように、日本の巡査が教室などから強制的に連れて行ったケースもある。 しかし、シム・ミジャ・ハルモニの証言や上記の社会像を見ると、大抵の慰安婦は、家庭内暴力と無知から脱出して人身売買団に引っかかった娘だったという印象を抱かせる。
上記の6つのケースはいずれも挺対協が作成した文章にある内容だ。 全ての事情をよく知りながら、挺対協は慰安婦を政治的目的の為に街に広めている。 ムン・ピルギは毎週水曜日に大使館前で「私の青春を補償せよ」とデモをしているが、挺対協が編纂した「証言録」によると、彼女が日本に要求する(出来る?)ものはひとつもない。
解放前後史の再認識、第1冊2部は「植民地下の女性の人生」というテーマを扱っている。 ここには日本の大阪産業大学の藤永壮教授、米シカゴ大学のチェ・キョンヒ教授、サンフランシスコ州立大学の ソ・ジョンヒ教授の文章が膨大な分量の論文として掲載されている。
この三者の論文を見れば、韓国の挺対協の主張がどれほど荒唐無稽かがいちいち知れる。 さらに、論文が引用した資料を見ると、日本人の調査が極めて多い反面、韓国人の調査が非常に乏しい。
韓国内の学者は、この分野について研究をせず、挺対協は客観性が欠如した感情論を繰り返してきた。ゆえに、この分野を研究する多くの国際学者たちに恥晒しな結果をもたらしたということが、これらの資料に示されている。
まず、藤永壮教授の文「上海の日本軍慰安所と朝鮮人」の内容を紹介したい。
日本軍慰安所の元祖、上海 慰安所
1 沖縄に居住した朝鮮人元慰安婦の証言を記録したルポルタージュなど十数冊の本が日本で刊行された。慰安婦問題が日本に衝撃を与えたのは、1991年の8月から慰安婦たちが相次いで自らの存在を明らかにし始め、次いで日本政府を相手に補償を要求した訴訟を展開したことから動き出した。 資料上確認されるところによれば、1932年の上海の慰安所が一番最初に現れたものであり、日中戦争が始まって以降、この地域での慰安婦の数が最大規模だったため、上海の慰安所は他地域のモデルになったと思われる。 したがって、上海慰安所の環境を研究することの意味は非常に大きい。
上海には個人的な稼ぎのために日本人も売春婦(からゆきさん)が海外に出た最も典型的なケースである。上海駐在日本領事館は1880年代からからゆきの取り締まりに乗り出した。これは公娼制度の導入を意味した。 公娼制度の設置の動機は1)強姦防止、2)軍の士気高揚、3)、性病予防、4)防諜であった。
当時、上海での朝鮮人女性の実態は、こうであった。上海で朝鮮人女性ダンサーが現れた。 カフェで働く女給も出現した。 朝鮮人が経営する私娼(窟?)もあった。彼女たちは、新興の接客婦で仕方なしに売春した。こうした女性たちは不況のためにますます多く上海に集まってきた。1936年当時、上海には朝鮮人女性ダンサーが37人、彼女たちは、風紀を乱すという非難も受けた。日本人が経営する飲食店やカフェなどで働く朝鮮人の女給は48人、彼女たちはお金を稼ぐために密売淫を行い、雇い主と折半した。 この頃、上海には290人の朝鮮人私娼も存在した。 私娼というのは公娼と認められなかった所(?)だった。
満州事変(1931年9月)の際に現れた慰安婦は基本的に売春婦の出であり、その中には朝鮮人女性が一部含まれていたが、日中戦争の中期である1940年頃には朝鮮の娘を強制的に連れて慰安婦をやらせた「性的奴隷」なども新たに出現した。
日中戦争が全面化した後、慰安所が大量に開設される時期に慰安所経営者の中に朝鮮人の名前がかなりあった。
日本軍が開設していた慰安所?は、1)軍直営の慰安所、2)軍が監督・統制する軍専用の慰安所、3)民間の売春所を兵士用に指定したもの(民間と軍共用)、4)純粋に民間向けの慰安所(軍人が通っても個人的な行為)。4番目のタイプの慰安所は、日本軍慰安所とは何らの関係がない。 1932年3.14者上海派遣軍高級参謀岡部直三郎の日誌には、このような文言がある。
「この頃、兵士たちが女を探してあちこちさまよって淫らな話を聞くことが多い。 これは避け難いことなので、むしろ積極的に施設を作ることが良いと判断・・・」
上海派遣軍参謀副長だった岡村寧次はこう回想した。「慰安婦問題を考える・・・かく申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」
1932年当時、上海の日本人の風俗営業の状況は次のようであった。 料理屋3カ所、飲食店72、喫茶店13、海軍慰安所17、クラブ2、ダンスホール1、芸妓134、舞踏女170、酌婦166。
上海の日本人の売春の歴史
「明治元年(1868年)から明治14-15年(1881-1882)頃まで上海駐在の日本人の数は10-100人がせいぜいであり、1年に平均5-6人ずつ増加した。 大体、男3分1、女3分の2だった。 女性の6-7割は外国人を相手に売春した。 彼女らが日本の売春の先駆者かもしれない。 森崎和江の著書『からゆきさん』では明治15(1882)に上海に800人の売春婦がいたと指摘している。 日本女性達が瞬く間に増えた上海では、領事館がこれを国家の羞恥とみなして捕らえて500-600人を本国に送還した。 それでも依然として200人程度は隠れていた」
結論
売春の歴史は、どの時代、どこの国でも、すべからく暗い歴史として連続されてきた。 我が国でも1961年5.16革命の前まで売春は不法に(?)統制されていた。そこで、売春は密かに家庭に入り込み、性的暴行や殺人などの悪い形で広がっていった。 ゆえに、朴正熙の最高会議は公娼制度を採択した。 家庭に入り込んでいた性犯罪や性病等が非常に効果的に改善された。上の論文の一部を見ると、当時、日本も道徳と品位と性の需要をめぐって、様々な考えを持ったと推測され、当時の彼らの悩みも、今も私たちが解決しないまま抱えている悩みと一致したと考えられる。
今の私達の社会を見てみよう。 韓国社会はおそらく世界で上位に位置する性的風紀紊乱共和国だ。国家を率いてゆく席はあるが、その席に座っている人たちは、無能と利己心でお互いに噛みつくことで1年365日を過ごしている。 このような形で更に数年を費やせば、我々は北朝鮮に呑み込まれてしまうだろう。もし今、北朝鮮に呑み込まれれば、我が国の女性と国民は70年余り前に日本人から受けた苦痛とは比較もできない悲惨な扱いを受け、命まで失うことになるだろう。
昔の祖先の愚かさで、強大国に呑み込まれたのは事実だ。 もし、日本に呑み込まれずに、中国やロシアに呑み込まれたのなら、ロシアの慰安婦の境遇や中国の慰安婦の境遇は、日本の慰安婦の境遇よりも良好だったろうか。 私は絶対にそんな事はないと思う。 それなら慰安婦問題で日本を恨むよりも愚かなマネをして国を奪われた私達のご先祖を恨まなければならないだろう。
しかもソ・ジョンヒ教授が指摘したように、ほとんどの慰安婦は無知蒙昧の韓国の父と兄たちの虐待の産物だったのだろう。 こうした性格の問題を針小棒大に歪曲し、慰安婦問題を韓米日安保協力体制を壊すために悪用されるのは、一日も早く止めなければならない。しかも、挺対協の指導部は、北朝鮮とスパイに深くかかわっている人たちが掌握しているではないか。直ちに、毎週水曜日に日本大使館前で繰り広げている水曜デモから中断させなければならない。 恥ずかしくてたまらない。
登録:
投稿 (Atom)














