昨年11月、旧日本軍による慰安婦の強制連行を否定する民間団体の意見広告が米紙に掲載された。第一次安倍内閣当時の2007年6月、別の米紙に載せた意見広告とほぼ同じ内容だが、ある「事実」が抜け落ちた。軍がオランダ人女性を強制連行した事件だ。強制否定派は「関係者は直ちに処分された」と強弁するが、実は責任者は事件後に出世し、都合の悪い話だった。(佐藤圭)
東京新聞 2013.2.24
「
強制連行を否定する民間団体」と書きながら、途中で「
強制否定派」と言い替え、「
強弁」するのはお馴染みの手法である。
「実態は『性奴隷化』河野談話見直しは論外」「慰安婦『強制』否定派の米紙広告」といった見出しが躍った2月24日付けの東京新聞。90年代の朝日新聞を彷彿とさせるような熱の入った特集は、赤旗と見紛うほどだったが、幸いWeb版は登録制なので、口の悪いネチズンのカモにされることはなかったようである。
しかし、今どきねぇ・・・。
東京新聞が戦いを挑んだのは、学者や他紙ではなく新聞広告
基本的には、90年代の
慰安婦の強制連行を巡る議論の蒸し返しなのだが、なぜか攻撃対象は「強制連行否定派」の学者や新聞ではなく、昨年日本人有志がアメリカの新聞に出した意見広告
THE FACTS 2の内容・・・それもその一部分に限定している。
要点はこれだろう。↓
強制連行否定派が唯一、軍による強制連行と認めるスマラン事件は、紛れもなく「強制性を裏付ける証拠」だ。
スマラン事件を強制連行の証拠というレトリックはネットでもお馴染みなので、詳しく説明する必要もないだろう。ようするに、新聞の拡張員が暴力を振るえば、新聞社の組織的犯行だという理屈。そう上、大胆にも・・・
結局、強制連行否定派に残された論点は、植民地下の朝鮮で軍による略取があったかどうかだけのようだ。
話をすり替えるどころか、話の順序をアベコベにしている(慰安婦の強制連行問題とは、元々朝鮮半島での徴用の有無を巡る議論だった)。
しかし保守派の議論に隙が多いのも事実。高村元外相のような知性派でも、韓国以外では
強制連行はあった、とか口走っていたし、ここでも、スマラン事件は軍規違反のケースとだけ言っておけばいいのに、処罰したとか言うから揚げ足を取られている(この他にも細かい間違いがある)。
ところが、従軍慰安婦問題に詳しい吉見義明・中央大教授によれば「旧日本軍はスマラン事件の責任者を処罰していない。少なくとも厳罰には処してはいない。逆に責任者はその後出世している。例えば、南方軍幹部候補生隊隊長の少将は、最後は師団長にまで昇進した。
東京新聞では、社会部の記者が傷害事件を犯し、後にその時の社会部の部長が出世したら、東京新聞が暴力団という事になるのか?いつもの吉見調だが、東京新聞の記事は殆どが彼の主張をそのまま拾って拡声しているだけ。
なにより、これは5年前のTHE FACTS 1の話であって、今回の新バージョンには
スマラン事件は載っていない。ではなぜ、東京新聞が問題にしているのかと言えば・・・。
(スマラン事件)が外れた理由は何か。事件が広く知られるようになったので一度は載せたが、やはりまずいと思ったのか。
なぜ新バージョンではスマラン事件に関する弁解を省いたのか。
西村幸裕は「費用の問題でスペースが確保できなかった」と語ったそうだが、東京新聞は「『スペースなかった』理由だが・・・」と小見出し(?)をつけて、怪しいと言わんばかり。
とにかく、記者の日本語も支離滅裂。
強制とは本来、本人の意思に反して連れ去る「強制連行」、慰安所で無理に働かせる「強制使役」がセットだ。それなのに安倍氏らは、強制の定義を強制連行に限った上で、力ずく奪い取る「略取罪」、相手をだます「誘拐罪」、「人身売買罪」のうち、軍が直接手を下した略取だけに絞り込んだ。
そうした「協議の強制性」でさえも、スマラン事件を見れば「あった」ことは明らかだ。
結びは吉見教授に丸投げ。
吉田証言が否定されても「慰安婦問題全体の構図は崩れず、河野談話も揺るがない。軍による略取は中国やフィリピンでも確認されている。朝鮮でも、軍が選定した業者による誘拐・人身売買などの強制連行があり、軍の施設である慰安所に入れられたからだ」と<引用者注:吉見は>断言する。
そもそも欧米では、強制連行の有無は重要な問題ではない。「連行の過程には関心を払っていない。問題は女性たちが慰安所で悲惨な目に遭ったということだ。強制的に軍人の相手をさせられた慰安婦は文字通り性奴隷にされた」(吉見氏)
...吉見氏は安倍氏に警告する。「河野談話を見直し、政府の責任を否定すれば国際上孤立する...」