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2017/06/19

北米96大学の学生、日韓合意再交渉を促す声明発表・・の実態

英語・韓国語版だけで日本語版がないという片手落ち

アメリカ合衆国とカナダ、北米96の大学の学生が日韓合意の再交渉を促す声明発表・・・という韓国メディアのニュースを(だいたい)そのままツイートしたら、反応がやや加熱気味だったので、少し反省している。

ようするにこれは吹かし記事であって、北米の大学に在籍する学生らを対象にした署名運動で一年かけて96の大学から1000人(一校につき平均10人?!)の署名を集めたという話なのだが、日本で言うところの学生自治会が声明を発表したというイメージではない。North American Students in Solidarity with the Victims of Japanese Military Sexual Slavery(日本軍性奴隷制犠牲者と連帯する北米学生)という団体名も、検索しても殆ど情報が出てこない。

イェール大で講演するイ・オクソン(2016.4)

経緯としてはこうだ。一年ほど前、イェール大で”活動家慰安婦”イ・オクソンが講演を行い、映画『鬼郷』の上映が行われた。これをキッカケに署名運動が始まったらしい。つまり、挺対協が最も頼りにする韓国の”少女像世代”(留学生ら)の仕業である。実際、声明の中には挺対協とナヌムの家の名が登場する。声明は、「法的責任」「責任者の処罰」という挺対協が固執する要求(その為に慰安婦問題が解決しない)を代弁し、慰安婦の人数は最大40万、11歳以上、殆どは朝鮮人と説明している。挺対協ですら形だけでも日本人慰安婦の存在についても触れるのに、この声明では日本人の存在は完全に無視されている。つまり母国のポリティカル・コレクトネスより先鋭化している。署名の呼びかけ人はイェール大の Hyun-Soo Limと SuhYoung Kimという学生らしい。イ・オクソンの右隣に座っているのが、リムだろうか[要確認]

ハーバードやイェール大の学生なら、ちょっと調べればフェイク・ニュースと気づく筈だから、あまり過剰に反応する必要はないだろう。しかし、名門大学でも、こういった留学生は確信犯なので別に考えた方がいいだろう。ようは、”少女像世代”が綿毛に乗って海を越え、アメリカに拡散したというところか。根づくかどうかは分からないが。

ちなみに、リムのフェイスブックには英語と韓国語の声明文はあるものの、合意のもう一方の当事者である日本向け(日本語版)がない。またイェール大で集めた152筆の署名には「イェール大の韓国人(系)学生、同窓生、affiliates(152 Korean Students,Alumni, and Affiliates of Yale University)」となっている。表向きは、韓国人以外も署名した(ノーカットニュース)とされているが。

参考:北米96大学の学生「『慰安婦』おばあさん闘争支持」 CBSノーカットニュース2017.6.16 

 呼びかけ人の一人 Hyun-Soo Lim
”少女像世代”は、米国にも根づくか

Statement of Support for the Nullification and Renegotiation of the Korea-Japan 'Comfort Women' Agreement(韓日「慰安婦」合意の破棄と再交渉を支持する声明)

On December 28th, 2015, the South Korean and Japanese governments announced a "final and irreversible resolution" of the issue of former "Comfort Women," a euphemism for survivors of Japanese military sexual slavery(慰安婦とは日本軍性奴隷制犠牲者に対する婉曲表現) roughly during the Second World War. An estimated 200,000-400,000 girls and young women, as young as 11 years old, were forced, abducted, and coerced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army. While most of the victims were Korean(推定20万から40万人の少女や若い女性が日本帝国軍によって強制され、拉致され、性奴隷制度に無理強いされた。殆どの犠牲者は朝鮮人だが), the "Comfort Women" included Chinese, Filipino, Indonesian, Burmese, Vietnamese, Thai, Malaysian, Taiwanese, and even Dutch victims.

Major advocacy groups, including the Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan(挺対協) and the House of Sharing(ナヌムの家), have rejected this so-called "agreement" because it deliberately fails to concede true responsibility for the crime. The victims, now in their nineties, have consistently demanded that Japan recognize its "legal responsibility(法的責任)." Instead, Japan merely acknowledged the "involvement of the Japanese military authorities," (日本政府は、「軍当局の関与」認めたに過ぎない)distorting the truth that the military was the central organizer and perpetrator(軍が加害と差配の中心だったという事実を曲げ). Without the acknowledgment of state responsibility, there is no assurance that this history would be included in Japanese textbooks(日本の教科書に記載されるという保証はない); that remaining perpetrators would be indicted(生存する加害者が起訴され); and that the numerous government officials who falsely insult survivors as "prostitutes" (無数の日本政府関係者がサバイバーを「売春婦」と侮辱する)would be held accountable.

The concern that this apology is nothing more than Abe's attempt to silence the survivors(サバイバー達を黙らせるというアベの作戦) was confirmed within weeks of the announcement. Merely a month passed before the Japanese government again denied that the women were sex slaves; Japanese lawmakers continue to call victims "prostitutes"; Abe recalled
the ambassador to Korea to protest a statue commemorating victims in Busan. Indeed, Prime Minister Abe premised the entire agreement on his "commitment to stop future generations from having to repeatedly apologize." Where is his remorse for allowing this issue to stall for so long, despite the decades of protest? Where is his grief for the women who passed away year after year waiting for an official apology from Japan?

Moreover, the "agreement" urges the removal of the “Girl Statue(少女像)” in front of the Japanese Embassy, a memorial built by civilians in order to commemorate the victims. The survivors are adamant that the statute must remain in place as a reminder of the injustice. If the apology is sincere, why does the Japanese government insist on the monumental statue’s removal? As Hiroka Shoji of Amnesty International stated, "the women were missing from the negotiation table and they must not be sold short in a deal that is more about political expediency than justice. Until the women get the full and unreserved apology from the Japanese government for the crimes committed against them, the fight for justice goes on."

We, the undersigned, stand with the survivors and their ongoing fight for justice. A settlement for crimes so personal and devastating cannot be final without the consent of the victims(犠牲者の同意). We demand that the Korean and Japanese governments nullify the "agreement"(韓国と日本政府が「合意」を破棄する事を要求する) and recognize the individual claims of comfort women. We demand that the "Girl Statues" in Seoul and Busan remain untouched, as a symbol of true repentance and hope for peace and reconciliation. We further demand that the Japanese government admit state responsibility for military sexual slavery; issue an official apology recognizing legal responsibility(法的責任); and provide legal reparations to the victims.

May 13, 2017
1,000 North American Students in Solidarity with the Victims of Japanese Military Sexual Slavery(日本軍性奴隷制犠牲者と連帯する1000人の北米の学生)

2016/05/24

慰安婦カナダの高校を訪う「全世界に日本の蛮行を知らせてきた」

キルとカナダの高校生たち

ホットドックス映画祭参加の為にカナダを訪れたついでに、挺対協のユン・ミヒャンとキル・ウォノクは、ドキュメンタリー映画作家ティファニー・ションとカナダの高校にキャンペーンに出かけた。

20年かけて韓国の子供たちに「正しい歴史認識」を植え付けた彼女たちは、今度は海外でも同じことをしようとしている。自分たちがあくまで世界の戦争犠牲者たちの為に活動しているのだと、蝶(ナビ)基金をアピール。子供たちは素直に感動したようである。しかし、彼女らの本当の目的は、ユンが自ら述べたように「全世界を回り日本の蛮行を知らせる」こと。ナビ基金はそのカモフラージュではないのか。


しかし、このカナダでのキャンペーンツアー中に面白いことが起こった。ある集会のディスカッションの中で、(満)11歳で慰安婦に<動員>されたといった証言の不自然さに疑問を持たれ、突っ込まれたのだ。詳しくはなでしこアクションのブログを読んで頂きたいが[2]、欧米人からこうした疑問をぶつけられるとは、ユン・ミヒャンも予想していなかったろう。しかし、今後はこうしたケースは増えるのかもしれない。

13才従軍慰安婦キル・ウォノクお婆さん「お母さん、私家へ帰りたい」

トロントを訪れた従軍慰安婦キル・ウォンオクお婆さんは先週木曜日ソーンヒル高校(訳注:オンタリオ州では9~12年生)を訪ねてカナダの高校生たちに戦争の惨状を教え戦争のない国で元気に育つことを祝福した。

韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャン代表、そしてキル・ウォンオクお婆さんをメインに日本慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画映画『THE APOLOGY』の映画監督ティファニー・ションと共に高校を訪れたハルモニは図書館に集まった100人余りの生徒と会った。

ハルモニは戦争の残酷な現実を紹介し、ティファニー・ション監督は6年間世界中を回り慰安婦ハルモニに会って戦後も彼女たちがどれほど苦労したかを映画にした(?)理由を語った(紹介した)。
ユン・ミヒャン代表はハルモニの活動を、25年間全世界を回り日本の蛮行を知らせることに注力したと述べた。ハルモニの努力で国連人権委員会は慰安婦問題に関する特別報告書を発表れ、ヨーロッパの様々な国で問題の深刻さを知らせる発表が相次いだ。

また、ハルモニは蝶(ナビ)基金を創設して現在も広がっている戦争の中で性奴隷に転落した女性たちを助ける活動を行っていると説明し、蝶基金によって救われ(助けられ)、新しい生活を送ることになったアフリカ女性の事情を紹介することもした。

この日、生徒の一人がフルートでアリランを演奏し、ハルモニは生徒の演奏でアリランを歌った。

平壌が故郷であるハルモニは13才(カナダの年齢で11才)で挺身隊として連行され過酷な苦難に会って、まだ故郷を行ってみられなかったと話し、生徒たちの目を赤くした。

「私は13才の年に何も知らずに故郷から引かれて行かれなければなりませんでした。その後、家に帰ることができませんでした。皆さんは私のように戦争の恐ろしい体験をせずに家族全員の(?)幸せを祈ってます」

この日講演会ではハルモニが作った詩「お母さん、私家へ帰りたい」が動画で上映され、89才のハルモニの心が若い生徒たちにまで伝えられた。生徒たちは、日帝強制占領期の戦争の痛みを再確認するのに十分な時間だったと話した。

「お婆さん、はるばるトロントまで来てくださってありがとう。戦争の痛みを知らせてくれてありがとうございます。日本が早く謝罪と賠償をすることを願ってます。私たちも忘れません」と、生徒を代表して韓国人学生のキム・ジヨンさんが述べた。

この日、講演会の後、一部(?)の韓国人生徒たちがハルモニ(の周りに?)集まり花束を渡して挨拶した。 ハルモニは嬉しげな様子(?)で大きな笑顔で生徒たちを겪려して祝福した。

講演会に参加したダレン・ウォーク先生は「お婆さんがここまで来られてgreat storyを学生たちに聞かせられ、生徒たちにインスピレーションを(inspiring)吹き込んで下さいました」と、学校と生徒たちがこの問題を支援するために行動すると明かした。

学校を訪問する二日前、キル・ウォノクお婆さんは韓国人会館の前にある少女像を訪ねた。ハルモニは少女像を撫でさすり、あたかも生きている幼い孫娘に対するように痛ましいといった。

不快な体にも関わらずハルモニは日本が本当に謝り賠償しなければならないと声を大きくして、生きている限り戦うという固い意志を示した。

「少しでも良心が残っていれば間違ったと謝って補償してるよ。참고 넘어가면 되겠지 하면서 저들이 세월을 보내네요」。

World in Canada 2016.5 [2]

13살 종군 위안부 길원옥 할머니 “엄마, 나 집으로 돌아가고 싶어요”

토론토를 방문한 종군 위안부 길원옥 할머니는 지난주 목요일 손힐 하이스쿨을 방문해 캐나다 학생들에게 전쟁의 참상을 소개하며 전쟁없는 나라에서 건강하게 자라기를 축복했다.

한국정신대문제대책협의회 윤미향 대표, 그리고 길원옥 할머니를 주인공으로 일본 위안부 문제를 다룬 다큐멘타리 영화 ‘THE APOLOGY’의 영화감독 티파니 슝과 함께 고등학교를 방문한 할머니는 도서관에 모인 100여명의 학생들과 만났다.

할머니는 전쟁의 참혹한 현실을 소개했고, 티파니 슝 감독은 6년간 전세계를 돌면서 위안부 할머니들을 만나 전쟁 후에도 그들이 얼마나 힘들고 어려워 했는지 영화로 제작한 사연을 소개했다.

윤미향 대표는 할머니의 활동을 소개하면서 25년간 전세계를 돌면서 일본의 만행을 알리는데 주력했다고 소개했다. 할머니의 노력으로 UN 인권위원회에서는 위안부 문제에 대한 특별보고서를 발표하였고, 유럽 여러나라에서도 문제의 심각성을 알리는 발표들이 잇달았다.

또한 할머니는 나비 기금을 창설해 현재에도 벌어지고 있는 전쟁 속에 성노예로 전락한 여성들을 돕는 활동을 펼치고 있다고 설명하면서 나비기금에 의해 도움을 받아 새로운 삶을 살게된 아프리카 여성의 사연을 소개하기도 했다.

이날 학교 학생 하나가 플룻으로 아리랑을 연주했고 할머니는 학생의 연주에 따라 아리랑을 노래했다.

평양이 고향인 할머니는 13살(캐나다 나이 11살)의 나이에 정신대로 끌려가 모진 고초를 겪고 아직까지 고향을 못가봤다고 말해 학생들의 눈시울이 붉어지기도 했다.

“저는 13살의 나이에 아무것도 모르고 고향에서 끌려나와야 했습니다. 그 이후로 집에 돌아가지 못했습니다. 여러분들은 저처럼 전쟁의 끔찍한 일을 겪지 않고 가족 모두 행복하기를 기원드립니다.”

이날 강연회에서는 할머니가 지은 시 ‘엄마, 나 집으로 돌아가고 싶어요’가 동영상으로 상영돼, 89세의 할머니의 마음이 어린 학생들에게까지 전달되었다. 학생들은 일제 강점기의 전쟁의 아픔을 되새기기에 충분한 시간이었다고 말했다.

“할머니, 멀리 이곳 토론토까지 와주셔서 감사합니다. 전쟁의 아픔을 알려주셔서 감사합니다. 일본이 빨리 사과와 배상 조치를 하기를 바라겠습니다. 저희도 잊지않겠습니다.” 라고 학생 대표로 한인학생 김지영양은 말했다.

이날 강연회 후에는 일단의 한인 학생들이 할머니께 몰려가 꽃다발을 전해드리며 인사를 드렸다. 할머니는 기쁜 모습으로 함박 웃음을 지으며 학생들을 겪려하고 축복했다.

강연회에 참석한 데런 웍 선생은 “할머니께서 여기까지 오셔서 great story 를 학생들에게 들려주셨고 학생들에게 영감을(inspiring) 불어넣어 주셨습니다.” 라며 학교와 학생들이 이 문제를 돕기 위해 행동할 것이라고 밝혔다.

Kilwonok

학교를 방문하기 이틀전 길원옥 할머니는 한인회관 앞에 있는 소녀상을 찾았다. 할머니는 소녀상을 쓰다듬고 어루만지면서 마치 살아있는 어린 손녀 대하듯 안쓰러워 했다.

볼편한 몸에도 할머니는 일본이 진정으로 사과하고 배상해야 한다고 목소리를 높이며 살아있는 날까지 싸우겠다는 굳은 의지를 보이셨다.

“조금이나마 양심이 남아 있으면 잘못했다고 사과하고 보상도 하고 해야죠. 참고 넘어가면 되겠지 하면서 저들이 세월을 보내네요.”

2015/09/09

強制動員名簿で認定された慰安婦、連行時10歳

どう考えても慰安婦ではない

83歳。終戦時は13歳くらい。12歳で日本に連れて行かれたと言うが、国民学校4年生なら、満年齢で9~10歳か。原爆が投下された1945年には広島にいた。この時、13歳。

1992年に慰安婦として韓国政府に認定されたような事が書かれているが、92年と言えば、韓国のマスコミが戦時中の学籍簿を漁って小学生が従軍慰安婦に動員された大騒ぎした年。その顛末は、産経の黒田記者の説明が分かり易い。中央日報も、学籍簿には学徒たちに対する説得過程・動員経緯・出発の日付・場所まで記録されていた、日本政府が体系的に従軍慰安婦の動員に関与していたことが証明されたなどと騒いでいたようである

本人は、思い出せない悪夢を口にしたくないと言っているが、断片をどう読んでも慰安婦の体験談とは思えない。戦後70年。高齢の女性から亡くなって行くと、ますますあり得ないような年齢の「被害者」が目立ってくる。今年の6月には、80歳の元慰安婦の訃報がニュースになった。一応、今年は戦後70年である。

<慰安婦生存者13人証言>12歳で経験した悪夢…その痛みを包んだ暖かいコート

  先月12日、慶尚南道昌原(チャンウォン)の金福善(キム・ボクソン)さん(83)の家を訪問すると、金さんは壁に静かにもたれてテレビを見ていた。ニュースが放送されるテレビから安倍晋三首相の名前が聞こえた。金さんはすぐに背を向けた。「安倍の話が出てくればテレビを消してしまう。あまりにも憎くて。以前の首相はまだこれほどではなかったが、この人は違う。私たち慰安婦被害者の話を少し聞くべきなのに…」。 

  金さんは12歳の時に日本に連れて行かれた。当時は国民学校(小学校)4年だった。誰かが当時のことを尋ねると、金さんは「はっきりと思い出せない」と答える。あまりにも幼かったということもあるが、それよりは悪夢を口に出したくないからだ。しかし金さんは「言葉で表現できない、日本は…」としながら話を続けた。「私たちが貧しく、もやしを育ててご飯を食べさせたが、警察や日本の人が来て器を足で蹴飛ばした。よい印象がない、日本は。慰安婦の時もあちこちに連れて行かれ、どこかはっきりと分からなかったが、本当に苦しかった」。

  金さんは広島の原爆の恐怖も振り返った。「広島県に爆弾が落ちた。その爆弾が落ちたところの近くに私たちがいた。それで布団などを持ってみんな出て行き、堀端に隠れていた。爆弾を受けないように。それははっきりと覚えている」。

  解放後に韓国に戻った金さんは遅れて中学校に入った。当時は中学校まで行くケースが多くなかったため、金さんが自慢する記憶だ。その後は結婚して子どももできた。みんなが貧しかった時代、金さんも子どもの腹を満たすためにあらゆる苦労をした。最初に始めたのは木の器を売る商売だった。休む間もなく働いていると、いつのまにか子どもが成長してかわいい孫が生まれ、小さな家も持った。しかし金さんの傷は癒えなかった。

  慰安婦被害者調査・登録が始まった1992年、政府は金さんが通った小学校の強制動員名簿を確認し、金さんを被害者として登録した。その後、一度だけ放送に出て被害事実を証言したが、当時に受けた傷のため二度と被害事実を述べたり写真を撮影したりはないという。

  「当時、近所の女性たちが私について『ああ、あの人の家はどれほど貧しかったのか…。あんなところに連れて行かれて』と話していた。私の中学校の同窓生もまだ近所に暮らしていたが、親しい友人も同じだった。それでいかなる行事に行っても絶対に写真も撮らず話もしない。私は…」。

  周囲の誰にも堂々と話すことができず、むしろ罪人のように暮らした。冷たい視線を向けられるのでは、子どもが被害を受けるのでは、と思うと怖かった。その金さんに小さな慰めになったのは別の被害女性だった。金さんは数年前から近い地域にいる被害女性と親しくなり、外出したりもする。小さな喜びも享受する時間は多くない。金さんはあきらめることなく日本政府から謝罪を受ける日を待っている。認知症にならないよう外出して人に会い、歌の教室にも通っている。金さんに最も重要なのは女性家族部から昨年贈られた冬用のコートだ。

  「これは私がデパートに行って自分で選んだ。本当に気に入って冬によく着た。健康が悪化して認知症になってはいけないので、できるだけ外に出ようと思う」。



2015/08/04

ミュージカルComfort Women NYで上演始まる




映画や小説で慰安婦問題を国際的に広めようという試み。その形態の一つ。ブロードウェイ・ミュージカル『Comfort Women』。最初のタイトルは『Comfort』ではなかったかと思う。よりストレートなタイトルにしたのだろう。お披露目はちょうど一年前だった。安倍首相の訪米時に劇団メンバーがプラカードを持ってワシントンの日本大使館に抗議に来た。日系人(日本人)俳優が参加していることでも注目されている(韓国では)。アメリカツアー中のキム・ボクトンに会って泣き出す者もいたとか。

旭日旗ディスカウントも盛り込み済み?
私の役は、Malsoon Lee という13歳の女の子。この作品に携わると決まって、慰安婦について調べていた時は日本人として心が痛んだし、今も韓国と日本の間でこのとについてもめている事実にすごく疑問をもった。...今日本で、日本が戦争出来るように憲法を変えようとする動きがあります。

わたしはアメリカに来て5年目になりますが、日本が戦争をしない国だということにとても誇りをもっています。

ある日系人舞台俳優のブログより [全文]

会場では、「慰安婦セールスマン」ハン・ジスが英訳した慰安婦の証言集を配った(売った?)りしているようである。ワシントン挺対委やパリセイズパークの関係者とも面識はあるようである。繋がりがあるとまで言っていいのかどうかは分からないが。
現在公式サイトで、以前は読めた粗筋や慰安婦問題に関する解説が読めなくなっているのも少々気になる。マイケル・ヨンがフェイスブックでこのミュージカルを簡単に批判したこともあった。直接関係ないとは思うが。

劇の関係者が日本大使館に抗議 (先月)
「レイプに慰安なし」

慰安婦の人生、ミュージカルに…日本が消そうとしても消せないように

「数多くの人が知っていて、日本が歴史を消そうとしても消すことができなくしたい」

  日本軍の慰安婦の惨状を素材にしたミュージカル『コンフォート・ウーマン(COMFORT WOMEN)』が米国ニューヨークの舞台に上がる。公演は31日から8月9日まで、オフ・ブロードウェイのセント・クレメンツ劇場が舞台だ。企画・制作・演出はある大学生によって行われた。ニューヨークシティカレッジ演劇学科4年に在学中のキム・ヒョンジュン氏(24)だ。彼の夢は『コンフォート・ウーマン』をブロードウェイの舞台に上げること、さらには多くの国で公演して慰安婦問題を全世界の人に伝えることだ。慰安婦についての歴史が忘れられないようにするためだ。皆が知るようになれば日本政府も過去の蛮行をこれ以上否めず、謝らないわけにはいかないと彼は考えている。

  彼はミュージカルを作ったきっかけについて「2012年安倍晋三政権になった後、日本政府が歴史を否定するのを見ながら決心した」とした。「周囲の米国人に尋ねたが、誰も慰安婦問題について知らなかった。説明したところ、なぜ『性奴隷』と言わず『コンフォート・ウーマン』というのかと聞き返された。いち早く知らせなければならないと思った」

  出演俳優48人は12カ国出身の多国籍連合軍だ。昨年11月のオーディションには800人以上が集まった。日系俳優も100人余りが志願した。キム氏は慰安婦の歴史を否定する人たちは全員返した。選抜された日系俳優は8人。キム氏は彼らが「歴史を正しく伝え、韓日両国が平和につき合う一助となりたい」として覚悟を固めたと伝えた。

  準備過程でキム氏は、日本の右翼団体からの抗議と脅迫にも苦しめられた。「なぜ嘘をつくのか」という非難は言うまでもなく「日本に来たら殺す」という背筋が寒くなるような内容もあった。

  制作費の用意も大変だった。大学生の創作ミュージカルに投資する人を探すのは容易ではなかった。

  国内の大企業の後援を受けられなかった。キム氏は「大企業に電子メールを送ったが回答が来なかった」とした。キム氏が接触した米国内の韓国系企業は「取引先の中に日本人たちがいる」として手を引いた。

  個人投資家や後援者からやっと集めたお金が約1億ウォン(約1100万円)。オフ・ブロードウェイ作品の通常制作費の5分の1だった。各界の助けもあった。韓国人の服の布地店では4分の1の値段で衣装に必要な布を提供してもらった。俳優は出演料をもらわないことにした。スタッフもやはり報酬なしで参加する。

  キム氏と主演俳優たちは今月初め、ワシントンで慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(89)に会った。その出会いはミュージカルの転換点になった。キム氏は「その後、俳優たちの演技が変わった」と紹介した。俳優は特に説明がなくとも配役に没頭することになった。

  ミュージカルの最後のシーンも変わった。慰安所を脱出した慰安婦少女が帰ってきた祖国では光復(解放)の歓喜があふれかえる。しかし少女は舞台の後ろへと消える。

  キム氏は「実際に韓国社会では、慰安婦被害者のおばあさんたちが慰労や関心をまともに受けられずにいるようだ」とその意味を説明した。

2015/06/17

戦後70年、80歳で他界した慰安婦被害ハルモニ


今月80歳で亡くなった慰安婦は、70年前の終戦の年に果たして幾つだったのか?キム・ウェハン(写真左?)の遺影は、今日の水曜デモにも登場した。撮影時期が異なる可能性もあるが、右の写真の人物はさらに若く見える。彼女は、奇しくも同じ日に亡くなったキム・ダルソン(91)。

達者な二人のハルモニはMERSを警戒してマスク着用

訃報:キム・ウェハンさん80歳=元慰安婦

元慰安婦の生存者は51人に

元日本軍慰安婦のキム・ウェハンさんが11日夜、老衰のため死去した。80歳だった。これにより、韓国政府に登録されている元慰安婦238人のうち、生存者は51人となった。なお、キムさんは生存者の中では最も年齢が若かった。

京畿道広州市の「ナヌムの家」で元慰安婦たちと共同生活を送っていたキムさんは、健康状態が悪化し、11日午後に近くの病院に搬送されたが、午後8時40分ごろに死去した。キムさんは先月、元慰安婦たちを侮辱する物品をナヌムの家に送り付けた日本の極右政治運動家・鈴木信行氏(49)を、同所で共同生活を送る元慰安婦9人と共にソウル中央地検に告訴したが、日本側からの正式な謝罪を受けられないまま世を去った。殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)は慶尚北道安東市の安東医療院に設けられ、告別式は13日に行われる予定。キムさんの故郷である同市には現在、夫が住んでいる。


慰安婦被害女性、同じ日に2人死去…生存者50人だけ

旧日本軍の慰安婦被害女性2人が同じ日に亡くなっていたことが分かった。

12日、慶尚北(キョンサンブクド)に住むキム・ダルソンさん(91)が老衰のため他界した。

これに先立ち京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)のナヌムの家は、キム・ウェハンさん(81)が広州市内の病院で老衰のため亡くなったと伝えた。

2人の被害女性の死去にともない韓国政府に登録された慰安婦被害者238人のうち生存者は50人に減った。

2014/11/20

元ジョージタウン大教授 「人種理論に基づく性奴隷」「公衆便所と呼び虐待」

慰安婦に関する著書もあるオー教授
優しい笑顔でヘイトスピーチ?

ボニー・オー(Bonnie B.C. Oh)は、エドムンド・A・ウォルシュ外交大学院の韓国学の専門家で、The Legacies of the Comfort Women of World War II(2001年)の編集者でもあった。先日、アメリカのノースウェスタン大学で慰安婦問題に関する講義を行った。その時の様子。

報道からボニー・オー元教授の話をまとめると、慰安婦の総数は8万~40万。年齢は10歳(?!)~35歳。80%は朝鮮人だった。日本軍によって奴隷にされたが、書類は破棄され一部の女性は殺されたので証拠は残っていない。日本軍慰安婦の特徴はその公的性格。戦場の指揮官が設置・管理を行い、司令官たちは天皇とのホットラインを持っていた。軍はしばしば慰安婦を「公衆便所」と呼び、この事で非人道的な取り扱いが可能となった。よって、慰安婦ではなく、性奴隷と呼ばれるのが相応しい。このシステムは、日本の誤った人種理論の産物である。日本は歪んだ人種理論に基づき、朝鮮人女性を大量に性の奴隷とすべく調達した。・・・なにやら、ナチスの優生学を連想させるような言われようではないか。


ちょっと面白いのは、オー教授が、日本軍が帯同する(日本人?)従軍売春婦(embedded prostitutes)の不足を、強制的に集めた主として朝鮮人で補ったと説明している点。ややこしい話だが、従軍慰安婦が足りないから日本軍は無印)慰安婦=性奴隷を集めたのだとオー教授は言っているのである(関係ないが、フィリップ・ドゥ・ヘーア駐日オランダ大使もそれに近い認識だった)。もしかしたらこの人は従軍売春婦の存在自体は問題視していないのかもしれない。まぁそうだろう。従軍売春婦(慰安婦)ならヨーロッパの軍隊にもいたわけだから・・・。講義を聞いた者の中には日本軍慰安婦について初めて聞く者もいたようだが、戦場で人身売買や強姦が起こるのは知っていたが、システマチック(組織的な)性奴隷制度の存在は初めて知ったと感想を述べている。

そして、アナベル・パクと同じく「おだて作戦」。日本は世界のモラルリーダーになれるはずなのに、なぜなろうとしないのかと。「謝れ!」という話なのだろが、オーもパクもアメリカ人なのだろうから、日本にリーダーシップを期待するより自国に期待するのが筋だろう。なぜアメリカはモラルリーダーになることを避けているのか?洋公主に謝れ。

講義で使用された資料映像
慰安婦=挺身隊

※ ツイッターで、翻訳やオー教授の専門についてアドバイスを頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。



ボニー・オー教授、NU大で慰安婦講演「過去正しく知ってはじめて発展できる」

「すべての国は暗い過去を有している。 一部は隠して忘れようとするが過去を否定して未来だけ見て行くということのように愚かなことはない。 慰安婦問題もそうであるだろう」

12日ノースウェスタン大のRoberta Buffett Center for International and Comparative Studiesが主催した人権講演シリーズでボニー・オー教授が講師が登場「慰安婦被害者問題」をテーマに特別講演を行った。 バフェットセンターのBruce Carruthersチェアは「9月から人権をテーマにした講演シリーズを無料で主催している。 オ教授の慰安婦関連書籍はもちろんで講演が非常に有益で重要だと考え、直接招請することになった。 慰安婦関連の講演は初めてだ。 特定の国の問題でない全世界の人権問題をテーマに今後も継続する予定だ」と説明した。この日100人余りの学生と教授などがオー教授の講義に始終真剣な表情で耳を傾け被害ハルモニの証言が言及される部分で嘆きをさく烈させた。

オー教授は「10~35才女性たちが何も分からないまま徴用、人身売買犯、売春業者などによって拉致、買収など様々な方法で連れて行かれ日本軍を対象に性的な行為を強要された」として「そのうちの80%が朝鮮人だったが、中国、台湾、フィリピン、インドネシアなどでも慰安婦の召集が行われた」と話した。オー教授は朝鮮人慰安婦が多い理由、被害国々の活動、日本の反応などに対しても説明した。

シカゴ韓国人会少女像設置委員会のルーシー・ペク委員長はこの日「歴史を変えようとする日本の動きを正さなければならない。アメリカで成長する学生たちに正しい歴史を伝える良い講演だった。現在の少女像建設委員会は基金を集めるために熱心に活動中だ」と話した。

ロヨラ大に在学中のジョセフィン・ワン(20)は「慰安婦に関する講演があると聞いて来た。慰安婦被害者問題は女性の尊厳を踏みにじったことはもちろん人間の基本人権を侵害した事件だと思う。慰安婦に関する詳しい話を聞くことができて有益だった。韓国の人々が皆力を合わせて大韓民国の名の下にこれ以上手遅れになる前にこれを解決して欲しい」と話した。

KoreaDaily Chicago 2014.11.13 [ 2 ]

Retired Georgetown professor ​​gives lecture on WWII 'comfort women'

A retired professor ​​of Korean studies spoke to a packed room in Harris Hall on Wednesday night about」comfort women」who were enslaved for sex by the Japanese army during World War II。

Bonnie Oh、a retired Georgetown University professor、recounted the history and legacy of an estimated 80,000 to 400,000 women and girls who were forced into sexual slavery for the Japanese army from 1931 to 1945. She said during the war、the women gathered at "comfort stations "near military bases。

「Soldiers would queue up、assigned to certain times、 "Oh said in a lecture hosted by the Buffett Center。" Sometimes when there were new shipments of soldiers、these times would be no longer than 15 minutes、with no time for the women to wash up in between。 "

Although these women came from all over Asia、80 percent of the victims were Korean、because they were believed to be more likely free of disease、Oh said.Because of her concentration in Korean studies、Oh became interested in these women、though she said her peers did not approve of her interest。

"When I first started getting interested in this topic 22 years ago、I was almost ostracized - a good woman getting interested in a topic like that、" Oh said。

The topic of comfort women was new to some attendees、including Weinberg sophomore Sanjana Lakshmi、who attended a dinner with Oh before the presentation.Other members of the International Gender Equality Movement、a student group that promotes advancing women's rights worldwide、also attended the dinner 。

"I knew there was rape and pillaging and other war crimes during World War II、and I know there's sex trafficking、but I did not know there was this systematic sex slavery、「Lakshmi said。

The Japanese government has tried to avoid the topic of comfort women、particularly when it comes to the government's culpability in their enslavement、Oh said。

"The repeated claim is that the Japanese government was not involved、that these women were professional prostitutes、「Oh said。
The only remaining records of the exploitation are personal accounts and those of Japanese soldiers、since all other documents and evidence were destroyed after the war、and some of the women were killed

Oh said the existing accounts point to the Japanese government's culpability in setting up the system of comfort stations。
"Every country has ugly chapters which people would like to forget、but for which reparations are called for、" Oh said。 "What is unique about comfort women in Japan is the official nature - the commanders in the field set up and regulated this system 、and they had a direct line of communication with the emperor "

Although the sex slavery system ended with World War II、the issue resonates with others struggling with sexual violence against women today、said Youngju Ji、the executive director of Korean American Women in Need、an organization for domestic violence and sexual assault victims in Korean and other Asian communities。

「It's very much connected to what we are trying to do with our mission of ending violence against women、 "Ji、who attended the event、said。" It was great for us to expand our knowledge about this issue going forward、to be more equipped with a different perspective on this issue。 "
Oh said the impact the women's stories can have upon others is essential to their legacy。

"There is a question of what kind of legacy these women can leave、「she said。" They are destitute、old and have nothing left to leave.But comfort women ended up leaving a lot of legacies in the lessons they gave us on human endurance and the strength to triumph and to survive。 "


Georgetown professor: legacy of WWII comfort women continues

“Every country has ugly historical chapters. My aim tonight is simplenot to forget the experiences of women who have fallen victims to forced prostitution and sexual violence in times of war and peace.”

Professor Bonnie Oh of the Korean Studies department at Georgetown University’s Edmund A. Walsh School of Foreign Service spoke to Northwestern University on Wednesday about the history of World War II comfort women and their impact on East Asian relations. The event was organized by Northwestern University’s Roberta Buffett Center for International and Comparative Studies.

While informing the audience about the historical background of comfort women, Oh said the term “comfort women” is a euphemism for sex slaves of the WWII Japanese military and its usage is too weak for the 200,000 women who were coerced into violence. She suggested the usage of “sex slaves” as done by the former Secretary of State Hillary Clinton during her speech in 2012.

According to Oh, the system of comfort women began in the early 1930s after Japan’s militarist government experienced imperialist success in the late 19th and 20th century. She explained that while the lack of embedded prostitutes during the protracted war and the increased risks of venereal disease contributed to the system of comfort women, the most hidden theoretical reason lay in Japan’s “pseudoscientific race theory” that espoused a sense of superiority over its colonies and women in general.

Oh accompanied her presentation with photos of comfort women not only from Korea, but Taiwan, China and the Philippines as well. “History is indisputable,” she said while presenting a list of testimonies, documents and apologies as evidences of Japanese government’s involvement in the system.

The degree of the abuses is incredible.” Oh said the military often used the phrase “public toilet” in reference to the comfort women, and said she believes “that way of thinking made it easier for them to treat women in sub-human ways, in considering them as supplies and ammunitions.”

Oh said that the patriarchal society and social stigma against violated women prevented the victims of sexual violence from openly talking about their abuses. It took 46 years after the end of war – “50 years of silence” – for the first Korean comfort woman, Hak-soon Kim, to “come out” after she was enraged by the Japanese government’s denial of its involvement in the affairs.

Public reaction to the issue was fierce. The movement to demand an official apology from the Japanese government gained the support of international organizations such as Amnesty International and the United Nations, and gained momentum through the passage of U.S. House Resolution 121 in 2007. Oh said the impact of the movements on Japanese society has been divided between those who are calling for formal acknowledgement of the system and the government that is continuing to question the veracity of testimonies.

Oh called for Japan to accept responsibility, even though she was not very optimistic about the future. “Japan is a world leader in every aspect,” she said, mentioning the country’s third biggest economy in the world and its 19 Nobel Prize winners. “Why can it not be a moral leader either? It could.”

“The comfort women issue is an unresolved historical human tragedy,” said Ms. Youngju Ji, the executive director of Korean American Women in Need (KAN-WIN). Ji said elements such as the patriarchal system remind people that violence against women is still happening. “We believe that philosophical connection and solidarity between academia and activists will be able to make a greater impact.”

2013/09/05

慰安婦のドイツ講演 (イ・オクソン)

誤解を正すぐらいしないと単なる反日活動家になってしまうのでは?

日本政府は変わらないという矢嶋。変わらないのは彼の方かもしれない。本文にもあるように矢嶋は昔、ナヌムの家でボランティアをしていた。ドイツに渡ってからも、運動家らと協力して慰安婦問題をドイツに普及させる活動を行っている。

アメリカでの講演を終えたイ・オクソンはドイツに渡り、矢嶋と再会。彼の通訳でドイツで講演している。ドイツのメディアによれば、彼女はアメリカでの証言と同様、慰安所は屠殺場であった話している。天皇ヒロヒト批判や、自分が(日本)兵によって釜山の路上で拉致されたとも話したようだ。韓国系の団体は、南ドイツ新聞に日本によって拉致された20万人超の慰安婦は主に11歳から15歳の少女であったと説明しているようである。人数のインフレーションと、年齢のデフレーションは相変わらず。

「日本の奴(일본놈)」の声を聞いても気分を悪さない日本人・・・ドイツ慰安婦証言会通訳引き受けた矢嶋氏

「なぜ度々日本の奴と写真を撮れといって!」

3日(現地時間)ドイツベルリン工科大で証言集会を開いた慰安婦被害者イ・オクソン・ハルモニ(86)は通訳を受け持った矢嶋宰(42)氏を示して気兼ねなく「日本の奴」と呼んだ。言葉とは異なり顔には情感が満ちていた。

矢嶋氏とイ・ハルモニの縁は格別だ。名門早稲田大学を卒業後、朝日新聞出版のカメラマンとして普通の生活を送った矢嶋氏は2003年会社を止め、京畿道広州市退村面元堂里のナムヌの家でボランティア活動をした。「加害国の市民の一人としてお婆さんが受けた苦痛を分けて悪い歴史に日本人たちがもう少し関心を持つようにするため」というのが当時彼が明かにした奉仕の弁だった。 イ・ハルモニともここで出会った。

矢嶋氏のボランティア活動は2005年まで続いた。その後、ドイツで写真家として活動、ドイツ人女性と結婚もした。そうするうちにイ・ハルモニが先月28日からドイツの様々な都市を回って証言活動をするという便りを聞いて通訳を自任したのだ。 彼は「日本政府は政権が変わってもまったく変わらない」と話した。

この日証言会では、200席余りの席が一杯になり、一部の聴衆は立ち見になるなど盛況となった。 生き生きした証言が続くと、すぐに一部の聴衆は目をとじたり涙を流した。イ・ハルモニは「(望みは)奪われた人権と名誉を回復することだけ」と答えることもした。
国民日報(聯合ニュース)2013.9.4

‘일본놈’ 소리 들어도 기분 나빠하지 않는 일본인… 독일 위안부 증언회 통역 맡은 야지마씨

“왜 자꾸 일본놈하고 사진을 찍으라고 해!”

3일(현지시간) 독일 베를린공대에서 증언회를 연 위안부 피해자 이옥선 할머니(86)는 통역을 맡은 야지마 쓰카사(42)씨를 가리켜 스스럼없이 ‘일본놈’이라 불렀다. 말과는 달리 얼굴에는 정감이 가득했다.

야지마씨와 이 할머니의 인연은 남다르다. 명문 와세다대를 졸업하고 아사히 신문 출판국 사진기자로 평탄한 삶을 살던 야지마씨는 2003년 회사를 그만두고 경기도 광주시 원당리 나눔의 집에서 봉사활동을 했다. “가해국민의 한 사람으로서 할머니들이 받은 고통을 나누고 나쁜 역사에 일본인들이 좀 더 관심을 갖게 하기 위해서”라는 게 당시 그가 밝힌 봉사의 변이었다. 이 할머니도 이곳에서 만났다.

야지마씨의 봉사활동은 2005년까지 이어졌다. 이후엔 독일에서 사진작가로 활동하며 독일인 여성과 결혼도 했다. 그러다 이 할머니가 지난달 28일부터 독일 여러 도시를 돌며 증언활동을 한다는 소식에 통역을 자처한 것이다. 그는 “일본 정부는 정권이 바뀌어도 도무지 변하지 않는다”고 말했다.

이날 증언회는 좌석 200여석이 꽉 차 일부 청중들이 선 채로 듣는 등 성황을 이뤘다. 생생한 증언이 계속되자 일부 청중들은 눈을 감거나 눈물을 흘렸다. 이 할머니는 “(소원은) 빼앗긴 인권과 명예를 회복하는 것 뿐”이라고 답하기도 했다.

연합뉴스

2013/08/05

作られる記憶 米国で相次ぐ強制連行(目撃)証言

慰安婦物語も一種の民族叙事詩なのか?

地元紙のBrittany Levine記者は、像の設置を推進する韓国系をコリアン・グループと言い、反対する日本人をジャパニーズ・ナショナリストと書く。実際にそういう印象を与えてしまっているのかもしれない。辛抱強く反対運動をする人がいる一方で、一部の日本人が感情的になってしまったという指摘もあった。70歳や90歳近い老人がこの目で見た(聞いた)と静かに訴えれば、人間の心理としてどちらを信用するか。これは仕方のないことなのだろう。

朝鮮半島で慰安婦狩り(強制連行)がなかった事は韓国の(一部の)学者も認めているので、この話は事実無根と言っていいのだろう。ただ、単純にこの人たちを嘘つきと片付けていいのだろうか?とくに後者の場合は、取材者も書いているように、戦争体験者の複雑な心境が、こういうことを言わせているのかもしれない。戦場で見た朝鮮人女性に対する同情から、この程度の嘘なら許されると思ったのかもしれない。「女の子達がみんな酷い目にあったのを見た」という部分は本当なのかもしれない。しかし、戦争体験のない68歳の老人が祖母から「慰安婦狩り」の話を聞いたと言っているのは、どう考えるべきなのか・・・。

日本帝国によって性奴隷にされた朝鮮人慰安婦の話は、韓国人にとって民族叙事詩になりつつあるのかもしれない。イタリア人が狼に育てられた双子の話をするように、韓国系は日本帝国の軍隊によってハンティングされた朝鮮人少女の伝説を語り継いで行くつもりなのかもしれない。

「わたしは、今86歳だよ。実際に戦争に行ったんだよ。10代のときに、日本軍が家にやって来て、男子は全員無理矢理戦地に連れて行かれたんだ。女子みんなも無理矢理連れて行かれたんだ。この目で見たんだ。」

「戦争に行ったっていうのは、日本軍の軍人として戦ったっていうことですよね?」

「そうだ。」

「この目で見たって、実際に何を見たって言うんですか?

女の子達がみんな酷い目にあったのを見たんだ。でも僕たちコリアンはコリアンガールには指一本触れなかったよ。」

そこで奥さんが横から言った。

「みんなこんなに小さな箱に入れられたよ。」

そう言うと、奥さんはおじいさんの背中に隠れるようにその場を離れた。

「キミたちは知らないんだ。ボクたちは見たんだ。」

ボクは、例え年老いたこの人たちと議論して論破できたとして何の意味があるんだろうかと思い、最後には「話をシェアしてくれてありがとう。」と言って愛想笑いをした。おじいさんが少しだけ表情を緩めた。

その間、ボクには、なんだか彼らが、どこかでボクを怖がっている感じがしてならなかった。慰安婦像設置の翌日に銅像にへばり付いている日本人がいるなんて想像もしなかったのかもしれないから、少しも不思議ではない。でも、それはボク個人を怖がっているというよりも、昔、戦時中に自分を苦しめた日本兵の姿をボクに重ね合わせて、当時言いたかったことをボクに向かって言っているようにしか見えなかった。

ジャパラ(一部) 2013.8.1

※ ジャパパラのモリサワ氏の記事は良記事です。一読をお勧めします。(彼がこのような碑には断固反対の立場であることも付記しておきます)

Joel Kwan, 68, drove from Irvine to take pictures of the monument to frame in his home. He was born in Korea around the end of the war and remembers his grandmother telling him stories of Japanese soldiers “hunting” teenage girls.(ジョエル・クワン<68>は家に写真を飾るためにIrvineから車でやってきた。彼は戦争の終わり頃に朝鮮で生まれ、祖母が日本の兵隊たちが十代の少女たちを「ハンティング」していた話をしてくれたことを覚えている)

※1 Glendale News-Press(一部) 2013.7.31

※1
'Comfort women' statue draws curious questions
July 31, 2013|By Brittany Levine

Maria Garcia from Compton huddled around the 1,100-pound monument Wednesday afternoon with her cousins as they waited for a family member to finish a test at the adjacent Central Library.

As they read the inscription, Garcia's cousin, Vanessa Santos, was shocked to learn that the young Korean girl sitting next to an empty chair represented nearly 200,000 Korean, Chinese, Filipino and other women who were taken as sex slaves by the Japanese Imperial Army during World War II.

The slaves would become known as “comfort women.”

“It's crazy to know that this happened,” said Santos, a 20-year-old from Torrance. “I had no idea.”

But Garcia’s initial reaction to the metallic statue was one of confusion.

“Why is the statue here?” the 19-year-old thought.

It’s a question other park-goers may have in the coming weeks — or at least those who aren’t clued into the political drama surrounding the comfort women issue and how it was focused on Glendale in the weeks leading up to the statue’s dedication on Tuesday.

While Korean groups want to raise awareness of the atrocities from decades ago, a group of Japanese nationalists who say comfort women willfully worked as prostitutes sent thousands of emails to Glendale officials protesting the memorial.

Glendale officials said the statue was a memorial to the suffering endured by comfort women that experts agree represents the true historical record.

It was a move heralded by hundreds of supporters on Tuesday, and one that continued to attract people from far and wide.

Joel Kwan, 68, drove from Irvine to take pictures of the monument to frame in his home. He was born in Korea around the end of the war and remembers his grandmother telling him stories of Japanese soldiers “hunting” teenage girls.

Kwan, who wasn't the only onlooker snapping photos, said he planned to ask his City Council to install a similar monument, which is actually a replica of one in front of the Japanese embassy in Seoul.

Glendale's is the first comfort woman statue on the West Coast, but Korean groups hope to install more — an intent that has riled Japanese nationalists.

The official Japanese government line — despite an apology issued in the 1990s — is that the history of comfort women should not be a diplomatic or political issue.

Several bouquets of flowers and a white lei from the unveiling ceremony the day before remained on the statue Wednesday. They inspired Mike Bievenouer, 67, to buy flowers too as he sat on the grass about 100 feet from the statue.

The Glendale resident was surprised to see the memorial at his regular lunch spot because he expected it to be in Los Angeles' Koreatown, unaware that 5% of Glendale's population is Korean.

After learning about comfort women at an exhibit inside the adjacent library, he thought it was an important symbol, but he hoped it wouldn't cause friction between Japanese and Korean communities.

“It's a terrible thing, but at some point you have to move on,” he said. “You can't build a future if you're stuck in the past.”

2012/12/24

韓国政府、慰安婦証言集発行へ


これを見ると、韓国で「強制動員」と言っているのは、日本語で言うところの「広義の強制連行」に近い意味らしい(しかし、挺対協などは、最初は「徴用」だと主張していた)。慰安婦騒動が始まってから20年も経って、ようやく公式の証言集というのは少々奇妙な話。韓国政府も最初からこれが身売りの話だと分かっていたのだろう。

これまで「日本の右翼」が証拠を出せと言っていたが政府公認の資料でなかったから受け入れられなかったと言っているが、証言集なら政府公認非公認は関係ない。なにより、この記事を読む限り「従軍慰安婦を動員する業務が徴用の対象業務に含まれていた」ことを証明するものでもなさそうである。

最後に、金日成時代に発行された北朝鮮の証言集を中央日報が独自に手に入れたという話が。金日成の死去は94年だから、韓国は北朝鮮に約20年以上遅れて公式の証言集を発行したことになる。韓国政府は「女性の名誉と尊厳」について日本や北朝鮮に比べて意識が遅れているのではないか?朝鮮戦争の慰安婦に関する資料を非公開にしているのも、そのせいか?

政府傘下の機関といっても、朝鮮人だけで8万から18万が動員されたと主張する調査機関って、果たして学術的に相手にする価値はあるのだろうか?

「軍人の相手をした年齢が・・・」衝撃
慰安婦12人肉声証言入れた口述集、政府来年1月発刊へ

政府が日本軍慰安婦ハルモニの肉声証言を入れた口述集を出す。 国務総理直属対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会(委員長パク・インファン・以下委員会)が、来年1月慰安婦ハルモニの口述資料集を発刊する予定だと23日明らかにした。 政府レベルで慰安婦ハルモニの公式記録を発行するのは今回が初めてだ。 委員会は2005年1月から最近まで全国各地を歩き回り日本軍慰安婦被害者ハルモニ12人の口述資料を採集した。 慰安婦ハルモニは口述集で数十年前体験した恥辱の記憶を苦痛に呼び出した。

ハン・スンボク(89・仮名)ハルモニは1940年日本人2人にむやみに引きずられて行った。 釜山港で全身にむちで打たれて船に乗った。 目を明けると台湾、基隆の日本軍部隊近隣だった。 十七歳の少女はその日から5年間日本軍人を体で受け取らなければならなかった。 ハルモニは震える声でぞっとした記憶を語った。

「昼夜無条件に軍人だけを相手にするのだ。 軍人は今日死ぬか明日死ぬか分からないから人情がない。 軍人が列をつくって押し寄せて・・・。 一度相手をする度に洗ってまた洗って、下半身が冷たく自分の体ではないようだった」

キム・ボクニム(82・仮名)ハルモニもほぼ同じ時期に中国、延吉(ヨンギル)に引きずられて行った。 「金を儲けるようにする」という職業紹介所の人の話にだまされたのだ。 1942年、ハルモニ十三歳の時であった。 初め1年間は雑用だけだった。 しかし翌年日本軍人を相手にする慰安婦になった。 十四歳の少女ががっしりした軍人を相手するのは深刻な苦痛だった。

「まだ十四歳になったのが子宮が開かない。 日本語で軍人が『できないよ』と、お客さん相手をしない(?)と私を殴った。 ああ、私がその言葉だけ言えば今でも心臓がどきどきして…」

ハルモニは解放後に中国人服で男装したまま逃げた。 彼女は「私の苦労したことは、天と地しか分からない」として胸を打った。

委員会によれば日帝は1930年初めから1945年まで約8万~18万人の朝鮮人女性を「日本軍慰安婦」として強制動員した。 だが、この中236人だけ公式被害者と確認された。 大部分は各種病気などで死亡したり中国など海外に住んで把握が容易でない状態だ。 委員会側は口述集調査過程で生存している慰安婦ハルモニ3人を新たに捜し出した。 2007年以後6年ぶりだ。 チョン・ヘギョン調査2課長は「大多数の被害ハルモニは家族に迷惑になるかと思って慰安婦という事実を隠して生きている」と話した。

これまで民間レベルで慰安婦口述集が発刊されたことはある。 だが、今回の口述集は政府レベルで作成された最初の慰安婦関連記録物という点で意義が大きい。 委員会側は「慰安婦白書発行も検討中」と明らかにした。 パク・イヌァン委員長は「これまで日本右翼勢力が『証拠を出せ』と主張してきたが政府レベルの公式文書がなく対応できなかったのが事実」とし「今回の口述集が日本右翼に否定できない証拠と受け入れられるように願う」と話した。
一方北朝鮮は金日成(キム・イルソン)政権の時慰安婦口述集を公式発行していたことが確認された。 本紙が単独入手した北朝鮮の慰安婦口述集(1995年発行)には「(日本軍慰安婦は)日帝ファッショの非人間的圧迫と搾取、そして耐え難い人身的侮辱行為」というキム・イルソンの端書が含まれている。 2004年発刊された「日本軍性的奴隷制も」でも金正日の言葉が書かれている。

中央日報 2012.12.24
日本語版

"군인들 몸으로 받아낸 그때 나이가…" 충격

위안부 12명 육성 증언 담은 구술집, 정부 내년 1월 내기로

정부가 일본군 위안부 할머니들의 육성 증언을 담은 구술집을 낸다. 국무총리 직속 대일항쟁기강제동원피해조사 및 국외강제동원희생자 등 지원위원회(위원장 박인환·이하 위원회)는 내년 1월 위안부 할머니들의 구술 자료집을 발간할 예정이라고 23일 밝혔다. 정부 차원에서 위안부 할머니들에 대한 공식 기록을 발간하는 것은 이번이 처음이다. 위원회는 2005년 1월부터 최근까지 전국 각지를 돌아다니며 일본군 위안부 피해자 할머니 12명의 구술 자료를 채집했다. 위안부 할머니들은 구술집에서 수십 년 전 겪은 치욕의 기억을 고통스럽게 불러냈다.

한순복(89·가명) 할머니는 1940년 일본인 2명에게 무작정 끌려갔다. 부산항에서 온 몸에 매를 맞고 배에 올랐다. 눈을 떠보니 대만 지룽의 일본군 부대 인근이었다. 열일곱 소녀는 그날부터 5년간 일본 군인들을 몸으로 받아내야 했다. 할머니는 떨리는 목소리로 끔찍했던 기억을 풀어냈다.

“낮이고 밤이고 무조건 군인들만 상대하는기라. 군인들이야 오늘 죽을지 내일 죽을지 모르니께 인정사정이 없어. 군인들이 나라비(줄)를 서서 죽 미는데…. 한 번 받을 때마다 씻고 또 씻고 하니께 아랫도리가 차가워서 남의 살이 돼 버리는기다.”

김복님(82·가명) 할머니도 비슷한 시기에 중국 옌지로 끌려갔다. “돈을 벌게 해주겠다”는 직업소개소 사람의 말에 속아서였다. 1942년, 할머니 나이 열세 살 때였다. 처음 1년간은 허드렛일만 했다. 그러나 이듬해 일본 군인들을 상대하는 위안부가 됐다. 열네 살 소녀가 건장한 군인들을 받아내는 건 극심한 고통이었다.

“이제 열네 살 먹은 게 자궁이 벌어지나. 일본말로 저그끼리 ‘데키나이요(できないよ: 할 수가 없다)’카더니 손님 안 받는다고 나를 두들겨 패는기라. 아이고, 내가 그 말만 하면 지금도 심장이 뛰고….”

할머니는 해방 후에야 중국인 옷으로 남장을 한 채 달아났다. 그는 “내 고생한 거는 하늘과 땅밖에 모른다”며 가슴을 쳤다.

위원회에 따르면 일제는 1930년 초부터 1945년까지 약 8만~18만 명의 조선인 여성을 ‘일본군 위안부’로 강제 동원했다. 하지만 이 가운데 236명만 공식 피해자로 확인됐다. 대부분은 각종 질병 등으로 사망했거나 중국 등 해외에 살아 파악이 쉽지 않은 상태다. 위원회 측은 구술집 조사 과정에서 생존해 있는 위안부 할머니 3명을 추가로 찾아냈다. 2007년 이후 6년 만이다. 정혜경 조사2과장은 “대다수 피해 할머니들이 가족들에게 폐가 될까봐 위안부라는 사실을 숨기고 살고 있다”고 말했다.

그간 민간 차원에서 위안부 구술집이 발간된 적은 있다. 하지만 이번 구술집은 정부 차원에서 작성된 최초의 위안부 관련 기록물이라는 점에서 의의가 크다. 위원회 측은 “위안부 백서 발간도 검토 중”이라고 밝혔다. 박인환 위원장은 “그동안 일본 우익 세력들이 ‘증거를 내놓으라’고 했지만 정부 차원의 공식 문서가 없어 대응하지 못했던 게 사실”이라며 “이번 구술집이 일본 우익들에게 부정할 수 없는 증거로 받아들여지길 바란다”고 말했다.

한편 북한은 김일성 정권 때 위안부 구술집을 공식 발간한 것으로 확인됐다. 본지가 단독 입수한 북한의 위안부 구술집(1995년 발간)에는 “(일본군 위안부는) 일제파쇼의 비인간적 압박과 착취 그리고 참을 수 없는 인신적 모욕행위”라는 김일성의 머리말이 담겨 있다. 2004년 발간된 ‘일본군성노예제도’에서도 김정일의 발간사가 들어 있다.

2012/12/08

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(上) 吉田清治


これは1982年に吉田清治が大阪府立ピロティホールで講演した内容。ここで、タイミングよく思い出したが、挺対協の初代(共同)代表であったユン・ジョンオクも9年後、ここで慰安婦の強制連行について講演している

82年の吉田のこの講演は慰安婦騒動への序曲であり、91年のユン・ジョンオクの講演(「何万人もの若い朝鮮人女性が日本の手で従軍慰安婦として強制連行され、悲惨な最期を遂げました」)はその第一章といったところか。

こうして見てみると、慰安婦の強制連行のイメージが吉田の時代からも変化しているのが分かる。例えば吉田は胸に抱いた赤子を引き剥がして母親を連行したなどと語っていたのだが・・・そしてユン・ジョンオク(尹貞玉)も女子挺身隊として連行された朝鮮人女性のうち年齢の高い者が慰安婦にされたと語っていたはずなのだが、現在では14歳であるとか12歳からの少女が連行されたと「被害女性」の幼さ(未成年という点)を強調した解説が目立つ。その方が国際的に慰安婦問題の非人道性をアピールしやすいからだろう。給金や支度金の話もいつの間にか消え、現在では完全に(性)奴隷制として語られている。

ここで吉田が「徴用」という言葉を使っているように、強制連行とは日本政府による徴用を言い表す左翼用語であった。強制連行=「強制的な連行」というのは話のすり替えである。

長いので二回に分ける。


私は朝鮮人慰安婦を徴用した。

吉田清治でございます。私は今日、新幹線で東京からこの会場へ参りましたが、戦後37年も経ってこのような会が、つまり日本人と朝鮮人の戦前・戦後を考える会、そういう会が開かれることにざんきに耐えません。日韓併合が終わって37年も経って今の日本の中で在日朝鮮人65万人の方々が今日のこの差別、行政差別だけではありません。日本人の社会的市民生活におけるひどい差別の中で毎日暮らしているのだと思います。

このような現状を見るにつけ、36年間に及ぶ日韓合併における敗戦前の数年間、つまり第二次大戦中、日本が朝鮮半島に対して行った行為、それを実行した私をはじめ私の周辺の者はその事実を公表しなければならないと考えるのです。朝鮮総督府の関係者、日本の警察関係者、これは100万を超える人々が、直接に朝鮮人に対して残虐な行為を行なっていたのだと、そのことを昭和20年8月15日以降に語ることを誰一人しなかったのです。

そして日本政府、日本の行政機関はすべての朝鮮人強制連行の記録および朝鮮人(ママ)総督府あるいは旧内務省関係の朝鮮人への迫害、この歴史的事実を、公文書記録をすべて焼却処分にしたため、私自身も山口県下関地区の強制連行の記録を、当時の下関警察特高係の署員を指揮して完全焼却致しました。その責任者のひとりでもあるのです。そして戦後30年、私はその事実を隠し名前まで変えて隠れていました。

数年前、やっと私は一冊の本『朝鮮人慰安婦と日本人』を出し、各地でお話したり、テレビで自分たちが行った朝鮮民族に対する残虐行為の事実を少しずつ語りはじめたのです。ほかに呼びかけましたが、現在のところ誰も応じません。今、日本人で強制連行の加害者としての自分が行った事実についてこれを語る日本人はひとりもいないのです。

[...]私は今日、15分から20分の時間をいただきましたので、強制連行について申し上げている時間はありません。私は昭和17年から敗戦までの約3年間、数千人の朝鮮民族を強制連行しました。その中に千人近い慰安婦を強制連行致しました。その山口県における下関地区の最高責任者でございます。時間がありませんので、当時の私たち労務行政を行なっていた者が、どういうやり方で朝鮮人の強制連行をしたか、慰安婦の徴用をどのように行ったか、この事実を15分間、いただいた時間内でお話ししたいと思います。

正確を期するために、私は自分が作った記録をみながらお話しをしていきたいと思います。

昭和18年5月15日に私は山口県警察部に呼ばれまして早朝に下関を発ち山口県庁に参りました。当時山口県から九州地区全域を担当している西部軍指令部というのがございました。その西部軍の司令部付の中尉が来ておりまして、私も相席させられましたが、県の幹部に次の命令が下ったのであります。

九州地区と山口県を含むのですが、2000人の陸軍慰安婦徴用し、そして昭和18年の5月31日までに供出しろという軍命令でした。山口県に対する命令書が西部軍指令官から当時山口県労務報国会会長を兼任した県知事に提出され、この県知事名から、下関地区の支部長は下関警察署長ですが、署長に命が下りました。しかし警察署長が直接強制連行の業務をやるわけでなく、支部の事務局の実態は私が動員部長で職員数40名。その下関支部に下った命令の、これは私が家内に当時しゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にそれがありました。読んでみますと次の内容です。

一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊ニ◯◯◯人。年齢一八才以上三◯才未満既婚者も可。但し妊婦を除く。

一、身体強健なる者。医師の身体検査、特に性病の検診を行うこと。

一、期間一年。志願により更新することを得

一、給料、毎月金三◯円也。支度金として前渡金ニ◯円也。

勤務地、中支方面。
動員地区、朝鮮全羅南道済州島。
派遣日時、昭和一八年五月三一日正午。
集合場所西部軍第七四部隊内。

当時、済州島は陸軍部隊によって軍政が敷かれていました。もともと日韓併合中の済州島は行政官はいませんで、警察署長が行政の最高責任者でした。警察署がこれは済州島の済州という中心の町にありましたが、この済州警察署が税金の徴収から出生その他死亡の事務手続きですべて行政を行なっておりました。[...]日本から済州島へは、大阪から一◯◯◯㌧程度の定期船が2隻交互に就航していて、下関に寄港してましたが、私はそれに乗って参りました。私たちは徴用隊と称していましたが、その徴用隊は隊長が私で9人の部下を連れて10人で済州島へ参りました。そして到着した日に陸軍部隊の大尉からいろいろ便宜を受け、軍用トラック2台、それから軍曹以下10名の護衛兵をつける、これは慰安婦を連行する場合に当然なことですが、島民に危害を加えるというわけです。戦時中ですから完全武装の歩兵軍曹以下10名が、私たち10名と同行しました。・・・

につづく)

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ

 私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行 P.154

10年を隔て同じ場所で吉田とユンが講演したのは偶然ではないだろう
ピロティホール(大阪)

2012/11/12

売春女性の5割が強制被害者?韓国


「事業主に強制された」は8%に留まるが、「広告に騙されて」の6%を足し、「お金をたくさん稼ぐため」というのは貧困のために社会に強制されたということだから、この40%も加えて53%が性的「強制」の被害者ということになる。さらに、ここで「友人の誘い」も仕事の内容を正確に告げていなかった可能性があるので、ほぼ全員が強制(連行)の被害者である・・・と吉見義明なら言い張りかねない。

その根拠は・・・。

「そのような生き方しかできなくされたという点を重視しなければならない」「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果(吉見義明 従軍慰安婦 P.103)

「この9名とは別に慰安婦であることを承知で応じた者が3名いるが、一名は借金を返済するため、一名は無分別であったため、一名は『嫁入り道具』を買うためであったという。この3名も、生きるために別の選択肢があれば、慰安婦にならなかっただろう(P.112)

4割が未成年で売春を始めている。

"売春女性10人中4人、未成年の時売春初めて開始"

売春被害女性の10人のうち4人は、未成年者の時(13~19歳)に売春を始めたことが調査された。また、売春女性の約半分が家庭内暴力や性的暴行の被害を経験していることが判明した。暴力を避けて逃げた女性が生計のために売春をする『悪循環』が連鎖するのだ。

11日、ソウル市が運営する『また一緒に相談センター(直訳・仮名)』では、2009年~2011年に相談を受けた売春被害者のうち413人の相談内容を分析した結果、初めて売春を経験した時期は13~19歳が39%(163人)で一番多く、20~25歳(29%=119人)、26~35歳(19%=77人)、36歳以上(4%=16人)の順だと明らかにした。

センターによれば、特に売春被害女性のうち78人を対象に繊細な分析をした結果、家庭内暴力経験者の割合は55%だった。家庭内暴力の経験者のうち44%が「週 3回以上」家庭内暴力を経験したと回答し、時期は小学校(49%)と就学前(30%)が多数となった。

性的暴行も深刻だった。分析対象被害女性のうち50%が性的暴行を経験しており、このうち72%が「児童・青少年期に性的暴行の被害を受けた」と回答した。また全体の74%(58人)が家出の経験があると話し、家出の時期は中学校の時期(72%)が一番多かった。

これらがなぜ売春を始める事になったのか。 回答者は「お金をたくさん稼ぐため(40%)」、「友人の誘いで(35%)」、「事業主の強要(8%)」、「求人広告に騙されて(6%)」などの回答をした。

ソウル市の関係者は、「売春被害者の3人に 1人は青少年時期に登校拒否や家出などを経て売春に最初に足を入れる」とし、「青少年の売春予防と早期介入の必要性を表している」と話した。

一方、全体の分析対象である413人が仕事をしたと明らかにした売春業者は、ルームサロン・風俗酒店・チケット喫茶店などの飲食接客店が37%(151人)で一番多く、売春集結地が17%(70人)、インターネットなどでの個人売春が14%(56人)、休憩室・マッサージ・キス房などの類似性行為店が13%(53人)となった・

学歴別では高卒以上~大卒以下が37%(154人)で一番多く、大卒以上も7%(29人)で調査された。

NAVER 2012.11.11(リンクは朝鮮日報版)

"성매매 여성 10명 중 4명, 미성년때 성매매 첫시작"

성매매 피해여성 10명 중 4명은 미성년자일 때(13~19세) 성매매를 처음 시작한 것으로 조사됐다. 또 성매매 여성 절반가량이 가정폭력이나 성폭력 피해를 경험했던 것으로 나타났다. 폭력을 피해 도망친 여성들이 생계를 위해 성매매를 하는 ‘악순환’이 이어진 것이다.

11일 서울시가 운영하는 ‘다시함께상담센터’는 2009년~2011년 상담을 받은 성매매 피해자 중 413명의 상담내용을 분석한 결과, 처음 성매매를 경험한 때는 13~19세가 39%(163명)로 가장 많았고 20~25세(29%·119명), 26~35세(19%·77명), 36세 이상(4%·16명)이 뒤를 이었다고 밝혔다.

센터에 따르면 특히 성매매 피해여성 가운데 78명을 대상으로 심층분석을 한 결과, 가정폭력 경험자 비율은 55%였다. 가정폭력 경험자 중 44%가 ‘주 3회 이상’ 가정폭력을 경험했다고 답했으며, 시기는 초등학교(49%)와 취학 전(30%)이 다수로 나타났다.

성폭력도 심각했다. 분석 대상 피해여성 중 50%가 성폭력을 경험했으며, 이 중 72%가 “아동·청소년기에 성폭력 피해를 봤다”고 답했다. 또 전체의 74%(58명)가 가출 경험이 있다고 했으며, 가출시기는 중학교 때(72%)가 가장 많았다.

이들은 왜 성매매를 시작하게 됐을까. 응답자들은 “돈을 많이 벌기 위해서(40%)”, “친구 권유로(35%)”, “업주 강요(8%)”, “구인광고에 속아서(6%)” 등의 응답을 내놨다.

서울시 관계자는 “성매매 피해자 3명 중 1명은 청소년기에 학업중단, 가출 등을 거쳐 성매매에 최초 유입되는 것으로 보인다”며 “청소년 성매매 예방과 조기개입의 필요성을 보여준다”고 말했다.

한편 전체 분석대상인 413명이 일했다고 밝힌 성매매 업소로는 룸살롱·유흥주점·티켓다방 등 식품접객업소가 37%(151명)로 가장 많았고 성매매집결지가 17%(70명), 인터넷 등 개인 성매매가 14%(56명), 휴게텔·마사지·키스방 등 유사성행위업소가 13%(53명)로 나타났다.

학력별로는 고졸 이상~대졸 이하가 37%(154명)로 가장 많았으며 대졸이상도 7%(29명)로 조사됐다.

2012/06/20

遊女を見下さなかった日本人



江戸時代の日本では娼婦は蔑視される存在ではなかったという。なぜなら、彼女たちは本人の意志に関わりなく身売りされてきた娘たちだったからである。彼女たちの境遇を知る人々は、遊女に同情することはあっても見下すことはなかった(まったく無かったわけではないだろうが)。

江戸の下半身事情」によれば、浮世風呂のような当時の小説では、姑が普通に嫁が玄人上がりであることをご近所に話していたり、自分は元商売女だと啖呵を切る女性が登場する。あるいは、見栄を張って元遊女を詐称する女まで出てくる。オランダ人医師ポンペは、当時の日本の様子をこのように記録している。

「貧しい両親たちは自分の若い娘を、しかも大変幼い年端もゆかぬ時期に公認の遊女屋に売るのである。ときには五歳から六歳ぐらいのこともある[...]ヨーロッパでは個人が自分で売春するのであって、だからこそ本人が社会から蔑視されねばならない。日本では全然本人の罪ではない」(日本滞在見聞記)

そんな社会であったから、女たちも遊女であった自分の経歴を恥じる必要はなかったのである。それよりだいぶ時代が下って登場したのが慰安婦である。だが、当時もまだ貧しい家の娘が親に売られ、あるいは親を助ける為に自ら苦界に身を沈めていた。

文化13年(1816年)の世事見聞録には、このように書かれているという。「みな親の艱難によって出るなり。国々の内にも越中(富山)・越後(新潟)・出羽(山形)辺より多くでるなり。わづか三両か五両の金子に詰まりて売るという」

先の大戦では内地の貧しい地方だけでなく、朝鮮半島からも貧しい家庭の娘が慰安婦として戦地へ行っていた。やはり、どんな理由があろうと元慰安婦を蔑んではいけないのだろう。

慰安婦の多くは(当時の日本人の大多数同様)大なり小なり苦労を経験した。慰安婦の中には謙虚な人もいるし、自分の体験を正直に語っていた人もいる。しかし、運動家たちは自分たちに都合のいい慰安婦「被害者」だけを前面に出す(この事は、先日紹介した外国人も指摘している)。慰安婦の中には目立ちたがり屋や虚言癖のある者もいるが(彼女たちも所詮普通の人間だと言ったのは、ナヌムの家でボランティアをしていた村山一兵である)、語り部として利用するのに相応しいモデル被害者(上野千鶴子「慰安婦問題という問い」)に作り変えられたお婆さんたちだから、怒りの矛先を向けるとすれば、彼女たちの後ろにいる運動家たちに対してだろう。

「友軍が負けて悔しかった」 ペ・ポンギは
日本に対し何ら敵意を持っていなかった

友軍(日本軍)が負けて悔しかったと語っていたペ・ポンギは運動の同志(誰の言葉か失念)として生まれ変わり、兵隊を戦友と呼んでいたソン・シンドは、裁判闘争の象徴にされてしまった。彼女たちに罵声を浴びせるような行為は日本人らしくないし、現在では、脅迫によって歴史的事実を隠蔽しようとする日本の歴史修正主義として世界に喧伝されている。慰安婦に対して同情的な元兵士も少なくないのである(金子安次などのケースは、そこを運動家に上手く利用された)。

参考: 江戸の下半身事情 永井義男

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2011/11/03

結婚式の最中連れ去られたハルモニ



いつもの挺対協からの訃報なのだが、それにしても「結婚式の途中に新婦姿のまま連れ去られた(強制連行?)」という話なのだが・・・。自己申告をそのままプロフィールにしているのではないか?


皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

10月13日に江華(カンファ)に暮らしていたクォンハルモニが亡くなられました。
来週に訪問しようと家族に連絡したところ
すでに亡くなられていることがわかりました。

16歳で結婚式の途中に
新婦姿のまま連れ去られたクォンハルモニ。

辛い慰安所での生活を経て
解放(終戦)後に韓国に戻ってきましたが
家族のもとにも帰れず
筆舌に尽くしがたい人生を送り
88歳でこの世を去られました。

ハルモニの冥福を祈ります。
あの世ではどうか自由に飛べることを願っています。

韓国の日本軍「慰安婦」生存者は66名となりました。

2011/07/27

[参考] 有馬温泉で未成年を雇用



おかみの言い分が正しいかどうかは分からない。しかし、仲介業者に口止めされた場合を含め、女性の側が(売春婦として働く為に)年齢を偽るというケースは昔もあった。→「年齢はだいたい腰の線を見ればわかるもんよ。十八、九歳だと、まだ腰の線が発達しておらんから、さばよんでもすぐわかる。十八になっておらんと雇っちゃならんかったから、そういう子は要注意や」(西野瑠美子「日本軍慰安婦を追って」)

有馬温泉おかみ書類送検

大阪府警港署は26日、15歳未満の女子中学生を神戸市の有馬温泉の旅館で働かせたとして、労働基準法違反の疑いで、旅館「月光園鴻朧館」のおかみ(69)と、経営する会社を書類送検した。

送検容疑は、1月23日~2月15日、13歳だった大阪市の中学2年の女子生徒を雇用し、客室係として勤務させた疑い。

同署によると、女子生徒は21歳と偽り、面接では「身寄りがなく住み込みで働きたい」とうそをついた。

同館は「13歳だと分かっていたら雇っていない。身分証明書の提出を再三求めたが、拒否された」と説明している。(共同)

日刊スポーツ 2011.7.26


2011/01/06

夫は日本人?【亡き慰安婦】出頭したところを連行?




これは前のエントリーに追記しようと思ったのだが、量が多くなったので別立てとすることにした。

昨年末亡くなった元慰安婦チョン・ユンホンについて、韓国の各紙は夫の存在には触れていたが、名前までは出していなかったように思う(とりあえずYahoo!Koreaに転載された7紙の記事の中にはなかった)。

ところが、挺対協の声明をヤン・ノジャ(写真)が日本語で発信しているのだが、それによると、夫の名前は「ニシハラ」と言ったらしい。ということは、日本人(内地人)か1939年の「創氏改名令」以前から日本風の名前を名乗っていた朝鮮人(半島人)ということになる。

もしもニシハラが日本人であれば、 徴用令は1939年から適用される。よって、夫が1940~41年に徴用されたという話と矛盾しないことにはなる。しかし、普通日本人には「(強制)連行」という言葉は使われない。

なぜか日本人の場合は強制連行と言わないのだが、実際には多くの日本人が兵士として戦場に「強制連行」され、あるいは慰安婦や従軍看護婦として「強制性」の下で働いていた。しかし、彼(女)たちがサバイバーや「被害者ハルモニ」などと呼ばれることはない。朝鮮半島から徴用される内地人が徴用の義務 を免除されていた半島人を羨んでいたという話もある。 

チョン・ユノンハルモニは
1920年に忠清南道唐津で生まれ
1933年に15歳でニシハラ氏と結婚し二人の子どもをもうけました。
1942年ごろに徴用で連行された夫の死亡通告を受けて出向いたところ
22歳で「慰安婦」として連行され中国で日本軍性奴隷として生きなければなりませんでした。



これはつまり役所か警察に出頭したところ、その場で慰安婦として拘束されてしまったケースということなのだろうか?この人が満12~3歳で結婚しているのも驚きである。


(写真: チョン・ユンホン)

2010/12/23

松井やよりの見たタイの貧困と売春【80年代】



タイのプーケットでは現在も売春婦の数が少なくない(写真)が、松井やよりのこの話は80年代のもの。

アジアでの取材を通してこうした実態を見聞きしていた松井は、「慰安婦問題」 の本質が、実は貧困と売春の問題だということを知っていなかったはずはない。

10人の家族を食べさせるために娘二人を「売った」という母親。僧侶が30万人と言われる仏教国タイで売春婦が二倍以上もいる(80年代当時)という現実。

娼婦が低年齢化するわけ。こういった基礎なしに、慰安婦問題を語ることは出来ない。むしろ、こうした現実をあえて無視して慰安婦問題を語ろうとする人間には気をつけた方がいい。


海辺の美しさは比類ないと宣伝される新しい観光リゾート、タイ南部のプケット島で、市街地が火事になり、焼け落ちた売春宿の地下室から、監禁されていた5人の少女の焼死体が発見された。”地上の楽園”が地獄と化したこの痛ましい悲劇は1984年1月末に起こった。・・・5人の少女たちの年齢はなんと9歳から12歳、そのうちの二人は姉妹であった。

この事件に衝撃を受けたバンコクのタマサト大学演劇科の女性教授、マタニ・ルトニンさんは、少女売春をテーマにしたビデオ「明日、虹は出るだろうか」を作った。・・・ビデオは火事の現場から始まった。燃え盛る炎になすすべもない消防夫たち。焼け跡から運び出される少女たちの炭の塊のようになった小さな遺体が地べたに並べられる。助けを求めるように両手をつき出した形の遺体に思わず顔をおおってしまった。・・・カメラは少女たちの故郷をうつす。

チェンマイ、チェンライ、ランプーン、パヤオなどタイ北部の貧しい農村地帯・・・いかにも農民らしい風貌の両親は茫然としてほとんど無表情だ。母親が低い声で「子どもが10人もいて食べられないので町へ出した。仕方がなかった」と二人の娘を売らなければならなかった事情を訴える。・・・

二人の稼ぎ手を失って、この一家はどうなるのだろう。次はこの子が売られる番だろうか」というナレーションと共に、カメラは7歳の妹をクローズアップする。ぼろぼろの服のはだしの女の子は、無邪気にはにかんだ微笑をカメラに向けていた。姉たちの死も、自分のこれからの運命も知らぬ気に。・・・

仏教国タイには僧侶が30万人ぐらいいるというが、売春婦は70万人にものぼる(タイ警察推定)。・・・売春が大きな社会問題になっているのだ。とりわけ深刻なのが売春婦の低年齢化で、マタニ教授は、その一割は14歳以下と見ている。

84年春、バンコクの警察に”保護”された訳100人の売春婦の大半が13、4歳だった。本人の意思とは無関係に強制される少女売春こそ人身売買であり、人権侵害以外の何ものでもない。しかし、少女売春はどこの国でも急速に拡がる傾向にある。

売春が業者にとって利益の大きい商売であるために、ひともうけをたくらむ業者がふえて競争が激しくなり、より若く、よりフレッシュで商品価値が高く、コントロールしやすいローティーンの少女たちに目をつけるからだ。



後篇に続く。

2010/12/17

オックスフォード大学出版局が解説する「慰安婦」


世界最大の大学出版局、オックスフォード大学出版局が解説する「慰安婦」(2010年12月現在)。彼らにしてもこの有様。

1944年に合法化というのがよく分からないし、日本の総理大臣(宮沢)が慰安婦の誘拐について謝罪したというくだりも・・・。



  • 慰安所が日本の国会により合法化されたのは1944年
  • 慰安婦は一人1000円で雇われた
  • 原理的には借金返済後解放されるはずだったが、殆どは売春を強制された
  • たくさんの国籍の慰安婦がいた。日本人もいたが将校専用だった
  • 総数は10万から20万(12歳の少女もいた)
  • 殆どは朝鮮人
  • 1992年、韓国の議会に対し、日本の総理大臣個人的に、日本政府が朝鮮人の誘拐に果たした役割について謝罪した


comfort women. In January 1938, after the Japanese Army had moved into China (see China incident), a system of brothels was opened there for Japanese troops. This was done partly to control venereal disease (see medicine), but also to prevent a recurrence of events in Nanking in December 1937 when Japanese troops pillaged the city, raping and massacring its inhabitants. Later the system, only made legal by the Japanese Diet in August 1944, spread to other Japanese-occupied areas such as Burma. The brothels were called ianjo (comfort houses) and the ianfu (comfort girls) who staffed them were recruited for 1,000 yen each. After this had been repaid (at two yen per soldier) they were, in theory, free to return home, but most were forced into prostitution. A number of nationalities were involved, including Japanese (for officers only), and it has been estimated that between 100,000 and 200,000 girls (some as young as 12) and women were recruited for the system, or for forced labour, most of them from Korea. In January 1992 the Japanese prime minister apologized in person to South Korea's National Assembly for Japan's role in abducting Korean women, some of whom later that year began a legal action against the Japanese government for compensation



2010/12/14

中央日報が掲載した「ある女児の手記」 12歳慰安婦騒動





中央日報が強制連行の証拠として紹介した「ある女児の手記」 (要確認)


12歳の従軍慰安婦騒動については、12歳の従軍慰安婦(92年東亜日報[リンク切れ] 日帝が小学生を慰安婦にした話【黒田勝弘】を参照。中央日報のこの記事については、未確認。

http://news.joins.com/component/htmlphoto_mmdata/200401/htm_20040114132705j000j400-001.GIF

「挺身隊の発表があると、父母を説き伏せて敢然之に参加。遙々海超え山超え、彼の地に二ヶ年挺身する事になっている。 父母も非常に熱心に..家族で応援して..」





日製, 小学生まで 精神どおり 連れて行った

2004.01.14 13:28 入力

去る '92年 今日(1月 15仕事)銀 私たち国民に "日製の 蛮行の 終りは どこだったろうか?"という 疑問を 抱くようにした 日だった.

この日 新聞は 日製が 小学生まで 精神どおり 動員したという 事実を 報道して ある. このような 事実は 日帝時代 韓国で 教師を 過ごした たいてい 日本人 教師が 当時 彼女が 受け持ちだった 放散小学校 6年生 6名医 従軍慰安婦 動員 記録が 残された 学籍簿を 捜し出すことで 確認された.

学籍簿には 当時 学生たちが 精神どおり 出発するまで 説得過程・動員経緯・出発日付・場所までが 一方的な 日本人たちの 視覚で 記録されて あって 太平洋戦争末期 小学生にまで 手を 伸ばした 日製の 収奪上を 明らかにするように 見せてくれて ある.

蟹に これらが 在学中 精神どおり 去ってしまったのに 学籍簿には 皆 正常に 卒業した ので 書かれていて 日本政府が 体系的に 従軍慰安婦 動員に 関与して あったことを 証明した.

従軍慰安婦に 動員された 子供達は 記録上に いくつ 共通点を 持って ある. まず 成績が 概して 優秀で 性格が 誠実・従順だったという 点, 身体が 元気で 発育状態が 良好だったし 家環境は 概して 良いでしょう できなかったという 点 などだ. これらは 特に 受信(道徳)・窓べ・体操・縫製 など 科目では 大部分 10点 満点に 9点を 当たった ので 現われた.

この日 始めて 学籍簿 発見を きっかけで 全国 小学校で 学籍簿 調査家 実施されて ソウルの 11人だけ なく 光州・全南(23人)・釜山(18人) など 皆 88人が 精神どおり 引かれて行った 事実が 確認されて, 全国的に 反日感情が 高まりながら 各種 抗日団体を 中心に デモと 糾弾大会が 続いた.

(NAVERによる自動翻訳)

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japanese/article.joins.com/article/article.asp?Total_ID=283387 (リンク切れ)

2010/12/11

[英語] あるカナダ人の感想



一般人の反応(外国人)

















Comfort women supported by Canada
by Karol de Rueda on November 29, 2007 at 5:32 pm

Japanese authorities, in the 1930s and during World War II, forced women into sexual slavery for Japanese military brothels, hoping that by providing easily accessible prostitutes, the morale and ultimately the military effectiveness of Japanese soldiers would be improved as well as the control of STDs. This “comfort women,” as they were called, came from Korea, China, Philippines, Thailand, Vietnam, Malaysia, Taiwan, the Dutch East Indies, Indonesia, and other Japanese-occupied territories. They were arrested on the streets, or induced by the offer of plenty of money, estimating around 200,000 victims. Women working at the brothels “most likely served 25 to 35 men a day,” some of them were not old enough to have started menstruating, and most cases also involved violence: “Fifteen-year-old young girls were subjected to torture and raped by countless men for weeks, months and years on end.”But Canada’s parliament has unanimously passed a motion calling on Japan to apologise for forcing women to serve as wartime sex slaves and “take full responsibility for the involvement of the Japanese Imperial Forces in the system of forced prostitution”.The Japanese government has set up an Asia Women’s Fund which conveys Japan’s apologies for crimes committed against women during WWII through direct donations from the Japanese public. Despite this, according to the Japanese government, individual comfort women don’t deserve compensation.To add more controversy, Japan said it regretted Canadian’s vote, and it would not help bilateral relations.How nice is to simply deny a horrifying past. Too bad that thousands of women that were enslaved, raped, tortured, utilized and abused, can’t do the same.