ラベル ki-キル・ウォノク の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ki-キル・ウォノク の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016/12/18

ワシントン少女像が直面した冷たい現実

ワシントン挺対委・KACE、ワシントン市の協力は得られず?

アメリカの首都に慰安婦像を設置するのは彼らの悲願であるようだが、風向きが変わり冷たい現実に直面しているようである。関係者もドイツでの失敗が影響しているようだと零している。ワシントン慰安婦像は、挺対協らが結成した平和碑(慰安婦像)全国連帯の初プロジェクトであった。

日本側の抵抗が激しくなりステルス化しているとも指摘されているが、秘密にすれば寄付など支援を受けるのが難しくなる。実際、ワシントンの慰安婦像の費用には梨花女子高等学校の生徒達の寄付も含まれている。資金力のある挺対協だが、永久に外国の倉庫に像を預けておけるはずはない。

国連の記念日に合わせて除幕式を行うつもりが、期日までに挺対協は設置場所を見つけられなかった。現地の大学はもちろんのこと、ワシントンに複数ある韓国系の教会も(今のところ)良い返事はくれなかったらしい。この像の建立にワシントン挺対委やKACEといった実績のある団体は絡んでいないようで、新興の「ワシントン希望の蝶」が協力している(中央日報 11.3)。苦しい状況を反映するように、「活動家慰安婦」キル・ウォノクに助けを懇願させている。像は2時間だけ披露され、倉庫行きとなった。「活動家市長」パク・ウォンスン・ソウル市長がワシントン市長に支援を要請したが効果なかったようである。

慰安婦被害女性「ワシントン少女像、永久的設置場所を見つけるため助けてほしい」

  慰安婦被害女性の吉元玉(キル・ウォンオク)さん(89)が「ここワシントンに来た平和の少女像が永久的に足を地につけられるように助けてほしい」と明らかにした。

  吉さんは10日(現地時間)、ワシントンD.C.のナショナルモールで開かれたワシントン「平和の少女像」歓迎式典でこのように伝えた。ワシントンで公開された少女像は韓国で製作されて先月ワシントンに到着した。だが、この少女像にはまだ永久に設置される場所がない。この少女像は同日歓迎式典が開かれた2時間だけ公開されて、その後すぐに、近隣バージニア州の倉庫に移された

  少女像建立推進委員会共同委員長は「数カ月前、ドイツでも日本の反発で平和の少女像の設置が失敗に終わった」とし「そのことがある程度影響を及ぼしているようだ」と伝えた。


・・・少女像設置を進める団体は、ホワイトハウスに近い教会や大学などを当たったが、設置を政治的な問題ととらえる向きがあり、場所探しは難航しているという。

朴元淳ソウル市長も、ワシントン市長に書簡を送り、設置場所選定への積極的な支援を求めた。(共同)

産経(一部) 2016.12.8[全文]

2016/08/08

豪州慰安婦像、電撃移送で日本側の「棺桶作戦」に対抗?

世界中に慰安婦像を建てると宣言した挺対協
像とキル・ウォノクを提供

公有地が無理なら私有地に、とオーストラリアに慰安婦像を建てようと頑張っている人々。今回は、挺対協と韓国の地方自治体(城南市)が支援に乗り出し、「平和の少女像」を現地に持ち込んだ他、「活動家ハルモニ」キル・ウォノクを除幕式に送り込んだ。像は最終的に協力を申し出たビル・クルス牧師の教会の敷地に建てる計画で、準備が整うまで現地の韓国人会館で展示?されることになっていた。

祝辞を述べる城南市長

この計画を知って現地のオーストラリア・ジャパン・コミュニティ・ネットワーク(AJCN)が抗議の声を上げ、抗議を受けた地元の自治体(バンクスタウン)は、屋外でのお披露目イベントの禁止と、イベント後は韓国会館内に像を塩漬けにする(公衆の目に晒さない)よう命じたという。これをAJCN側は「棺桶作戦」と呼んでいたとか。しかし、必死の懇願が実ったのか、バンクスタウン側は直前になり野外イベントだけは許可した。そこでこの奇妙な踊りである。

屋外イベントは直前になって許可された

さて太陽の下で行われた除幕式には、韓国から城南市長や挺対協の幹部、「ハルモニ」が参加し、それなりに盛況だったようである。参加者250名とも400名とも報じられているが、実際はもっと少なかったという話である。驚かされたのは、式典の後、韓国人会館内にしまい込まれるはずだった像が、そのままシドニー市内のビル・クルス牧師の教会に電撃移送されたことだった。教会側の受け入れ準備は終わっていないはずだが、敷地内の駐車場に仮置きすることで行政の命令に抵抗しているのかもしれない。

クルス牧師が自分の教会に像を電撃移送
行政の指示に反抗?

そしてこのノリ
(今は仮置きの状態)

現地の法律では教会の敷地であっても場合によっては公の場と見なされるとのことで、AJCNは日本の領事館を動かすなどして教会への設置を阻止しようとしている。これから攻防戦は第二ステージに入る。合同教会の関係者の中にもクルス牧師の行動に反対する者もいるようだが、牧師はグレンデールのクィンテロ元市長と同じタイプらしく、聞く耳持たずといった感じ。クルーズ牧師の暴走を上位の教会関係者やシドニー市がどこまで制御出来るのか、余談を許さないといったところか。

この件については、AJCNの山岡さんや江川さんから色々教えて頂いた。慰安婦像などを推進しているグループは行政側から厄介者扱いされているという。確かに、そんな雰囲気である。

オーストラリアのシドニーに「平和の少女像」が建つ。・・・北米以外で初
アッシュフィールド連合教会の前庭に設置、キル・ウォノク・ハルモニなど出席

オーストラリアで初めてシドニーに「平和の少女像」設置される。

外国に建てられた少女像ではアメリカの2ヶ所、カナダの1ヶ所に続き4番目、北米以外では初めて。

「シドニー平和の少女像建設推進委員会」(共同代表パク・ウンドク、カン・ビョンジョ)は6日、韓国人会館で海外同胞とオーストラリア人のシドニーの(?)各国のコミュニティー関係者など約250人が参加する中で「シドニー平和の少女像」の除幕式を行った。

ソウルの日本大使館の前にある物と大きさや形が同じ少女像はイベント終了後、当初予定されていた韓国人居住地(密集地)近隣のアッシュフィールドの連合教会(ビル・クルス牧師)の前庭に移された。

この日のイベントには日本軍慰安婦被害者であるキル・ウォンオク(89)ハルモニをはじめ、ペク・スングク、シドニー韓人会会長とイ・ジェミョン城南市長ユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会代表などが参加した。

オーストラリア側では先月総選挙で原住民女性では初めて連邦下院議員に当選したリンダ・バニーやビル・クルス牧師、日本軍慰安婦被害者であるオランダ系オーストラリア人ジャン・ラフ・オハーンお婆さんの娘キャロル、中国系のアーネスト・ウォン、ニューサウスウェールズ州の上院議員などが出席した。

はるばる訪ねて来たキル・ウォノク・ハルモニは挨拶の中で「辛い歴史を忘れないために少女像を建てたことに感謝します」として「少女像を通じてここの人達も歴史の真実を学ぶことができるようになった。 日本政府が責任を回避しないように力を尽くして欲しい」と話した。

自ら希望して少女像を自分の教会に建てることになったクルス牧師も記念演説で「初めて少女像を見て涙が出た」「日本政府が女性の苦痛を認めて謝り、前に進むことが出来るよう心から望む」と力を込めて話した。

バニー議員はオーストラリア政府が原住民のアイデンティティーを抹殺しようと1910~70年代アボリジニーの子供を白人家庭や布教施設などに強制的に受け入れたことを2008年に謝った例を引き(?)「政府が否認し学校で教えなくても、真実は表れる」と力説した。

特にこの日のイベントでは93才のオハーンお婆さんが、肉声メッセージを通じ、慰安婦になったのは全く自発的なことでなく、このような事実を決して忘れてはいけないと強調し大きな拍手を浴びた。

オハーンお婆さんは「イベントに出席できなくなったのがとても残念だ。いまだ苦痛に悩み、その苦痛は絶対に消えない」「少女像は女性を相手に行われた(?)残酷さの象徴」と語った。

オハーンお婆さんの娘キャロルは、少女像が公共の場や博物館などにもっと들어서야 한다고 と述べた。

この日イベントにはオーストラリアの公営ABC放送をはじめとして地域メディア、中国の新華社通信、日本のNHKと共同通信の記者が来て取材を行った。

一方、少女像は本来韓国人会館内に暫定的に1年ほど置かれ教会の防犯照明(の設置?)作業が終わってから移設される予定だったが、イタスラなど芳しくない事態が発生することが憂慮され電撃的に教会に移された

少女像はまず教会の前庭に設置され、防犯照明作業が終わり次第本来予定された教会敷地の通り側に設置される予定。

シドニーの少女像は挺身隊問題対策協議会と京畿道城南市の後援で韓国で製作された

オーマイニュース(聯合ニュース) 2016.8.6[2]

関連記事:
オーストラリア初の慰安婦像が除幕式 シドニー郊外、地元テレビ「日本兵に何百回も…」と元慰安婦紹介(産経
日本の団体、シドニー少女像関連韓人会「訴える」と脅迫(聯合


호주 시드니에 '평화의 소녀상' 섰다... 북미 밖 최초
애시필드 연합교회 앞마당 설치, 길원옥 할머니 등 참석

호주에서 처음으로 시드니에 '평화의 소녀상'이 들어섰다. 

외국에 들어선 소녀상으로는 미국 2곳, 캐나다 1곳에 이어 4번째며 북미 외 지역에서는 처음이다.

'시드니 평화의 소녀상 건립추진위원회'(공동대표 박은덕 강병조)는 6일 한인회관에서 교민과 호주인, 시드니 각국 커뮤니티 관계자 등 약 250명이 참석한 가운데 '시드니 평화의 소녀상' 제막식을 거행했다. 

서울 일본대사관 앞에 있는 것과 크기나 모양이 같은 소녀상은 행사가 끝난 뒤 본래 예정된 한인 밀집지 인근의 애시필드 연합교회(목사 빌 크루스) 앞마당으로 옮겨져 자리를 잡았다.

이날 행사에는 일본군 위안부 피해자인 길원옥(89) 할머니를 비롯해 백승국 시드니 한인회장과 이재명 성남시장, 윤미향 한국정신대문제대책협의회 대표 등이 참석했다.

호주 측에서는 지난달 총선에서 원주민 여성으로는 사상 처음으로 연방 하원의원에 당선된 린다 버니, 빌 크루스 목사, 일본군 위안부 피해자인 네덜란드계 호주인 얀 루프 오헤른 할머니의 딸 캐롤, 중국계인 어니스트 웡 뉴사우스웨일스(NSW)주 상원의원 등이 나왔다.

먼 길을 찾은 길원옥 할머니는 인사말에서 "아픈 역사를 잊지 않기 위해 소녀상을 세워준 데 감사드린다"며 "소녀상을 통해 이곳 사람들도 역사적 진실을 배울 수 있게 됐다. 일본 정부가 책임을 회피하지 않도록 힘써 달라"라고 말했다.

자청해 소녀상을 자신의 교회에 세우도록 한 크루스 목사도 기념사를 통해 "소녀상을 처음 보고는 눈물을 흘렸다"며 "일본 정부가 여성의 고통에 대해 인정하고 사과해, 앞으로 나아갈 수 있기를 진심으로 바란다"라고 힘줘 말했다.

버니 의원은 호주 정부가 원주민의 정체성을 말살하고자 1910~70년대 사이 원주민 자녀를 백인 가정이나 선교시설 등에 강제로 수용한 일을 2008년에야 사과한 일을 상기시키며 "정부가 부인하고, 학교에서 가르치지 않더라도 진실은 드러나게 돼 있다"라고 역설했다.

특히 이날 행사에서는 93살의 오헤른 할머니가 육성 메시지를 통해 위안부가 된 것이 전혀 자발적인 것이 아니며 이런 사실을 결코 잊어서는 안 된다고 강조해 큰 박수를 받았다. 

오헤른 할머니는 "행사에 참석 못 하게 된 게 너무 아쉽다. 아직도 고통에 시달리고 있고 그 고통은 절대로 사라지지 않을 것"이라며 "소녀상은 여성을 상대로 자행한 잔혹함의 상징"이라고 말했다.

오헤른 할머니의 딸 캐롤은 소녀상이 공공장소나 박물관 등에 더 들어서야 한다고 말했다.

이날 행사에는 호주 공영 ABC 방송을 비롯해 지역 언론들, 중국 신화통신, 일본의 NHK 방송과 교도통신의 기자들이 나와 취재활동을 벌였다. 

한편, 소녀상은 원래 한인회관 내에 약 1년 정도 잠정적으로 자리 잡고 있다가 교회의 조경 작업이 끝난 뒤 옮겨질 예정이었으나 훼손 등 불미스러운 일이 발생할 것으로 우려돼 전격적으로 교회로 옮겨졌다. 

소녀상은 우선 교회 앞마당에 설치됐으며 조경 작업이 끝나는 대로 본래 예정된 길가 쪽 교회 구역 안에 자리할 예정이다.

시드니 소녀상은 정신대문제대책협의회와 경기도 성남시의 후원으로 한국에서 제작됐다.

2016/05/24

慰安婦カナダの高校を訪う「全世界に日本の蛮行を知らせてきた」

キルとカナダの高校生たち

ホットドックス映画祭参加の為にカナダを訪れたついでに、挺対協のユン・ミヒャンとキル・ウォノクは、ドキュメンタリー映画作家ティファニー・ションとカナダの高校にキャンペーンに出かけた。

20年かけて韓国の子供たちに「正しい歴史認識」を植え付けた彼女たちは、今度は海外でも同じことをしようとしている。自分たちがあくまで世界の戦争犠牲者たちの為に活動しているのだと、蝶(ナビ)基金をアピール。子供たちは素直に感動したようである。しかし、彼女らの本当の目的は、ユンが自ら述べたように「全世界を回り日本の蛮行を知らせる」こと。ナビ基金はそのカモフラージュではないのか。


しかし、このカナダでのキャンペーンツアー中に面白いことが起こった。ある集会のディスカッションの中で、(満)11歳で慰安婦に<動員>されたといった証言の不自然さに疑問を持たれ、突っ込まれたのだ。詳しくはなでしこアクションのブログを読んで頂きたいが[2]、欧米人からこうした疑問をぶつけられるとは、ユン・ミヒャンも予想していなかったろう。しかし、今後はこうしたケースは増えるのかもしれない。

13才従軍慰安婦キル・ウォノクお婆さん「お母さん、私家へ帰りたい」

トロントを訪れた従軍慰安婦キル・ウォンオクお婆さんは先週木曜日ソーンヒル高校(訳注:オンタリオ州では9~12年生)を訪ねてカナダの高校生たちに戦争の惨状を教え戦争のない国で元気に育つことを祝福した。

韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャン代表、そしてキル・ウォンオクお婆さんをメインに日本慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画映画『THE APOLOGY』の映画監督ティファニー・ションと共に高校を訪れたハルモニは図書館に集まった100人余りの生徒と会った。

ハルモニは戦争の残酷な現実を紹介し、ティファニー・ション監督は6年間世界中を回り慰安婦ハルモニに会って戦後も彼女たちがどれほど苦労したかを映画にした(?)理由を語った(紹介した)。
ユン・ミヒャン代表はハルモニの活動を、25年間全世界を回り日本の蛮行を知らせることに注力したと述べた。ハルモニの努力で国連人権委員会は慰安婦問題に関する特別報告書を発表れ、ヨーロッパの様々な国で問題の深刻さを知らせる発表が相次いだ。

また、ハルモニは蝶(ナビ)基金を創設して現在も広がっている戦争の中で性奴隷に転落した女性たちを助ける活動を行っていると説明し、蝶基金によって救われ(助けられ)、新しい生活を送ることになったアフリカ女性の事情を紹介することもした。

この日、生徒の一人がフルートでアリランを演奏し、ハルモニは生徒の演奏でアリランを歌った。

平壌が故郷であるハルモニは13才(カナダの年齢で11才)で挺身隊として連行され過酷な苦難に会って、まだ故郷を行ってみられなかったと話し、生徒たちの目を赤くした。

「私は13才の年に何も知らずに故郷から引かれて行かれなければなりませんでした。その後、家に帰ることができませんでした。皆さんは私のように戦争の恐ろしい体験をせずに家族全員の(?)幸せを祈ってます」

この日講演会ではハルモニが作った詩「お母さん、私家へ帰りたい」が動画で上映され、89才のハルモニの心が若い生徒たちにまで伝えられた。生徒たちは、日帝強制占領期の戦争の痛みを再確認するのに十分な時間だったと話した。

「お婆さん、はるばるトロントまで来てくださってありがとう。戦争の痛みを知らせてくれてありがとうございます。日本が早く謝罪と賠償をすることを願ってます。私たちも忘れません」と、生徒を代表して韓国人学生のキム・ジヨンさんが述べた。

この日、講演会の後、一部(?)の韓国人生徒たちがハルモニ(の周りに?)集まり花束を渡して挨拶した。 ハルモニは嬉しげな様子(?)で大きな笑顔で生徒たちを겪려して祝福した。

講演会に参加したダレン・ウォーク先生は「お婆さんがここまで来られてgreat storyを学生たちに聞かせられ、生徒たちにインスピレーションを(inspiring)吹き込んで下さいました」と、学校と生徒たちがこの問題を支援するために行動すると明かした。

学校を訪問する二日前、キル・ウォノクお婆さんは韓国人会館の前にある少女像を訪ねた。ハルモニは少女像を撫でさすり、あたかも生きている幼い孫娘に対するように痛ましいといった。

不快な体にも関わらずハルモニは日本が本当に謝り賠償しなければならないと声を大きくして、生きている限り戦うという固い意志を示した。

「少しでも良心が残っていれば間違ったと謝って補償してるよ。참고 넘어가면 되겠지 하면서 저들이 세월을 보내네요」。

World in Canada 2016.5 [2]

13살 종군 위안부 길원옥 할머니 “엄마, 나 집으로 돌아가고 싶어요”

토론토를 방문한 종군 위안부 길원옥 할머니는 지난주 목요일 손힐 하이스쿨을 방문해 캐나다 학생들에게 전쟁의 참상을 소개하며 전쟁없는 나라에서 건강하게 자라기를 축복했다.

한국정신대문제대책협의회 윤미향 대표, 그리고 길원옥 할머니를 주인공으로 일본 위안부 문제를 다룬 다큐멘타리 영화 ‘THE APOLOGY’의 영화감독 티파니 슝과 함께 고등학교를 방문한 할머니는 도서관에 모인 100여명의 학생들과 만났다.

할머니는 전쟁의 참혹한 현실을 소개했고, 티파니 슝 감독은 6년간 전세계를 돌면서 위안부 할머니들을 만나 전쟁 후에도 그들이 얼마나 힘들고 어려워 했는지 영화로 제작한 사연을 소개했다.

윤미향 대표는 할머니의 활동을 소개하면서 25년간 전세계를 돌면서 일본의 만행을 알리는데 주력했다고 소개했다. 할머니의 노력으로 UN 인권위원회에서는 위안부 문제에 대한 특별보고서를 발표하였고, 유럽 여러나라에서도 문제의 심각성을 알리는 발표들이 잇달았다.

또한 할머니는 나비 기금을 창설해 현재에도 벌어지고 있는 전쟁 속에 성노예로 전락한 여성들을 돕는 활동을 펼치고 있다고 설명하면서 나비기금에 의해 도움을 받아 새로운 삶을 살게된 아프리카 여성의 사연을 소개하기도 했다.

이날 학교 학생 하나가 플룻으로 아리랑을 연주했고 할머니는 학생의 연주에 따라 아리랑을 노래했다.

평양이 고향인 할머니는 13살(캐나다 나이 11살)의 나이에 정신대로 끌려가 모진 고초를 겪고 아직까지 고향을 못가봤다고 말해 학생들의 눈시울이 붉어지기도 했다.

“저는 13살의 나이에 아무것도 모르고 고향에서 끌려나와야 했습니다. 그 이후로 집에 돌아가지 못했습니다. 여러분들은 저처럼 전쟁의 끔찍한 일을 겪지 않고 가족 모두 행복하기를 기원드립니다.”

이날 강연회에서는 할머니가 지은 시 ‘엄마, 나 집으로 돌아가고 싶어요’가 동영상으로 상영돼, 89세의 할머니의 마음이 어린 학생들에게까지 전달되었다. 학생들은 일제 강점기의 전쟁의 아픔을 되새기기에 충분한 시간이었다고 말했다.

“할머니, 멀리 이곳 토론토까지 와주셔서 감사합니다. 전쟁의 아픔을 알려주셔서 감사합니다. 일본이 빨리 사과와 배상 조치를 하기를 바라겠습니다. 저희도 잊지않겠습니다.” 라고 학생 대표로 한인학생 김지영양은 말했다.

이날 강연회 후에는 일단의 한인 학생들이 할머니께 몰려가 꽃다발을 전해드리며 인사를 드렸다. 할머니는 기쁜 모습으로 함박 웃음을 지으며 학생들을 겪려하고 축복했다.

강연회에 참석한 데런 웍 선생은 “할머니께서 여기까지 오셔서 great story 를 학생들에게 들려주셨고 학생들에게 영감을(inspiring) 불어넣어 주셨습니다.” 라며 학교와 학생들이 이 문제를 돕기 위해 행동할 것이라고 밝혔다.

Kilwonok

학교를 방문하기 이틀전 길원옥 할머니는 한인회관 앞에 있는 소녀상을 찾았다. 할머니는 소녀상을 쓰다듬고 어루만지면서 마치 살아있는 어린 손녀 대하듯 안쓰러워 했다.

볼편한 몸에도 할머니는 일본이 진정으로 사과하고 배상해야 한다고 목소리를 높이며 살아있는 날까지 싸우겠다는 굳은 의지를 보이셨다.

“조금이나마 양심이 남아 있으면 잘못했다고 사과하고 보상도 하고 해야죠. 참고 넘어가면 되겠지 하면서 저들이 세월을 보내네요.”

2016/04/09

挺対協、韓国政府と決別 (大使館の歓待も昔話)

ハルモニは上機嫌だが
落日を知るユンの表情は冴えない?

去年は、挺対協の関係者が慰安婦を伴って海外に出ると現地の韓国大使館が気を遣って公用車で迎えに来たり、大使館で食事を振舞ってくれた。しかし、昨年の12.28合意で全てが変わってしまった、と取材陣に打ち明けた挺対協のユン・ミヒャン代表。

挺対協と韓国政府は長く仮面夫婦として共存して来た。挺対協を取り込もうとした政権もあったろうが、大体においてこの団体は歴代の韓国政府にとってお荷物だったに違いない。その挺対協が、日韓両政府による手打ちを契機に韓国政府から遠ざけられた。「ハルモニ」という切り札を握っている彼女らは、暫くは韓国政府にとって厄介な存在であり続けるだろうが、彼女たちの全盛期は終ろうとしている。

ユン・ミヒャンは将来を見通しているのだろう、ここでは省略したが、挺対協の今後の活動方針(生き残り戦術?)について語っている。彼女たちは戦時下の女性の人権問題に取り組む団体として生き残りを図りつつ、ジャパン・バッシャーとしての使命を諦めるつもりはないらしい。

追記: これまで応援してくれていたアメリカの政治家も冷たくなったと、ユンはこぼしている(別ルートで渡米したイ・ヨンスがマイク・ホンダと面会するという情報もあるが)。

韓国政府がそっぽを向く(?)中、訪米した慰安婦ハルモニ

「いくら歩き回っても大使が直接私たちを歓迎しないのは(?)どうして?」

昨年の9月、日本軍慰安婦被害者キム・ボクトンお婆さん(90)と一緒にヨーロッパを訪れた韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャン共同代表は、その時のイム・ソンナム駐英大使とイ・ビョンファ주ノルウェー大使の歓待を忘れることができない。歓待といっても大袈裟なものではなかった。大使館に呼ばれ食事をご馳走になり、大使館職員が空港に公用車で出迎えに来た。

当時、韓国と日本政府は、慰安婦問題で局長級会談を継続する一方で、世界のあちこちで外交戦を繰り広げていた。

だが、去年の12月28日に韓日政府間の慰安婦合意が発表されて全てが変わったとユン・ミヒャン代表は語った。8日の「世界女性の日」に慰安婦被害者キル・ウォノク・ハルモニ(89)と一緒にアメリカを訪れたユン代表は、合意以降、韓国外交部は挺対協はもちろん合意に反対するハルモニと一切の連絡を絶ったと明かした。

駐米日本大使館前の水曜デモや国務省の要人との会談、ジョージメイソン大でのイベント出席などの為に訪米する前にも、警察の情報課の刑事らと女性家族部に、アメリカで何をするのか尋ねられたという。 駐米大使館が(?)ハルモニに会う予定もない。

これまで何年もの間、韓国政府と「ぎこちない同居関係」続け、今回の韓日政府間合意で決別することになった挺対協の今後の活動の方向性について尋ねると、ユン代表はこう言った。

「私たちは、これまで韓国政府と時には協力関係にあり、時には批判する関係だった。 だが、ハルモニたちと一緒の運動なので、12月28日の韓日合意以後完全に決別した。これは不幸なことだ。なぜなら韓国政府の助けが切実(に必要)だからだ。 だが、昨日国連女性差別撤廃委員会で今回の合意が誤っていたという強力な文書が出たので、12・28合意を契機に、むしろ他の地域の戦時下の性暴力被害者の問題解決に良い基準を残せたと思う」

(中略)

ユン代表は韓日政府間合意は被害者中心という国際基準にも合致しないとつけ加えた。

ワシントン希望の蝶」が後援する今回の訪問で、キル・ハルモニとユン代表の一行は9日、駐米日本大使館の前での第1221回水曜デモに参加する。16日には、ジョージ・メイソン大で女性とジェンダー研究所の後援で「戦争史の中の女性と慰安婦」をテーマに被害者証言、展示会・公演などを行う。 また、アメリカン大でもこの大学の平和学生会主催で被害者証言、講演などを行う。

マイク・ホンダやジェリー・コノルリ、チャールズ・レングルら慰安婦問題に関心を示していたアメリカの下院議員との面会は実現しなかった。 ワシントンのシンクタンクの関係者たちも、キル・ハルモニ一行との面会に消極的だったという。 ただし国務省の役人たちは彼女らの面会要請を受け入れた。 彼女らは11日ニューヨークの国連本部を訪問する予定だ。 パン・ギムン国連事務総長に(?)面談を申し込んだが、まだ面談の有無が確定しなかった。(以下略)

ZUM(一部) 2016.3.9(全文・原文

2016/02/11

[写真で見る水曜デモ32] 警察官に賄賂?


警察官に賄賂を渡す「ハルモニ」・・・なるほど、大使館前では許されないはずのデモを警察が取り締まらないわけだ、というのは(半分)冗談で、ソウル地方警察庁と地元鍾路区の警察署の警察官がキム・ボクトンとキル・ウォノクからお年玉を受け取っている。お年玉なら、警察官が金銭を受け取っても構わないのかとも思うが、そこは文化の違いなのだろう。2月10日の第1217回水曜デモでのヒトコマ。[ソース]

2015/08/15

日本軍性奴隷制被害者の森を造ろう

Forest for victims of military sexual slavery by Japan
(日本による軍用性奴隷被害者の為の森)

いろいろ考えるものである。次から次へと。ここでもまた、慰安婦=少女ということにされている。

慰安婦被害者ための「少女を記憶する森」作る

日本軍慰安婦被害者を慰安し追慕する森が造成される。

社会革新企業を標榜するツリー・プロジェクト(Tree Project)は慰安婦被害者のための「少女を記憶する森」募金を始めたと14日明らかにした。

「少女を記憶する森」造成プロジェクトは慰安婦被害ハルモニの平均年齢が90才で高齢という状況で、次世代が慰安婦被害歴史を忘れずに記憶することができるようにしようという意で始まった。

ツリー・プロジェクトは総募金額と造成趣旨により適合した敷地を選定する計画であり、森表札板には慰安婦被害者の証言を記録する予定だ。

※1聯合ニュース 2015.8.14[2]

起工式の記事追加(9月4日)。

「慰安婦を記憶する森」 ソウルW杯公園で起工式

「折れても香りを放つワレモコウを植え、元慰安婦たちを忘れない」
元慰安婦をめぐるエピソードを込めた木や花を植える

旧日本軍の元慰安婦で死去した人を追悼する「少女たちを記憶する森」の起工式が3日、ソウル市麻浦区のワールドカップ公園で行われた。社会的企業(社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体)「ツリープラネット」が主管する今回の起工式には、元慰安婦のキル・ウォンオクさん(88)と韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)のキム・ソンシル共同代表、ボランティア約30人が出席した。参加者たちはこの日、松とアンズ、桃の木各1本とキキョウやワレモコウなど計100本の花を植えた。キルさんは木と花を植えて土をかけ「生き残っているほかの元慰安婦たちと共に、死ぬまでに必ずこの森を一緒に歩きたい」と話した。

森に植えた木や花には、元慰安婦たちにまつわるエピソードが込められている。京畿道広州市の「ナヌムの家」で共同生活を送るキム・スンオクさん(93)は「私が住んでいた村には家ごとにアンズの木が植えられていた。中国の慰安所で過ごしていたとき、満開のアンズの花を見ると、故郷を思って涙を流した」と話した。また、20歳のときに慰安婦として動員された後、故郷に帰れず今も中国で暮らしているパク・チャスンさん(92)のために、どのような環境の下でも育つ桃の木を植えた。ツリープラネット側は「折れてもキュウリのようなにおいを放つワレモコウを植えることで、元慰安婦たちを忘れないようにしようとの思いを込めた」と話した。

この森は、ソウル市が提供したワールドカップ公園内の800平方メートルの敷地に造成され、来月3日に一般公開される。元慰安婦たちが記憶する、幼いころの故郷の様子を再現するため、森の一部には石垣も造られた。ツリープラネットは森を造成するため、先月13日からオンラインでの募金を受け付け、これまでに市民150人から5600万ウォン(約560万円)が集まった。


※1

(서울=연합뉴스) 권영전 기자 = 일본군 위안부 피해자들을 위로하고 추모하는 숲이 조성된다.

사회혁신기업을 표방하는 트리플래닛은 위안부 피해자들을 위한 '소녀들을 기억하는 숲' 모금을 시작했다고 14일 밝혔다.

'소녀들을 기억하는 숲' 조성 프로젝트는 위안부 피해 할머니들의 평균 나이가 90세로 고령인 상황에서, 다음 세대가 위안부 피해 역사를 잊지 않고 기억할 수 있도록 하자는 뜻으로 시작됐다.


트리플래닛은 총 모금액과 조성 취지에 따라 적합한 부지를 선정할 계획이며, 숲 현판에는 위안부 피해자들의 증언을 기록할 예정이다.

2013/02/01

[資料] 慰安婦、朝鮮学校への支援呼びかけ


吉元玉ハルモニ

 ビデオレターですが、こうやってまた会えてうれしいです。
 頻繁に直接会って喜びを分かち合えればいいのですが、映像で失礼します。

 皆さんが「戦争と女性の人権博物館」建設に協力いただいたおかげで、無事に開館しました。これからもうまくいくようにたくさん広報してください。多くの人が関心を持って博物館を訪問してくれることを願っています。
 いつもウォノクが話すと「皆さんに助けて欲しい」「参加して欲しい」ばかりでしょ。他に何もありません。皆さんよろしくお願いします。

 それから金福童ハルモニと私とでナビ基金をはじめました。
 これにも協力してくれることは知っています。これからもより一層協力をお願いします。

 運動が20年と言いますが、私たちにとっては70年間胸を痛めて今日まで来ました。とても辛い道のりでした。私たちがもっとがんばればいいのだけれど……。だから後援するにも足りず申し訳ない気持ちですが、皆さんが助けてくれると有り難いです。

 もうひとつお願いがあります。

 我が民族の学生が日本の朝鮮学校に通っています。
 ところが日本政府はなぜその学生たちを支援しないのでしょうか。

 学ぶことで歴史が正されるのです。

 政府や民間が心を合わせて学生に教えることで、未来が明るく開けるのです。

 歴史を正しく知らなければ、どうやって生きていくのですか。
 私たちが何も知らないといっても、ある程度の歴史を知るべきです。歴史を知らないと愚か者になります。学生たちがしっかり勉強できるようにしてください。子どもたちはしっかり学ばなければ。学ぶことでしっかりと生きていけるのです。

 皆さんが朝鮮学校を支援してくださるよう、お願いします。

2012/06/01

江田五月と慰安婦 (2010年)



江田は従軍慰安婦という言葉を使っている。左端が挺対協のユン・ミヒャン。続いて民主党の岡崎トミ子、江田の右が韓国の朴宣映(パク・ソニョン)。

パクはこの翌日横路孝弘(民主)を表敬訪問している。中央の慰安婦は、吉元玉(キル・ウォノク)。彼女たちは参議院院内集会に合わせて来日した。


11時半から30分ほど、仁比聡平さんが治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の皆さんと来られ、要請を受けて意見交換をしました。昼食後、13時から30分ほど、朝倉・玖珠町長と藤本議長さんらと来られ、地元要請を受けて懇談。13時45分から30分ほど、岡崎トミ子さんが韓国国会議員の朴宣映さんと従軍慰安婦の当事者と支援の皆さんと共に来られ、要請を受けて意見交換をしました。



14日(金)、韓国の自由先進党所属の国会議員・朴宣映(パク・ソニョン)議員の表敬を受けました。朴宣映(パク・ソニョン)議員は2008年に初当選、2010年に「日本軍『慰安婦』問題解決議員の会」共同代表をやっている方で、今回は一日も早く日本軍「慰安婦」被害者に名誉回復措置をとるように日本政府に求める活動の一環として来日しました。

今年は日韓併合100年を迎える重要な年であり、真の未来志向の友好関係を築くためにも、戦後処理の諸問題を解決しなければなりません。そのためにも両国の議員間で率直な意見を出し合い、両政府に働きかけていくことが大事です。
なお、会談には戦後補償問題に熱心に取り組んでおられる石毛えい子衆議院議員(民主党)も同席しました。

2011/01/21

日本の議員がハルモニを訪う【2010】



2010年12月8日。日本の国会では岡崎トミ子(民主)ばかりが叩かれているが・・・。


水曜デモが終わった後、ハルモニたちと一緒に凍える体を温かい食事で暖めました。食事が終わるとすぐ鐘路にある事務所には移動せず、忙しなく西大門にある「ウリチプ」へ向かいました。「ウリチプ」には日本から国会議員の方々が訪問することになっていたからです。しかし、私たちより先に到着して玄関の門の外で待っているところに遭遇しました。門を開けて中に入り、ユン・ミヒャン代表が居間へと案内し、その居間を装飾している飾りの数々は、ハルモニたちが園芸治療プログラムと美術治療教室で作った作品を展示したものだと説明しました。

歓迎の挨拶と一緒に「ウリチプ」に一緒に住む4名のハルモニたちも紹介し、韓国の生存者たちの状況についても説明しました。日本の国会議員たちもハルモニたちに挨拶をし、ハルモニたちにまだ解決を届けられない事に対して申し訳ないという言葉もくださいました。キム・ボクトンハルモニは日本政府が当然しなければならない謝罪と賠償をしてほしいと要求しながら、この年老いた被害者を毎週水曜日に道に立たせることは日本政府と国会議員が恥ずべき事であると指摘し、今日のように寒い日にも私たちは水曜デモをしてきたと、これ以上生存者が死ぬ前に、一日も早く問題解決を見ることができるように努力してほしいと要請しました。キル・ウォノクハルモニは「被害者たちがみんな死んだからといってこの問題が解決するわけではなく、私たちが死んで一人もいなくなったとて、日本政府がこの問題をきれいさっぱり解決しなければ真の解決とは言えない。私たちが死んでも若い世代が続いてくれるから、時間稼ぎをせずに早く解決しろと日本政府に伝えてください」と要求しました。水曜デモが終わってから頭が痛いとおっしゃっていたイ・スンドクハルモニがちょうど病院から戻られました。ハルモニは頭を下げて挨拶をし、2階のハルモニの部屋へ戻ってしまいました。ハルモニのこの簡単な行動だけでも、私たちに日本軍「慰安婦」問題解決の緊急性を実感させてくれました。

日本の国会議員は日本に戻れば一生懸命「慰安婦」問題解決の為に努力すると言ってくれました。ハルモニはこれまで「ウリチプ」の園芸治療教室で作った石鹸をプレゼントし、キル・ウォノクハルモニが書道教室で作った「女性の人権と書いた私の絵」をプレゼントしました。プレゼントを受け取った方々が喜んでくださる様子は、ハルモニたちにも自負心を与えました。



2010/12/31

吉元玉(キル・ウォンオク)のスピーチ2010



[資料]

2010年5月13日の参議院院内集会(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010と、戦時性暴力問題連絡協議会の共催)から。

慰安婦の証言は、証言者による個人差もあろうが、時期によってトーンも変わっているような気がする。 もはや強制連行の話はなくなり、平和を訴える使者のような役割になっている。長い期間「運動家」たちと行動を伴ううちに、言葉にもその影響が見られるような印象。


韓国からは「慰安婦」被害者として吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニが来日されました。吉元玉ハルモニのお話はいつもながら本当に素晴らしく、参加した多くの国会議員の心にも響いたことでしょう。

83歳になられて、お身体も辛い中、来日されたハルモニの言葉には、重みがあります。・・・私たちに残された時間が本当に少ないのだと実感します。そういう思いを込めて、ハルモニの全発言を掲載します。


「皆さんの前に余りだしたくない顔なんですけれども、吉元玉という人間がこのように姿を現しました。ほんのちょっと辛いだけだったら皆様の前に顔を出そうとは思わなかったでしょう。あまりにも辛かったので出てきました。70年間生きていても、普通に生きられた日が一日もないくらい、本当に辛かったのです。ですから再びこのようなことがあってはならないと思って、戦争のない国、本当に平和な国を作らなくてはいけないと思って、皆様の前に出したくはない顔をこのように出しています。私は辛い辛いとお話ししますが、皆さんは同じような傷みを経験したことがないので、分からないと思います。

戦争というものは人を殺すだけではありません。生きて残った人間も、一日一日辛くない日のない人生を過ごさせられることになります。ですから戦争は絶対にやってはいけないんです。私のような人間を作らないためには、戦争をなくさなくてはいけないんです。

お金があるからといって、戦争下で私のような犠牲者が生まれないということはありません。たとえお金がある国だったとしても、ひとたび戦争が起きれば、私のような犠牲者は必ず生まれます。

一言でいって、戦争をなくすためには、過去を清算しなければならないと信じています。日常時を考えてみてください。誰かが罪を犯した場合、その罪を犯した人が反省しなければ、罪はなくなりません。口を閉ざし耳を閉ざして、自分が犯した罪に対して知らんぷりをしていたのでは、罪は決してなくならないんです。ところが何の解答もないまま、私たちは65年も放置されてしまいました。これは本当にとんでもないことです。

皆さん、この問題を解決するためにご尽力下さっていることは分かっていますが、もうちょっとだけ力を貸してください。罪を早く明らかにして、私たちの世代でこのようなことがなくなるように、次の世代に残すようなことがないようにしたいと思います。あまり余生は残っていませんが、少しでも心が安らかに眼を閉じることが出来るように、この問題を一日でも早く解決していただきたいと思います。

皆さん、これは「慰安婦」に起きたこととは思わずに、自分の親、姉妹や、知人に起きたことと想像して、気持ちを変えてみてください。そのように周囲の人に伝えていただけたら、本当にありがたいと思います。」 (2010.5)