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2012/06/03

古屋圭司「ホワイトハウスから見解が示されます」



自民党の古屋圭司も、先月アメリカに慰安婦の碑のことで抗議に行った国会議員の一人。

これは彼のブログからの転載だが、日本政府が「慰安婦の強制連行」という伝説(国際常識)を払拭できずにいる中で、彼はホワイトハウスからどのような見解が示されることを期待しているのであろうか?ちゃんと、先を読みながら、結果を計算して行動してくれているのであればいいのだが・・・。

古屋の言っている署名サイトについては、ココ、彼と共に抗議に出向いた津田一郎議員についてはココで取り上げた


5月6日に有志議員4名でニュージャージーのパリセイズ・パーク市の公共図書館敷地に建てられた『慰安婦の碑』の撤去を求め、市長、図書館長、議長、副議長らと意見交換をしてまいりました。

議論は、互いの主張を譲らず平行線のまま終わりましたが、この度、在米日本人有志の方々により、本件に関するホワイトハウスへの請願サイトが立ち上げられた旨、おしらせいただきました。

6月9日までに、25,000以上の署名が集まると、ホワイトハウスより見解が示されます。是非、多くの方に呼びかけをお願いしたく、以下のとおり署名方法などご案内いたします。

何卒ご協力賜わりますよう宜しくお願い申し上げます。

2012/06/01

江田五月と慰安婦 (2010年)



江田は従軍慰安婦という言葉を使っている。左端が挺対協のユン・ミヒャン。続いて民主党の岡崎トミ子、江田の右が韓国の朴宣映(パク・ソニョン)。

パクはこの翌日横路孝弘(民主)を表敬訪問している。中央の慰安婦は、吉元玉(キル・ウォノク)。彼女たちは参議院院内集会に合わせて来日した。


11時半から30分ほど、仁比聡平さんが治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の皆さんと来られ、要請を受けて意見交換をしました。昼食後、13時から30分ほど、朝倉・玖珠町長と藤本議長さんらと来られ、地元要請を受けて懇談。13時45分から30分ほど、岡崎トミ子さんが韓国国会議員の朴宣映さんと従軍慰安婦の当事者と支援の皆さんと共に来られ、要請を受けて意見交換をしました。



14日(金)、韓国の自由先進党所属の国会議員・朴宣映(パク・ソニョン)議員の表敬を受けました。朴宣映(パク・ソニョン)議員は2008年に初当選、2010年に「日本軍『慰安婦』問題解決議員の会」共同代表をやっている方で、今回は一日も早く日本軍「慰安婦」被害者に名誉回復措置をとるように日本政府に求める活動の一環として来日しました。

今年は日韓併合100年を迎える重要な年であり、真の未来志向の友好関係を築くためにも、戦後処理の諸問題を解決しなければなりません。そのためにも両国の議員間で率直な意見を出し合い、両政府に働きかけていくことが大事です。
なお、会談には戦後補償問題に熱心に取り組んでおられる石毛えい子衆議院議員(民主党)も同席しました。

2012/05/13

自民党議員NYに乗り込み慰安婦の碑に反論するも・・・



津田一郎は、新潟出身、元麻生太郎の秘書で、2007年に参議院議員として初当選。アメリカ留学の経験もある。この度、ニュージャージー州パリセイズパーク市に立てられた「慰安婦の碑」に対する抗議の為に現地に飛び、市長と面談した。その時の事を彼はブログで公表しているので、ちょっと見ていこう。

我々は「戦争当時に『慰安婦』の名前で民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない!20万人が帝国政府軍に拉致されたというのは全く事実と反する!」と強く抗議しました。

気持ちは分からないでもないが、実のところそういう問題ではないし、そういう議論では国際社会は説得できない。そして何より、詰めも脇も甘い。

まず、そういう問題ではないというのは、慰安婦の数や日本軍により拉致されたか否かより、もっと本質的な問題として、パリセイズパーク市のこの慰安婦の碑が民族的偏見やヘイト(hate 憎悪)を煽ることを目的としたプロパガンダの一貫として建立されたという事実である(実際に建立運動に携わっている個々人の動機は関係ない)。ヘイト・スピーチやヘイト・クライム(犯罪)は、多民族国家であるアメリカでは許されないこととされている。韓国やアメリカの研究者の中にも韓国の政治団体が主導するこの「日本軍性奴隷制」キャンペーンをジャパンバッシングとして批判的に見ている人はいる。そういった人々の意見を英語に訳してパリセイズパーク市側に読ませればいいのである。実際に英語の本も出ているのに、なぜそれを活用しないのか?最低限、この問題が日本と韓国という二つの国の間の非常にデリケートな政治問題であるという事を理解させれば、第三者としてのアメリカ社会は慎重にならざるを得ないのである。


慰安婦の碑と津田一郎参議院議員
留学経験のある津田は米国流を承知のはずだが・・・


慰安婦の強制連行(徴用)論争が強制連行派の敗北に終わってしまった日本だから、日本側が歴史的事実に拘るのは仕方ないのかもしれない。

しかしである。事実を訴えて日本側がこれまで一度でも成功したことはあったのか?司法の場でも学会でもない場所での争いでは、しばしば情が通れば理屈は引っ込むのである。最大の敗北は2007年のアメリカの慰安婦決議であったが、この時も日本の政治家や有志によりアメリカの新聞紙上に掲載されたThe Facts(事実)というタイトルの意見広告が裏目に出た。これにより日本を擁護していた議員たちも、日本をフォローしきれなくなり、結果的に決議案採択の引き金を引いてしまった。その時のことを元オランダ大使東郷和彦は悔いをもって書き記している

塚田らは、失敗から何も学んでいないようである。日本の保守派は、情に客観的事実で対抗しようとしても勝てないというのが理解できない(今回も、産経の取材に対し副市長は「まずは韓国で被害者に面会すべきだ」と反論?したという)。だから何度でも突進しては同じ失敗を繰り返す。


2007年、東郷元オランダ大使は
空気の読めない日本の保守層に足を引っ張られた


産経新聞によれば、パリセイズパーク市の市長は面会のあと地元メディアに「彼ら(日本の議員たち)は歴史を変える使命を帯びているのかもしれない」と述べたらしい。誤解を解くどころか、「歴史を歪曲する日本」というイメージをより強固なものにしてしまったようだ。2007年の時と同じく、状況を悪化させただけで終わったのである。韓国側はさぞかし喜んだだろう。

日本の憂国議員たちのバンザイ・アタックは常に反日勢力のいいカモになっている

一方で、同じく市長と面会した韓国の国会議員は韓国のメディアにこう語っている。「政府よりも民間の人権運動として対応するのが効率的だという意見もある」。成果を得る為にはどうアプローチしたらいいか、彼らはよく究している。

事実といえば日本側の論者の脇の甘さは相変わらずで、「民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない」。本当にこの通り発言したとすれば大嘘である。彼女たちは軍の要望があって慰安婦として働いていたのである。こういう詰めの甘さがどういう結果をもたらすかは、安倍晋三首相の失敗を見れば明らかだろう。安倍が迂闊な言葉を口にした為に揚げ足を取られたのは、津田が初当選した2007年ではなかったのか?

慰安婦決議は安倍総理のお陰と言った121連合のアナベル・パク
日本の政治家の失言は常に敵を利して来た


ただ、塚田らの訪米が全てマイナスだったと判断するのはまだ早いのかもしれない。


「慰安婦の碑」に強く抗議

北米時間、7日あさ5時過ぎ、ニューヨークのホテルでこのブログを書いています。

初日の6日、ワシントンDC到着直後、国内線に乗り換え「特別ミッション」のために山谷議員、古屋議員とともにニューヨーク経由でニュージャージー州に向かいました。

韓国ソウルの大使館前に「慰安婦の碑」が建てられたことは知られていますが、実は米国のニュージャージー州のパリゼイズ・パーク市の公立図書館前にも同様の碑が建設され「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」と記されています。

この事実と全く異なる内容について抗議するため現地に向かいました。

マンハッタンから車で約30分、パリセイズ市に入ると町中の店の看板にハングル文字が書かれています。同市は住民の3分の1が韓国系で全米で最も多い地域の一つです。

韓国系の影響は経済のみならず政治、マスコミにも及んでいます。

はじめに訪れた図書館前では、韓国系のテレビカメラが待ちかまえていました。問題の碑(写真下)を確認してから市役所まで徒歩で向かいました。

市役所前でも韓国系メディアが大挙してテレビカメラを回しています。日系は産経新聞だけです。

会談は当方が古屋議員、山谷議員、現地で合流した竹本議員と私、先方がロトンド市長、キム副市長、リー市議会議長、ロレンソ管理官、クマール図書館長他のメンバーで行われました。

当初から市長の両脇を韓国系副市長と議長が固め「無言の圧力」をかけている様子が分かりました。

我々は「戦争当時に『慰安婦』の名前で民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない!20万人が帝国政府軍に拉致されたというのは全く事実と反する!」と強く抗議しました

同市は3名の専門家や慰安婦から直接確認したことに基づき碑を建設したと説明するだけで事実を歪曲したことを認めようとしません。

2時間近く議論しましたが平行線のまま時間切れとなり、再度、双方が資料などを提出して確認することで会談を終えました。

今回の現地視察で韓国系アメリカ人が国への帰属意識を高めるために反日プロパガンダを政治的に利用していることが理解できました。

夜はニューヨークの大使公邸で現地の日本人学校の関係者の皆さん懇談しました。

私から廣木大使(ニューヨーク総領事)に「今後も米国内で韓国系住民により同様の動きが出る可能性が高いため外務省は十分に注視するべきである。」と伝えました。

帰国後、国会においても同様の問題提起を行います。

今朝8時のアム・トラックでワシントンDCへ戻ります。


産経新聞は日本側は市側と対照的に客観的な資料を提示したと書いているが、問われるべきは結果であって、自己満足など一文にもならない。しかし、この問題を取り上げてくれる産経新聞には感謝している。長くなるので、産経の記事については次回に譲る。

2011/08/04

元慰安婦、日本の議員と共に外務省訪問 (2007年)



《慰安婦》解決促進法案の審議を要求する緊急集会、参議院議員会館で

米下院の与野党議員らは1月31日、日本による第二次大戦中の《慰安婦》問題に関して、日本政府が責任を認めて首相が公式に謝罪するよう要求する「従軍慰安婦決議案」を提出した。今月15日には米議会で行われた公聴会に、初めて日本軍「慰安婦」3人が証人として招かれ発言した。

そのうちの一人である李容洙さん(78)は21日、東京の参議院議員会館で行われた「米下院で証言した被害者とともに『戦時 性的強制被害者問題解決促進法案』(以下『促進法案』)の審議を要求する緊急集会」に参加して、米下院で行なった証言について報告した。李容洙さんは1944年、15歳で日本軍によって連行されて「慰安婦」生活を強要された。1992年に「慰安婦」被害者だという事実を南朝鮮政府に届け出た。その後、日本を含む各国で証言活動を続けている。

集会には李容洙さんのほか、郡和子(衆)、岡崎トミ子(参)、円より子(参)、千葉景子(参)、江田五月(参)、那谷屋正義(参、以上民主党)、福島瑞穂(参、社会民主党)、吉川春子(参、日本共産党)など国会議員、「『慰安婦』問題の立法解決を求める会」の土屋公献会長など日本の市民団体メンバーが参加した。

集会では最初に李容洙さんが、米下院での証言について報告を行なった。<中略>これに続いて国会議員らが発言した。

円議員は、「(被害者証言は)日本国会ですべきことなのに、アメリカで先に実現したのを恥ずかしく思う。
日本がアジアで尊敬される国になるためには、戦争加害責任を明確に負って周辺諸国との友好を促進せねばならない。」と述べた。

那谷屋議員は、「自国の問題なのに自ら解決できずに米国に頼っている。謝罪というものは相手を人として見て腹中から真剣に相対することで成立する。今、そうなっていないことを残念に思う。」と述べた。

岡崎議員は、「現在、促進法案が(審議されないで)放置された状態にある。法案をきちんと通して、被害者の方々の名誉を回復してゆきたい。そのために通常国会で審議されるように努力する。」と述べた。

吉川、千葉、福島議員も、米下院に提出された決議案の通過を阻止するために日本政府が工作活動を行なっていることを批判した。

この日、「『慰安婦』問題の立法解決を求める会」のメンバーらは、同団体で集めた「『促進法案』の早期成立を求める請願」署名を国会議員らに提出した。

李容洙さんは集会での報告後、日本の外務省を訪れて浅野勝人副大臣と約20分間面談した。同行した戦後補償ネットワークの有光健さんによれば、浅野副大臣は「日本政府のこの問題に対する立場には何らの変更もない」として、1993年の「河野洋平官房長官談話」の立場を踏襲しているとの姿勢を強調したという。

李容洙さんは、「日本は『慰安婦』問題を解決すべき時期に来ている。徹底的に調査して、若い人々に事実を知らせてほしい。元『慰安婦』は高齢であり、早く解決してほしい。」と要求した。

同席した岡崎議員・円議員は、促進法案の主旨を説明した。これに対して浅野副大臣は、「法案の主旨はよく理解している。立法府で十分に論議してほしい。立法府の決定に従う。」と答えた。

李容洙さんは面談後、副大臣が敬意を表しながら被害者に接して対話に応じてくれたことに対し、肯定的に評価した。<後略>

▽ソース:朝鮮新報(朝鮮語版)(2007/02/26 15:36)
http://www.korea-np.co.jp/news/ViewArticle.aspx?ArticleID=25536

2ch 犇@犇φ訳

2011/01/21

日本の議員がハルモニを訪う【2010】



2010年12月8日。日本の国会では岡崎トミ子(民主)ばかりが叩かれているが・・・。


水曜デモが終わった後、ハルモニたちと一緒に凍える体を温かい食事で暖めました。食事が終わるとすぐ鐘路にある事務所には移動せず、忙しなく西大門にある「ウリチプ」へ向かいました。「ウリチプ」には日本から国会議員の方々が訪問することになっていたからです。しかし、私たちより先に到着して玄関の門の外で待っているところに遭遇しました。門を開けて中に入り、ユン・ミヒャン代表が居間へと案内し、その居間を装飾している飾りの数々は、ハルモニたちが園芸治療プログラムと美術治療教室で作った作品を展示したものだと説明しました。

歓迎の挨拶と一緒に「ウリチプ」に一緒に住む4名のハルモニたちも紹介し、韓国の生存者たちの状況についても説明しました。日本の国会議員たちもハルモニたちに挨拶をし、ハルモニたちにまだ解決を届けられない事に対して申し訳ないという言葉もくださいました。キム・ボクトンハルモニは日本政府が当然しなければならない謝罪と賠償をしてほしいと要求しながら、この年老いた被害者を毎週水曜日に道に立たせることは日本政府と国会議員が恥ずべき事であると指摘し、今日のように寒い日にも私たちは水曜デモをしてきたと、これ以上生存者が死ぬ前に、一日も早く問題解決を見ることができるように努力してほしいと要請しました。キル・ウォノクハルモニは「被害者たちがみんな死んだからといってこの問題が解決するわけではなく、私たちが死んで一人もいなくなったとて、日本政府がこの問題をきれいさっぱり解決しなければ真の解決とは言えない。私たちが死んでも若い世代が続いてくれるから、時間稼ぎをせずに早く解決しろと日本政府に伝えてください」と要求しました。水曜デモが終わってから頭が痛いとおっしゃっていたイ・スンドクハルモニがちょうど病院から戻られました。ハルモニは頭を下げて挨拶をし、2階のハルモニの部屋へ戻ってしまいました。ハルモニのこの簡単な行動だけでも、私たちに日本軍「慰安婦」問題解決の緊急性を実感させてくれました。

日本の国会議員は日本に戻れば一生懸命「慰安婦」問題解決の為に努力すると言ってくれました。ハルモニはこれまで「ウリチプ」の園芸治療教室で作った石鹸をプレゼントし、キル・ウォノクハルモニが書道教室で作った「女性の人権と書いた私の絵」をプレゼントしました。プレゼントを受け取った方々が喜んでくださる様子は、ハルモニたちにも自負心を与えました。