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2014/12/07

韓国の子供が学校で教わる慰安婦 (読売新聞取材班)

慰安婦問題を学ぶ中学生(蔚山)

読売新聞の取材班は、90年代以前にも韓国の教科書には微妙な表現があったと言う。確かに、若い女性が強制的に戦場に連行されたという記述は微妙である。ただ、これは本当に微妙。ハッキリと慰安婦の名が教科書に登場するのは、韓国より日本の方が早かったと言われる(要確認)。日韓いずれが先だったにせよ、90年代に始まった慰安婦騒動で状況が一変したのは間違いないらしい。

2002年の韓国の教科書にある、女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ一部を慰安婦にしたというのは、本来の意味の「慰安婦の強制連行」である(吉田清治が証言したのもこれ)。2012年からは「広義の強制連行」へのシフトと見られる記述が現れるが、2014年になっても挺身隊の一部を慰安婦にした・・説が韓国の教科書には生き残っているという状況らしい。

2010年から民間会社が教科書を製作する体制になり、歯止めがかからない状況になったであろうことは容易に想像出来る。取材班は「写真やイラストなども加わり・・・記述が一層充実化する傾向にある」と報告している。比較的ドライに記述した教学社の教科書がバッシングに曝されるという事件もあった。言うまでもないが、教育現場における左翼系の影響(黒田勝弘)は日本も同じで、日本の教科書の中には韓国紙のお墨付きを得る物もあったくらい。しかし、国内にはこれにブレーキをかけようという動きもある。しかし、こと慰安婦問題に関する限り韓国ではそういった動きは期待出来そうにない。

※ なお、ブログ主は歴史の光も影も教えるべきだと言う立場で、ホルホル教育には組しない。一応。


韓国では2002年まで、歴史教科書は、中学、高校とも国定教科書の1種類だけ。そこに慰安婦に関連する記述が初めて登場したのは、1968年の高校用だった。「か弱い女性も女性挺身隊という名で強制動員した」と記述された。

当時の韓国では、慰安婦と挺身隊が混同されていたため、慰安婦のことを指すのかどうか判然としない記述だ。

79年には中学の「国史」にも、「はなはだしきは若い女性も産業施設と戦線に強制的に連行した」と記述された。82年改定の中学用では、「韓国の女性も侵略戦争の犠牲にした」、90年改定の中学用では「女性も挺身隊という名で侵略戦争の犠牲となった」との表現に変わるが、まだ間接的な表現にとどまっている。

しかし、90年代初めの朝日の報道などを受けて慰安婦問題が日韓の間で外交問題化したのを境に教科書の表現も具体化していった。

96年改定の高校国史で「女性まで挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」と初めて慰安婦という単語が登場する。97年の中学国史でも「女性も挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」とした。

2002年改定ではより表現が過激になっている。中学が「日本は、多くの女性を強制的に動員して日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦にして非人間的な生活をするようにした」、高校が「若い女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ、その一部は前線に連行して日本軍慰安婦にする蛮行を犯した」となった。

そして国定から、民間の複数の教科書から選択できる検定制度に完全移行した2010年以降は、写真やイラストなども加わり、慰安婦に関する記述が一層充実化する傾向にある。

キョウハク図書『中学歴史(下)』(2012年発行)では、「歴史との対話」という別コーナーで慰安婦問題を1ベージで特集。日本軍慰安婦の宿所の写真や、元慰安婦の強制連行の様子を描いた絵画とともに「ある日、男が良い職場を紹介してやると言って私を連れて行った」などとする「ある日本軍慰安婦のおばあさんの証言」を掲載している。元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が毎週、ソウルの日本大使館前で行っている水曜デモについて写真入りで紹介している。

水曜デモについては、「現在、日本政府は日本軍慰安婦の募集、移送、管理などに日本軍が日本軍が介人したことを認めながらも法的な賠償ではない慰労金レベルで問題を解決しようとした。これに日本軍慰安婦の被害者の中の多数は、慰労金名目でお金を受け取ることを拒否して今も水曜デモを続けている」となっている。

良い本新思考社の『中学校歴史②』(2013年発行)も「性奴隷生活を強要された日本軍慰安婦」を1ページで特集した。「妊娠した朝鮮『日本軍慰安婦』」のキャプションがついた写真や挺対協の水曜デモの模様を日本大使館前に設置された少女像の写真入りで紹介している。

朝日が2014年8月に「虚偽」と認めて取り消した吉田清治氏の以下の証言も、「日本軍慰安婦の真実」として紹介されている。

「6000人ほど直接連行した。村に到着すればまず女性全員を道路に引っ張り出した。逃げ出したら木刀でなぐり、若く健康な女性を選んでトラックに乗せた・・・」

この部分について、教科書本文の記述では「数十万人の女性を軍需工場に動員し、はなはだしくは若い女性を日本軍慰安婦という名目で強制動員して性奴隷生活を強要した」となっている。

ピサン教育『中学校歴史2』は、慰安婦問題をめぐる日本政府の対応について
批判的に記述している。

「日帝は韓国をはじめ中国、台湾、インドネシアなどで数十万人に達する女性を強制的に動員した」とし、「しかし、日本は日本軍慰安婦たちが受けた被害を認めておらず、『自発的に軍について行った』という意味の『従軍慰安婦』という表現を使っている」と事実誤認の内容も含まれている。

さらに「資料の調査を通じて日本軍慰安婦について整理してみよう」として日本軍慰安婦についてまとめたインターネット上の動画映像のアドレスなども記述した。

高校教科書では、慰安婦問題について生徒に考えさせる問題も提示している。
チハク社『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「水曜デモに関連した資料を調べ、このようなデモが続いている理由を書いてみよう」とし、条件として「関連する新聞記事やおばあさんの証言などを活用すること」としている。

歴史的に定かでない数字も独り歩きしている。チョンジエ教育『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「日本軍慰安婦として動員された女性は約20万人と推定されている」と記述している。

読売新聞が調べた中学用13冊と高校用5冊の計18冊のうち、強制連行された慰安婦の数が「20万人」と記述している教科書は3冊。強制連行されたと記述しているのが10冊、性奴隷という表現を使っているのが11冊。少女豫の写真を掲載したのが9冊、慰安婦の写真を掲載したのが6冊だった。

各教科書の主な記述は以下の通り。

DAEKYO『中学校歴史(下)』

本文では「女性達の場合、女子勤労挺身隊という名前で軍需工場に連行され、労働力を搾取された。さらに多くの女性を日本軍が駐屯する地域に送り、強制的に日本軍慰安婦にした」と記述。歴史特集「日帝の侵略戦争で被害を受けた韓国人」では徴用被害者、被爆者とともに慰安婦を取り上げ、元慰安婦の証言を掲載した。

「朴トゥリおばあさんは17歳たった1940年に村を訪れた日本人募集業者の日本工場に入れてあげるという言葉にだまされ台湾に連行され日本軍慰安婦になった。20人余りの韓国人女性だちと共に5年ほど生活した。そこではフジコと呼ばれた。日本語を使えと強要され、食事もまともに与えられずいつも空腹だった。慰安所で右ももがひどく腫れる病気にかかり手術をしなければならなかった。慰安所の主人と管理人にひどくなぐられたことが原囚で耳も遠かった」

ミレエン社『中学校歴史2』

本文では「女子勤労挺身隊などの名前で女性も連行され労働力を搾取され、そのうち一部は日本軍慰安婦として連行された」と記述。これとは別に「日本大使館前の定期水曜デモ、1000回の叫び」とのタイトルで挺対協が実施している水曜デモを特集している。

「日帝は、中日戦争と太平洋戦争を起こし、日本軍が駐屯する地域に軍隊慰安所を設置して、占領地の多くの若い女性を強制連行して日本軍の性奴隷の役割を強要した。日帝時代に日本軍慰安婦として連行された女性は20万人余りと推定されている。日本軍慰安婦としての生は長い間、歴史の陰に埋もれていたが、日本軍慰安婦のおばあさんだちと市民団体は1992年から毎週、日本大使館前で水曜デモを実施し、日本政府の公式謝罪と賠償を要求している。しかし、日本政府は国家として日本軍慰安婦を募集したことはないといい、これまで公式謝罪や賠償を拒否している」

チョッジエ教科書『中学校歴史2』

本文とは別に「女性勤労挺身隊、日本軍慰安婦のおばあさん」とのタイトルで慰安婦を特集。「第2次世界大戦中、日本は韓国女性達を勤労挺身隊といって軍需工場に追い立て、そのうち一部の女性達を日本軍慰安婦(JAPANESE Military Sexual Slavery)として連行した。該当地域の日本軍が降伏を拒否して自爆する際、秘密の流出を防ぐ狙いから共に死ぬことを強要されたりもした。国連人権理事会は2008年、日本の慰安婦動員に対する責任の認定と謝罪、補償を求めたが、日本は日本軍慰安婦が自発的な活動だったと言い、これまで補償を拒否している。これに抗議して1992年1月から現在まで日本大使館前で日本軍慰安婦のおばあさんたちが毎週水曜集会を開いている

ミレエッ社の水曜デモの記述とも共通するのは、日本政府が1995年に国民の募金などで設立したアジア女性基金を通じた「償い金」など1人当たり計500万円の支給事業や首相のおわびの手紙の交付に取り組んできたことに全く触れていないことだ。

チハク社『中学校歴史2』では「日帝の蛮行を糾弾する声」として水曜デモを特集。「1000回目を迎え、韓国だけでなく世界各国の人々から注目されている。こうした努力の結果、1998年、国連人権委員会の小委員会は日本政府に日本軍慰安婦問題の解決に乗り出すよう勧告した。2007年、米国議会では、被害者たちに対する謝罪を求める決議案を採択した」と記述し、韓国の主張が国際世論の支持を得ていると強調している。

2012/07/13

朝日新聞が英字版で重ねる罪



日本語と外国語で記事を書く場合、記事の書き方に違いが出てくるのは理解できる。たとえばお盆の帰省ラッシュについて書こうと思えば、外国人読者にはお盆とは何かから説明しなければならない。したがって、朝日新聞の社説と、同日付の英字版、The Asahi Shinbunの社説の文章が微妙に違うのは不思議なことではない。朝日新聞社が外国人読者の為に親切にも説明を補ったのである。慰安婦とは何か、について。

ところがその内容はというと・・・。

慰安婦とは何か。ザ・アサヒシンブンの解説はこうである。 who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II (第二次大戦中とそれ以前に日本兵たちに性を提供することを強制された人々)

1983年の朝日新聞紙面。写真は吉田清治
朝日の「強制連行」キャンペーンが騒動の始まり

・・・朝日新聞は、ま~だ(隠れて)こんなことをやっていたのである。本気でこう思っているなら、本紙の方でも堂々とやるべきである。「誰が」強制したかという主語を誤魔化すのは運動家たちの常套手段である。こうしたレトリックがどれほど混乱をもたらしたか、朝日新聞は誰よりも知っているはずだ。

Japan Probeのコメント←でも指摘されていたように、外国人は慰安婦問題について偏った知識しか持っていない。そこで朝日新聞がすべきことは、外国人読者のために慰安婦問題の背景を丁寧に説明することであるはずだ。しかるに、朝日新聞がやっているのはその真逆。もともと、朝日新聞は90年代に慰安婦騒動を引き起こした張本人だった。さりげなく路線転換した後も謝罪はおろか訂正もしない朝日新聞に対しては今も批判が絶えない

訂正する勇気がないなら、せめてこれ以上罪を重ねないことだ。日本人読者の目が届かない所でこういうことをする。慰安婦騒動の国際化は、本来なら韓国メディアの政治宣伝を中和すべき日本の英字メディアの一部が、あろうことかプロパガンダに力を貸していることも原因の一つである。もっとも悪質なのは共同通信の英字版だが、過去を精算しないまま罪を重ねる朝日新聞はより罪深い。

韓国の英字報道には
ハングル版でも見られないハッタリが少なくない。
国際社会に向けた政治宣伝色が濃い

6月29日の朝日新聞とThe Asahi Shinbunの社説の比較 ↓ 慰安婦に関する説明が、(逆の意味で)より詳しくなっている。

元従軍慰安婦をテーマにした写真展を、ニコンが一方的に中止すると決めた問題で、東京地裁は「ニコンは契約に基づき、会場を貸さなければならない」という仮処分決定を出した。同社は異議を申し立てたが、写真展は予定どおり始まった。(朝日新聞)
第二次世界大戦前から大戦中にかけて日本兵に性を提供することを強制された「慰安婦」をテーマにした写真展をニコンがキャンセルした問題で、東京地裁はニコンに対し、写真家との契約に従い会場を提供するよう命じた。ニコンは異議申立てを行ったが、写真展は予定通り6月26日に始まった。(The Asahi Shinbun 訳:狭間)

そして、肝心の社説の内容だが、書いてあるのは多様な意見を認めようといった奇麗事ばかり。なぜ一部の日本人が反発しているのか、根深い対立の背景については解説しない(きっかけを作ったのが朝日自身だからだろうが)。さんざん騒動を煽った後の、ええ格好しいである。

The Asahi Shinbunのもう一つの問題は、日本の「ネット右翼」の生態を宣伝することで、韓国メディアによる、日本の右翼勢力(含む日本政府)によって日韓の和解が妨げられている--風の政治宣伝に説得力を与えていることだろう(韓国メディアは自国のナショナリズムに対してはダブルスタンダードを使い分けている)。




EDITORIAL: Freedom of expression must be protected

On the question of Nikon Corp.’s decision to cancel a photo exhibition featuring “comfort women” who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II, the Tokyo District Court issued an injunction requiring the company to provide the venue in line with the contract with a photographer.(第二次大戦前から大戦中にかけて日本兵に性を提供することを強制された「慰安婦」をテーマにした写真展をニコンがキャンセルした問題で、東京地裁はニコンに対し、写真家との契約に従い会場を提供するよう命じた)Although Nikon filed an appeal, the photo exhibition opened on June 26 as scheduled. 

We find Nikon’s actions all the more regrettable because the company has a strong social impact. Could it be that Nikon lost its cool in the face of loud protests against the event and missed something important?

During court proceedings, Nikon argued that it could not provide the venue, whose purpose is to advance photographic culture, for an event that has political implications. In response, the court stated that depending on themes, photographic culture may not be completely free from politics. The court concluded that the exhibition in question does not run counter to the “purpose” advocated by Nikon.

The ruling showed the court’s clear-cut stance to protect freedom of expression.

Comments blasting the comfort women exhibition as “treason” swirled around the Internet after the announcement of the planned event. Nikon has received complaints, as well. The development apparently led to its decision to call off the show despite its earlier approval.

It is understandable that a business wants to avert trouble. But abruptly depriving a photographer of a venue to exhibit his works is too rash.

Nikon lenses have captured various controversies around the world, including war and pollution, and recorded many images of joy and grief. The company has also been highly commended for making social contributions, including its program to support photographers. It is a pity that its reputation has been damaged by an issue concerning none other than freedom of expression.

If threats are expected, the company should seek police cooperation to ensure safety. Still, in light of objective facts, if a serious situation is likely, only then should the company consider cancelling the show. Nikon should have taken appropriate measures based on past court rulings over similar cases.

Thanks to the security of freedom of expression and speech, including the exhibition of photos, people can freely exchange ideas, gain support and have an opportunity to realize their own mistakes. It is upon such ground that democracy is built.

However, attacks against people with different ideas have become increasingly common, including those on the Internet.

We also recognize the emerging trend among people to think it is safer not to put up resistance but to swim with the tide. Which way is such an oppressive society headed? We need to remember the lessons of history.

An intolerant society is fragile and weak. What should each of us do to prevent Japan from becoming such a country? We must always think and use our wisdom.


慰安婦写真展―表現できる社会を守る

社会的影響力のある企業だけに残念でならない。大きな声にあわてて、大切なものを見失ってしまったのか。

元従軍慰安婦をテーマにした写真展を、ニコンが一方的に中止すると決めた問題で、東京地裁は「ニコンは契約に基づき、会場を貸さなければならない」という仮処分決定を出した。同社は異議を申し立てたが、写真展は予定どおり始まった。

裁判でニコン側は「写真文化の向上を目的とする会場を、政治性のある催しに貸せない」と主張した。これに対し地裁は、扱うテーマによっては一定の政治性を帯びるのが写真文化だと述べ、今回の企画はニコンが唱える「目的」に反するものとはいえないと結論づけた。

表現活動を理解し、その自由を守る姿勢をはっきり示した判断といえる。

今回の写真展をめぐっては、ネット上に「売国行為」といった批判が飛びかい、ニコンにも抗議が寄せられたという。こうした動きが中止の判断につながったのは想像に難くない。

もめごとを避けたい気持ちはわかる。だが、いきなり公表の場を奪うのは乱暴にすぎる。

ニコンのレンズは戦争や公害など世界の矛盾を切り取り、多くの喜びと悲しみを記録してきた。写真家への支援などの社会貢献でも高い評価を得ている。そんなイメージを、ほかでもない表現の自由をめぐる問題で傷つけてしまうとは。

混乱が心配されるのなら、警察に協力を求めて万全を期す。それでも、客観的な事実に照らして、重大な事態が具体的に予測されるときに初めて中止などを検討する――。今回と似たようなケースをめぐって裁判所が重ねてきた判断を踏まえ、適切な対応をとるべきだった。

写真の発表をふくむ表現・言論の自由が保障されているからこそ、人々は考えを互いに交換し、賛同者を増やしたり、逆に自分の誤りに気づくきっかけを得たりする。その土壌のうえに民主主義は成立する。

ところが最近は、ネット空間の言論をはじめとして、異なる考えを認めず、過激な批判を浴びせ、萎縮させる動きがさかんだ。抗せず、なびいた方が無難という風潮も見え隠れする。そうして息苦しくなった世の中はどこへゆくのか。歴史の教訓に思いをいたすべきだ。

ひと色に塗りこめられた社会は、もろく弱い。この国をそうさせないために、一人ひとりがそれぞれの現場で何をなすべきか。常に考え、知恵を働かさねばならない。

朝日新聞 2012.6.29

2012/06/30

[メモ] 琉球朝日放送と慰安婦展



シリーズでお伝えしている「語り継ぐ沖縄戦」。きょうはその性質上、これまであまり語られてこなかった問題を取り上げます。

第32軍司令部壕の説明板の記述をめぐり、ことし再び注目を集めることになった「従軍慰安婦」。多くの資料や証言で明らかになるその被害の実態とは。
那覇市首里の第32軍司令部壕。ことし3月、県が設置した説明板が注目を集めました。

沖縄戦の研究者らで構成する説明板設置のための検討委員会が作成した文案から、県が「慰安婦」などの記述を削除したのです。
知事「県の一種の公文書みたいなものですから、内容によって事実であるかどうかというのは、県は県で判断して書くというのは当然ではありませんか」
新城委員「(検証が)足りなければ、さらに資料を持ってきたり研究者を加えたり、色んな工夫ができるわけです。そういったことを一切排除して、これで決定しましたということが納得いかない」
記述の削除について「(第32軍壕に関しては)確証が持てないため」とする県。再検証を求める検討委員会や市民団体。議論は平行線のまま、今も決着はついていません。

企画展実行委・高里鈴代さん「実はこの130余りの慰安所が沖縄本島全域にできてくるわけです」
高里鈴代さん。仲間と共に、市町村史や日本軍の資料などから、沖縄戦で日本軍の慰安作業を強いられた女性たちがいたことを明らかにする企画展をつくりあげました。
性行為を介する問題であることから、元慰安婦や加害者として関わった兵士たちが、公に声をあげる例は数えるほどしかありません。

高里さん「段々と問題が曖昧になってくると、好きでやってたんでしょうとか、慰安婦にされた女性のほうに視点がいくんだけれども、そもそもなぜこれが存在するのかということが限りなく軍の行為なんですよ」

企画展では、慰安婦制度の目的が兵士の地元女性への強姦を抑制するという「強姦対策」、戦力を維持するための「性病予防」や「ストレス発散」などにあったと指摘。慰安婦にするため、日本軍によって、植民地だった朝鮮や中国などから連れてこられた女性たちがいたこと。県内でも辻遊郭の女性などが、ターゲットにされたことを紹介しています。
1日に数十人もの兵士の相手を強いられたという性奴隷そのものの暮らし。暴力や性病などにも苦しみました。

日本軍の資料には「軍人倶楽部」と称された慰安所の設計図が。
アメリカ軍が作成した第32軍壕の見取り図には「女性たちの部屋」があったことが記されています。

(鉄血勤皇隊として壕にいた)大田昌秀さん「その時は慰安婦ということはわからなかった。ただ女性たちがいることは見ていて、なぜ戦場に女性がいるのかということを(仲間と)話し合ってた」
展示された資料や証言は「慰安婦」制度が軍によって組織的に行われたものであること。そして第32軍壕をはじめ、県内各地に多くの慰安婦がいたことを浮きぼりにするのです。
来場者の中には留学生の姿も。
ミャンマー人留学生「こんなことがあってはならない。戦争によって起きたことです」
中国人留学生「この沖縄で、日本で戦争で被害にあった日本の女性だけではなく、朝鮮や中国の女性の被害も経験もみんなに教えることはこの戦争の一種の証拠になりますよね」
会場には、慰安婦であったことを初めて明らかにしたペ・ポンギさんの遺品も。

(親戚の家が慰安所にされた)吉川さん「韓国から来て、非常に色が白くてすっきりしたお姉さん達を見て、子ども心にもきれいなお姉さんたちだなとそういう印象が強かったですね。当時は、これは差別の激しいものですからね。性の奴隷というのかな。(兵士は)あんまり罪悪感もなかったんじゃないですかね」
戦後のアメリカ兵による性暴力犯罪に関するコーナーも。

企画展実行委・浦崎成子さん「敵国の女性に対しては、何をしてもいいという考えを持ってるということ。それは日本軍であれ米軍であれ同じように、軍隊が女性に向かっていく性暴力は同じだということ」
そして、軍だけではなく、私たちにも加害者だった一面があると指摘します。
高里さん「実は強姦防止のためには必要だという眼差しで見ていたり、蔑みの眼で見ていたりというものが、実はある意味、戦争を構成していく、進めていくものの大きな要素となっているのではと思います」
来場者「なかなか広く共有されてこなかったという点でも、戦争の捉え方とか、考えることがあるのかな」「戦争の罪というのでしょうか。そういうことを私たちは見守り続けていかないといけないというふうに思います」

読谷村にある慰霊碑。朝鮮人慰安婦らの思いを刻んだ碑は、私たちに問いかけます。
「この島はなぜ寡黙になってしまったのか なぜ語ろうとしないのか 女たちの悲しみを」
慰安婦問題を通して気づかされる私たち自身の差別意識や加害者性。忘れてはならない沖縄戦の一面です。
慰安婦に関する書籍などを買う人の中には、かつて兵士として関わった人が少なくないといいます。反省の念からなのか、思い出話としてなのか。その理由は人それぞれです。
実行委員会のメンバーは、今も当時の記憶に苦しむ元慰安婦の方がいたら「あなたは戦争の被害者だったんです」と伝えたい、と話していました。

企画展は27日までです。

琉球朝日放送 ステーションQ 2012.6.21

2012/06/01

江田五月と慰安婦 (2010年)



江田は従軍慰安婦という言葉を使っている。左端が挺対協のユン・ミヒャン。続いて民主党の岡崎トミ子、江田の右が韓国の朴宣映(パク・ソニョン)。

パクはこの翌日横路孝弘(民主)を表敬訪問している。中央の慰安婦は、吉元玉(キル・ウォノク)。彼女たちは参議院院内集会に合わせて来日した。


11時半から30分ほど、仁比聡平さんが治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の皆さんと来られ、要請を受けて意見交換をしました。昼食後、13時から30分ほど、朝倉・玖珠町長と藤本議長さんらと来られ、地元要請を受けて懇談。13時45分から30分ほど、岡崎トミ子さんが韓国国会議員の朴宣映さんと従軍慰安婦の当事者と支援の皆さんと共に来られ、要請を受けて意見交換をしました。



14日(金)、韓国の自由先進党所属の国会議員・朴宣映(パク・ソニョン)議員の表敬を受けました。朴宣映(パク・ソニョン)議員は2008年に初当選、2010年に「日本軍『慰安婦』問題解決議員の会」共同代表をやっている方で、今回は一日も早く日本軍「慰安婦」被害者に名誉回復措置をとるように日本政府に求める活動の一環として来日しました。

今年は日韓併合100年を迎える重要な年であり、真の未来志向の友好関係を築くためにも、戦後処理の諸問題を解決しなければなりません。そのためにも両国の議員間で率直な意見を出し合い、両政府に働きかけていくことが大事です。
なお、会談には戦後補償問題に熱心に取り組んでおられる石毛えい子衆議院議員(民主党)も同席しました。

2012/03/01

「日本は永遠に問題解決の機会を逃す」 イ・ミョンバク大統領



昨年からの一連の流れの上での大統領の発言であるのだが、任期切れを前にした韓国の大統領とはここまで追い詰められるものなのか。

「日本は問題解決の機会を永遠に逃す」とイ・ミョンバク韓国大統領。一年半ほど前になるが、フィリピンのアキノ大統領がこのように言っていたことを彼は知っているのだろうか?曰く、「日比賠償協定と賠償金が、全ての(戦争被害の)賠償について面倒を見るべきものであった点は理解している。したがって、1950年代中に(慰安婦に対して)充分な対処が出来なかった責任がフ ィリピン政府にあるとすれば、それを正すことが我々(フィリピン政府)の役目だと思う」。

元従軍慰安婦問題 日本に李明博大統領 早期解決と謝罪要求

【ソウル=加藤達也】韓国の李(イ)明(ミョン)博(バク)大統領は1日、日本統治下の朝鮮半島で起きた反日抗議運動「3・1独立運動」を記念する式典で演説し、元慰安婦への賠償請求権問題について「すぐに解決しなければならない人道的問題だ」と述べ、日本政府に早期解決に向けた努力を促した。

李大統領が、8月15日(光復節)と並んで日本統治からの解放を祝う3・1独立運動の記念演説で、この問題に言及したのは初めて。元慰安婦の高齢化に触れて「このまま世を去ったら日本は問題解決の機会を永遠に逃す」と主張した。

一方、韓国大統領府は1日、大統領が元慰安婦に手紙を送ったことを明らかにし、内容を公表した。大統領は「日本政府が皆さん(元慰安婦)に謝罪することが、他のどの日韓間の外交懸案よりも急がれるべきだ」と記し、韓国政府として日本に謝罪を要求していく姿勢を強調した。李大統領が慰安婦問題で日本に謝罪を求める考えを示したのも就任以来初めて。

就任以来、慰安婦問題に言及しなかった李大統領だが、政権末期に入り所得格差拡大や政府高官の相次ぐ不正発覚などにより、政権の求心力低下は著しい。今回の言及は、世論の支持をつなぎ止めようとしたもので、今後も日本への謝罪要求を続けるとみられる。

しかし、日本側は「解決済み」と応じない姿勢を取っており、韓国側が世論対策から慰安婦問題に踏み込むことは、任期内の日韓関係修復を断念したことを意味する

産経 2012.3. 

産経と共同は、イ・ミョンバク大統領が日韓関係を諦めたという認識で一致。

韓国大統領、慰安婦で謝罪要求 就任以来初

【ソウル共同】韓国の李明博大統領は1日、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性らに手紙を送り、日本が女性らへ謝罪することが「韓日間の他の懸案よりも至急の問題だ」と述べ、両国間の最優先課題だとの認識を示した。韓国大統領府が明らかにした。同問題で大統領が日本に謝罪を求める考えを示したのは、2008年の就任以来初めて。

李大統領は昨年12月の野田佳彦首相との首脳会談で慰安婦問題の「優先的な解決」や「誠意ある措置」を求めていた。こうした要求は世論の支持をつなぎ留める目的が強く、来年2月に政権の任期が切れるまで続ける可能性が高い。任期内の日韓関係の修復は難しくなった

47ニュース(共同) 2012.3.1

従軍慰安婦問題:韓国大統領が演説で初の言及

【ソウル西脇真一】韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は1日、日本の植民地支配に対する「3・1独立運動」93周年の記念式典で演説し旧日本軍の従軍慰安婦問題について「慰安婦問題だけはさまざまな懸案のうちでも至急終わらせなければならない人道的問題だ」と強く訴えた。08年に李大統領が就任後、演説で元慰安婦問題に具体的に言及するのは初めて。

李大統領は演説で「両国が緊密に協力していくためには歴史の真実から目を背けない勇気と知恵が必要だ」と訴えた。

毎日 2012.3.1

韓国大統領、慰安婦問題の解決求める

日韓で懸案となっている従軍慰安婦問題について、韓国のイ・ミョンバク大統領は日本の植民地支配に対する独立運動の記念演説で初めて言及し、日本政府に対し改めて解決を求めました。

「慰安婦問題だけは、いろいろな懸案の中でも早く終えなければならない人道的問題だ」(韓国 イ・ミョンバク大統領)

イ・ミョンバク大統領は、日本の植民地時代に起きた独立運動の記念式典でこう述べて、従軍慰安婦問題の早期解決を改めて迫りました。また、この日にあわせて、元慰安婦の女性らに「この問題が日韓の間で最も緊急な懸案であり、解決のため最善を尽くす」と記した書簡を送ったということです。

日韓関係については、「多様な利益を共有し未来を一緒に開くべきパートナー」とも述べていますが、大統領に就任後、こうした記念演説で慰安婦問題に言及したのは初めてです。

TBS 2012.3.1

それを受けて日本政府は、今後も何かできるか検討したいと・・・。リップサービスだと信じたい。それにしても、産経も毎日もTBSも従軍慰安婦という言葉を使うんだなぁ。

「未来志向で協力を」 官房長官、韓国大統領の慰安婦発言で

韓国の李明博大統領が元「慰安婦」への賠償請求権問題の早期解決を求めたことに関し、藤村修官房長官は1日の記者会見で「日韓関係には時折難しい問題が起こるが、未来志向の考えの下、関係全体に悪影響を及ぼさないよう大局的見地から協力することが必要だ」と述べ、冷静に対応する考えを示した。

藤村氏は、日本が解決済みの賠償請求権とは別に、「アジア女性基金」などを通じて支援に取り組んできたと強調した上で、「今後も何ができるか知恵を絞り、検討を進めるという姿勢だ」と語った。

産経 2012.3.1

慰安婦たちは大統領から手紙とプレゼントをもらったようである。

[...]李大統領は大統領府秘書官等を通じて、この日慰安婦ハルモニたちに激励の手紙と贈り物(蜂蜜と栄養クリーム)を渡した。李大統領は手紙で「3・1節をむかえ特にご高齢の皆様を思い起こし手紙を差し上げます」として「政府は今後も皆さんに深い関心を持って最善を尽くす」と明らかにした。

ハンギョレ 2012.3.1

2012/01/16

インドネシアで慰安婦展




Jan Banningはオランダ生まれの写真家。両親はオランダ領インドネシアの出身らしい。その縁もあってか、インドネシアの慰安婦をテーマにした写真集も出している。西洋人の例に洩れず、慰安婦についての理解は浅い。それは仕方のない事かもしれない。駐日オランダ大使をしてこのレベルなのだから。この度彼は、インドネシアで写真展を開いた(たぶん始めてではないと思った)。展示会場の入り口には「従軍慰安婦」という日本語を用いている ソース


2011/12/24

杉浦ひとみ(元社民党)の主張



「ご挨拶とお断り」に書いたように、このブログでは公的な立場にある人以外のブログにリンクを張ることは控えている。杉浦ひとみは、社民党から参議院選挙に出馬したこともあり(2007年)、元慰安婦の裁判にも弁護士として関わって来た人であるから、ここに紹介する。全文引用については批判もあると思うが、それについても「ご挨拶とお断り」に自分の考えを表明している。

NHKが「いわゆる従軍慰安婦」と言っているのは、この問題が社会問題化した90年代、そういう言われ方をしていたからである。そして、「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった」と発言した埼玉県の上田知事は進歩的な人々によって吊るし上げられたのである。例えばこの「とだ九条の会」のブログを見ても分かるように。埼玉ではわざわざ韓国から慰安婦ハルモニを招いて、「従軍」の表記を削除させるなと抗議させている(埼玉平和資料館騒動)。

もともと従軍◯◯とは、出征経験のある人々にとっては階級のある軍属を意味し、慰安婦を「従軍慰安婦」と呼ぶことに反発していたのはそうした人々であった。間違っているかもしれないが、従軍とは自ら進んで慰安婦になったという意味だと理屈をこね出したのは、韓国の支援団体である。もちろん彼女たちにとっての慰安婦とは、強制連行された朝鮮人少女を意味する。だから英語では盛んに性奴隷という言葉を使っている。

そしてまたホロコーストである。PTSDを発症するのは地震の被災者もそうだし、登校拒否は子供のPTSDが原因と主張する団体もある。


隙だらけ 好きだらけ日記~永田浩三 という方のブログに「いわゆる?従軍慰安婦って何だ」というテーマの記事がありました。内容は、とてもお考えの深いもので、共感させていただきました。

このテーマは、NHKの報道が「いわゆる」をつけたことでその事実を曖昧にしようとしているのではないか、というニュアンスでの指摘だと理解しました。

ただ、いわゆる慰安婦問題の裁判に関わってきた者からするとこの「いわゆる」は、ことばを事実以下にするための「いわゆる」ではなく本当はそんな半端なもんではない、もっとすごいことだけど、これまで言い習わしてきてそれが人口に膾炙していることから「いわゆる」とした、ものと理解しています。(NHKの真意は分かりませんが)

自らの意思で軍に従ったような、自発的に慰安を兵隊に差し出したような、そんなニュアンスを持って受けとられる可能性のある、あるいはそのような誤解を与えようとするような「従軍慰安婦」ということばは許せないところです。

「従軍慰安婦」は、世界的には「Sex Slave」裁判でも、「戦時性暴力」として扱ってきましたしここでの(中国海南島での被害ですが)被害の程度はアウシュビッツの強制収容所からの帰還者が負ったと同じほどの被害「破局的体験後の持続的人格変化」(PTSDを凌駕する被害です)を負ったと東京高裁が認定したほどです。

ですから、私も「いわゆる」を付けることなく従軍慰安婦という言葉をつかうことは
大きな抵抗があります。

杉浦 ひとみの瞳(ブログ)2011.12.24

2011/12/04

日本大使館前の「慰安婦の碑」 道路使用許可はまだ



毎日新聞は今頃このニュース?・・・しかし、まだ道路使用許可は出ていなかったらしい。

挺対協としては、「少女が(日本)大使館を見つめる」という構図が欲しいわけだ。沖縄の米軍基地の前に強姦された少女の像を建てようというような発想か。そういえば、昔アジア女性戦犯法廷を企画した人々は、わざわざ皇居前の九段会館で昭和天皇を裁くというパフォーマンスを行った(昭和天皇に強姦の罪で有罪を言い渡した)。

※ 西脇記者は、「従軍-慰安婦」という言葉を使っている。


韓国:元従軍慰安婦ら、「平和の碑」計画

【ソウル西脇真一】韓国の元従軍慰安婦や支援団体がソウルの日本大使館前で毎週水曜日に続ける「水曜デモ」が14日に1000回になる。これに合わせ支援団体が大使館前に少女をモチーフにした「平和の碑」の建立を計画。管轄する区庁はまだ設置のための道路使用許可を出していないが、日本政府は日韓関係に悪影響を与えかねないとして韓国政府に憂慮の念を伝えている。

デモは92年1月から始まり、日本政府に公式謝罪や法的賠償を求めている。「平和の碑」はブロンズ製で高さ120センチ。大使館から道を挟んだ歩道に設置予定で、少女が大使館を見つめる形になる

毎日 2011.12.4 東京朝刊

2011/04/12

「従軍」慰安婦のイメージ3分類【藤岡信勝】



慰安婦論争が国内だけのものでなくなった今、「従軍」という言葉にこだわっても、あまり意味はないのだろうが、慰安婦騒動の歴史を整理する意味で、藤岡信勝のこの分析を取り上げておこうと思う。


第一の種類の人々は、年配者で、戦場体験をもっている人々である。この人たちは、<従軍慰安婦>という言葉に接すると、「軍の組織の一員としての兵士の セックスの相手をするような女性」のイメージが頭の中にたちどころに浮かび上がる。すなわち、従軍看護婦とのアナロジーから、従軍慰安婦も軍属としての慰安婦という、実際には存在したことのない奇妙な女性の像が軍隊経験のある年配者の脳裏に形成されるのである。

そこで、この第一の種類の人々は、直ちに「従軍慰安婦などいなかった」と言う。...慰安婦問題で騒ぎまくっている人たちも、軍属という身分の慰安婦がいたという主張をしているわけではないのだから、その限りでは両者の間に事実認識の違いはないのである。

第二の種類の人々は、世代的に軍隊経験のない人々である。この人々は、<従軍慰安婦>という言葉に接しても、第一の種類の人々が思い浮かべるような女性の イメージが頭に思い浮かぶことはない。...第二の種類の人々にとっては、<従軍慰安婦>という言葉(記号)は、「戦地の日本軍の慰安所にいた女性」を指示対象として示すという以上の働きを持ってはいない。...間違った言葉であるということをあまり気にしないのである。

第三の種類の人々は、戦地で日本軍の将兵を相手に性的サービスをした女性たちは、決して娼婦などではなく、自分の意思に反して戦地に連行され、日夜セックスを強要された性奴隷というべき存在であった、と固く信じ込んでいる人たちである。

この人たちは、そのようなおどろおどろしいイメージを喚起し、そういう「制度」を糾弾する意図を込めて<従軍慰安婦>という言葉を使うのである。女性の奴隷状態という意味がこの言葉の定義に含められてしまっているわけだ。




現在では、第二のタイプに欧米人が含まれる。予備知識がない彼らに「Ianfuはいたが、Jyugun-ianfuはいなかった」と力説して、不審を買うっている人をネットで見かけるが、欧米人相手にこんな説明は理解されない。相手を見て話の仕方を工夫しなければ、誤解を深めるだけである。

なお、韓国では「従軍」は自ら進んで軍に従ったという意味になるという認識が主流。その影響を受け、最近では日本の運動家たちの中にも「従軍」という言葉を使うべきでないと主張する者がいる。村山一兵もその一人だった。

もう少し藤岡の著書から引用を続ける。

ところで、第一の種類の人たちは、<従軍>の語に、むしろ誇りを感じている。...日本軍(皇軍)の正規の一員たることを示す晴れがましいしるしなのである。同じ日本語を使いならが、まるきり正反対のイメージを描いているグループがある。...そこで、元日本兵の型が、「戦地には従軍慰安婦などいなかった」と言うと、第三の種類の人たちは、あの女性たちが陥っていた性的奴隷状態を否定する暴論だ、と反発する。そして「従軍慰安婦はいなかった、などというとんでもないことを言う人がいる」と告発する。

...この人たちは、ある時点から「従軍慰安婦はいなかったという人がいる」という非難が、日本国民の大多数を占める第二の種類の人々...「戦地の女性」を示すだけの用語として受けとっている人々にとって意外な効果をもたらすことに気づいた。

第二の種類の人たちは、<従軍慰安婦はいなかった>と言っている人たちは「戦地の女性」の存在自体を否定していると受け取ったのである。

P.159