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2013/11/18

阿比留記者 インドネシアに「反天皇制」の張り紙 (1996)


賠償要求のために元慰安婦の登録事業を進めていたインドネシアの民間団体の事務所に、日本人支援者らによる「反天皇制」「国連平和維持活動 ノー」といった寄せ書きが飾られていたと阿比留記者は振り返る。

慰安婦問題の発火点、日本人弁護士の画策

慰安婦問題を考えるときに、いつも思い出すのが平成8年10月、取材に訪れたインドネシア・ジャカルタ郊外で見た異様な光景だ。当時、日本政府への賠償要求のために元慰安婦の登録事業を進めていた民間団体の事務所に、日本人支援者らによるこんな寄せ書きが飾られていたのである。

「反天皇制」「国連平和維持活動 ノー」

民間団体は日本軍政時代に軍の雑用係を務めた「兵補」の組織で「元兵補中央協議会」といい、慰安婦問題とは直接関係ない。インドネシア人がこの問題に取り組むのはまだ理解できるとしても、なぜこんなスローガンが出てくるのか-。

疑問は、タスリップ・ラハルジョ会長の話を聞くうちに氷解し、背景が理解できた気がした。彼が、こんな内情を明かしたからだ。

「東京の高木健一弁護士の指示を受けて始めた。『早く進めろ』との催促も受けた」

ラハルジョ氏は、高木氏自筆の手紙も示した。高木氏といえば、社民党の福島瑞穂前党首らとともに韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し、弁護人を務めた人物である。

11年8月には、今度はロシアで高木氏の名前を耳にした。戦後も現地に留め置かれた残留韓国人の帰還事業に関する対日要求について、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長に話を聞いたところ、こんな言葉が飛び出したのだった。

「東京で大きな弁護士事務所を開いている高木弁護士が、『もっと日本から賠償を取れるから要求しなさい』と教えてくれた」

そして、かつて福島氏と同じ弁護士事務所に先輩弁護士として勤務し、高木氏とは大学時代から続く「友人」であるのが民主党の仙谷由人元官房長官だ。

仙谷氏は菅内閣の官房長官に就いて間もない22年7月、突如として日韓両国間の個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決した日韓基本条約(昭和40年)とそれに伴う諸協定についてこう異を唱えだした。

法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか

さらに、日韓併合100年に当たっての菅直人首相(当時)による屋上屋を架す「謝罪談話」や、必要性のない古文書「朝鮮王朝儀軌」引き渡しなどを主導した。これらは結果的に、韓国側の無理筋の対日謝罪・賠償要求や文化財返還要求の正当化に利用された



産経 2013.11.15

2012/11/09

インドネシアで韓国大統領慰安婦問題言及


イ・ミョンバク大統領に対する自分の評価は甘かったと、最近反省している。

慰安婦問題、日本の反省求める インドネシアで韓国大統領 世論形成狙いか

韓国の李明博大統領は8日、インドネシア・バリ島で開かれた国際会議「バリ民主主義フォーラム」で基調演説し「第2次大戦中の(旧日本軍の)従軍慰安婦被害者に対する人権じゅうりんについて、当事国の率直な反省を求める」と述べた。聯合ニュースが報じた。

 名指しはしていないものの、事実上、日本に対して慰安婦問題での対応を迫った形。韓国と同様に元慰安婦の女性がいるインドネシアで同問題に言及することで、日本の対応を求める国際的な世論形成を図る狙いもあるとみられる。

 李大統領は「北東アジアの歴史問題について、人類普遍の価値に立脚し、正しい歴史認識を基に解決策を探らなければならない」と強調した。(共同)

産経 2012.11.8

2012/01/16

インドネシアで慰安婦展




Jan Banningはオランダ生まれの写真家。両親はオランダ領インドネシアの出身らしい。その縁もあってか、インドネシアの慰安婦をテーマにした写真集も出している。西洋人の例に洩れず、慰安婦についての理解は浅い。それは仕方のない事かもしれない。駐日オランダ大使をしてこのレベルなのだから。この度彼は、インドネシアで写真展を開いた(たぶん始めてではないと思った)。展示会場の入り口には「従軍慰安婦」という日本語を用いている ソース


2011/10/28

公文書から見えた中曽根元首相と慰安所の関係



終戦直後、戦争犯罪の露見を恐れて慰安所の資料を破棄した・・・などという話は事実ではないだろう。なぜなら、中曽根元首相を初め、過去、慰安所の存在は当時の関係者の口からごく普通に語られていたからである。誰も慰安所を「強姦所(マクドゥーガル報告書)だとは思っていなかったし、まして戦争犯罪だとも思っていなかった。それは日本人に限らなかった。米軍も慰安所の存在を知っていたが、進駐軍はあっさりと(むしろ積極的に?)日本政府の提案を受けて自ら慰安所の利用者となったのである。

しかし国際感覚豊かな中曽根は時代の変化を鋭く読み取り、慰安婦騒動が始まってからは一転してしらばっくれていたのである。政界風見鶏の異名をとった人物だけのことはある。こんな時に「慰安婦は単なる売春婦」などと言う田舎者(世間知らず)は、国際社会では通用しない。当時はどうあれ、現代では軍隊の買春はご法度なのである。それが理解できず、「慰安婦は金をもらっていた」と言って弁解した気になっている人間は、地方議員ならともかく国会議員にはしてはいけないのである。しかし、残念ながら日本の保守系の議員にはこの手の人が少なくない。彼らは反日勢力のいいカモにされて日本の国益を損なっているが、本人にはそれが分からない。

結論から言うと、かなりの確度で中曽根は軍用娼家(慰安所)の設置に主体的に関わっていたのだろう。これは当時の話と考えると大した問題ではないが、現在の国際道徳ではこれを事実と認めるわけにはいかない。だから彼はトボケ続けるだろう。

なお、赤旗は「土人女を集め慰安所開設」などと副題をつけているが、土人の良き友であった水木しげるの体験記を読めば分かるように、当時は土人という言葉は必ずしも悪い意味で用いられたわけではなかったようだ。


「平和資料館・草の家」の主張はここに詳しい(その1 その2)。彼らが提示している資料によると、バリクパパンでは住民と日本軍の関係は良かったらしい。


中曽根康弘元首相が、戦時中に慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省の公開している文書の中から見つかったと、高知市の平和団体が27日、高知市内で発表しました。

明らかにしたのは、高知県内の戦争遺跡の調査や保存に取り組んでいる民間団体「平和資料館・草の家」の岡村正弘館長や馴田正満研究員(63)ら。

今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。

資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。

中曽根氏は『終りなき海軍』の本で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と書くなど慰安所建設は認めていました。しかし、外国特派員協会の記者会見でも「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」と、いわゆる「慰安婦」を置く慰安所設置は否定していました。

研究員は資料で(1)中曽根氏が慰安所建設に積極的にかかわった(2)インドネシア人女性を集めて慰安所をつくった(3)42年3月11日に海軍基地内に慰安所が開設されたなど具体的な記述がある(4)慰安所内の配置図が明らかになった―と説明。「防衛省の所蔵文書で確証は高い。中曽根氏が慰安所設置に能動的に動いたことが分かる。中曽根氏自ら真実を明らかにするとともに、政府はさらなる調査をすべきだ」とのべました。

赤旗 2011.10.28

「草の家」が資料を文字に起こしたもの。

第二設営班  矢部部隊

一、編制

隊長   海軍技師     矢部 雅士
工営長   〃        宮地 米三
軍区長  海軍々医大尉  平  敏郎
主計長  海軍主計中尉  中曾根康弘
通信長  海軍兵曹長   宮西
職員 亀本技手始め 別記の通り
徴用工員 約二、三〇〇名
兵員  看護兵長 主計兵曹 通信兵等約四〇名

二、装備

1、主機械

一〇屯 八屯 六屯 五屯等の各種ローラー各輸送船
毎に積込
自動車 日産トラック 豊田トラック
大発(上陸機材運搬用)
ヤンマー(〃    )
発電機(一〇KW)
水槽車
ヤンマージーゼルエンジン
ウインチ動力付
杭打機
自転車
潜水道具一式 井戸掘機 給水パイプ等一式
トランシット、レベル、ポール箱尺等測量用具一式
ショベル、鶴バシ、ハンマー、斧、鋸[のこぎり]等土工用具一式
鋸 鉋[かんな] 等 大工道具一式
フイゴ 金敷、其他[そのた] 鍛冶道具 一式
ホースイ用具

2、材料

油類、ガソリン、重油、泥油
砂利、川砂、各輸送船下積
セメント、組立家屋用 合掌 パネル
防虫網、蚊帳、穴ドラム缶、洗面器、風呂桶(小判型)
ローソク 携帯電気入
●[「飛行」の印]場滑走路整備用 鉄板
波形鉄板  天幕
木材類、電柱、仝腕木 丸太
鉄筋 釘 等

3、糧食

職員及工員分として約二、五〇〇名分二ケ月分積込
軍医長 約二、五〇〇名分の医療準備
主計長 糧食の外戦地にて使用すべき軍票を
準備する

5、設営後の状況

ダバオ上陸設営出航迄[まで][一九四一年の]十二月二〇日-一月一四日迄[一月十四日まで]
二五日餘[よ]の短い忙しい日々であった 整備出来次第
攻撃に取かかつた状況で休息の暇がなかった
第二次進出も後発し来多[きた] 朝日山丸 金那摩山丸 日帝丸
等に工員約六〇〇名及設営機材を搭載し来多[きた]ので
そのまゝ進出した次第であった ダバオは邦人二〇、〇〇〇余
カンキンされて居[い]て占領と仝時[どうじ]に釈放され設営に協
力して呉れ多[くれた]
バリクパパンでは●[「飛行」の印]場の整備一応完了して攻撃機による
蘭印[オランダ領東インド]作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風
で又[また]日本出港の際約二ケ月の旨申し渡しありし為
昄心矢の如く[帰心矢のごとく]氣荒くなり日本人同志けんか等起る
様になる
主計長[中曽根康弘・海軍主計中尉]の取計で土人女を集め慰安所を開設氣
持の緩和に非常に効果ありたり

6 所見

一 急速に取集めた機械類の為か其[その]當時の実力
の不備の為か新品の機械なるにも拘[かかわ]らず故障続
出、上陸して●[「飛行」の印]場に運搬する途中にて故障し相当苦
しむ
ダバオに於[おい]ては土民は排他的眼にて我方に対して居[い]たので
不安があつたがバリクパパンにては非常に好意を持つて
接して呉[く]れ 協力して呉れ多[くれた]

ブログ高知 2011.10.27

2011/07/19

[英文] オランダで慰安婦写真展



オランダのアーネムという町で開催されている写真展。「従軍慰安婦」という言葉を使っているのが面白い。日本や韓国の市民団体とは独立した動きらしい。関連エントリーとしては
"インドネシアの慰安婦Troostmeisjes【本】"など。「インドネシア」タグで検索してみて下さい。

Indonesia Comfort Women in the Netherlands

These comfort women were victims of Japanese military brutality.
A total of 18 portraits of women Indonesia older victims jugun ianfu(comfort women during the Japanese occupation) exhibited at the Museum of Veterans Bronbeek, City of Arnhem, The Netherlands. These photographs are the result Troostmeisjes project conducted with photographer journalist Hilde Janssen January Banning since 2007.

Through this project, Hilde Janssen wants the world to know that many Indonesian women are forced to serve Japanese soldiers lust. Stories Troostmeisjes Indonesia, also appointed by Hilde Janssen his book ‘Shame Without Sin' and ‘Comfort women's silence in Indonesia on gray Time of War'.
Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.

A total of 18 portraits of women Indonesia older victims jugun ianfu(comfort women during the Japanese occupation) exhibited at the Museum of Veterans Bronbeek, City of Arnhem, The Netherlands. These photographs are the result Troostmeisjes project conducted with photographer journalist Hilde Janssen January Banning since 2007.

Through this project, Hilde Janssen wants the world to know that many Indonesian women are forced to serve Japanese soldiers lust. Stories Troostmeisjes Indonesia, also appointed by Hilde Janssen his book ‘Shame Without Sin' and ‘Comfort women's silence in Indonesia on gray Time of War'.
Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.

Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.


Read more: http://www.articlesbase.com/art-articles/indonesia-comfort-women-in-the-netherlands-5037281.html#ixzz1SY1ef85r
Under Creative Commons License: Attribution No Derivatives

ArticlesBase.com 2011.7.18

2011/07/17

ビデオ:「私たちは美しかったから」 インドネシアの慰安婦


下の「インドネシア」タグをクリックすれば、いくつか関連エントリーが出てくるはず。

Comfort Woman - "Because we were Beautiful" from Jan Banning on Vimeo.


‘Japanese cast-offs’ is what they are still called, the former Indonesian comfort women. During the second World War they were forced to carry out sexual activities in military brothels, encampments or Japanese barracks. In Because We Were Beautiful a number of women tell their story. About the systematic rapes, the humiliations, the fear and how this influenced their lives. A documentary full of shame, sorrow and reluctantly told life stories.

Director: Frank van Osch
Interviews: Hilde Janssen
Photography: Jan Banning

Two books were published about this subject:

Comfort Women/ Troostmeisjes (janbanning.com) (Language: Dutch/English)
Schaamte en onschuld (hildejanssen.nl) (Language: Dutch)

This documentary was made with the support of: Ministerie van VWS, V-Fonds, VSB-fonds, NOS, Prins Bernhard Cultuurfonds, Professor van Winterfonds, Stichting Democratie en Media, Vocas.

More information: vofprodukties.tv
Date: 15-08-2010 魚拓

2011/04/10

倉沢愛子が娘に語る慰安婦問題



倉沢はデタラメな学者ではなく、インドネシアの研究家である彼女が集めた現地の慰安婦の証言は貴重な資料だと思う。しかし、前半部分はいただけない。この分野の専門家ではないとはいえ、2002年に上梓した本でこれは不見識。

第二次大戦中、アジアの女性たちが、軍が管理する慰安所で日本兵に対する性的サービスをさせられたことは、ロミも聞いているよね。日本の植民地であった朝鮮、台湾、あるいは中国、それに「大東亜」戦争が始まってから占領された東南アジアの女性たちなんだけど...この人たちのことを「従軍慰安婦」と読んでいるんだけど、この問題が、私たち日本人にひろく知られるようになったのは、ようやくついここ10年くらいのこと。1991年12月に韓国で名乗りを上げた元従軍慰安婦の女性が、日本政府に保証金を支払って欲しいという訴えを起こし、それを韓国政府が支援したことで、ようやくいろいろな事実が明るみに出始めたの。

初め日本政府は、軍が正式に関与したことは認めず、民間の手によって行われた一般的な売春行為だと主張していたのよ。でもそのうち、軍が関与したことを示すような文書が歴史学者によって発見されたため、最終的には日本もそれを認めるようになったのね。

実はね、お母さん自身1980年から1981年にかけてインドネシアの農村で調査をしていた時、そういう女性のことはよく耳にしていたの。...でも、韓国から上がった声が、日本国内でも広がりをみせ、それがインドネシアにも伝わって、勇気づけられて名乗りを上げる人がでてきたのよ。...つらいのはね、お母さんなんかに話すことによって、日本政府からの補償がもらえるようになるんじゃないかっていう期待を抱かせてしまうことなの。...そのお年寄りたちは、これまでにもすでに支援団体の人たちなどいろいろな日本人の訪問を受け、そのたびに今度こそは補償が、と期待したけれどいつも裏切られてきた、という現実があるの。だから、かなり懐疑的になってきているの。

2010/12/14

インドネシアの慰安婦 Troostmeisjes (書籍)







Comfort Women (Troostmeisjes).
Ipso Facto, 2010.



「婦女暴行は戦争の副産物であるようだ。第二次大戦で、日本軍は性奴隷システムを構築することまでした。何万人のアジアの『慰安婦』は軍用売春宿で無理矢理働かされた」・・・と、出版社はこの本を紹介する。

解説のように、戦場では当たり前のように強姦事件が発生する。残念なことに、70年前の日本軍もまた、戦場となったアジアの各地にその爪痕を残して来たに違いない。

しかし、この出版社の言うように「戦争の副産物」である強姦事件も、「日本軍性奴隷制」というプロパガンダによる先入観があると、欧米列強がアジアやアフリカの戦場で引き起こした「強姦事件」とまったく異なる事象に見えてしまうようである。

Raping women seems to be a normal byproduct of wars. During World War II, the Japanese military even set up a system for sex slavery: Tens of thousands of 'comfort women' in Asia were forced into prostitution at military brothels.
(どうやら婦女暴行は戦争の副産物であるようだ。第二次大戦中、日本軍は性奴隷システムを構築することまでした。何万人ものアジアの「慰安婦」たちが、むりやり軍用売春宿に送られた)

In addition, many girls were abused sexually in railroad wagons, factory warehouses or night after night at home. Most of these women have suffered physical and emotional consequences ever since.

Jan Banning and Hilde Janssen visited Indonesian women who during the war were victims of forced sexual labor. In this book, 18 of them break the persistent taboo against speaking out on the issue. Showing them in combination with Japanese war posters, the book presents male and female sides of war, and propaganda versus reality. Short narratives depict the fate of these and other former comfort women, painting a gripping picture of this hidden history.

2010/12/13

インドネシア「従軍慰安婦」を教育カリキュラムに


女性に対する暴力全国委員会は、ジュウグンイアンフの歴史を国の教育カリキュラムに組み込もうと考えている。(The National Commission of Violence against Women is also attempting to include the history of jugun ianfu into the national education curriculum.)

Indonesian Commission of Violence Against Women (Komnas Perempuan) will collaborate with teachers to include the history of jugun ianfu, or ’comfort women’ in school history text books.

The commission hopes that by discussing jugun ianfu as part ofs history lesson at school, it can begin to erase the stigma surrounding women.

“We often invited teachers and students to talk about jugun ianfu. I hope that it will create a snow-ball effect that these teachers and students will transfer their knowledge about jugun ianfu to other people,” a spokesperson for the commission Andy Yentriyani said on Monday (8/16).

The National Commission of Violence against Women is also attempting to include the history of jugun ianfu into the national education curriculum.

“Maybe the history of jugun ianfu will not be taught in a special chapter, but it can be inserted into parts about Japanese colonialism in Indonesia,” Andy Yentriyani said.

Andy Yentriyani hopes that a study of the history of jugun ianfu can help to erase the stigma surrounding these victims of cruelty by Japanese soldiers during the Japanese occupation of Indonesia.

By presenting the facts about jugun ianfu, it will be possible to stop the chain of social violence and discrimination toward these victims, according to Andy Yentriyani.

VHRmedia 2010年8月17日