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2015/09/17

沖縄の運動家 「親戚の警官が朝鮮で女性を拉致した」

キャプションはアメーバニュース

警察官だった親戚から戦時中朝鮮半島で女性を拉致して日本に送っていたと聞いた・・・と母から聞いた。親戚が経営していた慰安所で働いていたのは、そうした女性たちだったのかと思った。韓国へ謝りに行きたいと、沖縄の平和運動家。

沖縄の三線もあまり変わらないと思うが、芸者でもいきなりは三味線は弾けない。座敷に出る前の年齢から稽古を積んで文字通り芸者になる。拉致されて来た朝鮮人女性が、三線を教えているという光景はちょっと想像し難い。親戚が経営していたのも、やはり慰安所というより料亭(妓楼)だったのだろう。朝鮮人だけでなく、沖縄の女性も幼い頃に親に「売られて」来ていたはずである。沖縄の言葉で「尾類売い(ジュリウイ)」と言ったらしい。警察官が銃を突きつけて女性を誘拐すれば一生を棒に振る。しかも伝聞の伝聞。

「戦後、間もなくして朝鮮から数人の女性が米軍のジープに乗って、母を訪ねてきた。お世話になったと、お礼のお金を持ってきた」・・・沖縄の辻遊郭の出身だった上原栄子は、家族的繋がりの強い世界だったと回顧している。つまりそういう事だったのでは?

「国が従軍慰安婦の強制連行を否定したことが許せなかったのでしょう」。おじさん→母→本人→息子。伝聞を伝聞した人の気持ちを更に別の人間が忖度。

伊佐さんの記憶に残っている話をもうひとつ。戦前の泡瀬の町の外れに日本軍が駐屯していた。駐屯地の近くには料亭が2、3軒あった。どこも日本兵の慰安所になっていた。伊佐さんの親戚も「アブガドー」という屋号の料亭(慰安所)を経営していた。そこでは朝鮮半島から連れてこられた女性たちが4、5人働いていた。

13歳だった伊佐さんは、親戚の料亭によく遊びに行き、そこのお姉さんから三線(さんしん)を教えてもらっていた。色白で、いつも白粉(おしろい)の匂いがするとても優しいお姉さんだった。

2階には毎日40、50人の兵隊が並んで順番を待っていた。ある時、おかみさんが三線を教えているお姉さんに「早く2階に上がりなさい」と言った。お姉さんは「今日は痛いから休みたい」と言ったが聞いてもらえず、2階に姿を消した。着物の裾から見えた奥のほうが真っ赤にはれていた。少年の伊佐さんには意味がわからなかった。ただかわいそうだと思っていた。

戦後、伊佐さんの母親が朝鮮半島から帰ってきた親戚のおじさんから、彼が戦時中に朝鮮で何をしていたのかと聞いた。警察官だったおじさんは、若い娘を探して捕まえ、日本に送っていた。娘の父親が助けてと言っても、銃を突きつけて脅して無理やり連行したと得意げに言っていたという。

伊佐さんは「そうだったのか、三線を教えてくれたお姉さんはそうやって連れてこられた慰安婦だったのか。なら、もう二度と三線は弾かない」と、持っていた三線を壊してしまった。

母親は朝鮮の女性たちからの相談にいろいろ乗っていたらしい。戦後、間もなくして朝鮮から数人の女性が米軍のジープに乗って、母を訪ねてきた。お世話になったと、お礼のお金を持ってきたのだ。その時の日本円と米軍軍票のB円は今も大切に保管されている。

彼女らは慰安婦だったのでしょうか。母は私には言葉を濁していましたが…」

伊佐さんは、親戚の家が慰安所だったことを子供たちにも語らなかった。この話を語り始めたのは、ヘリパッド反対の座り込みが始まった前後からだ。

国が従軍慰安婦の強制連行を否定したことが許せなかったのでしょう。その頃から少しずつ話をするようになった」

と、息子の真次さんは言う。80歳を過ぎてから伊佐さんは家族に「韓国に行きたい」と言うようになった。

「どうしても、慰安婦にさせられた人たちに会って謝りたい。あの時、助けてあげられなかったことを謝りたい。申し訳なかった、と」

日頃穏やかな伊佐さんがこの時だけは厳しい目つきになった。

週プレNEWS(一部) 2015.9.13[2]

2015/04/12

渡嘉敷島の慰安婦碑 「ほうせんかの会」の今

アリランの碑(渡嘉敷島)

一般に知られているのは宮古島の慰安婦の碑の方だが、渡嘉敷にも1997年に建てられた碑がある。渡嘉敷といえば、キム・ハクスン(金学順)以前にその存在が知られていた朝鮮人元慰安婦ペ・ポンギがいた所である。彼女に関しては、左派系の人々にその実像を歪められているのが残念だが、正直な証言者であった。「ほうせんかの会」なる団体は知らなかった。「国連の人権機関などに情報提供を続けている(!)」渡辺美奈が講演するという。

旧日本軍による慰安婦について国際社会がどのような目を向けているかを学ぼうと、つくば市の市民団体 「ほうせんかの会」(江口昌子代表)が11日午後1時30分から、つくば市吾妻のつくばサイエンスインフォメーションセンターで講演会を開く。

資料館「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)事務局長の渡辺美奈さんが講演する。渡辺さんは国連の人権機関などに情報提供を続けている。

ほうせんかの会は1997年、慰安所があった沖縄・渡嘉敷島に慰安婦を慰霊するモニュメントを建立したのをきっかけに発足。以来ほぼ毎年、講演会を開いている。

常陽新聞 2015.4.10 [2]

2014/05/25

林博史教授 兵の慰安所通い裏付ける公文書発見(で?)


日本軍兵士が慰安所に通っていたことが日本軍の公文書で裏づけられたと。それのどこがニュースなのだろう?軍の食料を横流しして慰安所に通った兵士が軍法会議にかけられたという話なのだが、例によって、林博史教授は「この資料には軍隊が住民を守らないことが明確に記されている。日本軍の特徴そのものだと指摘する」・・・林教授は、嫌韓厨と似ている。キムチだろうと何だろうと韓国と関係のあるものなら何でも悪く言う嫌韓厨にそっくり。

「宮古島では終戦後、しばらしても慰安所が開設され続けていたことには驚いた」・・・そういえば、終戦と同時に戦争犯罪(慰安所)の露見を恐れて隠蔽工作を行ったという話はどうなった?

旧軍文書に「慰安所」宮古島での存在裏付け

沖縄戦時、宮古島に慰安所があり、日本軍兵士が通っていたことを裏付ける旧日本軍の文書が見つかった。これまで宮古島の慰安所の存在については住民の証言はあったが、軍の文書で裏付けられるのは初めて。関東学院大の林博史教授と佐治暁人講師が厚生労働省から情報公開請求で入手した。飢えで苦しむ宮古島で、兵士が軍の食料を住民に売って慰安所へ通った実態が記されており、林教授は「住民を守らない軍の姿が鮮明に表れている」と指摘する。(大野亨恭)

資料は厚労省所蔵の、1945年11月20日付の軍法会議判決を記した書類で、提出した第28師団司令部と受け取った法務局の印が押された公文書。

文書には、当時宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が軍の食料などを横流しして住民に売却、得た金を使い慰安所で「遊興浪費」したとして、懲役1年の刑に処したことと、その判決理由が記されている。

それによると、被告人の衛生兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に従事。45年8月中旬には軍から馬肉約40キロを預かって病院へ戻る途中、民家で2斤(約1・2キロ)を20円で売却し、慰安所へ行った-などと複数回の犯行が記されている。

旧日本軍が中国などアジア各地に設置した慰安所は終戦後、閉鎖されたとされているが、発見された文書には〈10月2日に(砂糖菓子の)金花糖60キロを受け取り、翌3日にうち2キロを20円で売却し、慰安所で遊興した〉とあり、宮古島では10月上旬まで慰安所が残っていたことも分かった。林教授によると戦後も慰安所が継続していたことを示す文書が見つかったのは初めてだという。

宮古島には沖縄戦当時、陸海軍合わせて約3万人が駐留していた。住民は戦中から戦後にかけ、ソテツを食べて一家が中毒死するなど飢えに苦しんだが、軍は終戦後も食料を住民に渡さず、一部の兵士は売り渡して慰安所に通っていた。林教授は「この資料には軍隊が住民を守らないことが明確に記されている。日本軍の特徴そのものだ」と指摘する

沖縄戦時、宮古島には少なくとも17カ所の慰安所があり、ほとんどが朝鮮半島から連れてこられた女性だったことが、研究者らの調査で分かっている。


公文書としては初の発見/宮古旧軍文書に「慰安所」明記

沖縄戦当時、宮古島に旧日本兵が通っていた「慰安所」があった事実を裏付ける公文書が初めて発見された。これまで、宮古島の慰安所の存在は戦争体験者や慰安婦の証言などで知られていたが、その存在が明記されている公文書が明らかになるのは初めて。関東学院大学経済学部の林博史教授が研究資料として厚生労働省に情報公開請求した「軍法会議報告」文書の中から見つけた。


 発見された資料は厚労省が保管していた「台湾軍管区臨時軍法会議豊部隊法廷裁判宣告報告」で、沖縄戦当時、宮古島に駐留していた第28師団司令部あて提出されている。その内容は1945年11月20日付で、軍法会議判決を記したものとなっている。

 同裁判宣告報告では当時、宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が、軍の食料などを横流しして住民に売却し、得た金を使って「慰安所」で遊興消費したとして「業務横領」の罪に問われ、窃盗罪として懲役1年の刑に処したことや、その判決理由が詳述されている。

 被告人の同衛生上等兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に服務していた。45年8月中旬に城辺更竹にあった「獣医部」から馬肉約40㌔を預かって帰院する途中、増原付近の民家で2斤(約1・2㌔)を20円で売却し、慰安所で遊興したことなど、複数回にわたって犯行を繰り返しては慰安所で使ったたことなどの内容が記されている。

 また、同衛生上等兵は10月2日に「金花糖」(砂糖菓子)60㌔を受け取り翌3日に、このうち2㌔を売却して慰安所で遊興したことも記されていることから、宮古島では終戦後の10月ごろまで慰安所が開設されていたことも新事実として明らになった。

 林教授は「宮古の慰安所の存在は住民証言で存在していた事実は認められていたが、厚労省保管の公文書で、その存在が初めて明かされた」と説明した。

 また、当時の宮古ではマラリヤや飢えの苦しみ中で、多くの人が犠牲となったことついて触れ、「この資料は軍部に十分な食料があった事実を裏付ける証拠にもなる」と述べた。

 さらに、林教授によれば、各地にあった慰安所は8月15日の終戦と同時に閉鎖されているが、「宮古島では終戦後、しばらしても慰安所が開設され続けていたことには驚いた。これは初めて明かされた事実だ」と話した。

宮古毎日 2014.5.25

2013/11/24

反日か女性の碑か、宮古島の慰安婦碑


チャンネル桜の動画はシリカ太郎さんから

大高未貴が宮古島の慰安婦碑を取材。碑の設置に土地を提供した与那覇博敏や宮古島の慰安所を調査した仲宗根将二にインタビューしている(動画)。活字では伝わらない関係者の人柄や雰囲気が見えるので興味深い。

こんな素晴らしい碑が建つとは (イマイチ分かっていない?)

戦場の宮古島と『慰安婦』」という本の中で挺対協の初代代表だったユン・ジョンオクは「被害者の経験を・・・記録に残さなければならない」として宮古島に碑を建てることになったと書いているが、「氏の提案を(が)きっかけ(p.13)」とされる当の与那覇は沖縄戦の中のひとコマを記憶する意味で記念碑を建てようと考えたに過ぎないらしいことが彼の肉声から伝わってくる。また宮古島の慰安所を調べた郷土史家(?)の仲宗根は、アメリカで持ち上がった騒動の話を聞き「(自分は)何をしてきたんだろう」と苦笑している(40:00)

知りたかったの宮古の戦争体験。その中で朝鮮人慰安婦の話が出て調査した
(仲宗根)

ただ、宮古島の碑の設置とアメリカでの日本に対する中傷(スミア)キャンペーン(碑・像・非難決議採択運動など)が統一された意図の下に実行されているとまでは言えないだろう。碑の設置を推進した中原道子はフェミニズムの立場から日本政府や軍、社会を批判しているわけで、宮古島の調査を行ったホン・ユンシンにも彼女が早大在学中に一度だけお目にかかったことがあるが、ジャパン・バッシャーではなかった。ホンや中原の提案に乗ったユン・ジョンオクは年季の入った反日家だが、アメリカで行われているスミア・キャンペーンとは無関係と思われる(彼女の弟子たちは深く関わっているが)。

沖縄に碑が建ったのは、こうした左派系の運動が入り込み易い土地柄だからで、中原らがそこにイデオロギー色の濃い碑を設置することに成功したのは事実だが、ホンが最初に調査に来た段階では、おそらく碑の設置は考えていなかったはずである。

韓国総領事は日本は過去を認めなければならないと(長濱副市長)

自分は宮古島の碑を「日本を貶める仕掛け」だとは思わないが、海外のジャパン・バッシャー達がこの碑を政治的に利用し始めたというのは大高の言う通りだと思う。この辺は、地方自治体の「慰安婦問題に関する意見書」の問題と同じ構図である。アメリカでは沖縄にも慰安婦の碑が存在するという「実績」が利用されているし、宮古島の長濱政治副市長は、駐福岡韓国総領事が最近碑を見に訪れ、説教を垂れて行ったことを証言している(動画 22:05)

【暗躍列島を暴く】韓国、沖縄で卑劣工作 密かに宮古島に「慰安婦碑」 12カ国語で日本を批判

韓国側による、日本と日本人を貶める卑劣な工作活動がまた発覚した。韓国系団体は現在、米国や欧州で慰安婦の像や碑の設置計画を進めているが、何と、沖縄県・宮古島にひっそりと慰安婦の碑を建てていたのだ。12カ国語で日本を批判する碑文。自国の現実に目をつぶり、日本たたきに奔走する韓国側の暗躍ぶりについて、ジャーナリストの大高未貴氏が迫った。

駐福岡韓国総領事は『過去の戦争でいろんなことがあった。日本(政府)はそれを認めようとしない』などと、しつこく話しかけてきました。私は『やはり、(あの碑が建てられた背景は)そういうことだったのか…』と思いました」

宮古島市の長浜政治副市長は、私(大高)の取材にこう語った。この様子は、スカパー・インターネット放送「チャンネル桜」でも放送された。

総領事ら3人は先月25日、宮古島を訪問した。島にある「慰安婦の碑」などを見学した後、碑を建立したメンバーとの懇親会に参加した。長浜氏も呼ばれて顔を出したところ、総領事から日本批判が始まったのだ。

宮古島に慰安婦の碑が建てられたのは2008年。ソウルの日本大使館前に慰安婦の像を設置した反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」と、日本の市民団体などが中心となり、私有地に建てられた。日本国も沖縄県も宮古島市もまったく関係はない。

ところが、米国から今年7月、宮古島市に対して「(同市が)慰安婦の碑を建てたのは本当か?」という問い合わせがあった。7月といえば、米カリフォルニア州グレンデール市で韓国系団体の要請で慰安婦の像が建立され、同州ブエナパーク市議会でも「慰安婦の碑を設置すべきか否か」と議論がされていた時期だ。

宮古島市は、「地元選出の国会議員を通じて『碑は存在するが、私的団体によるものであり、市が建立したものではない』と明確に回答した」(長浜氏)。

最終的に、ブエナパーク市議会は碑の設置を否決したが、宮古島市の回答が一助となっていたのは間違いない。

実は、私が入手した韓国系団体によるブエナパーク市への慰安婦碑設置要請書類には「米国、韓国、日本の地方政府も、日本軍による性奴隷の碑を建立している」として、「沖縄(08年)、ソウル(11年)、パリセーズパーク、ニュージャージー(13年)」などと記されていた。

つまり韓国系団体などが勝手に建立しておいて、それが地方政府(自治体)の主体的行動であるように錯誤させようとしたのである。

言うまでもなく、第2次世界大戦当時、公娼制度は合法だった。慰安婦は世界各国にいたプロの戦時売春婦であり、そのころの日本兵の数十倍もの高給を得ていた。日本軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっていない。

閣議決定もなく、慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野洋平官房長官談話」については、その根拠である元慰安婦への聞き取り調査が極めてずさんだったことを、産経新聞が10月16日にスクープした。韓国総領事の宮古島訪問は、この報道の直後だったわけだ。

ところで、宮古島市にある慰安婦の碑は、かなり噴飯ものといえる。

まず碑の近くの案内版には「史跡」とあり、まるで公的機関による設置と誤解させるような意図が感じられる。碑文には「アジア太平戦争期、日本軍はアジア太平洋全域に慰安所を作りました。(中略)連行された少女・女性が性奴隷として生活することを強いられました」などとあるが、これが事実と異なることは前述したとおりだ。

そもそも、現在の韓国では売春婦が「自由に働かせろ!」とデモを繰り返し、憲法裁判所では、売春婦が「職業選択の自由」と「働く権利」を求めて国を訴えている。

さらに、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は9月にベトナムを訪問したが、ベトナム戦争時の韓国軍兵士による民間人虐殺やレイプ事件、ベトナム人女性に産ませた子供たち「ライダイハン」については、一切謝罪していない。

自国の現実には目をつぶり、60年以上前の日本について批判するとは、どういう精神構造なのか。碑文は日本語や韓国語、中国語、タイ語、ベトナム語など12カ国語で刻まれている。それほど国際社会で、日本や日本人を貶めたいようだ。

それにしても、韓国系団体はなぜ、東京から2000キロも離れた宮古島に碑を設置したのか。戦時中、約3万人の日本軍が駐屯し、島に慰安所があったのは事実だが…。私はこう分析した

もし、東京にいきなり慰安婦の碑を作れば、猛烈な反発を受ける。目立たないところから、じわじわと侵略していく。これは中国の毛沢東元国家主席の「地方から都市へ」という革命戦略に似た、巧妙な罠だ。韓国は朴政権以前から、長期戦略で「日本を貶める」仕掛けを続けている。

最近、韓国メディアが少し軟化してきたとも伝えられるが、決して油断してはならない。

ZakZak

2013/09/09

沖縄の碑5周年 尹貞玉「ベトナムでは韓国兵は米軍の傭兵だった」


顕花するユン(左から二人目)もすっかり「ハルモニ」に

今年もこの話題。ユン・ジョンオク(尹貞玉)初代挺対協代表は、「平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」と言うが、慰安婦騒動はアメリカにまで渡り地域住民の不和の種になっている。煽っているのは彼女のお弟子さん達である。

ベトナムでの出来事にも触れているが、韓国兵は「米軍の傭兵」だったと言い訳がましい(それとも宮古新報の記事の問題か?)。アメリカ軍がレイプを命じたわけではなかろう。そして絶対に韓国軍の慰安婦については触れない・・・。

「慰安婦」を追悼、平和祈念

アリランの碑・女たちへ 建立5周年で集い

日本軍「慰安婦」の史実を伝えるために2008年に建てられた「女たちへ」と「アリランの碑」の建立5周年記念の集いが7日、上野野原の同碑前に関係者およそ40人が参加して行われた。参加者を代表して宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんらが碑前に献花し、亡き慰安婦を追悼するとともに、世界の平和を祈念した。


尹さんは「美しい宮古島のこの地に戦争のない平和な世界を祈る碑を建てた。ここに休んでいる女性たちが私たちと一緒に地球を守ってくれるように祈りたい。海も、空も、空気も汚れていない宮古島に、若いときに傷つけられた女性たちが眠っている。ここが、美しい地球が開発という名の下に破壊されることから守るシンボル(象徴)的な存在になるよう祈っている」と述べた。

また、「慰安婦」問題の研究者で早稲田大学名誉教授の中原道子さんは「これらの碑をこれまで守ってくれたのは宮古島の皆さんたち。この碑を建立した一人として、とても感謝している。碑は石。石はいつか欠けてなくなるかもしれない。しかし無くならないのはその女性たちの記憶とそれを引き継いだ私たちの記憶」と述べ、碑銘の「女たちへ」について「この島で生き、無くなった女性たちへの思いと、その記憶を引き継いで後世に伝える女たち。その人たち、少女たち、子どもたちへも呼び掛けた碑銘」と碑に寄せる思いを話した。

宮古毎日 2013.9.8

日本軍「慰安婦」問題の解決へ、記念碑建立5周年集い

日本軍 「慰安婦」 の祈念碑建立5周年の集い (主催・日本軍 「慰安婦」 問題を考える宮古の会) が7日、 上野野原の祈念碑 (アリランの碑・女たちへの碑) 前で行われた。 地元や沖縄、 本土、 韓国などから約40人が参加し、 戦時中に日本軍に強制連行され、 苦しみを強いられた女性たちに想いを寄せながら慰安婦問題の解決へ向けての気持ちを新たにした。 また 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎたい」 との決意も見せた。

午前10時過ぎから始まった集いでは、 中原道子さん (早稲田大学名誉教授) が多くの人の協力で行った日韓共同調査などにより、 「慰安婦」 の女性が韓国で生きていたことや祈念碑を建立した地元の人たちへの感謝の言葉を述べた上で 「5周年を迎え心からうれしい。 これからも女性たちの記憶を引き継ぎ、 後世へ残していきたい」 と述べた。

同祈念碑を建てる会共同代表で挺隊(ママ)元代表の尹貞玉さんは 「今は女性たちの犠牲の上にあり、 一緒になって平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」 と強調。 またベトナム戦争期に米軍の傭兵として戦った韓国軍兵士によるベトナムの女性への性暴力もあったことも説明し、 「申し訳ない」 と述べた。

祈念碑を建立した土地を提供した与那覇博敏さんは、 「女性たちは近くにある井戸で洗濯の行き帰り、 ここにあった木陰で休んでいた。 『兄さん、 兄さん唐辛子がないか』 と声を掛けられた。 日本語は流暢だった」 などと当時を振り返った。 祈念碑については 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎ、 繰り返さないために建立した」 と強調した。

このほかリレートークの形で洪ユン伸さん (早稲田大学国際言語文化研究所研究員)、平良修さん (日本キリスト教団牧師)、 友利恵勇さんらも女性たちへの想いや平和への願いを語った。

戦争時、 日本軍はアジア太平洋全域に 「慰安所」 をつくり、 沖縄に130カ所、 宮古島には少なくとも16カ所あったという。 そこでは日本、 植民地、 占領地から強制連行された女性たちが 「性奴隷」 として生活を強いられた。 宮古島では2006年から07年にかけて 「慰安婦」 を記憶していた人たちが韓国・日本の研究者との出会いから碑建立する運動が始まり、 08年7月に建立。 祈念碑には 「故郷を遠く離れて無念の死をとげた女性たちを悼み、 戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、 彼女たちの記憶を心に刻み、 次の世代に託します。 この碑をすべての女たちへ、 そして平和を愛する人々に捧げます」 との言葉が刻まれている。

宮古新報 2018.9.8

2013/06/28

マイク・ホンダ全米各州に慰安婦決議採択呼びかけ

パリセイズパーク市長と(2013)

朝日新聞は、国連事務総長にコメントを取りに言ったり(この件については、池田信夫が「朝日新聞がまた『炎上』させる慰安婦問題」というタイトルで批判している)、マイク・ホンダにインタビューしたりと忙しいが、大島記者といえば、あの話はどうなったのか?国務省の記者会見では言いっ放しになっているようだが、ホンダにもあの話について確認していないのではないか?マイク・ホンダは、米軍の慰安婦利用を米軍が拉致したわけではないから別だと言い張った人物だぞ?

もっとも、この記事では「日本政府による組織的な行為」としか書かれていない。ホンダも、日本軍(政府)による拉致説は捨てたのか?それでも、日本軍が関わったというなら、連合国軍最高司令官総司令部がRAAに関わった事にも変わりはないわけだが。

朝日もホンダも米兵の性暴力問題には触れない(2012.10.17 首相官邸前)

「日本の女性が怒ったのは妥当なことだ」とホンダ。実は、日本女性が怒っているのは、慰安婦システムの肯定発言だけではない。あの問題についても怒っているのである。慰安婦問題を追及している糸数議員だってそうだ。

「水曜デモ1000回アクション」で米兵の性暴力を訴える糸数(2011.12)

慰安婦決議「各州議会に要請中」 米下院のホンダ議員

【ワシントン=大島隆】米国のマイク・ホンダ下院議員(民主)は26日、朝日新聞のインタビューに応じ、旧日本軍の慰安婦に関する決議を採択するよう、各州の議会に働きかけていることを明らかにした。

ホンダ氏は、日本政府に慰安婦問題での歴史的責任を認めるよう求めた2007年の下院決議で、中心的な役割を果たした。下院が新たな決議を採択する可能性は「現時点ではない」とする一方で、「各州の議会に慰安婦に関する決議を働きかけている」と話した。

橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」という発言や米軍に日本の風俗業の利用を勧めたことについては、「無分別な発言で、彼の女性に対する見方を反映したものだ」と批判。「日本の女性が怒ったのは妥当なことだ」と話した。また、安倍政権と自民党の慰安婦問題への立場について「安倍氏ら自民党の指導者は、慰安婦が日本政府による組織的な行為だったことを認めたかと思えば否定し、態度を決められないようだ」と批判し、歴史認識に関する問題が「日米関係を不完全なものにしている」と指摘した。

ホンダ氏はカリフォルニア州のアジア系の人口が多い選挙区から選出。慰安婦問題に取り組む理由について「元教師として、文部科学省や自民党がこの問題を学校教育で教えたがらないのは問題だと考えてきた」と話した。

米国では今年、ニューヨーク州、イリノイ州、ニュージャージー州の議会が慰安婦に関する決議を相次いで採択した。いずれの決議も、5月の橋下氏の発言前に採択されたか、提出されたものだ。直近の6月20日に採択されたニュージャージー州上院の決議は、「日本政府に歴史的な責任を受け入れるよう求める慰安婦たちを支持する」としている。また、サンフランシスコ市議会は6月18日に、橋下氏の発言を非難する決議を採択した。

朝日 2013.6.27

2013/03/14

与那国に飛ぶ朝鮮人慰安婦の霊を慰めに日本に行きます

いちいち日本大使館の前で記者会見をしなくとも・・・

日本語版でも報じられているが、日本語版の記事よりは情報が多いと思う。

それにしても、沖縄戦では朝鮮人の軍人・軍属も亡くなっているし、当然慰安婦を含む大勢の日本人が命を落としている。そうした人々に対する慰霊の気持ちは多少なりとも彼らにはあるのだろうか?

真面目な話。挺対協は結成以前から沖縄と繋がりがあった。

挺対協「慰安婦追慕与那国島慰霊祭参加」

(ソウル=聯合ニュース)キム・ボギョン記者=韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と国際労働者交流センターは来る22日から日本の沖縄県与那国島で開かれる「朝鮮人日本軍慰安婦追慕慰霊祭」に参加すると13日公表した。

挺対協などはこの日の午前、ソウル鍾路区中学洞駐韓日本大使館の前で記者会見を行い「沖縄(本島?)から500km離れた小さい島で飛び交っている慰安婦の御霊を慰労して慰安婦問題解決を促すために慰霊祭に参加する」と説明した。

挺対協によれば日本軍慰安婦46人は1944年与那国島で米軍の爆撃で死亡。これらの魂を賛えるために「朝鮮人日本軍慰安婦与那国島慰霊祭実行委員会」が昨年初めて結成されて今回の慰霊祭を準備してきた。

慰霊祭には挺身隊対策協、国際労働者センター、民主統合党の洪翼杓(ホン・イクピョ)議員室の関係者など20人余りが参加する予定。

これらは24日阿嘉島で開かれる平和祭(?)にも参加し、ここで暴風で亡くなった朝鮮人慰安婦6人を追慕する計画だ。


정대협 "위안부 추모 日 요나구니지마 위령제 참가"

(서울=연합뉴스) 김보경 기자 = 한국정신대문제대책협의회(정대협)와 국제노동자교류센터는 오는 22일부터 일본 오키나와현 요나구니지마에서 열리는 '조선인 일본군 위안부 추모 위령제'에 참가한다고 13일 밝혔다.

정대협 등은 이날 오전 서울 종로구 중학동 주한 일본대사관 앞에서 기자회견을 열고 "오키나와에서 500㎞ 떨어진 작은 섬에서 떠돌고 있을 위안부들의 넋을 위로하고 위안부 문제 해결을 촉구하기 위해 위령제에 참석한다"고 설명했다.

정대협에 따르면 일본군 위안부 46명은 1944년 요나구니지마에서 미군의 폭격으로 사망했고 이들의 넋을 기리기 위해 '조선인 일본군 위안부 요나구니지마 위령제 실행위원회'가 지난해 처음 구성돼 이번 위령제를 준비해왔다.

위령제에는 정대협, 국제노동자센터, 민주통합당 홍익표 의원실 관계자 등 20여명이 참가할 예정이다.

이들은 24일 일본 아카지마에서 열리는 평화제에도 참석해 이 곳에서 폭풍으로 숨진 조선인 위안부 6명을 추모할 계획이다.

2012/10/15

石垣島の慰安婦展


「沖縄戦と日本軍『慰安婦』展」が現在、八重山平和祈念館(石垣市新栄町、TEL 0980-88-6161)で開催されている。

【画像】米兵の性暴力を受けた女性の証言を集めたパネルも

主催は沖縄戦と日本軍「慰安婦」展石垣実行委員会。沖縄の歴史を女性の視点から見直そうと今年の6月に那覇市歴史博物館で開催されたものを「いしがき女性9条の会」など3団体が実行委に依頼し実現させた。

同展では1944(昭和19)年3月に旧日本軍が配備されてから設置され本格化した慰安所と慰安婦に焦点を当て、琉球王国時代から沖縄戦までの歴史とともに、沖縄の戦中・戦後を振り返る。旧日本軍の陣中日誌や慰安婦として働いた女性の証言集、住民への聞き取り調査などにより、沖縄や九州各地、朝鮮から連行された女性たちが慰安婦として働かされ、戦闘に巻き込まれた実態を紹介。県内に130カ所以上設置されたという慰安所マップに加え、石垣島にあった6カ所の慰安所の紹介、慰安婦問題の経緯、さらには米軍統治下から現在まで県内で続く米兵による性暴力の数々の証言もパネルにして公開している。

石垣での開催はこれが初めて。真剣な表情でパネルをのぞき込んでいた石垣市在住の74歳の男性は「日本政府の汚いやり方は許せない。私たちはちゃんとした道を歩んで行かなければ」と話していた。

展示会に合わせ、14日14時から石垣市健康福祉センターで、沖縄大学非常勤講師で女性史研究者の宮城晴美さんと、「八重山の戦争」などの著者で郷土の研究者として知られる大田静男さんが慰安婦をテーマに講演する。

開館時間は9時~17時(最終日は正午まで)。今月14日まで。


石垣経済新聞 2012.10.14

2012/09/10

宮古島にユン・ジョンオク 慰安婦の碑4周年


このニュースは第一回、すなわち碑が建立された時から毎年お伝えしているような気がする。今回で四度目になる沖縄宮古島の「日本軍『慰安婦』祈念碑」の建立を記念する集会。最近はアメリカの慰安婦の碑が話題になっているが、韓国外で最初に建てられたのは、この宮古島の碑である。

挺対協の初代代表であり、慰安婦問題の火付け役の一人でもあるユン・ジョンオク(尹貞玉)や早稲田大学の中原道子が参加した。

「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と言うように、地元の人は素朴な善意で協力したのだろう。

それにしてもユン・ジョンオクの「ハルモニたちが心から望んでいるのは、賠償というより・・・」という言い草は酷い。アジア女性基金から償い金を受け取りたいと申し出た慰安婦を弾圧したのは、彼女が当時代表を務めていた挺対協である。ユン・ジョンオク自身、慰安婦たちが「償い金」を受け取ることのないよう盛んに運動していたのである。この事は「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の原田信一にも批判されている

なぜか沖縄には、現役の(挺対協)幹部でなくいつもジョンオクが来る

「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と中原道子。それはむしろ韓国だろう。歴史問題に特化されるのが不満なら、隣に立っているご婦人に言うべきだろう。日本軍慰安婦制度はアジア版ホロコーストだと騒いでいるのは、そのご婦人のお弟子さんたちである。

慰安婦問題解決訴え 祈念碑建立4周年の集い

【宮古島】2008年9月に宮古島市上野野原に建てられた日本軍「慰安婦」祈念碑の建立4周年の集いが2日、同祈念碑前で開催された。地元住民のほか、韓国挺身隊問題対策協議会の元代表である尹貞玉さんや中原道子早稲田大名誉教授らが参加し「一刻も早い日本政府による謝罪や補償が必要だ」と問題解決を訴えた。

宮古島には、大戦中に3万人の日本軍が駐留していた。これまでに17カ所の慰安所が存在したことが証言や調査により判明しているという。

碑には、韓国や中国など旧日本軍によって被害を受けた女性たちの故郷11カ国と、ベトナム戦争時に韓国軍による被害を受けたベトナムの合計12カ国語で「全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を願います」と記されている。

同市上野野原で生まれ育ち、戦時中に「慰安婦」の女性たちが洗濯からの帰り道に休んでいる姿を見たことがあるという与那覇博敏さん(79)は「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と話した。

同日午後からは、同市中央公民館で「慰安婦」問題を考える集いが開かれた。尹さんは「ハルモニ(おばあさん)たちが心から望んでいるのは、賠償というより日本政府が事実を認め、心から謝罪することだ」と話した。また、忘れたいけれども忘れられないような深い悲しみを示す「恨(ハン)」という言葉について「若いころは嫌いだったが、今になって分かるようになった。恨を晴らすために、日本政府に謝罪を求めていくことは、生命が続く限り叫び続けていかなければならない宿題だ」と話した。

中原名誉教授は「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と指摘し、「ハルモニたちが生存している間に何とか解決したい」と話した。

琉球新報 2012.9.10

2012/06/30

[メモ] 琉球朝日放送と慰安婦展



シリーズでお伝えしている「語り継ぐ沖縄戦」。きょうはその性質上、これまであまり語られてこなかった問題を取り上げます。

第32軍司令部壕の説明板の記述をめぐり、ことし再び注目を集めることになった「従軍慰安婦」。多くの資料や証言で明らかになるその被害の実態とは。
那覇市首里の第32軍司令部壕。ことし3月、県が設置した説明板が注目を集めました。

沖縄戦の研究者らで構成する説明板設置のための検討委員会が作成した文案から、県が「慰安婦」などの記述を削除したのです。
知事「県の一種の公文書みたいなものですから、内容によって事実であるかどうかというのは、県は県で判断して書くというのは当然ではありませんか」
新城委員「(検証が)足りなければ、さらに資料を持ってきたり研究者を加えたり、色んな工夫ができるわけです。そういったことを一切排除して、これで決定しましたということが納得いかない」
記述の削除について「(第32軍壕に関しては)確証が持てないため」とする県。再検証を求める検討委員会や市民団体。議論は平行線のまま、今も決着はついていません。

企画展実行委・高里鈴代さん「実はこの130余りの慰安所が沖縄本島全域にできてくるわけです」
高里鈴代さん。仲間と共に、市町村史や日本軍の資料などから、沖縄戦で日本軍の慰安作業を強いられた女性たちがいたことを明らかにする企画展をつくりあげました。
性行為を介する問題であることから、元慰安婦や加害者として関わった兵士たちが、公に声をあげる例は数えるほどしかありません。

高里さん「段々と問題が曖昧になってくると、好きでやってたんでしょうとか、慰安婦にされた女性のほうに視点がいくんだけれども、そもそもなぜこれが存在するのかということが限りなく軍の行為なんですよ」

企画展では、慰安婦制度の目的が兵士の地元女性への強姦を抑制するという「強姦対策」、戦力を維持するための「性病予防」や「ストレス発散」などにあったと指摘。慰安婦にするため、日本軍によって、植民地だった朝鮮や中国などから連れてこられた女性たちがいたこと。県内でも辻遊郭の女性などが、ターゲットにされたことを紹介しています。
1日に数十人もの兵士の相手を強いられたという性奴隷そのものの暮らし。暴力や性病などにも苦しみました。

日本軍の資料には「軍人倶楽部」と称された慰安所の設計図が。
アメリカ軍が作成した第32軍壕の見取り図には「女性たちの部屋」があったことが記されています。

(鉄血勤皇隊として壕にいた)大田昌秀さん「その時は慰安婦ということはわからなかった。ただ女性たちがいることは見ていて、なぜ戦場に女性がいるのかということを(仲間と)話し合ってた」
展示された資料や証言は「慰安婦」制度が軍によって組織的に行われたものであること。そして第32軍壕をはじめ、県内各地に多くの慰安婦がいたことを浮きぼりにするのです。
来場者の中には留学生の姿も。
ミャンマー人留学生「こんなことがあってはならない。戦争によって起きたことです」
中国人留学生「この沖縄で、日本で戦争で被害にあった日本の女性だけではなく、朝鮮や中国の女性の被害も経験もみんなに教えることはこの戦争の一種の証拠になりますよね」
会場には、慰安婦であったことを初めて明らかにしたペ・ポンギさんの遺品も。

(親戚の家が慰安所にされた)吉川さん「韓国から来て、非常に色が白くてすっきりしたお姉さん達を見て、子ども心にもきれいなお姉さんたちだなとそういう印象が強かったですね。当時は、これは差別の激しいものですからね。性の奴隷というのかな。(兵士は)あんまり罪悪感もなかったんじゃないですかね」
戦後のアメリカ兵による性暴力犯罪に関するコーナーも。

企画展実行委・浦崎成子さん「敵国の女性に対しては、何をしてもいいという考えを持ってるということ。それは日本軍であれ米軍であれ同じように、軍隊が女性に向かっていく性暴力は同じだということ」
そして、軍だけではなく、私たちにも加害者だった一面があると指摘します。
高里さん「実は強姦防止のためには必要だという眼差しで見ていたり、蔑みの眼で見ていたりというものが、実はある意味、戦争を構成していく、進めていくものの大きな要素となっているのではと思います」
来場者「なかなか広く共有されてこなかったという点でも、戦争の捉え方とか、考えることがあるのかな」「戦争の罪というのでしょうか。そういうことを私たちは見守り続けていかないといけないというふうに思います」

読谷村にある慰霊碑。朝鮮人慰安婦らの思いを刻んだ碑は、私たちに問いかけます。
「この島はなぜ寡黙になってしまったのか なぜ語ろうとしないのか 女たちの悲しみを」
慰安婦問題を通して気づかされる私たち自身の差別意識や加害者性。忘れてはならない沖縄戦の一面です。
慰安婦に関する書籍などを買う人の中には、かつて兵士として関わった人が少なくないといいます。反省の念からなのか、思い出話としてなのか。その理由は人それぞれです。
実行委員会のメンバーは、今も当時の記憶に苦しむ元慰安婦の方がいたら「あなたは戦争の被害者だったんです」と伝えたい、と話していました。

企画展は27日までです。

琉球朝日放送 ステーションQ 2012.6.21

2012/03/27

宮古新聞--忘れまい「慰安婦は日本軍の性暴力を受けた女性たち」



「看護婦の仕事があるなどとだまされ、あるいは強制連行されるなど、日本軍の性暴力被害を受けた女性たちだ」と言うからには、看護婦の仕事があると騙したのも、強制連行したのも日本軍だったという意味なのか?「住民虐殺」を死語にすまいと訴えているが、これは進歩的日本人による最近の造語だろう。・・・沖縄タイムズや琉球新報だけではないという事のようである。

宮古新聞は、宮古島の慰安婦の碑について尹貞玉(ユンジョンオク)の名を出している。宮古新聞も言うように、「『女たちへ・平和を愛する人たちへ』の碑」とは、韓国の挺対協が本土や沖縄のフェミニスト系団体の力を借り、日本国内に建立にすることに成功した貴重な「慰安婦の碑」である。

沖縄の朝鮮人慰安婦については、彼女たちが賑やかにやっていたという朝鮮人軍属の証言があったような気がする。「戦場の宮古島と『慰安所』」という本だったか?[要確認]

「慰安婦」(行雲流水)

大戦中、洗濯の行き帰り「慰安婦」が休んだという岩に銘板「アリランの碑」がはめこまれている。その後ろに、女性たちを悼み、戦争のない世界を祈る内容の碑文が、12の言語でつづられた2本の碑が建っている。その中央には「女たちへ・平和を愛する人たちへ」の碑もある。2008年、上野字野原に建立された祈念碑だ


▼宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会(共同代表・尹貞玉(ユンジョンオク)が、全国的な支援を受けて建立したものである。韓国・沖縄・日本「慰安婦」問題共同調査団は、宮古には16カ所の「慰安所」の存在を確認。県内では130カ所余知られている

▼看護婦の仕事があるなどとだまされ、あるいは強制連行されるなど、日本軍の性暴力被害を受けた女性たちだ

▼07年、米下院本会議は、従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に公式謝罪を求める決議案を可決。「慰安婦制度は日本政府による強制的売春」「一部教科書や公職にある者が問題を軽視」など6項目が決議案の骨子となっている

▼今、第32軍司令部壕説明板問題で熱い論議が交わされている。説明板から「慰安婦」「住民虐殺」の記述削除に、平和ガイドや平和教育関係の10団体が、削除撤回を求めて抗議。県は「現段階の研究では第32軍司令部壕で慰安婦の存在や住民虐殺があったという確証が得られない」と応酬。「沖縄戦の実相の歪曲につながる」と反論

▼戦後60有余年、復帰40年、普天間米軍基地問題も併せて、沖縄の行く末が案じられる。「慰安婦」「住民虐殺」などが死語になる日が来てはならない。

宮古新聞 2012.3.23

2012/03/01

慰安婦文言削除は仲井真知事の判断


24日のニュースの続報だが、翌日(25日)の記事を見落としていた。32軍司令部壕の説明板から慰安婦や住民虐殺の文言を削ったのは、仲井真知事の判断だった。進歩的市民がなんとしても押し込みたかった文言だったが、知事は「慰安婦の話だとか、虐殺が壕の中ないし周辺であったかどうかで、証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない」「適切ではないと思っている」と記者たちに答えた。

23日に知事が「「委員会でちゃんとつくった案を部長が独断でそういうこと(記述変更)やれないんじゃないか」と言ったのは、部長の越権行為を非難したのではなく、自分の指示だったかららしい。

「慰安婦」「虐殺」の削除 知事が判断

仲井真弘多知事は24日、県が那覇市の首里城公園近くの第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)に設置予定の説明板文案から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言削除を決めたことについて、「最終的にはわたしの判断だ」と述べ、自身が削除を決めたことを明らかにした。県庁で記者団に答えた。同日の県議会2月定例会代表質問では「(削除決定を)撤回しない」と述べ、文案をまとめた同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)が要望している文言復活を否定した。

仲井真知事は23日の沖縄タイムスの取材では、説明板の文言削除を「知らない」と答えていたが、24日には一転、(削除報告があったのを)「失念していたかもしれない」と釈明した。

仲井真知事は代表質問で「初めて説明板を置くにあたり、慰安婦の話だとか、虐殺が壕の中ないし周辺であったかどうかで、証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない。(慰安婦と住民虐殺)その文言を入れるというのは、わたしは適切ではないと思っている」と述べた。嘉陽宗儀氏(共産)に答えた。

環境生活部の下地寛部長は「説明板設置にあたっては、第32軍司令部壕がそこにあったこと、壕が造られた経緯、沖縄戦において果たした役割、壕の存在で沖縄県の受けた被害などが記載されていれば十分設置目的を果たすと考えている。沖縄戦全体の意味については検討していない」との見解を示した。その上で、「県としては、検討委員会の文案を否定したものではない」と述べた。

2012/02/21

総連と沖縄のハルモニ



ここで出てくる元慰安婦ペ・ポンギに関しては、初期のインタビューが残っている。インタビューから見えて来る彼女の人柄は、とても素朴で、戦争という極限状態を体験しながら、その思い出を淡々と語っている。実際に自分が知っている多くの戦争体験者はこんな感じだった。

ソン・シンドにも当てはまるが、こういう素朴なお婆さんを「支援者」たちが変えて行く。そして最終的には運動家たちの理論の代弁者になり、死後もこのように過去の発言がひとり歩きし始める。もちろん、その中には実際に故人が喋った通りの言葉もあるかもしれないが、死んだ慰安婦に自分たちの政治的主張を仮託しているのではないかと思われるフシもある。

「夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん」

金洙燮という人は、元総連沖縄県本部委員長だったらしい。もしかしたら、ペ・ポンギは当時、金から総連の政治的主張も色々と吹きこまれたのかもしれない。


「平和のため闘った人」 ペ・ポンギさん、没後20年しのぶ

沖縄戦中、旧日本軍の「慰安婦」にさせられ、戦後も沖縄で過ごした朝鮮半島出身のペ・ポンギさんをしのぶ「没後20年、ペ・ポンギさんを偲ぶ 戦時性奴隷『慰安婦』問題は今?」(NPO法人沖縄恨之碑の会主催)が18日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるるであった。ペさんが亡くなるまで交流し支え続けた金洙燮(キムスソプ)さん、賢玉(ヒョクノ)さん夫妻が「人間的に尊敬できる人だった。平和のための闘いを続けてきた人だった」と思い出を語った。

ペさんは1944年にだまされて連れてこられ、渡嘉敷島の慰安所で1日20~30人の日本兵の性の相手をさせられた。戦後も故郷には帰らず、県内で暮らし91年10月に那覇市内で死去した。

金夫妻がペさんと出会ったのは75年。当時のペさんは他人を拒否する状態。夫妻は行っては断られ、追い出され、心を開いてくれるまで3年近くかかったという。

夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん。賢玉さんは「沖縄県民が二度と戦争に加担したくないと基地や戦争に反対していることに感謝の気持ちを抱いていた」と話した。

洙燮さんは「ペさんは、分断され米軍基地があって支配されている故郷には行けないと大泣きしたことがあった」と語った。

賢玉さんは「70年代、80年代のペさんの踏ん張りが小さな火となり線となり本土の『慰安婦』に力を与え運動が広がっていった。ペさんは『統一した朝鮮に帰り、日本政府に賠償してほしい』と言っていたことを忘れないでほしい」と結んだ。

琉球新報 2012.2.20


再録になるが、山谷哲夫によるペ・ポンギのインタビューも下に紹介する。このインタビューは、70年代のもの。短いが、彼女の人柄がよく現れていると思う。


山谷 おばあさん、天皇陛下が有難いと思ったことありますか。

ペ・ポンギ(本では仮名) ・・・。

山谷 渡嘉敷にいるとき、兵隊さんたち、死ぬとき、「天皇陛下万歳」といって死にましたか?

ペ これは、「万歳」っていうのは聞かないですが。だいぶ怪我したり、また死んだ人もいるしね、怪我してくる人もいる。

山谷 一緒にいた7人のうち一人が爆撃で死にましたね。

ペ ええ。

山谷 死ぬときは、おばあさん見ましたか。

ペ あの若い人3名は、炊事場に入って、うちら4名は風呂場に座っておったんです。ああ、上からもうやるんですよ、二三日も。もう、バンバンバンバン落ちてね、まっ黒くして何も見えない。その話聞くどころか、みんな銘々逃げる。うちはそのときゲタ履いて、ゲタ履いて逃げるとき入口でころんでね、草の中に、もう、入って隠れておったんですが。自分の身体がこんなこんなする・・・。

山谷 ハルモニ、たとえば、渡嘉敷で商売しなさいと言ったのは、結局(昭和)天皇陛下なんですけども、いままだ、天皇陛下は生きているんですけども、どう思いますか?

ペ まだ元気ですよ。少しは腰が曲がってるね、ちょっと前よりはね。

山谷 天皇陛下がね。

ペ 天皇陛下。まだ奥さん(香淳皇后)は、まだピンピンするね。少し腰曲がってるね、天皇陛下。

山谷 天皇陛下は嫌いじゃないわけですか。

ペ そんなことわからないですよ、嫌い好き、そんなこと・・・。


なお、沖縄恨之碑の会は、この様にペ・ポンギを紹介しているが[※1]、たぶん彼女は強制連行とは無関係。ぼかされてはいるが、琉球新報にもあるように女衒の甘言に釣られて慰安婦になったケース。

[...]アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)がいる。[...]

CML 2012.2.15
恨之碑の会の前身は、「恨之碑建立をすすめる会沖縄」。08年頃から韓国の市民団体と連携を始めた。恨之碑の会の名前は出て来ないが、この年に韓国挺身隊問題対策協議会の尹・貞玉(ユン・ジョンオク)が来島して宮古島の市長に慰安婦の碑を建てることを訴えているから、挺対協と恨之碑の会が結びついたということだろう。


※1
沖縄恨(ハン)之碑の会より連続講座のご案内です。


*重複配信失礼します。


今週の土曜日、ぜひご参加ください。


●第18回ポンソナ講座
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ -戦時性奴隷「慰安婦」問題は今?


●日時 2月18日(土) 午後6時半~
●会場 てぃるる 沖縄県男女共同参加センター
那覇市西町 パシフィックホテル奥側
●参加費 500円


●第一部  
DVD「希望へと羽ばたく蝶-20年の歴史 ハルモニの平和」
東京・ソウル集会に参加して  上間芳子さん
「慰安婦」問題の今   浦崎成子さん
●第二部
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ
キム スソプさん、キム ヒョノクさん、安里英子さん
結語  平良 修さん
-------------------------------------------
ソウルの日本大使館前では、毎週水曜日に日本政府に「日本軍『慰安婦』問題の解決を求める」、水曜デモが
行われる。それは、1992年に始まり、昨年の12月14日でちょうど20年となり、デモは1000回を数えた。その日、
ソウルの水曜デモに呼応して東京をはじめ日本の各地、沖縄でもデモと集会がもたれた。夏の暑い日も、酷寒の
冬でも、ハルモニ (おばあさん) たちとその支援者は、なぜ、デモを続けてきたのか。




アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍
の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)
がいる。ペ ポンギさんが亡くなって20年。今度のポンソナ講座では、ペ ポンギさんが1975年に「慰安婦」だったこと
を名乗り出ていらい、ずっとペ ポンギさんのお世話をしてきた、キム スソプ、キム
ヒョノク夫妻に、ペ ポンギ
さんの思い出を語ってもらう。
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●NPO法人沖縄恨之碑の会は、2004年から戦後補償問題、特に朝鮮人強制連行の問題や朝鮮半島と沖縄をむすぶ平和課題についての学習会「ポンソナ講座」を開催しています。
ポンソナとは、ハングル(朝鮮・韓国語)です。日本語では、「鳳仙花」。ウチナー語で、「てぃんさぐぬ花」の意味です。
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【お問い合わせ・連絡先】


NPO法人沖縄恨之碑の会
Tel・Fax 098-863-4776
携帯   090-3970-8772 (事務局まで)

2011/12/16

水曜デモ1000回アクション in 沖縄



従軍慰安婦問題 感心の低さ指摘

韓国水曜デモ1000回アクション@沖縄島実行委員会(高里鈴代実行委員長)は14日夕、那覇市古島の教育福祉会館で、慰安婦問題を考える集会を開いた。

旧日本軍が慰安婦として従軍させた韓国人女性らが日本政府に謝罪と賠償を求め、ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に開く「水曜デモ」が同日、千回に達した節目に合わせて開催。約40人が参加し、慰安婦問題を沖縄から考えていく重要性について、講演会やリレートークで議論を深めた。

県内の慰安所マップを作成している女性史研究家の浦崎成子さん(64)は、首里城近くにある第32軍司令部壕説明板の文面案に、県の検討委員会が慰安婦の存在を記述したことを評価。

「司令部に慰安婦がいたことはさまざまな証言や文献で明らかになっている」と指摘し、県へ同説明板の実現を早期に実現するよう働き掛けようと訴えた。

リレートークでは「教科書で集団自決(強制集団死)の記述が後退したら県民大会が開かれるが、慰安婦では大会はなかった」と、慰安婦問題へ関心が低いことが指摘された。

高里委員長は「戦時中は沖縄の女性も慰安婦にされた。真の解決に至るまで、日本、沖縄からしっかりと問題に向き合うべきだ」と訴えた。

沖縄タイムズ 2011.12.15

2011/09/06

宮古島慰安婦の碑と「慰安婦」問題関西ネットワーク



慰安婦問題で連携確認 宮古島 碑建立2年で集い

宮古島市上野野原の日本軍「慰安婦」祈念碑建立から2周年を記念した集いが4日、同市上野の野原公民館であった。日本軍「慰安婦」問題を考える宮古の会が主催して、同祈念碑建立に携わった関係者や県外の活動者らが参加。慰安婦問題の早期解決に向け、連携して取り組むことを確認した。

同祈念碑を建てる会東京事務局の共同代表を務めた中原道子さんは、国連による日本政府への慰安婦問題の早期解決を求める勧告や、各国議会が日本政府に公式謝罪を求める決議案を可決していることなどを説明。一方、宮古島では住民が慰安婦に偏見なく接していたとして「偏見なく接することが一人一人に問われており、宮古で多くのことを学んだ」と話した。

集いの前に、沖縄本島や宮古島の「慰安所」のあった場所を視察したという、日本軍「慰安婦」問題関西ネットワーク共同代表の方清子(パンチョンジャ)さんは「被害者の方の高齢化が進む中、この問題は一日も早く解決しないといけない」と訴えた。

同会事務局の上里清美さんは「慰安婦問題は今の基地問題と同様な根がある」と指摘。戦時中の、慰安婦に対する軍隊の行為の背景を伝えていくことが大切だと主張した。

2010/12/20

女性法廷から10年【主席検事】に沖縄の声は聞こえたか?


「史上例を見ない日本軍性奴隷性」(朝鮮新報)


朝鮮新報(朝鮮総連の機関紙)をソースにしていいものか迷うのだが、先ごろ開催された女性国際戦犯法廷10周年シンポジウムについて詳しくレポートしていたので取り上げてみた(このエントリーを書いたのは一週間前)。

気になるのは、かつて「戦犯法廷」で首席検事を務めたパトリシア・セラーズが、この10年で日本軍の慰安所に対する認識をどう変えたのか、変えたか否かである。

最近では韓国の慰安婦運動に批判的な著書がアメリカで発売されたりしているので、行きすぎたジャパン・バッシングに加担してしまったことに多少の後悔はあるのだろうか?

あくまで朝鮮新報によればだが、パトリシア・セラーズはこの日、

「この間、1人ひとりの被害者らは、繰り返し、日本政府を提訴して、賠償を求めてたたかってきた。・・・加害国日本、第2次大戦時の連合国各国及び被害国の市民社会には、日本政府が補償を実行するよう圧力をかける特別の責任がある』」

と講演したことになっている。


しかし、琉球新報には、このシンポジウムに集団自決問題でも有名な宮城晴美が登場して、沖縄の米兵の性犯罪の実態を報告したことも伝えられている。

宮城さんは「検挙されるのは一部で、検挙数の背後でどれだけ大勢の女性が泣き寝入りしているか分からない」と説明。事件が繰り返される背景に「沖縄が日本とアメリカの植民地状態であり、民族差別、女性差別が続いている」と指摘。「沖縄の女性が独自に性暴力を断ち切ることはもはや不可能。だから日米同盟の意義を問い、米軍基地の撤去を求めている」と訴えた。

「『法廷』は何を裁き、何が変わった」というテーマの中で、米軍の駐留する沖縄では問題はまだ「続いている」と訴えているのである。セラーズはこの言葉をどう聞いたのか?共同通信の配信と思われる日本のニュースでは、彼女は「弱い立場の女性が人身売買で性奴隷とされることは、現在も続いている」とコメントしたことになっているのだが、

それだけ??

「加害国(日本)」「連合国」「被害国」に色分けするのでなく、各国が自分の加害行為を清算し、再発防止に努めるべきではないのか?セラーズのアメリカはそれをしていない、と言われているのである。日本に圧力をかけよと訴えるセラーズは、その前に自国政府に「圧力をかけて」自国の軍隊の問題を解決してみせるべきだろう。(当日の予定表を見ると、最後までいなかった可能性もある)



対米プロパガンダ(朝鮮戦争)



女性国際戦犯法廷から10年、東京で国際シンポ
市民社会の責任 「加害国日本に圧力を」


2000年12月に東京で開かれた日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷から10周年を迎え、「法廷は、何を裁き、何が変わったか~性暴力・民族差別・植民地主義~」と銘打つ国際シンポジウム(共催=同シンポ実行委と東京外語大学海外事情研究所など)が、5日、東京・府中市の東京外語大学ホールで開かれた。
シンポには、「法廷」の首席検事を務めたパトリシア・ビザー・セラーズさん(元国連人権高等弁務官事務所・女性の人権とジェンダー・セクションの法律顧問)、「法廷」国際実行委共同代表だった尹貞玉さんとインダイ・サホールさん(国連人権高等弁務官事務所・太平洋地区ジェンダーアドバイザー)をはじめ南、中国、米国、フィリピン、インドネシア、台湾などから日本軍性奴隷被害女性たちとその支援者たち500余人が参加した。
シンポではまず、この10年の間に他界した被害女性たちに黙祷した後、主催者を代表して東海林得子・実行委委員長があいさつした。同氏は「10年前、法廷が戦時性暴力という不正義を裁き、日本史上初めて戦争当時最高責任者であった昭和天皇が裁かれ、国際史上例を見ない残虐で組織的な性暴力が行われたことが認定され、9人の日本軍責任者および日本政府の責任が問われた」とその歴史的意義を誇らしく振り返った。
シンポの第1部では、パトリシア・ビザー・セラーズさんが基調講演に立ち、「この間、1人ひとりの被害者らは、繰り返し、日本政府を提訴して、賠償を求めてたたかってきた。10年前の『法廷』の判決の脚注36は、『本判決の判決を確実に各方面に伝え、実行に移すのは、グローバルな市民社会の課題である。加害国日本、第2次大戦時の連合国各国及び被害国の市民社会には、日本政府が補償を実行するよう圧力をかける特別の責任がある』」と指摘した事実をあげて、同氏は「法廷」10周年を記念するこの場が、「市民社会による判決の実行のひとつの形だ」と強調した。
第2部ではアジアの日本軍性暴力被害者の証言が続いた。中国から来た韋紹蘭、羅善学さん親子は桂林で行われた残虐な住民虐殺と略奪、慰安所での野蛮極まりない拉致、監禁、強かんの実態について具体的な証言をした。韋紹蘭さんは、1944年11月、洞窟に隠れていて他に移ろうとしたとき日本軍に発見され、桂林に連行され、約3カ月部屋に監禁されて、連日兵士の相手をさせられたと涙ながらに証言をした。そして、ここで身籠り生まれたのが羅善学だった。その後、羅さんは村人たちから「日本鬼子の子」と蔑まれたことなど不幸な半生を慟哭しながら語った。羅さんは「私の人生は台無しだから何も望まない。ただ日本政府が母に対して行った仕打ちを謝罪し、賠償してほしい。みんなでたたかい続けよう」と呼びかけた。
また、フィリピン・ルソン島で被害にあったナルシサ・クラベリアさんも証言に立ち、1943年、14歳で慰安婦にさせられた体験と日本兵によって両親、弟妹が目前で虐殺された体験を詳述した。ナルシサさんは「8歳の妹は捕まえられ、空中に放り上げられて落ちたところを銃剣で刺し殺され、弟は水がめが置いてある家の台所に連れていかれ、そこで殺害された。父はのどから性器のところまで皮膚を剥がされて、まるで豚を殺すようにして殺された。母はレイプされ命を奪われ、その後家を焼かれた。ともに慰安所に連行された2人の姉のうち1人は、無惨な体験によって正気を失い、もう1人は行方不明、マニラで働いていた姉も日本軍によって性暴力を受けた」と悲惨きわまりない体験を語った。
第3部では「法廷の判決・勧告/証言をどう引き継ぐか」が行われた。また、同シンポには朝鮮・日本軍慰安婦・強制連行犠牲者問題対策委員会と朝鮮民主女性同盟中央委員会から連帯のメッセージが寄せられた。また、朝鮮検事団代理として丁煕子・女性同盟中央副委員長が出席した。
シンポでは「慰安婦問題解決のために、戦争と性暴力が繰り返されない21世紀を創るために、それぞれの生きる場でこれからも力を尽くす」ことを宣言し、閉会した。(文・朴日粉、写真・尹梨奈)


朝鮮新報 2010.12.7


【東京】従軍慰安婦問題など戦時中に起きた性暴力の責任を問い昭和天皇や当時の政府・旧日本軍責任者らを裁いた民間法廷「女性国際戦犯法廷」の開催から10周年を記念した国際シンポジウム「『法廷』は何を裁き、何が変わった」(女性国際戦犯法廷10周年実行委員会主催)が5日、東京都府中市の東京外国語大学で開かれた。元慰安婦らの被害体験を共有し、今後も政府に明確な謝罪と補償を訴え、二度と慰安婦制度が繰り返されないために行動することを確認した。
パネル討論では沖縄女性史家の宮城晴美さんが在沖米兵による性犯罪の実態を報告。宮城さんは「検挙されるのは一部で、検挙数の背後でどれだけ大勢の女性が泣き寝入りしているか分からない」と説明。事件が繰り返される背景に「沖縄が日本とアメリカの植民地状態であり、民族差別、女性差別が続いている」と指摘。「沖縄の女性が独自に性暴力を断ち切ることはもはや不可能。だから日米同盟の意義を問い、米軍基地の撤去を求めている」と訴えた。
元慰安婦のナルシサ・クラベリアさん(フィリピン)は、強制的に日本軍駐屯地に連れて行かれ、無理やり兵士の相手をさせられた体験を涙ながらに語り「日本政府が被害を認めないことに怒りを感じる。女性の尊厳を求める闘いを続けないといけない。たとえ一人になったとしても闘い続ける」と語った。


琉球新報2010.12.7

元慰安婦が謝罪や補償を要求  性暴力法廷10年集会
2000年に東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」から10年を迎え、慰安婦問題を再考する国際シンポジウムが5日、東京都内で開かれた。
フィリピン人元慰安婦のナルシサ・クラベリアさん(80)は「日本兵に家族を殺され、駐屯地に連れて行かれて毎晩レイプされた。強制労働、空腹など、この世のすべての苦痛を経験した」と証言。日本政府に謝罪や補償を求めた。
韓国や台湾、インドネシアの出席者からも、元慰安婦が高齢化する中、早急な解決を求める声が相次いだ。
また、元慰安婦の中国人女性と日本兵の間に生まれた男性は「名誉は一生かけても回復できない」などと訴えた。
同法廷の首席検事を務めた米国の法律家パトリシア・セラーズさんは「弱い立場の女性が人身売買で性奴隷とされることは、現在も続いている」と指摘した。


岩手日報(共同?)2010.12.5