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2014/05/25

林博史教授 兵の慰安所通い裏付ける公文書発見(で?)


日本軍兵士が慰安所に通っていたことが日本軍の公文書で裏づけられたと。それのどこがニュースなのだろう?軍の食料を横流しして慰安所に通った兵士が軍法会議にかけられたという話なのだが、例によって、林博史教授は「この資料には軍隊が住民を守らないことが明確に記されている。日本軍の特徴そのものだと指摘する」・・・林教授は、嫌韓厨と似ている。キムチだろうと何だろうと韓国と関係のあるものなら何でも悪く言う嫌韓厨にそっくり。

「宮古島では終戦後、しばらしても慰安所が開設され続けていたことには驚いた」・・・そういえば、終戦と同時に戦争犯罪(慰安所)の露見を恐れて隠蔽工作を行ったという話はどうなった?

旧軍文書に「慰安所」宮古島での存在裏付け

沖縄戦時、宮古島に慰安所があり、日本軍兵士が通っていたことを裏付ける旧日本軍の文書が見つかった。これまで宮古島の慰安所の存在については住民の証言はあったが、軍の文書で裏付けられるのは初めて。関東学院大の林博史教授と佐治暁人講師が厚生労働省から情報公開請求で入手した。飢えで苦しむ宮古島で、兵士が軍の食料を住民に売って慰安所へ通った実態が記されており、林教授は「住民を守らない軍の姿が鮮明に表れている」と指摘する。(大野亨恭)

資料は厚労省所蔵の、1945年11月20日付の軍法会議判決を記した書類で、提出した第28師団司令部と受け取った法務局の印が押された公文書。

文書には、当時宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が軍の食料などを横流しして住民に売却、得た金を使い慰安所で「遊興浪費」したとして、懲役1年の刑に処したことと、その判決理由が記されている。

それによると、被告人の衛生兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に従事。45年8月中旬には軍から馬肉約40キロを預かって病院へ戻る途中、民家で2斤(約1・2キロ)を20円で売却し、慰安所へ行った-などと複数回の犯行が記されている。

旧日本軍が中国などアジア各地に設置した慰安所は終戦後、閉鎖されたとされているが、発見された文書には〈10月2日に(砂糖菓子の)金花糖60キロを受け取り、翌3日にうち2キロを20円で売却し、慰安所で遊興した〉とあり、宮古島では10月上旬まで慰安所が残っていたことも分かった。林教授によると戦後も慰安所が継続していたことを示す文書が見つかったのは初めてだという。

宮古島には沖縄戦当時、陸海軍合わせて約3万人が駐留していた。住民は戦中から戦後にかけ、ソテツを食べて一家が中毒死するなど飢えに苦しんだが、軍は終戦後も食料を住民に渡さず、一部の兵士は売り渡して慰安所に通っていた。林教授は「この資料には軍隊が住民を守らないことが明確に記されている。日本軍の特徴そのものだ」と指摘する

沖縄戦時、宮古島には少なくとも17カ所の慰安所があり、ほとんどが朝鮮半島から連れてこられた女性だったことが、研究者らの調査で分かっている。


公文書としては初の発見/宮古旧軍文書に「慰安所」明記

沖縄戦当時、宮古島に旧日本兵が通っていた「慰安所」があった事実を裏付ける公文書が初めて発見された。これまで、宮古島の慰安所の存在は戦争体験者や慰安婦の証言などで知られていたが、その存在が明記されている公文書が明らかになるのは初めて。関東学院大学経済学部の林博史教授が研究資料として厚生労働省に情報公開請求した「軍法会議報告」文書の中から見つけた。


 発見された資料は厚労省が保管していた「台湾軍管区臨時軍法会議豊部隊法廷裁判宣告報告」で、沖縄戦当時、宮古島に駐留していた第28師団司令部あて提出されている。その内容は1945年11月20日付で、軍法会議判決を記したものとなっている。

 同裁判宣告報告では当時、宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が、軍の食料などを横流しして住民に売却し、得た金を使って「慰安所」で遊興消費したとして「業務横領」の罪に問われ、窃盗罪として懲役1年の刑に処したことや、その判決理由が詳述されている。

 被告人の同衛生上等兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に服務していた。45年8月中旬に城辺更竹にあった「獣医部」から馬肉約40㌔を預かって帰院する途中、増原付近の民家で2斤(約1・2㌔)を20円で売却し、慰安所で遊興したことなど、複数回にわたって犯行を繰り返しては慰安所で使ったたことなどの内容が記されている。

 また、同衛生上等兵は10月2日に「金花糖」(砂糖菓子)60㌔を受け取り翌3日に、このうち2㌔を売却して慰安所で遊興したことも記されていることから、宮古島では終戦後の10月ごろまで慰安所が開設されていたことも新事実として明らになった。

 林教授は「宮古の慰安所の存在は住民証言で存在していた事実は認められていたが、厚労省保管の公文書で、その存在が初めて明かされた」と説明した。

 また、当時の宮古ではマラリヤや飢えの苦しみ中で、多くの人が犠牲となったことついて触れ、「この資料は軍部に十分な食料があった事実を裏付ける証拠にもなる」と述べた。

 さらに、林教授によれば、各地にあった慰安所は8月15日の終戦と同時に閉鎖されているが、「宮古島では終戦後、しばらしても慰安所が開設され続けていたことには驚いた。これは初めて明かされた事実だ」と話した。

宮古毎日 2014.5.25

2012/09/13

「事実がなければ誰が千回の集会を続けるか」 坂本義和教授

坂本義和がわざわざ中日新聞に寄稿して訴えたことには・・・。紙から起こして下さった方々の労に感謝しつつ。

「確証の最適な根拠は行動」「日本軍慰安婦という事実がなければ、誰が千回の集会を続けるだろうか」という乱暴な論理と、「普遍的な人権問題」・・・支援団体の空虚なスローガンの受け売り。

竹島解決に向けて 坂本義和さん寄稿

慰安婦問題の反省こそ前提

島根県竹島(韓国名・独島)をめぐる日韓関係の緊張緩和に向け、国際政治学者の坂本義和さん(八四)から本紙に寄稿があり、紹介します。



日本政府は、竹島問題解決のために国際司法裁判所に提訴する決定をしたが、これに賛成である。

なぜなら、国際社会では、武力行使や経済制裁に訴えた領土紛争に伴う破壊と犠牲の深刻さを反省して、欧州共同体などの「国際共同体」が生み出されてきた。アジア地域でも多くの人が「東(東北)アジア共同体」の形成を唱えてきたが、およそ共同体が成立するには、基本的な価値観、ルール、法の共有が不可欠である。その意味で、日本政府が国際的な法規範に基づいて解決しようとするのは正しい。

だが、韓国はこの方式に賛同してこなかった。最大の理由は、日本政府が朝鮮の植民地支配に対する誠実な謝罪と反省を示してこなかったことへの不信にある。従軍慰安婦問題が端的な例である。

日本は一九六五年の日韓基本条約で、経済協力という名の下に五億ドルを支払い、韓国の対日請求権は終わったとしている。しかし、その時点では、慰安婦の存在そのものが双方に意識されていなかった。九一年以降、慰安婦だった女性たちが声を上げ、日本軍が占領したアジア諸国、オランダでも被害者が謝罪と補償を要求する権利を主張することになった。日本政府は対応を迫られ、九三年に河野洋平官房長官の談話が
発表された。

談話で「心からおわびと反省の気持ち」と言いながら、日本政府は被害者が要求する公的な謝罪と補償は行わなかった。民間の募金を基にした「女性のためのアジア平和国民基金」が一人二百万円を支払い、首相のおわびの手紙を添えるという方式で処理しようとした。この性格不明な対処は韓国の慰安婦の圧倒多数が拒絶した。

なお、先日亡くなられた三木睦子さんは当初、この基金の呼び掛け人の一人だっが、これが国家による誠実な謝罪と補償とは違うとして脱退された。基金の問題性を自覚されたからである。

こうした状況を背景に韓国の憲法裁判所は昨年八月、韓国政府が慰安婦問題の解決を怠っていることに違憲判決を下した。これに従って李明博大統領は、同十二月の日韓首脳会談で一時間にわたり、慰安婦問題への日本の誠実な対処の必要を説いたが、野田首相は消極的な対応に終始した。親日的と言われた李大統領が裏切られた思いを抱き、国内での支持を念頭に竹島上陸という「報復行動」をとったのも理解できなくもない

しかし、李大統領が、天皇の具体的な謝罪行為まで求める発言をしたのは明らかに失言である。日本の戦争責任を日本のふつうの国民以上に痛感している点で、私も敬愛を惜しまない現天皇について、あまりにも無知であり、恥ずべきである。

他方、日韓の歴史問題の焦点とされている「日本軍慰安婦」問題について、そうした問題の存在は「確証がない」という意見が国内にある。その確証とは何を指すのか。

第一に、ふつう確証とは日本政府・旧軍の公文書である。だが、終戦直後、官庁では書類が燃やし続けられたことは周知の事実である。韓国の研究者によると朝鮮総督府でも重要文書が燃やされてしまったという。文書がなければ事実はないというのは、文書信仰にほかならない。

第二に、確証の最適な根拠は行動である。慰安婦だった女性たちを中心として、ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行われる抗議集会は、昨年十二月に千回に達した。日本軍慰安婦という事実がなければ、誰が千回の集会を続けるだろうか。日本では、毎週金曜日に首相官邸前で脱原発のデモが続く。これを福島の恐るべき原発事故と原発への抗議との「確証」と認めない人は、現実に目を閉じているのだ。

慰安婦問題は、広く先進国の関心の的となった。二〇〇七年に米下院で決議が行われ、日本に公式な謝罪と責任を受け入れることを求めた。ほぼ同じ趣旨の決議がオランダ下院とカナダ下院、そして欧州議会で採択された。注意するべきは、どれも日本の「友邦」による要求であり、それは「反日」の表れでは全くないことである。

慰安婦問題を指摘する者は、韓国人であろうと日本人であろうと「反日」である、というレッテルを貼り付ける人が日本にいるが、それが誤りであることは明らかである。慰安婦問題は国際的な倫理基準に照らし、普遍的な人権問題として、広く国際社会が日本の責任を問うているものなのだ。

竹島問題で韓国が国際司法裁判所への共同提訴に応じない理由は、日本の歴史的責任の欠如にあるのだから、日本がまず、慰安婦問題で国際社会に認められる謝罪と補償を行うことを韓国に確約して世界に公表し、その上で共同提訴を呼び掛けるべきである。日本の自己反省をまず行動で示し、次に竹島問題の解決に取り
組むという順序を誤らないことが重要なのだ。

さかもと・よしかず 東京大名誉教授、国際基督教大平和研究所顧問。著書に「人間と国家―ある政治学徒の回想」など多数。本紙は昨年12月10日付「3・11と日米開戦70年」特集で大型インタビューを掲載した。

中日新聞 2012年9月8日(土曜日) 朝刊2面(紙ソース)

2012/03/28

韓国挺対協「野田に総理の資格なし、強制連行は事実」



昨日の産経の記事は誤報というより、記事の書き方がマズかった。2chでもさっそく「玄葉は日本人の敵」と単細胞が反応しているが、韓国でも産経の記事の通り玄葉外相が「強制連行の証拠はないが、否定はできない」と語ったと報じられている。昨日も書いたように、「強制連行を否定できない」というのは玄葉の個人的な意見ではなく、日本政府のこれまでの(そして野田政権も踏襲する)立場を述べたものである。それだけでも問題ではあるのだが、安倍政権でさえ修正出来なかった河野談話である。野田政権の閣僚である玄葉としてはこれ以上の事は言えないのだろう。

2chでは早速こんなAAが登場 ↑

さて、ハンギョレの記事である。挺対協のユン・ミヒャンは日本政府による資料隠蔽説を語っているが、隠蔽説は今でこそ日本では誰も本気にしていないものの、当初は吉見義明仄めかし、けっこう流布していた話である。ただ、彼がハッキリと言わなかったところがミソで、彼の言い分をよく読むと個人(軍人)の日誌が公開されていないとか、そういった類の話で、実は「事実究明に制約がある」という言い方しか彼はしていない。戦時中、日本政府が数万人の朝鮮人女性を慰安婦として徴用(強制連行)した資料を政府が隠している、といった噂とは関係ないのである(彼の話には、こうしたトリックが多い)。

強制連行という言葉は政治的な用語なので、これに拘るのは危険であるが、ユンが河野談話「強制連行」を認めたものとして見なしているという点は押さえておくべきだろう。それにしても、イベント会社がコンサートを管理しファンを動員したから強制連行だ、とは相変わらず強引な理屈である。


「性奴隷表現事実と乖離」野田日本総理発言俎上に

「慰安婦数字20万人根拠ない」被害者団体「話にならない説」悔しさ

日本の野田佳彦総理がソウル、中学洞(チュンハクトン)駐韓日本大使館の前に設置された平和碑の「性的奴隷」という表現に対して『事実と大きな乖離がある』と主張して、日本が動員した慰安婦の数を20万人だと書いた米国パラセイズパーク市の追悼碑に対しても「根拠がない」で話したのを置いて被害者団体が反発している。
27日の<産経新聞>報道を見れば、野田総理は前日開かれた参議院予算委員会で山谷えり子議員(自民党)が平和の碑(慰安婦少女像)に使われた「日本軍性奴隷問題」という表現に対する意見を聞くとすぐに「正確に記述されているのかというお尋ねなら、(私の返事は) 『大きい乖離がある』ということ」と答えた。 彼はこういった理由から「昨年12月イ・ミョンバク大統領との首脳会談の折、平和の費の早期撤去を要請した」と付け加えた。

山谷議員はこの日米国、ニュージャージー州の韓国人密集地域のパラセイズパーク市の慰安婦追悼碑と関連しても「1930年代から1945年まで日本帝国政府の軍隊によって拉致された20万人余りの女性と少女」という内容に対して問題があると指摘した。 野田総理は「(追悼碑に記述された)数値と経緯が根拠がなくはないか」と不快感を現わしたと<産経新聞>は伝えた。

玄葉光一郎外相は「パリセイズパーク住民の3分の1が韓国系で、米国で最も多い」とし「引き続き注目しながら適切に対応する」と野田総理を助けた。 しかし玄葉外相は「慰安婦募集に日本の政府官僚が関与したといって『強制連行』を認めた1993年河野洋平官房長官の談話を継承する」とし、強制連行と関連しては「証拠は出ていないが、否定はできない」と話した。

野田総理のこうした発言に対しユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会常任代表は、「日本軍慰安婦が20万人ということは研究者が当時日本軍規模と公開された文書、関連者らの証言らを土台にした推定値だがこのように推定値だけあるのは日本が関連文書を全く公開しないでいるため」としながら「日本がこの事件に対する真相究明の責任は忘却したままその規模が正確でないと話すのは話にならない説」と話した。 彼女はまた、「日本軍が慰安婦を組織的に管理して動員したという証拠がすでにすべて出てきたが強制動員ではなかったと話すのは掌で雨をふせぐこと」としつつ、「野田総理はアジアの未来関係を云々する資格はもちろん総理の資格もないと見る」と強く批判した。

最近民主統合当たり比例代表候補にも申請した日本軍慰安婦被害者イ・ヨンス(85)春門井は「私が15才だったある日の夜日本軍に台湾に引きずられて行った証人だ」として「日本が確実な証拠があることにもずっと嘘と妄言を日常行っている」と悔しさをさく烈させた。


“성노예 표현 사실과 괴리”
노다 일 총리 발언 도마에


“위안부 숫자 20만명 근거없다”
피해자단체 “어불성설” 분통


노다 요시히코 일본 총리가 서울 중학동 주한 일본대사관 앞에 설치된 평화비의 ‘성노예’란 표현에 대해 ‘사실과 큰 괴리가 있다”고 주장하고, 일본이 동원한 위안부의 수를 20만명이라고 쓴 미국 팰리세이즈파크시의 추모비에 대해서도 ‘근거가 없다’고 말한 것을 두고 피해자단체가 반발하고 있다.
27일 <산케이신문> 보도를 보면, 노다 총리는 전날 열린 참의원 예산위원회에서 야마타니 에리코 의원(자민당)이 평화비(위안부 소녀상)에 쓰인 ‘일본군 성적 노예 문제’라는 표현에 대한 의견을 묻자 “정확하게 기술돼 있느냐고 묻는다면, (내 대답은) ‘큰 괴리가 있다’는 것”이라고 대답했다. 그는 이런 이유로 “지난해 12월 이명박 대통령과의 정상회담 때 평화비의 조기 철거를 요청했다”고 덧붙였다.


야마타니 의원은 이날 미국 뉴저지주의 한인 밀집 지역인 팰리세이즈파크시의 위안부 추모비와 관련해서도 “1930년대부터 1945년까지 일본 제국 정부의 군대에 의해 납치된 20여만명의 여성과 소녀”라는 내용에 대해 문제가 있다고 지적했다. 노다 총리는 “(추모비에 기술된) 수치와 경위가 근거가 없지 않으냐”고 불쾌감을 나타냈다고 <산케이신문>은 전했다.


겐바 고이치로 외무상은 “팰리세이즈파크 주민의 3분의 1이 한국계로, 미국에서 가장 많다”며 “계속 주시하면서 적절히 대응하겠다”고 노다 총리를 거들었다. 그러나 겐바 외무상은 “위안부 모집에 일본의 정부 관리가 관여했다고 하여 ‘강제연행’을 인정한 1993년 고노 요헤이 관방장관의 담화를 계승한다”며, 강제연행과 관련해서는 “증거는 나와 있지 않지만, 부정은 할 수 없다”고 말했다.


노다 총리의 이런 발언에 대해 윤미향 한국정신대문제대책협의회 상임대표는 “일본군 위안부가 20만명이라는 것은 연구자들이 당시 일본군 규모와 공개된 문서, 관련자들의 증언들을 토대로 한 추정치이지만 이처럼 추정치만 있는 것은 일본이 관련 문서를 전혀 공개하지 않고 있기 때문”이라며 “일본이 이 사건에 대한 진상규명의 책임은 망각한 채 그 규모가 정확하지 않다고 말하는 것은 어불성설”이라고 말했다. 그는 또 “일본군이 위안부를 조직적으로 관리하고 동원했다는 증거들이 이미 다 나왔는데 강제동원이 아니었다고 말하는 것은 손바닥으로 하늘을 가리는 것”이라며 “노다 총리는 아시아의 미래 관계를 운운할 자격은 물론 총리 자격도 없다고 본다”고 강하게 비판했다.


최근 민주통합당 비례대표 후보를 신청한 바 있는 일본군 위안부 피해자 이용수(85) 할머니는 “내가 15살이던 어느 날 밤 일본군에게 대만으로 끌려갔던 증인이다”라며 “일본이 확실한 증거가 있음에도 계속 거짓말과 망언을 일삼고 있다”고 분통을 터뜨렸다.

2011/01/15

従軍慰安婦「おわび」見直す声【07年】河野氏「知的に不誠実」



[資料用]

安倍総理の発言をきっかけに国際的なスキャンダルになったこの時期、事態の鎮静化を図らなければならなかったというのは理解できる。しかし、信念があってこの談話を出したわけだから、日本を代表する政治家として外国にも説明する義務はあると思う。

さすれば、少なくともマイク・ホンダが主張していた陸軍の方針として強制動員していたのが慰安婦であったという誤解はぬぐえたのではなかったか?玉虫色の河野談話は少なくとも慰安婦の徴用(強制連行)説を認めたものではなかったはずだ。

河野洋平衆院議長が昨年11月、アジア女性基金(理事長・村山富市元首相)のインタビューに対し、従軍慰安婦の募集に政府が直接関与した資料が確認されていないことを踏まえたうえで「だから従軍慰安婦自体がなかったと言わんばかりの議論をするのは知的に誠実ではない」と語っていたことが明らかになった。

河野氏は93年の官房長官当時に従軍慰安婦問題で「おわびと反省」を表明する談話を出したが、各界でこれを見直す声が出ていることを厳しく批判したものだ。河野談話をきっかけに95年に発足し、元従軍慰安婦への支援を担った同基金が近く公表する「オーラルヒストリー」に掲載される。

インタビューで河野氏は、談話で「官憲等が直接(慰安婦の募集に)加担したこともあった」と認定した点について「どなたが何とおっしゃろうと問題ない」と断言。談話の前提となった政府調査での元従軍慰安婦16人への聞き取り結果を理由に挙げ、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる」と振り返っている。

従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は「処分されていたと推定もできる」と指摘。「(談話を出した)責任を逃げたり避けたりするつもりは全くない。談話を取り消すつもりも全くない」と強調している。

3月になって安倍首相の発言が河野談話見直しと関連して海外で報じられたことから、河野氏には欧米メディアから取材要請が相次いだ。事態の沈静化を図る河野氏は、現在は「信念を持って談話を発表している」と語るにとどめている

朝日2007.3.27(リンク切れ・要確認)

2010/12/16

軍務員にして隠ぺいした可能性(中央日報)



今回二年ぶりにこの話題が韓国の新聞に出たので。当時チェックしそこねていた中央日報の記事(08年6月)を記録する意味でここに取り上げる。


日本軍について研究してきた専門家は慰安婦が看護婦として雇用され、身分も軍務員に変化させた可能性が高いものと見ている。性的奴隷として雇った慰安婦を軍務員に変え、連合軍側に慰安婦の存在を隠ぺいする措置をとったということだ。


その「専門家」が可能性を指摘しているのは、身分を軍務員に変えたことではなく、隠ぺい工作についてである。そもそも可能性が高いとまで言ったかどうか疑わしい。

「隠ぺいする措置をとったということだ」・・・誰も断定していない。仄めかしてはいるが。  



共同通信が文書公開…軍務員にして隠ぺいした可能性

日本が第2次世界大戦で敗戦すると日本軍慰安婦を軍の病院の補助看護婦(看護師)として緊急雇用するよう命令を下していた事実が明らかになったと共同通信が20日、報道した。

日本軍が慰安婦を看護婦に切り替えるように指示した経緯が直接確認されたのは初めてだ。この内容は連合国側が暗号解読を通じて確認したもので、関東学院大学の林博史教授が英国公立文書館で発見したと共同通信は伝えた。

日本軍について研究してきた専門家は慰安婦が看護婦として雇用され、身分も軍務員に変化させた可能性が高いものと見ている。性的奴隷として雇った慰安婦を軍務員に変え、連合軍側に慰安婦の存在を隠ぺいする措置をとったということだ。

今回発見された文書によると慰安婦を看護婦に切り替える措置は東南アジア地域に派遣されていた第一南遣艦隊司令官が、サイゴン第一一特別根拠地隊などにあてた1945年8月18日付通達文に記されていた。この通達文は「シンガポール地域の日本海軍の慰安施設で働いた少女たちが海軍第一〇一病院で補助看護婦として雇用された」と指摘し「サイゴンでも同じ措置をしろ」と指示した。また第八通信隊から海軍民政部全責任者に送った同月20日付通達文には「全地域の日本女性を看護婦の資格で病院に割り当てよ」と指示した。そして「通達文を完全に理解した後、焼却しろ」と付け加えていた

中央日報 2008.06.21

2010/12/15

日本軍の偽装工作?【韓国政府調査】






マイミクのマイミクさんの親戚が元従軍看護婦で、一二年前だったか、彼から大叔母(?)が戦地からの引き揚げで慰安婦と一緒になった時の話を聞いた。慰安婦に看護婦としての教育を施そうとしたのだが、奔放な彼女たちはなかなか言うことを聞いてくれなかったとか。

戦地から看護婦という名目で引き上げて来たという話は、なにも新しい話ではなく、この台湾人の老人は体裁の為だったと証言している。これは自分が聞いた話とも一致する(写真は本職の看護婦と思われる)

二年前にも、林博史吉見義明といった学者が、慰安婦の存在を軍が偽装しようとした可能性があると発表して、ニュースになった。わざわざ改めて発表するくらいだから、偽装の可能性が高まったという印象を与えたのか(普通の人はそう思ったろう)、全て分かった上でか、琉球新報などは「『慰安婦隠し』で、犯罪を隠ぺいする重犯行為ともいえる」と書いた。

例によってジャパン・タイムズが英文でも報じたが、こちらも「海軍が性奴隷の存在を隠す為に看護婦として再雇用したのかもしれないと話した」という具合。

しかし良く見て行くと、林らは「手続き面などで慰安婦より看護婦の方が都合が良かったことなど考えられる」と、逃げ道を作っている。林や吉見が「ポツダム看護婦」の存在を知らないはずはないのである。もしも慰安所を軍(政府)が戦争犯罪だと考えていたなら、進駐軍に慰安所を提案などしなかったろう。一部の学者が「紛らわしい」言い方をするのはいつもの事で、こうして彼らは話を歪めていくのである。



日本が第2次世界大戦敗戦直後、東南アジアなどへ強制動員された韓国人慰安婦を軍看護士として偽装した事実が、政府調査の結果、初めて明らかになった。日本が、軍慰安婦の存在そのものを組織的に隠ぺいしようとしたという分析が提起された。

対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会(支援委)は、第2次世界大戦直後、インドネシアへ強制動員された韓国人日本軍慰安婦との面談と現地調査で、軍慰安婦偽装事実を確認し、これを記録した「インドネシア動員女性名簿に関する真相調査」報告書を14日、発刊した。

同報告書によると、日本軍はインドネシアへ連行した韓国人慰安婦を1945年8月1日、22日、30日の3回に渡り、看護士、臨時看護士、 用人(軍属の中で一番下の階級)などに編入した。太平洋戦争当時、インドネシアに配置された日本南方軍(第7方面軍)3つの陸軍病院名簿に301人の韓国女性が、看護婦として記載されているという。

報告書をまとめたカン・ジョンスク元支援委専門委員は、「韓国人女性は1945年当時、慰安婦の他に別の名目で、インドネシアに滞在する可能性が低かった。当時、看護婦として編入された女性の殆どが日本軍慰安婦だったものとみられる」と話した。

看護婦として偽装記載された韓国人女性らは実際、看護婦の役割もしていたことが分かった。インドネシアのスマトラやクタラザなどへ連行され た軍慰安婦出身の李某さんは、「慰安所の女性は、昼は看護婦として働き、夜は軍人のための慰安婦になった」と証言した。他の李某さんも、「戦争が終わった 後、看護婦の服を着て十字の腕章をつけた」とし、「連合軍が、慰安婦の存在に気付かないようにするためのものと思った。」と話した。女性らの証言による と、実際、看護婦トレーニングを受け、看護活動をした慰安婦も少なくなかったものと推定される。


支援委の調査官と面談を行った生存者のヤン某さん(87・女)は、「日本軍が、看護訓練の他にも刀を1本ずつ韓国人女性に持たせ、『連合軍 が来たら、刺せ』と指示したこともある」と話した。支援委の関係者は、「日本軍は、足りない看護の労力を確保しつつ、『戦争犯罪』に当たる軍慰安婦の存在 を隠ぺいするため、このように偽装を試みたものとみられる」と分析した。

東亜日報2010.12.15


「はじめて明らかになった」のではなくて、元ネタは2年前の日本の学者の発表。チョン・ジンソンも言っていたように、常にこの問題では日本の学者が主導権を握り・・・国際社会をミスリードしてきたのである。看護婦として帰って来たのは日本人慰安婦も同じ。