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2016/09/07

グッズ売り上げから正義財団へ2千400万円寄付(マリーモンド)

寄付された2千万円は、日韓合意潰しに使われる

慰安婦グッズを身につけた芸能人が話題になるようになって久しい。韓国では慰安婦支援が一種「トレンディー」になってしまったのだ(基地村売春婦じゃダメらしい)。

慰安婦グッズという発想は、学生サークルが始めたブルーミングプロジェクトが最初ではなかったかと思う(要確認)。取り上げたことがあったか忘れたが、2012年に設立したこのマリーモンドという会社も、スマホカバーなどを作って売っている(社名とは蝶を意味するラテン語とアーモンドを掛け合わせた造語)

MissAのスジも愛用するマリーモンドのスマホカバー

こうした慰安婦商売でどのくらい稼げるもののなのか自分には見当もつかないが、それがちょっと垣間見えた気がした。なんと売上金から2千200万円を挺対協らの日韓合意を潰す為の裏財団にポンと寄付したというのである。

慰安婦被害ハルモニ「少女像」の前で感激の涙!

第1237回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜集会が、29日の午後ソウルの鍾路区の旧日本大使館前で開催された。

この日集会にイ・ヨンス、キル・ウォノク、キム・ボクトン被害ハルモニらと挺対協初代会長であるユン・ジョンオク梨花女子大名誉教授、イ・ミギョン前国会議員など200人余りの市民と団体が参加した。

挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が主催し、韓国労総ソウル地域本部女性委員会が主管したこの日のイベントでソウル地域女性労働者の日本政府糾弾と韓日政府の12月28日合意の全面無効化、日本政府の公式謝罪、韓国政府の被害者に対する名誉と人権回復に更なる積極姿勢を要求した。

一方マリーモンドで製作、販売した「平和の少女像」バッチ、ブレスレットなどの収益金約2億4千万ウォンを日本軍性的奴隷制問題解決のための「正義・記憶財団」の設立基金に提供して注目を集めた。

韓国日報 2016.6.29[2]

慰安婦グッズで成功

위안부 피해 할머니 '소녀상' 앞에서 감격의 눈물!

▲ 왼쪽부터) 이용수,길원옥,김복동 할머니가 마리몬드서 '정의기억재단'설립 기금으로 쾌척한 성금을 들고 감격해 하고 있다. 이호형 기자
제 1237차 일본군 '위안부' 문제해결을 위한 정기 수요집회가 29일 오후 서울 종로구옛 일본대사관 앞에서 열렸다.

▲ 윤미향 정대협 회장이 수요집회에 참가한 시민들에게 인삿말을 하고 있다.
이날 집회에 이용수,길원옥,김복동 피해 할머니들과 정대협 초대 회장인 윤정옥 이화여대 명예교수,이미경 전 국회의원 등 2백여명의 시민들과 단체들이 참석했다.

▲ 초대 정대협 회장인 윤정옥(가운데) 이화여대 명예교수가 수요집회에 참석해 발언을 경청하고 있다.
정대협(한국정신대문제대책협의회)이 주최하고 한국노총서울지역본부 여성위원회가
주관한 이날 행사에서 서울지역 여성노동자들의 일본 정부 규탄과 한일정부 12월 28일 합의 전면 무효화,일본정부의 공식사죄,한국정부의 피해자들에 대한 명예와 인권회복에 보다 적극적인 자세를 요구했다.

2013/12/21

尹貞玉を訪ねて【日本の人格が問われてる】朝日新聞

ピロティホール 「若い母親が慰安婦として連行された」そう信じた日本人も多かった

挺対協の初代(共同)代表ユン・ジョンオク(尹貞玉)が90年代、すなわち慰安婦騒動が持ち上がった頃、日本人の聴衆に何を語っていたか。(再掲)

乳の張った若い母親が慰安婦として連行されたという話は、吉田清治の影響と思われる。現在では若い母親の話は出てこず、むしろ日本は12(14)歳からの少女が連行したという風に、「被害者」の幼さがアピールされることが多いようだ。

「私は無知でした」と「加害者」として打ちひしがれる日本人女性。ユン・ジョンオクは、挺身隊として動員された少女の一部が慰安婦に回されたと語っていたから、彼女の苦悩もひとしおだったろう。この時期、慰安婦 問題は、「朝鮮人」女性の問題として認識されていたらしいことも記事の中から透けて見える。

このインタビューは91年頃のもの。取材は朝日新聞の井上裕雅記者。女たちの太平洋戦争は、新聞紙上の連載をまとめたもの。

何万人もの若い朝鮮人女性が日本の手で従軍慰安婦として強制連行され、悲惨な最期を遂げました。今生きている人も心身ともに破壊されています。日本は責任をとろうとはしません。経済大国になったといわれますが、本当の”大国”とはいえないのではないでしょうか」。

韓国・梨 花女子大の前教授で、韓国挺身隊問題対策協議会共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク 65)はこう言って私の顔をじっと見た。日本各地で慰安婦たちの足跡を調べるために1991年8月末に来日した尹さんに、強行日程の中、短い時間だったが、インタビューに応じてもらった。

日本政府は信用できない

日本の植民地下で少女時代を送ったため、尹さんの日本語は流暢だ。

「アジアの平和をいうなら、日本は歴史を整理する必要があります。加害者としての日本、つまり侵略した責任を処理しなくては」

「相手が小さいと無視しようとする。その日本の”人格”が今問われています」

「・・・日本政府は信用できない。でも、日本政府と日本国民は違います。『アジアの平和と女性の役割』についてのシンポジウムが1991年5月末から6月初めにかけて東京と神戸で開かれましたが、そのとき日本の女性たちは真剣に取り組んでいました」

・・・日本を追及する言葉の内容とは逆に、疲れを柔らかい笑顔に包んでいた。その表情が心に残った。

尹さんは、私との会見の中で、従軍慰安婦 問題について責任を認めようとしない日本政府と、日本人は別だ、といった。が、「考える集い」では、在日女性の間から「日本の民衆も謝罪を」「日本の女性は加害者の立場にいたのだ」という意見が出た。・・・



8月24日の夜、大阪・森ノ宮ピロティ小ホールで開かれた「『朝鮮人従軍慰安婦 問題』を考える集い」には在日韓国・朝鮮人の女性をはじめ、男性、日本人らが参加した。その数300人で、会場に入りきれないぐらい。従軍慰安婦問題に対する関心の高まりがみえた。

尹貞玉さんの講演をはさんで十余人の参加者が同問題などについて自分の考えを発表、最後に「8・24アピール」を採択した。

大きな拍手に迎えられて登壇した尹さんはよくとおる声で話し始めた。日本語だ。メモをとる参加者が多い。

「慰安婦たちは『モ ノ』扱いだった。天皇の『下賜品』でした。『突撃一番』というコンドームをつけない軍人もいた。梅毒にかかり精神が錯乱した女性もいた。目が見えなくなっても軍人の相手をさせられた人もあったのです」

尹さんの講演に先立って語った日本人女性は声をしぼり出すようにして語った。

「世の中で一番いとしいものは自分の乳を飲んでいる赤ん坊ではないでしょうか。その若いお母さんたちが、何時に広場に集まれといわれ、赤ん坊を寝かせて集まると車に乗せられ、従軍慰安婦として連行されました。張る乳をおさえながらどんなに日本人を恨んだことでしょう。私は1944年、ソウルの朝鮮人の子供たちの学校に勤めていました。命令で子どもたちも軍需工場へ、ということで毎晩のように家庭訪問しました。私は無知でした。親御さんにとって私は鬼のように思えたことでしょう」

「日本の女性は従軍慰安婦のことをほとんど知らない。慰安婦のことがちゃんとされないと私は安心して死ねません」

加害者側にいた自分をさらけ出した話だった。

2013/12/08

ユン・ジョンオク(尹貞玉):日本はなぜ我が国の女性を連行したのか


早くも90年代の初期に、韓国で慰安婦問題に火をつけたユン・ジョンオク(尹貞玉)が「連合軍の慰安婦」という言葉を使っていたことに気がつく(翻訳の問題という可能性もある)。考えてみれば、彼女の世代(1925年生まれ)なら、米軍相手の売春婦が韓国で「慰安婦」と呼ばれていたことを知っているのは当然であった。彼女が問題視したのはもちろん、日本軍が慰安婦を利用したことではなく、日本政府による慰安婦の強制連行(戦時動員)であった。彼女にその考えを吹き込んだのが、金一勉や吉田清治の著書であった。

朝鮮人女性たちが慰安婦として連行され始めたのは、日本が本格的に中国侵略を始めた1937年ごろと思われる。

・・・中国本土にたくさんの軍人が投入されるにつれて朝鮮人女性の連行を考えたのである。

・・・性病をもたない日本の未婚女性を慰安婦として連れて行くわけにもいかない。そこで考えたのが植民地朝鮮の未婚女性を連行することであった。日本は儒教国である朝鮮が娘たちに厳しく貞操教育をすることを知っていた。

また、朝鮮の女性を慰安婦にした目的の一つは民族を衰退させるためであった。在日同胞の金一勉さんは『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』のなかで、日本は朝鮮民族を衰退させるために、その民族の基盤となる家庭、そしてその家庭の柱となる女性を破壊することが近道だと考えたのであろうと述べている。

もちろんそこには女性を男性の慰安物と考える女性蔑視思想が横たわっている。従軍慰安婦政策は日本の軍国主義、帝国思想と、男性中心主義による女性蔑視感が生んだ国策なのである。

「挺身隊(怨念の足跡)取材記」(1990年) 山下英愛訳



日本がわが国の若い女性たちを、なぜ、どのように、どれほど連行し何をしたのか、なぜ戦後帰って来る人がいないのかを早く明らかにして、責任の所在を問うていたならば、今日のように基地周辺や観光地で外貨獲得のために外国人を相手に働く韓国の売春女性はこれほど多くなかったのではないかと思う。

沖縄その他で日本軍の慰安婦だったわが国の女性たちが戦後、連合軍の慰安婦になったことを知り、この思いは一層切実である。

2013/09/09

沖縄の碑5周年 尹貞玉「ベトナムでは韓国兵は米軍の傭兵だった」


顕花するユン(左から二人目)もすっかり「ハルモニ」に

今年もこの話題。ユン・ジョンオク(尹貞玉)初代挺対協代表は、「平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」と言うが、慰安婦騒動はアメリカにまで渡り地域住民の不和の種になっている。煽っているのは彼女のお弟子さん達である。

ベトナムでの出来事にも触れているが、韓国兵は「米軍の傭兵」だったと言い訳がましい(それとも宮古新報の記事の問題か?)。アメリカ軍がレイプを命じたわけではなかろう。そして絶対に韓国軍の慰安婦については触れない・・・。

「慰安婦」を追悼、平和祈念

アリランの碑・女たちへ 建立5周年で集い

日本軍「慰安婦」の史実を伝えるために2008年に建てられた「女たちへ」と「アリランの碑」の建立5周年記念の集いが7日、上野野原の同碑前に関係者およそ40人が参加して行われた。参加者を代表して宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんらが碑前に献花し、亡き慰安婦を追悼するとともに、世界の平和を祈念した。


尹さんは「美しい宮古島のこの地に戦争のない平和な世界を祈る碑を建てた。ここに休んでいる女性たちが私たちと一緒に地球を守ってくれるように祈りたい。海も、空も、空気も汚れていない宮古島に、若いときに傷つけられた女性たちが眠っている。ここが、美しい地球が開発という名の下に破壊されることから守るシンボル(象徴)的な存在になるよう祈っている」と述べた。

また、「慰安婦」問題の研究者で早稲田大学名誉教授の中原道子さんは「これらの碑をこれまで守ってくれたのは宮古島の皆さんたち。この碑を建立した一人として、とても感謝している。碑は石。石はいつか欠けてなくなるかもしれない。しかし無くならないのはその女性たちの記憶とそれを引き継いだ私たちの記憶」と述べ、碑銘の「女たちへ」について「この島で生き、無くなった女性たちへの思いと、その記憶を引き継いで後世に伝える女たち。その人たち、少女たち、子どもたちへも呼び掛けた碑銘」と碑に寄せる思いを話した。

宮古毎日 2013.9.8

日本軍「慰安婦」問題の解決へ、記念碑建立5周年集い

日本軍 「慰安婦」 の祈念碑建立5周年の集い (主催・日本軍 「慰安婦」 問題を考える宮古の会) が7日、 上野野原の祈念碑 (アリランの碑・女たちへの碑) 前で行われた。 地元や沖縄、 本土、 韓国などから約40人が参加し、 戦時中に日本軍に強制連行され、 苦しみを強いられた女性たちに想いを寄せながら慰安婦問題の解決へ向けての気持ちを新たにした。 また 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎたい」 との決意も見せた。

午前10時過ぎから始まった集いでは、 中原道子さん (早稲田大学名誉教授) が多くの人の協力で行った日韓共同調査などにより、 「慰安婦」 の女性が韓国で生きていたことや祈念碑を建立した地元の人たちへの感謝の言葉を述べた上で 「5周年を迎え心からうれしい。 これからも女性たちの記憶を引き継ぎ、 後世へ残していきたい」 と述べた。

同祈念碑を建てる会共同代表で挺隊(ママ)元代表の尹貞玉さんは 「今は女性たちの犠牲の上にあり、 一緒になって平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」 と強調。 またベトナム戦争期に米軍の傭兵として戦った韓国軍兵士によるベトナムの女性への性暴力もあったことも説明し、 「申し訳ない」 と述べた。

祈念碑を建立した土地を提供した与那覇博敏さんは、 「女性たちは近くにある井戸で洗濯の行き帰り、 ここにあった木陰で休んでいた。 『兄さん、 兄さん唐辛子がないか』 と声を掛けられた。 日本語は流暢だった」 などと当時を振り返った。 祈念碑については 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎ、 繰り返さないために建立した」 と強調した。

このほかリレートークの形で洪ユン伸さん (早稲田大学国際言語文化研究所研究員)、平良修さん (日本キリスト教団牧師)、 友利恵勇さんらも女性たちへの想いや平和への願いを語った。

戦争時、 日本軍はアジア太平洋全域に 「慰安所」 をつくり、 沖縄に130カ所、 宮古島には少なくとも16カ所あったという。 そこでは日本、 植民地、 占領地から強制連行された女性たちが 「性奴隷」 として生活を強いられた。 宮古島では2006年から07年にかけて 「慰安婦」 を記憶していた人たちが韓国・日本の研究者との出会いから碑建立する運動が始まり、 08年7月に建立。 祈念碑には 「故郷を遠く離れて無念の死をとげた女性たちを悼み、 戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、 彼女たちの記憶を心に刻み、 次の世代に託します。 この碑をすべての女たちへ、 そして平和を愛する人々に捧げます」 との言葉が刻まれている。

宮古新報 2018.9.8

2012/12/12

慰安婦問題の母 「日本という鋳造機は人に害を与え自然を破壊する」


韓国での慰安婦騒動は、この人から始まった。名門、梨花女子大学のユン・ジョンオク(尹貞玉)。

人間性を回復しなければいけないと訴えるユン。彼女はこれを日本人に限ったこととはしていないが、「日本の鋳造機は地球上で最も大きく、周囲の多くの人々に害を加え、自然を最もひどく破壊しながら回っている」と言っているから、人類の中で最も人間性に欠けているのが日本人だと彼女は思っているのだろう。日本語版のまえがきだと思っても、日本に対する激しいヘイトの感情は抑え切れない。

そんな彼女だが、松井やより鈴木裕子ら日本人崇拝者は多い。そしてそうした人々が慰安婦騒動の中期において韓国側にせっせと燃料を提供したのである。山下英愛(ヨンエ)は、「尹さんは、強い民族意識と日本に対する厳しい批判の目を持っている。しかしそれはより深い隣人愛によって支えられている P.13」とフォローしているが、明らかに苦しい。

ちなみにユンが強い民族意識の持ち主だという山下の指摘だが、慰安婦騒動が形を変えた韓国の(反日)ナショナリズムの表れだということは、大沼保昭上野千鶴子のような進歩派も認めているようである。

私はここで長くを語りたくはない。二つだけ話そうと思う。一つは、20世紀末を生きている私たちは人間性を回復しなければいけないということ。もう一つは、「自分」の殻から脱皮しなければならないということである。私たちはお金を造るための巨大な鋳造機の小さな歯車になっているのではないだろうか。

日本の鋳造機は地球上で最も大きく、周囲の多くの人々に害を加え、自然を最もひどく破壊しながら回っている。それでも日本が最も立派だとうぬぼれているようだ。人間が生きる上で、なにが大切かを知らないところに問題があるようだ。私たちは小さな歯車には決してなってはいけない。人間には温かい血が流れているのだ。

このように私たちの心は鋳造機に溶かされる鉄ようようになってしまい、隣人の心を感じることができなくなってしまったようだ。46年もの間、口を閉ざし息をひそめて生きてきた元朝鮮人従軍慰安婦たちは、「民間業者がしたことだ」とか「見舞金を考えている」という言葉にあきれ返って、こぶしで胸を叩きながら立ち上がった。「私たちが望んでいるのはお金ではない」「犯罪人が誰を見舞うというのか」という言葉の真意が日本人には伝わらないようだ。[...]

言葉の上では日本人は何度も謝罪した。しかし、それが真の謝罪でなかったことは、韓国人ばかりでなく良心的な日本人も知っている。韓国人が願っているのは心からの謝罪なのである。日本が従軍慰安婦だった方たちに本当にすまなかったと考えるならば、誠意をもって真相を究明したと思う。真相が究明されたとすれば、心から謝罪せずにはいられないだろう。補償は謝罪の表現にすぎない。[...]日本人も人間として「自分」だけの殻を抜け出し、周囲を見て、自分がもたらした破壊を直視してほしい。[...]日本政府というのは、事態を把握して行動へ移すのに、足踏みする傾向があるようだ。そのような政府の姿勢を変えうるのは、日本人一人ひとりの力だと思う。そのために日本人は自分の殻から抜け出し、人間性を回復することから始めなければならないのではないだろうか。


「補償は謝罪の表現」・・・。こういう人たちは色々面白い言葉を発明する。

2012/11/06

慰安婦像を守る為、脱北者像に反対する偽善


慰安婦騒動を見ていて、つくづく感じるのは、この騒動を扇動している人々の偽善っぷりである。

挺対協はソウルの日本大使館前に慰安婦像を建てた。彼女たちはこれを「平和の像」と呼んでいるが、ソウル大のアン・ビョンジクが言ったように、「日本と喧嘩をすることが目的」である彼女たちに平和を語る資格はない。日本政府も外国公館の威厳の侵害防止を定めたウィーン条約違反であると不快感を隠さない。韓国政府はこれが不法工作物(国内法)であることを承知しているが、世論を恐れて撤去させられない。

そこで、今度はそれを真似る者が現れた。脱北者を支援する団体が脱北少女(キム・ソンミちゃん)の像を中国大使館の前に建てようとしている。苦しい立場に立たされた韓国政府は、中国だけ責めるのは問題、慰安婦像のケースとは異なると言い訳しているが、アメリカ軍の兵士に慰安婦を提供しておきながら日本だけ糾弾する慰安婦像は何なのだという話である。

ソンミちゃんが駆け込んだのは日本の総領事館

横田めぐみの母と一緒にブッシュJrと面会したことも
(ちなみに元慰安婦が米国大統領と面会した事はない・・たぶん)

話が逸れてしまったが、慰安婦像を設置した挺対協のユン・ミヒャン代表が、このニュースを聞いて「平和の碑(慰安婦像)を危険に晒すな!(평화비를 위태롭게 하지 마라!)」といって抗議しているのである。↓

「慰安婦像を危険に晒すな!」

本当に彼女が人権の為に活動しているなら、そして慰安婦像の設置がその目的の為に正当な行為であると思っているなら、なぜ脱北者の像に反対するのか?・・・慰安婦像は不法工作物であり、脱北者の像の問題で改めてその事が問われるのをユンは恐れている。

脱北者(予備軍)の問題は今なお深刻である。手厚いサポートを受けて余生を送っている「慰安婦被害ハルモニ」より余程切実であるはずだ。しかし彼女たちは目を逸らす。人権よりも、自分たちの脱法行為が問題になることを恐れているのである。

こんな空念仏のどこが耳に痛いのか? (2012.9)

こういう人間を朝日新聞の阿久沢記者のような日本人は賞賛するのである。山下英愛も挺対協の初代(共同)代表であったユン・ジョンオクを「日本に対する厳しい批判の目」は「深い隣人愛」(朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」P.13)と言ったものだが、彼女も一級のジャパン・ヘイターだった。

駐韓中国大使館前に脱北少女像…「韓中葛藤の恐れ」

脱北者人権団体が中国の脱北者強制送還に抗議する意味で在韓中国大使館前に建てようとしている脱北少女像をめぐり韓国政府当局と対立している。議論は先月9日、脱北者出身キリスト教信者の集まりの「キリスト教社会責任脱北同胞会」が少女像建立の意思を明らかにして起きた。

このアイデアを出した脱北難民ネットワーク事務総長のキム・ギュホ牧師は31日、「慰安婦水曜集会1000回を記念して日本大使館前に慰安婦少女像が設置されたように、脱北者水曜集会200回を記念する銅像を作ろうという意見が多かった」と話した。また、「発表直後に外交通商部、国家情報院、警察庁がそれぞれ再検討するよう要請してきた」と明らかにした。

キム牧師は2006年4月にブッシュ前米国大統領と面談したキム・ハンミさん(当時3歳)をモデルとして今年最後の水曜集会となる12月26日に少女像を除幕する計画だ。このために800万ウォンを目標に募金を行っているが、現在約50万ウォンが集まったという。設置場所はソウルの中国大使館向かいにある教会前の歩道だ。

外交通商部は少女像が韓中関係に再び摩擦の火種を投げかけかねないと懸念を示している。外交通商部当局者は「駐韓中国大使が設置の知らせを聞いて韓中の友好関係をつぶす象徴物になるものだとして何度も懸念を示した」と話した。韓国政府当局者も「脱北者問題の1次原因提供者は北朝鮮なのに、北朝鮮には触れず中国だけ追及するのは日本大使館前の慰安婦少女像の事例とは別に見なければならない」と話した。この地域の道路を管轄する鍾路区(チョンロク)は沈黙している。鍾路区の建設管理課担当者は、「現在慰安婦少女像は不法に道路を占有しており、脱北少女像を無条件で防ぐのは難しくみえる。中央政府で原則を定めた通りに従うのが道理だ」と話した。


ユンが死守したい慰安婦像




주한 중국대사관 앞 탈북소녀상 갈등

탈북단체 추진에 정부 난색

탈북자 인권단체가 중국의 탈북자 강제 북송에 항의하는 의미로 주한 중국대사관 앞에 세우려는 탈북소녀상을 두고 정부 당국과 대립하고 있다. 논란은 지난달 9일 탈북자 출신 기독교 신자 모임 ‘기독교사회책임 탈북동포회’가 소녀상 설립 의사를 밝히면서 시작됐다.

 이 아이디어를 낸 탈북난민네트워크 사무총장 김규호 목사는 31일 “위안부 수요집회 1000회를 기념해 일본대사관 앞 위안부 소녀상이 설치됐듯 탈북자 수요집회 200회를 기념하는 동상을 만들자는 의견이 많았다”고 말했다. 또 “발표 직후 외교통상부·국가정보원·경찰청이 각각 재검토하라고 요청해 왔다”고 덧붙였다.

 김 목사는 2006년 4월 부시 전 미국 대통령과 면담한 김한미(당시 3세)양을 모델로 삼아 올해 마지막 수요집회인 12월 26일 소녀상을 제막한다는 계획이다. 이를 위해 800만원을 모금하고 있는데 현재 약 50만원이 모였다고 한다. 설립 장소는 서울 중국대사관 맞은편 옥인교회 앞 인도다.


 외교부는 소녀상이 한·중 관계에 다시 갈등의 불씨를 던질 수도 있다고 우려를 표시하고 있다. 외교부 당국자는 “장신썬 주한 중국대사가 건립 소식을 듣고 한·중 우호관계를 망치는 상징물이 될 것이라며 여러 차례 염려했다”고 말했다. 정부 고위 당국자도 “탈북자 문제의 1차 원인 제공자가 북한인데, 북한은 건드리지 않고 중국만 추궁하는 건 일본대사관 앞의 위안부 소녀상의 사례와는 좀 달리 봐야 한다”고 말했다. 이 지역 도로를 관할하는 종로구청은 침묵하고 있다. 종로구청 건설관리과 담당자는 “현재 위안부 소녀상이 불법으로 도로를 점유하고 있어 탈북 소녀상을 무조건 막기는 어려워 보인다”며 “중앙정부에서 원칙을 정하는 대로 따르는 게 순리”라고 말했다.

2012/09/10

宮古島にユン・ジョンオク 慰安婦の碑4周年


このニュースは第一回、すなわち碑が建立された時から毎年お伝えしているような気がする。今回で四度目になる沖縄宮古島の「日本軍『慰安婦』祈念碑」の建立を記念する集会。最近はアメリカの慰安婦の碑が話題になっているが、韓国外で最初に建てられたのは、この宮古島の碑である。

挺対協の初代代表であり、慰安婦問題の火付け役の一人でもあるユン・ジョンオク(尹貞玉)や早稲田大学の中原道子が参加した。

「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と言うように、地元の人は素朴な善意で協力したのだろう。

それにしてもユン・ジョンオクの「ハルモニたちが心から望んでいるのは、賠償というより・・・」という言い草は酷い。アジア女性基金から償い金を受け取りたいと申し出た慰安婦を弾圧したのは、彼女が当時代表を務めていた挺対協である。ユン・ジョンオク自身、慰安婦たちが「償い金」を受け取ることのないよう盛んに運動していたのである。この事は「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の原田信一にも批判されている

なぜか沖縄には、現役の(挺対協)幹部でなくいつもジョンオクが来る

「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と中原道子。それはむしろ韓国だろう。歴史問題に特化されるのが不満なら、隣に立っているご婦人に言うべきだろう。日本軍慰安婦制度はアジア版ホロコーストだと騒いでいるのは、そのご婦人のお弟子さんたちである。

慰安婦問題解決訴え 祈念碑建立4周年の集い

【宮古島】2008年9月に宮古島市上野野原に建てられた日本軍「慰安婦」祈念碑の建立4周年の集いが2日、同祈念碑前で開催された。地元住民のほか、韓国挺身隊問題対策協議会の元代表である尹貞玉さんや中原道子早稲田大名誉教授らが参加し「一刻も早い日本政府による謝罪や補償が必要だ」と問題解決を訴えた。

宮古島には、大戦中に3万人の日本軍が駐留していた。これまでに17カ所の慰安所が存在したことが証言や調査により判明しているという。

碑には、韓国や中国など旧日本軍によって被害を受けた女性たちの故郷11カ国と、ベトナム戦争時に韓国軍による被害を受けたベトナムの合計12カ国語で「全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を願います」と記されている。

同市上野野原で生まれ育ち、戦時中に「慰安婦」の女性たちが洗濯からの帰り道に休んでいる姿を見たことがあるという与那覇博敏さん(79)は「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と話した。

同日午後からは、同市中央公民館で「慰安婦」問題を考える集いが開かれた。尹さんは「ハルモニ(おばあさん)たちが心から望んでいるのは、賠償というより日本政府が事実を認め、心から謝罪することだ」と話した。また、忘れたいけれども忘れられないような深い悲しみを示す「恨(ハン)」という言葉について「若いころは嫌いだったが、今になって分かるようになった。恨を晴らすために、日本政府に謝罪を求めていくことは、生命が続く限り叫び続けていかなければならない宿題だ」と話した。

中原名誉教授は「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と指摘し、「ハルモニたちが生存している間に何とか解決したい」と話した。

琉球新報 2012.9.10

2012/03/27

宮古新聞--忘れまい「慰安婦は日本軍の性暴力を受けた女性たち」



「看護婦の仕事があるなどとだまされ、あるいは強制連行されるなど、日本軍の性暴力被害を受けた女性たちだ」と言うからには、看護婦の仕事があると騙したのも、強制連行したのも日本軍だったという意味なのか?「住民虐殺」を死語にすまいと訴えているが、これは進歩的日本人による最近の造語だろう。・・・沖縄タイムズや琉球新報だけではないという事のようである。

宮古新聞は、宮古島の慰安婦の碑について尹貞玉(ユンジョンオク)の名を出している。宮古新聞も言うように、「『女たちへ・平和を愛する人たちへ』の碑」とは、韓国の挺対協が本土や沖縄のフェミニスト系団体の力を借り、日本国内に建立にすることに成功した貴重な「慰安婦の碑」である。

沖縄の朝鮮人慰安婦については、彼女たちが賑やかにやっていたという朝鮮人軍属の証言があったような気がする。「戦場の宮古島と『慰安所』」という本だったか?[要確認]

「慰安婦」(行雲流水)

大戦中、洗濯の行き帰り「慰安婦」が休んだという岩に銘板「アリランの碑」がはめこまれている。その後ろに、女性たちを悼み、戦争のない世界を祈る内容の碑文が、12の言語でつづられた2本の碑が建っている。その中央には「女たちへ・平和を愛する人たちへ」の碑もある。2008年、上野字野原に建立された祈念碑だ


▼宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会(共同代表・尹貞玉(ユンジョンオク)が、全国的な支援を受けて建立したものである。韓国・沖縄・日本「慰安婦」問題共同調査団は、宮古には16カ所の「慰安所」の存在を確認。県内では130カ所余知られている

▼看護婦の仕事があるなどとだまされ、あるいは強制連行されるなど、日本軍の性暴力被害を受けた女性たちだ

▼07年、米下院本会議は、従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に公式謝罪を求める決議案を可決。「慰安婦制度は日本政府による強制的売春」「一部教科書や公職にある者が問題を軽視」など6項目が決議案の骨子となっている

▼今、第32軍司令部壕説明板問題で熱い論議が交わされている。説明板から「慰安婦」「住民虐殺」の記述削除に、平和ガイドや平和教育関係の10団体が、削除撤回を求めて抗議。県は「現段階の研究では第32軍司令部壕で慰安婦の存在や住民虐殺があったという確証が得られない」と応酬。「沖縄戦の実相の歪曲につながる」と反論

▼戦後60有余年、復帰40年、普天間米軍基地問題も併せて、沖縄の行く末が案じられる。「慰安婦」「住民虐殺」などが死語になる日が来てはならない。

宮古新聞 2012.3.23

2011/06/05

兵士が見た多面的な慰安婦像とバイアス


昔を知らない私たちは、当時の人の証言と聞くと真に受けてしまいがちである。慰安婦の証言を疑うのはセカンド・レイプだという主張は論外としても、当時を体験した人の証言であっても「後知恵」によって本来の理解が曇らされてしまっている例もあるはずだ。

戦争の悲惨さを後世に伝えようと著述、講演活動をしていたこの曽根一夫は、戦場で慰安婦と接した体験を持つ旧軍兵士であった。彼は自分の体験から、

「私が戦地で見た限りでも、慰安婦の中で水商売経験者が占める率が圧倒的に大きかった。私もその種の仕事をしていたという慰安婦と幾人か接した。その慰安婦たちを通して感じたのは、男をあしらうテクニックを心得ていて、仕事の点では、素人の女と比較にならない程上手だった。しかし、この種の女が全部とはしないが、中には男擦れした女がいて、「将兵を優しく慰撫する」という目的に沿わない者が少なくなかった。

と当時の事を振り返っている。しかし、現在では「慰安婦の70%は朝鮮人」であり、朝鮮総督府が強制連行したものだとも信じている。これは彼が後年接した情報によって本来の像が歪んでしまった結果だろう。

彼はまた、戦地において慰安婦から直接「特殊看護婦」や「娯楽施設」の従業員の名目で騙されたという話を聞き取ってもいる。その事を彼は、

商売している女は作り身の上話が上手だから、といわれる方があるかも知れないが、語ったときの真剣な態度から私は信用できると思った。仮に話半分とうけとっても、軍の威光を背景にして民間業者があの手、この手を用いて募集したのを知ることができる。

と、冷静に振り返っているが、多分この辺が真相なのだろう。

彼が聞かされた「わたしは女学校に進学いたしました。それもお嬢様学校といわれた女学校でした。卒業してからはお華の稽古、茶道を習うなどして、花嫁修業をいたしておりました。そのまま順調にいったならいまごろは、奥様と呼ばれていたことでしょう(P.28)」という話は、娼婦の罪のない嘘だったのかもしれないが、女衒の手練手管に騙された女性は存在したのだろう。

ついでだが、「特殊看護婦が慰安婦だと知ったのは玄界灘を超えた直後」だったと話している事からも分かるように、この証言者は日本人女性であるらしい(曽根は中国戦線に出征していた)。ということは、慰安婦「被害者」には日本人もいたということである。賠償の対象から日本人を排除してきた国会議員や運動家たちは、この事についてどう説明するつもりなのだろうか(実は彼らなりの「言い訳」は存在する)?

戦争体験者としての曽根の記憶と認識は正しかったに違いない。しかし、90年代に入り次々に発表される後付の情報によって彼の考えは補正(?)されていく。

日韓併合や戦時動員についての彼の認識についても言えることだが(ここでは慰安婦問題に特化する)、彼の認識は、戦後の情報によりかなりのバイアスがかかっている。以下に見えるように尹貞玉(金一勉)の影響らしき物も見える・・慰安婦制度=民族抹殺政策説の信奉者なのである。

軍部、政府は、従軍慰安婦を内地女性だけで充足するのが難しいとみてとると、朝鮮半島を供給源とした。...朝鮮半島には健康的で若い女性がたくさんに在住している。若くて純真で、それに植民地政策下にあって忍従生活に慣れていたから、従順であった。...朝鮮総督府の権力を行使して集めることができる。朝鮮全土に配置してある警察官を総動員して当たらせたなら、万単位の女性を短期間に集めるのは容易である。

そうして強引に集めても、朝鮮の人は抗議することはできない。...朝鮮の女性を慰安婦とするのは、当時の軍部、政府にとっては、赤ん坊の手をひねるよりも容易なことであった。

それに、朝鮮民族から若い女性を引き抜くことにより、民族の繁殖抑止ができる。それがひいては朝鮮民族抹殺政策につながることになる。日本の国にとっては一石二鳥であった。軍部、政府はそれらに着眼して、朝鮮半島を慰安婦の供給源としたとされる。

しかし、最初は総督府の手を直接わずらわせずに、腕利きの周旋屋に依頼して、金と甘言によって募集した。...そうして募集していた間に戦地では従軍慰安婦の需要がいよいよ増した。そこで軍は、民間業者による募集だけでは供給に追いつけないとみて、強硬な手段を用いた。朝鮮総督府の権力による女集めであった。それは募集によるなど生易しいことでなくて、女狩りであった。朝鮮総督府は軍から依頼をうけると、朝鮮全土の警察官に指令して、16歳から20歳までの未婚の女性を対象としてリストを作らせた。そのリストを台帳として必要に応じて人数を牛蒡抜きにしたのだった。

出頭するよう指令された者はいかなる事情があろうとも、拒否することはもちろん、弁解することさえ許されなかった。日本人官憲の手から逃れるには、この世から消えてしまう以外になかった。中には、悲観してのあまり身を投げて自殺した娘があった。逃避しようとして山中に入り、人喰い虎の餌食となった母娘があった。といわれる。しかし、自殺したなら親がその責任を問われたから、この世から消えるのも容易でなかった。結局は悲運と諦めて、いうとおりに従うしか仕方なかった。

リストを作るには、警察機構の末端に在る駐在所巡査があたり、現地人補助警、面長(村長)に命じて人別したのだから、該当した女性は一人も洩れなかった。だから、朝鮮半島に在住していた該当年齢の女性は、全員が慰安婦とされる対象となったのだった。そうして朝鮮半島全域にわたって狩り集めたのだから、軍が要求した人数を満たすのは容易にできた。

...そのような女狩りが9年もの間つづいたのだから、狩り出されて慰安婦とされた朝鮮女性の人数は、膨大であったと推測できる。その間、朝鮮の人たちは、恐怖で心の休まる間はなかったと推測できる。


彼は現在では評判の悪い、吉田(清治)証言すら真に受けていた。曰く「その根拠がどこにあるのかは知らないけれど、慰安婦を体験したわたしには頷けるものがある」。


当時、山口県労務報国会下関支部に属して、動員部長として実際に朝鮮人を徴用したという吉田清治という方が健在しておられるので、その方の話を紹介する。私は、直接に面談したことがないので講演などで、知り得たことである。...この話から想像すると、徴用したというよりか、略奪したに等しいとうけとれる。吉田さんは、動員部長として朝鮮人徴用にあたった約3年の間に、強制連行した人数は男女合わせた約6千人、女性は少なくみても、950人はいたといわれる。

下関支部だけでそれほどたくさんの朝鮮人を連行したのだから、他の支部を合わせて累計したなら、膨大な数字になると推測できる。...吉田さんは、「私が強制連行した朝鮮人のうち、男性は半分、女性は全部が死んだと思います」と言っておられる。その根拠がどこにあるかは知らないけれど、慰安婦を体験した私には頷けるものがある。


体験者だからといって、その話が正しいとは限らないのである。彼の文章には「・・と推測できる」と書かれた部分が散見される。その推測の根拠になっているのは、戦後の「慰安婦論」であったりするのである。戦地で、これは慰安婦に限った話ではないが、悲惨な戦場の現実を見て来ただけに、こういった「慰安婦論」に取り込まれ易かったのかもしれない。

戦争の悲惨さを後世に伝えるつもりで、知らぬうちに非常に政治的な論争に巻き込まれてしまった。その為に自らの著書の価値を毀損してしまっている。気の毒なことである。