このニュースは第一回、すなわち碑が建立された時から毎年お伝えしているような気がする。今回で四度目になる沖縄宮古島の「日本軍『慰安婦』祈念碑」の建立を記念する集会。最近はアメリカの慰安婦の碑が話題になっているが、韓国外で最初に建てられたのは、この宮古島の碑である。
挺対協の初代代表であり、慰安婦問題の火付け役の一人でもあるユン・ジョンオク(尹貞玉)や早稲田大学の中原道子が参加した。
「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と言うように、地元の人は素朴な善意で協力したのだろう。
それにしてもユン・ジョンオクの「ハルモニたちが心から望んでいるのは、賠償というより・・・」という言い草は酷い。アジア女性基金から償い金を受け取りたいと申し出た慰安婦を弾圧したのは、彼女が当時代表を務めていた挺対協である。ユン・ジョンオク自身、慰安婦たちが「償い金」を受け取ることのないよう盛んに運動していたのである。この事は「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の原田信一にも批判されている。
なぜか沖縄には、現役の(挺対協)幹部でなくいつもジョンオクが来る
「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と中原道子。それはむしろ韓国だろう。歴史問題に特化されるのが不満なら、隣に立っているご婦人に言うべきだろう。日本軍慰安婦制度はアジア版ホロコーストだと騒いでいるのは、そのご婦人のお弟子さんたちである。
慰安婦問題解決訴え 祈念碑建立4周年の集い
【宮古島】2008年9月に宮古島市上野野原に建てられた日本軍「慰安婦」祈念碑の建立4周年の集いが2日、同祈念碑前で開催された。地元住民のほか、韓国挺身隊問題対策協議会の元代表である尹貞玉さんや中原道子早稲田大名誉教授らが参加し「一刻も早い日本政府による謝罪や補償が必要だ」と問題解決を訴えた。
宮古島には、大戦中に3万人の日本軍が駐留していた。これまでに17カ所の慰安所が存在したことが証言や調査により判明しているという。
碑には、韓国や中国など旧日本軍によって被害を受けた女性たちの故郷11カ国と、ベトナム戦争時に韓国軍による被害を受けたベトナムの合計12カ国語で「全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を願います」と記されている。
同市上野野原で生まれ育ち、戦時中に「慰安婦」の女性たちが洗濯からの帰り道に休んでいる姿を見たことがあるという与那覇博敏さん(79)は「戦争を体験した僕たちの世代には、戦争を二度と起こしてはならないと子や孫に伝えなければならないという使命感、責任感がある」と話した。
同日午後からは、同市中央公民館で「慰安婦」問題を考える集いが開かれた。尹さんは「ハルモニ(おばあさん)たちが心から望んでいるのは、賠償というより日本政府が事実を認め、心から謝罪することだ」と話した。また、忘れたいけれども忘れられないような深い悲しみを示す「恨(ハン)」という言葉について「若いころは嫌いだったが、今になって分かるようになった。恨を晴らすために、日本政府に謝罪を求めていくことは、生命が続く限り叫び続けていかなければならない宿題だ」と話した。
中原名誉教授は「この問題が女性の人権を守るためという認識が日本にはない。だから、すぐに歴史問題だけになってしまう」と指摘し、「ハルモニたちが生存している間に何とか解決したい」と話した。
琉球新報 2012.9.10