ラベル yo-吉田清治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル yo-吉田清治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017/05/21

秦郁彦 吉田の詐話と吉見の”発見”


読売新聞の連載「時代の証言者」。先月まで秦郁彦が登場。基本的に彼の著書に書かれていることと同じだが、第29回目は吉田証言と吉見教授の”発見”についてスポットライトが当てられた。吉田と吉見、二人のキーマンの存在で、慰安婦騒動の幕が開いた。

時代の証言者

秦 郁彦 29
実証史学への道

「吉田証言」の詐話を追う

1991年12月から92年1月にかけて、私が「ビッグバン(大爆発)」と呼ぶ、慰安婦問題の騒動が発生します。12月、旧日本軍に徴用された韓国人と遺族が、日本に謝罪と補償を求め東京地裁に提訴。この中に元慰安婦3人も加わりました。 1月11日には朝日新聞が、朝刊1面トップで、慰安婦の募集に日本軍が関与していたと報じます。

<<記事は、旧日本軍が慰安所の設置や従軍慰安婦の募集に関与していたことを示す文書が明らかになったという内容だった。従軍慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」との記述もあった>>

記事の根拠となった文書は、吉見義明中央大教授が防衛庁の防衛研究所図書館で発見した、とのこと。私は12月下旬、吉見氏と防衛研究所で偶然会い、近く朝日新聞に出ると聞き、なぜニュースになるのか疑問に思いました。

1938年に陸軍省が流したこの通達文書は、すでに20年前から公開されていたもので、慰安婦を募集する際、誘拐まがいのことをやっている悪質な業者がいるから、取り締まれという内容です。日本軍の関与には違いないが、良い関与だったからです。

それを、宮沢首相の訪韓(1月16日)という絶妙のタイミングに合わせて掲載したのでしょう。

ほかのマスコミも追随し、強制連行の証拠が見つかったかのような大騒ぎになりました。宮沢首相はソウルでデモ隊に迎えられ、何度も陳謝します。

強制連行説の根拠になったのが、吉田清治著『私の戦争犯罪』 (83年)です。戦時中、労務報国会(労報)下関支部の動員部長だったと称する吉田氏は、済州島で慰安婦を調達せよとの西部軍命令を受け、女性を狩り出したと書いています。

私は一読して怪しいと感じました。済州島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄。本に載っている命令書も、正規の体裁から外れている

私は吉田氏に電話しましたが、話に矛盾が多く、作り話と確信しました。出版社にも電話すると、担当者は「あれは小説ですよ」と言うのです。

私は彼を典型的な詐話師だと直感し、92年3月、証拠を見つけるため済州島を訪れました。最初に城山浦の貝ボタン工場を訪ねました。本には女子工員を木剣で打ちすえ、かり集めたと書かれています。近くの老人たちに話を聞くと、「そんな話はない。小さな村落だから、何十人も連れて行かれたら大事件だよ」と一様に否定しました。

さらに公立図書館で、地元の済州新聞が吉田本の韓国語版の紹介記事(89年8月14日)を掲載していたことを知りました。慰安婦狩りを裏付ける証言はなく、島民は「デタラメだ」と否定しているとの内容です。

書いた女性記者を訪ねると、「日本人はなぜこんな作り話を書くのでしょうか」と責められました。

帰国後、私の済州島での調査を取材した4月30日の産経新聞は、吉田証言を虚偽と断定しました。

(編集委員 笹森春樹)

読売 2017.4.24 8面

2015/02/20

韓国では、吉田清治は知られているが知られていない

ツイッターで言葉を交わしたことがある方々なので、断りもなくこうして取り上げるのは少々気が引けるのだが(だったら一言断れよという話だが・・・)、韓国人二人の間でも割れる見解。どちらもポジショントークをするような人ではないので、一見矛盾するようで、どちらも事実なのだろう。・・・韓国では、吉田清治(証言)は知られているが知られていない。

個人的にはこう考える。雲行きが怪しくなると、運動家たちはさりげなく吉田証言や河野談話のインパクトの希薄化を試みる。だから、慰安婦騒動を引き起こすのに大きな役割を果たした吉田証言が、現在は幻のようになっているのだろう。



2014/09/19

朝日のスクープで国会の雰囲気一変? (92年)

国は関与を否定していたわけではなかったが

朝鮮人女性が国家総動員法に基づき「強制連行(徴用)」されたのではないかという社会党の本岡昭次議員の質問から始まった国会での一連のやり取りだったが、1992年になると議論が一変する。何があったのか。この年の1月、朝日新聞が「関与の証拠」が発見されたと報じて大混乱になっていた。二ヶ月後の清水澄子議員の質問は、「国の関与」をテーマに始まる。今度は外務省、防衛庁、警察、文部省などが労働省(総動員法業務を担当)に加わり答弁に立つ。議論は強制連行の有無から完全に国の各機関が慰安婦とどう関わっていたかに移っているが、それでも清水の頭には依然として慰安婦の強制連行(徴用)という先入観があるようで、「朝鮮での強制的に徴募」とか「なぜ朝鮮の女性が選ばれたのか」、その「法的根拠」明らかにするよう政府に迫っている。彼女が有名な詐話師吉田清治を参考人として国会に呼ぼうとしたことも分かる。清水が、朝鮮での募集の際に軍と警察が動員されたと言っているのは、吉田の本(私の戦争犯罪)や証言がネタ元と思われる。

私はきょう、朝鮮女性を強制的に駆り出す役割を果たした元山口県労務報国会動員部長だった方を、こちらでその実態をお聞きしたいと思って参考人として要請しましたけれども、それが実現しなかったことは非常に残念です。

国側は、軍が何らかの形で関与していたらしいとは認めるものの(これまでも、国は軍の関与は否定していなかった)、「従軍という名のもとで強制的に連れていかれたのか」については「実態よくわかりません」と答える。俗に言う「強制連行」を裏付ける確たる証拠がないからだ。そんな政府を、清水は吉田清治が「非常に具体的な体験を持っているっしゃる」と政府の調査が不十分だと批判している。今から考えてショッキングなのは、加藤紘一官房長官が事実関係がよく分かっていないにも関わらず「我々は、この間総理の訪韓によって謝罪の気持ちをあらわした」と告白している点だろうか。

まず、事実関係を誠心誠意調べていかなければならないと思っております。・・・我々は、この間総理の訪韓によって謝罪の気持ちをあらわしたわけでございますし、また当時の方々の筆舌に尽くしがたい辛苦というものを考えれば何らかの措置というものを考えられないか、そういう骨組みで考えていきたいと思っております。(加藤紘一

渡辺美智雄外相も、政治問題化している以上何らかの謝罪が必要という認識を示している。結果論だが、こういった甘さが命取りになった。

従軍という名のもとで強制的に連れていかれたのかどうか実態はよくわかりませんが・・・政治問題になっていることは事実ですから・・・実態をまずきちっとつかんだ上で・・・何かおわびのしるしというか、そういうことは何か考えなければなるまい

慰安婦問題が外交問題化すると「警告」したり「心配しております」などと清水が言うのを、今となっては苦々しい思いで読む人も多いのではないか。彼女が日本人慰安婦の存在にも触れながら、朝鮮人慰安婦だけを問題にしているのは、やはり「強制連行の有無」と見ていいだろう。

日本人の女性を慰安婦にしたことにも私は非常に大きな問題があると思っております。しかし、朝鮮の女性たちにはさらに植民地支配という、そういうやはり民族的な支配と差別があった

かなり長いやり取りを思い切って省略した。日本政府の補償に対する考え方、訴訟に対する考えなど色々な情報が含まれているが、ブログの性質上ここはあえて内容を絞ることにした。



○清水澄子君 私は、昨年(注:一昨年の間違いか)十二月の本予算委員会におきまして、従軍慰安婦問題について質問いたしました。その際に、政府がこの問題に誠実に対応しなければ、必ず日韓、日朝間の外交問題に発展するということを警告しておきました

その後、いろんな発展があったわけですけれども、現在、政府は調査をされておると思いますけれども、その進展状況と、今後の見通しについてお聞かせください。

○国務大臣(渡辺美智雄君) これは今、軍がある程度関与したということですね。はっきりしてきておりますが、どの程度のものであるか、地区によってもかなり違うような気がする。それに、従軍慰安婦になられた方々の中にも、千差万別のような状況があって、実態がわかっていない。したがって、今実態上では各省庁、できるだけの実態的な把握に一生懸命努めているというところであります。

○清水澄子君 六省庁ですから、じゃ一つずつおっしゃってください、どういう段階で何が出てきたかということを。

○政府委員(谷野作太郎君) それではまず、外務省の方からお答え申し上げます。

このいわゆる従軍慰安婦の問題につきましては、昨年末、内閣官房の調整のもとに、関係省庁におきまして事実関係を調査せよというお達しかございました。そこで、私ども外務省といたしましても、保管中の文書について、ただいま誠心誠意、大臣から申し上げましたように、調査を実施しておるところでございます。

何分、膨大な調査でございますので、いま少しお時間をいただきたいと思います。調査の結果が判明次第、内閣官房に御報告申し上げたいと存じます。

○政府委員(村田直昭君) お答えさせていただきます。

防衛庁におきましても、昨年末、内閣官房の方からの調査依頼に基づきまして、防衛研究所を初め陸上、海上、航空の各自衛隊あるいは防衛大学校等の各機関等において、関係資料の有無について鋭意調査をしているところでございます。

なお、これまでに新聞等で報道されたものを含めまして六十九件の資料が発見されておりまして、これらの資料につきましては、内閣官房の方に直ちに送付しておるという状況でございます。

○政府委員(多田宏君) 私どもの方も膨大な資料を念には念を入れて今さらに点検をいたしておりますので、まとまり次第、また内閣官房の方に提出したいと思っております。

○政府委員(井上幸彦君) お答えいたします。

私どもの方でも、昨年末に内閣の方針を受けまして、警察庁はもとより全国都道府県警察に対しまして、関連の資料があるやなしやの調査を現在行っているところであります。現在のところ、これはという情報には接到していないところでありますが、なお念を入れて調査を続けているところでございます。

○政府委員(野崎弘君) お答え申し上げます。

文部省におきましては、全国の公立図書館、国公立、私立大学の附属図書館に調査を依頼いたしました。現在も継続中でございますけれども、現在のところ、公立図書館関係で、沖縄県教育委員会から、同県の浦添市立図書館所蔵資料の中に当時の資料が転載されている旨の報告がございます。この件につきましては、内閣官房外政審議室の方に報告をしているところでございます。

以上でございます。

○政府委員(佐藤勝美君) 労働省の状況でございますが、現在までのところ、省内関係部局及び関係機関におきまして所管する倉庫、書庫等を調査いたしましたが、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦に関します公的資料は発見されておりません。

当時の事情に詳しい行政関係者からもヒアリングを行いましたけれども、当該行政機関それから関係機関は、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦については関与しなかったということを聞いておるところでございます。

[...]

○清水澄子君 次に、名簿についてですけれども、あの資料を見まして、あれほど明確に各部隊の支隊まで、末端にまで何人と名前も全部名簿がございます。そういうことになれば、非常に名簿というのがはっきりしていたのではないかと思うわけですが、朝鮮での強制的に徴募した際の名簿というものは残っているのでしょうか。

そしてもう一つは、慰安所の設置場所で憲兵隊がきちんと名簿を作成しているという報告が出てまいります。それは、性病を予防し管理するために非常に厳重な管理をしているために逆に名簿は明らかであったと思いますけれども、その点いかがですか。

○政府委員(村田直昭君) その全体の名簿がどのように管理されておったかということは、私どもが持っている防衛研究所の資料だけではわからないわけでございまして、それについてはさらにいろいろな方法で調べるということが必要じゃなかろうかと思いますけれども、私どもああいう報告書というか、昔の旧公文書等だけでなかなかわからないのではないか、事実私は承知しておりません。

[...]

○清水澄子君 [...]いろんな記録によりますと、慰安婦の大半は朝鮮の若い女性たちですけれども、なぜ朝鮮の女性が選ばれたのか、その理由を明らかにしていただきたいと思います。

○政府委員(有馬龍夫君) 構成の比率等は正確にわかっておりません

○清水澄子君 それでは、どこの国の女性が資料の中から出てきたか、国別に御報告ください。

○政府委員(村田直昭君) 資料に基づいて、この資料からそういうのが出てきたものとしましては、朝鮮の方、それから台湾の方、それから半島の方と書いてあるのもあるんですが、等でございます。

○清水澄子君 またごまかされます中国ともありましたし、フィリピンというのもあります。いろいろあるわけです。ですから、そういうお尋ねをしたときにはあくまでも資料に忠実にお答えいただきたいと思います。

次に、朝鮮で若い女性たちを強制的に集めた、その場合の募集方法というのを明らかにしてください。そして、そのときに日本軍、警察が多数動員されておりますけれども、それらを動員するための法的根拠は何であったのかお聞かせください。

○政府委員(有馬龍夫君) 募集の実態についての資料は見つかっておりません。それから、法的な根拠というものもわかっておりません。

○清水澄子君 私はきょう、朝鮮女性を強制的に駆り出す役割を果たした元山口県労務報国会動員部長だった方を、こちらでその実態をお聞きしたいと思って参考人として要請しましたけれども、それが実現しなかったことは非常に残念です。

私たちはみずからの過去の歴史というものについて、みんなが本当に謙虚に事実を認識するということが大事だと思うわけですが、これまで質問した中では、本当にこれが実態調査、鋭意調査をしているという中身であろうか。全体像はおぼろげにわかりましたけれども、今までの資料の中でも、私たち素人がやってももっと正確なある程度の全体像が出てまいります。そういうものを今後も徹底して調査をしていただきたい、これでは調査だと言えないと私は思うわけです。

そこで、私は官房長官にお尋ねしますけれども、今お答えいただきました事実から、従軍慰安婦というのはやはりかつてのいわゆる帝国政府及び軍当局が戦争を遂行するための手段として、日本軍の軍人、兵士に性的慰安、これは旧軍隊が使っている言葉ですけれども、そういう性的慰安を与えるために朝鮮の女性を駆り出したものと見られますが、政府はこの事実をお認めになりますね

○国務大臣(加藤紘一君) 政府が集めました資料につきましては、それが明確になったものから今先生のお手元にあるように公表いたしたりしておるわけでございますけれども、累次御答弁申し上げておりますように、いわゆる朝鮮半島出身の慰安婦の問題につきましては、かつての日本軍が何らかの形で関与していたということは確かなことのように思います。したがいまして、その旨政府としても従来からお答えいたしておりますし、またそういう認識を今も持っております。

[...]

○清水澄子君 外務大臣、私どもはいろいろ新聞等でお見受けしているわけですけれども、衆議院の方でもこの問題が論議されて、非常に前向きな発言をされていらっしゃるわけですけれども、補償の必要性は考えていらっしゃるでしょうか。そのしかるべき措置というのはどういう方法で、何らかの誠意を示さなきゃならないという点についてどういうふうにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。

○国務大臣(渡辺美智雄君) 私は、この問題は法律論争を幾らやっておっても、これはもう平行線である、補償問題はこれは請求権は放棄、これは両国政府は取り合わない、したがって国際法上は決着済み、これが政府の基本的立場だろうと思います。

しかしながら、現実の政治問題として、そういうような慰安婦問題というのが新しく出てきて、それで非常な悲惨なことではあるが、戦争というものは常にそういうものがつきもので、殺された人もあれば、まことに残念なことだが、片手をとられたとか傷ついた人とかいろいろある。しかしながら、そういう方々には、軍人軍属の場合は相手国政府が何らかの措置をとってありますと。たまたま同じ従軍という名のもとで強制的に連れていかれたのかどうか実態よくわかりませんが、軍が関与をして、そういうような今いろいろお話があったようないきさつの中で慰安所というものがあった、従軍をしてきた人もいた。これもいろいろ本当に何といいますか、先ほど日本の吉原がどうとかこうとかという読み上げた中にもありましたが、当時は売春防止法もありませんから、そういうようなところから連れていかれた方とそうでない方があるいはあるのかもしらぬ。それらは実態を見なければよくわからないんです、実際のところが。

しかし、これは何か解決をしたければ、政治問題になっていることは事実ですから、事実は事実、しかし個々にやるといってもこれもまた非常に難しい問題だと私は思います。人を特定するということが非常に困難。じゃ三人とか五人とかという訴え出た人はそれはわかるかもしらぬけれども、それ以外の人は、訴えたい人はわからないからいいということにはなかなかこれはもう難しい問題だなと。だから何とか実態をまずきちっとつかんだ上で、何か慰安といいますか慰霊といいますか、何かおわびのしるしというか、そういうことは何か考えなければなるまい(ママ)という感じですかねという話を衆議院でしたんです。

[...]

○清水澄子君 [...]これまでの調査の仕方は非常に不十分だと思います。

それから、旧朝鮮総督府関係の資料とか旧内務省関係の資料、憲兵隊関係の資料などがまだ調査をされておりません。

そしてまた、きょう参考人としてお願いをした元山口県労務報国会動員部長の吉田清治さんなどは、本当に非常に具体的な体験を持っていらっしゃるわけです。それからまた、今名のり出ている元従軍慰安婦の方々からの事実関係というのは参考になります。その方々の話を聞きますと、まるで私どもは慰安婦という仕事だけかなと思っていましたけれども、お伺いしますと看護婦の仕事もさせられた、しかも赤十字の帽子をつけて、それをかぶらされて一カ月間いろんな訓練を受けて看護婦もやらされたという報告も聞いております。ですから、そういう実際に体験した方から事実関係のヒアリングを私は積極的に行っていく、そういう姿勢がなければ本当の実態は解明できないと思うわけです。

ですから、ぜひ今後の調査の中で、この従軍慰安婦や強制運(ママ)に関する政府所管資料をもっと全面的に調査され、体験者からもお話を聞かれて、そしてその資料を全面的に私は公開をしていただきたいと思いますし、またこの事実関係を徹底的に明らかにしていく、そういう真剣な取り組みに努力した上で、私は被害者の心に届くような謝罪とそして補償、救済措置を講じてほしいと思いますけれども、官房長官はその責任者ですが、その御決意いかがでございますか。

○国務大臣(加藤紘一君) 先ほど外務大臣から御答弁いただいたとおりでございます。

まず、事実関係を誠心誠意調べていかなければならないと思っております。そしてまた法的措置の問題、補償の問題は、総理大臣が申されましたように、これは法的には決着済みですが、しかしそれは訴権を害するものではありませんから、それの訴訟の成り行きを見ていかなければならない。しかし同時に我々は、この間総理の訪韓によって謝罪の気持ちをあらわしたわけでございますし、また当時の方々の筆舌に尽くしがたい辛苦というものを考えれば何らかの措置というものを考えられないか、そういう骨組みで考えていきたいと思っております。そのためにも当時の事情がどうであったのか、そしてそれにかわる何らかの措置というものをどう考えていったらいいのか、それについて真剣に検討していきたいと思っております。

[...]

次に、今ジュネーブで開かれております国連人権委員会で、NGOの国際教育開発協会の代表の方が、二月十七日にこの慰安婦問題を取り上げておりますし、それから二月二十五日には、韓国の女性団体が国連人権委員会にこの問題について申し立てをしております。また、今韓国内での従軍慰安婦の申告されている数が三月二日現在で百九十四人申告をされております。元慰安婦という方は六十八人、勤労挺身隊という方が八十六人、行方不明が四十人という、これは三月二日の数字ですけれども、こういうふうにまだ韓国の中でだんだん広がりが出てまいります

そこに加えて、今度台湾からやはり私は女性団体の訪問を受けたわけですが、そしてここに慰安婦の「慰」を入れ墨されたという女性にも会っているわけですけれども、そういう台湾、フィリピンの女性団体も今共同して国連人権委員会に提起をするという動きが出ているわけでございます。今や従軍慰安婦問題というのは、韓国、朝鮮との外交問題だけではなくなりつつある。世界は今、日本がさきの戦争で犯した、そしていまだに償おうとしない戦争と植民地支配の被害者、特に慰安婦にされた女性への深刻な生命と人権の侵害に対してみんなが注目をしております。

総理は、国際的な女性の人権問題に発展をしてきた従軍慰安婦問題をどう見ておられるのか、先ほどのお考えで私は国際的に通用しなくなるんじゃないか、このことを心配しておりますけれども、どうぞ御見解をお述べいただきたいと思います。

[..]

○清水澄子君 時間がなくて論争できませんけれども、日本人の女性を慰安婦にしたことにも私は非常に大きな問題があると思っております。しかし、朝鮮の女性たちにはさらに植民地支配という、そういうやはり民族的な支配と差別があったという、この問題は私たちはやっぱり反省しなきゃいけないと思うわけですね。それが、何か戦争一般論でこのお話をしていらっしゃるところに、私は、この問題の深刻な取り組みなり事態の受けとめ方がやっぱり弱いんじゃないかと非常に心配をしております。

[...]

2014/05/24

冷めた心で慰安婦問題の渦中にいた朝日記者

前川惠司 asahi.comより

産経新聞が慰安婦問題ビッグパン(秦郁彦)当時、騒動の中でも比較的冷静だった朝日新聞の前川惠司元記者を取材。女子挺身隊として(強制)連行された韓国人慰安婦が名乗り出たと報じた同僚の植村隆記者の記事を見て前川は、「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」と振り返る。現在慰安婦像を建てて回っている人々に対しても批判的だという。

当時騒動の中心だった朝日新聞の中にも疑問を感じている人はいた。しかも、この人は現場で取材もしている。前川だけではない。取材班を率いた人の中にも後悔を口にしている人がいる。にも関わらず、朝日新聞の方向性が変わることはなかった。

なお、記事を読むにあたって注意したいのは、名乗り出た女性がお金をもらえると喜んでいたとか、支援団体が無理やりデモに駆り出したというのは昔の話であって、現在では挺対協とハルモニの力関係は逆転しており、挺対協はハルモニが嫌がる「性奴隷」という言葉を使わない。ただし、お婆さんたちの目の届かない所(英語)では別。

【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(3)前半】元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」

慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として前川惠司(現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・済州島で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた吉田清治とも会った。

「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」

本紙の取材にこう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身(ていしん)隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞平成3年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆(今年3月退社、大学講師)の署名記事についても首をひねる。

「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った

挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。

前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。

エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。

93年11月、当時の首相、細川護煕と韓国大統領、金泳三による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。

厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白(そうはく)だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。

これが人権団体のやることか

前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。

別の集会では、元慰安婦らは「『今度、国連に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉(うれ)しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。

前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。

「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」

取材に対し、こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。

「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、李朝時代を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶(おとし)められて、侮辱を感じないのだろうか」

前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。

「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」

産経 2014.5.23

2013/04/05

もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (4)

[...]

労務報告会に戻ると長谷川嘱託が来た。今日は背広姿だったが、この男は軍服なんか着るよりそのほうが似合っていた。

[...]

「今日は身体検査を受けさせています。女たちには慰安所行きとは言っていません。事実を言えば逃亡しますから、対馬の陸軍病院の雑役婦募集だと言って志願させました」

「それは名案でしたよ。それであんな若い子が集まったんですね。対馬行きにしては船旅がながいが、御用船だからどこかに寄って貨物をおろしてから対馬へ行くとでも説明しましょう。海南島に着くまでは秘密にしておかないと、身投げでもされると困ります」

「海南島で、百名を一か所に収容するのですか」

「楡林の三か所の慰安所へ分けます。船の中で三班に編成しますが、特別上等なのがいたら将校慰安所にまわすかもしれません。それからお手数ですが、胸に名札をつけさせてくれませんか。貨物船だから船艙に分けて積むことになるでしょう。点呼のとき手間どると思うんですよ」

[...]

前渡金の支給日の八日は、朝から挺身隊の女たちが集まってきた。動員係が会計の女子職員といっしょに、名前の書いた封筒へ一円札で二十円入れたり白布をはさみで切って名札をつくったりして時間がかかった。林と山田が大声をはりあげ、女たちを名簿順に歩道に一列に並ばせて一階の配給係で前渡金を渡し始めた。松井が一人一人に名簿の氏名の下に拇印を押させて、前渡金の封筒と名札を渡すと、林は名札は服の胸にぬいつけてくるんだと言って自分の胸につけて見せて、女のまねをしてみんなを笑わせた。

「二十円もらって逃げたりしたら、警察につかまって刑務所に入れられるからな」と山田が言うと、前渡金を受けとった女がやりかえした。

「逃げても、日本には仕事がないよ。つしまへ行って三十円もうけたほうがいいよ」

[...]

四月十日は前夜の雨があがって上天気だった。朝から空襲警報が発令されて職員たちは床下や裏庭に掘った防空壕に掛けこんだりした。「朝鮮人女子挺身隊」の集合時間は十時にきめていて、沿岸の労報飯場の前には女たちが集まってきた。長谷川嘱託が昨日午後にやってきて、御用船は海峡のブイに係留されているので税関岸壁から通船を雇ってほしいと言ったが、下関には通船がないので機帆船をたのんだ。念のため今朝松井を東南部(ひがしなべ)の関門機帆船組合の下関支部へ確認に行かせた。

動員係の部屋に行くと下関署の労政係主任が来て女子挺身隊名簿を見ていた。

「若いのがよく集まりましたね。十八歳が多いじゃないですか」

「佐々木さんのおかげですよ。十八歳未満が十名ばかりいますが、動員命令書にあわせて十八歳と書いてあるので十八歳が多いんです。みんな窃盗の前科があります」

「乗船のときの警備は水上へ連絡してありますか」

「その必要はないですよ。みんな対馬の陸軍病院の雑役婦だと信じていますから。もうかなり集まっているようです。行ってみませんか」

「そういうわけなら、あまり制服で近よらんほうがいいでしょう」と言って労政係主任は署に帰って行った。

十時に動員係をつれて労報飯場へ行くと、倉庫の前まで女たちであふれていた。年寄りや子供たちもたくさん見送りに来ていたが、いつもの勤労報国隊派遣のときとちがって今日はにぎやかだった。朝鮮服を着た女はすくなくたいてい日本人のようなモンペ姿で、ワンピースやスカートの女もいた。

[...]

十二時になって挺身隊を広場へ整列させるときも、はじめと同じように手間どった。山田が先頭に立って、挺身隊は倉庫がならんだ道を貨物引込線にそって三百メートル先の税関に向かった。見送りの家族たちが道いっぱいになってついてきた。対馬行きを見送るつもりで、家族たちは笑いながらにぎやかにしゃべって、不安げもなく歩いていた。

税関庁舎前の広場へ着くと庁舎から軍装の長谷川嘱託たちが出てきた。

「ご苦労さま。税関の手続きはすみました。女子挺身隊の荷物の検査はしないそうです」

「機帆船は一時に来ることになっています。挺身隊の受領をお願いします」

挺身隊員と名簿の照合確認が終わると、税関待合室で朝鮮人女子挺身隊百名の派遣受領証に、○○部隊長長谷川嘱託の受領印をもらった。午後一時過ぎ、百人の大坪の女は二隻の機帆船に分乗して岸壁を離れて御用船に向かった。


もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (3)


[...]

清子の長屋を出て二、三軒まわり、本通りで佐々木刑事たちと出会い、いっしょに昼食に労報へ帰った。昨日からの募集人員を集計すると、今日労報に出頭してきた者を加えて八十人を超えていた。午後の募集には林と松井をいっしょに行かせて、私は身体検査と検診の打ち合わせに西川医院へ行った。
西川医院は労務報国会近くの岬之町にあって、内科・泌尿器科だった。西川先生は私を奥の応接間へ案内して、酒とビールの礼を言った。

「今どきたいへんな貴重品をいただいて恐縮でした。薬用アルコールの代用品ではあじけないですよ。おかげさまで昨夜は酒にしようかビールにしようかと迷いましてね。久しぶりに陶然としました」

「先生はどちらがお好きかわからなかったので両方を運ばせました」

「両方とも大好物ですよ。ところで慰安婦は集まりましたか。いくら朝鮮人でも百人も慰安婦を集めるのはたいへんだったでしょう」

「八十人ばかり集めました。今日じゅうには百人そろえる予定です。ただ料理屋で働いていた女が半分おりますので、病気をもっていなければいいんですが」

「朝鮮人の料理屋の女はみんな淋病や梅毒にかかっていますが、そんなにひどくなければいいんじゃないですか。一時しのぎに注射をしときましょう。戦地では兵隊にサックを持たせてありますからね。使わんやつが悪いんですよ。無きずの朝鮮人の女を百人も集めるのは、労務報国会でもむずかしいでしょうが」

労報としては診断書さえつけて送ればすみますが」

「いいですとも。診断書なんかいくらでも書きますよ。私も北支事変のときは野戦病院の軍医をやりましたが、どこの部隊でも軍医が慰安所の女の検診なんかやるひまはないですよ」

「実は朝鮮人の女たちには慰安所行きとは言ってないんです。事実を言うと逃亡する者が出たりして取締まりがたいへんですから、対馬の陸軍病院の雑役婦ということにしてあります。それで料理屋で働いていた女は、検診を受けたりすると、慰安所行きだと気づかんでしょうか」

「職員のひとが持ってこられた動員命令書の写しには、妊婦を除くと書いてありましたね。妊娠しているかどうかを診察すると言っておいてください。診断書で朝鮮語でぎゃあぎゃあ騒がれたらかなわんですよ」

七日の朝出勤すると、労務報国会の前の歩道にはもう朝鮮人の女たちが五十人ばかり集まっていた。みんな意外にこざっぱりした身なりをしていた。労務報国会は電車通りで、市外電車の窓から日本人がめずらしそうに見て行った。朝鮮人の多い下関でも若い女がこれだけ集まると目立った。[...]朝礼をすますとすぐ動員係の今日の業務の分担をきめた。松井と山田には西川医院へ行って女たちの整理と診断書に氏名を記入させることにして、林には労報の前で女たちを点呼して、名簿順に二十名ずつ西川医院へつれて行くように指示した。
佐々木刑事が部長室で「朝鮮人女子挺身隊名簿」を調べていた。名簿は女子職員に数部複写させて、私の机の上にも一部置いてあった。通し番号は百十一となっていて十一名余分に募集していた。

「まるで一斉検挙ですね。大坪の女の大掃除になります。刑事室の連中も喜ぶでしょう」

「しろうとの女は何名くらいいますか」

「酌婦あがりが四十四名、逮捕歴のあるのが五十七名で合計百一名ですね。しろうとは産婆の朝島が指名した八名のほかに二名だけです」

「一名は食糧配給所の女中ですね。もう一名はどんな女ですか」

「年は十六歳です。住所と姓が酌婦と同じですから、たぶん妹ですよ」

「西川先生にたのんで、からだの弱いのから十一名を除きましょう」

「花柳病のがいますよ」

「西川先生が、あまりひどくなければ診断書を書くと言っていました。あの先生ならたいていは見のがすでしょう」



つづく

2013/04/03

もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (2)


吉田は、この種の朝鮮人女性のエピソードを沢山書き連ねているが、ここではその一部だけ紹介する。九州での自分の体験を交えて書いているのだろうが、どこまでが本当か分からない。吉田の「強制連行」話を真に受けた人は多い。それだけ彼には文章力があったということなのだろう。読んでいて、そう感じる。

[...]

光子は土間に積みあげたぼろぎれのなかから、シャツやズボンをえりわけていた。古い男物のシャツを着て作業ズボンをはいていたが、色白で目が大きくきれいな女だった。名簿には二十一歳となっていた。日本人が入っていっても別におどろかなかった。

「なにか用ですか」

「今日は警察の用じゃない。労務報国会の部長さんがおまえに話があるそうだ」

「うちには徴用にいくような男はいません。姉とそのちいさい男の子だけです。兄は刑事さんがつれていったからるすです」

「兄さんは社会主義の親玉じゃないか。当分帰れんよ。おまえは女だから警察のお情けで帰してもらえたんだ。今どき社会主義なんかやるやつは、無事ですまんくらいはわかっとるじゃろう。おまえが下関におると、警察もよけいな手数がかかるからな。こんど労報で対馬行きの女を集めておられるんで、おまえに行ってもらいたい」

「なにも悪いことをしないのに、下関に住んではいけませんか。朝鮮人の女にも徴用がかかるようになったんですか」

光子は私を見つめて表情も変えなかった。日本人の前でこんな理屈を言う朝鮮人の女は私ははじめてだった。「朝鮮人狩り」ばかりやってきた私は、こんな態度であしらわれて思わず大きな声をだした。

「おまえが志願しなければ、おまえだけ徴用をかける。対馬の陸軍病院の雑役婦で月給三十円だから、ほかの者はみんな志願している」

「どうせつれていかれるのなら、志願にしてください。朝鮮人は徴用がきらいですから」

七日朝の出頭を命じて表に出ると、本通りへもどって坂道をのぼりながら、佐々木刑事が話した。

「大山光子は、県立高等女学校へ三年までいっとります。おやじは牛市場の役員までしていたから、朝鮮人のなかでは大物でしたが、統制で牛市場がなくなって大阪へ引っ越しました。去年おやじが死んで長男が下関へもどると、大阪の警察から主義者として手配されてきました。二、三回あげましたが、こちらではたいした事はしてなかったが、時局がら保護観察で山口の刑務所へ送ってあります。女房は主義者じゃないんです。なかなかの働き者で百姓の手伝いに行ったり、安岡の浜でてんぐさとったりしています。しかし妹の光子は女学校へ行ったくらいですから、本が読めるし油断がならんですよ。天井から社会主義の宣伝ビラなんかでてきたので、三ヶ月ばかりしぼりましたが、取り調べには手をやきました。兄よりしぶとかったですよ。しばらく泳がしとるんですが、このさい海南島の慰安所へ送れば手間がはぶけますからね」

[...]

食後二人は西大坪の産婆の朝島波子の家へ行った。下関で正式の免状を持った朝鮮人の産婆は朝島一人だった。佐々木刑事の話では、朝島は朝鮮人の堕胎をやっているが、警察になにかと役にたつことを通報してくれるので、どうせ朝鮮人の子供をおろすのだからと警察では見のがしてやっているそうだ。

[...]

「今日はなにか、お話があるんでしょう」

「こちらは労務報国会の動員部長さんですが、こんど労務報国会で、対馬の陸軍病院の女の雑役を百人ばかり募集しているんです。それで朝島さんにたのんですこし集めてもらおうと思って来ました。待遇はいいですよ。食事付きで月給三十円、それに支度金が二十円前渡しされます」

「いまどき大坪の女の人たちには、とってもいいお話ですね。佐々木さん、それ雑役ではなくて、慰安婦でしょう。陸軍病院に女の雑役が百人なんて、おかしいですわ」

「これはまいった。息子さんが軍医中尉殿だから、陸軍病院なんてごまかしてもしようがない。朝島さんは軍国の母だから、ほんとうのことを言いましょう。実は軍の命令で労務報国会が慰安婦を百人供出することになったんですが、動員部長さんがだれでも見さかいなく徴用をかけるのはかわいそうだから、なるべく水商売の経験のある者や生活に困っている者を選びたいと言われるんです。こういうことは、あまりおおっぴらにしてはいかんので、陸軍病院の雑役婦の募集ということにしてあるんです」

「わかりました。そんなことをしゃべったりはいたしません」

「どうですか、十人ばかり心あたりはありませんか」

「このごろは炭鉱の慰安所からも募集にきています。流産したばかりのひとがお金のためにつれていかれました。みんな困っていますから、そのうち大坪の娘はみんな売られていきますよ。おなじことなら炭鉱より軍の慰安所のほうがましかもしれませんね。十人くらいなら話してみましょう。行き先は秘密なんでしょうね」

「支那の海南島です。あそこは前線ではないから命の心配はないですよ」

「対馬といっておきますが、戦争が終わったら帰れますわね」

「そのときは息子さんも凱旋ですよ。これもお国のためですからお願いします」

朝島波子は私の顔を見ようとせず、話しかけもしなかった。いくら日本人らしくなっていても、やはり朝鮮人の女だから、朝鮮人に徴用をかける労務報国会をきらうのはあたりまえだった。

[...]

大田里子の家は年とった母親が小さな飲食店をやっていた。長屋のはしの家で「酒」と書いた入り口の障子は古びて破れていた。土間に古いテーブルを二つならべて、いすは手製の木の腰かけだった。

客が一人来ていた。新しい作業服を着て革靴をはいた体格のよい四十代の男だった。私たちがはいっていくと、里子と婆さんに何か朝鮮語で言ってあわてて出て行った。

「部長、あれは炭鉱の慰安所の男ですよ。女を集めとるんですね。あしたくるなんて言いましたよ」

「そうかもしれん。今ごろあんなかっこうをした朝鮮人が大坪へ来るはずがない」

「あんなやつがうろつくと、こちらの商売のじゃまですよ。特高にたのんであいつをブタ箱へ入れてもらいましょう」

「大坪へ見なれん朝鮮人が来たら特高がつかまえますよ。このごろ特高は事件がなくて、李の店でごろごろしています」

私は林が言うように慰安婦の供出がすむまで特高にぜげんの取締りをたのむつもりで里子にたずねた。

「今の男はお前の知りあいか」

「はじめてきたお客です。しごとの世話をすると言いました」

「あんな男の言うことを聞いたら、また炭鉱の料理屋へ売られるぞ。お前は大峯の料理屋から帰ったばかりじゃないか」

「あのひとの言うことは信用できんよ。五十円だすと言うたが、それ借金になることあたし知っている。きものとおびが六十円も引かれるから、なんぼお客をとっても借金がふえるばっかり。あたし大峯で四年もはたらいたよ」

[...]

「つしまで三十円になるなら、あたし行ってもいいよ。いつ行くのですか」

「行くのは十日だが、あした身体検査がある。病気がなかったらあさって二十円渡す」

「あたしはいま病気ないよ。帰るまえに病院の検査の日であれからお客とってないから、だいじょうぶです」

里子は婆さんに朝鮮語で話しはじめた。林が朝鮮語をつかって話に加わった。里子林の話に嬌声をあげた。この女なら船が海南島へ着いても、すぐあきらめて働くだろう。小ぶとりして大きな胸は酌婦をしてきたからだった。



つづく

もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (1)


慰安婦の強制連行を唯一加害者側から証言したとされた吉田清治の「朝鮮人慰安婦と日本人」は、同じ著者による「私の戦争犯罪」よりは地味である。「私の戦争犯罪」に先立ち1977年に上梓されたこの本には、銃剣を突きつけて朝鮮人女性を拉致するという有名な「慰安婦狩り」のシーンはない。

しかし、慰安婦狩りの話が作り話らしいという認識が広まったせいか、韓国では日本の官憲が騙して(強制)連行して行ったというパターンにシフトしつつあるようだ。吉田証言が顧みられることがなくなった日本と異なり、2012年になっても、この本はノンフィクションとして朝鮮日報に取り上げられている

余談: よく読むと、吉田は朝鮮人に先立ち日本人女性も慰安婦として徴用されたと証言している。

(文中の強調は引用者による)

昭和十九年

私は「朝鮮人女子挺身隊」の動員命令書県庁の労政課で中村主事から手渡された。当日は定例の県内労報支部の日傭労務者動員会議が午後五時過ぎに終わり、下関労報の私だけが残るように言われた。会議室から労政課へいくと、ニ、三人の男子職員が居残りしていた。中村主事は書類ばさみから動員命令書をはずして、無造作にさしだした。

朝鮮人だけの女子挺身隊です。南支の陸軍部隊への派遣で、期日は四月十日です」

「職種は何ですか」

「皇軍慰問の勤労奉仕。南支の兵隊さんも長期戦でだいぶ女に不自由してるらしい」

慰安婦ですね。軍はどうして商売女をつかわんのですか

「あんたはその方面にうといが、このごろの遊郭は年増の女郎しか残ってないですよ。若い女はみんな産業戦士になって、赤だすきかけて軍需工場で働いているんだから。朝鮮総督府の女子挺身隊は、大陸で兵隊さんに評判がいいそうですよ。若くて日本語がうまいから、クーニャンとちがって、情がわくんでしょうな」

労務報国会に、慰安婦の動員までやらせるようになったんですか」

動員署は去年から、日本人の慰安婦の徴用をやっていますよ。実は課長が県内の事情を話して、こんどは朝鮮人を出すことで話がつきました。それで課長がこの動員は下関労報にと言いましてね」

動員命令書は次のような内容であった。

県労政発第○号)

陸軍○○部隊の要請に基づき左記の通り労務動員を命ず
昭和十九年四月三日
山口県知事  XXXX  印
山口県労務報国会下関支部長XXXX殿



一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊百名
一、年齢十八歳以上三十五歳未満(既婚者にても可、ただし妊婦を除く)
一、身体強健(医師の身体検査及び花柳病検診を受け、診断書を要す)
一、期間一年(志願に依り更新する事を得)
一、給与  一個月金三十円也
支度金として前渡金二十円也
宿舎・食料・衣服等を現物支給す
一、派遣期日  昭和十九年四月十日午後一時
一、集合場所  下関細江町下関税関庁舎前
一、輸送指揮  陸軍○○部隊嘱託長谷川勇殿
[P.151,152]

その日下関に帰ったのは夜で、私は翌日出勤すると朝礼のあとすぐに、動員係を部長室に集めて動員計画を協議した。平山が昨年十二月に応召して、動員係は金田、松井、林、山田の四人になっていた。朝鮮人の女を慰安婦に徴用するという動員命令には、朝鮮人の金田がやはり表情を変えた。

「大坪には商売女は数人しかいませんよ。それも今ではみんなかたぎになっています。県内の料理屋からぜんぶ集めても、朝鮮人の商売女は百人もいませんね」

「慰安婦を集める仕事はおれもいやだが、動員署も、日本人の慰安婦の徴用をやってるそうだ。こんどは朝鮮人の徴用だから、下関労報に動員命令がでたんだ。金田はこの仕事からはずす。今日から十日まで、おれの代わりに事業所まわりをやってもらおう。ほかの者で百人の女を、大坪から選んでくれ」

松井が動員命令書を手にしゃべりだした。

「むかしは、山陽の浜の飲食店で安い女を買うと朝鮮人だったりして。しかしそんな女はもう大坪にはいません。しろうとの女を集めなきゃあ仕方がないでしょう。なるべくごけさんやら、くらしに困っている女をさがすことにして、勤労報国隊員の女房だけはいけませんね」

林は朝鮮人の女を集めることを、むずかしく考えたりはしなかった。

「娘のほうがいいですよ。男はみんな徴用をかけられて、大坪には娘が余っているんっだから。百人くらいわけないですよ。十八歳以上となっているが、十五、六でもかまわないでしょう。年をすこし書きかえても、からださえ一人前ならつとまるんだから」

[...]

「まさか、はじめから慰安婦だとは言えんでしょう。たとえば傷病兵の洗濯奉仕の軽作業とでもしますか」と松井が言うと、林が大声でしゃべりだした。

「あれは軽作業どころか、兵隊さん相手の重労働だ。戦地の慰安所は、一個中隊が行列して順番を待っていて、女はつづけてニ十人も三十人も相手をさせられるそうだ。なかには五十人の兵隊さんを相手にした豪傑もいたそうだ」

「カフェーからはじめて慰安婦を募集したときは、女給たちは歌でもうたって、兵隊さんを慰問するのかと思ったそうだが、もうこのごろは朝鮮人の女でも慰安婦のことは知っている。炭鉱の女部屋まで、慰安所と名まえをつけるようになったんだから」

[...]

下関労報の日傭労務者の中には、約百人の朝鮮人女子が雑役婦として登録していて、労務加配米や地下タビの特配を受けにくるとき、料理屋の女のように、口紅をつけたり化粧した女がかなりいたが、登録の雑役婦を慰安婦として徴用するわけにはいかなかった。管内ばかりでなく、他支部の重要事業所からも短期間の雑役婦派遣を要請されることが多く、この要員は確保しておく必要があった。私は大坪の朝鮮人の女の徴用業務を動員係に命じた。

「軍の雑役婦の募集ということにして三日間で名簿をつくってくれ。こんどは女だからいつものやりかたで狩り出すと、みんなが恐れてしまってめんどうになる。募集のかたちで集める。七日に病院で検診を受けさせる。一割くらい余分に集めないと不適格者がでるかもしれん。今日からかかってくれ」

「兵隊さんのために、なるべくべっぴんを集めましょう」と言って林が浮かれだし、ほかの者から尻がおもいと言われている高年の松井も、この仕事には気乗りしたのか、進んで二人にさしずした。

「三人いっしょに行くのはまずい。狩り出しとまちがえられる。一人ずつ大坪をまわろう。したく金二十円前払いで、めしがただで毎月三十円になると言えば百人くらい集まる。山田は大坪で恐れられている。今日は兵隊さんの代わりに女をくどくんだ。やさしくしてやれよ」

「ぼくは女にはやさしいよ。しかし遠い南支の部隊で一年間と言ったら、みんな二の足をふむよ。行き先を、うまくごまかさないとだめだな

「税関の前から船に乗せるんだから、九州行きと言ってはかえって疑われるな。そうだ対馬がいい。朝鮮人には対馬は下関より郷里に近いんだから、対馬の陸軍病院の雑役婦と言えば、安心して集まる」と林が言った。

[...]

私は朝鮮人の徴用には慣れていたが、慰安婦の動員命令だけは不満で腹だたしかった。私は朝鮮人の男に徴用をかけるときは、炭鉱や戦地へ送られて彼等がどんな悲惨な目にあうか知っていても、戦時下の労務動員だからしかたがないと考えることができた。もし朝鮮人の女を慰安婦ではなく、ほんとうに雑役婦としてなら、どんな危険な前線でも、どんな苦しい作業でも、決戦したの労務動員だと考えて平気で女の動員業務をやっただろう。私が朝鮮人の娘や女房に徴用をかけて軍の慰安所へ送る仕事がいやだったのは、朝鮮人の女がかわいそうだと思ったからではなく、この徴用が売春にかかわる仕事だったからだ。

[...]

県の動員命令は労報支部長宛てだが、支部長は警察署長の兼任だから、慰安婦徴用の動員命令は山口県知事が下関警察署長に命じたものだ。私はいつものように動員命令書を持って署長へ報告に行った。警察の労報担当の労政係主任の警部補が、朝鮮人の女を百人も集めるのはたいへんだろうと同情して、特高に応援を頼んだらとすすめてくれた。

[...]

○○部隊の嘱託は六人来た。輸送指揮の長谷川嘱託は、将校の軍服を着ていたが階級章がなく、そでに奏任官待遇の金色の軍属章をつけていた。軍刀を帯びていたが、五十代の顔は商人のようににやけていた。私が部長室へ案内すると急になれなれしい態度で、軍刀をはずして無造作にすみの机の上に置くと、いすを私の机の前へ引っぱってきてすわった。

「このたびはお世話かけますが、これも兵隊さんのためですから、よろしく」

「きのう県庁で、動員命令書を受けとりました。慰安婦の徴用ははじめてですが、できるだけ努力してみるつもりです」

長谷川嘱託の名刺は、南支派遣軍海南島○○部隊嘱託となっていたが、地名は書いてなかった。部隊の所在地は極秘事項だったので、私は県庁で慰安婦の派遣場所が海南島だということも知らされてなかった

「海南島の兵隊さんは、ながい駐屯で毎日演習ばかりやらされて、慰安が必要ですよ。ところが海南島は慰安所の数がすくない上に日本人の女が不足しています。クーニャーン相手じゃ、兵隊さんがかわいそうで、内地の女をつれていってやりたかったが、県の課長さんから山口県はだいぶ慰安婦の供出がつづいたから、朝鮮人でこらえてくれという話でした。そのかわり兵隊さんのために、なるべく若いきれいなのをたのみますよ。内地の朝鮮人なら日本語もうまいから、日本娘でとおるかもしれませんね」

私はうんざりして、事務的な話を進めた。長谷川嘱託が部下に支度金の前払金のはいったかばんを持ってくるように言ったので、私は会計係を呼んだ。用件がすむと私は山田へ言いつけて、嘱託たちを警察の指定旅館の博多屋へ案内させた。

五時になると、特高の佐々木刑事が来てくれた。佐々木刑事は東大坪派出所の巡査のときから、十年以上も朝鮮人を扱ってきて、下関いちばんの大坪通だった。私は今朝労政係主任にすすめられて、慰安婦徴用に協力してもらうように頼んでおいた。

[...]

佐々木刑事の話で、慰安婦徴用の方針がたった。私は昨日動員係に大坪をまわらせてみて、無計画に募集しても百人の女が集まるかどうか心配だった。もし集まらなければ、男の場合のように「狩り出し」をやることになるが、そうなれば病院の身体検査のときや乗船のときに、逃亡を防ぐために大変な手数がかかるので、なるべく募集の形をとりたかった。

佐々木刑事は、元料理屋酌婦と被逮捕歴を有する女の住所氏名を書いてきてくれていた。動員係の三人が書き写した。今日は松井たち三人で元酌婦の女たちを募集させることにした。しかし慰安所行きだと話せばほかの女の募集にさしつかえるので、やはり対馬行きと言うように指示した


つづく

2012/12/14

吉田清治 「戦後生まれの青少年の為に事実を書き残した」


この胸を締め付けるような告白が実は嘘だったというのだから、驚くばかりである。自分は鬼と呼ばれていた。戦争犯罪人である私・・・。戦後生まれの日本人青年のために歴史的事実の一端を書き残したと言うに及んでは、呆れてものも言えない。罪深いとは、こういう人の事を言うのだろう。


[...]太平洋戦争注は国民に対する戦時体制が強化されて、朝鮮民族にも日本人と同じように「徴用」と称する労務動員が実施されたが、日本人の徴用とはその取り扱いが異なり、朝鮮半島の徴用は、「ドレイ狩り」のように行われた。

私は昭和十七年(1942)年から敗戦までの約三年間にわたって、「山口県労務報国会」の動員部長として、朝鮮人の徴用業務に従事したが、私は朝鮮人にたいして、「ドレイ狩り」を、「臣道実践」「滅私奉国」の日本精神による「愛国心」をもって行ったのである。朝鮮半島の全羅南道では、私は朝鮮人巡査たちから「徴用の鬼」と言われていると、道庁警務部の日本人警部補から聞いたが、当時は忠勇な軍人が、「鬼分隊長」「鬼軍曹」の勇名をとどろかすことを名誉だと考えていたように、私は非人間的な「愛国心」に徹していて、朝鮮人から「徴用の鬼」と言われたことを誇らしく思っていた。

朝鮮人徴用の公式記録や関係文書は、敗戦直後に内務次官通牒にもとづき、全国道府県知事の極秘緊急命令書が書く警察署長宛に送達されて、完全な廃棄焼却処分が行われた。私の関与した山口県労務報国会下関支部の場合は、下関警察署特高係の署員たちによって、すべての徴用関係書類と朝鮮人勤労報国隊出陣記念写真などが徹底的に焼却処分された。日本政府の朝鮮人徴用の実態は、公式には記録が無くなり、その事実が歴史から抹消されたのである。

私のこの記録は、四十年近い過去の事実を、現在まだ生きている当時の部下たち数人と何回か語りあって思い出したり、現地から亡妻や親戚友人たちへ、労務報国精神を誇示して書き送っていた私の手紙を回収したりして、記憶を確かめながら書いたものであるが、「戦争犯罪人」の私が老後になって、いまさら気休めの懺悔をするためではない。戦後生まれの日本人青少年・少女たちへ、私たち日本人が朝鮮人を「ドレイ」にしていた歴史的な事実の一端を書き残して、日本人が「文明人」となるための反省の資料にしてもらいたいのである。

私の戦争犯罪 P.3 まえがきより

2012/12/09

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(下) 吉田清治

帯にも注目 「抹消された歴史の暗部」
「元『戦犯』日本人が書き残す朝鮮慰安婦の強制連行の実態!」

朝鮮人慰安婦の徴用(強制連行)がどのように行われていたのか、聴衆を前に吉田清治はこのように証言した。吉田によれば、これは懺悔ではなく「何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう」という思いで語られたもの、ということである。

労務報国会の職員とそれを護衛する軍の部隊が送り込まれ、銃剣を突きつけ、木刀で打ちのめして女性を徴用したのである。そして兵士たちには役得があった。日本政府により徴用された女性たちは兵士たちに強姦されるのである。一部始終を目撃した吉田は言う。

「(トラックの)幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました」・・・そしてこうした行為は、日本の歴史から意図的に消されてしまったのだと。

そして10年後の1992年、朝日新聞と吉見義明は「軍の関与」の証拠を発見したと発表する。いわゆる慰安婦問題ビッグバン(秦郁彦)である。


そして一週間にわたって予備人員も入れて205名の徴用をしました。その徴用場所は済州島の海岸線を幹線道路が一周していますが、その幹線道路に沿って東に進み、あるいは西に進み3日間、済む州を中心にして徴用を行い、その後は西帰浦(ソキボ)という南側の済州島第二の町ですが、そこで海女を徴用しました。

最初の徴用は済州から東の方へ軍用トラック2台で進みまして、20分か30分走ると、幹線道路の側の小さな村がみえました。2台の先頭の車の助手席に、私と軍曹が坐っておりましたが、その部落をまず徴用場所に選んで部落のすぐ前にトラックを停めて、10人の徴用隊と10人の武装兵が一緒にその部落に入っていきました。

ご承知のように済州島の部落は非常にみじめな部落です。その小さな部落に入りましたらどの家も人がいません。これは時間的にみんな働きに出て行っていたと思いました。済州島は部落の家の回りに石垣が立てられています。これは、風を防ぐためと家畜の侵入を防ぐためにあるのですが、その石垣の上によじ登って部落内を偵察しましたら、すぐ近くの割合大きな家の中に20人ばかり女が集まって何か作業をしていました。双眼鏡で確かめますと朝鮮帽子ですね、あれは馬のしっぽの毛で作るのですが、伝統的な朝鮮人の帽子なのです。その帽子を家内作業で作っておきました。すぐ私は、軍曹を通じて兵隊と徴用隊の隊員に命じてそこへ突入させました。これは済州島における最初の徴用でしたので、みんな様子がわからずいきなり飛び込んで行って、30歳未満と思える女に跳びかかって腕をねじあげて引きずり出したのです。

私は石垣の上から双眼鏡で見ておりました。もちろん、すさまじい悲鳴や絶叫が聞こえて参りました。そしてそれを聞きつけたのか、どこから出てきたのか、半裸体の男性たち、これはみな漁師たちですが、その男性たちが数十人集まってその家に跳び込んできました。兵隊はすぐ銃剣を突きつけました。兵隊は銃剣を突きつけただけではありません。現在とは違いまして、叫んで反抗してくれば本気で突くつもりでその男たちの方へ向かっていきました。そして徴用隊員たちは、若い女性を手をねじあげ引きずるようにしてトラックの前に連行しました。

泣き叫び、部落中に非常な叫び声と悲鳴があがって、男性たちも大声でわめいていました。兵隊が銃剣で周りを取り囲み、8人の女性をひきずってトラックの近くまで連れてきました。ところが、トラックを見て女性たちは生命がけで抵抗しました。しかし、これも2~3分で結局手をねじりあげられて、トラックの中に入れられてしまいました。そのトラックの幌の中に、みんなを押し込むとともに2台のトラックに隊員が乗って、すぐに出発しました。そして10分ぐらい経ってから、私の横に坐っていた軍曹が私に次のことを言いました。

徴用の警備は兵隊たちが役得を当てにしています。この先で30分小休止して、兵隊たちを遊ばせてやります」。そして軍用トラックは幹線道路から横に入り、道のない草原を通ってちょうど岩山の裏側の幹線道路から見えない地点にトラックを停めました。トラックから隊員たちが跳び降りて来ると軍曹の命令で兵隊たちは銃を組んで立て、それが終わると、同時に9人の兵隊たちは8人の女性が乗った幌の中へ突進しました。

その間、幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました。約30分の距離にある非常に近い部落、その部落で朝鮮帽子編んでいた20人ばかりの部落民の中の若い女性8人が私の命令で慰安婦にさせられるために連行され、そして10分後には日本陸軍部隊の兵隊たちによって、慰安婦にさせられたのであります。

トラックはそれから約1時間ほど走りまして、済州島の東側の町、そこは漁業が盛んで貝細工の貝ボタンを作っていましたが、製品は全部当時の陸軍納めで、その工場がその日の慰安婦徴用の目的地でありました。

長い石塀にかこまれたかなり大きな工場が建っていて、そこに100人ぐらいの島民の女性が働いていました。私たちは、私以下9人の徴用隊員だけで連行することにして、銃剣を持った軍曹以下10人の兵隊に警備してもらいました。隊員たちは徴用に慣れていますので、まず工場の事務室に入り、責任者を連れて中へ入って、そこで徴用しました。この時もみな隊員たちは木剣をもっていて、打ちのめして連行しました

もっとはっきりご説明したいのですが事件がございません。しかし、そういう行為が行われていたことは日本の歴史から今消えております。私は今後生命のあるかぎりこの事実を本に書いたりお話ししたりするつもりです。それは私が懺悔することではありません。この年になって戦争犯罪人の私がいまさら気休めの懺悔するためではありません。ただ私1人でもそのことを書き残しておけば、何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう。そんなことを思って証言しているのです。

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ



「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(

2012/12/08

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(上) 吉田清治


これは1982年に吉田清治が大阪府立ピロティホールで講演した内容。ここで、タイミングよく思い出したが、挺対協の初代(共同)代表であったユン・ジョンオクも9年後、ここで慰安婦の強制連行について講演している

82年の吉田のこの講演は慰安婦騒動への序曲であり、91年のユン・ジョンオクの講演(「何万人もの若い朝鮮人女性が日本の手で従軍慰安婦として強制連行され、悲惨な最期を遂げました」)はその第一章といったところか。

こうして見てみると、慰安婦の強制連行のイメージが吉田の時代からも変化しているのが分かる。例えば吉田は胸に抱いた赤子を引き剥がして母親を連行したなどと語っていたのだが・・・そしてユン・ジョンオク(尹貞玉)も女子挺身隊として連行された朝鮮人女性のうち年齢の高い者が慰安婦にされたと語っていたはずなのだが、現在では14歳であるとか12歳からの少女が連行されたと「被害女性」の幼さ(未成年という点)を強調した解説が目立つ。その方が国際的に慰安婦問題の非人道性をアピールしやすいからだろう。給金や支度金の話もいつの間にか消え、現在では完全に(性)奴隷制として語られている。

ここで吉田が「徴用」という言葉を使っているように、強制連行とは日本政府による徴用を言い表す左翼用語であった。強制連行=「強制的な連行」というのは話のすり替えである。

長いので二回に分ける。


私は朝鮮人慰安婦を徴用した。

吉田清治でございます。私は今日、新幹線で東京からこの会場へ参りましたが、戦後37年も経ってこのような会が、つまり日本人と朝鮮人の戦前・戦後を考える会、そういう会が開かれることにざんきに耐えません。日韓併合が終わって37年も経って今の日本の中で在日朝鮮人65万人の方々が今日のこの差別、行政差別だけではありません。日本人の社会的市民生活におけるひどい差別の中で毎日暮らしているのだと思います。

このような現状を見るにつけ、36年間に及ぶ日韓合併における敗戦前の数年間、つまり第二次大戦中、日本が朝鮮半島に対して行った行為、それを実行した私をはじめ私の周辺の者はその事実を公表しなければならないと考えるのです。朝鮮総督府の関係者、日本の警察関係者、これは100万を超える人々が、直接に朝鮮人に対して残虐な行為を行なっていたのだと、そのことを昭和20年8月15日以降に語ることを誰一人しなかったのです。

そして日本政府、日本の行政機関はすべての朝鮮人強制連行の記録および朝鮮人(ママ)総督府あるいは旧内務省関係の朝鮮人への迫害、この歴史的事実を、公文書記録をすべて焼却処分にしたため、私自身も山口県下関地区の強制連行の記録を、当時の下関警察特高係の署員を指揮して完全焼却致しました。その責任者のひとりでもあるのです。そして戦後30年、私はその事実を隠し名前まで変えて隠れていました。

数年前、やっと私は一冊の本『朝鮮人慰安婦と日本人』を出し、各地でお話したり、テレビで自分たちが行った朝鮮民族に対する残虐行為の事実を少しずつ語りはじめたのです。ほかに呼びかけましたが、現在のところ誰も応じません。今、日本人で強制連行の加害者としての自分が行った事実についてこれを語る日本人はひとりもいないのです。

[...]私は今日、15分から20分の時間をいただきましたので、強制連行について申し上げている時間はありません。私は昭和17年から敗戦までの約3年間、数千人の朝鮮民族を強制連行しました。その中に千人近い慰安婦を強制連行致しました。その山口県における下関地区の最高責任者でございます。時間がありませんので、当時の私たち労務行政を行なっていた者が、どういうやり方で朝鮮人の強制連行をしたか、慰安婦の徴用をどのように行ったか、この事実を15分間、いただいた時間内でお話ししたいと思います。

正確を期するために、私は自分が作った記録をみながらお話しをしていきたいと思います。

昭和18年5月15日に私は山口県警察部に呼ばれまして早朝に下関を発ち山口県庁に参りました。当時山口県から九州地区全域を担当している西部軍指令部というのがございました。その西部軍の司令部付の中尉が来ておりまして、私も相席させられましたが、県の幹部に次の命令が下ったのであります。

九州地区と山口県を含むのですが、2000人の陸軍慰安婦徴用し、そして昭和18年の5月31日までに供出しろという軍命令でした。山口県に対する命令書が西部軍指令官から当時山口県労務報国会会長を兼任した県知事に提出され、この県知事名から、下関地区の支部長は下関警察署長ですが、署長に命が下りました。しかし警察署長が直接強制連行の業務をやるわけでなく、支部の事務局の実態は私が動員部長で職員数40名。その下関支部に下った命令の、これは私が家内に当時しゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にそれがありました。読んでみますと次の内容です。

一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊ニ◯◯◯人。年齢一八才以上三◯才未満既婚者も可。但し妊婦を除く。

一、身体強健なる者。医師の身体検査、特に性病の検診を行うこと。

一、期間一年。志願により更新することを得

一、給料、毎月金三◯円也。支度金として前渡金ニ◯円也。

勤務地、中支方面。
動員地区、朝鮮全羅南道済州島。
派遣日時、昭和一八年五月三一日正午。
集合場所西部軍第七四部隊内。

当時、済州島は陸軍部隊によって軍政が敷かれていました。もともと日韓併合中の済州島は行政官はいませんで、警察署長が行政の最高責任者でした。警察署がこれは済州島の済州という中心の町にありましたが、この済州警察署が税金の徴収から出生その他死亡の事務手続きですべて行政を行なっておりました。[...]日本から済州島へは、大阪から一◯◯◯㌧程度の定期船が2隻交互に就航していて、下関に寄港してましたが、私はそれに乗って参りました。私たちは徴用隊と称していましたが、その徴用隊は隊長が私で9人の部下を連れて10人で済州島へ参りました。そして到着した日に陸軍部隊の大尉からいろいろ便宜を受け、軍用トラック2台、それから軍曹以下10名の護衛兵をつける、これは慰安婦を連行する場合に当然なことですが、島民に危害を加えるというわけです。戦時中ですから完全武装の歩兵軍曹以下10名が、私たち10名と同行しました。・・・

につづく)

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ

 私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行 P.154

10年を隔て同じ場所で吉田とユンが講演したのは偶然ではないだろう
ピロティホール(大阪)

2012/09/09

吉田証言は詐欺的連行の告白・・・そうだっけ?


朝鮮日報に、記事企画エディターという肩書きで朴正薫(パク・チョンフン)という人物(写真左)がこの様なことを書いていた。今どき吉田清治かと驚いたが、最後まで読んでますます分からなくなった。

朴曰く・・・

強引に連れていけば、騒ぎになりかねなかった。吉田氏と部下たちは、詐欺を働くことにした。慰安婦ではなく、洗濯・掃除などを担当する雑役婦を募集すると偽ることにしたのだ。[...]月給30円で対馬の病院で働くと宣伝すると、朝鮮人女性が殺到した。[...]吉田氏の慰安婦募集は、銃剣の代わりに『わな』を使った、明らかな人間狩りだった。この1冊だけでも、当時の日本による慰安婦強制連行は十分立証されている」

吉田の著書にこんなエピソードがあったという記憶はないが、ひょっとしたらあったのかもしれない(確認する)。しかし、吉田証言といえば、それこそ銃剣を突きつけての拉致である。彼は慰安婦「強制連行」のイメージの原型を作った人物である。


吉田証言には幾つかバリエーションがあるが、「強引に」連れていくのが基本形

偶然の一致だろうか。銃剣を突きつけての連行はなくとも、病院で働けると(官憲が)騙す強制連行はあった・・・というストーリーは、先日取り上げたドラマ「ガクシタル」と同じである。というより、韓国では慰安婦の「強制連行」を、これからはこのパターンで売り出して行こうとしているような気がする。

まさか実名のコラムで嘘を書くとは思えないが、吉田の著書を確認してからもう一度論評する。今回はメモ代わりに。(追記:「私の戦争犯罪」にはないが、「朝鮮人慰安婦と日本人」にはこの通りの記述が存在する。朴がなぜ有名な「私の戦争犯罪」でなくそちらを持ち出したのかは謎)


看護婦にすると言って騙して連行した・・が最近のパターン?
ドラマ「ガクシタル」より

【コラム】「慰安婦狩り」を告白した日本人

「慰安婦強制連行の証拠はない」と主張する野田首相の発言に憤慨した読者のキム・ウォンテさんが、自身の所有する日本の本を送ってきた。吉田清治という日本人が1972年に書いた手記だった。吉田氏は戦時中、下関で、労働者の徴用機関だった「労務報国会」の動員部長を3年間務めた。吉田氏は、数多くの朝鮮人を強制的に連行して戦地に送ったが、当時の蛮行を悔いて『朝鮮人慰安婦と日本人』と題する本を執筆した。

吉田氏の証言は、現場を見ているかのように詳細かつ具体的だ。吉田氏は、日本政府の指示を受けて韓半島(朝鮮半島)に渡り、朝鮮人を集めた。警察の護送車を先頭に慶尚北道永川一帯を回り、若い男性を連行したという。当時、吉田氏の一行は朝鮮人を強制的に徴用することを「狩り」と呼んだ。確かに、他人の家に押し入って人を連れていくという行為は、人間狩りにほかならない。

吉田氏は、朝鮮人男性の「狩り」に対し、さほど罪悪感がなかったと語った。戦争中だったので仕方がないと思ったという。そんな吉田氏も、女性を軍の慰安婦として徴用することには「嫌悪感」を抱き「恥ずかしく汚いこと」と思っていた。戦場の慰安婦がどれほどひどい目に遭うか、吉田氏はよく分かっていた。吉田氏は「(日本軍の)1個中隊が列を作って待っていれば、慰安婦は1人で20-30人の相手をしなければならなかった」と書いた。

吉田氏に「慰安婦狩り」の指示が下ったのは、1944年の春だった。44年4月3日、「海南島に駐屯する皇軍慰問のための朝鮮人女子挺身(ていしん)隊100人を徴発せよ」という命令書が出された。対象は18歳から35歳まで、月給は30円で、妊婦でなければ既婚者であっても構わないと書かれていた。

30円といえば安くはない額だが、これが欲しくて慰安婦に志願する朝鮮人女性がいるはずはなかった。だからといって強引に連れていけば、騒ぎになりかねなかった。吉田氏と部下たちは、詐欺を働くことにした。慰安婦ではなく、洗濯・掃除などを担当する雑役婦を募集すると偽ることにしたのだ。最終的に、朝鮮に近い対馬の陸軍病院で1年間働く雑役婦を募集するという「偽の脚本」を書いた。

吉田氏の本には「慰安婦狩り」の手法が4章にわたって記録されている。警察署の刑事を含む4人からなる吉田氏のチームは、下関の朝鮮人徴用者部落を回って「狩り」を行った。月給30円で対馬の病院で働くと宣伝すると、朝鮮人女性が殺到した。誰もが、その金を手にして朝鮮に戻りたいという希望に満ちていた。吉田氏のチームは、割り当てられた100人をわずか1週間で集めることに成功した。18歳未満も10人ほどいたが、指針に従い、年齢を18歳に書き換えた。

後に吉田氏は「朝鮮民族に対する犯罪を、私は卑劣にも30年間隠してきた」と告白し、謝罪した。吉田氏は、日本メディアにも自分の行為を打ち明けたが、日本政府は事実でないとして取り合わなかった。吉田氏の慰安婦募集は、銃剣の代わりに「わな」を使った、明らかな人間狩りだった。この1冊だけでも、当時の日本による慰安婦強制連行は十分立証されている。「銃を突き付けなかったから強制的ではなかった」と言い張る日本政府の関係者は、この本をしっかり読んでもらいたい。

吉田氏が募集した慰安婦100人は、4月10日に戦地に向かった。この日、下関港は朝鮮人の女性やその家族で混雑した。「狩られた」女性たちは、自分を待ち受ける過酷な運命も知らぬまま、金を稼いで故郷に戻るという希望を胸に、笑顔の花を咲かせていた。午後1時、2隻の汽船が朝鮮人女性100人を乗せて出発した。目的地は、対馬の病院ではなく、南シナ海の前線にある日本軍の基地だった。吉田氏は埠頭(ふとう)から、いつまでもその光景を見詰めていた。

朝鮮日報日本語版 2012.9.9

2011/06/13

カダフィの組織的レイプを証言した兵士 リビア版吉田清治



内戦状態に陥ったリビアで、親カダフィ軍が兵士たちにバイアグラを配るなどして組織的なレイプを行っていると国際刑事裁判所(ICC)の検察官が報告して話題になっているが、国連人権調査団の団長が否定したこの噂の影にも、加害者側の偽証(告発)があったらしい。いわばリビア版の吉田清治証言であるが、BBCのアフリカ特派員は信憑性は薄いとしてこれまでその内容を記事にしていなかったという。彼は自分の記事にLibya rape claims: Seeking the truth(リビアの強姦の告発:真相を求めて)というタイトルをつけているが、そろそろ「日本軍性奴隷」問題についても、真相を追及すべき時である。BBCも何度か慰安婦問題を記事にしていたわけだし・・・。

BBCのアンドリュー・ハーディング特派員は過去の記事に there is a big difference between individual acts of violence committed during wartime and a systematic campaign to target civilians とも書いている。すなわち戦時中に兵士個人が行った犯罪と、組織的に一般市民を標的にした軍事作戦(性奴隷狩り・戦争の手段としてのレイプなど)には大きな違いがあると彼は言う。

こんな事は常識である。日本軍兵士が半世紀以上前に暴行事件を起こしたとしても、ここまで大きな政治問題にはならない。日本軍・政府が占領地で大量の女性を拉致し強制売春施設に送り込むという作戦を実行したと告発されたことで国際問題になったのである。それを、これまで日本の運動家や一部の学者が、軍規違反のケースを「軍による強制連行」と言い張ったり、(女性を拉致したのが個人的犯罪であったとしても)慰安所の設置は組織的だったという詭弁で世間や国際社会を欺いてきた。

こういった経緯も国際的に明らかにされるべきである。

左上の写真はアンドリュー・ハーディング特派員のインタビューに答えた親カダフィ派の兵士二人。彼らは強姦の為に強精剤を配布されたと「告白」したが、インタビュアーは信用しなかった。

もちろんリビアの内戦でも日本軍の占領地でもレイプは起こった。しかし、これとそれは別問題。事実でない部分はキチンと検証して訂正されるべきなのだ。

Libya rape claims: Seeking the truth

What did you make of International Criminal Court chief prosecutor Luis Moreno-Ocampo's forceful statement that "rape is a new aspect of the repression" by Col Muammar Gaddafi?

He went on to suggest that he might have - or be getting - evidence showing that containers of "Viagra-type" drugs were being bought and systematically distributed to frontline troops to encourage the rape of civilians.

A couple of weeks ago I met two young Gaddafi soldiers-turned-prisoners in Misrata who claimed to have taken part in a gang-rape and said they knew of many similar incidents. They also mentioned being given drugs, but for various reasons I found that part of their story the least consistent and credible, and didn't include it on my blog.

Mr Ocampo has a well-known flair for the dramatic, and has reached some devastating conclusions from what he admits is still incomplete research.

This is the television report on the topic that I've just put together here in Benghazi.

Many women have suffered during the ongoing conflict in Libya
With luck and pressure and hard work, the full truth (or at least a substantial chunk of it) will emerge about the rapes. But I doubt that will happen before the conflict is resolved.

In the meantime it was interesting to note the emphatically negative assessment of Mr Ocampo's conclusions by Cherif Bassiouni, who is leading a UN investigation on the situation in Libya. "Massive hysteria," was his thundering put-down.

So two trenchant, male voices boom across the table. But are they drowning out the quieter voices we should all be listening out for?

Andrew Harding
Africa correspondent (2011.6.10 BBC)


親カダフィ派の「戦争の手段としてのレイプ」疑惑を報じるCNN(5月17日)



組織的レイプを証言するリビア軍兵士 

2011/06/05

兵士が見た多面的な慰安婦像とバイアス


昔を知らない私たちは、当時の人の証言と聞くと真に受けてしまいがちである。慰安婦の証言を疑うのはセカンド・レイプだという主張は論外としても、当時を体験した人の証言であっても「後知恵」によって本来の理解が曇らされてしまっている例もあるはずだ。

戦争の悲惨さを後世に伝えようと著述、講演活動をしていたこの曽根一夫は、戦場で慰安婦と接した体験を持つ旧軍兵士であった。彼は自分の体験から、

「私が戦地で見た限りでも、慰安婦の中で水商売経験者が占める率が圧倒的に大きかった。私もその種の仕事をしていたという慰安婦と幾人か接した。その慰安婦たちを通して感じたのは、男をあしらうテクニックを心得ていて、仕事の点では、素人の女と比較にならない程上手だった。しかし、この種の女が全部とはしないが、中には男擦れした女がいて、「将兵を優しく慰撫する」という目的に沿わない者が少なくなかった。

と当時の事を振り返っている。しかし、現在では「慰安婦の70%は朝鮮人」であり、朝鮮総督府が強制連行したものだとも信じている。これは彼が後年接した情報によって本来の像が歪んでしまった結果だろう。

彼はまた、戦地において慰安婦から直接「特殊看護婦」や「娯楽施設」の従業員の名目で騙されたという話を聞き取ってもいる。その事を彼は、

商売している女は作り身の上話が上手だから、といわれる方があるかも知れないが、語ったときの真剣な態度から私は信用できると思った。仮に話半分とうけとっても、軍の威光を背景にして民間業者があの手、この手を用いて募集したのを知ることができる。

と、冷静に振り返っているが、多分この辺が真相なのだろう。

彼が聞かされた「わたしは女学校に進学いたしました。それもお嬢様学校といわれた女学校でした。卒業してからはお華の稽古、茶道を習うなどして、花嫁修業をいたしておりました。そのまま順調にいったならいまごろは、奥様と呼ばれていたことでしょう(P.28)」という話は、娼婦の罪のない嘘だったのかもしれないが、女衒の手練手管に騙された女性は存在したのだろう。

ついでだが、「特殊看護婦が慰安婦だと知ったのは玄界灘を超えた直後」だったと話している事からも分かるように、この証言者は日本人女性であるらしい(曽根は中国戦線に出征していた)。ということは、慰安婦「被害者」には日本人もいたということである。賠償の対象から日本人を排除してきた国会議員や運動家たちは、この事についてどう説明するつもりなのだろうか(実は彼らなりの「言い訳」は存在する)?

戦争体験者としての曽根の記憶と認識は正しかったに違いない。しかし、90年代に入り次々に発表される後付の情報によって彼の考えは補正(?)されていく。

日韓併合や戦時動員についての彼の認識についても言えることだが(ここでは慰安婦問題に特化する)、彼の認識は、戦後の情報によりかなりのバイアスがかかっている。以下に見えるように尹貞玉(金一勉)の影響らしき物も見える・・慰安婦制度=民族抹殺政策説の信奉者なのである。

軍部、政府は、従軍慰安婦を内地女性だけで充足するのが難しいとみてとると、朝鮮半島を供給源とした。...朝鮮半島には健康的で若い女性がたくさんに在住している。若くて純真で、それに植民地政策下にあって忍従生活に慣れていたから、従順であった。...朝鮮総督府の権力を行使して集めることができる。朝鮮全土に配置してある警察官を総動員して当たらせたなら、万単位の女性を短期間に集めるのは容易である。

そうして強引に集めても、朝鮮の人は抗議することはできない。...朝鮮の女性を慰安婦とするのは、当時の軍部、政府にとっては、赤ん坊の手をひねるよりも容易なことであった。

それに、朝鮮民族から若い女性を引き抜くことにより、民族の繁殖抑止ができる。それがひいては朝鮮民族抹殺政策につながることになる。日本の国にとっては一石二鳥であった。軍部、政府はそれらに着眼して、朝鮮半島を慰安婦の供給源としたとされる。

しかし、最初は総督府の手を直接わずらわせずに、腕利きの周旋屋に依頼して、金と甘言によって募集した。...そうして募集していた間に戦地では従軍慰安婦の需要がいよいよ増した。そこで軍は、民間業者による募集だけでは供給に追いつけないとみて、強硬な手段を用いた。朝鮮総督府の権力による女集めであった。それは募集によるなど生易しいことでなくて、女狩りであった。朝鮮総督府は軍から依頼をうけると、朝鮮全土の警察官に指令して、16歳から20歳までの未婚の女性を対象としてリストを作らせた。そのリストを台帳として必要に応じて人数を牛蒡抜きにしたのだった。

出頭するよう指令された者はいかなる事情があろうとも、拒否することはもちろん、弁解することさえ許されなかった。日本人官憲の手から逃れるには、この世から消えてしまう以外になかった。中には、悲観してのあまり身を投げて自殺した娘があった。逃避しようとして山中に入り、人喰い虎の餌食となった母娘があった。といわれる。しかし、自殺したなら親がその責任を問われたから、この世から消えるのも容易でなかった。結局は悲運と諦めて、いうとおりに従うしか仕方なかった。

リストを作るには、警察機構の末端に在る駐在所巡査があたり、現地人補助警、面長(村長)に命じて人別したのだから、該当した女性は一人も洩れなかった。だから、朝鮮半島に在住していた該当年齢の女性は、全員が慰安婦とされる対象となったのだった。そうして朝鮮半島全域にわたって狩り集めたのだから、軍が要求した人数を満たすのは容易にできた。

...そのような女狩りが9年もの間つづいたのだから、狩り出されて慰安婦とされた朝鮮女性の人数は、膨大であったと推測できる。その間、朝鮮の人たちは、恐怖で心の休まる間はなかったと推測できる。


彼は現在では評判の悪い、吉田(清治)証言すら真に受けていた。曰く「その根拠がどこにあるのかは知らないけれど、慰安婦を体験したわたしには頷けるものがある」。


当時、山口県労務報国会下関支部に属して、動員部長として実際に朝鮮人を徴用したという吉田清治という方が健在しておられるので、その方の話を紹介する。私は、直接に面談したことがないので講演などで、知り得たことである。...この話から想像すると、徴用したというよりか、略奪したに等しいとうけとれる。吉田さんは、動員部長として朝鮮人徴用にあたった約3年の間に、強制連行した人数は男女合わせた約6千人、女性は少なくみても、950人はいたといわれる。

下関支部だけでそれほどたくさんの朝鮮人を連行したのだから、他の支部を合わせて累計したなら、膨大な数字になると推測できる。...吉田さんは、「私が強制連行した朝鮮人のうち、男性は半分、女性は全部が死んだと思います」と言っておられる。その根拠がどこにあるかは知らないけれど、慰安婦を体験した私には頷けるものがある。


体験者だからといって、その話が正しいとは限らないのである。彼の文章には「・・と推測できる」と書かれた部分が散見される。その推測の根拠になっているのは、戦後の「慰安婦論」であったりするのである。戦地で、これは慰安婦に限った話ではないが、悲惨な戦場の現実を見て来ただけに、こういった「慰安婦論」に取り込まれ易かったのかもしれない。

戦争の悲惨さを後世に伝えるつもりで、知らぬうちに非常に政治的な論争に巻き込まれてしまった。その為に自らの著書の価値を毀損してしまっている。気の毒なことである。