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2014/09/14

朝日の撤回と歴史教科書

「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」
清水書院 日本史A

そもそも女衒が女性を斡旋することを普通の日本語で「連行する」などと言うだろうか(おしんは、連行されたのか)?従軍看護婦が軍と行動を共にすることを(彼女たちだって、気が進まないからといって仕事を放り出すわけにはいかなかった)軍に「連行された」と書くのかという話。普通の日本人はそんな言い方はしない。遊郭の説明をするのに、「強制性」を、それこそ強調するのは不自然だろう。教科書のこうした記述は執筆者の主義主張の反映なのか、それとも採択に影響力のある一部の教師のウケを意識してのものなのだろうか。

なお、自分は藤岡教授の「高校の全教科書から記述を削除すべきだ」という意見には反対で、中高生には「慰安婦問題(騒動)」を教えるべきだと考えている。そうせずに、子供たちは海外でジャパン・ディスカウントにどう対処するのか?それこそ、朝日新聞の過去記事は最良の副教材になるはずである。泉谷明子などは、教育されずに海外に出た、ある意味犠牲者であった。

また、教科書にはある程度の「色」の違いも許すべきだと思う。今は、子供だってネットで情報を補完できる。偏向した教科書には、社会と子供たちの厳しい目が向けられれば十分だろう。

文科省の検定すり抜け…「強制連行」×、「連行」○

高校の日本史教科書で、日本軍による慰安婦の強制連行を強くうかがわせる記述が教科書検定に合格するのはなぜなのか。

文部科学省教科書課によると、慰安婦の記述についての主要な検定スタンスは、河野談話と「強制連行を直接示す資料はない」とする政府見解の2点。

具体的には、軍が無理やり連れ去ったことはないが、民間業者が集めた女性を軍の船やトラックで移送した事実はあったので「強制連行」はアウトだが、「連行」だけならセーフ。「強いられた」「強要された」なども、「日本軍によって」と記述しなければセーフといった形だ。

ある文科省幹部は「検定は明確な間違いでなければ修正を求めることはできないため、各社、主語を消すなど“言葉遊び”で検定をすり抜けている状態だ」と明かす。

今回、朝日新聞が吉田証言の誤報を認めたが、下村博文文科相は「現行教科書には、吉田証言に基づく強制連行の記述がない」として、教科書会社に記述の訂正を求める必要がないとの考えを示している。だが、拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「吉田証言は慰安婦問題の根幹。文科相は訂正勧告すべきだ」と訴える。

産経 2014.9.13

[ライフ]【朝日慰安婦誤報】高校教科書記述どうなる 一部出版社「訂正を検討」

朝日新聞の報道で国内外に広がった日本軍による慰安婦の強制連行説。国内では一時、全ての中学歴史教科書に「慰安婦」が掲載されるなどの大きな影響を与えた。高校ではいまだに「連行」「強いられた」といった軍による強制連行を強くうかがわせる記述が横行しているが、8月の朝日の「誤報」表明を受け、記述の訂正を検討する教科書会社も出てきた。(河合龍一)

15冊中13冊に

平成23、24年度に教科書検定に合格した現行の高校日本史教科書は6社15冊あり、このうち13冊に慰安婦に関する記述がある。

「若い女性が強制的に集められ日本兵の性の相手を強いられた人たち」。実教出版の「高校日本史A」は「軍が関与した慰安婦問題」との見出しをつけて慰安婦について説明した。

清水書院の「日本史A」は「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」、山川出版社の「新日本史B」は「朝鮮人女性などの中には従軍慰安婦になることを強要されたものあった」などと、各社差はあるが、いずれも日本軍による強制連行があったかのような印象を与える記述ぶりだ。

河野談話契機

強制連行説は朝日が昭和57年に「若い朝鮮人女性を『狩り出した』」などとする自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の講演記事を掲載し、この「吉田証言」をキャンペーン報道したことから国内外に広がった。

朝日報道を受け、韓国メディアも集中的に報道し、慰安婦問題は政治・外交問題に発展。日本政府は平成5年、強制連行説には立たないものの「本人の意思に反して行われた」などの表現で慰安婦募集の「強制性」を認めた「河野談話」を出さざるを得なくなった。

これを契機に、7年度検定の中学歴史教科書では、7冊全てで一斉に「慰安婦」「従軍慰安婦」「慰安施設」が記述された。その後、義務教育段階で教えることへの是非などが議論となって、記述する教科書はなくなった。

そんな中、朝日は今年8月、吉田証言について「虚偽だと判断し、記事を取り消します」として誤報だったと認めた。強制性を認めた河野談話についても、6月に公表された政府の談話作成過程検討チームの報告書で、「強制連行を直接示す資料はない」との政府見解が再確認された。

各社に温度差

高校日本史の教科書会社では記述内容の訂正を検討する社も出てきた。産経新聞の取材に対し、山川出版社は「朝日新聞の誤報の問題などを受け、これから検討する」、東京書籍も「慰安婦関係を含め編集委員会で検討する」と回答した。一方、清水書院は「吉田証言をベースに記述していないので訂正する予定はない」、第一学習社も「事実のみを記述しており、現時点では訂正は考えていない」。実教出版は「取材には答えられない」とした。

慰安婦と教科書問題に詳しい拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「慰安婦問題は、吉田証言を基に言論界や政界に圧倒的影響力を持つ朝日新聞が報じなければ存在せず、教科書にも掲載されることはなかった。朝日新聞が吉田証言を嘘だと認めた今、慰安婦問題そのものが崩れたわけで、高校の全教科書から記述を削除すべきだ」と指摘している。

産経    2014.9.14

なお、実教出版の教科書を巡っては、最近こんなニュースもあった。

2012/12/09

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(下) 吉田清治

帯にも注目 「抹消された歴史の暗部」
「元『戦犯』日本人が書き残す朝鮮慰安婦の強制連行の実態!」

朝鮮人慰安婦の徴用(強制連行)がどのように行われていたのか、聴衆を前に吉田清治はこのように証言した。吉田によれば、これは懺悔ではなく「何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう」という思いで語られたもの、ということである。

労務報国会の職員とそれを護衛する軍の部隊が送り込まれ、銃剣を突きつけ、木刀で打ちのめして女性を徴用したのである。そして兵士たちには役得があった。日本政府により徴用された女性たちは兵士たちに強姦されるのである。一部始終を目撃した吉田は言う。

「(トラックの)幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました」・・・そしてこうした行為は、日本の歴史から意図的に消されてしまったのだと。

そして10年後の1992年、朝日新聞と吉見義明は「軍の関与」の証拠を発見したと発表する。いわゆる慰安婦問題ビッグバン(秦郁彦)である。


そして一週間にわたって予備人員も入れて205名の徴用をしました。その徴用場所は済州島の海岸線を幹線道路が一周していますが、その幹線道路に沿って東に進み、あるいは西に進み3日間、済む州を中心にして徴用を行い、その後は西帰浦(ソキボ)という南側の済州島第二の町ですが、そこで海女を徴用しました。

最初の徴用は済州から東の方へ軍用トラック2台で進みまして、20分か30分走ると、幹線道路の側の小さな村がみえました。2台の先頭の車の助手席に、私と軍曹が坐っておりましたが、その部落をまず徴用場所に選んで部落のすぐ前にトラックを停めて、10人の徴用隊と10人の武装兵が一緒にその部落に入っていきました。

ご承知のように済州島の部落は非常にみじめな部落です。その小さな部落に入りましたらどの家も人がいません。これは時間的にみんな働きに出て行っていたと思いました。済州島は部落の家の回りに石垣が立てられています。これは、風を防ぐためと家畜の侵入を防ぐためにあるのですが、その石垣の上によじ登って部落内を偵察しましたら、すぐ近くの割合大きな家の中に20人ばかり女が集まって何か作業をしていました。双眼鏡で確かめますと朝鮮帽子ですね、あれは馬のしっぽの毛で作るのですが、伝統的な朝鮮人の帽子なのです。その帽子を家内作業で作っておきました。すぐ私は、軍曹を通じて兵隊と徴用隊の隊員に命じてそこへ突入させました。これは済州島における最初の徴用でしたので、みんな様子がわからずいきなり飛び込んで行って、30歳未満と思える女に跳びかかって腕をねじあげて引きずり出したのです。

私は石垣の上から双眼鏡で見ておりました。もちろん、すさまじい悲鳴や絶叫が聞こえて参りました。そしてそれを聞きつけたのか、どこから出てきたのか、半裸体の男性たち、これはみな漁師たちですが、その男性たちが数十人集まってその家に跳び込んできました。兵隊はすぐ銃剣を突きつけました。兵隊は銃剣を突きつけただけではありません。現在とは違いまして、叫んで反抗してくれば本気で突くつもりでその男たちの方へ向かっていきました。そして徴用隊員たちは、若い女性を手をねじあげ引きずるようにしてトラックの前に連行しました。

泣き叫び、部落中に非常な叫び声と悲鳴があがって、男性たちも大声でわめいていました。兵隊が銃剣で周りを取り囲み、8人の女性をひきずってトラックの近くまで連れてきました。ところが、トラックを見て女性たちは生命がけで抵抗しました。しかし、これも2~3分で結局手をねじりあげられて、トラックの中に入れられてしまいました。そのトラックの幌の中に、みんなを押し込むとともに2台のトラックに隊員が乗って、すぐに出発しました。そして10分ぐらい経ってから、私の横に坐っていた軍曹が私に次のことを言いました。

徴用の警備は兵隊たちが役得を当てにしています。この先で30分小休止して、兵隊たちを遊ばせてやります」。そして軍用トラックは幹線道路から横に入り、道のない草原を通ってちょうど岩山の裏側の幹線道路から見えない地点にトラックを停めました。トラックから隊員たちが跳び降りて来ると軍曹の命令で兵隊たちは銃を組んで立て、それが終わると、同時に9人の兵隊たちは8人の女性が乗った幌の中へ突進しました。

その間、幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました。約30分の距離にある非常に近い部落、その部落で朝鮮帽子編んでいた20人ばかりの部落民の中の若い女性8人が私の命令で慰安婦にさせられるために連行され、そして10分後には日本陸軍部隊の兵隊たちによって、慰安婦にさせられたのであります。

トラックはそれから約1時間ほど走りまして、済州島の東側の町、そこは漁業が盛んで貝細工の貝ボタンを作っていましたが、製品は全部当時の陸軍納めで、その工場がその日の慰安婦徴用の目的地でありました。

長い石塀にかこまれたかなり大きな工場が建っていて、そこに100人ぐらいの島民の女性が働いていました。私たちは、私以下9人の徴用隊員だけで連行することにして、銃剣を持った軍曹以下10人の兵隊に警備してもらいました。隊員たちは徴用に慣れていますので、まず工場の事務室に入り、責任者を連れて中へ入って、そこで徴用しました。この時もみな隊員たちは木剣をもっていて、打ちのめして連行しました

もっとはっきりご説明したいのですが事件がございません。しかし、そういう行為が行われていたことは日本の歴史から今消えております。私は今後生命のあるかぎりこの事実を本に書いたりお話ししたりするつもりです。それは私が懺悔することではありません。この年になって戦争犯罪人の私がいまさら気休めの懺悔するためではありません。ただ私1人でもそのことを書き残しておけば、何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう。そんなことを思って証言しているのです。

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ



「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(

2012/08/05

アン・セホン凱旋写真展--ニコンと戦い勝利する



最初、自分の中では、政治運動とは無縁の大人しい普通の写真家というイメージだったが、ビデオカメラの前でニコンサロンの担当者に抗議文を読み上げたり、ソウルの水曜デモで演説していたり(写真右)、想像していたより「活動的」な人である。

日本での騒動で、展示会は大盛況。韓国でも注目を集めたようである。彼を支援していた写真家?の岡井友穂(「安世鴻写真展中止決定に反対する共同声明」の発起人)とtwitter上でやり合ってしまったが、彼を政治的と非難する人々は「イデオロギーに凝り固まって特定の単語に脊髄反射しているだけ」と主張する彼女の言い分には納得できなかった。その気持は今も同じ。

自分がアンに対して不審感を持つのは、彼が日本に対する場合と自国に対する場合でダブルスタンダードを使い分けているように感じられるからだが、これについては、またいつか。

慰安婦:日本で7900人集めた写真展、ソウルでも開催

「韓国人は旧日本軍の従軍慰安婦だったおばあさんたちについてはよく知っているようだが、日中戦争時に中国に連行され、母国に戻っていない人が多いという事実はよく知らない。こうした人々は日本により青春を踏みにじられ、今でも貧困と孤独に苦しんでいる。私の写真を見ることで、そんな人々を忘れないでいてほしいと思う」

元慰安婦たちを撮り続けている在日の韓国人カメラマン、安世鴻(アン・セホン)氏(41)=写真=の言葉だ。安氏は7日から26日まで、ソウル市鍾路区通義洞のギャラリー「流歌軒」で「重重―中国に残された朝鮮人日本軍『慰安婦』ハルモニ(おばあさん)たち」と題した写真展を開催する。日本の右翼団体の圧力と脅迫にも負けず、6月26日から7月9日にかけて東京の写真展示スペース「ニコンサロン」で開催され、7900人余りの来場者を記録した、あの写真展だ

東京写真展はニコンにより中止が決まっていたが、裁判所がニコン側に展示スペースの提供を命じる仮処分を出し、やっとのことで開催にこぎ着けた。安氏は「東京写真展の来場者の半分が20-30代だった。この年代は意外に自分たちの歴史的な恥部に関心が高かった。私の写真展が慰安婦問題を日本に訴える契機になったと思う」と語った。

ソウルの写真展には40点余りが出品される。13歳のときに慰安婦として連行された故ペ・サムヨプさんの顔に深く刻まれたしわからは、痛恨の思いが見て取れる。22歳のときに動員された故パク・テイムさんは「当時のことを考えるだけで涙が出る」と、写真の中で涙をぬぐっている。

2001年から中国に残る元慰安婦の写真を撮り続けている安氏は「10月半ばにはまた中国の湖北省や黒竜江省に赴き、おばあさんたちの写真を撮るつもりだ。今後は韓国人だけでなく、中国や台湾、フィリピンなどアジアの他地域に暮らす旧日本軍従軍慰安婦のおばあさんの姿もカメラに収めたい」と話している。

安氏には懸案が一つ残っている。東京の写真展は裁判所の仮処分命令のおかげで開催できたが、9月13-19日に開催予定だった大阪ニコンサロンでの写真展は、ニコン側がこのほど開催中止を決定した。安氏は「今月20日ごろ、また裁判所に仮処分を申請する計画だ。ニコン側は謝罪もできないとしており、損害賠償にも消極的。最後まで戦い、勝利するつもりだ」と話している。

クァク・アラム記者

2012/07/12

性奴隷と呼びたい朝鮮日報


国際社会に向けて日本軍の性奴隷制度と宣伝している挺対協だが、実は彼女ら自身はハルモニの前では性奴隷という言葉を使わない(英語ではsex slaveを使用)。

なぜかと言うと、当の慰安婦たちがそのように呼ばれたくないからである。「拒否感を抱く可能性を考慮」したというより、ハッキリと嫌だと言った慰安婦がいたのだろう。しかし、日本の残虐行為を強調する為には、性奴隷という言葉を諦めきれない。そう考えるのが韓国メディアや運動家たちの本音だろう。挺対協が「非常にうれしい」とコメントしたというのもありそうな話である。

そう呼ぶならそれで構わないのだが、ダブルスタンダードはなしだ。韓国軍についても性奴隷制度を公式表記とせねばならない。

なお、日本軍性奴隷という言葉を国連に売り込んだのは、実は日本人である。「著者は、1992年2月17日国連人権委員会に対して、日本軍性奴隷を"sex slaves"として報告し、国連への問題提起を始めた」と誇らしげに語っていた日弁連の戸塚悦郎がその人である。

朝鮮日報のヘイト感情丸出しの記事。

【社説】日本が連行したのは慰安婦ではなく「性的奴隷」

米国メディアは9日、クリントン国務長官が先ごろ、米国のあらゆる文書で日本語の「慰安婦」をそのまま英訳した「comfort women」という単語を使ってはならず、代わりに「強制的な性的奴隷(enforced sex slaves)」という表現を使うよう指示した、と報じた。これに対し、日本の玄葉光一郎外相は10日の国会答弁で「性的奴隷」という表現は誤っていると主張した。

国連人権委員会は1996年、女性への暴力撤廃に関する決議で、かつて日本により強制動員され、日本軍に性的な奉仕を強いられた女性を「性的奴隷」と規定した。国際労働機関(ILO)も同年の報告書で「日本軍の性的奴隷は強制労働を禁じたILO第29号条約に違反する」と指摘した。また、米下院は2007年、全会一致で採択した決議で「日本政府は若い女性たちを性的奴隷とした事実を正式に謝罪し、歴史的な責任を取るべきだ」と促した。

日本が第2次世界大戦中、韓国や中国、東南アジアの女性とインドネシアに暮らしていたオランダの女性たちを軍の慰安所に連行し、性的に搾取した行為について、国際社会は、倫理と人権に反する戦争犯罪であり「性的奴隷」という表現を使うのが当然だと判断していることになる。反倫理的な犯罪は、戦後も赦免の対象とはならない。それにもかかわらず、日本は米国に建立された「慰安婦の碑」の撤去運動を自国の外交官に指示し、分別のない一部の日本人は、日本のこうした不道徳行為を後世に伝えるための象徴物を平気で傷つけようとしている。

韓国では「性的奴隷」という表現に当事者たちが拒否感を抱く可能性を考慮し、公式文書や法律上で「慰安婦被害者」と表現してきた。だが、慰安婦問題の解決を目指す韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は11日「(クリントン長官が性的奴隷という表現を使うよう指示したことは)私たちの気持ちをくんでくれたもので、非常にうれしい」とのコメントを発表した。日本が慰安婦という表現で反倫理的な犯罪の真相を隠せると考えているのなら、大きな間違いだ。韓国も、公式文書での表記を、日本の罪状を直接的に伝える表現に変えるべきだ。

2011/03/25

「連行」された慰安婦、また一人亡くなる



日本人なら分かると思うが、連行とは、警察や軍隊によって引っ立てられる事である。果たして、このハルモニの場合どうだったのだろうか?

韓国挺身隊問題対策協議会より訃報のお知らせがありました。
覚悟はしていましたが、韓国では今年になって5名の被害女性が亡くなられています。これで韓国で生存されている被害女性は73名……本当にもう、私たちには時間がありません。

皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

3月21日に全羅南道に暮らしていたシン・サンシムハルモニが亡くなられました。

ハルモニは1927年に全南に生まれました。
1944年、18歳で木浦市場で連行された後、長崎県佐世保海軍慰安所で日本軍「慰安婦」生活を強要されました。
解放(終戦)と同時に輸送船に乗って麗水港に帰国し故郷に定着しました。
1992年に日本軍「慰安婦」被害者として申告しました。

ハルモニの最期の道に
日本からも冥福をお祈りください。
私たちのそばにいるハルモニは73人となりました。

「ハルモニ、安らかにお眠りください」

http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/news2.html 2011.3.21