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2017/05/25

和田春樹、日本人最多説を葬る(アジア女性基金)


慰安婦の中で最多は日本人で朝鮮人は2割ほど・・・という推計をアジア女性基金内で葬ったのは、和田春樹東大名誉教授だった。

この話も、秦は自身の著書で触れているのだが、そもそもなぜ和田はこんな事をしたのだろうか?実は慰安婦の多くが日本人だったという事実は、日本人(特に日本の右派)が考えているよりも大きな意味を持っている。どういう事かと言うと、挺対協などは日頃、女性の人権問題などと言っているが、本心では慰安婦問題をあくまで戦争犯罪や「加害国と被害国」の問題として国際社会にアピールしたい。ところが、慰安婦の多くが日本人となると、日本政府による日本人に対する(戦争の手段としての)レイプであったり、日本政府による日本人に対するエスニック・クレンジングという奇妙な話になってしまう。しかも、それならなぜ(日本人を主体とした慰安婦でなく)韓国政府が先頭に立って日本政府に謝罪を要求しているのかと国際社会もいぶかしく思い始めるだろう。だから反日団体としては、日本人が多かったという事実は伏せておきたい。そういった裏事情を、和田のような左派はよく理解しているのである。

追記:いろいろ考えてみると、和田個人に限って言えば、反日運動に協力と言うより贖罪マニアとして日本人最多説は受け入れ難いのかもしれない。

日本政府がすべきは「性奴隷の否定」ではなく、慰安婦の正体(民族構成)を国際社会に明らかにすることである。アジア女性基金は政府機関ではないが、それに準ずる存在として国際社会でも認識されており、その公式文書にこの事が記載されることの意味は大きかったはず。それが分かっているから、和田は理事の立場を利用して葬ったのである。こういう事については、右派よりも左派の方が感覚が鋭い。和田らがいち早く手を打ったのに対し、日本の右派は今だ切り札を十分認識できずにいるようである。

秦の『慰安婦と戦場の性』の英訳が、内閣広報官のせいで流れた件についても触れられている。読売新聞の連載「時代の証言者」より。

時代の証言者

秦 郁彦 30
実証史学への道

慰安婦問題の春夏秋冬

図らずも慰安婦問題に私が巻き込まれてから、二十数年の歳月が流れました。

<<1993年8月4日、政府は、慰安婦問題についての河野洋平官房長官談話を発表した。この中で、朝鮮人の慰安婦の「募集、移
送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認定した>>

河野談話は、韓国と事前調整で譲歩した産物なんですね。日本軍が強制連行したとは書いてないが、そう読めなくもない玉虫色の表現です。実際に河野氏は記者会見で、強制連行を認めるのかと聞かれ、そうですと答えている

談話発表の前夜、慰安婦問題を担当していた内閣外政審議室の谷野作太郎室長から、私の自宅にファクスが届きました。談話の文案について感想を、とのことでした。一読した後、実害が少しでも減るように、「総じて」を「時として」などに修正されたい、と要望しましたが、採用されませんでした。

95年7月、元慰安婦たちに「償い金」を給付する半官半民の「アジア女性基金」が設立され、私は事実の究明に当たる資料委員会の委員を引き受けます。

ところが、慰安婦の総数は約2万人、最多は日本人で、朝鮮人は2割という私の結論は、和田春樹委員(東大教授)ら左派のお気に召さず、「東大には研究の自由はあるが、基金にはない」と宣告され、私の論文はボツにされてしまいます。

その頃、国連人権委員会の委託を受けたクマラスワミ女史が来日します。私は彼女に会い、戦時中にソウル(京城)の新聞に載った慰安婦募集の広告と、北ビルマで捕らえられた20入の朝鮮人慰安婦に対する米軍の尋問調書を渡しました。

前者は強制連行を必要としない証拠で、後者は、慰安婦に外出、廃業、社交の自由があり、軍司令官級の高収入を故郷に送金するなど「性奴隷」とはほど遠い境遇だったことを示しています。

しかし、人権委員会へのクマラスワミ報告(96年2月)には反映されませんでした。吉田清治氏の強制連行体験、「慰安婦をセックスースレイブ(性奴隷)と呼びかえよう」と説いていた戸塚悦朗弁護士の言い分の方が採用されたからです。

日本政府の事なかれ主義もあって、強制連行と性奴隷のイメージは、国際社会に広く定着した感があります。韓国ばかりか、世界各地に乱立した慰安婦像は60体を超えるありさまです。

無力感を味わっていた私は、せめて慰安婦と周辺事情の史的経過を実証的にまとめておきたいと考え、99年に『慰安婦と戦場の性』(新潮社)を刊行します。

2013年には、内閣官房で対外発信を強化する一環として、拙著の英訳プロジェクトが内定しました。

ところが、新任の内閣広報官から、もし、日本政府の後押しが露見したらまずいとの理由で、ドイツ、英連邦、米国、韓国など諸外国の例を記述した第5章などを訳出の対象から外したいと言われます。私は削除を拒否し、英訳プロジェクトは流れました。何度目かの筆禍体験でした。

(編集委員 笹森春樹)

読売 2017.4.25 10面

2017/05/21

秦郁彦 吉田の詐話と吉見の”発見”


読売新聞の連載「時代の証言者」。先月まで秦郁彦が登場。基本的に彼の著書に書かれていることと同じだが、第29回目は吉田証言と吉見教授の”発見”についてスポットライトが当てられた。吉田と吉見、二人のキーマンの存在で、慰安婦騒動の幕が開いた。

時代の証言者

秦 郁彦 29
実証史学への道

「吉田証言」の詐話を追う

1991年12月から92年1月にかけて、私が「ビッグバン(大爆発)」と呼ぶ、慰安婦問題の騒動が発生します。12月、旧日本軍に徴用された韓国人と遺族が、日本に謝罪と補償を求め東京地裁に提訴。この中に元慰安婦3人も加わりました。 1月11日には朝日新聞が、朝刊1面トップで、慰安婦の募集に日本軍が関与していたと報じます。

<<記事は、旧日本軍が慰安所の設置や従軍慰安婦の募集に関与していたことを示す文書が明らかになったという内容だった。従軍慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」との記述もあった>>

記事の根拠となった文書は、吉見義明中央大教授が防衛庁の防衛研究所図書館で発見した、とのこと。私は12月下旬、吉見氏と防衛研究所で偶然会い、近く朝日新聞に出ると聞き、なぜニュースになるのか疑問に思いました。

1938年に陸軍省が流したこの通達文書は、すでに20年前から公開されていたもので、慰安婦を募集する際、誘拐まがいのことをやっている悪質な業者がいるから、取り締まれという内容です。日本軍の関与には違いないが、良い関与だったからです。

それを、宮沢首相の訪韓(1月16日)という絶妙のタイミングに合わせて掲載したのでしょう。

ほかのマスコミも追随し、強制連行の証拠が見つかったかのような大騒ぎになりました。宮沢首相はソウルでデモ隊に迎えられ、何度も陳謝します。

強制連行説の根拠になったのが、吉田清治著『私の戦争犯罪』 (83年)です。戦時中、労務報国会(労報)下関支部の動員部長だったと称する吉田氏は、済州島で慰安婦を調達せよとの西部軍命令を受け、女性を狩り出したと書いています。

私は一読して怪しいと感じました。済州島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄。本に載っている命令書も、正規の体裁から外れている

私は吉田氏に電話しましたが、話に矛盾が多く、作り話と確信しました。出版社にも電話すると、担当者は「あれは小説ですよ」と言うのです。

私は彼を典型的な詐話師だと直感し、92年3月、証拠を見つけるため済州島を訪れました。最初に城山浦の貝ボタン工場を訪ねました。本には女子工員を木剣で打ちすえ、かり集めたと書かれています。近くの老人たちに話を聞くと、「そんな話はない。小さな村落だから、何十人も連れて行かれたら大事件だよ」と一様に否定しました。

さらに公立図書館で、地元の済州新聞が吉田本の韓国語版の紹介記事(89年8月14日)を掲載していたことを知りました。慰安婦狩りを裏付ける証言はなく、島民は「デタラメだ」と否定しているとの内容です。

書いた女性記者を訪ねると、「日本人はなぜこんな作り話を書くのでしょうか」と責められました。

帰国後、私の済州島での調査を取材した4月30日の産経新聞は、吉田証言を虚偽と断定しました。

(編集委員 笹森春樹)

読売 2017.4.24 8面

2015/07/17

「性奴隷だったというのが私の研究の中心的命題」(吉見義明)


「慰安婦制度は性奴隷制度だったというのが私の研究の中心的命題」(吉見義明)
「強制連行か否か」「性奴隷か否か」こういった議論には巻き込まれないこと。論争を挑まれても相手にしないこと。時間の無駄。結婚は人生の墓場か否かを論じるようなもの。「お前の中ではな」で終了。

慰安婦問題を研究する吉見義明・中央大教授が「記者会見で自著の内容を捏造(ねつぞう)と言われ、名誉を傷つけられた」として、桜内文城・元衆院議員に対して1200万円の損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の第8回口頭弁論が13日、東京地裁であった。

この日は吉見氏に対する原告本人尋問と、被告の桜内氏側が申請した現代史家の秦郁彦氏に対する証人尋問があり、慰安婦問題を長年研究してきた両氏による論戦が展開された。

旧日本軍の慰安婦は性奴隷かという争点をめぐり、秦氏は「彼女らの働いた生活条件は性奴隷と言われるほど過酷ではなかった。職業として割り切った女性もいる中、軽々しく比喩的に使うべきではない」と否定した。これに対し、吉見氏は「慰安婦は居住、外出、接客拒否、廃業の自由がない無権利状態にあり、慰安婦制度は性奴隷制度だったというのが私の研究の中心的命題」と主張した。

訴状によると、日本維新の会共同代表だった橋下徹大阪市長が2013年5月27日に慰安婦問題をめぐって東京都内で記者会見した際、同席した桜内氏が司会者の発言についてコメントし、「吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らか」などと発言。吉見氏が提訴したのに対し、桜内氏は「『これは』は原告の著書ではなく『性奴隷』を指したもの」と主張して争っている。

朝日 2015.7.13

2014/11/15

秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」 内閣国際広報室による英訳中止のワケ


秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』。日本政府によって英訳される計画があったが頓挫していたと著者が明かしている。原因は、内閣広報官から海外の読者を刺激しかねない部分をカットするよう要請されたからだということである。

正論であっても、歴史や文化的な背景を共有していない外国人には真意が伝わり難い、というのは分かる。この8月、過去の慰安婦記事を一部撤回した際、朝日新聞は秦教授の寄稿文を掲載し、同紙の英字版にも転載された。あれを読んだ時、英語読者に誤解されないだろうかという懸念は自分にもあった。しかし、広報官の言う「刺激する」するとは秦の著書のどの部分の事なのか?自分には見当がつかないし、逆に、カットすることで痛くも無い腹を探られるのではないかと危惧する。

秦は長谷川広報官を「この人なら漱石や鴎外の翻訳でも同じ注文をつけそうな見識の持ち主」と言っている。どうやら広報官個人の問題と秦は見ているようだが、「(安倍)首相の意向」というのも少し気になる。

 1年半ばかり前になるが、内閣国際広報室から拙著の『慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999年刊)を英訳したいとの要望があり筆者も応諾し訳者も内定したところへ、新任の長谷川広報官から、首相の意向をちらつかせながら「刺激的」な部分を大幅に削除するよう要求された

この人なら漱石や鴎外の翻訳でも同じ注文をつけそうな見識の持ち主と推察されたので、私の方からご破算にしてもらった。臆病すぎる官僚的な対外広報なら、何もしないほうがまだましと言われないようにしたいものである。

産経(一部) 2014.11.13

2014/08/24

元女性基金理事による挺対協批判 (下村満子)


凧さんが、文字起しして下さったのでご紹介(ありがとうございました)。冒頭部は書き足した。

アジア女性基金の理事であった下村満子が、挺対協に対する不満と内幕を暴露している。日本人にとっては目新しい話ではないが、外国特派員協会辺りでぶちまければ、多少日韓関係の改善に役立つのではないか?その方が、韓国政府もありがたいだろう。

秦郁彦は、実はアジア女性基金に批判的で、著書の中で「問題は・・・関係者のほとんどが不満足な気持ちを捨てきれず、対決ムードが充満するなかで、見切り発車した点にあったろう慰安婦と戦場の性 p.289)」と批判しているように、混乱の原因は基金側にもあると考えているが、ここではその事については黙っている。挺対協がモンスター化し、韓国政府から当事者能力を奪っているという点では両者同意している。なお、日本には反基金派もいて、先日朝日新聞が女性基金を評価したことに(下村も言っているように、朝日は転向組)、wamが「朝日新聞が相変わらず『女性のためのアジア平和国民基金』を評価していることには、失望を禁じえません」などと声明を発表した。挺対協のシンパは日本国内にもいる。

「わたしが怒りを感じたのは、この慰安婦の人権だとか色んなことを言いながら、(挺対協は)実は彼女たちの人権とか一切考えてなくて、200年戦争だって言うんだから」と下村。




小西美穂キャスター 「慰安婦問題を巡って日本政府としてはどういう対応をしてきたのかと言いますと、こちらの年表にあります1995年なんですが、元慰安婦に対する補償を行うアジア女性基金、正式名称は女性の為のアジア平和国民基金というのですが、こういう民間の団体を設立しました。このアジア女性基金は、韓国を含め数カ国の元慰安婦に対して、当時の橋本総理大臣によるお詫びの手紙の手渡しや国民の寄付から一律200万円の償い金の支給などの償い事業を行って来たということなんですけれども、下村さんはこのアジア女性基金の一員として業務に関わったおられたということなんですが」

下村満子 「一員というか、理事なんですが、呼びかけ人でもあったのですが」

小西美穂キャスター 「韓国の慰安婦に対する償い事業はうまくいかなかったということなんですが、どういう状況で、どうしてそうなったのか」

下村満子 「お時間がないので、簡潔に申し上げますけどね。さっきちょっと私言わせてもらったように、現実に、しかも名乗り出るということ自体が出すね、やはり韓国の社会の中では、日本兵に身を売った女とかね、もう汚い女とかね、韓国の中でも親戚づきあい出来ない、そういう女性たちというか、みんなが名乗り出で来ているわけじゃないですよね。名乗り出るにはよほどの勇気と、非常に困っているとか。それと償い事業は、国民の200万円の寄付と政府が税金から・・国家賠償を請求されると言っても、国家賠償日韓条約でもう終わっていると言うことでそれは絶対にできないと言ううことで、医療福祉費、あの医療とか病気を治すおカネと言うことで、道義的責任ということで出したんです。合計500万円なんですが(1995.7設立)それをね、それはまぁ不完全でありね、向こうも十分ではない、国家賠償、絶対だと言い続けていたし、日本はそれはできないと言うことで、そこが不幸の始まりではあったんですが。

私はもう朝日新聞はもう辞めた後ではありましたけど、朝日新聞はどちらかと言うと国家賠償と言うような立場だったけど、私はどう考えたってそんなものは成立するはずがないし、少なくともお婆さんが生きている間、お婆さんというのは慰安婦のこと、おばあちゃん。絶対、生きている間、どうせならば命ある間にね、少なくともとにかく困っていて、その日の・・・ほとんど皆さん貧しい。喉から手が出るように必要なんですよ。その方たちにね、せめて500万円だろうがなんだろうが手渡したいという意志でやったんですよ。

で、さらにそのおカネだけじゃなくて、さっきおっしゃった総理のお詫びの手紙。これは橋本さんだけじゃなくて、小泉さんにいたるまで。で、それは私が実はお渡ししたときに、もう皆さん、ワーーっと号泣してね。もう、これだけで十分ですと。もう親戚縁者にこれを見せればね、お墓にも入れてもらえる。おカネよりこれだって方が多いくらい感動して日本。わたしはもう本当にね現場で一緒に抱き合ってね泣いてっていうことが結構あったんですね。そのぐらい私は逆に言えば日本は真面目に、一生懸命にねやれる範囲でやったと。

それを、挺対協という先ほどから出ている慰安婦を、なんて言うんですかなんて言うの、慰安婦を保護して慰安婦の権利を主張する代弁者ですね。代弁者の団体の人たちが絶対に受け取るなとかね、受け取ったら将来、国家賠償が2000万円取ってやるのに、そのお前たちはもう権利がなくなるとか。もう嘘はっぱちを、ごめんなさい、嘘はっぱちと言うか。そう言うことを。で、おばあちゃんたちはもう、学問もないし分からないですよそんなことね。そしてしかもかなり逆に強制的に管理されていて、これを受け取りたいと言う方がいっぱい居ても、これを受け取ったら政府から出ている一種の生活保護も全部ストップするとかね。そう言うことをしたんですね。で、私は死んでも受け取らないと言う人は結構ですが、受け取りたいという方を妨害するのは、まさに人権問題じゃないんですかと。すごく(やりとりが)あったんです。これは台湾もそうでした

ところが、私の感じから言うと、この方たち(挺対協)は慰安婦をタテに取って、慰安婦というこの方たちを利用してね、ハッキリ言って慰安婦のおばあちゃんの方たちのことなんか、ぜんぜん考えてないんですよこの方たちは」

玉井忠幸キャスター 「そうすると政治運動に」

下村満子 「そう。政治運動というか反日運動の」

玉井忠幸キャスター 「に、引きずられて元慰安婦の方たちの想いが、こう置き去りにされてしまったと」

下村満子 「そう、まったくそうです」

玉井忠幸キャスター 「と言うことになるわけですね」

下村満子 「だから、受け取りたいって方には、もうどんどん今、死んでいて、あの頃の方たちもほとんど亡くなっています。その方たちがせめてね、わずかでもこれによって少しはその生活が」

玉井忠幸キャスター 「その韓国の元慰安婦である方たちが、そういう状況、想いであることを、たとえば韓国政府とかあるいは韓国の世論というのは、きちんと理解できていないと言うことなんですか」

下村満子 「できていないですね。政府は分かっていますが、政府はこの挺対協が怖いんですよ。日本と一緒でやっぱりその世論とかね、それとか新聞にどう書かれるとか。だんだん弱腰になってきて。最初このアジア女性基金はご存じだと思いますが、両国の政府がほぼ合意してこれで良かろうということでできているんですよ。韓国政府とも実は、それは書いてありますよね今度の新聞にも。私たちもそう聞いていました。ところが開けてみたら挺対協がもう断固反対とかね。言い出した政府が弱腰になって挺対協の側について。挺対協がオーケーすればいいけど、そうじゃない限りみたいなことを言い出して。まぁわれわれはもう本当に、なんなのコレと。で、一番、わたしが怒りを感じたのは、この慰安婦の人権だとか色んなことを言いながら、実は彼女たちの人権とか一切、考えてなくて200年戦争だって言うんだから。おばあちゃんが死のうが生きようが関係ないんだと。われわれは戦う、200年戦争をするんだとハッキリおっしゃった方も居るくらいですから。私は、今まで言わなかったんです。こういうことはね。やっぱり言ってはいけないと思ったけど、私はやっぱり今の日韓関係がこんなになったのは、確かに先生(秦)がおっしゃるように最初のスタートラインは吉田証言とかね、そういうものに飛びついてそれを非常に大きく報道したりとか、それはあったかもしれないけど、今は全部、分かっていながら、それをもうフルに利用して反日運動の道具に使っているというのは、ま、どっちもどっちと言えばどっちもどっちだけど、政治問題化をすごくしていて、本当にお婆さんたちの立場には立って居ないんです。

小西美穂キャスター 「秦さん、どうですか。本当のその癒されるべきおばあさんたち、その女性たちの立場に立っていないような政治問題化してしまった愚かさみたいなところを指摘されているんですが」

秦 「これはもうね、挺対協というのは今やモンスターなんですよ」

下村満子 「そうですね」

秦 「韓国政府の高官が言ってるんですね」

「わが国ではこの問題に関する限り絶対的な拒否権は挺対協が持っている

下村満子 「そうです」

秦 「だからいくら韓国政府と交渉してですね」

下村満子 「だめなんですね」

秦 「話がまとまってもダメなんです」

下村満子 「情けないじゃないですか韓国は、自分の国のそういう運動をねぇ」

秦 「おまけにですね今度は韓国の司法部、裁判所がまたね」

下村満子 「あ、そうそう」

秦  「これ政府が結んだ条約もダメだって平気で言うでしょ。だから端的に言いますと、いまや韓国政府は当事者能力がないわけです」

下村満子 「そうです」

秦 「だからそれについて、なんとかしようと思っても、わたしは見込みがないと。何をやってもですね。だから今そのまだ慰安婦を救えとかなんとか言ってますよね

下村満子 「だってもうほとんど居ないんですよね」

秦 「もう、ほとんど居ないんですけどね」

下村満子 「あのとき一番若かった人でも85歳ぐらいですから」

秦 「そうなんですね」

下村満子 「当事者が居なくて運動だけが残るんですかね。だからこう銅像を立てたりとかね」

秦 「いろいろやってますね」

下村満子 「いろんな形にして」

秦 「そうなんです。それで朴大統領もね日本人の顔を見るたんびに言うわけでしょ、慰安婦問題を善処しろとね。じゃあどういう要求なのかと」

下村満子 「まったくそう」

秦 「ぜったい、言わないんですね。つまり言いようがないんですよね。だからその日本側から知恵を出してくれと言うことだろうと思うんですよ、わたしの推測ではね」

下村満子 「アジア女性基金」

玉井忠幸キャスター 「活動されてきたアレで言うと、日本が新たに知恵を出す余地っていうのは何か考えられますか?」

下村満子 「まぁ、実はアジア女性基金の元理事たちと、実は最近こんな風になってきて、われわれのあの15年はなんだったんだろうと。もう命がけで一銭のお金もいただいてるわけじゃないんですよ、ボランティアで。むなしくなって全部、暴露するインタビューをしようかなんて、インタビューじゃなくて記者会見をしようかなんてジョークを言ってますが、あの、これ以上の、これ以上のものはこれからはできないでしょうと言うのが。あの、あのときだからねできたんで、しかもほとんど当事者が居なくなってるんだから、お渡しのしようもないわけですね。挺対協にそんなおカネを渡したって謝ったってしょうがないわけで

秦 「だから、挺対協もね、だからおカネは出しなさいと追加でね。出しなさいと。そのおカネもですね筋の通らないカネじゃなくて国会で議決してとかね、それからお詫びもね誠意のこもったね、総理大臣なり国会決議とかね」

下村満子 「だからね、壊れたレコードみたいにおんなじことの繰り返しなんですね。だから私は正直、あのどうしたらいいかと言うときに、まぁ、二つあって、一つはもう放っとけと。もう両方がどん底まで行ったら嫌でも反転するからと言うのが一つと、同時に、もう戦争を知っている世代ではない新しい若い世代が過去のこの不幸な歴史をですね、70年前に時計を戻すことはできないんですよ。どうしろと言われたって、謝れとか処罰せよと言われたって。だからこれをね、本当により良い日韓関係を作るために次の世代がね、もう戦争のそういうことと関係のない世代が本当に知恵を出してやっていただくしかないんで、しばらくはあの」

秦 「ただね、向こうの人でもねちゃんとものの分かる人が居るんですよ。そういう人が発言するとね、袋だたきに遭うんです。

下村満子 「そうそう」

秦 「親日派だーって言う一言でね。だからこの前も首相候補で就任するかと思われたら、これ親日派だと誰が言い出した途端にですね、もう本人も辞退と。だから親日派はね学者でもなんでも呼び出されてですね、挺対協の前で土下座させられて殴る蹴るなんですよ。ですからわたしはね、これどうしようもないからね、向こうからですね、あのちゃんとねこう冷めた気持ちになって、それで日本はいつでもドアは開いていますと言う」

下村 「ただ先生ね、一方において日本にもせっかくこう。また引っくり返すようなことを言う閣僚なんかもときどき出てくるんで」

小西美穂キャスター 「これだけでは時間がちょっと短いのは大変恐縮なんですがココでお時間となりました今日はありがとうございました」

2014/07/04

なぜ河野談話は「強制性」なのか、喧嘩にならないから(秦教授)

「強制性というと何だろうということなんですけれど、それだとお互いに喧嘩にならないわけです」

もともと国会で慰安婦の「強制連行(徴用)」を追及していた社会党の議員らが、途中で「強制性」という言葉にすり替えたことから今の政治的混乱が始まったと思われるが、それとは微妙に異なる話として、なぜ河野談話では強制性なのか。なぜ日韓政府は強制性を認めるという形で落着させようとしたのか。河野談話検証チームのメンバーであった秦郁彦が、分かりやすい言葉で説明している。それは、「強制」という言葉が「曖昧」で日韓両政府が「喧嘩にならない(争う必要がない?)」からだという。

使っている言葉自体がですね、非常に曖昧なんですね。・・・例えば「強制性」と言いますけどね。強制性というと何だろうということなんですけれどもね。それだとお互いにですね、喧嘩にならないわけです。ですから、よく意味が分からないままに押し引きすると。「関与」というのもそうですね。いい関与、悪い関与両方あるわけですけども、決してどっちの方だということは、お互いに議論しない。 (ここでは自分で文字に起こしたが、現在はテキストアーカイブが公開されている)

BSフジ プライムニュース 2014.6.20

つまり、産経新聞などの強制連行(国家・行政機関による動員)否定派が「強制性はなかった」「強制性を認めた河野談話を撤回せよ」と意気込んで空回りしているのは、曖昧な言葉、秦の言う「意味の分からない」言葉を相手に必死になっているからである。産経新聞もいい加減気づいて欲しいのだが・・・。


2013/12/11

1990年、ついに韓国で火が着いた慰安婦問題 (秦郁彦)

千田の錯覚・金の偏見・吉田の詐話をユンが韓国に持ち込んだのが
日韓の悲劇の始まり

秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」より、第二段(もちろん本を丸ごと転載するような事はしない)。

千田夏光が思い込みから朝鮮半島で慰安婦の強制連行(戦時徴用)が行われた風の事を著書に書いてしまったのは、1978年。金一勉が民族抹殺の一環として日本により朝鮮人女性が慰安所に送り込まれたと書いたのも70年代。吉田清治も「朝鮮人慰安婦と日本人」を77年に出版していた。

しかし、これらの本が出版されても社会からは相手にされなかった。胞子は日本の大地では芽吹かなかったのである。日本人や在日朝鮮人が70年代に撒いた危険な因子が発芽するのは、「フェミニズム X (反日)ナショナリズム」という絶好の培地を持った韓国に持ち込まれたのが切っ掛けであった。1990年、いよいよ慰安婦騒動に火が着く。

その1: 1992年慰安婦問題のビッグバン(秦郁彦)

2 前史--千田夏光から尹貞玉まで

すでに触れたように、戦場帰りの兵士たちが溢れていた敗戦直後から、慰安婦たちは戦記、小説、映画、演劇作品のなかに、なじみ深い脇役ないし点景としてしばしば登場していた。

主として月刊誌や週刊誌に書き散らされた一九五〇―六〇年代の文献は「大宅文庫」の目録などで知れるが、「身の毛もよだつ娘子軍の話」「軍需品の女」「売春婦となった従軍看護婦たち」のようなタイトルが示すように、読者の好奇心に訴えるキワ物風のスタイルが多かった。文学作品では田村泰次郎の『春婦伝』(一九四八)や、七年も中国で戦った伊藤桂一による一連の戦場小説が、兵士と慰安婦の交情を暖かいまなざしで描き出しているが、七〇年代以降に生れた問題意識とは無縁だった。

フェミニスト的視点もほとんど見られず、『サンダカン八番娼館』(一九七二)の著者山崎朋子は「戦場慰安婦は、相手こそ外国人でなくて同国人であったけれど、新たなくからゆきさん〉であった」し、米兵相手のパンパン・ガールも「まさしく現代のくからゆきさん〉にほかぬ」と書いていた。いつの世も変らぬ女性哀史の一コマという視点である。

慰安婦と慰安所について、初めてまとまったレポートを書いたのは千田夏光と言ってよい。今では古典的作品となった・『従軍慰安婦』正続)は、一九七八年に三一書房から刊行されたが、著者の序文によると、初版は『従軍慰安婦--”声なき女”八万人の告発』の書名で七三年に双葉社が発売している。

三一新書版に変ってから五十万部以上が売れたというが、「書評は『赤旗』の読書欄くらいにしか載らなかった。社会的にも話題になることはなかった・・・女性からの反応は皆無に近かった」という。

千田は戦場体験こそないが、元新聞記者らしい取材力と筆致で、何人かの元慰安婦、業者、相当数の兵士、軍医などに取材してまわり、全体像に迫ろうと試みた。そして、狙いはそれなりに成功し、良くも悪くもその後のイメージ形成に大きな影響を与えることになる。

問題は、韓国での取材が日本と勝手がちがったせいか、女子挺身隊と慰安婦を混同したり、朝鮮総督府や現地部隊による慰安婦の「半強制・強制狩り出し」が横行したかのような書き方をした点にあった。本が出た時にはとくに注目されたわけではないが、のちに八〇年代から九〇年代にかけて、慰安婦問題に取り組んだ関係者の多くが、千田の著作を読むところからスタートしただけに、抜きがたい先入観を植えつけたと評せよう。

千田夏光を日本側の先駆者とすれば、韓国側で似た役割を果したのは、挺身隊問題対策協議会(略称は挺対協)を設立した尹貞玉(ユン・ジョンオク)女史であろう。

一九二五年牧師の娘として平壌(ピョンヤン)に生まれた尹は、慰安婦問題と取り組むようになった動機を二九四三年十二月、私か梨花女子専門学校一年生のとき、日帝が朝鮮半島の各地で未婚の女性たちを挺身隊に引っ張ってゆくという恐ろしいことが頻繁に起こるようになった。多くの学生たちは挺身隊を免れるために結婚を急ぎ、続々と退学・・・私は両親のすすめに従って退学し挺身隊を免れたが私と同じ年頃の若い女性たちは日帝によって連行されていた」という彼女の戦中体験から説明している。

ミッション系の梨花女子専門学校(戦後に女子大へ昇格)は、朝鮮半島の上流子女が集まった名門校である。

戦時中の朝鮮半島で内地と同様に未婚の女性が女子挺身隊に動員され、工場などで働らかされたのは事実である。

戦後に母校の英文科教授(一九九〇年定年退職)となった尹貞玉は、一九八〇年頃から北海道、沖縄、タイ、パプアニューギニアなどをまわって慰安婦たちの足跡をたどり、その過程で日韓双方の研究者や運動家たちとの人脈を広げていく

その成果は、九〇年一月の『ハンギョレ新聞』に「挺身隊取材記」(連載)として発表された(ブログ主注:この本の中で一部読めたはず)。しかし本人が直接に取材した元慰安婦は、すでに川田文子『赤瓦の家』(一九八七)に登場していた沖縄在住の裴奉奇(ぺ・ポンギ)と、タイに定住し里帰りしたことのある女性の二人だけ、吉田清治や千田夏光の紹介した現場をまわっだルポ記事が主で、慰安婦問題の全貌へ迫るには、ほど遠いものだった

朝鮮半島では実証的に近現代史を調べ、記録する伝統が乏しい。高崎宗司によれば、挺身隊や慰安婦への関心は一九七〇年代から高まってはいたが、情報はほとんどが千田、吉田清治、金一勉朴慶植など日本(と在日朝鮮人)からの輸入に依存し、官庁記録や元慰安婦の周辺など第一次情報に当ろうとする風潮は乏しかったという。

なかでも八九年に韓国語訳が出た吉田の『私の戦争犯罪』は、アフリカの奴隷狩りさながらに済州島で慰安婦狩りをやった体験の告白記(それがフィクションにすぎなかったことは第七章を参照)、金一勉(在日韓国人)の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(一九七六)は、慰安婦連行が日帝による「朝鮮民族抹殺構想」から来ている、と断じた反日色の強い作品である。

それ以前は、一九三〇-四〇年代の生活感覚を知る世代が健在だったせいか、韓国マスコミの平均的認識はむしろ日本側より穏健だった。たとえば『東亜日報』編集局長だった宋建鎬は一九八四年に刊行した著書で、金大商などの所論に依拠しつつ次のように書いている。
日本当局は一九三七年末の南京攻略後、徐州忤戦が開始される頃に、朝鮮内の御用女衒たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮女性を多数中国大陸へ連れて行き、「慰安所」「簡易慰安所」「陸軍娯楽所」などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした……日本軍に出入りする御用女衒たちが朝鮮に来て、駐在所や面長を先頭に「らくちんで金もうけできる仕事場かおる」とだまして連れ去ったのである。
つまり朝鮮人の女衒による就職詐欺まがいの勧誘が主で、その多くは売春婦だったことが的確にとらえられており、官憲による「強制連行」というイメージはあまり出ていない。

その意味で西岡力が、慰安婦強制連行説は「時期の関係から見ても内容を見ても……日本発だということは明らか」と指摘したのは正しく、韓国サイドで起爆剤の役割を果したのが尹のルポ記事であったことは否定できない。

その場合、彼女が与えたインパクトは、慰安婦たちの存在自体というより、「女性の性に対する観念を徹底的に変える社会的な意識変革を」と訴え、慰安婦たちは「民族心の主人公であらねばならぬ」と、ナショナリズムにフェミニズムを結びつける視点から来だのではないかと思われる。

折から韓国では、高度経済成長がもたらす急速な社会的変動のなかで、伝統的な男尊女卑の観念がゆらぎ、第一期フェミニズム運動の高揚期を迎えようとしていた。運動体にとって慰安婦問題は、恰好のキャンペーン材料にちがいなかった。

申菫秀によれば、慰安婦問題がはじめて公式に取りあげられたのは、一九八八年に韓国女性団体連合会が開催した女性と観光問題(いわゆるキーセン観光)についてのセミナーで、「それ以来、この問題は韓国における女性運動の共同の課題」になったという。

一九九〇年十一月、尹貞土と同僚の李効再教授(社会学)を共同代表に戴く挺対協が結成された。七月に生まれた挺身隊研究会(会長鄭鎮星)を母体に、韓国女性団体連合会を含む三十余の女性団体が寄り集まる連合体で、やがて日本政府の謝罪と補償を要求する有力な圧力団体へ成長する。 

その後、類似の運動体が日韓だけでなく、アジアの近隣諸国にも次々に生れるなかで、挺対協は総本山の役割を果すことになった


(1)一九九六年までの文献については女性のためのアジア平和国民基金編『〈慰安婦〉関係文献目録』(ぎょうせい、一九九七)を参照。一九八九年までの関係作品は単行本一三五冊、論文三十五篇。

(2)山崎朋子『愛と鮮血--アジア女性交流史』(三省堂新書、一九七〇)四五--四六ページ。
(3)『Ronza』 一九九七年八月号の千田夏光稿。

(4)千田夏光『従軍慰安婦』正篇、一一四ページ以下、続篇一一ページ。

(5)尹貞玉他『朝奸人女性がみた〈慰安婦問題〉』三一新書、一九九二) 一四ページ。なお彼女が在日韓国民主女性会『朝鮮人従軍慰安婦』(一九九一年五月)に寄稿した取材記も同主旨を書いているが、「日帝が……未婚の若い女性たちを手当りしだいに挺身隊に狩り出すむごたらしいできごとが繰りひろげられ」三一ページ)と表現している。

(6)千田の著書は七〇年代に丁海洙訳で出版され、映画にもなった。金一勉の著書も、林鍾国『挺身隊実録』(一九八二に翻訳紹介された。古田清治の著書(一九八三)は、一九八九年に『私は朝鮮人をこのようにして捕えていった』という書名で、チョング研究所から韓国語訳が刊行された。別に金大商『日帝下強制人力収奪史』(一九七五)がある(主として高崎宗司「韓国における従軍慰安婦研究」『婦人新報に 一九七六年十月号による』。

(7)宋建鎬『日帝支配下の韓国現代史』(風濤社、一九八四)三四五-四六ページ。

(8)西岡力『従軍慰安婦論は破綻した』(日本政策研究センター、一九九七) 一一ページ。

(9)申莖秀「慰安婦問題の国際化」(『裁かれるニッポン』日本評論社、一九九六)

(10)李効再は一九二四年、牧師の娘として生れ、戦後コロンビア大学に留学して一九五八―九〇年母校の教授をつとめたが、民主化運動で一時大学を追われた経験を持つ。のち代表を辞任、金允玉(弁護士)に引きつぐ(C.S.Soh,"The Korean Comfort Women Movement for Redress"Asian Survey, Dec.1996,p.1233")。

2013/12/02

1992年慰安婦問題のビッグバン (秦郁彦)


慰安婦「騒動」を知るに当たっては、吉見義明の「従軍慰安婦」と秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の二冊は読んでおきたい。さほど複雑な問題ではないので、この二冊に目を通しておけば大体の状況は分かるはずである。

ただ、最近は海外の日本人もこの問題に関心を持ち始めているようで、拙ブログにも海外在住者がコメントを下さる。アマゾンで割と簡単に注文できるとはいえ、海外で暮らす人が日本の書籍に目を通す機会は少ないはず。というわけで、非営利の個人ブログという立場に甘えここで中身を一部紹介しようと思う。(著作権についての自分の考えは、「ご挨拶とお断り」に)

※ 強調体は引用者

慰安婦と戦場の性

朝日新聞の奇襲

一九九二年一月十一日、朝日新聞の朝刊を手にとった人は、第一面トップに躍る慰安婦のキャンペーン記事に目を見はったことであろう。今にして思えば、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻きこむ一大狂騒曲の発火点となるものだった。第一面ばかりでなく社会面まで潰したこの大報道を紹介すると長くなるので、とりあえずは主な見出しだけを次に羅列しておこう。

「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」
「部隊に設置指示 募集含め統制・監督参謀長名で、次官印も」「〈民間任せ〉政府見解揺らぐ」
「〈謝罪を〉〈補償を〉の声さらに」
「募集など派遣軍において統制、すみやかに性的慰安の設備を」

さらに防衛庁資料を「発見」した吉見義明中央大教授の「軍関与は明白 謝罪と補償を」の談話、「不十分な調査示す」との女性史研究家鈴木裕子さん、「軍の関与は明らか」とする元日本軍慰安係長山田清吉少尉のコメント、「多くは朝鮮人女性」と見出しをつけた「従軍慰安婦」の解説コラムもつく構成になっている。

しかし「見出し」だけでは、なぜこんな大報道になったのか理解しかねる人もあると思うので、朝日新聞の意図を一面のリードから引用する。

日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが十日、明らかになった。

朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年十二月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。

このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで「国の関与」を否定していた日本政府に「偽証」の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。

一月十一日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、「関与」という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、「やるもんだなあ」と感嘆した。

防研図書館の「陸支密大日記」は三十年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実だった。慰安所を利用した軍人の手記や映画やテレビドラマのたぐいも数多く、この種の見聞者をふくめれば、軍が関与していないと思う人の方が珍らしかっただろう。それをやや舌足らずの国会答弁(後述)に結びつけて、「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけたのは、トリックとしか言いようがない

吉見自身も、「発見」の経緯を雑誌『世界』の一九九二年三月号に「(以前から知っていたが)改めて昨年末と今年初めの二日間、同図書館に行って慰安所関係の資料を中心に捜し」と書いている。

私はこの頃、他のテーマで防研図書館へ通っていて、旧知の吉見氏から「発見」と「近く新聞に出る」話も聞いていたが、ニュースになるほどの材料かなあと疑問を持った記憶がある。その後、一向に新聞に出ないので、どうしたのかなど思っていたところへ一月十一日、くだんの大報道となったわけだ。

そして、このキャンペーン記事は、狙いどおりの大反響を呼ぶ。他の新聞も一日おくれで追随するが、同じ目の朝日夕刊には早くも「十一日朝から、韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され……李相玉外相は十一日、韓国記者らに対し、『韓日首脳会談では元従軍慰安婦問題に関する日本側の適切な立場表明があると考えている(後略)』と語った」むねのソウル支局電を掲載する手まわしの良さを見せた。

つづいて翌十二日の朝刊は、「歴史から目をそむけまい」と題した社説で「十六日からの宮沢首相の訪韓では・・・前向きの姿勢を望みたい」と追い打ちをかけた。

慰安婦問題における朝日の独走態勢は、その後もつづくが、追随した各新聞のなかで、朝日を上まわる過激さを見せたのは英字新聞のジャパン・タイムズであった

たとえば一月十一日の夜、全国放送のテレビ番組に出演した渡辺美智雄外相は「五十年以上前の話で、はっきりした証拠はないが、何らかの関与があったということは認めざるを得ないと思う」十二日付朝日)と語った。

ところがジャパン・タイムズ紙は、この外相発言を紹介したのち「この発言は、政府の責任者が日本軍によって第二次大戦中に何十万人(hundreds of thousands)ものアジア人〈慰安婦〉に対する強制売春forced prostitution)に加担したことを、初めて認めたもの」午三日付、傍線は秦)と悪質な解説文を付け加えた。

外相が言及せず朝日さえ認めていない「何十万人」とか「強制売春」を、さりげなく足しかわけだが、その後は各種のメディアが競合する形で、この方向へ報道と論調をエスカレートさせていく。

一方、後手にまわって失点を重ねる政府の不手際も、やはりこの時から始まった。不意打ちを食った形であわてふためく当時の政府幹部には、戦場体験者がほとんどいなかった。日米開戦の年に大学を卒業して大蔵省に就職した宮沢喜一首相も、この世代には珍らしく従軍体験がなかった。慰安婦や慰安所についての基本感覚が欠けていたので、反論はおろか、見当もつかぬまま日韓呼応しての奇襲攻勢に屈してしまったと言えそうだ。

宮沢首相は早々と十四日の記者会見で「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、十六日に「抗議のデモ相次ぐ」(十六日付毎日新聞)ソウルへ向っだが、滞在中も、天皇の人形が焼かれたり、名のり出た元慰安婦が坐りこむなど、反日デモが荒れ狂った。

挺身隊と慰安婦をとりちがえて「小学生まで慰安婦に」と報道する新聞の熱気に押されたか、韓国教育省が全国二千の小学校に学籍簿の調査を指示する険悪な空気のなかで、宮沢首相は日韓首脳会談や韓国国会での演説で「謝罪」をくり返し、「真相究明」を約束して帰国する。

毎日新聞ソウル支局の下川特派員は、のちに現場の空気を回想して、次のようにレポートした。

宮沢前首相が青瓦台(大統領官邸)の記者会見場で、卑屈な表情を浮かべている姿が記憶に生々しい・・・一時間二十五分の首脳会談で、宮沢首相は八回も謝罪と反省を繰り返した・・・。韓国の大統領首席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない



(1)朝日新聞の辰濃哲郎記者が、吉見から情報を入手したのは十二月二十四日頃なので、発表まで二週間以上も寝かされていたものと推定される。

(2)ジャパンータイムズの偏向姿勢は、外国新聞の東京支局を通じて流れ、この問題の海外における初期イメージを定着させたようである(『諸君!・』一九九二年八月号の佐瀬昌盛稿参照)。

(3)(九四一年十二月に卒業し、翌年一月に大蔵省へ採用された高文官僚は二十七人だが、多くは軍務につき、戦時中を大蔵省勤務で終始した人は宮沢をふくめ五人しかいない。

(4)毎日新聞の下川正晴による「記者の目--日韓関係」(一九九三年九月九日付)


2013/01/04

[報道・英語] Japan's ability to convey information to world


読売新聞の日本語版にはこの記事はないのだろうか?

読売は2007年の時もデイリーヨミウリに慰安婦問題についての解説記事(英語)を掲載するなど頑張っていた(あまり効果はなかったようである)。昨年も河野談話は見直されるべきだと英語で発信している。そんな読売でも(本当は朝日新聞が英語で説明するのが一番いいのだろうが)、こうした記事はいずれリンク切れになってしまう・・・。

Japan's ability to convey information to world

China and South Korea are engaged in international propaganda campaigns over the Senkaku and Takeshima islands--campaigns that refer to historical issues with Japan. It is an essential and urgent task for Japan to strengthen its ability to convey information to the world, and this task is not confined to the area of territorial issues.

Yomiuri Shimbun Senior Writer Ryuichi Otsuka interviewed four renowned experts on what is required for Japan to increase its voice and influence on the international stage. The following are excerpts from the interviews.

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YU SERIZAWA

President of Forma Corp.

Japanese should be more willing to appear on intl stage

I spent my childhood in Europe and attended a high school and university in Paris. I was, in a sense, an "expat who had yet to return home."

After working at a French bank, I founded a company in Tokyo to help organize international conferences and provide assistance to companies developing overseas business strategies.

As director in charge of Japan affairs at the World Economic Forum in Davos, Switzerland, for 17 years, I took part in every annual Davos meeting during that period.

Through my experiences, I'd like to touch on a few things I feel are important.

In my view, many Japanese fail to achieve much because they are weak at conveying the points they want to make on the international stage.

When it comes to presenting their point of view overseas, Japanese often become too tense. Their approach is awkward and they speak in such a stereotyped manner that non-Japanese often appear tired of listening to what they perceive as an "official view" typical of the Japanese.

Many Japanese fail to say in a clear-cut way what they really think and what they actually want to do. They are fond of using nuances to express themselves, which non-Japanese find puzzling and hardly intelligible.

In WEF meetings in Davos, foreign participants asked me many times, "What do they really want to say?" However, some Japanese are quite proficient in presenting their views to non-Japanese.

One of them was Akio Morita, the founder of Sony Corp. Although he was not fluent in English, Morita was proficient at pausing at the right moment while speaking and he had a sense of humor.

He was a man of unequivocal commitment, which he conveyed to others in plain language. This earned him an excellent reputation in Davos.

Among Japanese politicians, I think Junichiro Koizumi was great at expressing himself, though he never visited Davos.

Virtually every time I ask a non-Japanese, "Do you know the name of any Japanese prime minister?" they invariably come up with the name "Mr. Koizumi."

This may be partly because of his distinctive appearance and the annual turnover of Japan's prime ministers in recent years. But I think Koizumi, in the eyes of non-Japanese, was especially noteworthy among Japanese politicians because he spoke quite candidly and in as few words as possible.

First, making assertions in broad terms would be good enough, even if they are unsophisticated. Japanese should clearly convey, in their own words, information that foreigners really would like to get.

I must bring up one more important point.

Another politician, the late Ryutaro Hashimoto, also conveyed what he wanted to say in a forthright manner, although his personality was very different from Koizumi's.

Hashimoto was able to think logically and speak in a rational manner.

I strongly hoped Hashimoto would attend a Davos meeting. But whenever I invited him to attend a meeting, he declined. "I'll do so when I become less busy after I step down," he said. But, I think this is the wrong attitude.

Interest in Japan has been diminishing in Davos, like elsewhere in the world.

To reverse the situation, I really want the Japanese, not only political leaders but others now on the front lines of their fields who are extremely busy and sought-after, to stride onto the world stage to clearly convey their thoughts on behalf of the country.

Serizawa is a graduate of the French state-run Institut d'Etudes Politiques de Paris (Paris Institute of Political Studies). After working with Le Credit Lyonnais, a French bank, she founded Forma Corp. in 1992. Serizawa, 54, serves in such positions as adviser to the president of Mori Building Co.

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KIYOTAKA AKASAKA

President of the Foreign Press Center

Harness power of media, international bodies

When I was U.N. undersecretary general for communications and public information, I realized anew the tremendous power of the media.

It struck me that such media outlets as The New York Times, The Washington Post, CNN, the BBC, The Economist and Foreign Affairs magazine are very influential in steering the tone of global discussions on various issues.

For instance, The New York Times is especially influential regarding the United Nations. All U.N. staffers, including the secretary general, read the paper every morning. Whenever it published an editorial concerning us, we had to immediately think about how to respond.

For Japan to strengthen its say at the global level, it must not only convey its various opinions and stances on issues within Japan, but also voice them more frequently in these powerful media.

Unfortunately, very few Japanese people can do that. For instance, only a handful of Japanese articles were carried in Foreign Affairs magazine in the past 20 years, by such personages as Masakazu Yamazaki, Eisuke Sakakibara and Yoichi Funabashi.

What are Japanese scholars of liberal arts doing? They write fine, admirable articles and papers in Japanese and engage in sophisticated discussions, but they have shown little effort to enhance their international influence.

Some Japanese scholars in sciences have been recognized internationally for their research. However, liberal arts scholars have only evolved within Japan--the so-called Galapagos syndrome. I'd like to see them get their message out to the world more.

The language barrier is quite significant, but I think we need to foster human resources that can accomplish this task in various fields.

It also is important to increase the number of Japanese working for international organizations and overseas research institutions.

There still are not that many Japanese staffers at the United Nations. In contrast, the number of Chinese staffers has been large from the outset, as Chinese is one of the international body's official languages. Competent Chinese have been joining the United Nations one after another.

The U.N. Charter stipulates its staff should avoid being influenced by their respective countries' agendas.

However, it is natural for Chinese or other nationalities to protect their countries' interests. If you compare reports written by staff members of different nationalities, you can see subtle differences.

I am boasting a little when I say that while working for the predecessor of the World Trade Organization, I wrote a report about Japan's trade policies on rice. After reading it, a senior official of the organization told me it may be biased toward Japan. But I strongly insisted on its objectivity and the report was adopted.

In tackling these issues, I hold high expectations particularly for the younger generation. They must venture out to other countries and play active roles if Japan is to regain its power and vitality.

Akasaka, 64, took the post of president of the Foreign Press Center in August 2012 after serving as a senior official at the Foreign Ministry and deputy secretary general at the Organization for Economic Cooperation and Development, among other posts.

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IKUHIKO HATA

Modern historian

Translate, publish objective historical works

Being a historian has made me keenly aware of how weak Japan is in transmitting information to the rest of the world.

But simply lamenting the state of affairs will get us nowhere--we need concrete plans to address the problem. Translating objective articles and books by Japanese historians into English would be an easy first step.

For example, if people overseas want to learn about the Nanjing Incident, they are largely limited to "The Rape of Nanking," a book written 15 years ago by Chinese-American author Iris Chang. The book is filled with sensational claims in line with China's exaggeration that 300,000 people were massacred by the Imperial Japanese Army. Readers overseas may view Chang's account as more or less doubtful, but they nonetheless rely on this text because no other is available in English.

The year this book was published, I took part in a panel discussion at Princeton University, where Ms. Chang was participating in such an event for the first time. At 29, Ms. Chang was an attractive young woman with good public-speaking skills. I knew she would be a formidable rival, and, as expected, her book became a best seller and is now tremendously influential.

Japanese experts on the subject are the only ones who can offer counterarguments. It is said that more than 1,000 articles and books have been written on the Nanjing Incident in Japan. Japanese scholars are broadly grouped into three areas: those who believe the Imperial Japanese Army massacred [more than 100,000 people]; those who deny a massacre took place; and those in the middle [who believe a massacre occurred, but put the number of victims at several thousand to several tens of thousands], like myself. The war of words between these groups has been fierce.

However, these arguments have all been for "domestic consumption." There are several books on the subject I think are reliable, but none has been translated into English.

The same goes with the issue of "comfort women" and Japan's various territorial disputes. Only a fraction of the objective documentation and works on the topics have been translated into English.

To explain these historical issues, the government and other interested parties have purchased opinion ads and given speeches in the United States and Europe. But opinion ads are generally regarded as one-sided, and have little credibility. People who have attempted verbal explanations have found it difficult to fully express their views.

I therefore think we need to translate into English works by Japanese scholars who have summed up [using first-hand accounts, data, documents and other material] the Nanking Incident, comfort women and the territorial issues.

When choosing works to translate, we should give priority to academic works that are easy to read. Footnotes indicating sources are essential, as are indexes. It is also important to maintain objectivity when relating facts--including those that put Japan in a bad light--and describing the history of the controversy over each issue. The final judgment should be left to the readers.

Next, we should select good translators and pay them appropriately, and seek major overseas publishing houses for publication. These are important points.

I believe that the fires that erupt over territorial and historical issues must be extinguished when they are small. Putting out huge conflagrations like those that have engulfed the Nanjing Incident and comfort women require a tremendous effort.

Hata, 80, is a University of Tokyo graduate who later studied at Harvard and Columbia universities. After graduation, he joined the Finance Ministry, where he headed an office in charge of chronicling the U.S. Occupation of Japan (1945-1952). He has served as a history professor at several universities, including Nihon University, and is the author of "Nanjing Incident" and "Ianfu to senjo no sei" (Comfort women and battlefield sex).

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JOJI HARANO

Representative director of Nippon Communications Foundation

Minor differences should not be ignored

Nippon.com, which publishes information, opinions and event reports on Japan in multiple languages, was launched in October 2011 with backing from the Nippon Foundation. The website is operated by the Nippon Communications Foundation.

The site currently features content in six languages--Japanese, English, Chinese, French, Spanish and Arabic. Russian will be added in 2013, letting us meet our goal of providing information in Japanese and the six official languages of the United Nations. After Russian is added, we will be able to reach 70 percent to 80 percent of the world's population.

It is precisely because Japan's national strength has waned that it is more necessary than ever to actively promote our nation to the rest of the world. Nippon.com was the nation's first multilingual attempt to address this concern, but the response has been enthusiastic and the number of visitors to the site has increased.

The website is produced by nearly 70 people in all, including reporters, translators and outside contributors.

The site publishes one article per day. We try to give plenty of time to on-site reporting and interviews, so we can deliver stories of long- lasting interest to our readers. Articles for the website are decided at editorial board meetings attended by our in-house staff.

We have learned a few things in our short career.

First, the level of knowledge and understanding about Japan varies among the different linguistic areas.

For instance, French people are generally familiar with Japan, while people in Central and South America have little knowledge about Japan, similar to the level seen in Arabic-speaking countries.

When we publish information about Japan to people overseas, we tend to assume they have a certain amount of knowledge about our nation. However, making such assumptions can make us complacent about our jobs.

Accordingly, interests in and concerns about Japan also differ by language.

For example, Chinese people are more interested in practical information such as on business or technology, and also in reading articles about China, probably to see how Japanese people view their country.

Meanwhile, French people show a strong interest in anime and other aspects of pop culture. However, a story about the way air flows through an old home built with traditional Japanese methods was the most viewed by French readers, indicating the importance they place on nature.

Japan's Imperial family is a popular topic among Western people, probably because of its uniqueness.

If we want to produce appealing content, we need to understand differences like these between linguistic areas or countries.

We must work diligently and with great attention to detail if we want people from different cultures to understand ours. Small misunderstandings can eventually lead to great misunderstandings or even conflict.

In domestic politics, there has been a lot of buzz about ignoring minor differences for the sake of greater common interests, but we should not ignore minor differences when promoting Japan overseas.

Harano, 64, was a political reporter with Jiji Press before becoming deputy director of the firm's news department. He came to his current post after a stint as president of Japan Echo Inc., publisher of a bimonthly magazine featuring English translations of essays and articles from Japanese opinion magazines.

2012/09/12

[メモ] 週刊FLASH 9月11日号

徹底検証!「従軍慰安婦」問題は朝日新聞の捏造から始まった

女性自身 8月29日(水)7時15分配信

韓国の李明博大統領が竹島に上陸して以来、日韓関係がぎくしゃくしている。大統領は上陸前「日本は従軍慰安婦問題を心から謝罪していない」と述べ、一連の問題の発端が慰安婦問題にあると発言した。

だが、8月21日、橋下徹大阪市長は「従軍慰安婦問題で強制連行があったという確たる証拠はない」と述べ、8月24日には石原慎太郎都知事も「はっきり言って強制ではない。強制した証拠がどこにありますか」と語っている。では、いったい、どうしてこの問題が騒がれ続けるのか。

’82年9月2日付けの朝日新聞では、昭和18年夏、わずか1週間で朝鮮・済州島の若い女性200人を狩り出したという吉田清治氏の懺悔が大々的に取り上げられていた。吉田氏は女工から海女まで手当たり次第に拉致し、慰安婦に仕立てあげたというのだ。

「当時、われわれは『狩り出し』という言葉を使っていた…泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員が虚ろな目をして廃人のようになっていた…」

これ以後、吉田氏は朝日新聞紙面に何度も登場し、従軍慰安婦の悲惨さを語り尽くした。だが、現代史家の秦郁彦氏はこう語る。

「吉田証言は完全な作り話なんです。証言が本になってすぐ現地の『済州新報』が取材しているが、一つも事実が見つからなかった。私も’92年に現地調査しましたが、証言を裏付ける話は何一つ出てこない。ある韓国の郷土史家は何年も調査し、拉致の事実はなかったと断言、吉田氏の本を『日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物』とこき下ろしてるんです」

つまり吉田氏は本を売って儲けるため、嘘八百を並べ立てたというのだ。実際、吉田氏は「証言は捏造だった」と後に認めている。その後も、従軍慰安婦問題を取り上げ続けた朝日新聞も《氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない》(’97年3月31日付)と暗に誤報を認めている。

しかし、この証言は独り歩きし、いまでは「日本軍が韓国人女性を性奴隷にした」という噂が国際的に広まってしまったのである。慰安婦問題は、この証言を始まりに日本の左翼が種を蒔き、それに韓国が乗っかって花を咲かせたのだ。秦氏は吉田氏を祭り上げた朝日や同調した歴史家の罪は重いと言う。

では、この問題を大きく育てた朝日新聞は「捏造問題」にどう答えるのか。取材を試みたが、返ってきたのは「締め切りまでに回答できません」というもの。日韓関係をここまでめちゃくちゃにした謝罪の言葉は、いっさいなかった。

(週刊FLASH 9月11日号)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120829-00000305-jisin-soci

2012/09/05

毎日新聞記者も河野談話見直しに賛成

慰安婦に・・・というよりも、慰安婦の支援団体に同情的な記事を時折載せる毎日新聞。自分も取材(?)中に出会うことがあるが、記者の中にもそういった人が多いようである。しかし、こういった記者もいるのが毎日新聞。

追記: このオピニオンは、毎日新聞の英字版にも掲載された。ただし、英語版の読者(外国人)は、山田の言う「誤解」とは何か理解できないだろう。

「朝鮮半島出身者が少なくなかった」・・・日本政府は、日本人を除けば朝鮮人が多かったとは言っているが、韓国側がアピールしているように、朝鮮人が大部分とは言っていない。山田も日本政府の見解に沿ってコメントしているのだろうが(秦は、日本人が最多としている)、これも外国人には紛らわしい文章になってしまっている。もちろん山田は外国人読者を念頭にこのコラムを書いたわけではない。

風知草:慰安婦論争史を読む=山田孝男

事ここに至った以上、「慰安婦」をめぐる日韓摩擦は原点から見直したらいい。

韓国大統領は「竹島上陸の動機は慰安婦問題」だと言っている。日本政府の対応があいまいなために韓国は不満、日本国民も不満。諸外国で「慰安婦は日本軍独特の蛮行」という理解が広がっている。なぜこうまでこじれたか。経緯を知り、誤解を解く努力も必要だ。

問題の原点を知るには現代史家、秦郁彦(79)の労著「慰安婦と戦場の性」(99年、新潮選書)が参考になる。慰安婦の実態から国際比較まで書き込んで慰安婦百科の趣があるが、第1章(=冒頭16ページ)が特に重要である。日韓摩擦の発端を解明して読み応えがある。

秦は保守の論客、右寄りの評論家と見られているが、真骨頂は徹底的な実証主義にある。近著「陰謀史観」(新潮新書)でも、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(28年。日本の関東軍による謀略と見るのが定説)はスターリンの陰謀だったという右寄りの異説を緻密な立証でやっつけており、イデオロギー色は薄い。

元大蔵省(現財務省)財政史室長。退官後、米プリンストン大客員教授。「昭和史の謎を追う」(文芸春秋)などで93年度菊池寛賞受賞−−。

その秦がこう言っている。90年代以降、慰安婦問題が先鋭化する原因は日本がつくった。旧日本軍による慰安婦募集を裏づける資料を日本人の研究者が発掘、朝日新聞(92年1月11日朝刊)が1面トップで報じ、大反響を巻き起こした。

他のマスコミも追随して両国の世論が沸き立つ中、直後に訪韓した宮沢喜一首相は謝罪を余儀なくされ、「真相究明」を約束して帰国する。日本政府は実際に調査し、それを踏まえて公表されたのが93年の河野洋平官房長官(後に自民党総裁、衆院議長)談話である。

談話のミソは、戦時中、日本兵の相手をした慰安婦(植民地支配下の朝鮮半島出身者が少なくなかった)に対する旧軍の責任を認めて謝罪し、その「気持ちを表す方法を検討する」という決意表明にある。

だが、対韓戦後賠償は日韓基本条約(65年)で「完全かつ最終的に解決された」と確認を交わしている。新たな補償はしないと決めたにもかかわらず、勢いに押されて相手に期待を抱かせる表現を盛った。

そこで日本は半官半民の「アジア女性基金」を設けて元慰安婦に「償い金」を渡す一方、歴代首相が謝罪を重ねたが、評価されず、補償要求はエスカレート。今年5月の首脳会談で李明博(イミョンバク)大統領が慰安婦問題の解決を求め、野田佳彦首相が「知恵を絞ろう」とソフトに応じたところ、かえってこじれたというのが目の前の現実だ。

当然の帰結として、いま日本では、河野談話の見直しが盛んに議論されている。私自身、見直しに賛成だが、擁護論も根強いようであり、河野談話の存廃だけを争って国論の分裂を招くことは避けたい。

外務省による慰安婦の英訳はcomfort womenだが、海外報道は、日本の慰安婦をsexual slavery(性奴隷)と表現した記事が多い。そもそも国連人権委報告書(96年)がそうだった。なぜか。「慰安婦と戦場の性」は翻訳をめぐる問題も実証的に論じている。

問題の根は日本にある。韓国の出方待ちではなく、日本自ら誤解を解く。まずは秦の労作を的確、良質な英訳で世界に発信したらどうか。(敬称略)

毎日 2012.9.3

追記: 13日にはこのような社説が毎日新聞に掲載された。こちらは、河野談話を日韓が認め合うことで喧嘩両成敗にしようという提案か?「あたかも歴史を否定しているかのような曲解」というのは、慰安婦支援団体らのやり方に対する批判だろう。

山田孝男が「河野談話の存廃だけを争って国論の分裂を招くことは避けたい」と言ったのは、毎日新聞社内での見解の不一致も頭にあったのかもしれない。

社説:慰安婦の河野談話 ないがしろにできぬ

李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領の竹島上陸と天皇陛下への謝罪要求発言をきっかけに、旧日本軍のいわゆる従軍慰安婦をめぐる論議が日韓間で再燃している。日本では「心からのおわびと反省」を表明した93年の河野洋平官房長官談話を見直すべきだとの声が上がり、韓国の国会は公式謝罪と賠償を日本に求めた。互いの反発がこのままエスカレートすることには深刻な懸念を持たざるを得ない。

日本が河野談話を白紙に戻せば、慰安婦問題を苦労して政治決着させようとした過去の真剣な努力を自ら否定することになる。一方、韓国が新たに公式謝罪と賠償を持ち出すことは「心からのおわびと反省」を踏まえ官民協力で償い金を集めた日本側の国民感情を逆なでするものであり、とうてい受け入れられない。ここは日韓両国とも冷静になり、これまで積み上げてきたものを壊さない努力をすべき時ではないか。

河野談話は慰安婦問題の調査報告書とともに発表された。組織的な強制連行を認めたものではないが、慰安所の設置や慰安婦の移送などに旧日本軍が関与し、「総じて本人たちの意思に反して行われた」として、多数の女性の尊厳と名誉を深く傷つけたと謝罪する内容だった。

韓国側もこの調査報告書を「韓日間の最大の障害物が解消されたことになる」(当時の韓昇洲外相)と評価し、それ以上は外交問題にしない姿勢を示していた。慰安婦問題という深いトゲを抜くため、苦労してたどり着いたのが河野談話だったはずだ。両国の政治家はその原点に立ち返って行動してもらいたい。

日本では松原仁国家公安委員長が河野談話の見直し論議を提起するなど、竹島問題と慰安婦問題をからめる李大統領への反発が強い。自民党総裁選に出馬表明した安倍晋三元首相も、首相になれば新たな政府見解を出す考えを明らかにした。

だが河野談話に基づき実施された民間主体の償い金事業や医療・福祉事業は韓国だけでなくフィリピン、インドネシア、オランダ、台湾など数カ国・地域にまたがっていて、実施対象の元慰安婦は300人を超える。日本政府が「女性に対する暴力」を深刻な人権問題と認識していることを示したのが河野談話であり、そこから後退する印象を国際社会に与えることは外交的にもマイナスだ。

残念なことに韓国では国家賠償ではないとの理由で多くの元慰安婦が償い金を受け取らなかった。それが今も尾を引いている。日本はこれまで取り組んできたことを世界に説明し、あたかも歴史を否定しているかのような曲解をなくす外交努力が必要だが、韓国も河野談話の経緯をないがしろにすべきではない。

毎日 2012.9.13

参考: 山田孝男のコラムの英字版。

Japan must take initiative to resolve "comfort women" issue

Considering our current situation, we should address the tensions between Japan and South Korea over the issue of "comfort women" beginning with its origins.

South Korean President Lee Myung-bak has said that the "comfort women issue" was his motivation for visiting the Takeshima islets. The Japanese government's subsequent waffling has dissatisfied South Korea and the Japanese public. The view that the institution of comfort stations was a barbaric one unique to the Japanese military is spreading internationally. Efforts must be made to understand what led to this current state of affairs, and to clear up any misconceptions.

"Ianfu to senjo no sei" (Comfort women and sex in war), published in 1999 by contemporary historian Ikuhiko Hata, helps sheds light on the source of the problem. The book contains an encyclopedia-like collection of facts on comfort women and international comparisons, but the first chapter is the most important.

Hata is seen as a conservative polemist, a right-leaning critic. But in essence, he's a positivist. In his most recent book, "Inbo shikan" (Conspiracy theory), he meticulously dismantles the right-wing theory that the Huanggutun Incident -- the 1928 death of the Manchurian warlord Zhang Zuolin commonly attributed to a bomb planted by the Japanese Kwantung Army -- was a conspiracy hatched by Stalin. Hata does so through an elaborate corroboration process, showing little ideological motivation.

Hata, whose resume includes a stint as head of the financial history office of the Ministry of Finance, followed by a visiting professorship at Princeton University in the U.S., and the Kikuchi Kan Prize for his book, "Showa-shi no nazo o ou" (Pursuing the mysteries of Showa history), argues that it is Japan that has caused increased tensions over the issue of comfort women since the 1990s.

In January 1992, a front-page headline reported a Japanese researcher's discovery of papers corroborating the Imperial Japanese Army's recruitment of comfort women. The news caused a sensation. Other news outlets followed up on the scoop and the public in both Japan and South Korea went abuzz.

Then-Prime Minister Kiichi Miyazawa, who visited South Korea soon thereafter, was forced under the circumstances to offer an apology and promise to "get to the bottom of the matter." The Japanese government followed up with an investigation, on which then-Chief Cabinet Secretary Yohei Kono based his 1993 statement on comfort women.

In the statement, Kono apologized for the Japanese military's recruitment of comfort women, many of whom were from the Korean Peninsula, adding, "It is incumbent upon ... the Government of Japan, to continue to consider seriously, while listening to the views of learned circles, how best we can express remorse."

However, compensation issues between the two countries had officially been resolved with the June 1965 signing of the Treaty on Basic Relations between Japan and the Republic of Korea. In other words, despite having made a decision in 1965 not to offer any further compensation, Kono's statement was phrased in such a way that it raised hopes that there could be more.

As a consequence, Japan established the semigovernmental Asian Women's Fund to pay "atonement money" to former comfort women, and successive prime ministers offered apologies, but to no avail; compensation demands escalated. When Lee called on Japan to resolve the comfort women issue at a meeting in May, Noda responded by offering that they put their heads together to come up with a solution. Tensions just got worse.

Understandably, a review of the 1993 Kono statement is being widely debated now in Japan. I, personally, side with a revision of the statement, but there appears to be strong support for the statement as well. It would be a shame if national consensus were to disintegrate simply because discussion was reduced to one about whether or not to uphold the Kono statement.

The Japanese Ministry of Foreign Affairs refers to the women at the center of the conflict as "comfort women," but most foreign media call them "sexual slaves." The 1996 United Nations Human Rights Council report called them "sexual slaves," and we must understand why. Hata's book "Ianfu to senjo no sei" takes an empirical approach in discussing the problems that arise in translation.

The root of the problem lies with Japan. Instead of waiting to see what steps South Korea takes, Japan must take steps to first dispel any misunderstandings. Why not start by creating a precise, high-quality English translation of Hata's book for the world to read? (By Takao Yamada, Expert Senior Writer)

毎日jp 2012.9.3