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2020/04/23

戸塚悦朗ら韓国の司法にアドバイス「日本政府の責任問え」


日本の弁護士ら、韓国裁判所に「慰安婦に対する日本政府の責任問うてほしい」

韓国の慰安婦被害者たちが日本政府を相手取り韓国の裁判所で起こした損害賠償請求訴訟で、日本の弁護士たちが「韓国国内での訴訟だけが日本から被害を賠償される最後の法的手段」であることを訴える意見書を提出し、訴訟を後押しした。彼らは「韓国の裁判所は他国を相手に裁判できる権利はない」として訴訟却下を主張する日本政府を真っ向から批判した。

日本弁護士連合会所属の山本晴太弁護士と戸塚悦朗弁護士は最近、キル・ウォノクさんら慰安婦被害者と遺族が日本政府を相手取って起こした訴訟を審理中のソウル中央地裁民事15部(裁判長ユ・ソクドン)に意見書を提出した。ハンギョレが22日に入手した意見書によると、彼らは日本の裁判所と政府が、被害者が日本の司法体系で責任を問う方法を遮断しているため、韓国の裁判所での判断が日本の法的責任を認められる“最後の手段”だと強調した。

日本政府は他国の裁判所の判決で自国の法的責任を強制できないという「主権免除」を掲げ、韓国で提起された訴訟に対応していない。2016年12月に初めて訴訟が起こされたが、日本政府の訴状送達の拒否で裁判は3年近く停止しており、日本外務省は主権免除の原則に基づいて訴訟を却下すべきだという立場を伝えた。最高裁事務総局の公示送達の決定で、昨年11月には初の裁判が開かれ、裁判部は慰安婦被害者側に「主権免除理論を克服できる主張を用意するよう」と求めた。裁判部が求めた日本政府の主張に対する反論を、日本の弁護士たちが意見書を通じて示したのだ。

彼らは意見書を通じて、韓国での裁判権を否定する日本が、自国内で提起された戦後補償裁判に対しても組織的に賠償責任を避けてきたと指摘した。戸塚弁護士は、日本の最高裁判所の独立した両裁判部が2007年の中国人慰安婦事件と西松建設の中国人強制徴用事件で被害者らにそれぞれ敗訴判決を下した際、判決文に明記された理由がかなり一致していると指摘した。彼は「中国人慰安婦判決の全文16項目のうち、西松事件と文章が同じところが12項目にのぼる」とし、「(これは)最高裁判所の方針がどこかで決定され、裁判部はそれに基づいて事務処理を行うだけであることを示している」と指摘した。実際、両裁判部は戦争被害者の賠償請求権はすべて連合国と日本が結んだ「サンフランシスコ平和条約の枠組み」の中で解決済みだとし、被害者個人が裁判上の請求権を行使できないと説示した。このような判断はその後、被害者たちの賠償を受ける道を塞ぐ論理として確立され、すべての裁判の敗訴根拠として使われた。

山本弁護士はこれについて「最高裁がこれ以上戦後補償裁判を認めないという目的意識を持って判決を下した」と分析した。彼は最高裁調査官だった瀬木比呂志の著書『絶望の裁判所』も引用し、「東京地裁で行われた中国人被害者戦後補償裁判で、裁判長らが秘密裏に会合を持ち、却下または棄却を前提にして審理を進める案を議論したものと推定される」と伝えた。そして、「韓国の慰安婦被害者が日本で同じ訴訟を起こせば、敗訴するのは確実だ。日本の現在の司法手続きで外国人の戦争・植民地被害者の請求が認められる余地がなく、被害者の裁判請求権も剥奪された点は、韓国の法廷で日本の主権免除主張を認めるかどうかを判断するうえで必ず考慮されなければならない」と強調した。

2016年から被害者の代理を務めてきたイ・サンヒ弁護士は、「裁判の過程で被害者が積極的に要求するのは、単なる金銭的賠償を超え、日本が過ちを認め、謝罪することだ。日本政府の(前向きな)態度を導くためにも裁判を行う」と説明した。

韓国の裁判所が日本の主権免除という主張を受け入れず、日本の賠償責任を認めれば、慰安婦被害者たちは韓国内にある日本の財産を強制執行する権利を持つようになる。5月20日に開かれる裁判では、主権免除理論関連の弁論が続く予定だ。その後、証人尋問や被害者の法廷陳述などを経て、9月~10月中に判決が言い渡されるとみられる。一方、24日にはイ・オクソンさんら被害者と遺族が提起したもう一つの日本政府に対する損害賠償請求訴訟の初裁判が開かれる。



2016/01/31

合意潰しに送り込まれた慰安婦に、竹内絵美「生きた言葉」

竹内絵美(今回のリポートと無関係)
「戦争中に何があったのか。・・・生きた言葉に耳を傾け・・・私なりに解決の糸口を模索したいと思います」

日韓合意破棄を狙いナヌムの家が日本に送り込んだのが、イ・オクソンとカン・イルチュル。彼女たちの話を聞いたテレビ朝日のアナウンサー竹内絵美の感想がこれ。ブロガーであるくっくりさんのRTで知った。

残念ながら、竹内アナが聞いたのは生きた言葉などではない。彼女らは、政治団体の主張を代弁しているに過ぎない。慰安婦団体が日本で日韓合意破棄を訴えても人は集まらない。しかし、ハルモニが「証言」するとなれば、何百人も集まるのである。

「日本は朝鮮を火の海にして、私たちを中国に連れて行った」

どちらかは分からないが、慰安婦の一人はこの日「日本は朝鮮を火の海にして、私たちを中国に連れて行った」と聴衆に語った(毎日新聞のニュース動画 [2])。イ・オクソンなどは万事この調子で、慰安所には高圧電流が張り巡らされていたとか、特に海外メディアに対しては抑制がきかないようである。

日本であれば誇張は逆効果になるから、支援団体が抑えさせているのだろう。竹内アナが「話し始めは控えめな印象」を受けたと言っているのは、そのせいかもしれない。当日「歩くのがやっとの私たちが、なぜここまで来て話をするかを考えてもらいたい」と語ったということだが、彼女は海外(証言)旅行を楽しみにしており体調を気遣う支援者が止めても聞かない。なお、火の海発言に対して朝鮮戦争の慰安婦ではないかという指摘をツイッターで頂くが、彼女が貧困家庭の出で、太平洋戦争中、慰安所かそれに類する場所で苦労したのは事実なのだろうと思う。ただ、彼女はほら吹きなので信用出来ないのである。

4年前、朝日新聞の阿久沢悦子記者が、「ハルモニ」の来日に興奮してツイッター上で橋下市長に暴言を吐き炎上。ツイッターの利用中止に追い込まれるという事件があった。竹内絵美ともども、ジャーナリストには性格的に向いていないのかもしれない。

※ 「火の海」発言がどちらの発言かハッキリしないので、文章を一部修正した。

生きた言葉に耳を傾ける

今日は番組ではお伝えできませんでしたが、集会に行ってきました。
昨日、韓国から来日した元慰安婦の皆さんの集会で、
テーマは『今つたえたいこと』です。

会場には学生や報道陣を含めて日本人など200人以上が集まり、
元慰安婦の姜日出(カン・イルチュル)さんと
李玉善(イ・オクソン)さんの
思い出すのも辛い・・・と言葉を絞りだすように話す体験談に
聞き入りました。
お二人は現在89歳と90歳で、
話し始めは控えめな印象もありましたが、
話が“どんなに慰安所で酷い扱いを受けたか”という核心に迫ると、
スピーカーから響く声が割れんばかりに語気を強めていました。
お二人は、
慰安婦問題をきちんと終わらせなければ、若い世代が健全な交流を出来ない
同じことが繰り返されてはならない
という思いで来日し大阪でも集会を開くそうです。
また、昨年12月28日の日韓合意は
当事者の皆さんに事前に何の説明も合意もなく結ばれたと、
とても残念な思いをしたそうです。
そして、講演をした中央大学の吉見先生は、
日本政府出資の10億円は「支援金であり賠償ではないことから、
日本が法的責任を認めていない」という点や、
加害者側の日本が少女像の撤去を要求していることなどを指摘していました。
元慰安婦の皆さんは、今回集会で体験を伝えるだけでなく、
安倍総理と目を合わせて話をすることを要望しています。
望んでいるのは、お金ではなく公的謝罪なんだとも話しています。
戦後70年を迎えた昨夏、戦争の体験者が高齢になり
生きた証言を聞く機会が徐々に少なくなってきていることを実感しました
戦争中に何があったのか
本や資料を見るのではなく、生きた言葉に耳を傾け、
子供たちの未来のためにも
私なりに解決の糸口を模索したいと思います。

報道ステーション 「現場リポート」2016.1.26 竹内絵美[2]

2016/01/25

合意無効訴え慰安婦が来日 

反日団体に利用され



日韓合意を破棄させようとナヌムの家の慰安婦、イ・オクソンカン・イルチュルが日本にやってくる。日韓関係改善の芽を摘もうとする彼女たちを受け入れる勢力が日本には存在するということでもある(慰安婦自身は利用されているだけ)。衆議院議員会館で証言集会に、どの党のどの議員が出席するか要注目。共産党ですら「合意」を歓迎しているのである。合意に対して沈黙している福島瑞穂は姿を現すか?

運動に都合の悪いことがあると、ナヌムの家から「ハルモニ」が派遣される。アメリカへ派遣される者がいるかと思えば、ヨーロッパに派遣されたり日本に派遣されたり。とはいえ、いつも同じ顔ぶれ。4、5人の中で回しているだけ。彼女たちを見ていると、毎週、どのヤッターメカが出撃するのか期待に胸を躍らせながら見ていたヤッターマンを思い出す。

慰安婦ハルモニ、日本訪問する…「韓日合意」無効宣言を予定
昨年12月28日韓日慰安婦問題合意以降初めて、日本軍慰安婦被害ハルモニが25日、日本を訪問し慰安婦被害の惨状を証言する。

京畿道広州のナムヌの家で生活するイ・オクソン(90)、カン・イルチュル(89)ハルモニはこの日、朝9時に出国し7泊8日の日程で日本の東京と(?)大阪を訪問し、記者会見と証言会に参加する。

これに先立ち、二人のハルモニはソウル日本大使館の前で13日に開かれた水曜集会で韓日政府間の合意案無効化を宣言した。

ハルモニは26日の午前10時に東京の衆議院第1議員会館で記者会見を行い、午後2時に衆議院会館大会議室へ場所を移し、被害惨状を証言して日本政府の謝罪を要求する予定だ。

引き続き、27日に東京全国労働連合会館、29日には大阪救民センター、30日大阪リーガロイヤルNCBセンター、31日大阪社会福祉会館でそれぞれ証言する。

光州のナムヌの家関係者は「二人のハルモニは慰安婦被害惨状を証言し、韓日政府の合意案無効を宣言する予定」であり「日本政府は慰安婦に対する犯罪認定と法的賠償を促す予定」だと述べた。

ニューシス 2016.1.24[2]


<元慰安婦>来日し記者会見、日韓合意に反対訴え

元慰安婦の韓国人女性2人が26日、東京の衆院議員会館で記者会見し、慰安婦問題を巡る日韓両政府の合意について「被害者の意思も聞かずに妥結した」と批判し、改めて合意への反対を訴えた。

2人は、ソウル近郊の施設「ナヌムの家」で暮らす李玉善(イ・オクソン)さん(88)と姜日出(カン・イルチュル)さん(87)。昨年末の合意以降、元慰安婦が来日するのは初めて。

李さんは「一体被害者はどこにいたのか。正しい合意かどうか皆さん自身で考えてほしい」と語った。姜さんも「きちんとした謝罪を抜きにして合意は成り立たない」と不満を述べた。

また、2人は安倍晋三首相が国民を代表して元慰安婦と面会し、直接謝罪してほしいと訴えた。

昨年12月の日韓合意を巡っては、一部の元慰安婦らが強く反発。李さんらは会見で、韓国政府が設立した財団に日本政府が拠出する10億円の資金は「法的賠償とは受け止められない」とした。ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦を象徴する少女像の撤去についても「許されない」と反対する意向を示した。

同席した「ナヌムの家」の安信権(アン・シンクォン)所長は、合意が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」とされたことを「加害者中心の用語であり、問題を早く終わらせたいという思いが込められている」と批判した。

毎日 2016.1.26[2]

위안부할머니, 일본 방문한다…'한일 합의' 무효 선언 예정

김기원 기자 = 지난해 12월 28일 한일 위안부 문제 합의 이후 처음으로 25일 일본군 위안부 피해 할머니들이 일본을 방문해 위안부 피해 참상을 증언한다. 

경기 광주 나눔의 집에서 생활하는 이옥선(90), 강일출(89) 할머니는 이날 오전 9시 출국해 7박8일 일정으로 일본 도쿄과 오사카를 방문해 기자회견과 증언회에 참석한다.

앞서 두 할머니는 지난 13일 서울 일본대사관 앞에서 열린 수요집회에서 한·일 정부간 합의안 무효화를 선언했었다. 

할머니들은 오는 26일 오전 10시 도쿄 중의원 제1의원회관에서 기자회견을 열고 오후 2시 중의원회관 대회의실로 자리를 옮겨 피해 참상을 증언하고 일본정부의 사죄를 요구할 예정이다.

이어 27일 도쿄 전국노동연합회관, 29일 오사카 구민센터, 30일 오사카 리가로얄NCB센터, 31일 오사카 사회복지회관에서 각각 증언한다.

광주 나눔의 집 관계자는 "두 할머니는 위안부 피해 참상을 증언하고 한·일 정부의 합의안 무효를 선언할 예정"이며 "일본 정부는 위안부에 대한 범죄인정과 법적 배상을 촉구할 예정"이라고 했다.

2015/12/27

日韓関係を人質にハルモニの強請

「安倍総理が跪いて謝らなければならない」(イ・オクソン)

興奮して腕を振り回すカン・イルチョル(YTN

挺対協の顔色を窺うばかりだった韓国政府が、ここに来て慰安婦像の移設の可能性まで口にするようになった。彼らも覚悟を決めたということなのだろうが、案の定挺対協とそのマインド・コントロール下にある「ハルモニ」が大反発。最近の慰安婦墓地支援金増額のニュースは、挺対協を懐柔する為だったのではないかという気もするが、「ハルモニ」のこの激高振りは韓国政府にとって想定内だったのか、それとも・・・。

韓国政府は挺対協を御することが出来るのだろうか?もっとも、韓国政府がコントロールに失敗しても彼らの面子が潰れるだけで日本政府は困らない。更に言えば、既に日韓両政府の歩み寄りは国際的なニュースになっている。挺対協のモンスター振りが、今度は世界に知られる。韓国の世論はいつまでこんな挺対協を応援してくれるだろうか?挺対協は追い詰められて行く。

首脳会談のニュースを見るイ・オクソン(11月)
ハフィントンポスト(K)によれば、慰安婦の存在を否定した安倍首相に向け拳を突き出す

像は挺対協の手を離れ(国民の?)共有物になったという言い訳は凄い。そこは公道上である。数万人と言われる日本軍慰安婦を僅か46人のマインド・コントロールされた「ハルモニ」が代表する歪んだ構図。一人でも反対すれば謝罪を受け入れない。自覚はないのだろうが、日韓関係を人質にとった脅迫である。

「韓国政府外交の無能。日本政府の緻密な外交・・・」
ユン・ミヒャン挺対協代表

挺身隊対策協、「慰安婦少女像移転話」に反発…「安倍総理、跪いて謝罪せよ」

政府がソウル市中学洞の日本大使館の前にある「日本軍慰安婦少女像」の移転を検討するという日本の読売新聞の報道に対し、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は「事実なら国論分裂レベル」という立場を公表した。

ユン・ミヒャン挺対協代表は26日、読売の報道について「軍慰安婦問題と関連して政府と被害者、市民団体がこれまで(この間)同じ(ひとつの)声を上げていた」「両国間でどのようなやり取りがあったのか、市民団体に黙ったまま日本のメディアにこのように話したとすれば大きな問題だ」と話した。

ユン代表は続けて、「すでに少女像は挺対協でもどうしようもない共同の存在になったので撤去したり移すのは不可能だ」と話した。 少女像は「日本軍慰安婦問題解決のための水曜デモ」が1000回目をむかえた2011年の12月、挺身隊対策協が音頭を取った市民募金で設置された。 政府主導で少女像が設置したのではないから両政府が議論する事項でないという話だ。

少女像がソウルの南山に造成予定の「日本軍慰安婦記憶の場」に移されるという観測については「(記憶の場は)まったく違った方式で推進される空間なのに、こんな風に関連づけられるのは情けない」と声を大きくした。

日本が本当に謝罪するには政府レベルの公式な手順を踏まなければならないという点も明確にした。 ユン代表は「翻意することはできない方式で謝罪し、国会や内閣決議を通じて国内外に日本政府の謝罪を知らせるやり方となるべきだというのが私たちの立場だ」として「こんな雰囲気なら、今年の韓日首脳会談のように中身のない会談になるだろう」と展望した。

一方、同じ日、慰安婦被害ハルモニは京畿道広州の「ナムヌの家」で安倍総理の訪問と謝罪を要求した。

イ・オクソン(89)ハルモニは「安倍総理がナムヌの家に来て被害者に跪いて謝罪しなければならない」「慰安婦問題を解決できる責任者に会い、話を聞いて要求事項を言いたい」と語った。ユ・ヒナム(88)ハルモニは、「被害者に謝罪する前に少女像の移設話が出るのは、安倍総理の謝罪メッセージ伝達が真実性がないように見える理由だ」と指摘した。

これに伴い、ナムヌの家は生存した慰安婦被害ハルモニ46人の意見を集約し、ただの1人でも反対すれば日本の謝罪と賠償を受け入れないことを決めた。

朝鮮日報 2015.12.26[2]

追記: 「韓国外務省当局者は『少女像は民間が建てたもので、政府があれこれ言えるものではない』と主張」(産経12.26) 韓国政府、戦々恐々。

정대협, '위안부 소녀상 이전설' 반발…"아베 총리, 무릎 꿇고 사죄하라"

정부가 서울 중학동 일본대사관 앞에 있는 ‘일본군 위안부 소녀상’ 이전을 검토한다는 일본 요미우리(讀賣)신문의 보도에 대해 한국정신대문제대책협의회(정대협)는 “사실이라면 국론 분열 수준”이라는 입장을 밝혔다.

윤미향 정대협 대표는 26일 요미우리 보도 내용에 대해 “군 위안부 문제와 관련해서 정부와 피해자, 시민단체가 그간 한목소리를 내왔다"면서 "양국 간 어떤 이야기가 오갔는지 시민단체에 함구하면서 일본 언론에 이렇게 얘기했다면 큰 문제"라고 말했다.

윤 대표는 이어 “소녀상은 이미 정대협도 어쩌지 못하는 공동의 존재가 됐기에 철거하거나 옮기는 것은 불가능하다"고 말했다. 소녀상은 '일본군 위안부 문제해결을 위한 정기 수요시위'가 1000 회를 맞은 지난 2011년 12월 정대협이 주도한 시민 모금으로 설치됐다. 정부 주도로 소녀상이 설치한 것이 아니기 때문에 양국 정부가 논의할 사항이 아니라는 얘기다.

소녀상이 서울 남산에 건설 예정인 '일본군 위안부 기억의 터'로 옮겨질 것이라는 관측에 대해선 "(기억의 터는) 완전히 다른 방식으로 추진되는 공간인데 이렇게 연관지어지니 어이가 없다"고 목소리를 높였다.

일본이 진정으로 사죄하려면 정부 차원의 공식 절차를 거쳐야 한다는 점도 분명히 밝혔다. 윤 대표는 "번복할 수 없는 방식으로 사죄하고, 국회나 내각 결의를 통해 국내외에 일본 정부의 사죄를 알리는 방식이 돼야 한다는 것이 우리 입장”이라면서 “이런 분위기라면 올해 한일 정상회담처럼 내용 없는 회담이 될 것이다"고 전망했다.

한편 같은 날 위안부 피해 할머니들은 경기도 광주의 ‘나눔의 집’에서 아베 총리의 방문과 사죄를 요구했다.

이옥선(89) 할머니는 "아베 총리가 나눔의 집으로 와 피해자들에게 무릎을 꿇고 사죄해야 한다"며 "위안부 문제를 해결할 수 있는 책임자를 만나 얘기를 듣고 요구사항을 말하고 싶다"고 말했다. 유희남(88) 할머니는 "피해자들에게 사죄도 하기 전 소녀상 이전 얘기가 나오는 건 아베 총리의 사과 메시지 전달이 진정성이 없어 보이는 이유"라고 지적했다.

이에 따라 나눔의 집은 생존한 위안부 피해 할머니 46명의 의견을 모아 단 한 명이라도 반대하면 일본의 사죄와 배상을 받아들이지 않기로 결정했다.



2015/07/17

日本の新聞記者、団体でナヌムの家訪問

聞けるのは「被害女性」の公的発言だけだが

そろそろ慰安婦問題を巡る日韓交渉も正念場という意識か?地方紙と通信紙の記者が集団でナヌムの家のハルモニを取材。地方紙の記者というと、危険な香りもしてくるが・・・。

元慰安婦の偽らざる気持ちを取材するのは今となっては難しい。中国や東南アジアの僻地に独りで暮らす女性を訪ねたならあるいは正直な話を聞けるかもしれないが、特に韓国では至難。ナヌムの家は、事実上の政治宣伝機関。ここにも日本批判に組しないペ・チュンヒのような元慰安婦もいたが、彼女たちの声は「公式」とはされない。

ただ、「被害女性」の公的発言を聞くことは日韓交渉を考える上では大事。彼女たちを何とかしない限り、日韓関係は正常に戻らないのだから。もっとも、挺対協に聞いても聞かされる答えは一緒。

※ 記事を追加

日本のメディア17人 元慰安婦の施設を訪問

日本のメディア関係者が16日、かつて旧日本軍の慰安婦にされた韓国の女性たちが共同生活を送る韓国の施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)を訪れた。

日本からの訪問団は共同通信のほか、北海道新聞や岩手新聞など地方新聞社、計16社の論説委員17人からなる。来月15日に韓国が光復(日本による植民地支配からの解放)70年、日本が第2次世界大戦終戦70年を迎えるのに先立ち、慰安婦問題を客観的に見つめようと訪問した。

落ち着いた雰囲気の中で元慰安婦の女性たちから話を聞くつもりだったが、ナヌムの家では韓国の取材陣が待ち受けており、訪問団は逆に取材対象となったことに当惑する様子だった。結局、慰安婦に関する映像を視聴する姿と、女性たちと話を交わす様子をそれぞれ2~3分公開することになった。

訪問団が女性たちに、どのような生活を送っているか知るために訪ねたと説明すると、女性たちは口々に「つらい歴史が繰り返されないよう、日本政府が正式に謝罪し、被害者に賠償すべきだ」と訴えた。

イ・オクソンさん(94)は「日本政府は私たちが死ぬのを待っている」と非難した。姜日出(カン・インチュル)さん(87)は「強制的に連れて行かれ、口にできないほどの苦痛を味わった。胸から血の涙が流れている」と心情を明かした。

訪問団は真剣な表情で耳を傾け、細かくメモを取っていた。


(日本を代表して)詫びている様にしか見えない?

こういう写真を取られて不快に思った人もいる。ただ、ハルモニの方は悪い気はしなかったようである。YTNは、日本人の記者たちが「日本軍と日本政府が慰安婦強制動員に直接関与したのかなどを取材するためにナヌムの家を訪問した」と解説しているが、それはないだろう。日韓関係の棘となっている元慰安婦たちの言い分を、一応自分の耳で聞いて置こうと思ったのではないか?「強制動員」に関しては、彼らの中でももう結論は出ている。

慰安婦:「ナヌムの家」で頭を下げた日本の記者たち

日本の新聞記者ら17人が来韓
元慰安婦たちの証言を聞き、ノートに書き留める

「話したいことがたくさんあるけど、話ができないね、きょうは…」

87歳を迎える旧日本軍の元慰安婦、ユ・ヒナムさんが、いすに腰掛け、声を震わせながら日本語でこう話した。そして胸元に手を当てたまま、しばらく何も言えなかった。ユさんの前には白髪交じりの中年の日本人記者17人が座っていた。記者たちは大きなノートを取り出し、ユさんの話した内容を一言一言書き取った。

16日午後、共同通信や北海道新聞をはじめとする日本メディアの論説委員17人が、京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪れた。元慰安婦たちのつらい記憶について直接話を聞くためだった。「ナヌムの家」では現在、10人の元慰安婦が共同生活を送っている。記者たちはまず、元慰安婦たちの証言を録画した映像を視聴した。画面に登場したイ・オクソンさん(88)が「慰安所というのは何をする所かといえば、人を捕まえて殺す所、と殺場にほかならない」と話すと、その場の空気は一変した。

元慰安婦たちと初めて対面した日本の記者たちは一人ずつ立ち上がり、所属と名前を告げた。皆一様に深々と頭を下げた。共同通信の磐村和哉編集委員は韓国語で「この暑い中、私たちのためにお集まりいただいて、ありがとうございます」と述べた。これに対しユさんは日本語で「よくいらっしゃいました」と答えた。

ユさんは「若いころに習った日本語を、今はすっかり忘れてしまった」としながらも、日本メディアの記者たちが分かりやすいよう、日本語を交えながら話した。若者たちに言い聞かせるような柔らかな口調だったが、むごたらしい記憶を口にするときは声を荒らげた。「あちこちから娘たちを連れてきて、ひどい目に遭わせた。朝鮮人は人間扱いされなかった」と怒鳴り声を上げた。続いて姜日出(カン・イルチュル)さん(87)は「私たちに血の涙を流させた日本だが、慰安婦問題を直接取材し、解決しようとしてくれているのはありがたい」と話した。

かつて4年以上にわたって韓国特派員を務めた磐村氏は「今年8月15日、韓国では光復(日本の植民地支配からの解放)70周年だが、日本では第2次世界大戦の終戦70周年だ。この間の歴史を、取材を通じてひも解くために来た」と話した。訪問団長を務める共同通信の森保裕副論説委員長は「歴史に関する(両国の)和解について苦悩してきた」と語った。一方、ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は「慰安婦は厳然とした戦争犯罪だ。日本の記者たちが紙面を通じ、韓国人たちのつらい歴史についてきちんと伝えてもらえればと思う」と述べた。


日本マスコミ、慰安婦ハルモニに会って証言聴取

日本のマスコミが日本軍慰安婦被害ハルモニに直接会って証言を聞きました。

慰安婦被害ハルモニが暮らしている京畿道広州「ナムヌの家」は今日の午後、論説委員級の日本のマスコミ人17人が訪問し、ハルモニと面会したと公表しました。

日本のマスコミは、日帝強制占領期間当時日本軍慰安婦の実状などについての被害ハルモニの証言を聞きました。

日本言論関係者たちが団体で慰安婦被害ハルモニに会うのは今回が初めてです。

これらは日本軍と日本政府が慰安婦強制動員に直接関与したのかなどを取材するためにナムヌの家を訪問したと伝えられました。

YTN 2015.7.16


※YTN

日 언론인들, 위안부 할머니 만나 증언 청취 / YTN

일본 언론인들이 일본군 위안부 피해 할머니들을 직접 만나 증언을 들었습니다.

위안부 피해 할머니들이 머물고 있는 경기도 광주 '나눔의 집' 측은 오늘 오후 논설위원급 일본 언론인 17명이 찾아와 할머니들을 만났다고 밝혔습니다.



일본 언론인들은 일제 강점기 당시 일본군 위안부의 실상 등에 대한 피해 할머니들의 증언을 들었습니다.

일본 언론 관계자들이 단체로 위안부 피해 할머니들을 만나는 것은 이번이 처음입니다.

이들은 일본군과 정부가 위안부 강제동원에 직접 관여했는지 등을 취재하기 위해 나눔의 집을 방문한 것으로 전해졌습니다.

2014/08/02

米国巡回中の慰安婦、劇が気に入らず式典ボイコット (鳳仙花)

お金をばら撒くシーン?

慰安婦劇「鳳仙花」は、先月27日にグレンデール市が主催した第3回「慰安婦の日」記念文化イベントのフィナーレを飾るという話だったが、これを観たハルモニ二人がヘソを曲げ、その後の予定をキャンセルしたらしい(KOREA TIMESの報道は、27日の公演と29日の公演を混同したものか?)。

ハルモニもボイコット
寂しい式典だったとも

細かい話だが、こちらの写真では位置関係が違う

もともと、韓国の慰安婦劇やらドラマは、兵隊や警官が家に訪れ女性を連行して行ったり、「実在の人物(慰安婦)や団体(軍隊)などとは一切関係ありません」的なのが普通のような気もするが、それを一番良く知っているのは元慰安婦のはず。「着物を着てお金をばらまく場面が事実と異なる」からボイコットしたというより、90歳のお婆さんには現代的な演出は刺激が強すぎたのではないか?

(30日)

マイク・ホンダやロイスクィンテロに記念品を贈ったそうだが、この人たちは頻繁にこういった贈り物をする。FOXテレビにも「WWⅡガールズ」などと書かれた変なガラスの盾を贈っていた。

米「グレンデール少女像」に鳴り響いたアリラン

軍慰安婦被害ハルモニ不参加の中、文化公演「冷ややか」

(ロサンゼルス=聯合ニュース)キム・ジョンウ特派員= 28日(現地時間)米国カリフォルニア州のグレンデール市市立公園に設置された「平和の少女像」の前で歌曲「鳳仙花」とアリランが鳴り響いた。

全羅南道順天市のアゴラ芸術団所属キム・ミョンジンさんはこの日の昼12時頃少女像の前でキム・ボラが演奏する奚琴(胡弓)の調べに合わせて清らかな声で鳳仙花とアリランを熱唱した。

引き続き世界的な絵描き(?)であるキム・ジョンギさんが日帝強制占領期間当時日本軍に徴集される慰安婦の惨状をイラストで再現する「歴史知らせるパフォーマンス」を繰り広げた。

今回の文化公演はクレンデール慰安婦の日(Comfort Women Day)イベント3周年と少女像除幕1周年を記念するために企画された。

だが、この日文化公演は当初予定時間より40分余り遅く始ったうえ、日本軍慰安婦被害者であるイ・オクソン(87)・カン・イルチュル(86)ハルモニが参加せず残念な事になった。

公演を主管したグレンデール姉妹都市委員会の関係者は「二人のハルモニがおりしもアメリカを訪問し、今日の公演に招待したが、ハルモニが甲枝(?)参加しなかった」と伝えた。

(中略)

特にイ・オクソンとカン・イルチュル二人のハルモニは前日グレンデールのアレックス・シアターで開かれた演劇「鳳仙花」の公演にも姿を表わさなかった

二人のおばあさんを招請したカリフォルニア州韓米フォーラム(KAFC)側は聯合ニュースとの電話(?)で「ハルモニが演劇内容のうち日本軍慰安婦が着物を着てお金をばらまく場面が事実と異なるとし、行事に参加しない」と説明した。

演劇「鳳仙花」はユン・ジョンモの小説「母・従軍慰安婦 母は『朝鮮ピー』と呼ばれた」を原作にして日帝強占期に日本軍慰安婦に連行された女性の人生の軌跡を描いた作品だ。

先立って世界韓国人交流協力機構(常任代表キム・ヨンジン)は前日開かれた第3回グレンデール「慰安婦の日」の行事でマイク・ホンダ(民主)とエド・ロイス(共和)連邦下院議員、フランク・クィンテロ前グレンデール市長などに感謝盃を渡した。

ホンダとロイス議員は「慰安婦決議案」(HR-121)を共同発議して通過させた主役だ。

一方、グレンデール市は30日を「慰安婦の日」(Comfort Women Day)に制定した。 この日は少女像の除幕式が開かれた日であると同時に去る2007年連邦下院でHR-121が通過した日でもある。


参考:

慰安婦劇「鳳仙花」、米国で巡回公演へ

「慰安婦」問題をテーマにした舞台「鳳仙花」(原作小説の題名:「母・従軍慰安婦 かあさんは『朝鮮ピー』と呼ばれた」)では光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)にあたり、米国巡回公演を行う。

世宗文化会館とソウル市劇団によると、「鳳仙花」は27日、米グレンデール市が主管する第3回「慰安婦の日」記念文化行事のフィナーレを飾るとのことだ。

その後、29日にロサンゼルスのグレンデール・アレックス劇場、8月2日にシカゴのノースショアセンター劇場、8月5・6日にニューヨークのクイーンズ・アートセンターを回る。

ソウル市劇団は「今回の巡回公演は米国在住の韓国系コミュニティーが先頭に立って実現した。マイケル・ホンダ議員やスティーブ・イスラエル議員のような良心的な政治家たちと心を一つにして招待した。『鳳仙花』で歪曲(わいきょく)された歴史ではなく真実を伝え、国際社会の共感の輪を広げて慰安婦問題解決のための基盤を築いていきたいと思い、今回の巡回公演を企画した」と話している。

ソウル市劇団のキム・ヘリョン団長は「日本の妄言に芸術で応じると同時に、韓国人自身も振り返って反省するための作品だ。光復節にあたり『鳳仙花』を米国で上演することになったのは意義が大きい」と語った。

この作品は昨年11月に世宗文化会館Mシアターで初演された作品で、かつて慰安婦として連行された女性のつらい人生を描く。小説家・尹静慕(ユン・ジョンモ)氏が脚本を担当、キム団長とク・テファン氏が演出を手がけた。


美 ‘글렌데일 소녀상’서 울려퍼진 아리랑

군 위안부 피해 할머니들 불참 속 문화공연 ‘썰렁’

(로스앤젤레스=연합뉴스) 김종우 특파원 = 28일(현지시간) 미 캘리포니아주 글렌데일시 시립공원에 세워진 ‘평화의 소녀상’ 앞에서 가곡 봉선화와 아리랑이 울려 퍼졌다.

전남 순천시 아고라예술단 소속 김명진 씨는 이날 낮 12시께 소녀상 앞에서 김보나 씨가 연주하는 해금 가락에 맞춰 청아한 목소리로 봉선화와 아리랑 민요를 열창했다.

이어 세계적인 드로잉 작가인 김정기 씨가 일제강점기 당시 일본군에게 징집당하는 위안부 참상을 일러스트레이트로 재현하는 ‘역사 알리기 퍼포먼스’를 펼쳤다.

이번 문화공연은 글렌데이 위안부의 날 행사 3주년과 소녀상 제막 1주년을 기념하기 위해 기획된 것이다.

하지만, 이날 문화공연은 당초 예정시간보다 40여 분 늦게 시작한 데다 일본군 위안부 피해자인 이옥선(87)·강일출(86) 할머니가 불참해 아쉬움을 남겼다.

공연을 주관한 글렌데일 자매도시위원회 관계자는 “두 할머니들이 때마침 미국을 방문해 오늘 공연에 초청했지만, 할머니들이 갑가지 참석하지 않았다”고 전했다.

(로스앤젤레스=연합뉴스) 김종우 특파원 = 전남 순천시 아고라예술단 소속 김명진씨가 28일(현지시간) 낮 미국 캘리포니아 글랜데일시 시립공원에 세워진 `평화의 소녀상’ 앞에서 김보라 씨가 연주하는 해금 가락에 맞춰 가곡 봉선화와 아리랑을 열창하고 있다.
특히 이옥선·강일출 두 할머니는 전날 글렌데일 알렉스 시어터에서 열린 연극 ‘봉선화’ 공연에도 모습을 드러내지 않았다.

두 할머니를 초청한 가주한미포럼 측은 연합뉴스와의 통화에서 “할머니들이 연극 내용 중 일본군 위안부가 기모노를 입고 돈을 뿌리는 장면이 사실과 어긋난다며 행사에 불참한 것”이라고 설명했다.

연극 봉선화는 윤정모의 소설 ‘에미 이름은 조센삐였다’를 원작으로 해 일제강점기 일본군 위안부로 끌려갔던 한 여인의 인생역정을 그린 작품이다.

앞서 세계한인교류협력기구(상임대표 김영진)는 전날 열린 제3회 글렌데일 ‘위안부의 날’ 행사에서 마이크 혼다(민주)·에드 로이스(공화) 연방 하원의원, 프랭크 퀸테로 전 글렌데일 시장 등에게 감사패를 전달했다.

혼다·로이스 의원은 ‘위안부 결의안’(HR-121)을 공동 발의하고 통과시킨 주역이다.

한편, 글렌데일시는 오는 30일을 ‘위안부의 날’(Comfort Women Day)로 제정했다. 이날은 소녀상 제막식이 열린 날인 동시에 지난 2007년 연방 하원에서 HR-121이 통과된 날이기도 하다.

2013/09/22

来日する強制連行?証言者、三人揃い踏み

彼女たちは既に来日、証言を開始している

心臓も肝臓も悪い」と語ってから二年半。その後も世界中を飛び回っているイ・オクソンだが、あまり信頼の置ける証言者ではないような。カン・イルチュルも・・・。ちなみに、カン・イルチュルは「日本人なんか大嫌いさ・・・軽蔑するどころじゃないよ」と非日本メディアには語っている。パク・オクソンは比較的大人しい印象だが、韓国メディアによれば、夜中に水を汲みに出た所を日本軍と軍務員?に連行されたと語っている。三人とも日本軍・兵士による拉致(強制連行?)の証言者である。

元慰安婦3人が証言のため訪日 29日まで滞在

旧日本軍によって慰安婦にされた80代の被害者3人が22日、自らが受けた凄惨(せいさん)な経験を語るために日本を訪問する。

3人は元慰安婦が共同生活するソウル近郊の施設「ナヌムの家」にいる被害者。22~25日には東京に滞在。26~29日は京都で記者会見や証言会、日本の国会議員との交流会、集会などを実施する。

中でも今回の訪問では、これまで慰安婦問題の解決を求める決議が一度も採択されたことがない東京の議会での採択を促す予定だ。

高齢と持病にもかかわらず、3人が今回日本を訪問するのは、良識を持った政治家や人権活動家、若い世代の人たちに生の声を伝え、生きているうちに賠償と公式謝罪を受け名誉回復を図りたいとの思いからだ。

3人のうち李玉善(イ・オクソン)さんは日本出発に先立ち、「時間はほとんど残されていない。マスコミと政治家に期待している」と切迫感をあらわにした。

2013/09/05

慰安婦のドイツ講演 (イ・オクソン)

誤解を正すぐらいしないと単なる反日活動家になってしまうのでは?

日本政府は変わらないという矢嶋。変わらないのは彼の方かもしれない。本文にもあるように矢嶋は昔、ナヌムの家でボランティアをしていた。ドイツに渡ってからも、運動家らと協力して慰安婦問題をドイツに普及させる活動を行っている。

アメリカでの講演を終えたイ・オクソンはドイツに渡り、矢嶋と再会。彼の通訳でドイツで講演している。ドイツのメディアによれば、彼女はアメリカでの証言と同様、慰安所は屠殺場であった話している。天皇ヒロヒト批判や、自分が(日本)兵によって釜山の路上で拉致されたとも話したようだ。韓国系の団体は、南ドイツ新聞に日本によって拉致された20万人超の慰安婦は主に11歳から15歳の少女であったと説明しているようである。人数のインフレーションと、年齢のデフレーションは相変わらず。

「日本の奴(일본놈)」の声を聞いても気分を悪さない日本人・・・ドイツ慰安婦証言会通訳引き受けた矢嶋氏

「なぜ度々日本の奴と写真を撮れといって!」

3日(現地時間)ドイツベルリン工科大で証言集会を開いた慰安婦被害者イ・オクソン・ハルモニ(86)は通訳を受け持った矢嶋宰(42)氏を示して気兼ねなく「日本の奴」と呼んだ。言葉とは異なり顔には情感が満ちていた。

矢嶋氏とイ・ハルモニの縁は格別だ。名門早稲田大学を卒業後、朝日新聞出版のカメラマンとして普通の生活を送った矢嶋氏は2003年会社を止め、京畿道広州市退村面元堂里のナムヌの家でボランティア活動をした。「加害国の市民の一人としてお婆さんが受けた苦痛を分けて悪い歴史に日本人たちがもう少し関心を持つようにするため」というのが当時彼が明かにした奉仕の弁だった。 イ・ハルモニともここで出会った。

矢嶋氏のボランティア活動は2005年まで続いた。その後、ドイツで写真家として活動、ドイツ人女性と結婚もした。そうするうちにイ・ハルモニが先月28日からドイツの様々な都市を回って証言活動をするという便りを聞いて通訳を自任したのだ。 彼は「日本政府は政権が変わってもまったく変わらない」と話した。

この日証言会では、200席余りの席が一杯になり、一部の聴衆は立ち見になるなど盛況となった。 生き生きした証言が続くと、すぐに一部の聴衆は目をとじたり涙を流した。イ・ハルモニは「(望みは)奪われた人権と名誉を回復することだけ」と答えることもした。
国民日報(聯合ニュース)2013.9.4

‘일본놈’ 소리 들어도 기분 나빠하지 않는 일본인… 독일 위안부 증언회 통역 맡은 야지마씨

“왜 자꾸 일본놈하고 사진을 찍으라고 해!”

3일(현지시간) 독일 베를린공대에서 증언회를 연 위안부 피해자 이옥선 할머니(86)는 통역을 맡은 야지마 쓰카사(42)씨를 가리켜 스스럼없이 ‘일본놈’이라 불렀다. 말과는 달리 얼굴에는 정감이 가득했다.

야지마씨와 이 할머니의 인연은 남다르다. 명문 와세다대를 졸업하고 아사히 신문 출판국 사진기자로 평탄한 삶을 살던 야지마씨는 2003년 회사를 그만두고 경기도 광주시 원당리 나눔의 집에서 봉사활동을 했다. “가해국민의 한 사람으로서 할머니들이 받은 고통을 나누고 나쁜 역사에 일본인들이 좀 더 관심을 갖게 하기 위해서”라는 게 당시 그가 밝힌 봉사의 변이었다. 이 할머니도 이곳에서 만났다.

야지마씨의 봉사활동은 2005년까지 이어졌다. 이후엔 독일에서 사진작가로 활동하며 독일인 여성과 결혼도 했다. 그러다 이 할머니가 지난달 28일부터 독일 여러 도시를 돌며 증언활동을 한다는 소식에 통역을 자처한 것이다. 그는 “일본 정부는 정권이 바뀌어도 도무지 변하지 않는다”고 말했다.

이날 증언회는 좌석 200여석이 꽉 차 일부 청중들이 선 채로 듣는 등 성황을 이뤘다. 생생한 증언이 계속되자 일부 청중들은 눈을 감거나 눈물을 흘렸다. 이 할머니는 “(소원은) 빼앗긴 인권과 명예를 회복하는 것 뿐”이라고 답하기도 했다.

연합뉴스

[資料・独語] イ・オクソンのドイツ講演

Dem "Menschenschlachthof" entronnen

Lee Ok-Seon ist 14 Jahre alt, als sie verschleppt und in einem japanischen Militärbordell zur Prostitution gezwungen wird. Ein Schicksal, das sie im Zweiten Weltkrieg mit Tausenden Koreanerinnen teilt. Noch heute kämpft sie um Entschädigung und eine Entschuldigung ihrer Peiniger. Eine Begegnung.

Von Martin Mühlfenzl, Berlin
Die runde Brosche am Blazer von Lee Ok-Seon scheint eine gewaltige Last für die kleine, zierliche Frau zu sein. Es wirkt, als sei das Schmuckstück schwer, so schwer, dass es die 86-jährige Koreanerin gewaltsam zu Boden zerren könnte. Tief gebeugt sitzt sie an ihrem Platz, während sie ihre Geschichte erzählt. Doch Lee Ok-Seon lässt nichts und niemanden mehr Gewalt über sich gewinnen; sie setzt sich zur Wehr. Gegen die Vergangenheit, die Erinnerung, die Schmerzen und gegen einen großen und mächtigen Gegner: den Staat Japan.

Lee ist eine von mehr als 200.000 "Trostfrauen", die während der japanischen Herrschaft über die Koreanische Halbinsel in der ersten Hälfte des 20. Jahrhunderts in Militärbordellen verschleppt, vergewaltigt, geschlagen und erniedrigt wurden. Bis heute hat sie dafür keine Gerechtigkeit erfahren. Doch sie kämpft gegen die Sturheit des japanischen Staates an. Sie will eine Entschuldigung und Entschädigung. "Für das Blut, das wir gegeben haben."

Lee führt diesen Kampf jeden Montag in der südkoreanischen Hauptstadt Seoul. Mit ihren Leidensgenossinnen demonstriert sie dann vor der japanischen Botschaft. Doch der Staat ihrer ehemaligen Peiniger hört ihr nicht zu. Noch nicht.

"So haben sie mich gepackt"

"Hier in Deutschland oder in den Vereinigten Staaten ist das anders", sagt Lee bei ihrem Besuch an der Technischen Universität in Berlin. "Hier ist man viel weiter, auch mit der eigenen Geschichte. Aber ich bitte Sie: Hören sie mir ganz genau zu und unterstützen sie uns. Hören sie zu."

Es ist der Moment, in dem das Lächeln aus dem von tiefen Falten zerfurchten Gesicht der 86-Jährigen verschwindet. Lee schließt die Augen und erinnert sich an jenen Tag, der ihr Leben für immer veränderte. Plötzlich fahren die beiden Arme der zierlichen Koreanerin in die Luft, der linke Arm ergreift den rechten und zieht heftig daran: "So haben sie mich gepackt, die beiden Männer. Einfach so, und dann haben sie mich auf einen Lastwagen geworfen und mitgenommen."

Mit 14 entführt und ins Bordell gebracht

Es geschah in ihrer Heimatstadt Busan im heutigen Südkorea. 1941 - vier Jahre vor Ende des Krieges in Europa und Asien. Lee Ok-Seon war damals 14 Jahre alt und arbeitete als Hausmädchen bei einer fremden Familie. Zur Schule gehen durfte sie nicht, die Eltern konnten sich das Schulgeld nicht leisten. Doch auch ihre Zeit als Hausmädchen währte nicht lange. An einem Spätnachmittag im Frühjahr schlugen die Besatzer zu. Zwei Soldaten ergriffen die 14-Jährige auf offener Straße und verschleppten sie, fort aus ihrem Heimatland mit dem Zug über die Koreanische Halbinsel bis ins ebenfalls von den Japanern besetzte China. In ein Militärbordell - "Troststation" nennt Lee ihre Hölle noch heute. "Bordell" kann sie nicht sagen. Die Scham über das Erlebte sitzt immer noch zu tief.

Es ist sehr still an diesem Abend in der Berliner Universität. So still wie an den Abenden zuvor in Darmstadt, Hamburg und Berlin. Lee ist der Einladung des Korea Verbandes gefolgt, einer Institution, die sich dem interkulturellen Austausch widmet und zwischen zwei sich sehr fremden Kulturen für Verständnis werben will. Wenn Lee Ok-Seon an ihre Leiden zurückdenkt und ihren Zuhörern davon erzählt, legt sie eine Hand auf ihre Brust - ihre Stimme aber ist stark und kontrolliert. Sie verliert sich nicht in Details über das, was ihr in dem Bordell in der chinesischen Provinz Jilin angetan wurde. "Darüber will ich nicht sprechen", sagt sie entschieden. Und es ist auch nicht notwendig, um zu verstehen. Nur so viel: "Wir wurden in Kimonos gesteckt, die wir bis dahin nicht kannten. Und wir mussten tun, was von uns verlangt wurde."

Rückkehr nach Korea

Wie viele Frauen von den Japanern während des Zweiten Weltkrieges tatsächlich verschleppt wurden, ist bis heute nicht geklärt. Der Korea Verband geht von weit mehr als 200.000 Mädchen aus, meist im Alter zwischen elf und 15 Jahren. Sie sollten die japanischen Soldaten und Offiziere zum einen davor schützen, sich Geschlechtskrankheiten einzufangen; zum anderen wollten die Besatzer mit den "Troststationen" Massenvergewaltigungen in den okkupierten Gebieten verhindern.

Die Machthaber setzten ihren Willen mit roher Gewalt durch. Den Mädchen, die schwanger wurden, wurden die Bäuche mit Messern aufgeschlitzt, erinnert sich Lee. Die Kinder wurden getötet und vergraben, die Frauen verbluteten. Auch sie selbst wurde Opfer von Gewalt. Ein Soldat verletzte sie mit einer Machete am Oberarm, als sie ihm widersprach und davonlaufen wollte: "Aber was hätte es gebracht? Ich wusste ja nicht wohin und ich hatte kein Geld."

Geld. Darum dreht sich auch der Protest der noch lebenden Trostfrauen. Erstmals hat sich im Jahr 1991 in Korea eine der ehemaligen koreanischen Zwangsprostituierten mit ihrer Lebensgeschichte an die Öffentlichkeit gewagt. Seither folgten ihr Hunderte Leidensgenossinnen - immer unter dem so skeptischen wie schamvollen Blick der Öffentlichkeit. Und Japan? Hat zwar längst die Existenz von Trostfrauen anerkannt, zu Entschädigungen oder gar einer umfassenden Entschuldigung aber konnten sich die Japaner nie durchringen - und werden es wohl auch nie. "Die sitzen das aus. Bis es von uns keine mehr gibt", sagt Lee Ok-Seon, und die Verbitterung ist ihr anzumerken. Doch ihr Hass ist mittlerweile verflogen: "Es gibt nicht nur schlechte Japaner. Aber einer davon war der Tenno, der sich nie bei uns entschuldigt hat." Gemeint ist Japans verstorbener Kriegs-Kaiser Hirohito.

Das Ende des Martyriums

Dass sie selbst den "Menschenschlachthöfen" der Japaner entkommen ist, hält Lee für ein kleines Wunder: "Das habe ich sicher nur geschafft, weil Gott bei mir war." Der Glaube habe ihr durch diese Zeit geholfen. Auch dann, als die Japaner ihr die Gebärmutter entfernten.

Nach dem Ende ihres Martyriums blieb sie zunächst in China, lernte dort ihren späteren Mann kennen, der ebenfalls aus Korea kam und kümmerte sich um dessen Kinder. 2000 aber wagte sie nach dem Tod ihres Mannes einen gewaltigen Schritt und kehrte nach Korea zurück. In das Land, aus dem sie Jahrzehnte zuvor von fremden Machthabern verschleppt wurde. Heute kämpft sie dort um ihre Ehre und Würde.

Plötzlich öffnet Lee in dem Raum an der TU Berlin wieder ihre Augen. Ein Ruck geht durch ihren Körper, sie reißt ihren linken Fuß nach oben, legt ihn auf den Tisch. Dann lacht die zierliche Koreanerin: "Da wurde ich von einem Soldaten mit einem Schwert verletzt. Er wollte mich töten, aber ich war schneller." Der Schmerz an der Stelle, an der sie getroffen wurde, kommt immer wieder - manchmal in den komischsten Momenten. Bei Veranstaltungen wie dieser, bei Protesten oder in ihrem Zuhause, einem Heim für ehemalige Trostfrauen in Seoul. Doch manchmal, in Situationen wie jetzt, kann Lee Ok-Seon sogar darüber lachen.

南ドイツ新聞 2013.9.4

2013/08/09

イ・オクソン今度はドイツへ


米国の慰安婦碑を訪れる(先月)

発言の揺れが気になるイ・オクソン。ヨーロッパにおける慰安婦騒動の橋頭堡ドイツへ。「『心臓も肝臓も悪いんです。死ぬ前に(日本から)謝罪を受けなければならないんです』・・・彼女は昨年心臓の手術をし、時間が残されていないと気に病んでいると言う」、と報じられてから2年半。先月もアメリカで「15歳のとき、近所を歩いていたら日本軍に無理やり連行された」と証言して来たばかり

元慰安婦が日独訪問へ ベルリンや東京で証言

旧日本軍従軍慰安婦の悲惨な状況を国際社会に訴えるため、80代の元慰安婦らがドイツと日本を訪れる。

元慰安婦が共同生活を送る「ナヌムの家」(京畿道・広州)によると、元慰安婦の李玉善(イ・オクソン)さんは先月に訪米して自らの体験を語ったのに続き、今月28日から来月10日にかけ在独韓国人女性団体の招きでドイツを訪問する。ベルリンなどの主要都市をめぐり、旧日本軍による慰安婦強制動員の蛮行を人々に伝える計画だ。

また、李さんは同じく元慰安婦の姜日出(カン・イルチュル)さんと共に、日本の人権・女性団体の招きで来月12~17日に北海道、23~30日に大阪と東京を相次ぎ訪問する。日本の「右翼政治家」らが慰安婦の強制動員を否定する「妄言」を強めているなか、現地での証言はいつも以上に関心を集める見通しだ。

「ナヌムの家」の安新権(アン・シングォン)所長は、日本が元慰安婦に対する責任を否定し、歴史さえもゆがめていると批判し、生きているうちに世界のより多くの人々に慰安婦の惨状を伝えたいと、元慰安婦らが高齢を押してつらい長旅に出ていると述べた。

2013/07/18

欧米と日本で使い分ける「慰安婦証言」

イ・オクソンと抱き合うドノバン郡長
李は信用できる証言者なのだろうか?

慰安婦の証言が紹介される度に「嘘」だと脊髄反射するネット上の風潮も残念だが、確かに元慰安婦の中には問題のある人もいるし、支援者が「証言」をコントロールしている気配もある。例えば、最近では日本で慰安婦が証言する場合、荒唐無稽な話はしない。初期にはあったらしいが、日本ではいろいろと突っ込みが入るので無難な発言に終始しているようである。あるいは証言者自体も支援団体によって選別されているのかもしれない。ところが、欧米で証言する場合、日本では聞けないような話がしばしば現れる。

イ・オクソンが日本の軍(人)によって拉致されたという話を(アメリカで)語ったのは初めてではない。ただ、二年前の中央日報の記事では、アメリカでの発言とは断定し難かった(前後の文章からその可能性は高いと思われるが)。今回は、確実だろう。朝鮮日報によれば、彼女は「近所を歩いていたら日本軍に無理やり連行された」などとアメリカで話している。また、憲兵が二度と逃げられないようにしてやると言って軍刀を腕や足に打ち下ろしたとも語っている。スパイならいざしらず、なぜ憲兵が慰安婦を拷問するのか?日本では到底通用しない話でも、アメリカでは十分通用する。イ・オクソンの話を聞いてバーゲン郡のドノバン郡長は、涙を流し彼女の肩を抱いたという。

ドノバンにはスミア(中傷)キャンペーンに加担しているという自覚はないだろう

運動家たちは欧米と日本とで証言を(そして時として証言者も?)使い分けている。「欧米では女性の尊厳の問題と捉えられている」「関与があった事は否定できない」などと言っている日本人は、もう少し引いた視点でこの騒動を眺めた方がいい。イ・オクソンは、元々韓国でもこんな話はしていなかったのである(「従軍慰安婦問題を考える/慰安婦証言/李玉善」を参照)

慰安婦:「慰安所はと殺場のようだった」

李玉善さんが訪米、慰安婦としての体験語る

「15歳のとき、近所を歩いていたら日本軍に無理やり連行された。それから3年間いた場所は、人が住む所ではなく『と殺場』だった」

米国ニュージャージー州バーゲン郡庁舎の会議室で15日午前(現地時間)、元慰安婦の李玉善(イ・オクソン)さん(86)が70年ほど前のつらい経験を打ち明けた。李さんは「筆舌に尽くし難い苦痛を被った。家族と連絡を取ることができず、毎日強制的に日本軍人の相手をさせられた。自殺さえできなかった」と振り返った。

慰安所から逃げ出して捕まり、連れ戻されたこともあったという。日本軍の憲兵は「二度と逃げられないようにしてやる」と言って軍刀を李さんの腕や足に打ち下ろした。李さんが袖をまくると、右腕に4-5センチの刀痕が2本くっきりと現れた。

証言を聞いていたキャサリン・ドノバン郡長たちの目に涙がにじんだ。ドノバン郡長は証言を終えた李さんに花束を手渡し、肩を抱いた

李さんは在米韓国人の利益団体「市民参与センター」の招きで訪米。この日、ドノバン郡長の案内で、バーゲン郡の裁判所前に建立された慰安婦犠牲者を追悼する「慰安婦の碑」を訪れた。李さんは花を供えた後、しばらく無言で碑石を見詰めていた。碑石の銅板には英語で「第2次世界大戦の際、日本帝国主義の軍隊により性的奴隷にさせられた韓国と中国、台湾、フィリピン、オランダ、インドネシア出身の数十万人の女性と少女たちを追悼する」と記されている。

この慰安婦の碑は昨年10月に来韓したドノバン郡長が元慰安婦たちと面会し、建立を約束したもので、今年3月に設置された。同裁判所の前には米国の奴隷制度の犠牲になった黒人、ナチスに虐殺されたユダヤ人、英国の収奪に苦しめられたアイルランド人など全世界の人権被害者を悼む碑石が置かれている。

ドノバン郡長は庁舎で李さんを迎え入れながら「韓国での約束を守れてうれしい。李さんを案内できて光栄だ」と語った。李さんは「日本からの謝罪がないことがずっと無念だったが、米国でこんな風に私たちを記憶してくれて感謝する。恨みがずいぶん晴れた」と答えた。李さんは同日午後、ニュージャージー州パリセイズパーク市にある米国で最初に設置された慰安婦の碑も訪問した。


2013/07/13

慰安婦、ホロコーストサバイバーと再会


「돼지 풀과 사료를 주며」という部分を、どう訳すのか分からなかったが、「豚の草と飼料」を与えられたと訳した。間違っていたら指摘して下さい。食事に絡めた日本軍による虐待というイメージなのだろうが、食事の献立は慰安所の主人か賄いが決めるのである。豚の餌を食わされたとしても、それは経営者ががめつかったという話で日本軍は関係ない。しかし、何人の人が、彼女が「主語抜き」で話をしていることに気づいたか?

イ・オクソンは海外講演も多く、アメリカやカナダからもファンレターをもらうらしい。中央日報の英字版は、2年前、彼女が日本の軍人に拉致されたと紹介していたが、彼女の過去の証言と照らし合わせると疑わしい。

慰安婦被害イ・オクソン・ハルモニ「反省ない日本政府の態度に怒り」

日の慰安婦蛮行知らせようと再び米国訪ねたイ・オクソン・ハルモニ、ニューヨークでホロコースト生存者と再会…生き生きした証言に米大学生「驚くべきだ」

2011年12月米国、ニュージャージー州パリセイズパーク市に建てた海外初の日本軍慰安婦記念碑を訪れ、黙黙と涙を流して米国人の心を打ったイ・オクソン・ハルモニ(87). 彼が1年半ぶりに再びニューヨークとニュージャージーを訪れた。 高齢で10時間を越える飛行機搭乗も大変だったが変わらない日本政府の態度に我慢できなかったと話した。

11日(現地時間)午後、ニューヨークのクイーンズ・コミュニティカレッジのカッファバーグ・ホロコーストセンターを訪れた彼女は、当時一緒に会見に出たホロコースト(ナチのユダヤ人大虐殺)生存者のお婆さんとの再会の抱擁を交わした。 イ・ハルモニは「日本の反省ない態度に腹が立つ」として出ない声を力いっぱい振り絞って話した。 同席したチャールズ・レビン、ロン・キム・ ニューヨーク州下院議員など地元の政治家たちも首を縦に振った。

この日、地元の画家の日本軍慰安婦ハルモニをテーマにした美術展が同時に開かれ特別な来客も目についた。 今回の行事を主管した市民参加センター(注:KACE)が昨年から韓国などの辛い歴史を知らせるために開設した「東北アジア歴史の正義インターンシップ」に参加している米国大学生だ。 彼らはイ・ハルモニの証言に大いに驚いたようだった。

「慰安所に行ってみると、人住む所でなく屠殺場同じだった。 幼い少女に豚草と飼料をやって(? 돼지 풀과 사료를 주며 )延命するようにしてたし、死の淵(?)も数回渡さなければならなかった。 日本軍が強制的に私を引っ張っていったが日本は介入しなかったというと・・・」

イ・ハルモニが1942年16才の年齢に日本軍慰安婦に引きずられて行き、中国吉林省の延吉で解放された年まで体験した仕事を生き生き伝えると、すぐに大学生の質問が多くなされた。 イ・ハルモニは疲れることも忘れたまま一つ一つ答えた。 ある学生は「学校で一度も触れたことがない話」だったと話した。

イ・ハルモニは15日記念碑を再び訪問した後17日にはワシントンで開かれる日本軍慰安婦決議案連邦下院通過6周年記念行事に参加する。

東亜日報 2013.7.13

2年前の様子
イ・ヨンス(右端)は今回同行せず

위안부 피해 이옥선 할머니 “반성 없는 일본 정부의 행태에 분노”

日의 위안부 만행 알리려 다시 미국 찾아간 이옥선 할머니
뉴욕서 홀로코스트 생존자와 재회… 생생한 증언에 美대학생들 “놀랍다”

2011년 12월 미국 뉴저지 주 팰리세이즈파크 시에 세워진 해외 첫 일본군 위안부 기림비를 찾아 묵묵히 눈물만을 흘려 미국인의 심금을 울렸던 이옥선 할머니(87). 그가 1년 반 만에 다시 뉴욕과 뉴저지를 찾았다. 고령으로 10시간이 넘는 비행기 탑승도 힘들었지만 달라진 것이 없는 일본 정부의 행태를 참을 수 없었다고 말했다.

▶본보 2011년 12월 17일자 A6면 참조… “한국도 못한걸…” 美 위안부 추모비 앞 떠나지 못한 할머니들

11일(현지 시간) 오후 뉴욕 시 퀸스커뮤니티칼리지 쿠퍼버그 홀로코스트센터를 찾은 그는 당시 함께 회견에 나섰던 홀로코스트(나치의 유대인 대학살) 생존자 할머니와 재회의 포옹을 나눴다. 이 할머니는 “일본의 반성 없는 행태에 분노한다”며 나오지 않는 목소리를 힘껏 짜내 얘기했다. 자리에 함께한 찰스 래빈, 론 김 뉴욕 주 하원의원 등 지역 정치인들도 고개를 끄덕였다.

이날 현지 지역 화가들의 일본군 위안부 할머니를 주제로 한 미술 전시회가 함께 열려 특별한 손님도 눈에 띄었다. 이번 행사를 주관한 시민참여센터가 지난해부터 한국 등의 아픈 역사를 알리기 위해 개설한 ‘동북아 역사정의 인턴십’에 참가하고 있는 미국 대학생들이다. 이들은 이 할머니의 증언에 적잖이 놀라는 듯했다.

“위안소에 가 보니 사람 사는 곳이 아니라 도살장 같았다. 어린 소녀들에게 돼지 풀과 사료를 주며 연명하도록 했고 죽음의 고비도 수차례 넘겨야 했다. 일본군이 강제로 나를 끌고 갔는데 일본은 개입하지 않았다고 하니….”

이 할머니가 1942년 16세의 나이에 일본군 위안부로 끌려가 중국 지린(吉林) 성 옌지(延吉)에서 광복되던 해까지 겪었던 일들을 생생히 전하자 대학생들의 질문이 쏟아졌다. 이 할머니는 피곤함도 잊은 채 하나 하나 답했다. 한 학생은 “학교에서 한번도 접해 보지 못한 이야기들”이라고 말했다.

이 할머니는 15일 기림비를 다시 방문한 뒤 17일에는 워싱턴에서 열리는 일본군 위안부 결의안 연방 하원 통과 6주년 기념행사에 참석한다.

2011/07/17

表彰される慰安婦



元日本軍慰安婦ファン・クムジャとイ・オクソンが李明博大統領から表彰された。財産を公共の福祉の為に寄付した功績が認められた。ファン・クムジャの寄付のニュースに関しては以前のエントリー参照。



李明博大統領が15日大統領府で開かれた「分かち合いと奉仕の主人公褒賞」の行事で生涯に集めた財産1億ウォンを寄付した日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ氏に国民勲章椿章を歩いてくれている。 イ大統領はこの日行事で「分かち合いと奉仕の美しい香りが全国津々浦々に広がることを願う」と明かした。 褒賞受賞者は国民勲章7人、国民褒章9人、大統領表彰5人、国務総理表彰3人...

이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 ‘나눔과 봉사의 주인공 포상’ 행사에서 평생 모은 재산 1억원을 기부한 일본군 위안부 피해자 황금자씨에게 국민훈장 동백장을 걸어주고 있다. 이 대통령은 이날 행사에서 “나눔과 봉사의 아름다운 향기가 전국 곳곳에 퍼지기를 바란다”고 밝혔다. 포상 수상자는 국민훈장 7명, 국민포장 9명, 대통령 표창 5명, 국무총리 표창 3명이다. 최고 등급인 국민훈장 무궁화장은 아프리카 수단에서 의료봉사활동을 펼치다 지난해 숨진 고 이태석 신부에게 돌아갔다.


イ・ミョンバク大統領が15日大統領府で開かれた国民が直接選んだ「分かち合いと奉仕の主人公」褒賞式および昼食会で、日本軍慰安婦被害者で2千万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付したイ・オクソン(81)ハルモニに国民褒章を授与している。




박동욱 기자 = 이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 국민이 직접 뽑은 '나눔과 봉사의 주인공'포상식 및 오찬에서 일본군 위안부 피해자로 2천만원을 보은군민장학회에 기부한 이옥선(81) 할머니에게 국민포장을 수여하고 있다.




イ・オクソンに関して、先月のニュースから・・

家の前の門に太極旗を掲揚して愛国精神を強調して有名税をせい減らしたイ・オクソン(女・81・写真・報恩郡(ポウングン)、俗離山面(ソンニサンミョン)社内リ)氏が政府褒賞国民推薦国民褒章受賞者に選ばれた。

国民推薦褒賞制は難しい環境で奉仕と寄付、先行を持続実践した隠れた功労者を国民の手で発掘して政府次元で褒賞するために導入した制度だ。 イ氏は日本軍慰安婦被害者で政府の基礎生活需給金と女性部が慰安婦被害者にあたえる生活安定支援金などを節約して一生集めた全財産2000万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付した。

イ氏は幼い時難しい生活環境で学習の夢をあきらめなければならなかっただけでなく慰安婦被害によってひっそりと静まって生涯を生きていくべきである痛みがあったが“国が富強にするなら人材を育てなければならなくて、それでもう二度と国を失う不幸がないように人材を育てなければならない”面人材養成に強い情熱を現わした。

今でもイ氏は学習に対する情熱で読書と文を書くのに熱中するなど学習を継続している。

집 앞 대문에 태극기를 게양하며 애국정신을 강조해 유명세를 탓던 이옥선(여·81·사진·보은군 속리산면 사내리)씨가 정부포상 국민추천 국민포장 수상자로 선정됐다.


국민추천 포상제는 어려운 환경에서 봉사와 기부, 선행을 지속 실천한 숨은 공로자를 국민의 손으로 발굴해 정부 차원에서 포상하기 위해 도입한 제도다. 이씨는 일본군 위안부 피해자로 정부의 기초생활수급금과 여성부가 위안부 피해자에게 주는 생활안정지원금 등을 절약하여 평생 모은 전 재산 2000만원을 보은군민장학회에 기부했다.


이씨는 어린시절 어려운 생활환경으로 배움의 꿈을 접어야 했을 뿐만 아니라 위안부 피해로 인해 남몰래 숨죽여 평생을 살아가야 하는 아픔이 있었지만 “나라가 부강하려면 인재를 키워야 하고, 그래서 두 번 다시 나라를 잃는 불행이 없도록 인재를 키워야 한다”면 인재양성에 강한 열정을 나타냈다.


지금도 이씨는 배움에 대한 열정으로 독서와 글쓰기에 열중하는 등 배움을 이어가고 있다.

東洋日報 2011.6.29

2011/01/31

イ・オクソンの最後の願い



イ・オクソンという人は、当初は兵隊に誘拐されたとは言っていなかった。彼女の証言の変遷については、こちらのサイトに詳しい(名前が紛らわしくて申し訳ないが、当サイトとは無関係)。彼女は最近オランダのラジオ局の取材を受けていたが、その証言はさらに過激になっていた。いずれ紹介できると思う(こればっか)。

とにかく、韓国の新聞は、英字版だとかなりハメを外すキライがある。

国史が選択科目になる云々という話は、先日もちらっと出て来たが、こういった細かい所でもハルモニを政治利用しているのを見ると、ちょっとどうかな、と思う。

84歳のイ・オクソン(李玉仙)は、手の上のハガキの山を読みながら裏返す。ハガキには「ハルモニ、サランヘヨ(お婆ちゃん、愛してる)。Happy New Year」と書かれている。

最後の三つだけ英語で、あとは韓国語だ。短いが心温まるメッセージは、李がアメリカカナダの人々から受け取る沢山のメッセージの一つだ。

「この若い女性は歴史の先生なの。私の話を聞いてから、歴史をもっと理解し教えることが出来るようになったからと、毎年お礼にカードを送ってくれるんです」と特別な物語を持つ李は言う。彼女は、第二次大戦中、朝鮮半島を侵略した日本軍によって性奴隷として動員された「慰安婦」の数少ない生き残りの一人だ。現在、李は京畿道広州市にある元慰安婦の為のグループ・ホームで暮らす。

李がウルサン(蔚山)で日本の軍人たちに誘拐されたのは15の時だった。ちょっと用たしに出た所を捕まった。日本軍によってさらわれた他の少女たちと一緒に李は中国へ送られ、日本軍のバラックで慰安婦として三年間過ごした。李によると、休日になると50人もの兵隊がドアの外に並んだという。

兵士による激しい暴行のため、李の聴力と視力は激しく損なわれた。あまりに酷かったので、彼女は「台無しになって帰ってきた」。

1966年、李は自分の体験談を持って公に出る決意をした。

「私たちは『慰安婦の印を掲げる(かける)』と言ってるの」と李は言う。

李は米国、中国、日本、カナダやフィリピンといった沢山の国々を旅するようになる。慰安婦の真実を伝えるために。

「歴史を語って欲しいと言われて、他に選択肢はなかったの」女性センターの彼女の部屋の中で、外国の学生たちと撮った数えきれない自分の写真に囲まれて李は語る。

今となっては彼女の話ははかない思い出である。なぜなら李は病んでおり、生存する少ない慰安婦の殆ども同様だからだ。

「心臓も肝臓も悪いんです。死ぬ前に(日本から)謝罪を受けなければならないんです」狭心症も患う李は言う。彼女は昨年心臓の手術をし、時間が残されていないと気に病んでいると言う。

2010年の初めの時点で、韓国政府に登録された慰安婦は88人いた。しかし、たった一年でその人数は76人にまで減った。9人が昨年亡くなり、1月13日にさらに二人が亡くなった。

「まだまだ我が国には慰安婦問題について知らない人がたくさんいます。私は『慰安婦のサイン』を掲げて彼らに知らせているのです」。彼女の声は次第に小さくなった。

韓国の高校で国史の授業が選択科目になると聞いて、李は言葉を失った。

「私たち老いたお婆ちゃんは世を去る時なの。若い人たちは歴史を知るべき。私たちの純潔は15歳の時に奪われ、踏みにじられました。だけど(日本人は)、そんな事はしなかったと言ってるの」と李は言った。「私たちの娘たちは、歴史を知らなかったからといって同じ目に遭ってはならないのです」。

JoongAng Ilbo 2011.1.22

Last wish of former ‘comfort woman’

Lee Ok-sun, 84, turns over a pile of cards in her hands as she reads the words of one, which says: “Halmoni, Saranghaeyo [Grandmother, I love you]. Happy New Year.”

With the last three words in English and the rest scrawled in Korean, the short but heartfelt message is one of many Lee has received from people in the United States and Canada.

“This young woman is a history teacher. She sends me cards every year to thank me, saying she understands and teaches history better since she listened to my lecture,” said Lee, who has a special story to tell. She is one of the few remaining “comfort women” of Korea, who were drafted by the Japanese military as sex slaves during the Japanese invasion of the Korean Peninsula in World War II. Lee now lives in a group home for former comfort women in Gwangju, Gyeonggi.

Lee was just 15 when she was kidnapped by Japanese soldiers in Ulsan. She had just come outside to go on an errand when she was taken. Along with other young girls who were snatched by the Japanese military, Lee was sent to China and spent three years as a comfort woman in the Japanese barracks. According to Lee, on holidays as many as 50 soldiers would be lined up outside her door.

Because of the severe beatings from the soldiers, Lee’s hearing and vision were greatly impaired, so much so that she “came back mutilated.”

In 1996, Lee made the decision to go public with her story.

“We call it ‘hanging up the comfort woman sign,’” Lee said.

Lee began traveling through numerous countries — including the U.S., China, Japan, Canada and the Philippines — to tell the truth about the comfort women.

“I had no choice but to speak, when [they] were pleading for me to tell them about the history,” said Lee, surrounded by countless pictures of herself with foreign students in her room at the women’s center.

Now the lectures are fond memories because Lee is ailing, as nearly all of the last few comfort women are.

“My heart is bad. My kidneys are bad, too. I should receive an apology [from Japan] before I die,” said Lee, who also suffers from angina. She had heart surgery last year and says she is worried she is running out of time.

As of early 2010, there were 88 former comfort women registered by the Korean government.

But in just a year, their numbers have dwindled to 76. Nine women passed away last year and three others passed away on Jan. 13.

“There are still so many people in our country who don’t know about the comfort women issue. I put on the ‘comfort woman sign’ to let them know...” she trailed off.

Lee was at a loss for words when she was informed that history would become an elective course for Korean high school students this year.

“It is time for us old grandmothers to die. Young people should know the history and help. Our purity was taken away from us and trampled on at fifteen. But [the Japanese] are saying that they didn’t do it,” said Lee. “Our daughters shouldn’t have to go through the same thing because they don’t know the history.”