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2013/01/20

韓国人慰安婦の3~4割が「償い金」を受け取っていた

ファンは実は大人しい人物だった?
活動家に利用された慰安婦

激高した女性活動家とはユン・ミヒャンの事だろうと想像されるが、10年前に産経のソウル支局を訪れた慰安婦とは誰だったのか?今月3日に亡くなったファン・クムジャだろうか?ファンはカメラの前では派手なパフォーマンスで有名だったから、所在無げな様子だったとすれば少々意外である。挺対協が引っ張り出してくる慰安婦とすれば候補は多くないはずなのだが・・・。

黒田が言うように、慰安婦たちは利用されていると見るべきだろう。そして支援団体こそが、今も昔も問題解決の最大の障害であった。

236人中61人ならば25%という事になるが、黒田の計算は償い事業が行われていた当時の登録者数に基づいているのだろう。韓国人慰安婦の3割から4割が、支援(!)団体の激しい妨害工作にも関わらずアジア女性基金から「償い金」を受け取っていたという現実をどう考えるかだが・・・。

こんな写真が美談として報じられた事も(2012.7)

公道上に不法に設置されながら、当局が撤去させられずにいる日本大使館前の慰安婦像について、大使館警備の警察官までテレビで堂々と慰安婦像を守ると宣言しているというから、これでは当局も手が出せないはずである。

ソウル・黒田勝弘 対日強硬派、解決阻む

ソウルの日本大使館玄関前に反日団体が置いた慰安婦記念像が、昨年12月で設置1年になった。今や“反日名所”として日本人を含め内外の見学者が絶えない。1周年で記念イベントなど盛り上がりが予想されたが、大統領選で関心がそがれ比較的静かだった。

それでもマスコミは、テレビなどが特集をやっていた。韓国に抗議する日本人による嫌がらせ的パフォーマンスがあったといって「受難の少女像」などと、反日番組に仕立てたものだったが、大使館警備の警官への現場インタビューで「元慰安婦のおばあさんたちは気の毒だ。日本が憎い。記念像はしっかり守ります!」などと言わせていた。

火炎瓶やトラック突入など“反日テロ”から大使館(外国公館)を守るというのではなく、無許可・不法施設の慰安婦像の方を守るというのだ。

現場の警官に平気でそんなことを言わせ、それをテレビで堂々と放送するのだからすごい。相変わらず日本非難なら何でもありだ。

季節のせいだろうか、年末から年初にかけ老齢の元慰安婦2人の死亡がニュースになっていた。彼女らは反日支援団体とマスコミによって今や「抗日独立運動功労者」並みの扱いだから、新聞には顔写真付きで必ず死亡記事が掲載される。

その一人は今から10年ほど前、支援の女性活動家に連れられ産経新聞ソウル支局に抗議に来たことがある。筆者が日本で出版した著書(文春新書「韓国人の歴史観」)が問題だというのだ。「旧日本軍将兵のために苦労した元慰安婦に対し現代の日本人の一人として述べる言葉があるとすれば『感謝と慰労』だと思う」と書いた部分がケシカランという。

抗議は「感謝と慰労では日本に協力したということになるから認められない。あれは強制だった」といって聞かないのだ。

しかし、激高する女性活動家をよそに、元慰安婦の老女は所在なげで論争には加わらなかった。圧力材料(?)として連れてこられたように見えた。以来、支援団体は老女たちを率いて10年以上、日本大使館前で毎週デモを続けている。

ところで最近、慰安婦問題をめぐって1995~2007年に日本の官民合同で設立、運営された「アジア女性基金」への再評価論が出ている。基金は韓国をはじめ、各国の旧日本軍関連慰安婦に対し「償い事業」を行った。当事者には慰労金や「おわびと反省」の首相書簡を伝達したのだが、韓国で批判が強く事態解決にはつながらなかった。

韓国政府に登録され生活支援を受けてきた元慰安婦は236人。その後、高齢で多くが死亡し現在、58人しか残っていない。

このうち基金の支援を受けとった人数はこれまで非公表だったが、実際は61人いたことが分かった(日本大使館筋)。基金を推進した和田春樹・東大名誉教授は後に「過半数には及ばなかった」と振り返っているが、実際は、当時の30~40%が日本の措置に賛同していたことになる。

基金からの支援を受け取った元慰安婦たちは支援団体から村八分的に排除された。人道支援を拒否し、あくまで日本政府に対する「法的(国家的)謝罪」と「国家補償」を執拗(しつよう)に要求する現在の運動は、残った拒否者と支援団体で続けられた。対日強硬派の支援団体が問題解決の大きな障害になっていることが分かる。

産経 2013.1.19

2011/07/17

表彰される慰安婦



元日本軍慰安婦ファン・クムジャとイ・オクソンが李明博大統領から表彰された。財産を公共の福祉の為に寄付した功績が認められた。ファン・クムジャの寄付のニュースに関しては以前のエントリー参照。



李明博大統領が15日大統領府で開かれた「分かち合いと奉仕の主人公褒賞」の行事で生涯に集めた財産1億ウォンを寄付した日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ氏に国民勲章椿章を歩いてくれている。 イ大統領はこの日行事で「分かち合いと奉仕の美しい香りが全国津々浦々に広がることを願う」と明かした。 褒賞受賞者は国民勲章7人、国民褒章9人、大統領表彰5人、国務総理表彰3人...

이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 ‘나눔과 봉사의 주인공 포상’ 행사에서 평생 모은 재산 1억원을 기부한 일본군 위안부 피해자 황금자씨에게 국민훈장 동백장을 걸어주고 있다. 이 대통령은 이날 행사에서 “나눔과 봉사의 아름다운 향기가 전국 곳곳에 퍼지기를 바란다”고 밝혔다. 포상 수상자는 국민훈장 7명, 국민포장 9명, 대통령 표창 5명, 국무총리 표창 3명이다. 최고 등급인 국민훈장 무궁화장은 아프리카 수단에서 의료봉사활동을 펼치다 지난해 숨진 고 이태석 신부에게 돌아갔다.


イ・ミョンバク大統領が15日大統領府で開かれた国民が直接選んだ「分かち合いと奉仕の主人公」褒賞式および昼食会で、日本軍慰安婦被害者で2千万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付したイ・オクソン(81)ハルモニに国民褒章を授与している。




박동욱 기자 = 이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 국민이 직접 뽑은 '나눔과 봉사의 주인공'포상식 및 오찬에서 일본군 위안부 피해자로 2천만원을 보은군민장학회에 기부한 이옥선(81) 할머니에게 국민포장을 수여하고 있다.




イ・オクソンに関して、先月のニュースから・・

家の前の門に太極旗を掲揚して愛国精神を強調して有名税をせい減らしたイ・オクソン(女・81・写真・報恩郡(ポウングン)、俗離山面(ソンニサンミョン)社内リ)氏が政府褒賞国民推薦国民褒章受賞者に選ばれた。

国民推薦褒賞制は難しい環境で奉仕と寄付、先行を持続実践した隠れた功労者を国民の手で発掘して政府次元で褒賞するために導入した制度だ。 イ氏は日本軍慰安婦被害者で政府の基礎生活需給金と女性部が慰安婦被害者にあたえる生活安定支援金などを節約して一生集めた全財産2000万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付した。

イ氏は幼い時難しい生活環境で学習の夢をあきらめなければならなかっただけでなく慰安婦被害によってひっそりと静まって生涯を生きていくべきである痛みがあったが“国が富強にするなら人材を育てなければならなくて、それでもう二度と国を失う不幸がないように人材を育てなければならない”面人材養成に強い情熱を現わした。

今でもイ氏は学習に対する情熱で読書と文を書くのに熱中するなど学習を継続している。

집 앞 대문에 태극기를 게양하며 애국정신을 강조해 유명세를 탓던 이옥선(여·81·사진·보은군 속리산면 사내리)씨가 정부포상 국민추천 국민포장 수상자로 선정됐다.


국민추천 포상제는 어려운 환경에서 봉사와 기부, 선행을 지속 실천한 숨은 공로자를 국민의 손으로 발굴해 정부 차원에서 포상하기 위해 도입한 제도다. 이씨는 일본군 위안부 피해자로 정부의 기초생활수급금과 여성부가 위안부 피해자에게 주는 생활안정지원금 등을 절약하여 평생 모은 전 재산 2000만원을 보은군민장학회에 기부했다.


이씨는 어린시절 어려운 생활환경으로 배움의 꿈을 접어야 했을 뿐만 아니라 위안부 피해로 인해 남몰래 숨죽여 평생을 살아가야 하는 아픔이 있었지만 “나라가 부강하려면 인재를 키워야 하고, 그래서 두 번 다시 나라를 잃는 불행이 없도록 인재를 키워야 한다”면 인재양성에 강한 열정을 나타냈다.


지금도 이씨는 배움에 대한 열정으로 독서와 글쓰기에 열중하는 등 배움을 이어가고 있다.

東洋日報 2011.6.29

2010/12/27

慰安婦生活で指が曲がる【ファン・クムジャ】収入の内訳



ファン・クムジャ(グムジャ)の寄付を伝えるニュースだが、前回のエントリーとかわって、こちらは日本語記事がソースなので、機械翻訳より情報としての精度は高いだろう。改めて彼女の収入の内訳が垣間見できる。

80歳を超えても「古紙を集めて売り、生計の足しにしてきた」というから、働き者で倹約家であることは事実なのだろうし、それを寄付したというのも美談ではあるのだろう。しかし・・・

元慰安婦を対象とした生活安定支援金136万ウォン(約9万8000円)と、生活保護費36万ウォン(約2万6000円)を受け取っている。家族がいないファンさんは、洞事務所(区の出張所)が運営する、自宅近くの無料給食施設で三度の食事を取っている。

という話を読むと困惑を禁じ得ない。生活安定支援金とは年額なのだろうか、それとも月額なのだろうか?これが月額だとすれば、最大で14万円に満たない東京特別区の生活保護と殆ど変らない。

いくら倹約家と言っても、2年おきに217~290万円(3~4千万ウォン・現在のレートで計算)の寄付が出来るというのは、ちょっと一般の日本人の慰安婦に対するイメージを変えてしまうのではないだろうか?

過去の話にしても、慰安婦問題に興味を持ってから娼婦のノンフィクションを読むようになったが、特有の職業病として子どもが出来にくい体質になる、性病による後遺症と言った話はよく目にしたが、指がつぶれるという話は聞いたことがない。

彼女の場合は、「日本兵に軍靴で踏み付けられたため、節々がよじれたり、つぶれたりし、無傷な指は1本もない」という有様だという。普通は部屋の中では靴は脱ぐはずだから(慰安婦が脚絆を巻いてくれたという証言もあれば、時間がないから靴はそのままと言われたという話もあるにはある)、どういう状況でそんな目にあったのか分らない。日本軍では、日常的に慰安婦を拷問していたという事なのか?

日本統治下の朝鮮半島で警察に捕まったというから、事実とすれば「強制連行」説を裏付ける貴重な証言者であるということになるのだが・・・。




旧日本軍の従軍慰安婦だったファン・グムジャさん(86)は、ソウル市江西区登村洞の狭いアパートに、17年にわたって住んでいる。30年ぶりの寒さというここ数日間、部屋の床は足がしびれるほど冷たいが、ファンさんは暖房費を抑えるため、部屋の中でも厚いジャンパーを着用している。  ファンさんは政府から、元慰安婦を対象とした生活安定支援金 136万ウォン(約9万8000円)と、生活保護費36万ウォン(約2万6000円)を受け取っている。家族がいないファンさんは、洞事務所(区の出張 所)が運営する、自宅近くの無料給食施設で三度の食事を取っている。アパートの家賃は月に7万ウォン(約5000円)、電気・ガス・水道の料金は3万ウォ ン(約2200円)前後で、小遣いを除いた約25万ウォン(約1万8000円)はすべて銀行に預金している。昨年までは古紙を集めて売り、生計の足しにし てきたが、体調が悪化したため辞めた。

ファンさんは、こうしてためた3000万ウォン(約216万円)を、生活が苦しい大学生のための奨学金として、今年も江西区へ寄付した。2006 年に4000万ウォン(約288万円)を寄付して以来、08年に3000万ウォンを寄付したのに続き、3回目となる。寄付した額をすべて合わせれば1億 ウォン(約720万円)になる。

咸鏡道(現・北朝鮮地域)で生まれたファンさんは、13歳ぐらいのときに日本の警察官に捕まり、興南(現・咸鏡南道咸興市)のガラス工場へ連れて いかれて3年間働き、その後、日本軍の慰安婦として間島(旧満州〈現・中国東北部〉の韓民族〈朝鮮民族〉居住地域)へ連れていかれた。このときに健康状態 が悪化し、その後たびたび病気に苦しめられただけでなく、周囲から仲間外れにされた。夜になれば誰かが部屋のドアをたたくような幻聴に苦しめられ、また制 服姿の高校生たちを見れば、旧日本軍の兵士かと思い込み、恐怖にさいなまれてきた。ファンさんの手の指は慰安婦時代、日本兵に軍靴で踏み付けられたため、 節々がよじれたり、つぶれたりし、無傷な指は1本もない。

ファンさんは、「わたしは国を失った民として、不幸な人生を送ってきたが、若い学生たちには幸せになってもらいたい」と話した。その平凡ながらも 痛切な願いは、ファンさんがどれだけ過酷な日々を耐えてきたかを物語るものだ。ファンさんが寒い部屋で我慢しながら、4年間にわたって提供してきた寄付金 は、正月に海外旅行へ出掛ける人たちだけでなく、子どもの家庭教師の費用も払えないほど生活が苦しい人たちも含めたすべての国民に、「決心さえすれば何で もできる」ということを物語り、そして実践を促すものだ。

朝鮮日報2010.12.27

2010/12/24

ファン・ハルモニの寄付【奨学金】計1億ウォンに



このような美談は素直に流すべきなのだろうが、慰安婦の寄付(資産状況)の問題は、 彼女たち(ファン・クムジャについては分からないが)のバックについている挺対協が彼女たちの代理人と称して日本政府に「賠償金」を要求しつつ、その遺産を寄付として受け取っているという現実と、日本の一部の国会議員が「金銭的補償」に熱心であることを踏まえて注目してきた。

ファン・クムジャの寄付の話を取り上げたのは昨年に続き二度目。

この状況でも、なぜああまでして「金銭的補償」にこだわるのか?岡崎トミ子は「被害者の名誉と尊厳の回復のため」と繰り返していたが・・・。



慰安婦ハルモニ、政府補助金などを節約して3000万ウォンを奨学金に

ソウル、江西区(カンソグ)は24日ファン・クムジャ(86)ハルモニが日本軍慰安婦生活安定支援金と国民基礎受給者生計費などを惜しんで貯めた3000万ウォンを寄付してきたと明らかにした。 ファン・ハルモニが区に奨学金を寄付したのは今回で三度目に、2006年に4000万ウォン、2008年に3000万ウォンなど計1億ウォンだ。

ファン・ハルモニは現在の江西区、登村洞(トゥンチョンドン)永久賃貸アパートで一人で生活しており、毎月支援される慰安婦生活安定支援金(約130万ウォン)と国民基礎需給界生計費(約36万ウォン)等を惜しんで奨学金にと寄付したと区は伝えた。

1924年咸鏡道(ハムギョンド)で生まれたファン・ハルモニは13才の時道を歩いていて日本の巡査に捕まってガラス工場に引きずられて行った(連行?)後また間島(カンド)地方に移り慰安婦生活で苦痛を受けた。

解放後、故国に帰ってきたファン・ハルモニは、カジョンブサリをしたり古物を拾って売って生活し、1994年登村洞賃貸アパートに定着した。 慰安婦生活の衝撃で苦痛を受けたハルモニは結婚の代わりに養子を育てたが、それまで10才の時失う痛みを経験しなければならなかった。

生涯を一人で暮らしてきたハルモニは「お金でもなければならない」という気持ちで政府補助金などをあくせく貯めた。 そのようにしてむやみにお金を貯めたファン・ハルモニは健康が悪くなるとすぐに実の息子のように過ごしたある福祉社の勧誘を受けて2006年から奨学金寄託を始めた。

ファン・ハルモニは「慰安婦生活は二度と考えたくない程苦痛だが、その代価で受けたお金は意味ある所に使わなければならないと考えた」と話した。

ファン・ハルモニが寄託した1億ウォンは(財)江西区奨学会で引き受け、毎年難しい大学生に奨学金で支給される。 江西区(カンソグ)は27日午後4時区庁庁長室でファン・ハルモニが参加して奨学金寄託式を開く予定だ。

世界日報2010.12.24



정부보조 생계비 모아 장학금 ‘기부 천사’

[세계일보]위안부 할머니가 정부 보조금 등을 절약해 3000만원을 장학금으로 내놨다.

서울 강서구는 24일 황금자(86·사진) 할머니가 일본군 위안부 생활안정지원금과 국민기초수급자 생계비 등을 아껴 모은 3000만원을 전달해왔다고 밝혔다. 황 할머니가 구에 장학금을 전달하기는 이번이 세 번째로 2006년 4000만원, 2008년 3000만원 등 모두 1억원이다.

황 할머니는 현재 강서구 등촌동 영구임대 아파트에서 혼자 생활하고 있으며, 매달 지원받는 위안부 생활안정지원금(약 130만원)과 국민기초수급계 생계비(약 36만원) 등을 아껴 장학금으로 전달했다고 구는 전했다.

1924년 함경도에서 태어난 황 할머니는 13살 때 길을 걷다 일본 순사에게 붙잡혀 유리공장으로 끌려간 뒤 다시 간도 지방으로 옮겨가 위안부 생활로 고통받았다.

광복 후 고국에 돌아온 황 할머니는 가정부살이를 하거나 고물을 주워 팔며 살아오다 1994년 등촌동 임대아파트에 정착했다. 위안부 생활의 충격으로 고통받던 할머니는 결혼 대신 양자를 키웠지만 그마저 10살 때 잃는 아픔을 겪어야 했다.

평생을 혼자 살아온 할머니는 ‘돈이라도 있어야 한다’는 마음으로 정부 보조금 등을 악착같이 모았다. 그렇게 무작정 돈을 모은 황 할머니는 건강이 나빠지자 친아들처럼 지내던 한 복지사의 권유를 받고 2006년부터 장학금 기탁을 시작했다.

황 할머니는 “위안부 생활은 두번 다시 생각하고 싶지 않을 만큼 고통스럽지만, 그 대가로 받은 돈은 의미 있는 곳에 써야겠다고 생각했다”고 말했다.

황 할머니가 기탁한 1억원은 (재)강서구장학회에서 맡아 매년 어려운 대학생에게 장학금으로 지급된다. 강서구는 27일 오후 4시 구청 청장실에서 황 할머니가 참석한 가운데 장학금 기탁식을 열 예정이다.

안용성 기자