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2011/07/17

表彰される慰安婦



元日本軍慰安婦ファン・クムジャとイ・オクソンが李明博大統領から表彰された。財産を公共の福祉の為に寄付した功績が認められた。ファン・クムジャの寄付のニュースに関しては以前のエントリー参照。



李明博大統領が15日大統領府で開かれた「分かち合いと奉仕の主人公褒賞」の行事で生涯に集めた財産1億ウォンを寄付した日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ氏に国民勲章椿章を歩いてくれている。 イ大統領はこの日行事で「分かち合いと奉仕の美しい香りが全国津々浦々に広がることを願う」と明かした。 褒賞受賞者は国民勲章7人、国民褒章9人、大統領表彰5人、国務総理表彰3人...

이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 ‘나눔과 봉사의 주인공 포상’ 행사에서 평생 모은 재산 1억원을 기부한 일본군 위안부 피해자 황금자씨에게 국민훈장 동백장을 걸어주고 있다. 이 대통령은 이날 행사에서 “나눔과 봉사의 아름다운 향기가 전국 곳곳에 퍼지기를 바란다”고 밝혔다. 포상 수상자는 국민훈장 7명, 국민포장 9명, 대통령 표창 5명, 국무총리 표창 3명이다. 최고 등급인 국민훈장 무궁화장은 아프리카 수단에서 의료봉사활동을 펼치다 지난해 숨진 고 이태석 신부에게 돌아갔다.


イ・ミョンバク大統領が15日大統領府で開かれた国民が直接選んだ「分かち合いと奉仕の主人公」褒賞式および昼食会で、日本軍慰安婦被害者で2千万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付したイ・オクソン(81)ハルモニに国民褒章を授与している。




박동욱 기자 = 이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 국민이 직접 뽑은 '나눔과 봉사의 주인공'포상식 및 오찬에서 일본군 위안부 피해자로 2천만원을 보은군민장학회에 기부한 이옥선(81) 할머니에게 국민포장을 수여하고 있다.




イ・オクソンに関して、先月のニュースから・・

家の前の門に太極旗を掲揚して愛国精神を強調して有名税をせい減らしたイ・オクソン(女・81・写真・報恩郡(ポウングン)、俗離山面(ソンニサンミョン)社内リ)氏が政府褒賞国民推薦国民褒章受賞者に選ばれた。

国民推薦褒賞制は難しい環境で奉仕と寄付、先行を持続実践した隠れた功労者を国民の手で発掘して政府次元で褒賞するために導入した制度だ。 イ氏は日本軍慰安婦被害者で政府の基礎生活需給金と女性部が慰安婦被害者にあたえる生活安定支援金などを節約して一生集めた全財産2000万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付した。

イ氏は幼い時難しい生活環境で学習の夢をあきらめなければならなかっただけでなく慰安婦被害によってひっそりと静まって生涯を生きていくべきである痛みがあったが“国が富強にするなら人材を育てなければならなくて、それでもう二度と国を失う不幸がないように人材を育てなければならない”面人材養成に強い情熱を現わした。

今でもイ氏は学習に対する情熱で読書と文を書くのに熱中するなど学習を継続している。

집 앞 대문에 태극기를 게양하며 애국정신을 강조해 유명세를 탓던 이옥선(여·81·사진·보은군 속리산면 사내리)씨가 정부포상 국민추천 국민포장 수상자로 선정됐다.


국민추천 포상제는 어려운 환경에서 봉사와 기부, 선행을 지속 실천한 숨은 공로자를 국민의 손으로 발굴해 정부 차원에서 포상하기 위해 도입한 제도다. 이씨는 일본군 위안부 피해자로 정부의 기초생활수급금과 여성부가 위안부 피해자에게 주는 생활안정지원금 등을 절약하여 평생 모은 전 재산 2000만원을 보은군민장학회에 기부했다.


이씨는 어린시절 어려운 생활환경으로 배움의 꿈을 접어야 했을 뿐만 아니라 위안부 피해로 인해 남몰래 숨죽여 평생을 살아가야 하는 아픔이 있었지만 “나라가 부강하려면 인재를 키워야 하고, 그래서 두 번 다시 나라를 잃는 불행이 없도록 인재를 키워야 한다”면 인재양성에 강한 열정을 나타냈다.


지금도 이씨는 배움에 대한 열정으로 독서와 글쓰기에 열중하는 등 배움을 이어가고 있다.

東洋日報 2011.6.29

2011/07/03

上野千鶴子: 韓国の慰安婦運動のナショナリズム



家父長制、ナショナリズムを憎み、男性中心史観に反発して、慰安婦問題で日本の「歴史修正主義」と戦う上野千鶴子であるが、韓国の慰安婦運動に見られるナショナリズムは気になるようで・・・。

しかし、「挺対協のなかには『慰安婦』制度を日本の韓国に対する『民族絶滅』政策の一貫として位置づける説もあり」とは、何を今さらである。それは挺対協の初代共同代表であった人みずからが説いていたことではないか。

これは山下英愛の言説だが、「民族民主運動のなかで女性運動が認められるためのの生存戦略」というのは正しいだろう。なぜ朝鮮戦争時の慰安所が問題にならず、日本軍の慰安所に限って国を上げた大騒ぎになるのか、それは、運動家たちがこの問題を加害国日本と被害国韓国という構図で宣伝したからだろう。これによって元慰安婦は“抗日独立運動家”並みの英雄になり、国民的アイドルとなったのである。

...「軍隊性奴隷」パラダイムは、韓国の反日ナショナリズムのために動員されている。挺対協のなかには「慰安婦」制度を日本の韓国に対する「民族絶滅」政策の一貫として位置づける説もあり、民族対立が強調される。

「『慰安婦』問題に対する民族言説的な見方は、自民族中心的で多民族、他地域の被害者とのあいだに壁を築き、分断をもたらす」と山下ははっきり明言する。

韓国女性運動の民族主義的傾向は、「民族民主運動のなかで女性運動が認められるためのの生存戦略」であった、と山下(英愛)は見るが、他方、「国際的な連帯運動における女性問題としての盛り上がりに比べて、国内の女性運動や人権運動に及ぼした影響は極めて小さい」と山下は見る。「その理由は...そもそも国内では主に民族問題として接近し、しかも『慰安婦』に関する民族言説を覆す努力がほとんどなされてこなかったことにある。」 

山下が紹介するキム・ウンシルによれば、

民族主義言説は性の蹂躙という記表に、より大きな象徴的意味を与えることによって、女性経験の特殊性を否認し、これを民族問題として普遍化する。言い換えれば女性でなく韓民族が日本という強姦犯によって蹂躙されたのである。民族問題であるために、強姦の犯罪はそれが日帝によって行われるまでは民族言説ではまったく意味を付与されない


民族言説は女性を「民族主体」のなかに取り込むことによって、もっとはっきり言えば女性の利害を男性の利害に一体化(その実、従属)させることによって、ナショナリズムの動員のために利用する


少し孫引きが多くなってしまうので、山下英愛の元の文章(「『慰安婦』問題の認識をめぐって」季刊アクロス 憲法を生かす市民の会季刊誌1944.11)を確認するまでは自分用のメモという位置づけで。

2011/05/06

500人の青少年がナヌムの家で孝行



以前のエントリーで、韓国では朝鮮が弱い国であったから慰安婦という犠牲者を出したという風に子供たちが教えられていると指摘したが、有りがちなことで、その時は実例を探し出すことが出来なかった。

つまり戦後の日本ではありえないような富国強兵論、それも子供に向けた「我が国は強くならねばならない」式の訓話が韓国では珍しくないようで、慰安婦問題もその線で教えられているという現実がある。

日本海呼称問題などにも言えることだが、日本と韓国の間の議論が非対称、つまり日本が常に受身になっていたり、韓国側のアプローチがしばしば非正攻法(外交上の信義にもとるやり方)によってなされているのは、韓国人(韓国系)がこういう教育を基礎にして、慰安婦問題その他に取り組んでいるからだろう。

本題であるが、韓国人元日本軍慰安婦は、世界中で最も幸福な老後を過ごしている女性たちだろう。 この頃、東北日本の被災老人たちは、「避難の高齢者ら 症状悪化のおそれ(NHK)」という状況にあった。


京畿広州で青少年500人「 孝宴」

日本軍慰安婦被害ハルモニたちのために特別な孝宴(?)が子供の日の5日京畿広州市退村面ナムヌの家で青少年500人余りが参加して開かれた。

ナムヌの家と付設日本軍慰安婦歴史館の主催で全国20余りの中・高校の生徒たちで構成されたナムヌの家を助ける全国連合会と光州中央高、グァンナム高、용인外国語高校、ハニョン外国語高校、トクソ高(?)、ヤンソ高(?)、東亜放送芸術大学の学生たちが主導した。

城南(ソンナム)地域の中高校生で構成された城南市(ソンナムシ)ある心奉仕団、水原・龍仁(?)地域の小中高校生が集まった種(?)奉仕団、元校長を中心に構成された大韓青少年忠孝団京畿道連盟なども参加した。

ナムヌの家院長遠行僧侶は「ハルモニたちの辛い歴史を記憶して問題解決のために参加しなければならない」として「今日孝宴は被害者ハルモニの名誉と人権回復のための実践的な行動」と話した。

ナムヌの家を助ける全国連合会長二枚で三年生のカン・ハヨンさんはハルモニたちの前で読んだ手紙で「無力な国で生まれ、悪辣な試練を体験して口に出来ない悲しみに過ごした歳月を誰が補償しますか」として「今は堂々とこの孫娘が、私たちがハルモニたちの尊厳を守ります」とした。

亡くなった慰安婦被害者に対する黙祷に続き、参加学生たちが「母の心」を合唱しながら孝行(?)の宴が始まった。 学生たちは歌と踊り、演奏、コメディ、マジックなど多様な公演を準備してハルモニたちを楽しくした。 カン・イルチュル(83)は「子供の日なのにこのように孝行(?)の宴を用意した学生たちは立派だ」としてほほえましい表情で公演を見守った。

全国に生存する日本軍慰安婦被害ハルモニ75人の内、9人がナムヌの家で生活している。

ナムヌの家は、2003年始めた全国巡回愛国キャンペーンを来る6月6日城南市庁で進行して、第3回全国学生作品公募前参加作を6月30日まで受け付ける。 また、ナムヌの家を助ける全国連合会はナムヌの家専門療養施設敷地に国際平和人権センターを建設するために「レンガ一枚を積む運動」を展開している。


“위안부 피해 할머니들의 존엄, 저희가 지켜드릴게요”

ㆍ경기 광주서 청소년 500명 ‘효 잔치’

일본군 위안부 피해 할머니들을 위한 특별한 효 잔치가 어린이날인 5일 경기 광주시 퇴촌면 나눔의집에서 청소년 500여명이 참가한 가운데 열렸다.

나눔의집과 부설 일본군위안부역사관 주관으로 전국 20여개 중·고교 학생들로 구성된 나눔의집을돕는전국연합회와 광주중앙고, 광남고, 용인외고, 한영외고, 덕소고, 양서고, 동아방송예술대학 학생들이 주도했다.

성남지역 중고생들로 꾸려진 성남시 한마음봉사단, 수원·용인지역 초·중고생들이 모인 씨앗봉사단, 전직 교장을 중심으로 구성된 대한청소년충효단 경기도연맹 등도 참가했다.

나눔의집 원장 원행 스님은 “할머니들의 아픈 역사를 기억하고 문제 해결을 위해 동참해야 한다”며 “오늘 효 잔치는 피해자 할머니들의 명예와 인권회복을 위한 실천적인 행동”이라고 말했다.

나눔의집을돕는전국연합회장 이매고 3학년 강하연양은 할머니들 앞에서 읽은 편지에서 “힘없는 나라에서 태어나 모진 시련을 겪으며 말 못할 설움에 지냈던 세월을 누가 보상하겠습니까”라며 “이제는 당당하게 이 손녀가, 우리가 할머니들의 존엄을 지켜드리겠다”고 했다.

세상을 떠난 위안부 피해자에 대한 묵념에 이어 참가 학생들이 ‘어머니 마음’을 합창하면서 효 잔치가 시작됐다. 학생들은 노래와 춤, 연주, 개그, 마술 등 다양한 공연을 준비해 할머니들을 즐겁게 했다. 강일출 할머니(83)는 “어린이날인데도 이렇게 효 잔치를 마련한 학생들이 기특하다”며 흐뭇한 표정으로 공연을 지켜봤다.

전국에 생존한 일본군 위안부 피해 할머니 75명 가운데 9명이 나눔의집에서 생활하고 있다.

나눔의집은 2003년 시작한 전국순회 나라사랑 캠페인을 오는 6월6일 성남시청에서 진행하며, 제3회 전국학생작품 공모전 참가작을 6월30일까지 접수한다. 또 나눔의집을돕는전국연합회는 나눔의집 전문요양시설 부지에 국제평화인권센터를 건립하기 위해 ‘벽돌 한 장 쌓기 운동’을 전개하고 있다.

[NHK]

宮城県石巻市などの避難所に身を寄せる被災者のうち、介護が受けられる場所に移らなければ症状が悪化するおそれのある高齢者などが66人に上っていることが、医師のグループの調査で分かりました。

宮城県の石巻赤十字病院を中心とした医師のグループは、先月22日から今月4日にかけて、石巻市と女川町の129の避難所で生活する被災者にアンケートを行いました。それによりますと、日常生活の様子などから、介護が必要な状態の人で、介護の設備が整った「福祉避難所」などに移らなければ症状が悪化するおそれのある高齢者などは、66人に上るということです。このうち、半数以上の36人は「1人でトイレに行くことができない」などと回答しているほか、「認知症の症状が出ている」という人も19人いました。調査に当たった石巻赤十字病院の石井正医師は「これから避難生活がさらに長期化すると思われるので、被災者の症状を悪化させないための対策を早急に検討する必要がある」と指摘しています。(5月6日4時53分)

2011/04/26

「貢女」と日本軍慰安婦


元慰安婦が韓国の中高生を相手に、私たちのような犠牲者を出さないよう韓国を強い国にしておくれと説教するのは、慰安婦が「貢女」のイメージで語られることが多いからだろう。これがすなわち、千田夏光以来の「従軍慰安婦強制連行」のイメージである。

韓国人も「慰安所内の強制が問題」だなどとは思っていないのである。ただし、イ・教授が米軍相手の洋公主も同列に置いているのは興味深い。

なお、女性を貢がせるというのは、国家間の力関係だけでなく、身分の上下によっても生じたはずである。朝鮮に限らず、日本の歴史にもそういった例は事欠かない。いや、朝鮮の歴史にもあったのではないか?


高麗・朝鮮王朝時代の「貢女」の実態とは

高麗時代から朝鮮王朝時代まで続いた「恥辱」

娘が候補になると、顔に薬を塗って傷を付けることも

「娘が生まれたら秘密にしたまま暮らす。他人に知られるのが心配で、隣人にも娘を見せられない。娘を隠していた事実が発覚すれば、村全体が害を被ることになり、親族を縛って取り調べ、屈辱を与える。処女を選ぶ過程でわいろが取り交わされるが、金がある者は切り抜け、金がない者は連れて行かれる」

高麗時代、李穀(イ・ゴク)=1298-1351=がはるか遠くの元の皇帝に差し出した上訴は、切々としている。李穀が訴えたのは、ことあるごとに中国に献上しなければならなかった「人間の献上品」こと貢女のことだ。恥辱の歴史は、5世紀初めまでさかのぼる。高句麗・新羅から中国の北魏に、女子を送ったという記録がある。貢女の献上が最も盛んに行われたのは、高麗後期から朝鮮王朝時代にかけてだった。ソウル大学奎章閣のイ・インスク人文韓国(HK)事業研究教授は、今月末に出版される『朝鮮人の海外旅行』(文字の甕社)で、『高麗史』と『朝鮮王朝実録』を中心に貢女の残酷な実態をまとめた。

■自害・早婚で抵抗することも

高麗時代の元宗15年(1274年)、元が140人の婦女を連行したのを皮切りに、忠烈王・恭愍王代に元に対し献上した貢女は170人以上、44 回に上った。朝鮮王朝時代にも、太宗から孝宗の時代にかけて、明・清に対し9回にわたり146人が献上された。学界では、中国の高官が私的に連れて行ったケースを合わせると、数千人に上ると推定している。

中国から、貢女を選ぶ「採紅使」が訪れると、朝廷では貢女選抜機関を臨時に設置し、巡察使が各地を物色して回った。だが、民衆の抵抗は激しかった。孝宗の時代、慶尚道の鄭煌(チョン・ファン)という人物は、娘が貢女候補になったことを知るや、娘の顔に薬を塗って傷を付けた。また、娘を出家させるケースもあった。高麗時代には、乳飲み子を乳母が抱いて嫁がせることまであった。そのため朝鮮王朝時代には、世宗が「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」という法令を公布しなければならないほどだった。

朝鮮王朝時代の太宗8年4月、各地から処女30人が選ばれ、ソウルに移送された。父母を亡くして3年以内の女性や、息子がいない家の一人娘を除いた 7人が、景福宮での最終審査に臨んだ。しかし中国の使臣は「美しい女がいない」として官吏を棒で打とうとした。娘たちも指名を避けようと、体に障害があるかのように口をゆがめたり、足を引きずったりした。最終的に、娘たちの父親は全員罷免されたり、流刑に処されたりした。同年7月、再び選抜が始まった。太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」について、厳罰に処するという号令を下した。

■国内外の権力関係を反映

貢女たちのほとんどは、他国で人妻や「めかけ」として人生を終えたが、中には皇帝の目に留まり妃嬪(ひひん=君主の側室)の地位を与えられ、権力の道を歩む者もいた。高麗出身の奇皇后は、母国高麗の王位継承に関与するほどだった。貢女出身の妃嬪の父や兄も「皇親」として権勢にあずかった。奇皇后の兄・奇轍(キ・チョル)は、高麗国王と並んで馬に乗り、歓談した。朝鮮王朝時代の太宗・世宗の代に相次いで2人の妹を貢女として送った韓確(ハン・ファク)=1403-56=は、右議政や左議政(共に現在の副首相クラス)などの要職を歴任した。韓確が密通に及んだ事実が発覚した際も、世宗は「罰せられない人物」だとして黙認するしかなかった。

中国は大陸に新たな権力が誕生したり、国内の国家権力が不安定になるたびに貢女を要求した。高麗や朝鮮の新たな支配者にとって、大国の承認を得ることは最大の急務だった。世宗でさえ、貢女の献上は「国内の利害のみならず、外国にも関係することなので、ただ(中国皇帝の)令に従うのみ」と語った。イ教授は「貢女は、中世国家の欲望と男性の欲望が凝縮された国家間の力学関係から生じた副産物。特定の時期に起こった事件というレベルを越え、その後も“慰安婦”、“洋公主(米兵を相手にする歓楽街の女性)”のように、強大国と弱小国の間で繰り返されてきた」と語った。

朝鮮日報2011.4.24  

関連エントリー: 500人の青少年がナヌムの家で孝行