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2016/07/14

矢嶋宰が性転換?希望の蝶欧州ツアーに合流

ハンギョレ紙より
本当にこの女性が矢嶋か?

ドイツで慰安婦問題を拡大中の矢嶋宰が、現在ヨーロッパで告げ口外交中の韓国の<希望の蝶>と合流したようである。昨年は、<関西ネットワーク>のメンバーがドイツで<希望の蝶>のデモに参加している。ドイツにおいては日本人運動家の活躍が目立つ。矢嶋は相変わらず変人ぶりを発揮しているが、もはや日本の一般市民は彼らに同調してくれないと認めている。彼は、日本政府と「合意」した韓国政府にまで文句を言ってる。

経歴は矢嶋のものと一致する

希望の蝶のメンバーが、韓国人以外の慰安婦の話を持ち出すようになったのは、アメリカで活動中のキム・ヒョンジョン(KAFC)と同じ理由からだ。韓国政府が日本と手打ちしてしまったので、日韓意外の国を巻き込んで問題を蒸し返そうと謀っているのである。・・・ところで、ハンギョレの記事によれば、矢嶋はいつの間にか女性になっている。単なる記者の勘違いなのか?

[インタビュー]韓国政府は「慰安婦」被害者を無視してまで合意するのですか

韓国人より「慰安婦ハルモ二」を愛したマリオさん

写真家のマリオさん(本名・矢嶋宰)は日本人であるにもかかわらず、韓国人よりも韓日政府による昨年の「12・28合意」に憤慨している。「あんな風にハルモ二(おばあさん)の意思を無視してもいいでしょうか?なぜ政府が被害者を差し置き勝手に合意するようなことができるのですか?」

日本政府は仕方ないとしても、韓国政府の態度は理解できない。「加害者の日本政府の立場をそのまま受け入れました。日本政府はこれ以上の責任がないと確実に念を押したのです。ハルモ二たちが謝罪と賠償を要求すると、日本政府はこの合意を口実に自分にはそのような義務がないと主張できるようになりました」

彼女は社会人になったばかりの頃、朝日新聞(注:アサヒグラフか?)で3〜4年間、写真記者として働いた後、フリーランスに転向した。大学生の時から関心を持っていた「日本軍慰安婦」問題をもっと深く掘り下げするために、2002年に韓国の京畿道広州(クァンジュ)にあるナヌムの家を訪ねた。2003年からはナヌムの家でハルモ二たちと共に暮らし始めた。本人もハルモ二たちとの共同生活を望んでいたが、「頻繁に訪ねてくる日本人訪問者のための通訳や案内を引き受けてもらいたい」とハルモ二たちに頼まれたからでもあった。2006年にナヌムの家を出た後は、日本には帰らずにドイツで活動している。

「日本はこの問題を解決できません。政府だけでなく、市民社会も関心がありません。昔はその内容を知らなかったからという言い訳もできましたが、今は若者でさえ皆知っているのに、動こうとしません。彼らのほとんどは、政府が主張するように、自ら望んで慰安婦になった、1965年の日韓交渉の際、両国政府によって解決された問題だと簡単に信じてしまいます。その方が楽ですからね」

7月3日、ベルリンのブランデンブルク門前のパリ広場を訪れて、(「蝶の夢」の)キャンペーンを目にした日本人女性観光客から聞いた話に、彼女のショックを受けた。「『韓国人があんなことをするから日韓関係が悪くなる、日本は十分謝罪したのではないか、なぜこんな行動に出るのかわからない』と、安倍首相の言葉をそのまま繰り返していました

とんでもないと思ったが、マリオは日本軍慰安婦の真実を世の中に知らせるのがどれだけ大切なのかを改めて痛感させられたという。「日本軍慰安婦問題は、韓国人だけの問題ではありません。女性の人権が踏みにじられたことに関する問題であり、帝国主義の歴史を清算する問題でもあります。2度と戦争と女性の人権に対する蹂躙が繰り返されないようにする、人類の歴史の発展の契機が内包された問題です」

彼女は「蝶の夢」キャンペーンに胸を打たれた。キャンペーン方法も印象的だったが、「韓国の活動家たちのほとんどが韓国の被害者の話をするだけだったのに、今回のキャンペーンではアジアひいてはヨーロッパの被害者ハルモニたちについても一緒に話している」からだ。

自ら進んで「蝶の夢」一行を率いて、ヒトラーが放火したものを社会混乱勢力の仕業だとねつ造し、社会主義者や共産主義、さらには同性愛者まで拘禁・拷問して殺害するために使われていた帝国議会の建物、学生と教授がナチスに抵抗していたフンボルト大学、ユダヤ人虐殺の記憶を刻んでいるホロコースト記念館、「戦争と国家暴力の犠牲になった人のため殿堂」、ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」像などに案内した。

彼女はその間ずっと韓国語で説明していた。慶尚道と全羅道の方言が少しずつ混ざっている韓国語だった。「様々なところから来られた「ナヌムの家」のハルモ二たちに教わったから」そうなったそうだ。

2014/07/16

ドイツ・コリア協会と矢嶋宰 「安倍政権は日本の歴史歪曲の結果」


日本に対する誤解を海外で拡大させる日本人もいる
左はハン・ジョンファ

「ドイツ政府には左右を問わず過去清算に対する合意が形成されているが、日本の保守政党は侵略戦争美化を絶えず試みてきた。 安倍政権の問題は突然始まったことでない」。・・・たとえ「慰安婦問題の解決を!」の人であっても、まともな人なら、韓国系の運動家が出鱈目な話をしていることやドイツ軍にも「慰安所」が存在したことを承知しているはず。矢嶋宰のような人間は、生まれ変わりでもしなきゃ改まらないのだろう。小林よしのりの言うところの「真っ直ぐ君」である。

彼については過去のエントリーに譲るが、彼の隣に写っているのがコリア協会(Korea-Verband)のハン・ジョンファ代表(Nataly Jung-Hwa Han?)と思われる。矢嶋は以前にもこの女性と一緒の写真に写っており、記事にもあるように、二人三脚でドイツにおける慰安婦キャンペーンを行っているらしい。コリア協会の代表自らKorean comfort womenを宣伝して回っているのだから、ドイツでもやっぱり慰安婦問題はディスカバー・コリアだった。

「日本軍の強制売春システム」について解説するハン2012年
韓国人ナショナリスト?と進歩的日本人のコラボ

Die Ausstellung „Frauen und Krieg“ über das System der Zwangsprostitution im Zweiten Weltkrieg durch das japanische Militär...(第二次大戦中の日本軍による強制売春システムに関する「女性と戦争」展)

ドイツが慰安婦に謝罪もせず、再軍備も果たし、多国籍軍の一員となって戦争に参加していることなど、バカバカしくて矢嶋の話にはつっ込む気にもならない。自分は何度かネットで真面目な(!)韓国人とこの問題について真剣な議論をしたこともあるが(それは決して徒労ではなかった)、矢嶋のような日本人とは話にならないだろう。こういう日本人は彼一人ではないが、本当に困った・・・というより迷惑な(日本)人達である。日本にとっても韓国にとっても。

「日本の継続的な歴史歪曲の結果が安倍政権」

軍慰安婦問題活動矢嶋宰

日本では1990年代に入り保守的な政治家・学者・言論などが持続的に歴史歪曲を試みてきました。 その結果が今の安倍政権です。 ドイツは社会全体に「ナチは絶対ならない」という合意がなされています。 日本とドイツの最も大きい相違点です」。

3日(現地時間)ドイツのベルリンで会った日本人写真作家矢嶋宰(43・写真)は前日安倍内閣が集団的自衛権を許容する閣議決定し、軍国主義の素顔を見せたことに対して「いつかこうした時がくると予想していた」として心配な表情を隠すことができなかった。 彼は2009年から韓国人市民団体であるコリア協会(Korea-Verband)のハン・ジョンファ代表とともに慰安婦ハルモニの被害事実をドイツ全域に知らせる活動を行っている。

<朝日新聞>カメラマン出身である彼は、2003年から慰安婦被害者ハルモニが集まって住む京畿道広州の「ナムヌの家」で3年間ボランティア兼研究員で仕事をし、ハルモニたちと縁を結んだ。

大学生の頃出会った韓国人の友達から慰安婦問題に接したという彼は、「私が、何かの助けになるかどうかは分からなかったが、カメラマンとして歴史の記録を残さなければならないと考えた」と言う。 初めには「なぜ日本人の男がここにいるのか」と怒ったり拒否感を見せたハルモニは時間が経過し徐々に心を開いた。 最近も時折インターネットの動画通話でお互いの安否を連絡する。 「3年共に過ごしたら、ナヌムの家のハルモニが本当に祖母のようです。 韓国語もハルモニに学んび、八道(?)訛りもすべてすることができるそうです」。

2006年の結婚と共にドイツに移住した後、彼はハン・ジョンファ代表とともにドイツ全土に慰安婦問題を知らせる活動を行っている。 慰安婦の記録フィルムの上映とハン・ジョンファ代表の講演矢嶋の写真プロジェクトをジョイントして慰安婦問題を多角的に見せる形式だ。 2009年末から今までドイツ都市20ヶ所余りを訪れた。 彼は「ドイツの市民社会は『歴史に誤りがあれば清算しなければならない』という共通した認識があるので、慰安婦の問題をすぐ理解し反応もいい」と付け加えた。 「ドイツ政府には左右を問わず過去清算に対する合意が形成されているが、日本の保守政党は侵略戦争美化を絶えず試みてきました。 安倍政権の問題は突然始まったことでないことでしょう。 反面ドイツは多くの時間とお金、人材を入れて過去清算に対する社会的合意を成し遂げました。 このような雰囲気なしで日本での過去清算は不可能です」

彼は「ドイツの68世代が『下からの清算』を引き出した反面、日本の68世代は戦争犯罪より米-日軍事同盟反対とベトナム戦争反対に集中した。 戦犯国である両国の差はここで生じた」と惜しんだ。 コリア協会は来月14日から17日までドイツのベルリンで開かれる平和フェスティバルのイベントに慰安婦ハルモニお二人を招待して「証言台会」を開催した後、旧東ドイツ地域とドイツ南部地域を回り、慰安婦被害を知らせるイベントを行う計画。

ベルリン文・写真チェ・ヘジョン ハンギョレ社会政策研究所首席研究員

ハンギョレ 2014.7.14

“일본의 지속적 역사왜곡 결과가 아베 정권”

군위안부 문제 활동 야지마 쓰카사
“일본에서는 1990년대 들어 보수적인 정치인·학자·언론 등이 지속적으로 역사왜곡을 시도해왔습니다. 그 결과가 지금의 아베 정권입니다. 독일은 사회 전체에 ‘나치는 절대 안 된다’는 합의가 이뤄져 있어요. 일본과 독일의 가장 큰 차이점입니다.”
지난 3일(현지시각) 독일 베를린에서 만난 일본인 사진작가 야지마 쓰카사(43·사진)는 전날 아베 내각이 집단적 자위권을 허용하는 각의(국무회의) 결정을 내리며 군국주의의 민낯을 보인 것에 대해 “언젠가 이런 때가 올 것으로 예상했다”며 걱정스런 표정을 감추지 못했다. 그는 2009년부터 한인 시민단체인 코리아협의회의 한정화 대표와 함께 위안부 할머니들의 피해 사실을 독일 전역에 알리는 활동을 벌이고 있다.
<아사히신문> 사진기자 출신인 그는 2003년부터 위안부 피해자 할머니들이 모여 사는 경기도 광주의 ‘나눔의 집’에서 3년간 자원봉사자 겸 연구원으로 일하며 할머니들과 인연을 맺은 바 있다. 대학 시절 만난 한국인 친구들에게서 위안부 문제를 접했다는 그는 “내가 무슨 보탬이 될지는 알 수 없었지만, 사진작가로서 역사의 기록을 남겨야겠다는 생각을 했다”고 한다. 처음에 “왜 일본 남자가 여기에 있냐”며 화를 내거나 거부감을 보였던 할머니들은 시간이 지나며 차츰 마음을 열었다. 요즘도 가끔 인터넷 영상통화로 서로의 안부를 전한다. “3년을 함께 지내다 보니 나눔의 집 할머니들이 진짜 친할머니 같아요. 한국말도 할머니들에게 배워서, 팔도 사투리도 다 할 줄 안답니다.”
2006년 결혼과 함께 독일로 이주한 뒤, 그는 한정화 대표와 함께 독일 전역에 위안부 문제를 알리는 활동을 벌이고 있다. 위안부 기록 필름 상영과 한정화 대표의 강연, 야지마의 사진프로젝트를 결합해 위안부 문제를 다각도로 보여주는 형식이다. 2009년 말부터 지금까지 독일 도시 20여곳을 찾았다. 그는 “독일 시민사회는 ‘역사에 잘못이 있으면 청산해야 한다’는 공통된 인식이 있기 때문에, 위안부 문제를 금방 이해하고 반응도 좋다”고 덧붙였다. “독일 정부에는 좌우를 막론하고 과거청산에 대한 합의가 형성되어 있지만, 일본 보수정당들은 침략전쟁 미화를 끊임없이 시도해왔습니다. 아베 정권의 문제가 갑자기 시작된 게 아닌 거죠. 반면 독일은 많은 시간과 돈, 인력을 들여 과거청산에 대한 사회적 합의를 이뤄냈습니다. 이런 분위기 없이 일본에서의 과거청산은 불가능합니다.” 그는 “독일의 68세대가 ‘아래로부터의 청산’을 이끌어낸 반면, 일본의 68세대는 전쟁범죄보다 미-일 군사동맹 반대와 베트남 전쟁 반대에 집중했다. 전범국인 두 나라의 차이는 여기에서 생겨났다”고 아쉬워했다. 코리아협의회는 다음달 14일부터 17일까지 독일 베를린에서 열리는 평화 페스티벌 행사에 위안부 할머니 두 분을 초청해 ‘증언대회’를 연 뒤, 옛 동독 지역과 독일 남부 지역을 돌며 위안부 피해를 알리는 행사를 벌일 계획이다.
베를린 글·사진 최혜정 한겨레사회정책연구소 수석연구원

2013/09/29

日本人写真家とドイツ人記者のコラボ記事


ドイツ版BBCといったところなのだろうか、ドイチェ・ヴェレに掲載された「慰安婦の悲しい物語」は、ドイツで活動する写真家、矢嶋宰の写真15枚を使った日本軍慰安婦問題のレポートである。この記事はコメント欄で凧さんから教えて頂いた

キャプションを書いたのはSonja Ernst。最初、解説がかなり「巧み」に慰安婦支援団体側の主張に沿って書かれているので、ドイツ人が書いたものではないだろうと思ったが、Sonja Ernstは南アジアや韓国を専門にするフリージャーナリストで、韓国滞在中には中央日報の英字版にも関わったらしい。

記事はアジア女性基金には触れておらず、女性基金を拒否することを条件に韓国政府が渋々提供した財政援助についてだけ触れている。朝鮮人の男に騙されたキム・スンドク(金順徳)も、ここではあたかも日本人に騙されて慰安婦にされたように語られている。アジア太平洋戦争という日本の左翼用語由来(?)の言葉も使っている。


矢嶋の考えは分からないが結果的にプロパガンダの拡散に加担してしまっている
The sad story of the "comfort women"

Ruined lives

Lee Sudan, now 88 years old, used to be a "comfort woman." An estimated 200,000 other girls and young women were forced to "comfort" Japanese soldiers during Asian-Pacific War. "Comfort" is the cynical euphemism the Japanese used; it was really prostitution into which the women were brutally forced.

Japanese war

Most of the prostitutes were from Korea, like Lee Sudan. She was 17 years old when she was kidnapped and taken to China. Korea had been a Japanese colony since 1910. In 1937 the war between Japan and China broke out and started the Second World War in Asia. Japan's greed for power and brutal Asian expansion cast a dark cloud over the entire continent.

Coping with the past

The Japanese photojournalist Yajima Tsukasa took portraits of "comfort women" in China and Taiwan. He lived in a South Korean home, "The House of Sharing," for the women from 2003 to 2006. There he took care of and photographed survivors like Pak Duri, who had been kidnapped and taken to Taiwan. The harsh beatings from the soldiers took a toll on her hearing and made her nearly deaf.

中央日報と縁のある記者だけに、ほぼ韓国側の主張に沿った解説

Sex slaves

The Japanese systematically organized forced prostitution; they set up military brothels on the frontlines. The war crimes that happened there were justified with cynical excuses, for example, that the authorities were trying to prevent mass raping from taking place in the occupied territories. Ji Dori was taken to a military brothel in China a few months before the war ended in 1945.

Bridging gaps

Yajima's grandfather was a soldier in China. He avoided the questions his grandson asked him about the war, so Yajima looked for the answers to his questions later as a photographer. The 39-year-old says he wants to bridge the gap that still exists between Koreans and Japanese.

Gaining trust

"I came as a man, a Japanese man no less, and as a photographer to the House of Sharing," said Yajima. "That was not easy for the women in the beginning. But they let me stay." He listened to and helped the women. Slowly but surely he gained their trust and friendship.

Never-ending torture

Kim Sundeok (left) and Oklyon (right) were sex slaves who survived the torture. Pak was kidnapped by the Japanese military and taken to a military brothel in what is now called Papua New Guinea. The girls and young women there had to be available for the men around the clock. They were raped by up to 40 men each day.

金順徳だとすれば、93年の時点では地元民による詐欺という話だった

False promises

Kim Sundeok(金順徳?) was taken to a military brothel in China at the age of 17. She had fallen for a false recruitment for nurses. The Japanese recruited young Korean women to work in China for a few months to earn a little money. Young women from poor families were looking for means to help their families financially. But their dreams ended with humiliation and violence.

Alone and far from home

Yajima Tsukasa visited Pak Seoun in China. The 93-year-old lives in the north eastern city of Jilin. The Korean woman had been taken to China in 1937 at the age of 20. After Japan's capitulation in August of 1945, the Japanese fled and left the "comfort women" behind. The young women were far away from home, traumatized and penniless.

Still alone

Pak Seoun stayed in China. She was too embarrassed to go back to her family. She married twice but both marriages ended in divorce. Her husbands had been unable to accept her past.

Suppressing the memories

After 1945 the comfort women did not speak of their hardships. The shame was too overwhelming and governments and societies never asked questions - neither in Japan nor in the previously occupied territories. Lee Okseon (left) also kept quiet. She had been taken to China at the age of 16 and stayed there. She started a family and didn't return to Korea until the year 2000.

The end

The year 1991 was an important year for Lee Okseon and other comfort women. Hak-Soon from Korea was the first to break the silence that year. She told her story on TV, which inspired other women to tell their stories, like Lee Okseon. The 82-year-old presented herself on an international stage and became active in the fight for recognition.

Japan should apologize

Comfort women from all over Asia came together. They all had a similar past and also shared the same feelings of anger toward the Japanese government, which to this day has still not officially apologized. Comfort women and others demonstrate each Wednesday in front of the Japanese embassy in Seoul. The 900th demonstration took place at the beginning of 2010.

The clock is ticking

Many of the comfort women remained childless and many fell into poverty. South Korea started offering the victims financial help in the mid-1990s. In China and Indonesia, however, many still live in poverty. The comfort women have started a movement and are demanding compensation from the Japanese government.

Fighting for dignity

Up to 1995, 235 comfort women had come out in South Korea; today there are only 82 left. The clock is ticking for the women, who are now over 80 and 90 years old. They broke the silence nearly 40 years after the atrocities happened to demand recognition and an apology from the Japanese government. Author: Sonja Ernst (sb) Editor: Thomas Baerthlein

2013/09/22

在独日本人「誇りを持って慰安婦運動に参加」 シュピーゲル誌

矢嶋の教科書には真珠湾攻撃について書かれていなかった?!

英訳して読んでいるので間違いがあるかもしれないが、シュピーゲルによれば「第二次大戦中日本の兵士たちが数万人の女性を拉致した(記事の中では、20万人が日本人によって拉致されたという説明もある)。彼らはいわゆる『慰安婦』を拷問し、レイプした。日本政府はこの犯罪を認めたことがない」「17ヶ国の出身者のうちの殆どは朝鮮人」だったということである。

はるばるドイツでこういった話を吹聴しているのが、少なくともその一部が日本人であるという話を信じ難い思いで聞く人もいるかもしれない。しかし、先日日本人留学生の方がコメントして下さったように、これは事実のようである。

ベルリン在住の学生です。

僕の友人がこの元慰安婦であったという方の講演会に足を運んでいたので話を聞いたところ、会場は満席で立ち見も出るくらいであり、韓国人やドイツ人だけでなく日本人も多く見受けられたとのことです。

正直ベルリンは土地柄リベラルな考えを持った人が多いと思うので、こういった女性の人権を盾にされてしまうと反論はできません。

(中略)

僕もベルリンで歴史のことについて話すことが何度かありましたが、僕の思う正しい歴史認識など全く相手にされません。史料や事実などは語るだけ無駄・・といった感じです。悔しいですが、土地柄かここに住んでいる日本人も反原発や自虐史観の方が(大変)多いです。[...]


シュピーゲルの記事は在独日本人矢嶋宰イ・オクソンの再会に焦点を当てている。この記事では、「生き証人」であるイ・オクソンは朝鮮人と日本人の私服姿の兵士に蔚山で拉致されたことになっている。日本政府は謝罪もしていないし、事実を認めもしないと。

そして矢嶋の説明だろうか。日本では石器時代や偉大なSAMURAIの時代(!)、広島長崎への原爆は習うが、日本軍の真珠湾攻撃によって戦争が始まったという事実は教えられていないと、日本で教育を受けた人間には到底理解できないような話をシュピーゲル誌は報告している。

独軍の慰安所は問題にしないのか?

矢嶋は、勇敢な『慰安婦』たちの運動の一翼を担っていることを誇りに思うと語っている。


Zwangsprostitution im Zweiten Weltkrieg: Japans Schande

Im Zweiten Weltkrieg verschleppten japanische Soldaten Zehntausende Frauen. Sie vergewaltigten und folterten die sogenannten "Trostfrauen". Die Regierung in Tokio hat die Verbrechen nie anerkannt. In Berlin kommen nun zwei Menschen zusammen, die das nicht hinnehmen wollen.

Tsukasa Yajima hat alles auf seinem Laptop, Schwarz auf Weiß, die Fotos der Überlebenden. Es ist 8 Uhr morgens, er sitzt in einem Bus nach Frankfurt.

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Die Frauen auf seinen Bildern legen Zeugnis ab von den Geschehnissen im Krieg, über die in Japan bis heute meist geschwiegen wird. Lee Ok-Seon, 86, ist der lebende Beweis. Die alte Dame mit dem weiß toupiertem Haar ist ebenfalls auf dem Weg nach Frankfurt, im Flugzeug, aus Seoul, der Hauptstadt Südkoreas.
Drei Jahre haben sie sich nicht gesehen, Tsukasa Yajima und Lee Ok-Seon, der 42-jährige Fotograf und die Frau, deren Schicksal er dokumentiert hat.

"Ich erzähl das nicht gern"

Die Geschichte beginnt am 29. Juli 1942, in der koreanischen Stadt Ulsan, als ein japanischer und ein koreanischer Soldat in Zivilkleidung nach der Hotelangestellten greifen. Lee Ok-Seon ist 15 Jahre alt. Die Männer verschleppen das Mädchen in ein japanisches Armeebordell nach China.

Die Entführer knebeln das Mädchen, fesseln es an Händen und Füßen und werfen es auf eine Lkw-Pritsche. Da sind schon fünf junge Frauen.

Korea war damals japanische Kolonie, als Verbündeter des Nazi-Regimes führte Japan Krieg gegen China und die USA. Noch in derselben Nacht brachten die Männer ihre Gefangenen über die Grenze in die nord-west-chinesische Provinzhauptstadt Yanji. Dort gab es zwei Vergnügungshäuser für japanische Soldaten, kleine Zimmer in Holzbaracken, eine Matte, eine Waschschüssel. Neun Mädchen arbeiteten hier, die Jüngste war elf Jahre alt.

Pro Zwangsprostituierte waren es 40 bis 50 Soldaten täglich, sagt Lee Ok-Seon. Sonntags waren die Schlangen vor den Baracken besonders lang. "Ich erzähl das nicht gern", sagt sie, aber sie müsse jetzt darüber reden. Lee Ok-Seon erinnert sich, dass das elfjährige Mädchen das Pensum nicht schaffte, ein Soldat wurde wütend, er malträtierte das Kind mit einem Messer, dann vergewaltigte er es. Das Mädchen starb an den Verletzungen. Eine andere junge Frau wehrte sich stark, ein Soldat zerrte sie daraufhin nach draußen und tötete sie mit zahllosen Messerstichen.

Bürgermeister verteidigte Bordelle

Die Geschichte von Lee Ok-Seon ist auch die Geschichte von 200.000 Mädchen, die damals von Japanern in Militärpuffs entführt wurden. "Trostfrauen" nannten die Japaner die Sexsklavinnen. Sie stammten aus insgesamt 17 Ländern, die meisten jedoch aus Korea. Von ihnen sind noch 57 am Leben.

Der Krieg endete am 15. August 1945. Japan kapitulierte bedingungslos, doch die Geschichte von Lee Ok-Seon endete nicht. Die japanische Regierung erkennt das Verbrechen bis heute nicht an. Lee Ok-Seon wartet auf eine Entschuldigung. Doch davon scheint Japan noch weit entfernt: Im Mai hatte der Bürgermeister der Metropole Osaka, Toru Hashimoto, die Bordelle sogar verteidigt. Es sei nötig gewesen, um die "Disziplin aufrechtzuerhalten" und den Soldaten, die ihr Leben riskierten, eine Pause zu ermöglichen.

"Ich war schockiert"

Das Gesicht von Lee Ok-Seon ist voller Runzeln, sie hat eine flache Stupsnase und hohe Brauen, beim Reden stützt sich die Greisin auf einen Gehstock aus Holz. Am Dienstag wird sie ihre Geschichte an der Technischen Universität in Berlin erzählen, die Welt soll wissen, was sie erlebt hat.

Tsukasa Yajima hatte nie von den Verbrechen Japans gehört, bis er 29 Jahre alt war. Der Japaner wuchs in Gum auf, einer Stadt in Japan, hundert Kilometer von Tokio. Tsukasa lernte in der Schule über die Steinzeit, erfuhr vom Leben der großen Samurais im 17. Jahrhundert und dass Japan Opfer des Zweiten Weltkriegs wurde, als die Nuklearbomben 1945 auf Nagasaki und Hiroshima fielen. Dann aber war die Schule aus.

Der japanische Überfall auf die US-Pazifikflotte in Pearl Harbour etwa, der im Dezember 1941 zum Kriegseintritt der Amerikaner führte, war im Geschichtsunterricht nicht mal eine Fußnote wert. Irgendwann stand Tsukasa Yajima vor Lee Ok-Seon. Ein japanisch-koreanischer Universitäts-Workshop über Feminismus und Gender-Studien hatte ihn nach Seoul geführt.

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"Ich war schockiert darüber, dass mein Land andere asiatische Länder überfallen und dort so grausam gewütet hatte", sagt der Japaner. Tsukasa Yajima zog ins "House of Sharing", eine private Wohnanlage der überlebenden "Trostfrauen".
Drei Jahre lang lebte Tsukasa Yajima mit den alten Damen, Tür an Tür, ein junger Japaner und die Opfer seines Volkes. Tsukasa Yajima dokumentierte das Schicksal der Frauen mit der Kamera. Er fotografierte die Orte, an denen sie damals festgehalten wurden. Die meisten der Zwangsprostituierten sind inzwischen tot, und wenn sie noch leben, sind sie oft bettelarm. Viele kehrten aus Scham nie in die Heimat zurück, zahllose konnten keine Kinder bekommen, weil Medikamente sie unfruchtbar gemacht hatten. So erging es auch Lee Ok-Seon.

All das hat Tsukasa Yajima auf seinem Laptop gespeichert, auf Schwarz-Weiß-Bildern, die berühren. Der Fotograf lebt inzwischen in Deutschland, auch weil er glaubt, dass dort erfolgreicher mit einer schrecklichen Vergangenheit umgegangen wird als in seinem Heimatland. Am Ende seiner Busfahrt trifft er Lee Ok-Seon am Flughafen. Der Japaner Tsukasa Yajima ist jetzt Teil der Bewegung der mutigen "Trostfrauen". Und stolz darauf.


参考: グーグル訳

During World War II Japanese soldiers abducted tens of thousands of women. They raped and tortured the so-called " comfort women " . The government in Tokyo has never recognized the crime. In Berlin, two people come together now , who do not want to accept .

Tsukasa Yajima has everything. Onto his laptop, black on white, the photos of the survivors It is an 8 clock in the morning, he sits in a bus to Frankfurt.

DISPLAY

The women in his paintings bear witness to the events in the war , is mostly silent on in Japan today. Ok- Seon Lee , 86, is living proof . The old lady with the white hair toupiertem is also on the way to Frankfurt , on the plane from Seoul, capital of South Korea.
Three years they have not seen Tsukasa Yajima and Lee Ok- Seon, the 42- year-old photographer and the woman whose fate he has documented .

"I do not like the narrative "

The story begins on 29 July 1942 , engage in the Korean city of Ulsan , as a Japanese and a Korean soldier in civilian clothes to the hotel staff . Ok- Seon Lee is 15 years old. The men kidnap the girl in a Japanese army brothels in China.

The kidnappers gag the girl , tie it on the hands and feet and throw it on a flatbed truck . There are already five young women.

Korea was a Japanese colony at that time , as an ally of the Nazi regime led war against Japan, China and the United States. That same night, the men brought their captives across the border in the north- western Chinese province capital Yanji. There were two houses entertainment for Japanese soldiers , small rooms in wooden barracks , a mat , a wash bowl. Nine girls working here , the youngest was eleven years old.

Pro forced prostitutes there were 40 to 50 soldiers a day, says Lee Ok- Seon . Sundays were the very long queues in front of the barracks . "I do not like to tell ," she says, but she had to talk about it now . Ok- Seon Lee remembers that the eleven year old girl did not manage the workload , a soldier was angry, he tortured the child with a knife, then he raped her . The girl died from injuries . Another young woman fought back strongly , a soldier dragged her outside and then killed them with numerous knife wounds .

Mayor defended brothels

The story of Lee Ok- Seon is also the story of 200,000 girls who were then kidnapped by Japanese in Militärpuffs (?) . " Comfort women " the Japanese called the sex slaves . They came from 17 countries , but most of them from Korea. 57 of them are still alive.

The war ended on 15 August 1945. Japan surrendered unconditionally , but the story of Lee Ok- Seon did not end . The Japanese government recognizes the crime still not on . Lee Seon - Ok waiting for an apology. However, it seems Japan still far away : in May was the mayor of the city of Osaka, Toru Hashimoto, the brothels even defended. It was necessary to " maintain discipline " and that to allow the soldiers who risked their lives a break.

"I was shocked "

The face of Lee Ok- Seon is full of wrinkles , she has a flat upturned nose and high brows , while talking to the old woman relies on a walking stick made ​​of wood. On Tuesday, she will tell her story at the Technical University in Berlin, the world should know what she has experienced .

Tsukasa Yajima had never heard of the crime in Japan until he was 29 years old. The Japanese grew up in Gunma(?) , a city in Japan , a hundred kilometers from Tokyo . Tsukasa learned in school about the Stone Age, learned about the life of the great samurai in the 17th Century and that Japan victims of the Second World War, when the nuclear bombs dropped on Nagasaki and Hiroshima in 1945 . But then school was out .

The Japanese attack on the U.S. Pacific Fleet at Pearl Harbor about that led to the American entry into the war in December 1941 , was not even worth a footnote in history lessons . Eventually, Tsukasa stood before Yajima Lee Ok- Seon . A Japanese- Korean university workshop on feminism and gender studies had led him to Seoul.

DISPLAY

"I was shocked that my country was invaded other Asian countries and there raged so cruelly ," said the Japanese. Tsukasa Yajima moved into the "House of Sharing" , a private gated community of the surviving " comfort women " .
Three years lived Tsukasa Yajima with the old ladies next door , a young Japanese and the victims of his people. Tsukasa Yajima documented the plight of women with the camera. He photographed the places where they were then arrested . Most of the prostitutes are now dead, and if they are still alive , they are often destitute . Many never returned to his homeland in shame , countless could not have children because of drugs they had made barren. This also happened to Lee Ok- Seon .

All that Tsukasa Yajima has stored on his laptop, on black - and-white images that touch . The photographer now living in Germany , also because he believes that there is dealt successfully with a terrible past than in his home country. At the end of his bus , he meets Lee Seon - Ok at the airport. The Japanese Tsukasa Yajima is now part of the movement of the brave " comfort women " . And proud of it.

2013/09/05

慰安婦のドイツ講演 (イ・オクソン)

誤解を正すぐらいしないと単なる反日活動家になってしまうのでは?

日本政府は変わらないという矢嶋。変わらないのは彼の方かもしれない。本文にもあるように矢嶋は昔、ナヌムの家でボランティアをしていた。ドイツに渡ってからも、運動家らと協力して慰安婦問題をドイツに普及させる活動を行っている。

アメリカでの講演を終えたイ・オクソンはドイツに渡り、矢嶋と再会。彼の通訳でドイツで講演している。ドイツのメディアによれば、彼女はアメリカでの証言と同様、慰安所は屠殺場であった話している。天皇ヒロヒト批判や、自分が(日本)兵によって釜山の路上で拉致されたとも話したようだ。韓国系の団体は、南ドイツ新聞に日本によって拉致された20万人超の慰安婦は主に11歳から15歳の少女であったと説明しているようである。人数のインフレーションと、年齢のデフレーションは相変わらず。

「日本の奴(일본놈)」の声を聞いても気分を悪さない日本人・・・ドイツ慰安婦証言会通訳引き受けた矢嶋氏

「なぜ度々日本の奴と写真を撮れといって!」

3日(現地時間)ドイツベルリン工科大で証言集会を開いた慰安婦被害者イ・オクソン・ハルモニ(86)は通訳を受け持った矢嶋宰(42)氏を示して気兼ねなく「日本の奴」と呼んだ。言葉とは異なり顔には情感が満ちていた。

矢嶋氏とイ・ハルモニの縁は格別だ。名門早稲田大学を卒業後、朝日新聞出版のカメラマンとして普通の生活を送った矢嶋氏は2003年会社を止め、京畿道広州市退村面元堂里のナムヌの家でボランティア活動をした。「加害国の市民の一人としてお婆さんが受けた苦痛を分けて悪い歴史に日本人たちがもう少し関心を持つようにするため」というのが当時彼が明かにした奉仕の弁だった。 イ・ハルモニともここで出会った。

矢嶋氏のボランティア活動は2005年まで続いた。その後、ドイツで写真家として活動、ドイツ人女性と結婚もした。そうするうちにイ・ハルモニが先月28日からドイツの様々な都市を回って証言活動をするという便りを聞いて通訳を自任したのだ。 彼は「日本政府は政権が変わってもまったく変わらない」と話した。

この日証言会では、200席余りの席が一杯になり、一部の聴衆は立ち見になるなど盛況となった。 生き生きした証言が続くと、すぐに一部の聴衆は目をとじたり涙を流した。イ・ハルモニは「(望みは)奪われた人権と名誉を回復することだけ」と答えることもした。
国民日報(聯合ニュース)2013.9.4

‘일본놈’ 소리 들어도 기분 나빠하지 않는 일본인… 독일 위안부 증언회 통역 맡은 야지마씨

“왜 자꾸 일본놈하고 사진을 찍으라고 해!”

3일(현지시간) 독일 베를린공대에서 증언회를 연 위안부 피해자 이옥선 할머니(86)는 통역을 맡은 야지마 쓰카사(42)씨를 가리켜 스스럼없이 ‘일본놈’이라 불렀다. 말과는 달리 얼굴에는 정감이 가득했다.

야지마씨와 이 할머니의 인연은 남다르다. 명문 와세다대를 졸업하고 아사히 신문 출판국 사진기자로 평탄한 삶을 살던 야지마씨는 2003년 회사를 그만두고 경기도 광주시 원당리 나눔의 집에서 봉사활동을 했다. “가해국민의 한 사람으로서 할머니들이 받은 고통을 나누고 나쁜 역사에 일본인들이 좀 더 관심을 갖게 하기 위해서”라는 게 당시 그가 밝힌 봉사의 변이었다. 이 할머니도 이곳에서 만났다.

야지마씨의 봉사활동은 2005년까지 이어졌다. 이후엔 독일에서 사진작가로 활동하며 독일인 여성과 결혼도 했다. 그러다 이 할머니가 지난달 28일부터 독일 여러 도시를 돌며 증언활동을 한다는 소식에 통역을 자처한 것이다. 그는 “일본 정부는 정권이 바뀌어도 도무지 변하지 않는다”고 말했다.

이날 증언회는 좌석 200여석이 꽉 차 일부 청중들이 선 채로 듣는 등 성황을 이뤘다. 생생한 증언이 계속되자 일부 청중들은 눈을 감거나 눈물을 흘렸다. 이 할머니는 “(소원은) 빼앗긴 인권과 명예를 회복하는 것 뿐”이라고 답하기도 했다.

연합뉴스

[資料・独語] イ・オクソンのドイツ講演

Dem "Menschenschlachthof" entronnen

Lee Ok-Seon ist 14 Jahre alt, als sie verschleppt und in einem japanischen Militärbordell zur Prostitution gezwungen wird. Ein Schicksal, das sie im Zweiten Weltkrieg mit Tausenden Koreanerinnen teilt. Noch heute kämpft sie um Entschädigung und eine Entschuldigung ihrer Peiniger. Eine Begegnung.

Von Martin Mühlfenzl, Berlin
Die runde Brosche am Blazer von Lee Ok-Seon scheint eine gewaltige Last für die kleine, zierliche Frau zu sein. Es wirkt, als sei das Schmuckstück schwer, so schwer, dass es die 86-jährige Koreanerin gewaltsam zu Boden zerren könnte. Tief gebeugt sitzt sie an ihrem Platz, während sie ihre Geschichte erzählt. Doch Lee Ok-Seon lässt nichts und niemanden mehr Gewalt über sich gewinnen; sie setzt sich zur Wehr. Gegen die Vergangenheit, die Erinnerung, die Schmerzen und gegen einen großen und mächtigen Gegner: den Staat Japan.

Lee ist eine von mehr als 200.000 "Trostfrauen", die während der japanischen Herrschaft über die Koreanische Halbinsel in der ersten Hälfte des 20. Jahrhunderts in Militärbordellen verschleppt, vergewaltigt, geschlagen und erniedrigt wurden. Bis heute hat sie dafür keine Gerechtigkeit erfahren. Doch sie kämpft gegen die Sturheit des japanischen Staates an. Sie will eine Entschuldigung und Entschädigung. "Für das Blut, das wir gegeben haben."

Lee führt diesen Kampf jeden Montag in der südkoreanischen Hauptstadt Seoul. Mit ihren Leidensgenossinnen demonstriert sie dann vor der japanischen Botschaft. Doch der Staat ihrer ehemaligen Peiniger hört ihr nicht zu. Noch nicht.

"So haben sie mich gepackt"

"Hier in Deutschland oder in den Vereinigten Staaten ist das anders", sagt Lee bei ihrem Besuch an der Technischen Universität in Berlin. "Hier ist man viel weiter, auch mit der eigenen Geschichte. Aber ich bitte Sie: Hören sie mir ganz genau zu und unterstützen sie uns. Hören sie zu."

Es ist der Moment, in dem das Lächeln aus dem von tiefen Falten zerfurchten Gesicht der 86-Jährigen verschwindet. Lee schließt die Augen und erinnert sich an jenen Tag, der ihr Leben für immer veränderte. Plötzlich fahren die beiden Arme der zierlichen Koreanerin in die Luft, der linke Arm ergreift den rechten und zieht heftig daran: "So haben sie mich gepackt, die beiden Männer. Einfach so, und dann haben sie mich auf einen Lastwagen geworfen und mitgenommen."

Mit 14 entführt und ins Bordell gebracht

Es geschah in ihrer Heimatstadt Busan im heutigen Südkorea. 1941 - vier Jahre vor Ende des Krieges in Europa und Asien. Lee Ok-Seon war damals 14 Jahre alt und arbeitete als Hausmädchen bei einer fremden Familie. Zur Schule gehen durfte sie nicht, die Eltern konnten sich das Schulgeld nicht leisten. Doch auch ihre Zeit als Hausmädchen währte nicht lange. An einem Spätnachmittag im Frühjahr schlugen die Besatzer zu. Zwei Soldaten ergriffen die 14-Jährige auf offener Straße und verschleppten sie, fort aus ihrem Heimatland mit dem Zug über die Koreanische Halbinsel bis ins ebenfalls von den Japanern besetzte China. In ein Militärbordell - "Troststation" nennt Lee ihre Hölle noch heute. "Bordell" kann sie nicht sagen. Die Scham über das Erlebte sitzt immer noch zu tief.

Es ist sehr still an diesem Abend in der Berliner Universität. So still wie an den Abenden zuvor in Darmstadt, Hamburg und Berlin. Lee ist der Einladung des Korea Verbandes gefolgt, einer Institution, die sich dem interkulturellen Austausch widmet und zwischen zwei sich sehr fremden Kulturen für Verständnis werben will. Wenn Lee Ok-Seon an ihre Leiden zurückdenkt und ihren Zuhörern davon erzählt, legt sie eine Hand auf ihre Brust - ihre Stimme aber ist stark und kontrolliert. Sie verliert sich nicht in Details über das, was ihr in dem Bordell in der chinesischen Provinz Jilin angetan wurde. "Darüber will ich nicht sprechen", sagt sie entschieden. Und es ist auch nicht notwendig, um zu verstehen. Nur so viel: "Wir wurden in Kimonos gesteckt, die wir bis dahin nicht kannten. Und wir mussten tun, was von uns verlangt wurde."

Rückkehr nach Korea

Wie viele Frauen von den Japanern während des Zweiten Weltkrieges tatsächlich verschleppt wurden, ist bis heute nicht geklärt. Der Korea Verband geht von weit mehr als 200.000 Mädchen aus, meist im Alter zwischen elf und 15 Jahren. Sie sollten die japanischen Soldaten und Offiziere zum einen davor schützen, sich Geschlechtskrankheiten einzufangen; zum anderen wollten die Besatzer mit den "Troststationen" Massenvergewaltigungen in den okkupierten Gebieten verhindern.

Die Machthaber setzten ihren Willen mit roher Gewalt durch. Den Mädchen, die schwanger wurden, wurden die Bäuche mit Messern aufgeschlitzt, erinnert sich Lee. Die Kinder wurden getötet und vergraben, die Frauen verbluteten. Auch sie selbst wurde Opfer von Gewalt. Ein Soldat verletzte sie mit einer Machete am Oberarm, als sie ihm widersprach und davonlaufen wollte: "Aber was hätte es gebracht? Ich wusste ja nicht wohin und ich hatte kein Geld."

Geld. Darum dreht sich auch der Protest der noch lebenden Trostfrauen. Erstmals hat sich im Jahr 1991 in Korea eine der ehemaligen koreanischen Zwangsprostituierten mit ihrer Lebensgeschichte an die Öffentlichkeit gewagt. Seither folgten ihr Hunderte Leidensgenossinnen - immer unter dem so skeptischen wie schamvollen Blick der Öffentlichkeit. Und Japan? Hat zwar längst die Existenz von Trostfrauen anerkannt, zu Entschädigungen oder gar einer umfassenden Entschuldigung aber konnten sich die Japaner nie durchringen - und werden es wohl auch nie. "Die sitzen das aus. Bis es von uns keine mehr gibt", sagt Lee Ok-Seon, und die Verbitterung ist ihr anzumerken. Doch ihr Hass ist mittlerweile verflogen: "Es gibt nicht nur schlechte Japaner. Aber einer davon war der Tenno, der sich nie bei uns entschuldigt hat." Gemeint ist Japans verstorbener Kriegs-Kaiser Hirohito.

Das Ende des Martyriums

Dass sie selbst den "Menschenschlachthöfen" der Japaner entkommen ist, hält Lee für ein kleines Wunder: "Das habe ich sicher nur geschafft, weil Gott bei mir war." Der Glaube habe ihr durch diese Zeit geholfen. Auch dann, als die Japaner ihr die Gebärmutter entfernten.

Nach dem Ende ihres Martyriums blieb sie zunächst in China, lernte dort ihren späteren Mann kennen, der ebenfalls aus Korea kam und kümmerte sich um dessen Kinder. 2000 aber wagte sie nach dem Tod ihres Mannes einen gewaltigen Schritt und kehrte nach Korea zurück. In das Land, aus dem sie Jahrzehnte zuvor von fremden Machthabern verschleppt wurde. Heute kämpft sie dort um ihre Ehre und Würde.

Plötzlich öffnet Lee in dem Raum an der TU Berlin wieder ihre Augen. Ein Ruck geht durch ihren Körper, sie reißt ihren linken Fuß nach oben, legt ihn auf den Tisch. Dann lacht die zierliche Koreanerin: "Da wurde ich von einem Soldaten mit einem Schwert verletzt. Er wollte mich töten, aber ich war schneller." Der Schmerz an der Stelle, an der sie getroffen wurde, kommt immer wieder - manchmal in den komischsten Momenten. Bei Veranstaltungen wie dieser, bei Protesten oder in ihrem Zuhause, einem Heim für ehemalige Trostfrauen in Seoul. Doch manchmal, in Situationen wie jetzt, kann Lee Ok-Seon sogar darüber lachen.

南ドイツ新聞 2013.9.4

2012/09/04

ドイツで注目度増す日本軍慰安婦 矢嶋宰


矢嶋宰については、ちょうど去年の今ごろ取り上げた。他人ごとのようなレポートだが、ナヌムの家のボランティア出身の彼自身、ドイツで活動を行なっている当事者の一人である。

ドイツでの慰安婦(謝罪・賠償)運動は、日系人と韓国系が連帯して行なっている。去年の写真だが、韓国系の女性たちと街頭活動する「ベルリン・女の会」の池永記代美。


翻訳者である池永はよく知っているはずだが、ドイツ軍にも慰安所があった。どうしてこの人たちはドイツに行ってまで「日本軍慰安婦に正義を!」などとやっているのだろう?ドイツにいるならドイツ軍の慰安婦の為に活動すればいいと思うのだが・・・不思議な話である。

独軍の慰安所。ドイツでは殆ど問題視されていないらしい

それでも矢嶋のレポートは現地の様子を教えてくれる貴重な情報である。もちろん、彼が実情を正しく伝えているという保証はないが。

彼の報告が正しければ、

1. ドイツメディアの日本軍慰安婦問題に対する関心は高まっている

2. (独)社民党がドイツでも慰安婦決議を採択しようと提案

3. 与党は反対

与党議員の一人の反対の言い分が過激である。ドイツ人女性がソ連軍の兵士に強姦されたというのにアジアのことなど気にしている場合か、社民党はお友達であるプーチンにでも謝罪を求めろ、と言ったそうな。突っ込む所はそこなのか?我がドイツは自国の慰安婦に対し何ら補償をしていないのだから、日本のことを非難する資格はない!・・・ではなくて?

ドイツ議会で日本軍の問題が持ち出され、それに対しソ連軍の(ドイツ人に対する)加害行為が引き合いに出される。話も混乱しているが、ドイツでは誰も自国の慰安所政策について気にしていないらしいこともよく分かった。矢嶋や池永は、このことについてどう考えているのだろうか?

まるで問題視されていない独軍の慰安婦
矢嶋は違和感を感じないのだろうか?

韓国系の人々がドイツ(ヨーロッパ)でこの問題を熱心にアピールするのはまだ理解できる。しかし、これらの日本人の行動は理解し難い。

冒頭の写真。運動家たちが手にしている横断幕には、慰安婦(Trostfrauen)を、第二次大戦中に日本陸軍によって売春を強制された人々(Zwangsprostituierte der japanischen Armee im 2.Weltkrieg)と書かれている。(日本語訳が間違っていたら、指摘して下さい)

強制売春はむしろ独軍の方なのだが(日本軍のはどちらかというと仏軍の「慰安所」に近い)

八月一五日に一〇三五回を迎えた日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める「水曜デモ」。韓国・ソウルの挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)の呼びかけに応じ東京などでも連帯アクションが開かれたが、八日にはベルリンでもスタンディングデモが行なわれた。主催は「プロジェクト1035(旧称プロジェクト700)」。二〇〇六年に「水曜デモ」が七〇〇回を迎えたのを機に、ベルリン在住の韓国・日本人女性からなる複数の団体が結成したグループだ。以後、毎年夏に街角で被害女性たちの現状を訴えてきたが、この日も支援メッセージを集めたり関連資料を配布したりした。

ドイツではここ数年、民間団体「コリア連盟」がこの問題をテーマとした行事や映画上映、出張講演などを積極的に行なってきたこともあり、現地メディアで取り上げられる機会が増え市民の支援の輪も広がりつつある。一方で足踏み状態なのがドイツ連邦議会。欧州・米国議会で日本に早期解決を求める決議案が成立したのを受け、社民党(野党)の議員が連邦議会で審議されるべき議題として今年三月に提案したが、キリスト教民主同盟(与党)は猛反対。急先鋒であるエリカ・シュタインバッハ議員は「アジアを見る必要はない。ソ連軍兵士により二〇〇万人近いドイツ人女性たちが性的被害を受けている。社民党は盟友であるプーチン氏に謝罪を求めるべきだ」と答弁。この議員はドイツによる加害を棚上げし被害を強調することで知られており、ナチス崩壊期から戦後にかけて東欧各地から追放されたドイツ系住民の財産返還を求める運動を起こし、ポーランドとの間に緊張関係を生じさせる原因となっている。

デモに参加したアンティエ・モラゾヴァさんは「古今東西、戦時下の女性は常に性的被害の危険にさらされています。ゆえに国境を越えた連帯で被害女性たちを支援していくことが大切」と語った。

2011/09/01

日本人ボランティアが伝えるドイツの慰安婦デモ


矢嶋宰は昔ナヌムの家でボランティアとして働き、ドイツ人女性と結婚してドイツへ移住した人物だと思った。慰安婦デモもすっかりお祭り化し、「傷つけられた尊厳の回復」などと言われても、聞かされる方は虚しい思いがするだけ。

昨年のハンギョレ紙によると矢嶋は韓国系の運動家と共に「ドイツ全国を巡回して講演、ドキュメンタリー、写真展等を通して慰安婦問題を知らせている。ドイツの人権担当ヨ ーロッパ議会議員とも接触して慰安婦問題ヨーロッパ次元の広報と女性に対する暴力防止国際連帯活動を行っている」ということである。

「日本が過去に何をしたかについても知らねばならない」と忠告するこの記事のドイツ人は、大方こういった本を読んで慰安婦問題を学んだのだろう。8月10日にベルリンで開催された水曜デモに矢嶋の名も写真も見当たらないと思ったが、彼は写真を撮る側にいたのだろう。


ベルリンで「慰安婦」問題解決求むデモ

8月10日、「慰安婦」問題の早期解決実現をアピールするスタンディングデモがベルリンで行なわれた。主催した「プロジェクト700」はベルリン在住の韓国・日本女性を中心に、2006年にソウルの日本大使館前の水曜デモが700回を迎えるのを機に結成されたグループ。

今年は金学順さん(韓国)が名乗りを上げてからちょうど20年になる。彼女の証言する姿を目にした各地の被害女性たちはそれまで固く閉ざしてきた口を次々と開き、戦時中彼女らの身に何が起こったのかを語り始めると同時に、傷つけられた尊厳の回復を求め、日本政府を相手に現在も闘い続けている。

しかし生存者のさらなる高齢化という現実にも直面している。韓国の例を見ても、この20年間に名乗り出た234名の女性のうち、生存しているのはわずか71名と半数以下になってしまった。

デモに参加した、ベルリンの大学で日本学を専攻しているというドイツ人男性は「日本の若者文化について研究しています。しかし日本が過去に何をしたかについても知らねばならない。今日本では脱原発を求めて多くの若者がデモを行なっていると聞いていますが、こうした関心が過去に残してきた課題にも向けられるといい。脱原発も日本の過去の克服も日本という国のあり様を問うという意味では共通していますし、それをになっていくのは若者ですから」と語った。(矢嶋宰・フォトジャーナリスト)

週間金曜日2011年8月19日号