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2015/09/09

強制動員名簿で認定された慰安婦、連行時10歳

どう考えても慰安婦ではない

83歳。終戦時は13歳くらい。12歳で日本に連れて行かれたと言うが、国民学校4年生なら、満年齢で9~10歳か。原爆が投下された1945年には広島にいた。この時、13歳。

1992年に慰安婦として韓国政府に認定されたような事が書かれているが、92年と言えば、韓国のマスコミが戦時中の学籍簿を漁って小学生が従軍慰安婦に動員された大騒ぎした年。その顛末は、産経の黒田記者の説明が分かり易い。中央日報も、学籍簿には学徒たちに対する説得過程・動員経緯・出発の日付・場所まで記録されていた、日本政府が体系的に従軍慰安婦の動員に関与していたことが証明されたなどと騒いでいたようである

本人は、思い出せない悪夢を口にしたくないと言っているが、断片をどう読んでも慰安婦の体験談とは思えない。戦後70年。高齢の女性から亡くなって行くと、ますますあり得ないような年齢の「被害者」が目立ってくる。今年の6月には、80歳の元慰安婦の訃報がニュースになった。一応、今年は戦後70年である。

<慰安婦生存者13人証言>12歳で経験した悪夢…その痛みを包んだ暖かいコート

  先月12日、慶尚南道昌原(チャンウォン)の金福善(キム・ボクソン)さん(83)の家を訪問すると、金さんは壁に静かにもたれてテレビを見ていた。ニュースが放送されるテレビから安倍晋三首相の名前が聞こえた。金さんはすぐに背を向けた。「安倍の話が出てくればテレビを消してしまう。あまりにも憎くて。以前の首相はまだこれほどではなかったが、この人は違う。私たち慰安婦被害者の話を少し聞くべきなのに…」。 

  金さんは12歳の時に日本に連れて行かれた。当時は国民学校(小学校)4年だった。誰かが当時のことを尋ねると、金さんは「はっきりと思い出せない」と答える。あまりにも幼かったということもあるが、それよりは悪夢を口に出したくないからだ。しかし金さんは「言葉で表現できない、日本は…」としながら話を続けた。「私たちが貧しく、もやしを育ててご飯を食べさせたが、警察や日本の人が来て器を足で蹴飛ばした。よい印象がない、日本は。慰安婦の時もあちこちに連れて行かれ、どこかはっきりと分からなかったが、本当に苦しかった」。

  金さんは広島の原爆の恐怖も振り返った。「広島県に爆弾が落ちた。その爆弾が落ちたところの近くに私たちがいた。それで布団などを持ってみんな出て行き、堀端に隠れていた。爆弾を受けないように。それははっきりと覚えている」。

  解放後に韓国に戻った金さんは遅れて中学校に入った。当時は中学校まで行くケースが多くなかったため、金さんが自慢する記憶だ。その後は結婚して子どももできた。みんなが貧しかった時代、金さんも子どもの腹を満たすためにあらゆる苦労をした。最初に始めたのは木の器を売る商売だった。休む間もなく働いていると、いつのまにか子どもが成長してかわいい孫が生まれ、小さな家も持った。しかし金さんの傷は癒えなかった。

  慰安婦被害者調査・登録が始まった1992年、政府は金さんが通った小学校の強制動員名簿を確認し、金さんを被害者として登録した。その後、一度だけ放送に出て被害事実を証言したが、当時に受けた傷のため二度と被害事実を述べたり写真を撮影したりはないという。

  「当時、近所の女性たちが私について『ああ、あの人の家はどれほど貧しかったのか…。あんなところに連れて行かれて』と話していた。私の中学校の同窓生もまだ近所に暮らしていたが、親しい友人も同じだった。それでいかなる行事に行っても絶対に写真も撮らず話もしない。私は…」。

  周囲の誰にも堂々と話すことができず、むしろ罪人のように暮らした。冷たい視線を向けられるのでは、子どもが被害を受けるのでは、と思うと怖かった。その金さんに小さな慰めになったのは別の被害女性だった。金さんは数年前から近い地域にいる被害女性と親しくなり、外出したりもする。小さな喜びも享受する時間は多くない。金さんはあきらめることなく日本政府から謝罪を受ける日を待っている。認知症にならないよう外出して人に会い、歌の教室にも通っている。金さんに最も重要なのは女性家族部から昨年贈られた冬用のコートだ。

  「これは私がデパートに行って自分で選んだ。本当に気に入って冬によく着た。健康が悪化して認知症になってはいけないので、できるだけ外に出ようと思う」。



2012/10/11

[参考] 女子挺身隊支援 京畿道が条例制定へ

女子勤労挺身隊の被害者支援 京畿道が条例制定へ

【水原聯合ニュース】韓国・京畿道議会の行政自治委員会は10日、日本の植民地時代に女子勤労挺身隊として動員された被害者を支援する条例案を満場一致で可決した。

 被害者らは太平洋戦争当時、女子勤労挺身隊として韓国や南洋諸島、日本、中国の軍需工場や炭鉱、農場などに強制動員された。

 韓国政府に認定された被害者のうち京畿道に居住する女性に対し、生活補助費として月30万ウォン(約2万円)のほか診療費などが支給される。

 道内の被害者は30人で、平均年齢は83歳。

 同条例案を代表発議した張台煥(チャン・テファン)議員は「被害者に対する生活支援と名誉回復を目指す。生活の安定や正しい歴史観の確立、人権推進に貢献する必要がある」と話した。

 条例案は17日の本会議で最終的に採択される。女子勤労挺身隊の被害者を支援する条例制定は光州広域市に続き2番目となる。

2011/06/27

強制連行と厚生年金脱退手当99円


「勤労挺身隊被害者」なら、日本人にもたくさんいるだろう。赤旗の関係者の親族にはいないのだろうか?

強制連行・労働の代価99円

“違憲の補償取り消せ”

名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊 被害者ら審査会傍聴

名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊被害者・梁錦徳(ヤン・クムトク)さん(80)、被害者遺族・金中坤(キム・チュンゴン)さん(87)の社会保険審査会が23日、厚生労働省(東京都千代田区)で開かれました。韓国の「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」会員、光州市議、日本の支援者ら四十数人が、審理を傍聴しました。

金さんの妻と妹、梁さんは戦時中、朝鮮から名古屋市の三菱軍需工場に強制連行され、強制労働をさせられました。日本政府から受け取ったのは、社会保険庁が支払った厚生年金の脱退手当、99円のみです。

この金額は1945年当時の物価、賃金等に基づいて定められたもので違法・不当であり、裁決によって取り消されるべきだ、と再審査請求をしたもの。

梁さんは小学校6年のとき、「中学校に行ける」と憲兵にだまされて日本へ連行され、殴られ食べ物も満足に与えられず、働かされたもようを陳述しました。

金さんは、99円の問題は自分だけでなく韓国・日本の支援者を侮辱する問題であり、日本の戦後補償のあり方を問う問題である、と訴えました。

請求人代理人の弁護士は、日本国憲法25条・生存権に反する行政処分であり、取り消すべきだと主張。また、厚生年金の保険給付および国民年金の給付の支払い遅延にかかる加算金の支給に関する法律の適用を求めました。

赤旗 2011.6.25