ラベル ji-辞書・辞典 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ji-辞書・辞典 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013/02/17

百科事典JAPAN at WARに見る慰安婦の定説

最新の「百科事典」でこのレベル

先月発売されたばかりのJAPAN at WAR(百科辞典--戦時下の日本でも、慰安婦とは日本軍によって売春を強制された人々とされている。20万人以上が植民地や占領地で徴用された。年齢は14歳から30歳。当初は日本人の売春婦を戦地へ連れて行ったが、それらが性病持ちだった為、日本人ブローカー達は朝鮮の村娘をリクルートし始めた。朝鮮人は全慰安婦の最低8割を占めた。大勢の女性が、組織化された性奴隷制度の中に日本軍によって強制的に入れられた。

最初は挺身隊と呼ばれたが、後に日本政府はmilitary comfort women(従軍慰安婦?)という言葉を作った。戦争の末期になると見境なく女性を拉致するようになった。1943年の軍隊強制動員法により、帝国陸軍は7万から8万の女性を慰安所に送り込んだ。終戦後、多くは見捨てられるか、(日本軍によって)虐殺された。ある者は自殺した。

1991年10月6日、三人の韓国人慰安婦が人権に対する罪で訴え出た。日本政府は47年間、慰安婦計画に関して政府は一切関与していないと否定し続けて来た。しかしながら、1992年、軍と直接的に繋がる資料が明るみに出、1993年、日本政府は兵士たちとのセックスを強制された女性達を常時監督する立場にあった事を認めた。

それ以降、日本の総理大臣が個人的に謝罪することはあっても、公式な謝罪も公式の賠償計画もない。2007年、それまで女性たちが戦時売春に強制された事実を否定していた安倍晋三総理は、国際社会の反発の後、自分が間違っていた事を公式に認めた

1990年代に入り、世界はこれらの忘れられた第二次世界大戦の犠牲者の話を知るようになった。

グーグル・ブックス(英語)より大雑把に紹介(引用は、原文からお願いします)。

この項目を担当したLouis Perez

この項目を担当したのは、イリノイ州立大学のLouis G. Perez +(ABC-CLIO)。彼には陸奥宗光と不平等条約に関する著書もあるようだが、これが米国の日本研究者のレベルか。合っているのは年月だけという惨憺たる有様。この解説も、多くの運動家達の話と同じように前半(軍隊による強制・拉致)の話と後半(軍の関与)の話が繋がっているようで繋がっていない。ペレスはそれを自覚しているのだろうか?

文末にFurther readingとして、ユキ・タナカとワカバヤシ・ボブ・タダシの最近(それでも10年前)の研究が上げられているが、欧米人の理解はジョージ・ヒックスの頃からあまり変わっていない。ただし、ヒックスや吉見義明の本の名が上がっていないのは興味深い。

現実問題として、これが現在の国際社会の定説と考えた方がいいだろう。

2010/12/17

オックスフォード大学出版局が解説する「慰安婦」


世界最大の大学出版局、オックスフォード大学出版局が解説する「慰安婦」(2010年12月現在)。彼らにしてもこの有様。

1944年に合法化というのがよく分からないし、日本の総理大臣(宮沢)が慰安婦の誘拐について謝罪したというくだりも・・・。



  • 慰安所が日本の国会により合法化されたのは1944年
  • 慰安婦は一人1000円で雇われた
  • 原理的には借金返済後解放されるはずだったが、殆どは売春を強制された
  • たくさんの国籍の慰安婦がいた。日本人もいたが将校専用だった
  • 総数は10万から20万(12歳の少女もいた)
  • 殆どは朝鮮人
  • 1992年、韓国の議会に対し、日本の総理大臣個人的に、日本政府が朝鮮人の誘拐に果たした役割について謝罪した


comfort women. In January 1938, after the Japanese Army had moved into China (see China incident), a system of brothels was opened there for Japanese troops. This was done partly to control venereal disease (see medicine), but also to prevent a recurrence of events in Nanking in December 1937 when Japanese troops pillaged the city, raping and massacring its inhabitants. Later the system, only made legal by the Japanese Diet in August 1944, spread to other Japanese-occupied areas such as Burma. The brothels were called ianjo (comfort houses) and the ianfu (comfort girls) who staffed them were recruited for 1,000 yen each. After this had been repaid (at two yen per soldier) they were, in theory, free to return home, but most were forced into prostitution. A number of nationalities were involved, including Japanese (for officers only), and it has been estimated that between 100,000 and 200,000 girls (some as young as 12) and women were recruited for the system, or for forced labour, most of them from Korea. In January 1992 the Japanese prime minister apologized in person to South Korea's National Assembly for Japan's role in abducting Korean women, some of whom later that year began a legal action against the Japanese government for compensation