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2019/11/22

パク・ユハ教授逆転有罪 根拠は河野談話(2017)


パク教授は、上告。それにしても河野談話は罪深い。

韓国の慰安婦本の著者に逆転有罪
ソウル高裁、名誉毀損で罰金刑

従軍慰安婦問題に関する著書「帝国の慰安婦」で元慰安婦らの名誉を傷つけたとして名誉毀損罪に問われた朴裕河・世宗大教授の控訴審判決で、ソウル高裁は27日、無罪とした一審ソウル東部地裁判決を破棄し、罰金1千万ウォン(約100万円)を言い渡した。求刑は懲役3年。朴氏は判決を不服として上告すると表明した。

金紋ソク裁判長は、慰安婦を「性奴隷」と定義した1996年の国連報告書(クマラスワミ報告)や、日本軍の関与を認めた河野洋平官房長官談話を重視。自発的に慰安婦になった人もいたとする朴氏の記述は虚偽事実に当たり「被害者に対する名誉毀損の故意」と指摘した。

共同 2017.10.27

2017/09/29

パク・ユハ「削除要求の多くは挺対協批判部分」(帝国の慰安婦)


帝国の慰安婦』について、ナヌムの家の弁護団が削除を要求してきたのは、かなりの部分慰安婦とは関係のない挺対協批判の部分だったと、著者であるパク・ユハ教授が言っている。さもありなん。あの人たちは慰安婦の名誉だの言っても、自分たちの為に元慰安婦を利用しているだけなのである。韓国にいれば、いつ挺対協一派のスラップ訴訟のターゲントになってもおかしくない。崔碩栄氏のように日本語で日本人のフォロワー相手にツイートしている人でも、敏感な人には彼が非常に気を遣いながらツイートしているのが分かったはず。

パク教授は、昨日控訴審で懲役3年を求刑された。



以下、パク教授が一番正確という朝鮮日報の記事。

『帝国の慰安婦』控訴審、検察が朴裕河教授に懲役3年求刑

旧日本軍の慰安婦被害者を「売春婦」と表現するなど、元慰安婦の名誉を傷つけたとして名誉毀損罪に問われ、一審で無罪判決を受けた『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(60)の控訴審が27日、ソウル高裁で開かれ、検察が懲役3年を求刑した。

検察は法廷で意見を出さず、前日に提出した最終意見書で代替すると述べた。

朴教授側の弁護人は弁論で「著書では慰安婦被害者たちを『自発的売春婦』と表現したことはなく、彼女たちの名誉を傷つけようと思ったこともない」として、本を読んだこともないのに朴教授への不信感をあらわにするメディアや世論を批判した。

また「本を読めば、朴教授がそのような記述をしていないことは分かる」「慰安婦という悲しい歴史の加害者に対し、相応の責任を問うことを望む国民として、不信が解消されることを願っている」と述べ、検察の控訴を棄却するよう求めた。

朴教授は最後の陳述で「歪曲(わいきょく)と虚偽ばかりの指摘と追及が相次いだ」として「維新独裁の時代のように私が言ってもいないことを言ったかのようにでっち上げて私を告発し、犯罪者扱いした」と悔しさをあらわにした。

また「慰安婦問題について何も知らない『ナヌムの家』(慰安婦被害者が共同生活を送る施設)の顧問弁護士たちが(この事件の)基礎作業を行った」として「私の著書が検察の主張するような本ではないことが、一審で受け入れられた」と述べ、一審と同様に無罪と判断するよう訴えた。

朴教授は2013年8月に出版した『帝国の慰安婦』で、慰安婦について「売春婦」であり「(旧)日本軍と同志的関係」だったと記述し、元慰安婦の名誉を傷つけたとして名誉毀損罪で在宅起訴された。

しかし一審では「互いに異なる価値判断に白黒を付けるのは裁判所の判断や能力を超えており、学問的な表現の自由は異なる意見も保護しなければならない」として朴教授に無罪を言い渡した。

2017/02/09

NYTの脱洗脳は『帝国の慰安婦』から?著者勝訴報じる

一部の日本人や在日も朴バッシングに加担した

ノリミツ・オオニシ以下、何人もの迷物記者が慰安婦問題をミスリードして来たニューヨーク・タイムズだが、『帝国の慰安婦』を巡る刑事訴訟にパク・ユハ教授が勝訴し、以前から彼女に注目していたNYTが教授の主張を中心にこのニュースを取り上げた事で、結果的に日本に助け舟を出す形になったかもしれない。

慰安婦騒動がどういう物かアメリカにも少しずつ伝わりかけて来たか?なぜこの問題が終わらないのか。韓国社会では正史に逆らうことが許されないとか、法廷内で慰安婦がパク教授を罵倒したことも明らかにされ、「強制はなかった」という日本人の舌足らずな弁解を聞いて激怒していたアメリカ人も、「日本政府が・・・強制的に募集するのに公式に関わったという証拠はなく、それゆえ法的な責任はない」というパク教授の主張を紹介されて、ようやく合点がいったかもしれない(日本人の説明下手は、犯罪レベル)。

地裁前で怒りを表明するイ・ヨンス(1.25)
法廷内でも朴教授を罵倒

韓国で主流になっている「性奴隷制度」という認識が必ずしも全体像ではないというパク教授の意見に、記者も感化されつつあるのだろう。だから慰安所も売春宿と書いている。細かい部分には疑問もあるが、全体的に先入観から脱しつつあるといった印象を受ける記事ではある(まだ断定するには早いが)。

しかし、変化が起こりつつあるとしても、それは日本政府の働きかけでも日本人の電凸のせいでもない。韓国人であるパク・ユハ教授の存在があったればこそである。そういうパク教授も、アン・ビョンジクキム・ワンソプと同じ運命を辿ったかもしれない。彼女が日本の知識階級に多くの知己を持ち、日本の新聞も彼女の苦難を報じた・・・そしてもしかしたら、彼女が女性であったことも幸いしたかもしれない(もっとも、朴バッシングの裏にも日本人や在日がいた)。それがニューヨーク・タイムズに変化をもたらしたのなら、今回の事は、パク教授をスラップ訴訟の標的にした慰安婦支援団体(ナヌムの家)が自ら墓穴を掘ったと見るべきだろう。

非道な?判決に目頭を押さえるイ・オクソン

「慰安婦」について書いた教授名誉棄損裁判に勝つ

第二次大戦中の日本の軍用売春宿について書かれ、元従業員(慰安婦)の韓国人女性を怒らせた本の著者である大学教授が水曜日、名誉棄損(の裁判)で無罪を勝ち取った。

ソウルにある世宗大学の日本文学の教授であるパク・ユハは、2003年に『帝国の慰安婦』を上梓した。その時以降、彼女は戦時中に売春宿で働くことを強制されたと主張する9人の韓国人女性から民事と刑事で告訴された。

一年前、パク氏は民事裁判に負け、「偽り」と「歪曲された」本の中身で女性らを名誉を棄損したと裁判所に言い渡され、9人に一人当たり1000万ウォン、8500ドルの支払いを命じられた。

しかし、この水曜、パク氏は刑事裁判に勝訴した。韓国のメディアに注目された裁判で、ソウルの東部地裁の裁判官は、彼女の学問的自由は守られるべきだと判決を下した。

「本の中の被告の意見は、批判や反論を招き、慰安婦が強制的に動員されたことを否定する人々によって悪用される懸念すらある」とイ・サンヨン裁判官は述べた。「しかし、学問的表現の自由は守られなければならない。それが正しい場合だけでなく、それが誤っている場合も」。

イ裁判官は、パク氏の本は最終的には自由な討論を通じ学者や市民によって裁かれるべきだと述べた。

慰安婦問題は、韓国と日本の間で最も感情的な紛争の一つである。歴史家は、最低でも数万人、1930年代の初期から1945年まで売春宿にいたとしている。その多くが朝鮮人であった。238人の女性が韓国で名乗り出て、40人足らずが存命である。全員が80代と90代である。

パク氏に懲役3年を求刑した検察は、不服申し立て一週間の猶予がある(引用者注:検察は控訴した)。

水曜日に裁判官が判決を読み上げた際、9人の慰安婦の一人、イ・ヨンス(89歳)は立ち上がって非難した。韓国の報道によれば、彼女はパク氏を「親日の裏切り者」と呼んだ

パク氏は判決を歓迎し、自分は慰安婦たちと戦っていたのではなく、韓国の学者やジャーナリストたち(慰安婦の)支持者と戦っていたのだと述べた。彼らは、慰安婦に対する主流の物語と異なるいかなる意見も許さないのだと彼女は言う。

たくさんの韓国と日本の有識者が、パク氏の法的トラブルは韓国でデリケートな歴史問題について既存の常識に盾突くのがいかに危険か警告してきた。

パク氏は本の中で、日本人が婉曲的に「慰安婦」と呼ぶ売春宿にいた女性たちについてもっと大局的な見方をと訴えて来た。彼女たちは、韓国の公式な歴史の中では広く性奴隷制度に強制されるか誘い込まれた若い女性と記述されている。パク氏は、それは部分的にしか正しくないと主張している。

彼女は、日本政府が当時植民地であった朝鮮から女性を強制的に募集するのに公式に関わったという証拠はなくそれゆえ法的な責任はないと書いた。彼女は朝鮮人の(対日)協力者(collaborators)に日本の民間人募集者同様、朝鮮人女性を、時に強制的に、「慰安所」に入れた主たる責任があると言う。彼女は同時に、慰安所での生活には強姦と売春の両方が存在し、女性の一部は日本兵たちと「同志的関係」を育んだと言う。

歴史家や元性奴隷を含む韓国におけるパク氏の批判者たちは、彼女が多くの日本人の見解を口真似する為に歴史資料を恣意的に抽出していると批判する。彼らは彼女を「親日の擁護者」と呼ぶ。一部の日本の右翼政治家は、慰安婦は単なる売春婦だと言って韓国人を怒らせて来た。

韓国は公式に、日本は強制的に女性を募集し売春宿を運営したことで法的に責任があると言っている。日本政府は1965年の外交関係回復の条約で完全に決着したと言っている。

しかし、2015年の12月、両政府は、彼らが言うところの「最終的かつ不可逆的」な合意を発表した。この取り決めで、日本は責任を認め、新たな謝罪を女性たちに行い、(慰安婦たちの)老後の面倒を見る補助に830万ドルの基金を約束した。だが一部の慰安婦は、日本の「法的」責任を特定しておらず、公的な賠償がないとして合意を拒否している。

合意一周年にあたる先月、慰安婦の支援者たちは、慰安婦を象徴する新な銅像を韓国にある日本総領事館の正面に設置した。これに抗議して日本政府は駐韓大使(?)を帰国させた。

2016/07/24

鄭栄桓の功?朴教授、韓国民の審判に期待出来ず(帝国の慰安婦)

反パク・ユハ本の韓国出版記念会にオンライン参加したチョン
(2016.7)

自著『帝国の慰安婦』に関して国民の良識に期待した(?)パク・ユハ教授だったが、「一部知識人から不当な批判があり・・・国民の間に歪曲された認識が広まった」という理由で、「国民参与裁判」を諦めた。

最近の話だが、挺対協の幹部が来日するにあたり、日本の学者とパク・ユハ対策を話し合うとツイッターで「呟いて」いた。この記事にもパク教授を「批判する著作」の具体的な名前は出て来ないが、いずれも明治学院大の鄭栄桓(チョン・ヨンファン)と彼の著書「忘却のための『和解』」のことだろう。チョン・ヨンフアンやナヌムの家、挺対協は狙い通りパク教授を追い詰めつつあるようである。金一勉の頃から一部の在日朝鮮人の学者は反日感情の焚きつけ役を担い、ついにはその矛先を「和解派」の韓国人にまで向けた。

チョン・ヨンファンは、北朝鮮に移住するでもなく、韓国からは入国を拒否されている。そんな彼を特別永住者として遇してくれている日本国だが、彼は日本に対して公平であろうとうする韓国人が許せないようである。

※ チョン・ヨンファンに対するパク・ユハの再反論。→「鄭栄桓(チョン・ヨンファン)の『帝国の慰安婦』批判に答える」。



追加: パク教授の7月29日のツイート
日本人もまたバッシングに加担している

国民参加裁判の申請撤回=「慰安婦本」著者-韓国

韓国の学術書「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河・世宗大教授が名誉毀損(きそん)罪に問われた裁判で、朴教授側は19日、一般国民が陪審員を務める国民参加裁判による審理の申請を撤回した。これにより、裁判は判事のみによる審理で行われることになり、次回公判は8月30日に決まった。
朴教授は記者団に対し、「最近、著書に関して一部知識人から不当な批判があり、報道されたため、国民の間に歪曲(わいきょく)された認識が広まった」と指摘、国民参加裁判ではむしろ不利になるという認識を示した。 

時事 2016.7.19 [2]

「帝国の慰安婦」著者 国民参加裁判の申請を撤回=韓国

旧日本軍の慰安婦問題に関する著書「帝国の慰安婦」で慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして、名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴された朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)の裁判で、朴氏は19日、一般国民が陪審員を務める国民参加裁判による審理の申請を撤回した。これにより、裁判は判事のみによる審理で行われることになった。

国民参加裁判の申請は裁判所の判断に対する疑いとも受け止められるため、申請を撤回することにより、裁判所の判決を尊重するとの態度を示したものとみられる。

朴氏は国民参加裁判を申請した当時、「裁判所が使命感と正義感を持っているという確信がないため」と申請理由を説明していた。

朴氏は裁判後、聯合ニュースの取材に対し、「できるだけ多くの人がこの件について正しく認識するのが重要だと判断して(著書の)全文を公開し、国民参加裁判を申請したが、批判する著作が出版されるなど予想とは異なる世論の様相が出てきた」と話した。

また「裁判所も法理問題を市民陪審員団が理解するのは難しいかもしれないと懸念を示しており、弁護団と相談した結果、国民参加裁判の申請を撤回した」と説明した。

朴氏は2013年8月、慰安婦被害者について「自発的な売春婦」「軍人の戦争遂行を手助けした」などと記述した「帝国の慰安婦」を出版。慰安婦被害者らは14年6月、朴氏を名誉毀損で告訴した。ソウル東部地検は昨年11月、虚偽の内容で被害者の名誉を傷つけたなどとして、朴氏を在宅起訴した。1月20日に初公判が行われた。

次回公判は8月30日。その後、9月20日、10月11日と続く。裁判所関係者は「集中的に素早く裁判を進めるため、あらかじめ期日を決めた」と説明した。

聯合ニュース日本語版 2016.7.19 [魚拓なし]

2016/01/14

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約


著者本人による『帝国の慰安婦』の要約。本を読む気力のない人の為に。

それにしてもパク教授、どうも秦教授や吉見教授の本を読んだことがないのでは、という気が。・・・別に、問題ではないのだが。

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約
2013年7月30日

慰安婦問題をどのように考えるべきなのかー秦郁彦・吉見議論(2013・6)を踏まえて(2013・7・15、明治学院大学)

慰安婦問題はどのように考えるべきなのだろうか。昨今大きな混乱を呼んでいるこの問題について、とりあえず日本で「慰安婦問題の第一人者」とみなされている二人の歴史家のお話に議論を添わせる形で話したい


ここで議論の土台にするのは、去る6月にラジオで放送された「秦郁彦 吉見義昭 第一人者と考える慰安婦問題の論点」である。安倍首相は「歴史家に任せたい」としていたが、歴史家の「第一人者」の議論がなかなか接点を見いだせていないことから分かるように、慰安婦問題はもはや単に「歴史家」の考えだけでは日韓の合意どころか「日本内」の合意さえ見いだせない状況となっている。

日本内、あるいは日韓間の「合意」を導き出すのが難しくなっているのは、この問題がすでに長い間解決されないまま長引き、両国民の多くがこの問題に関してかなり詳しい「情報」を持った結果として政治問題となってしまったからである。それには、「慰安婦」そのものをめぐる情報や考え方の食い違い自体よりも、現在身を置いている政治的立場やそれに伴う感情までが入り込んでしまったという背景がある。さらに、この問題に直接・間接にかかわってきている人の数が多く、そのほとんどの人たちが間接的な「当事者」にもなっていて、かかわった期間が長かっただけにそれぞれの主張が自らの価値観や政治的立場を示すものにさえなっていることも、既存の考え方や立場をなかなか崩せない大きな原因となっている。

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。

1、できるだけ早い解決

2、そのためにこの問題を「慰安婦」という存在自体をめぐる状況はむろんのこと、ここ20年の運動や葛藤の様相についても知る。

3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。


1、「慰安婦」とは誰か

近代以降、交通の発達や国家の勢力拡張の欲望を内面化する形で、海外へ単身で移動する男性たちは多かった。そしてそのような男たちを支えるために女性たちの「移動」も多くなった。日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

そして彼女たちは朝鮮に駐屯した軍隊や国家の移住奨励政策に従って移住していった男たちのために朝鮮にも移住して行った。やがて朝鮮半島にも公娼制がしかれ、朝鮮人女性もそこで働くようになる。すでに日露戦争の時から軍人たちを「慰める」女性たちはいたのであり,軍隊を支える役割をしているという意味で彼女たちは「娘子軍」と言われていた。

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

2、「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」

当然ながら、日本の場合は遠い海外へ「国家のために」でかけている男性のために「慰安婦」が用意されるのでその対象は「日本人女性」だった。ところが、朝鮮が植民地となったがために「朝鮮人女性」や台湾女性もその仕組みに組み込まれることになる。1920年代にはすでに中国や台湾には朝鮮人女性も海外にいる「日本人」や「日本人となった朝鮮人」を相手するためにでかけていった。のちの「朝鮮人慰安婦」の前身と見るべき存在である。

3、「からゆきさん」の「娘子軍」化

からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。彼女たちが「娘子軍」と呼ばれるようになったのはそのためで、そのようにして彼女たちは蔑まれる一方で「格上げ」されることになる。一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。「慰安婦」とはそのような仕組みが支える名称である。

4、様々な「慰安所」

したがって、日本軍が1930年代に入って突然「慰安婦制度」を発想して<「慰安所」を作った>のではなく、それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。他国の場合と違うのは、‘愛国心がその仕組みに利用されたことである。
日本軍は、満州国と日中戦争のために駐屯軍のために、それまで衛生など(内地なら警察が管理していた)の「管理」をしてきた売春施設のうち(料理屋、カフェなどにはその役割をしたところもあった)、基準を満たすところを「指定」して「軍専用の慰安所」にした。しかしやがて軍隊の数が増えたことや、便宜性などを考えシステム化するにいたったのである。そして業者を使って「募集」するにいたったが、その形はさまざまであった。

つまり今日「慰安所」と考えられているところには、必ずしも軍が新たに作ったところだけではない。日清・日露戦争以降の既存の施設も含まれ、すでに個別に働いていた人たちに軍が接受した場所を提供し、「収容」する場合もあった。「業者」を、移動や経営に関する便宜を与えるために「軍属」(あるいは軍属扱い)にする場合もあった。

しかし、それはあくまでも「軍が作った」慰安所に限る。したがって「慰安所」の形が様々であるだけに、「業者」のあり方も様々だった。島などの場合、
業者自ら、自分で粗末な「慰安所」を作り、「臨時営業」(一種の派遣業務)を始める場合もあった。しかしいずれにしても戦場の場合、移動に関して軍の許可が必要だったため、基本的にはその
多くの動きを軍が知り、統括していたのは間違いない。しかし、将校などは指定慰安所を使わずに、普通の料理屋を慰安所として利用する事も多かった。

軍が慰安所を作った(指定した)理由は、言われているように性病防止やスパイ防止以外にも、利用軍人が多くなるにつれて、部隊から近いところにおく便宜性や「安く」利用できるようにするため、の理由もあったとようである
。その場合の料金は<公>と言われた。

「慰安所」は、ひとつの形ではなく時期や場所によって様々な形があったことを念頭におく必要がある。

5、様々な「慰安婦」

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者は、厳密な意味では「慰安婦」とはいえない。

したがって、アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきではなく、本来の「慰安婦」の名前にふさわしいのは、「日本人」や「日本人」にさせられた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけと考えるべきである。

しかし、普通の売春施設にいた女性たちも「慰安婦」と同じように軍を対象にした性労働に従事し、「愛国食堂」のような看板を掲げて軍人を受け入れてもいたので(もちろん指定業所になっていたはずだ)、事態はややこしい。

しかし、すくなくとも、戦場での一回、あるいは継続的強姦をさせられた女性たちと、日本人を含む「慰安婦」たちの、軍人との関係の違いは歴然としている。

「慰安婦」は、このように国籍や時期、そして場所(最前線か後方か)によって、その体験は異なっている。

にもかかわらず、そのすべてを「「慰安婦」と考えて、問題の対応に当たったことから、大きな混乱が始まったのである。

しかし、そのどのケースであっても性的労働に従事させられるのは、社会における弱者であり、彼女たちの多くが病気にかかりやすく、死が隣り合わせの悲惨な境遇にいたことを認識することは、慰安婦問題を考えるための大前提とならなければならない。

6、「強制連行」について

したがって、軍人を相手に性労働をするまでになった経緯も当然ながら一つではない。中には本格的な募集が始まる前から現地にいた女性もいた。

韓国で最初にこの問題を提起した人は、自分が経験した「挺身隊」のことを「慰安婦」のことと勘違いした。彼女が経験した「挺身隊」は「学校」で「判子」を押すような形だったので彼女はその募集を「強制」と思ったのである。しかし「挺身隊」の募集が「学校」単位での「国民動員令」によるものだったことから分かるように「教育」のある人が対象だったのに対して「慰安婦」はほとんど低いレベルの教育か教育を受けていない人がその対象だった。韓国で慰安婦が「強制連行」されていったと考えるようになったのは、日本の否定者たちが言うように慰安婦が「嘘」を言ったからではなく、まずはこの90年代の勘違いによる。

しかしさかのぼれば植民地時代にすでに「挺身隊に行くと慰安婦になる」との風聞はあった。「慰安婦」は「挺身」して「兵隊さんのためのこと」をすると言われたのであり実際のところ看護補助や洗濯など「性的慰安」以外のことをさせられる場合もあったので、まったくの誤解とも言えない
(兵士の墓の掃除や洗濯なども、朝鮮人慰安婦たちはやらされていた)。

「軍人」がつれていったと証言する慰安婦の割合はすくなくとも証言集を見る限りむしろ小さい。そしてその場合も、「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた可能性が大きい。また、業者自らが、集めやすいように、当時始まっていた国民動員としての「挺身隊」へ行くのだと言った可能性も排除できない。業者は、日本人と朝鮮人がペアで現れたことが多かったようである。

しかし、慰安婦の募集は、一人や少人数でいるところを「工場」へ行くなどの言葉でだまして連れて行かれたことが、証言では圧倒的に多い。そういう意味では、「軍につれていかれた」という意味での「強制連行」はなかったか、たとえあったとしても「例外的」なこと—つまり「個人」の逸脱行為と見るべきであって、「軍が組織として(立案と一貫した指示体系を通して)だましや強制動員をした」と見るのは間違いと考える


オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれはより「強制性」が強い。ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言いにくい。日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味を持つからである。このような日本軍との「関係の違い」が無視されて同じ「被害者」としてのみ理解されたために、「強制連行」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせずに慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。

大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には,もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)、民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が「指定」し衛生などを「管理」した所で働いた人たち、戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが混在している。

軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ることもあったと見られる「業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的、しかし「法律を作っての」国民動員。しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。つまりもと慰安婦たちが「嘘」をついているというより(まったくないとは言い切れないにしても)、今はいないはずの「業者」たちが嘘をついた可能性も大きい。

7.日本軍と朝鮮人慰安婦

朝鮮人慰安婦は、場所によっては着物を着て日本名をつけられて働いた。つまり「日本人」女性に代わる存在だった。慰安婦たちには料金の区別がつけられていて、「日本人」が一番高く,その次が朝鮮人だった。本来なら巻き込まれないでいいはずの(日本を対象とした)「愛国」に朝鮮人も動員されたのである。その意味では朝鮮人慰安婦は日本の「植民地支配」が生んだ存在であり,その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。そして、慰安所に着くと最初に将校や軍医による強姦も多く、部隊移動中にも朝鮮人たちは「朝鮮人」であるゆえに、決まった性労働以外にも強姦されやすかった。

同時に、「国家のために」集められた「軍慰安所」に居た場合は、構図的には敵を相手に「ともに闘う同志」の関係にあった。兵士の暴行などを上官が取りしまり、業者の搾取を軍が介入して管理する場合も多かったようだ。

地域や時期にもよるが、慰安婦が、圧倒的多数を相手しなければならない過酷な体験をしたのは間違いない。同時に、基本的には兵士や業者の横暴から慰安婦たちを守るような規範もできていた。もちろんその規範が必ずしも厳しく守られたわけではなく、兵士たちはよく朝鮮人慰安婦によく暴行をふるい、注意程度の処罰しか受けなかったことも多かった。
朝鮮人慰安婦はそのように総体的な民族差別の中にいた。朝鮮人慰安婦と日本軍人は恋愛も可能だったが、そのことを見ることが、宗主国・植民地出身という構図のなかの差別や搾取を無化することになってはならない。

朝鮮人慰安婦の一部は、最前線においても行動を共にしながら、銃弾の飛び交うような戦場の中で兵士のあくなき欲望の対象になり、銃撃や爆弾の犠牲になるような過酷な体験をした。つまり、たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、朝鮮の女性たちをそのような境遇においたのは「植民地化」であった。したがって、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は、「戦争」責任以前に「植民地支配」責任として問われるべきである。

8、業者

軍が必要として集められたのは確かだが、拉致や嘘を軍が公式に許可したとする証言や資料は今のところみつかっていない。そして、嘘までついて強制的につれていったり、病気などの時も「強制的に」働かせたり、逃げないように監視したり、中絶させたのは、ほとんどの場合日本人や朝鮮人の「業者」だった。日本人業者の方が規模が大きく、朝鮮人業者の方が規模が小さかったように見える。
慰安婦たちの多くはは借金状態を抜け出せず、自由廃業ができなかったがその直接の原因はこうした業者たちの搾取構造にある。
吉見教授は慰安婦に「居住」「廃業」などの自由がなかったというが、それは基本的には「業者」による拘束と戦場であるがための拘束であり、「軍人」に移動の自由がなかったのと同じケースと考えるべきであろう。

そしてもと慰安婦たちの身体に残っている傷跡も業者によってつけられた場合が多い。軍が暴行する場合ももちろん多かったが、少なくとも公式には禁じられていた。

つまり、「慰安婦」を巡っての「犯罪」——当時の法律に抵触する行為は、拉致・誘拐や人身売買であって、「慰安所利用」を「道徳的に」問題のある「罪」と捉えることは可能でも,当時の(法律に抵触する)「法的犯罪」と捕らえるのは難しい。

9.20万の少女

「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数だったことが、1970年頃の韓国の新聞記事から推測可能だ。新聞は、日本人女性が15万,朝鮮人が5—6万、と言及している。こうした誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解されてきたものと考えられる。しかもその「慰安婦」の全てが必ずしも「軍が作った」「軍慰安所」にいたわけではないことはこれまで述べてきた通りである.

慰安婦になった人には「少女」がいなかったわけではないが、1960年代の韓国映画には朝鮮人学徒兵たちにおける慰安婦が成人だったことが分かる。
実際に証言を見ると十代前半のケースはむしろ少なく、当時の軍人たちにも「例外」な状況として受け止められていた。「慰安婦」と名乗り出た人の多くがまだ幼かった「少女」であったことを強調するのは、彼女たちがその「例外」のケースにいた人々と見るべきだろう。実際には、証言者の多くが、「他の人は自分より年上だった」と語ってもいる。売春業界に少女が連れ込まれるのは世界中にあることであり、そういう意味で少女が多かったことはありうるが、それは日本軍の意思というより、業者の意思によるものと考えるべきである。慰安婦の都市は一概に推定できないが、証言集や資料による限り、その平均年齢は、20才以上と考えられる。

10、敗戦後の帰還

慰安婦が敗戦後に帰国できなかったのは、戦場での爆撃の犠牲になった場合や玉砕に巻き込まれた場合が多かった故のことと考えられる。中国にいた慰安婦たちは、いわゆる「引揚げ者」たちの受難を同じく経験していて,場所によっては帰ること自体が難しく、その道のりで犠牲になった場合もあると考えられる。そのほかは帰ってきたかその地に残ったものと見られる。敗戦後に「置き去り」にしたことに、動員した軍に責任があるのは言うまでもないが、それでも慰安婦たちの「おきざり」に対するうらみは、日本軍より「業者」に向かう場合が多い。軍と行動を共にした場合、負ける戦闘のさなかでのことであって、その状況は様々で、軍が帰国を助けた場合もあった。

11、1990年代の謝罪と補償

1990年代に日本が「慰安婦」と名乗り出た人々に「謝罪と補償」をすべく作った「アジア女性基金」は、被害者たちが要求した「国会立法」を経たものではなかったが、当時の閣僚たちの合意に基づいて作られたものだった。国会では立法を進めた議員たちもいたが、韓国の場合、1965年の日韓条約で国家間賠償が終わったことと「強制連行」の有無が議論の焦点となって法案を通すにはいたらなかった。「基金」は「国会」は通さなかったが、「政府」閣僚たちが合意してやった「謝罪と補償」である。それは「国会立法」を主張する人たちに「責任回避」の手段と非難されたが、1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が、「法的責任」は存在しないと考えながらもなお、「道義的責任」を取る
として行った、いわば「責任を取るための手段」だった。国民の募金でまかなうと言われていたが、300万円に当たる医療福祉補助費も出されていて、名前こそ「補償金」でないが、実際に慰安婦たちにわたった補償金の半分以上が国庫金から出されている。最終的には事業費の89パーセントが国庫金からまかなわれていた。そういう意味では「基金」は、単なる「 民間基金」ではなく、日本政府と国民が心を合わせて行った「謝罪と補償」の試みであった。もちろんこのとき、日本政府は、基金への関与をより明確に言えばよかったであろう。

12、1965年の過去清算について

1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。「植民地支配」という過去清算に関する条約ではなかったのである。条約の文面にひとことも「植民地支配」に対する謝罪の言葉が入ってないのはそのためである。実際徴用などに関しての「補償」も、中日戦争後のことに限っていた。しかし朝鮮は日本の戦争相手国ではなく、むしろいっしょに闘った立場だったので、この補償は、恩給などに当たる、いわばもと「日本国民」としてのものだった。突然両国が引き離されることになったための、貯金やその他を含む金銭的事後処理が中心だったのである。

そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。

当初韓国側は「植民地支配」による被害について(人命損失など)も請求しようとした。最終的にそれが削除された理由は明らかでないが,おそらく今でも続いている論争——「植民地支配は合法」、つまり韓国の意志でやったことだというような議論があってのことかもしれない。確かに当時においてはほかの元帝国も「植民地支配」に関して謝罪したことはなく、それは時代的思考の限界だった。つまり、1965年の条約は植民地支配についての謝罪にはなっていないが、それは冷戦下にあって元帝国諸国がそのような事に関して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかったこと、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去清算」を急いでしまったためのことだった。

13、1910年の合併条約について

さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。そしてこの時の条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生じることになる。しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的には正しくても現実的には無理がある。それはアメリカやイギリスなどやはり植民地を作った大国の承認を得てやったことであって、彼らだけの「法」に基づくものだったという意味でなら「不法」と言えても、ともかくも「合併」を韓国が承認した文面が存在する限り、残念ながらそのことを「不法」とは言えなくなるという現実もある。

もっとも、国民のほとんどに意見が聞かれたわけでも知らされていたわけでもない「合併」は、「ほとんどの朝鮮人」の了解や承認を得ていないという点ではほんとうの意味では「了承」したとは言えない。しかし国の代表がそうしてしまった時点で、不服でも、「不法」といえないことは、政治的・時代的限界と考えるべきであろう。そのような「法」に問題があったことを後世の人々が認めるのなら(すでに90年代の日本の謝罪はそれを間接的に認めたことにはなる)、たとえ「不法」でなくても、道義的に問題があったとみなすことは可能である。「法」にかかわらず、日本に植民地支配の責任があることは間違いない。

14,「法」の問題

韓国政府や支援団体が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「不法」と認めて「賠償」せよとするものである(日本の支援者の多くもそれを主張している)。しかし、当時において日本内で「売春」が「不法」と認められていなかった以上、そのことを「不法」とみなすことは無理がある。たとえ国際的に不法と見なし始めていた時期だったとしても、である。当時は性暴力さえもまだ「法」で処罰することはしていなかった時代だったのであり、だからこそ男たちは罪の意識もなく強姦を繰り返したのである。

しかし「人身売買」は当時においても「不法」と認められていた。問題は、その人身売買を日本軍が指示したかどうかにある。実際に人身売買であることを知りながらも黙認したふしはある。しかし、日本軍は
詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない。

15、再び「アジア女性基金」について

そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。

すでにイタリアやイギリスも植民地支配に関して謝罪をしたことがある。もっとも、日本も,細川首相や村山首相が行った。しかし、最初は「慰安婦問題」を「植民地支配」と捉えていたのが、のちに別の国の人たちが現れることになったことが影響して、普遍的な「女性の問題」と捉えられることになったために、そのような捉え方はやがて消えてしまった。

しかし、現在この問題で、ほかの国・地域は「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在慰安婦問題を「不法」だったとして「賠償」を求めているのは「韓国人慰安婦」だけなので、「日韓問題」として捉え直す必要がある。
そして、あらためてそうした状況を念頭におきながらしかるべき解決を考えるべきであろう。オランダや中国などほかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方だけでは、朝鮮人慰安婦の特殊性が見えてこない。そして、家父長制の中の犠牲者と捉える時、真なる「女性人権」の問題として向き合いなおすことができるだろう。

日本の一部の人はほかの国々もやったとして責任を回避しようとするのではなく、オランダを始め世界の「元帝国」に、「植民地支配」が起こした問題としての自覚と反省を呼びかけるべきだ。そうして始めて、アメリカもイギリスもオランダもこの問題を「自国」の問題として向き合うことができるだろう。それらの国の欲望のためにも、自国や他国の女性たちは動員されていた。

16、「性奴隷」について

朝鮮人慰安婦たちは「準軍人」のような役割もさせられていた。彼女たちの境遇が悲惨だったのはまぎれもない事実であるが、監禁し、強制にちかい労働をさせた主体は、軍のみならず業者でもある。自由がなかったという意味での彼女たちの「奴隷性」
は、まずは「主人」と呼ばれた業者との関係で成立しすると考えるべきだ。
同時に、彼女たちは、国家の必要によって過酷な労働を強いられ、命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないという意味で、軍人と変わらない。朝鮮人軍人には少ないながら一定の補償金が支払われた。それは彼らを守る法が存在したからである。そして、女性たちにはそのような『法』によって守られなかったのは近代国家システムが男性中心主義的だったからである。

17、河野談話

河野談話は「自分の意志に反して」慰安婦になったことを認めているのであって物理的な「強制連行」を認めているわけではない。つまり,連れていった過程が自分の意志ではなかったことと慰安所での性労働が彼女たちの選択ではなかったことに触れていて、物理的ではなく構造的な強制性を認めている。それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもあった。つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたものではない。しかも管理をしたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話を見直す必要はない。

18、解決をめぐる葛藤

日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識されたのは、まずは、マスコミなどの報道にもよるが、新たな補償が1965年の条約に抵触することを気にした政府が、基金に深く関与していることを十分に説明しなかったことに第一の原因がある。しかし、「仕方のない次善策」として受け止める人たちもいる中で「責任を回避するもの」と強く非難し,以後今日に至るまでこの問題で日本政府を非難している人たちの一部は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。それは、歴史認識をめぐる対立がポスト冷戦時代を迎えて行なわれ、過去の歴史に対する考え方でもって現在のアイデンティティを問われる形になったからである。
そして、正義のためのはずだったその主張は、慰安婦像と「強制連行」をめぐる理解において反対派と接点を見いだす努力を怠ったがために、結果として 、慰安婦問題に反発するひとたちが日本内にたくさん増えてしまった。
支援者たちは、天皇を犯罪者にするような国際裁判も開いたが、理念としてはいいとしても、「運動」としては広く「日本国民の合意」を得るのではない逆の方向へ行くものだったと言う点で、効果的だったとはいいにくい。2000年代以降、日本で「嫌韓流」に始まったへイトスピーチの根っこには左翼や慰安婦問題への嫌悪があった。

19、世界の意見

運動家たちは2000年代以降に日本政府を説得することよりも世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。そしてKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは 「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷として働かされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えている。欧米の議会の決議もそれらの報告書を参考にしているが、これまで見てきたように、世界の慰安婦問題への理解は、必ずしも正しいわけではない。

国連ではオランダの女性も証言していて、オランダのケースは確かに「レイプセンター」の言葉に近いものだった。しかしオランダの女性は朝鮮人や日本人慰安婦とはその立ち位置が根本的に異なる。オランダの女性が被害を受けたのは、彼女たちがオランダが植民地にしたインドネシアに暮らしていたためで、植民地をアジアに多く持っていた、オランダをはじめとする欧米諸国が、日本だけを非難するのも必ずしも公平とは言えない。

20、帝国と慰安婦

韓国や沖縄基地をはじめ米軍が基地をおいているところでは今でも遠い地に送られた兵士たちを「慰安」すべきとされている女性たちがいる。つまり、戦後直後の日本や韓国戦争での朝鮮戦争当時やその後の韓国がそうだったように、「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争に待機している)か戦時かの違いだけである。

それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国はそれを提供し黙認している。

かつて国家が政治経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのは、アイロニーと言うほかない。

弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうは意図しなかったはずだが、日韓の葛藤を維持することで韓国の軍事化や保守化を進めた。韓国が北朝鮮や中国と連携して日本を批判するのも、現実には冷戦構造の持続に加担することになる。

したがって、支援者たちは冷戦的思考にとらわれずこの問題を考え、否定者は慰安婦の悲惨さに気づくべきである。そして日本内の国民的「合意」を見いだすべきである。
まずはそれに向けて、意見が対立する人たちで議論し、接点を作れるように日韓協議体を政府主導で作るのが望ましい。「合意」を前提にし、
支援団体のほかに慰安婦本人や第三の識者を入れるのは必須である。密室議論ではなくメディアなどに公開し、この問題に関する知識を多く持つようになった両国国民に考えてもらい、納得してもらう必要がある。
最終的には、その結果に基づいて、植民地氏支配の結果としての認識を盛り込んだ<国会決議>ができるのが望ましい。
それには、
1、1990年代の基金の試みのやり直し、つまり国民を代表する国会が主体的に解決
2、欧米の決議を受け止めつつの批判的応答
3、「戦後日本」との自己認識を「帝国後日本」と捉えなおす
この三つの意味がある。


<秦・吉見議論について>

——秦郁彦教授の意見について

1)
売春婦としてのみ見なしているー愛国した存在、特に軍が運営した場合は「準軍人」として支えたことが看過されている。たとえ売春婦としても悲惨さは変わらない。お金を稼ぎ、楽しかったとすれば、「軍のために働く存在だったから」ための強制された誇りゆえ。お金を稼いだ人だけに注目する傾向が強い。慰安婦たちが楽しかったとすれば、それはそれだけつらい生活をしのぐための自己欺瞞的誇りの結果と見るべきだ。

2)
業者を朝鮮人だけと考えているが、日本人も多かったと見える。

3)
朝鮮人だけの責任にしたがっている—需要を作った日本国家の責任を考えない。

4)
業者が軍に働きかけた境遇だけではない。業者は軍属の地位を与えられることもあった。

5)
女性たちをチェックしたのはそういう「商品」を利用しないようにしたことと考えられるが、契約書があれば問題がないという主張になる。本人が認知せずに軍を手伝うことと考えた場合もあるのだから、契約書があれば問題がないとはいえない。

6)
運動が政治活動になった動きがないわけではないが、それは参加者の一部。ほとんどは単に善意で動いたと考えるべきだ。

——吉見義昭教授の意見について

1)
`強制連行`を、構造的な強制性と捉えるのは正しいが、それを官憲がつれていったことと理解する人が多い以上、その違いは正確に語るべき。

2)
性奴隷的側面があるのは確かだが、直接に自由を拘束したのは業者であり国家。売春婦にも奴隷性があることを看過している。

3)
世界が慰安婦問題で韓国の主張を認めたことは、必ずしも支援団体の主張が正しいことを証明しない。

4)
慰安婦の生活困難は業者の搾取によるもの。インフレだけではない。

5)
オランダとの関係における違いを看過。

6)
業者には純粋に民間も存在。軍属のみではない。前線に行くひとのみ。様々な慰安所があるのに軍運営のものに限定して語っている。

7)
責任—人身売買の主体は業者なのに業者の責任は語られない。国家が加担したのは事実だが、知っていて指示し、助けた(船を使っただけで人身売買を助けたと言っていいかどうか)のと、知って黙認したのと知らずに利用したのは違う。時期によって場所によって違っていたはず。それを全て軍の責任としている。

8)
構造的強制性の中にある自発性を看過。人身売買だから性奴隷というが,そうでないケースもあるし、何よりも慰安婦の「主人」は業者だった。

*どちらも慰安婦の一面だけど見ていて結論が先だっているようだ。そうである限り「歴史学者」の議論であっても接点を見いだせないだろう。

*「被害」かそうでないかだけを強調しているが、「植民地」はその両方を持つ存在だった。

*考えるべきは、国家(帝国)欲望に動員された人々の不幸を誰が償うかのこと。兵士もその一人。慰安婦も。そこに加担した民間の責任(定住者たち、大人たち)もまた大きい。

*この問題が難しいのは体験が異なるのに、「補償」は一つの形にするほかないということ。

*慰安婦は「売春婦」も無垢な「少女」の面も併せ持っていて、そのような矛盾こそが「植民地の矛盾」だった。今では変わって来ている側面もあるが、慰安婦の役割は基本的に社会の弱者に担わされるという点で階級問題であり、家父長制や性をまで戦争に利用する国家の問題である。彼女たちは自分の身体と命の「主人」ではありえなかった。そのことを知ることこそが、慰安婦問題を考えることの意味にならなければならない。


2016/01/01

[日本語訳] NYT「論争の韓国の慰安婦物語」(帝国の慰安婦)

欧米メディアの報道も微妙に変化?

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、最後の最後に大きな出来事がありました。日韓が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」に合意。これについては、まだこの後、一つか二つ小波乱があるかもしれません。

これに比べれば地味なニュースではありますが、ノリミツ・オオニシ以降、慰安婦問題についてかなり偏った報道を繰り返して来たニューヨーク・タイムズが、12月になり『帝国の慰安婦』を巡る韓国の騒動に絡み、初めて(?)慰安婦問題に関して真っ当な・・・あえて言えば「正直な」記事を掲載しました。この記事は、現在密かに他の欧米メディアに影響を与えつつあるのではないかという気がしています。また、アメリカの反日運動家にもインパクトを与えたらしい気配もあります。

昨年の教科書の国定化パク・ユハ教授の在宅起訴というニュースで、国際社会の韓国を見る目も変わって来たようです。この記事にもありますが、日本も韓国もどっちもどっちという目で見られ始めたようです。敵失というわけでもないでしょう。韓国政府にも言い分はあるはずで、要するに、日本の場合と同じく欧米メディアの無知もあるのでしょう。それでも、日本にとっては棚からチャンスが降って来たようなもの。少しずつですが、状況は好転しています。

論争の韓国の「慰安婦」物語、激しい反発を呼んだ大学教授

2013年に朝鮮人「慰安婦」に関する本を出版した時、この本がどのように受け止められるか「少々不安だった」とパク・ユハは書いている。

結局のところ、この本は戦時性奴隷についての「常識」に真っ向から挑戦する物だった、と彼女は言う。

しかし、反発がこれほどとは、彼女ですら考えていなかった。

今年の2月、韓国の裁判所は、パク氏の『帝国の慰安婦』に関して、虚偽の事実で元慰安婦の名誉を毀損しているとして34箇所の改訂を命じた。パク氏は、韓国では広く日本の植民地支配による被害と歴史的正義の回復(原文:渇望)の神聖なるシンボルとみなされている老婆たちの名誉を毀損したという理由で、刑事裁判の被告にもなっている。彼女は何人かの慰安婦自身からも名誉毀損で訴えられている。

慰安婦たちは、パク氏が日本文学の教授を務めているソウルの世宗大学からの追放を要求している。他の研究者たちは、彼女を戦争犯罪に関する日本の弁解人だと言っている。ソーシャルメディアでは、彼女は「裏切り者の親日派」とされている。

「彼らは慰安婦の異なる面を見せたがらないのです」穏やかな語り口調の彼女は、支援者の一人が経営する物静かな街角の喫茶店での最近のインタビューで語った。「そんなことをすれば、彼らは問題を希釈化し、日本に免罪符を与えることになると考えるのです」

慰安婦問題は長い間議論の的となって来た。批判者らが単なる日本の代弁者と呼ぶパク氏・・・によって提示されたサンプル(出来事)が、これまで何年にも渡り提供されて来た多くのサンプルよりも正しいのか判断するのは難しい。ともあれ、パク氏が立ち向かう韓国人の間の常識は、韓国人の隣の島国に対する敵意と同じく、数十年に渡り、ゆるぎない物として存在し続けているのである。

公的史観によれば、20世紀の初期、日本政府は軍隊が運営する自国の売春宿に朝鮮その他から無垢な少女たちを強制的に連れて行った。そこで彼女たちは性奴隷として拘束され、第二次大戦に日本が敗れるまで続いた35年間の日本の植民地統治の最悪の伝説として、日に何十人もの兵隊に汚されたのだった。

本の為に、韓国と日本の豊富なアーカイブを精査し生存する慰安婦にインタビューしてリサーチした58歳のパク氏は、そうした浄化され画一化された朝鮮人慰安婦のイメージは、慰安婦の正体を十分説明出来ないし、韓国と日本の間の数々の問題の中でも最も感情的な問題を一層深刻化させることに気づいたという。

彼女が言うところの、慰安婦の人生に対するより包括的な見方を提示する為に、彼女はある者にとっては新鮮だが、多くの者にとっては豪語同断、時に裏切りとさえ受け取られる主張をした。

本の中で彼女は、女性を「慰安所」に連れ込んだり強制したのは不当な利益を得る朝鮮人協力者と民間の日本人募集人たちで、「慰安所」での生活は強姦とも売春とも無縁ではなかったが、日本政府が公式に朝鮮人女性に対する強制に関与したという証拠はなく、それゆえ法的責任はないと強調している。

売春宿でしばしば「奴隷のような境遇」の下で虐げられてはいても、朝鮮や台湾といった日本の植民地の女性たちは、帝国市民として扱われ、自分たちのサービスを愛国的行為と認識することを期待されていた。彼女たちは日本兵たちと「同志風」の関係を結び、時に彼らと恋に落ちたと彼女は書いている。彼女は、日本兵たちが病気の慰安婦を愛情深く介抱し、売春婦となることを望まない者たちを帰郷させたケースも紹介している。

この本は数千部しか売れなかったが、途方もない論争を呼んだ。

「彼女のケースは、韓国において慰安婦に関する型にはまった知識に楯突くことがいかに困難になってしまったかを表している」と、社会批評家のキム・クハンは言う。

昨年日本で発売されたパク氏の本は、賞を受賞した。先月、日本とアメリカの54人の識者が、「学問と報道の自由に対する抑圧」であると韓国の検察を非難する声明を出した。その中には、1993年に慰安婦募集の中の強制性を認めた画期的な謝罪を出した河野洋平元官房長官もいた。

その時ですら、河野氏は募集は主に日本軍や行政、軍人の要請で働いていた民間業者が行ったと述べた。しかし、怒れる韓国人たちにとっては、河野の通告は謝罪を無意味にするものでしかなかった。

今月、190名の韓国の学者と文化人が、パク氏が著書の中で試みたことを支持する声明を発表した。書かれていること全てを支持したわけではないが。彼らは、彼女の起訴を「公衆の意見を国家のコントロール下に置こうとする」「時代錯誤」な試みだと訴えた。

しかし他の人々は、学問の自由を言うのは、批判(反発)の本質を見誤っていると主張する。今月、380人の日本や韓国その他の国の学者と運動家がパク氏を「重大な法的理解に対する軽視を露に」し、日本の国家責任という問題の本質を回避しているとして非難した。

彼らの声明は、軍のような日本の国家機関が数万人の女性を性奴隷にするという「おぞましい犯罪」に関与したのだと主張する。1990年代の二人の国連特別報告者に共通する見方である。

ソウル大ロースクール(?)のヤン・ヒュンア教授は、パク氏の言語道断な間違いは「女性たちの人生から選択的に抽出した些事を一般化する点だ」と言う。

「あの女がこの国から追放されればいいのに」パク氏を訴えた9人の元慰安婦の一人ユ・ヒナム(87)はそう言いながら記者会見で杖を振るわせた。

息子を連れて夫と離縁したパク氏は、韓国で育ち、高校を卒業してから家族で日本に移住した。日本で大学に進学し、早稲田大学で日本文学の博士号を取得した。彼女は、以前に上梓した『和解の為に』で慰安婦問題に触れている。この本は、二つの国の間の悩ましい関係を癒すという彼女のもっと大きな願い(興味)を反映した物だった。

彼女は2011年に、慰安婦を売春婦と主張し、韓国での慰安婦のイメージを否定する日本のディナイアー(否定論者)達との間の溝を埋めるべく新しい本を書き始めた。この溝は、それぞれの政府の歴史観を国民に押し付けようとしているとして批判されている韓国のパク・クネ大統領と日本の安倍晋三首相の下で深まったように見える。

昨年、安倍氏の政治的同志達は、1993年の河野氏の謝罪の撤回(再考)を主張することまでした。

パク氏は、家父長制社会や国家主義や貧困が慰安婦の募集に果たした役割を調べることによって、議論を深めようと試みたと言う。中国のような占領地で戦利品として捕らえられた女性と異なり、植民地朝鮮の女性たちは、現代の貧しい女性たちが売春婦となるのとそっくり同じようにして慰安婦所に連れて行かれたのだと言う。

加えて、彼女はもっと最近の、1960年代から80年代までの韓国で、冬季演習中のアメリカ兵たちの後をついて歩いた韓国人売春婦と日本軍慰安婦を比較した。(元アメリカ軍売春婦たちによれば、しばしば毛布を腕に抱えていたことから「ブランケット部隊」と呼ばれた女性たちは、アメリカ軍部隊を探す売春業者に導かれて雪の丘を歩いたり、アメリカ兵たちが列を作る前で、テントで野戦売春宿を設営したりした)

「朝鮮人慰安婦は犠牲者だった。しかし同時に、彼女たちは植民地からの人間として協力者でもあった」と、裁判所の指示で改定されたの部分でパク氏は書いている。

しかし彼女は、たとえ日本政府が直接女性たちの強制リクルートを命じなかったとしても、たとえ一部の朝鮮人女性が自発的に慰安所に赴いたとしても、日本政府は、こうした事が起こる原因となった帝国主義的構造を構築した「罪」を免れることは出来ないとつけ加えた。

パク氏は、自分には慰安婦を中傷する理由がないと言う。

朝鮮が開放された1945年以後、元慰安婦たちは「自分を売った親や朝鮮人業者」に対する憎しみといったような思い出の多くを捨て去った。代わりに、反日感情を煽るためにナショナリスト活動家らに押し付けられた「被害国のシンボル」という役割を演じることのみを期待され、そして韓国人一般に受け入れられたのだと彼女は言う。

「自発的だろうとなかろうと、売春婦だったか否かに関わらず、我々の社会では彼女たちは純粋無垢な少女でなければいけないのです」と彼女はインタビューの中で語った。「さもないと、人々は日本に責任を負わせられないと思っています」


2015/11/26

パク・ユハ教授の起訴、朝日毎日の批判、韓国(&海外)にインパクト?

このツイートの一週間後、教授は在宅起訴された

帝国の慰安婦』を執筆したパク・ユハ教授が、在宅起訴された件は、日本の四つの全国紙でも報じられた。特に朝日毎日に社説で批判されたことは韓国メディアにインパクトを与えたのか、聨合ニュースは朝日新聞の紙面を写真で紹介、韓国日報も東京特派員が「日本の報道機関も批判一色」と伝えた。

朝鮮半島で軍による慰安婦の徴用は行われなかったというパク教授の主張を「学問の自由の逸脱」とみなすソウルの地検を擁護する声は、日本では聞かれない。朝日と毎日の社説は英字版にも掲載されたので、例の「日本研究者」らも多少は慰安婦問題について勉強出来たろうか?特に毎日新聞の社説からは、パク教授を高く評価しているしていることが伺える。

敢えて英字版から朝日新聞の解説を逆輸入すると。

But the prosecutors office takes the stance that the Korean women were forcibly mobilized by the Japanese government and its military forces(検察は、朝鮮人女性は強制的に日本政府とその軍隊によって動員されたのだという立場をとっている)


強制的な「日本政府・・・による動員(mobilized by the Japanese government)」をパク教授は否定している。この朝日のこの書き方なら、外国人にも誤解されないだろう。そして、この点については、安倍首相の認識もパク教授と変わらないのである。安倍首相に韓国政府/社会が反発しているのは、韓国の公的史観に従わないからで、歴史を否定しているからではない。的確な英訳を選択したことと合わせ、朝日新聞の報道は評価されていい。

聨合ニュースは、写真で朝日の紙面を紹介


韓国:「帝国の慰安婦」著者を在宅起訴 名誉毀損罪で

韓国のソウル東部地検は18日、慰安婦問題を扱った学術書「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」の著者、世宗(セジョン)大の朴裕河(パク・ユハ)教授を名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴した。

韓国のソウル東部地検は18日、慰安婦問題を扱った学術書「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」の著者、世宗(セジョン)大の朴裕河(パク・ユハ)教授を名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴した。

元慰安婦らは昨年6月、朴氏が慰安婦について「売春婦」「日本軍と同志的関係にあった」などと記述したことから、元慰安婦を侮辱したとして刑事告訴した。

検察は、河野官房長官談話や、2007年に米下院が日本に慰安婦問題で謝罪を求めた決議などを基に「元慰安婦は性奴隷に他ならない被害者であることが認められている」と指摘。著書の内容は「虚偽」と判断した。

同書は韓国語で13年8月に出版された。元慰安婦らが出版差し止めの仮処分を申請し、ソウル東部地裁は今年2月、一部箇所の削除を求める決定を出した。

同書は日本語でも出版されており、今月、アジア太平洋地域の政治・経済・文化などに関する優れた本を著した研究者に贈られる「アジア・太平洋賞」特別賞を受賞した。

毎日 2015.11.19[2]

在宅起訴された慰安婦本著者「考え受け入れられず残念」

同書は朝鮮人慰安婦の背景として、帝国と植民地の関係を提起。日本の戦争に伴って、貧しく権利の保護も不十分な植民地の朝鮮人女性が慰安婦として送り込まれた構図があるとした。そのうえで、慰安婦の多くは、だまされたり、身売りされたりして集められたとみられると指摘。「性奴隷」「売春婦」といった対立する主張がある実態について、元慰安婦らの証言をもとに境遇は多様であったとした。

検察は[...]慰安婦が「売春」の枠内の女性であり、「愛国心」を持って日本兵を慰安したとする表現や、「慰安婦たちの『強制連行』が少なくとも朝鮮の領土では、公的には日本軍によるものではなかった」との記述について、「虚偽の事実」を掲載したと判断。元慰安婦の名誉を傷つけ、学問の自由を逸脱したとみなした。

同書は2013年夏に出版された。元慰安婦らは出版差し止めの仮処分を請求。今年2月のソウル東部地裁決定に従い、一部を削除した修正版が韓国で出版された。元慰安婦らは昨年6月、名誉毀損だとして朴教授を刑事告訴していた。

日本版は昨年11月、朝日新聞出版から刊行された。慰安婦問題の再検証で両国民の理解を深めるという趣旨は同じだが、日本語での書き下ろしで、構成や表現は韓国版と同一ではない。今年10月、第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の文化貢献部門大賞と、アジア・太平洋賞(毎日新聞社、アジア調査会主催)の特別賞に、それぞれ選ばれた。

朴教授らによれば、検察は当事者同士の話し合いによる解決を提案。元慰安婦らは話し合いに応じる条件として、①朴教授による謝罪②韓国版の再修正③日本を含む海外版の修正――を要求。10月までに話し合いは不成立に終わった。

(以下略)

朝日(一部) 2015.11.20[2]

2015/03/29

パク・ユハ教授をなじった韓国の「ネトウヨ」市長(城南市)

イ市長、市民100人と慰安婦像に顕花(2015.1)

市内と米国に同時に慰安婦像を建てる計画を発表(2014.3)

ステレオタイプな慰安婦観を批判するパク・ユハ教授を、ネット上で罵倒していたのは、韓国の城南市長。「こんな人間と同じ空の下で息が吸えるか」「本当に韓国人なのか」と、言動はまさに「ネトウヨ(ネット右翼)」。当たり前だが、韓国にだって「ネトウヨ」はいるわけである。しかも地方自治体の長をやっているという・・・。

ところでこの市長、慰安婦問題に熱心で、市役所前広場に慰安婦像を設置しただけでなく、アメリカのミルピタス市にも設置しようと画策した(その後、どうなったのだろうか?)。今年も自ら建立した慰安婦像に寒さを気遣いカイロを差し入れたりしている。市長からは、オタク魂も感じる。

※ タイトルの一部を「ネット右翼」から「ネトウヨ」に変えた。理由はコメント欄に。

・・・不意に「紳士たるもののあり方」について考えたのには理由がある。朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授(日本語日本文学科)の本『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘争』に対するソウル東部地裁判決と、それに伴うソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上での騒動を見たからだ。同地裁は同書の内容のうち、34カ所を削除しなければ販売を許可しないとの判断を下した。従軍慰安婦に対する名誉毀損(きそん)がその理由だ。

安倍政権の右傾化が進む中、従軍慰安婦について日本だけでなく韓国の責任も指摘している同書の内容は非常に挑発的だ。学者の研究書とは言え、民族主義的な憤怒の矢を浴びるであろうことは十分に予測可能だったはずだ。しかし、この騒動や波紋は朴教授という個人をめぐる騒ぎに終わるような事案ではなかった。表現の自由と学者の良心、その限界についての深い議論のきっかけにもできる事案だった。ところが、その後の状況は思ってもいなかった方向に転がっていった。「天下の悪女」「民族反逆者」など、朴教授に対する個人攻撃の場に変質してしまったのだ。

その先鋒(せんぽう)に立ったのは京畿道城南市の李在明(イ・ジェミョン)市長だった。李市長は「フェイスブック」や「ツイッター」などを通じ「こんな人間と(同じ)空の下で息が吸えるものか」「今からでも謝罪しなさい」「この人は本当に韓国人なのだろうか」など、憎悪や敵意に満ちた言葉を自ら書いたり、転載したりした。扇動的な書き込みに興奮したネットユーザーたちは、女性である朴教授に対し性的にさげすむ言葉や卑猥(ひわい)な言葉を書き連ねた

文字通り「見せしめ」になってしまったSNS上の応酬を見て、そのあおるようなむき出しの言葉を「ろ過」する最低限のマナーについて考えさせられた。もちろん、サイバー空間で開放感を得ようとしている匿名のネットユーザー全員に「紳士の道」を求めるのは無理だろう。しかし、少なくとも李市長のような公の立場にある人間なら、敵味方や二分法ばかりの論法に終始せず、社会の統合まで考えなければならない責任がある。敵味方をなくす真の対話の場を作るためにも、冷静になる、あるいは自制するというマナーを守るべきではないか。直接会って顔を見ながら議論する日まで、言葉を慎むことはできなかったのだろうか。

一度もイケメンだと思えなかったコリン・ファースが、映画の中でけっこうイケてるように見えたのは、高級スーツを着ていたからだけではないだろう。李市長や韓国の政治家たちの口から出る言葉でも、そうしたマナーが守られることを期待したい。

文化部=魚秀雄(オ・スウン)次長

朝鮮日報日本語版(一部) 2015.3.1[2]

2015/02/18

帝国の慰安婦削除せねば差し止め



韓国では朝日新聞を助けろとか植村隆を賞賛する声が上がるのに、なぜ日本ではパク・ユハ教授を助けようという声が上がらないのか?日頃言論の自由にうるさい日本の良識派だが、親日派はあまり好きではないと見える。

韓国でバッシングを浴びるパク・ユハ教授

慰安婦巡る本 一部削除しなければ差し止め

いわゆる従軍慰安婦を巡る問題について、韓国社会には誤解が定着しており正しく理解すべきだなどと指摘した本について、ソウルの裁判所は、一部の記述を削除しなければ出版を差し止めるという決定を出しました。

韓国メディアの中には本の内容を支持する声もあり、今後さらなる議論を呼ぶことも予想されます。

セジョン大学のパク・ユハ教授は、おととし出版した「帝国の慰安婦」の中で、朝鮮人慰安婦の被害を生んだのは日本の植民地支配に原因があるなどと日本の責任を強調する一方で、韓国社会には「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という間違ったイメージが定着していると指摘しています。

この本について、元慰安婦の女性らが名誉毀損だとして出版の差し止めなどを求めていた仮処分の申し立てに対し、ソウル東部地方裁判所は17日、「強制連行という国家暴力が朝鮮人慰安婦に対して行われたことはない」とか「朝鮮人慰安婦と日本軍は同志的な関係だった」という記述など34か所について削除しなければ出版を差し止めるとする決定を出しました。

決定の理由について裁判所は、「日本軍が慰安婦を効率的に動員し、その輸送過程にも深く介入しており、日本軍の強制動員の事実は否定できない」などとしています。

これについてパク教授は「原告の主張を一方的に受け入れた不当な決定だ」として、不服を申し立てることにしています。

韓国メディアの一部からは、本の内容を支持する声や、言論や出版の自由を制限しようとする申し立て自体を批判する声も上がっており、今後さらなる議論を呼ぶことも予想されます。

NHK 2015.2.18[2]

2014/08/16

パク・ユハ世宗大教授 「慰安婦支援者に訴えられて」

ナヌムの家の顧問弁護士 バク・ソンア
手にしているのはパク・ユハ著「帝国の慰安婦」

韓国で支配的な意見に抗し、より中立的な和解案を提示して来たパク・ユハ世宗大教授。それが気に入らないのが、韓国世論を先導し、韓国政府すら半コントロール下に置く挺対協(とナヌムの家)。彼らはパク教授の新著「帝国の慰安婦」を槍玉に彼女をスラップ訴訟の標的にした。パク教授側の言い分だが、気に入らぬ人間に片っ端から社会的制裁を加えて来た連中とどちらが信用出来るか、考えるまでもないだろう。ナヌムの家にあって所長らに批判的な慰安婦の信頼を得たパク教授を・・・挺対協やナヌムの家がキャンペーンに利用する慰安婦の声だけが「慰安婦の声」ではないことを証明しようとしたパク教授を所長らが潰しにかかった・・・まぁ、他に考えようがないではないか。

慰安婦を先頭にパク・ユハ教授の職場(世宗大)まで押しかけた

ナヌムの家の顧問弁護士とは、漢陽大法学専門大学院教授のパク・ソンアという人物。そして、挺対協もパク・ユハ教授を訴えようと狙っているらしい。日本のメディアはなぜこの言論弾圧を批判しないのか?「和解のために」に大佛次郎論壇賞を贈った朝日新聞はなぜ黙っている?

慰安婦支援者に訴えられて

さる6月16日、ナヌムの家(注:元日本軍慰安婦の共同生活施設)に居住している元日本軍慰安婦の方々から、昨年の夏に韓国で出版した『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』を名誉毀損とみなされ、販売禁止を求めて訴えられるようなことがあった。(名誉毀損の刑事裁判、2億7千万ウォンの損害賠償を求める民事裁判、そして本の販売差し止め、三つの訴状が裁判所に出され、わたしにはこのうち差し止めと民事裁判の訴状だけが届いている。)刊行直後は多数のメディアがわりあい好意的に取り上げてくれたのに、10ヶ月も経った時点でこのようなことが起こってしまったのである。

この訴訟は、実質的にはナヌムの家の所長が中心になっている。裁判所で記者会見までしながらの告発だったが、その時の報道資料によると、ナヌムの家の所長が今年の2月にナヌムの家の女性顧問弁護士に依頼し、彼女がそれを受けて漢陽大学ロースクールの学生たちと一緒に本を読んで「問題あり」と判断したようだ。

わたしは本を出したあと、面会できる元慰安婦たちに会ってきた。当事者たちが考える「謝罪と補償」の形について聞きたかったからである。ナヌムの家はわたしを警戒し、今年に入ってからナヌムの家に行っても会わせてくれないこともあった。

その中でも特に親しくなった方がいたが、その方がほかの方々とこの問題に対する考え方がかなり違っていたことも、警戒された理由のようである。食事の場で偶然相席となり、いろいろと思いを話し、家族がいないこともあってその後わたしを頼りにし、時々電話をかけてきたりもしていた。

その方は、ほかの人と異なる考え方をしているために孤独な思いをしていた。ナヌムの家や所長に対する不満もよく話していた。

そこで謝罪と補償について、支援団体とは異なる考え方をしている元慰安婦たちもいることを伝えるべく、4月に「慰安婦問題、第三の声」と題するシンポジウムを開いた。「当事者の声」を出すと同時に、今のままではいけないとする「第三者の声」を出す意味もあった。そして幸いにして、日韓のいくつかのメディアがそうした動きを注目してくれた。

受け取った訴状には、『和解のために』(2006年に日本でも出版された朴教授の著書)のような本を放置したために『帝国の慰安婦』が出た、そしてシンポジウムまでしている、このままだとさらに別の本も書くだろう、そうなると朴の悪しき認識が広まることになるので問題であり、解決に悪影響を与える、と書いてあった。そこで、シンポジウム(つまり今の運動を批判するのがわたしだけではなくなったことの可視化)が好評だったことへの警戒も、告訴につながったことが分かったのである。わたしが親しくした元慰安婦が亡くなってわずか一週間後のことであった。

告訴の際、メディアに配られた報道資料には、わたしの本が「慰安婦を売春婦と言い、日本軍の同志とした。そしてそう認めろと元慰安婦たちに促した」とまとめられていた。文脈を無視し、しかも後半では事実無根のことを書かれたために、世論の激しい非難に晒されることになった。

そこで最初の週は釈明に追われ、2週目になってようやく、落ち着いた説明ができる原稿やロングインタビューの機会があり、多読家で著名な小説家の書評も出て、騒ぎは少し落ち着いた

3週目に弁護士を見つけ(フェイスブックで、無料で訴訟代理人をしてくれるという人が現れた)、7月9日の第1回口頭弁論に臨んだ。わたし自身は出席しなかった。しかし、そこでは結論が出ず、9月17日に第2回の弁論が開かれることになっている。

この間、ナヌムの家の所長は2度、元慰安婦数人を同伴してわたしの勤務先にデモに来ていた。「大学をクビにせよ」「拘禁せよ」などのプラカードを持参してのことだった。所長は、「日帝の汚い娼婦、道ばたで会ったら顔につばをはきかけてやりましょう」というツイートをリツイートしてもいる

幸いにして、学者を中心に「差し止め棄却」を求める嘆願書が作られ、数日で220人(学者、作家、詩人、アーティスト、出版人、そして一般の方も)の署名を頂くことができた。フェイスブック仲間を中心にわたしを支持・応援する動きも現れた。告訴直後から、激しい非難のなかでも、新しい書評や裁判に反対する意見が次々とあがってきている。

しかし、事態が一段落したかのように見えた7月中旬、今度は『和解のために』への攻撃がはじまった。9年前に出した韓国語版は、翌年に文化観光部(政府)の「優秀教養図書」に選ばれていたが、例のナヌムの家の弁護士その取り消しを求めていく、という記事が出たのである。そしてその記事が出た当日、文化体育部は早くも「選定経緯を調べる」とコメントを出した。この動きは、徴兵された朝鮮人日本兵の遺族ら、被害者団体と関係の深い研究者やナヌムの家の顧問弁護士が率いている。別の新聞が出したこうした記事を、朝鮮日報とハンギョレ新聞、両極の保守とリベラル系の両新聞が支え、ハンギョレ新聞は『和解のために』が「日本の右翼を代弁」しているとまで書いた。

『帝国の慰安婦』の日本語版は本当は7月に刊行予定だった。しかし、裁判が係争中に出すのは無理ということで、延期になっている。しかし、すでに韓国での書評などを都合のいいように読み違える傾向が出ているので、早く出してもらえることを願っている。

この本で、わたしはナヌムの家ではなく、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」を再度批判している。本が出たとき、同協議会も告訴のために弁護士と相談しているので、今回のようなことを考えたのはナヌムの家だけではない。

あれから1ヶ月半、法律裁判と世論の「裁判」、両方の対応に追われる日々である。なんとか乗り越えたいと思っている。 (7月31日Facebookより 一部改稿)


パク・ユハ教授に「唾を吐きかけてやれ」
ナヌムの家の所長がRT (訳 崔碩栄氏

2014/07/20

帝国の慰安婦:「強制連行こそなかったが、歴史認識がなっていない」

帝国の慰安婦

パク・ユハ教授著「帝国の慰安婦」に関する韓国人の韓国近代史専門家による書評。

「事実そのものは全く目新しくなく、むしろ失望させられた」というのは開き直りっぽくも聞こえるが、韓国近代史の専門家なら口にこそ出さないだけで、パク教授が語るような事実は誰もが知っているのだろう。

「娘や妹を安値で売り渡した父や兄、貧しく純真な女性をだまして遠い異国の戦線に連れていった業者、業者の違法行為をそそのかした里長・面長・郡守、そして何よりも、無気力で無能な男性の責任は、いつか必ず問われるべきだ。それでこそ、同じ不幸の繰り返しを防げる」とまっとうな事を言いながら、「納得できる謝罪と賠償を1次的責任を負う日本が拒否している状況で、韓国側が先に反省したら、日本に責任回避の名目を与えかねない」といった所で評者が限界を露呈する。

パク教授の「韓日共同責任論」というのは確かに少々オメデタイように聞こえる。だからといって、誰が一次責任を負うかを歴史認識の問題にしてしまう評者もどうなのか?

慰安婦:「朝鮮人責任論」のワナ

パク・ユハ著『帝国の慰安婦』

筆者には、植民地時代の文化現象に関する単独著書が5冊あり、韓国近代の専門家を自認してきた。しかし恥ずかしながら、出版から1年近くになる『帝国の慰安婦』という本の存在を知らなかった。本書を読んだのは、著者のパク・ユハ教授が「元慰安婦の名誉を傷つけた」として告訴され、公憤の対象になった最近のことだ。

資料の解釈は洗練されておらず論理的飛躍と批判すべき部分は少なくない。それでいて、本書に記された事実そのものは全く目新しくなく、むしろ失望させられた。慰安婦は日本軍が「直接」強制連行したのではなかった。日本軍は業者に慰安所の設置と運営を委託したが、そうした業者の多くは朝鮮人だった。朝鮮人慰安婦は、これらの業者によって人身売買されたり、連れ去られたりするケースがほとんどだった。アジア・太平洋全域を舞台に戦争をしていた300万人規模の日本軍が、最も後方に位置する朝鮮で、のんきに女性の強制連行をしていたりはしないだろう。

パク・ユハ教授は「戦争を起こした日本政府と違法な募集を黙認した日本軍に1次的責任を負わせるべき」という点を認めながら、法的責任を問うべき人物がいるとするなら、それは日本政府ではなく、詐欺・強制売春などの犯罪を行った業者の方だと主張している。請負業者に法的責任があるのに、それをそそのかした当事者には法的責任がない、という論理は受け入れ難い。しかし、慰安婦問題では朝鮮人も責任を避けられない、という指摘は認めざるを得ない。

娘や妹を安値で売り渡した父や兄、貧しく純真な女性をだまして遠い異国の戦線に連れていった業者、業者の違法行為をそそのかした里長・面長・郡守、そして何よりも、無気力で無能な男性の責任は、いつか必ず問われるべきだ。それでこそ、同じ不幸の繰り返しを防げる。しかし今は、問題を提起すべき時期ではないだろう。納得できる謝罪と賠償を1次的責任を負う日本が拒否している状況で、韓国側が先に反省したら、日本に責任回避の名目を与えかねないからだ。

本書を細かく読んでみると、韓日間の和解に向けたパク・ユハ教授の本心に疑う余地はない。元慰安婦を見下したり、冒涜(ぼうとく)したりする意図がなかったことも明白だ。

しかし、韓日共同責任論の提起を、慰安婦問題をめぐる両国間の対立を解決する賢明な代案とするには、1次的責任を負うべき日本についての歴史認識があまりにもずれている。

全峰寛(チョン・ボングァン)KAIST人文社会学科教授

2014/06/15

慰安婦、パク・ユハ教授の著書の出版差し止め求め提訴

JNN

パク・ユハ教授の「帝国の慰安婦」に対する弾圧を行っているのは、ナヌムの家。あるいは、ナヌムの家(&挺対協?)に担がれた「ハルモニ」たち。この本に関しては、特に批判調でなく紹介している韓国メディアもあったので、バッシングしているのは韓国の一部ということだろう。記事によれば、訴えられているのはパク教授ではなく出版社の社長らしい。パク教授と面識がある慰安婦たちが遠慮したのか?韓国人ブロガー、シンシアリー氏は裏に韓国政府がいると見ているようだが、どうだろう?若干うがち過ぎではないかと思うのだが・・・。

パク教授の主張は、韓国のポリティカル・コレクトネスからはかけ離れているが、必ずしも(非「良心的」な)日本人と相容れるといった性質のものではない


パク教授自身は訴えられていない?

元慰安婦ら 韓国人教授著書の出版差し止め求め提訴へ

旧日本軍の慰安婦だった被害者が、自身らを著書で「売春婦」「日本軍の協力者」と中傷したとして著者らを相手取り民事・刑事訴訟などの法的対応に乗り出す。

ソウル近郊の「ナヌムの家」(京畿道広州市)で共同生活を送る元慰安婦のイ・オクソンさんら9人は15日、世宗大の朴裕河(パク・ユハ)教授(日本語日本文学科)が昨年8月に出版した書籍「帝国の慰安婦」に対する出版、販売、発行、複製、広告などを差し止める仮処分をソウル東部地裁に16日に申請すると明らかにした。

また、1人当たり3000万ウォン(約300万円)、計2億7000万ウォンの損害賠償を求める訴訟も起こすほか、名誉毀損で同書の出版社代表をソウル東部地検に告訴する方針。

原告の女性らは、朴教授が同書の中で慰安婦被害者らを売春婦や日本軍の協力者と中傷するだけでなく、「被害者らが自身のそのような姿勢を忘れ自らを被害者とのみ主張し、韓日間の歴史的対立の主要要因となっている」と記述していると指摘。さらに、「韓日和解のため自身らの行為が売春であり日本軍の同志だったと認め、大衆らに被害者としてのイメージのみを伝えることをやめるべき」と主張したとして、「虚偽事実を記述し慰安婦被害者らの名誉を毀損し、精神的苦痛を与えた」と説明した。

さらに、「慰安婦被害者らは日本軍に性的搾取と虐待を受けた明白な被害者」だとして、「日本軍の性奴隷制度の存在とその被害事実は国連人権委員会や米国議会など国際社会で事実として認められている」と強調した。


日本の報道(JNN)を追加。聨合ニュースと異なり、慰安婦側の言い分だけでなく、パク教授のことも公平に紹介している。

慰安婦問題解決へ「議論を」と主張の教授、訴えられる

いわゆる従軍慰安婦問題を解決するための議論の必要性を主張する韓国の大学教授が、出版した本をめぐって元慰安婦たちから訴えられました。

韓国・世宗(セジョン)大学の朴裕河(パク・ユハ)教授は、「慰安婦問題が政治問題化し、元慰安婦たちの声が十分に伝わっていなかった」と指摘するとともに、現状について、「互いを非難しあうだけの極端で不正確な情報や認識が青少年にも影響を及ぼす」と危機感を表明しています。また、朴教授は、この問題での合意に向けた実質的な議論の必要性を訴えています。

元慰安婦の女性たちは、朴教授が去年8月に出版した本の中で、「自分たちが被害者であることばかりを主張して、韓日の歴史をめぐる対立の主な原因となっていると書かれ、名誉を傷つけられた」として、16日、本の販売禁止の仮処分などを求める訴えを起こしたと明らかにしました。

「無念な思いをしてきた女性に対して、どうしたらそんな言葉が出てくるのか。一体どこからそんな話が出てきたのか」(元慰安婦の女性)

朴教授はJNNの取材に対し、「弁護士と対応を協議する」としています。

TBS 2014.6.16