2013/06/04

河野談話は逃げではなく積極性の産物 (阿比留記者)


河野談話は、橋本大阪市長が言うように「(強制連行の有無から)逃げている」というより、実際はもっと積極的に強制性に踏み込もうとして出来なかったものだと産経の阿比留記者は考えている。

もっとも、政府関係者が「わざわざ『強制』の定義を広げる国会答弁までし」たというのは、社会党の議員に押し込まれての受身の行動だったのではないかという気がする。清水澄子がこんな(手柄)話をしているからだ。「私はこの資料で事実を政府に確認しました。『強制とは何か』という質問に対して、政府は...と答弁しました。...私はさらに...本人たちからの聞き取り調査を要求し、政府に実行させました(2007)」。ハト派の宮沢内閣が社会党にハッパをかけられて・・・という感じではなかったかと。

「強制ありき」作文談話の罪

[...]河野談話はそんな奇妙な書きぶりになったのか。結論から言えば当時の宮沢喜一内閣は、韓国を満足させるため「強制」を認めたかったのである。[...]石原氏(石原信雄元官房副長官)は筆者の二度にわたるインタビューに当時の事情を率直に答えている。

「できれば文書とか日本側の証言者がほしかったが、見つからない」「韓国側は元慰安婦の名誉回復に相当こだわっていた。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」

また、講師を務めた9年4月の自民党会合では、出席者の「真実よりも外交的判断を優先させたのか」との質問に「外交でしょう」と正直に回答している。

結局、談話は「強制を認めろ」との再三にわたる韓国側の要求に屈した政治的な「作文」なのである。

さらに、談話作成の準備段階にあたる5年3月23日には、わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。やはり談話に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、参院予算委員会でこう述べた。

「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」

朝日新聞は3月25日付の「『強制』幅広く認定」「従軍慰安婦調査で政府方針」という見出しの記事で、「精神的苦痛、心理的なものも含めて」という政府首脳の言葉を引用している。当時、政府首脳とは主に官房長官を指した。つまり、河野氏のことである。

宮沢内閣ぐるみで何とか韓国のために「強制」を認めようと涙ぐましい努力をした跡がうかがえる。談話は橋下氏の言うように「逃げている」というより、むしろ積極的に「強制」を認定しようと模索したものの、裏付けが弱すぎて踏み込めなかっただけなのだ。(以下略)

産経 2013.5.30

「強制ありき」作文談話の罪

ただでさえややこしい慰安婦問題を、さらにこんがらからせたのが元慰安婦に「おわびと反省」を表明した平成5年8月の河野洋平官房長官談話である。日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は27日の日本外国特派員協会での記者会見で、こう強調した。

 「河野談話は肝心な論点(官憲による強制連行の有無)について曖昧・不明確にしている。19年の政府の閣議決定では『国家の意思としての拉致、人身売買を裏付ける証拠はなかった』という政府見解が出ている。この核心的論点について談話は逃げている」

 確かに河野談話は非常に分かりにくい。一見「強制連行」を認めたように読めるが、事務方トップとして談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は「政府の意を体して、政府の指揮命令下に強制したと認めたわけじゃない」と断言している。一方で、談話が海外で「日本政府が公式に強制連行を認めたもの」と受け止められたのも事実だ。

 ではなぜ、河野談話はそんな奇妙な書きぶりになったのか。結論から言えば当時の宮沢喜一内閣は、韓国を満足させるため「強制」を認めたかったのである。

 ところが、国内外、関係省庁と「八方手を尽くして調べた」(石原氏)にもかかわらず、その証拠は出てこない。そこでやむなく「強制性」を強くにじませたというのが真相だろう。石原氏をはじめ関係者の証言と談話の作成過程をたどると、そうしたゆがんだ実態が浮かび上がってくる。

 石原氏は筆者の二度にわたるインタビューに当時の事情を率直に答えている。

 「できれば文書とか日本側の証言者がほしかったが、見つからない」「韓国側は元慰安婦の名誉回復に相当こだわっていた。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」

 また、講師を務めた9年4月の自民党会合では、出席者の「真実よりも外交的判断を優先させたのか」との質問に「外交でしょう」と正直に回答している。

 結局、談話は「強制を認めろ」との再三にわたる韓国側の要求に屈した政治的な「作文」なのである。

 さらに、談話作成の準備段階にあたる5年3月23日には、わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。やはり談話に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、参院予算委員会でこう述べた。

 「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」

 朝日新聞は3月25日付の「『強制』幅広く認定」「従軍慰安婦調査で政府方針」という見出しの記事で、「精神的苦痛、心理的なものも含めて」という政府首脳の言葉を引用している。当時、政府首脳とは主に官房長官を指した。つまり、河野氏のことである。

 宮沢内閣ぐるみで何とか韓国のために「強制」を認めようと涙ぐましい努力をした跡がうかがえる。談話は橋下氏の言うように「逃げている」というより、むしろ積極的に「強制」を認定しようと模索したものの、裏付けが弱すぎて踏み込めなかっただけなのだ。

 これで日韓関係がよくなったのならまだいいが、実際は逆に刺々しさを増すばかり。見識のない政治家が歴史をもてあそび利用すると、後世にどんなに大きな禍根を残すことか。せめて貴重な教訓とせねば救いがない。(政治部編集委員)