2011/12/29

「兵士達は慰安婦という言葉を知らなかった」 池田信夫


考えさせられた「呟き」。



私は当時の兵士にも取材したが、みんな「慰安婦」という言葉も知らなかった。要するに普通の「女郎」で、慰安所というのも軍の用語。ほとんどは日本人で、朝鮮人なんて見たことないと言っていた。 twitter 2011.12.18

2 件のコメント:

  1. 俺の父親は大正十年生まれで九十二歳で存命中です。
    昭和十七年前後に旭川の師団本部から北見の父親に
    赤紙がきて招集され二年とすこし、もう少しで恩給が
    ついたそうで、日本軍兵士として通信兵伍長として
    小樽からアッツ島に向かう輸送船が米国の潜水艦の
    魚雷により輸送船が撃沈され海に投げ出されるも運良く
    浮木につかまり、かけつけた日本の駆逐艦に救助され
    小樽に戻り、しばらくして終戦を迎えた。

    何度か慰安婦について聞いたが確かに池田さんの話の感じで、
    慰安婦は実家の仕送りがあったので利用しなかったそうです。
    まあ、外地といえば北海道もそうですが中国大陸や南方のように
    日本兵のための慰安所は父親の周辺ではなかったそうです。
    小樽や旭川にも遊郭ならあったからそうなのかなと思うも
    わかりません。

    韓国でいうような慰安婦の虐待なんてしていたら
    そもそも商売にならんだろと言ってますよ。
    一人の慰安婦が相手をできる人数だって限りがありますよね。
    慰安婦の雇用主の客の取り方にもよるのかもしれませんが、
    俺と父親も、もう四十代後半と九十代なので話す内容に
    タブーは無いので、日本軍について何でも聞くし
    父親の知る限り、まあ、池田さんの話とそうかわらないね。
    母親の実家は屯田兵として北海道に内地から入植し農家をしつつ
    日清、日露戦争で招集されたらしいです。
    そういうわけで、こういう慰安婦問題って気になるのです。

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    1. 慰安婦の中には、軍人は恩給があるのに自分たちには何の補償もない、と言って名乗り出た者もおりましたが、軍人だって全員が恩給をもらっているわけではありませんしね。

      >母親の実家は屯田兵として北海道に内地から入植し農家をしつつ
      日清、日露戦争で招集されたらしいです。

      慰安婦に勝るとも劣らない苦労した人は多いはずですね。

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