好意的に解釈すれば、国際感覚に疎い日本の保守派に対する真剣な忠告なのかもしれない。国を思うがゆえの。しかし、本当のところはどうだろう。
「安倍氏は従軍慰安婦に対して・・・公娼所にいた女性のイメージを抱いていて・・・『狭義の強制はなかった』と言いたいのだろう」。そうではなく、彼は慰安婦の強制連行(徴用)を否定しているのだ(正確に言葉を選ばない安倍も悪い)。そして、河野談話に批判的な人々は日韓関係を念頭に話をしている。
日韓関係における慰安婦問題の話をしていると分かっていて話を逸らすというのは、ある種の人たちの常套手段。橋下大阪市長の時も、これは韓国の話ですよと彼が念押ししているにも関わらず、慰安婦問題のスペシャリスト吉見義明が市庁舎に押しかけ、戦地での兵士による性暴力の話を持ち出し文句を言って帰った。吉見などは完全に分かっててやっているのだが、西川記者の場合はどうだろう。分かっていないとすれば、外信部に所属しながら海外における日本軍慰安婦の認識を理解していないことになる。
「安倍氏は従軍慰安婦に対して・・・公娼所にいた女性のイメージを抱いていて、『狭義の強制はなかった』と言いたいのだろう」
これは吉見などがよく使う手である。河野談話が批判されているのは、強制連行説の根拠に悪用されているからであり、否定されている「狭義の強制」とは、強制連行(行政機関による徴用)のことだ。それを承知で勝手に他人の主張を説明してしまう(曲げた形で)。
で、ホモネタを持ち込む理由は何か?「(少女や)少年がいたこと」が朝鮮半島における強制連行(徴用)の有無を巡る議論と何の関係があるのか?日本に対してある種の感情を持っている外国人がこういうネタに跳びつくのは、WAIWAI騒動で分かっているはずだ。それともホモネタは単なる趣味か?・・・と思ったら西川恵記者は男だった。
欧米の議会ではどのような認識で慰安婦決議が採択されたのか、こういった生映像を見れば一目瞭然だろう。西川記者の言っている「国際社会の共通認識」の正体である。
最後はお決まりの「日本が孤立する」であるが、これも何度か毎日新聞の英字版(+共同通信)の報道を批判をして来た。日本が孤立するのが嫌なら、こういった自社の報道を何とかすべきだろう。
ただ、毎日新聞の中には河野談話の見直しに賛成の記者もいるし、冷静な社説を掲げたこともある。
記者の目:安倍政権と歴史問題=西川恵(外信部)
日本の右傾化が内外で話題となる中、その空気を体現するように党内右派の安倍晋三氏率いる自民党が総選挙で圧勝した。安倍新首相の外交における重要なポイントは、前回と同様、歴史問題をどう管理するかだと思われる。
◇国際的公共益を念頭に外交を
右こそ右を抑えられるといわれるように、首相時代(2006年9月〜07年9月)、安倍氏は信念の靖国神社参拝を自制し、小泉純一郎政権下で悪化した中韓との関係改善を果たした。今回、領土問題で再び中韓、特に中国との関係が最悪に陥る中で再登板するめぐり合わせとなった。
前回のように巧みにさばいてほしいが、衆議院で公明党と合わせ3分の2を超える議席を獲得し、独自色を打ち出すチャンスと安倍氏が捉える可能性もある。ここで歴史問題全般に触れる余裕はないので、私が一つの懸念材料とみている従軍慰安婦問題を取り上げる。
◇河野談話見直し表明した安倍氏
安倍氏は、この問題で「おわびと反省」を述べた河野(洋平)官房長官談話(1993年)を見直す考えを明らかにしている。「狭義の強制(いやがる女性を無理やり連行したこと)はなかった」とし、「これを正さないと将来の日本の人々に申し訳ない」という趣旨のことを述べた。
私は以前、オランダで従軍慰安婦問題をかなり深く取材した。日本軍がオランダの植民地だったインドネシアを占領した際、オランダ人女性を慰安婦にした問題だ。
安倍氏は従軍慰安婦に対して不特定多数を相手にした公娼(こうしょう)所にいた女性のイメージを抱いていて、貧しさなどから働くようになった人もいて「狭義の強制はなかった」と言いたいのだろう。
しかし、女性たち全員が公娼所のようなところにいたわけではない。河野談話に基づいて95年に設立されたアジア女性基金は、韓国、台湾、フィリピン、オランダを対象に従軍慰安婦への償い事業を行った。オランダでは女性75人を従軍慰安婦と認定したが、中には日本人将校の愛人にされた人妻や、13歳の時に日本人将校に愛人にされ、子供を産んだ女性もいる。
また当時、日本兵のホモセクシュアルの相手をさせられたオランダ人少年4人がいた。アジア女性基金はこの4人も従軍慰安婦のカテゴリーに認定し、女性と同様に福祉・医療費支援を行った。つまり従軍慰安婦といってもさまざまで、少女や少年もいた状況にあって、狭義か広義かの区分は意味をなさない。
◇独りよがりでは日本は孤立する
すでに07年、米下院本会議で日本に対し、慰安婦問題で謝罪を要求する決議案が採択された。オランダ、カナダ、欧州連合(EU)も続き、同種の決議が議会で採択された。領土問題で国際社会の支持とりつけに走り回っている日本外交にとって、この二の舞いは大きな打撃である。
最近の右傾化の空気で私が危惧するのは、国際社会の共通認識や価値観と乖離(かいり)したところで、独りよがりともいえる議論が時折、目につくことだ。これは個人的な心情や倫理観を位相の異なる政治の場で扱おうとする態度にもつながっている。
米国のある識者は「右傾化によって、日本は短絡的な見方しか持てなくなっているように感じる」と指摘した。反中感情があおられ、長期的ビジョンを練る余裕がなくなっているというのだ。
戦争の惨禍をアジアに及ぼした日本は二度と排他的利益を求めず、国際的な公共益に沿ったところで自国の国益を追求していくことを課せられていると思う。ドイツが機会あるごとに「ドイツの欧州にはしない。欧州のドイツになる」と言うのと同じ脈絡だ。
政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)はまさに国際的な公共益に貢献しつつ、日本の国益を広げてきた格好の政策である。国際社会が日本に抱く好印象と高い期待も、国際的公共益を常に念頭においてやってきたことの結果といえるだろう。
先の従軍慰安婦問題も女性の人権という公共益の中に位置付け、日本が主導権をとる形で解決できるはずだ。アジア女性基金というノウハウも持っている。国際的な公共益に背を向けるような「狭義の強制はない」といった主張は、日本を孤立させかねない。