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2016/01/15

「最終的解決」に触れない福島瑞穂



福島瑞穂について、以前のエントリーに書いたことを繰り返すことはしないが、彼女は慰安婦騒動の仕掛け人の一人であった。池田信夫の評(リンク先参照)は多少辛すぎるかもしれないが、今回の合意について触れようとしないというのはどうなのか?合意がなった昨年12月の28日から今日に至るまで、この件について触れていない(少なくともツイッターでは)。


12月27日から1月1日分

2014/06/21

舘雅子 日本人運動家が韓国に反日を植えつけた

婦人有権者同盟のメンバーとして黎明期を目撃することになった舘

女性運動家市川房江の流れをくむ舘雅子は、1992年の第一回アジア女性連帯会議から慰安婦問題が社会問題・外交問題として拡大していく様を間近で目撃した人物である。

彼女によれば、1988年に日本キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江が「慰安婦問題の母」ユン・ジョンオク(尹貞玉)とつながり、この辺りから日韓の運動家による日本叩きのジョイント・プロジェクトが始まったらしい。舘は、この問題が、反男性運動として始まり、反体制運動へ、そして反日運動へと変わって行ったと振り返っている。

「その反日運動がね、非常にねぇ、あのなんて言うのか、キツクやってました」

舘は、日本人が韓国を焚きつけたルートが三つあったと言う。吉田清治、朝日新聞、そして矯風会をベースにした松井やより福島瑞穂(福島は矯風会とは直接関係ないと思われるが)のグループ。これらの日本人の無分別な行動が、韓国社会に(余計な)反日意識を植え付けたようだ。

「これはやっぱり、相当強力に反日的な思想を韓国に植えつけたと思います」「日本のことを悪く言うことが手柄みたいに思ってたんじゃないんですか?」

今でこそ慰安婦問題は韓国によるジャパン・バッシングのように思われているが、90年代までは日本人も主役であった。むしろ、日本叩きの為の情報や理屈作りは日本人が主導していた。現在、韓国と日本の運動家の関係が主従のような関係になっているのは、松井やより亡き後、強力なリーダーが日本に現れなかったのも理由の一つだろう。

「代表団を国連の人権委員会に送り出した。それがね、たぶん戸塚テツロウ(戸塚悦朗)さんだと思います」「松井さんのグループ・・・あのグループが非常に強くなって・・・東南アジア全部かき集めたり、アメリカ行ったり、非常に広く動きました」

運動家たちが慰安婦の証言をコントロールしていたという話は、NHKのディレクターとしてキム・ハクスン(金学順)をテレビに初登場させた池田信夫と共通している(池田によれば、福島瑞穂が「台詞をつけていた」)。婦人運動出身の舘らしい証言と思うのは、婦人運動の負の部分について日本のマスコミが触れようとしないことが、こういった状況を許したという分析。

「婦人運動。それから二つ目は官公労組。・・・この辺がね、悪が一杯あるのに、そのことについては、知ってても一切報道しませんね。だから、出来たんだと思いますよ」




※ チャンネル桜から、慰安婦問題に関する部分だけ書き起こさせてもらった。司会者やアシスタントの発言はほとんど拾っていない。舘雅子の発言は、途中トルコ風呂に関する部分以外はほぼそのまま。

松井やより 戸塚と共に国際問題化に貢献

-- まず、この第一回アジア連帯会議、どのような会議だったんでしょうか?

あの、アジア女性連帯会議って言いましてね。アジア7カ国の人が約120,30人集まりまして、それで日本の慰安婦問題を議論する、大会だったわけです。で、この会には、この会のベースになるのは、韓国の、主催したのが挺対協って言うんですか?挺身隊なになにって言う・・・(今でも)あります、ユンさん(注:ユン・ジョンオク)っていう伊太利の伊の字の人偏がないのを書く方、で李花女子大の、あの教授ですけど、この方と、それから日本の、えー矯風会、婦人矯風会、後で説明いたしますけど婦人矯風会、それから朝日記者の松井やよりさん、それから弁護士の福島みずほさん、この4人の方が非常に大きな役割を果たしていたと思います。

で、私は婦人有権者同盟から、あの誰も参加しないんで行かないかと言われたんで、その頃市会議員を、東久留米市っていうとこで市会議員をしてたんですけど、8月はちょうど休みなもんで、あの3日間くらい行ってまいりました。

禁酒・廃娼運動で有名な矯風会は米国で生まれた

-- 矯風会っていうのはどういった会なんでしょうか?

今でもね、あの新宿の駅から中央線で、八王子の方に向かって行きますと、えー大久保の駅の前、右側ですね、に大きな家があの建物が、婦人矯風会って書いてあんのがあると思いますけど、これは日本キリスト教婦人矯風会っていうのが、あの主な、主なって正式な名前で、明治20年にアメリカから持って来た会なんだそうです。で、もう100年に渡って、えー一夫一婦制だとか、まぁ基本的なもんですけどね、始めのうちはそういう、公序、うん公序良俗を守れというような、そう全うな・・してたんです。で、戦後、というよりもね。昭和47年頃ですか、売春問題に取り組む会というのを作ったんです。で、これはあの国会議員の超党派の国会女性議員が入って(中略)キーセンパーティの反対運動だとか、フィリピンにね、あのぉ観光売春ってその頃よく言ってましたけど、車を何台か売るとご褒美に観光売春に連れて行く。それがね、マニラの町を歩くとね。パレードで軍楽隊がついて置屋に連れて行くんですよね。それを見て日本人からもこれ止めさしてくれという抗議が来たんで、在日フィリピンの、あっ、在フィリピンの日本人から。それで私たち行って、そういうキーセンパーティだとかマニラだとか色んな所に行って見て来まして、そんな運動してたんです。

韓国側に千田夏光を教えたのが高橋喜久江(矯風会)

そこまでは(まとも)だったんですけど、1988年に、ここの矯風会の高橋さん(注:高橋喜久江)って方が、あのー韓国のね、これ反日運動のリーダーだったと思うんですけど、李花女子大のユンさんユン・ジョンオクという教授とつながったわけですね。それでユンさんが日本に来られたり、こちらから向こうに行ったり色々してるうちに、あのー私はこの運動こう思ってるんですよ。始めはね、反男性運動だったのね。そのうちに反体制運動になったそのうちに反日運動になった。その反日運動がね、非常にねぇ、あのなんて言うのか、キツクやってましたね。で、何をやったかといえば、まず第一回にアジア女性大会を開いたんです。

-- こちらが平成4年の会ですけれども、どういった内容だったんですか?

それで、結局、従軍慰安婦の人に話をさせるということで、かつて従軍慰安婦だったと称する人ですね。を、そうね、30人ぐらい集めたのかしら。2,30人。それでその中の二人が口こもごもにね、自分たちは17歳の時に日本軍のトラックに連れて行かれて天津に行って、それでもう口では言えない苦労をしたという話を綿々とするわけ。それから舌を噛み切って死んだ人もいるとか、まぁいわゆるお涙頂戴の話を延々としたわけですね。それで、これ後で分かったんですけど、この二人だけが本物で、後の方はなんかそうじゃなかったようなんですね。だからこの間ね、橋下徹さんが、話がとぶけど、韓国の慰安婦と話し合うって言った時、断るだろうって私は思いました。みんなね訓練されてんです。こういう風に言えって風に、だからちょっと突っ込まれたらすぐバレてしまうから、偽もんだってことが。うん、だから大多数は偽もんだったようです。

一晩一緒の、一緒に泊まって。話をしようといっても、こちらも言葉が分かりませんし、向こうも分からないで、ただワイワイ言ってて、一人ね、ちょっと日本語と朝鮮、韓国語の分かる人がいて通訳してましたけど。何もそういう話ありませんでしたね。朝鮮の自分はどこの出身だとか、そんな話をしてました。

-- 実際この三人の元慰安婦と称する方々は、特に話をしても、慰安婦時代の話などは・・・。

全然しなかった。ええ。(実際の体験が無かったから?)それもあるでしょうけど、話しちゃいけないと言われてたようですね。色々。(本物とされる二人について)その方が17歳の時にトラックに連れて行かれたとか、森の中に逃げ込んでって言うんですけど、これは後で聞きますとね、親がね、みんなもう、すでに業者に売ってたんですよね。ええ。両親がね、その頃韓国の農村はすごい疲弊していて、娘を売るのは普通だったんですよね。日本でもねぇ、そうだったんですよ、昭和ね。あの、東北の農村でね。

日本軍は(強制連行と)関係まったく無くて、むしろ業者がね、韓国の業者とか日本の業者が関係あったと思いますけど、軍隊は関係ないですね。で、その頃の韓国のね、一般の初任給が15円とか20円で、陸軍大将が300円で、従軍慰安婦は400円だったの。月給がね。そうするとね、それはねぇ困ってたら行きたく、子供を売りたくなりますよね。ところが子供にはあなたを売ったとは言えないから、連れに来られたら、自分は強制連行されたっていう風には、言うと思いますね。それは。

慰安婦問題について語る議員になる前の福島瑞穂
慰安婦に台詞をつけていたという証言も

そういう韓国に対してね、反日的な運動したルートが三つあったと思うんですね。で、一つは、あのぉ吉田清治というね、自分が実は申し訳ないけど強制連行しましたって嘘を言って、ええ、詐欺師がソウルまで行って土下座して謝ってんですよね。だから向こうが信用しちゃってる部分があるのね。それが浸透して、嘘だってことをマスコミが言いませんからね。それが一つのルートで、もう一つは朝日新聞の捏造記事やなんかがあって、これもまた全然違うことを書いてね。日本がいかに悪かったかってことを書いてる。それが二つ目。それから三つ目がこの大会の、婦人矯風会をベースにした、朝日新聞の松井やよりさん、それから福島みずほさんたちが一緒になったこの会、これはやっぱり相当強力に反日的な思想を韓国に植えつけたと思いますね。

(写真を見ながら)一番こっちの人が矯風会の会長さんで、非常に強い方で、もう一筋に、慰安婦に申し訳なかったってことを言ってる方ですね。であの、セックススレイブ(性奴隷)っていう言葉、最近よく言いますけど、私がいる頃から、その言葉は使ってましたね。・・・やっと今ね、そんなこと言ってんで、なんだずいぶん古いこと言ってんなと思いました。

--この人は本気でそう思ってんですか?

本っ気で思ってます。もうね、私たち会でも反論出来ないんです、もう。全部、全て正しくて。それだもんで、実は市川房江さんと仲が悪かったんです。でね、市川さんや 紀平悌子さん、婦人有権者同盟からこの会全然来ないんですよ。それでね、みんな嫌がって行かないんですよ。それで私が行かされたんです。実は。

戸塚悦郎は、国連に性奴隷問題として持ち込んだ

(慰安婦の話を)ほとんどの人は信じたと思いますね。それで、そこから二日目に代表団を国連の人権委員会に送り出した。それがね、たぶん戸塚テツロウ(注:戸塚悦朗)さんだと思いますね。・・・戸塚テツロウさんが行ったんだと思います。私は、そこを見てなかったんです。送り出すって言ってみんなが拍手したんですけど見えなかったんです。大勢、みんな立ち上がって拍手して送り出してましたね。

この後ね(アジア女性会議は)5回、4回ありましたね(注:前年の暮れに第11回が開催されている)。で、私はいませんでしたけど、その間に松井(やより)さんのグループのバウネットですか?あのグループが非常に強くなって、松井さんは語学の堪能な人ですから、もう東南アジア全部かき集めたり、アメリカ行ったり非常に広く動きましたね。松井さんが。・・・で、福島さんは弁護士だから弁護士仲間で色々動いたと思うんですけど。

で、それが初めて国連に持ち出した最初だと思います。それから向こうに広がっちゃったんですね。

-- 外国の感じから言えば、嘘をついてまで自国の恥をさらす必要はないから、本当のことだと取るのが当たり前だと思うんですけど。

そうなんですね。・・・それでね。その点、松井やよりさんって方は、名前はひらがなで「やより」ですけど、本当はね、耶蘇教の耶っていう字に人偏の依ね、耶蘇に依って書くの。で、お父様はこの渋谷の、あの区役所に行く途中の坂の左に、山手教会の牧師さんで、あれをお作りになった方で、松井さんはだから耶蘇に依るってお名前になったの。で、キリスト教だから余計外国で受けがいいんですよね。それに朝日新聞っていうバックがついてますからね。だからみんな今、信じ込んで日本叩き、国際的にね。その結果が叩かれてるんだと思いますよ

--韓国の中でも日本を庇ってくれた女性の方がいるとお話しなさっていましたけど。

キム・セイレイさんと仰ってね。あの朴・・・えっと何と言ったかな。朴正煕じゃない。その後の、全斗煥(大統領)の時の厚生大臣です。で、韓国婦人有権者同盟の会長してた方。肝っ玉母さんって言われていて、とっても人気のあった方で、女性の地位の為にね、色んないい法律を作られた方です。で、この方は非常に親日的でね、この今のアジアの会議の時に、私たちの、休憩時間に、貴女達は本当に気の毒だと、自分たちが悪いこともしないのにね、みんなから責め立てられて、謝るばかりが脳じゃないってことを仰ったんですよね。でもうね、こういう事は早く終わって忘れないと、もういつまで経っても仲良く出来ないから、もう忘れましょうっていう事を盛んに仰いました。だから韓国にはそういう方もいるけど、そういう方の勢力は弱いんです。

--韓国でさえそういう人もいるのに、松井さんにしても福島さんにしても、なんでですか?

なんかねぇ、日本のことを悪く言うことが手柄みたいに思ってたんじゃないんですか?当時の朝日新聞の体制とか。それで私よく思ったの。この人ホントに日本人かしらと思いました。

これは今訊いてみたい、松井さんは亡くなりましたけど、どう思ってるんだか訊いてみたいですね。こういう風になると。(自虐史観が原因か?)そう思います。あの矯風会の高橋喜久江さんたち見てると、ホントに日本人が悪いことして申し訳ない申し訳ない、それ一点張りなんですよね。それで賠償金を日本政府から出さそうとしたのが、私は一つの目的だったと思いますけど。

-- アジア連帯会議をマスコミは取り上げたんですか?

あまり取り上げていませんね。マスコミいっぱいいましたけど。それほど取り上げていなかったようですね。・・・戦後のマスコミに私がもの凄く言いたいのはね、4つのことを避けて通るか、聖域にしたり、色々してると思うんですけど、ええ、一つはね、まず婦人運動。それから二つ目は官公労組。えーそれから、自治、自治労って言うの?それから各自治体の職員組合(?)。この辺がね、悪が一杯あるのに、そのことについては、知ってても一切報道しませんね。だから、あのぉ、出来たんだと思いますよ

2012/10/05

[メモ] 捏造でなく勇み足か 植村記者

前々から思っていたのだが、「関与の証拠を発見した」と騒いだ吉見義明も当初は勘違いしていたのではないか。確か彼は直前までアメリカにいたはず。国会での議論を正確に把握していなかったのではないか?そんな気がしてしょうがないのである。

2012/07/17

慰安婦騒動を作った人々--福島瑞穂



日本で慰安婦の強制連行(戦時動員)を信じている人は、もうほとんどいなくなった。慰安婦騒動の初期から弁護士として関わっていた福島瑞穂も、20年が経った今ではそれを受け入れたようだ。しかし、福島が良心の呵責に苛まれることは永遠になさそうである。

2011年暮れのTVタックル(テレビ朝日)から、福島の発言部分。音声のみ抽出。


福島瑞穂  「ただし、第二次大戦中の事というのがあって、そして強制かどうかは別にしても、日本の軍隊の仕組みの中に問題があり、河野官房長官談話は、私はよく練れた文章だと思うんですよ。だからキチっとそれに向きあうということが重要で、???があることと、やっぱり女性たちが例えば朝鮮半島の方から中国に連れて行かれたり、行ったりしてるわけじゃないですか」

青山繁晴  「福島さんは、日本軍を特別視しすぎますって、世界中の軍隊に共通してることは共通してるんですよ」

福島  「ただ、日本軍にそういう問題があったのであれば、その問題はキチンと・・・」

青山  「どこの国の軍隊にも言って下さいよ。それだったら」

福島  「はい。だから私たちは今日本の・・・(聞き取れず)でも、私は慰安婦問題について日本政府がキチンと対応しないと、より拗れると思いますよ」

三宅久之  「戦後20年も経ってですよ。日韓基本条約を結ぶ時に、そのこと言わなかったものがね、後になってこんな大騒ぎするっておかしいと思いませんか?なんか意図があるとしか思えない」

福島  「ただですね。女性たちが私は慰安婦でしたって言うことが出来たのは、1991年8月、キム・ハクスンがソウルで言うのが始めてなんですよ。韓国のそれまで儒教が強い社会で自分がそういう人間ですっていうことを、言えなかったんですよ」

青山  「日本軍に強制されたとフレームアップしたから言えるようになったんですよ」

福島  「その前ですよ。違う。その問題になる前に・・・」

TVタックル 2011.12.19

こういう、とぼけた事を言う人は本当に始末に悪い(朝日新聞の社説もそうだ)。彼女らが、どれだけ多くの人を騒動に巻き込んだのかと思うとやりきれない。

「日本軍の仕組みの中に問題が」あったとか「河野談話はよく練られた文章」だとか・・・河野談話は、その玉虫色の文章から日本政府(官憲)が強制的に慰安婦を徴発(強制連行)していたと国際社会を誤解させている点で不興を買っているのである。軍のシステムに問題があったかなかったかというようなレベルの話ではないし、「第二次大戦中のこと」とか「そういう問題」とか曖昧なことばかり言った挙句、「キチンと対応しないと、より拗れる」ぞ、と問題を拗れさせた当人が言っているのだから呆れる。

「キチンと対応しないと拗れますよ」
貴女が言うか?

極めつけは、「強制かどうかは別にして」というセリフである。東電OL殺人事件に例えれば、無実が濃厚になった被告に、人を殺したかどうかは別にして、あなたが不法残留者であったことは事実なのだから、それを反省すべきと検察官が説教してるようなものである。

福島瑞穂はごく初期から慰安婦騒動に関わっていた人物である。挺対協が今よりも露骨に反日を表に出し、一部の韓国人研究者すら離反した頃からである。彼女の無邪気な態度に忘れがちだが、彼女の罪はかなり重い。当時のことをNHK出身の池田信夫は、のちにこう振り返っている。

私は、かつて慰安婦騒ぎがつくられた現場に立ち会ったことがある。1991年にNHKの終戦関連企画で、私は強制連行をテーマに、同僚は慰安婦をテーマに取材した。[...]慰安婦も、売春でもうけようとする民間の業者が、貧しい農村の女性をだまして戦地に連れて行った公娼であり、「従軍慰安婦」という言葉も当時は使われなかった。

[...]実をいうと、私も当初は軍の強制の証拠をさがしたのだが見つからなかったので、戦争ものとしてはインパクトの弱い番組になってしまった。ところが、ほぼ同時に放送された慰安婦のほうは「私は慰安婦だった」と韓国女性が証言し、その後、日本政府を相手どって訴訟まで起こしたため、国際的にも大きな反響を呼び、政府が謝罪するに至った。

私は、最初からこの「証言」には疑問をもっていた。証言者を連れてくるところから話の中身まで福島瑞穂弁護士がお膳立てし、彼女の売名に利用されている印象が強かったからだ(のちに彼女は社民党から出馬して参議院議員になった)。実際には、元慰安婦の証言以外には、軍が連行したという証拠は当時も今もない。しかし史実に忠実につくった私の番組よりも、センセーショナルに慰安婦問題を暴いた同僚の番組のほうが「おもしろかった」ため、話が次第に一人歩きし、演出が事実になってしまったのである。


...こうした女性たちは、90年代に派手な訴訟パフォーマンスを日本でも行った。それに加担する日本人がいた。私は福島みずほ社民党党首が当時、こうした女性らをメディアに「見せ物」のように引き回していたことを覚えている。当時、女性らを気の毒に思った。(石井孝明)

アゴラ 2012.8.11

福島は人間的には善良なのだろう。やり込められても嫌な顔一つしないし、人の話もちゃんと聞く。それだけに、彼女は自分がどれほど罪作りであったか、死ぬまで自覚できないのかもしれない。

追記: 竹島や慰安婦問題を巡る任期終盤のイ・ミョンバク大統領の過激な言動が日韓関係を揺さぶった8月中旬、福島はこのように語ったとされる。日韓関係に途方もなく大きな「マイナス」を作った福島に反省の色はない。

社民党の福島党首は「(隣国との)緊張関係が高まれば、東アジアの平和にとって極めてマイナスだ。日本政府は説得や外交で頑張るべきだ」と語った。

読売新聞 2012.8.15

なお、TVタックルの放送数日前(もしかしたら、この時点で収録済だったのかもしれない)、福島は参議院議員会館で慰安婦やその支援者と会い、ブログでこのように報告している。やはりこの人には自覚がない。

ソンシンド(宋神道)ハルモニから叱咤激励を受けました

12月14日(水)

外務省を1300人の方たちが人間の鎖で包囲後行われた院内集会で、
ソンシンド(宋神道)さんから、もっとがんばれと叱咤激励されました。
戦時性的強制被害者問題解決促進法案を他党に働きかけて再提出したい