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2015/02/08

「韓国軍はアカを慰安婦にした。それも日帝のせい」金貴玉(キム・キオック)


韓国軍慰安婦の存在に光を当てたことで知られるキム・キオック(金貴玉)教授。ネットを検索した彼女は、日本の右翼が自分の主張の一部だけを恣意的に引用していると不満を漏らしておられる。しかし、金貴玉で検索するとこのブログ(2012.5.7)もヒットするが、少なくとも自分は「『日帝が諸悪の根源』というのが彼女の結論らしい」と、彼女の主張のキモを紹介したはずである。

韓国軍慰安婦問題を親日派問題、親日派問題を清算せよという彼女の「反(親)日」は強固なものがある。韓国軍が慰安所システムを採用したのは親日派のせいで、韓国軍慰安婦の問題が社会問題化しなかったのも親日派のせいだと言う。

しかし、彼女の説明を読むと、どうも韓国軍のシステムは劣化コピーではないかという印象を受ける。つまり、日本軍では意に反して慰安婦にすることはご法度であり、防止の手段がこうじられた。「アカ」であることを理由に慰安婦にしてしまうなど日本では考えられなかったろう。日本軍の場合でも戦地ではスキャンダルが発生したが、国内でこのような不法が行われていたというのは、朝鮮戦争が内戦であったが故の悲劇だったのか?もっとも、キム教授の解説だけでは不安がある。韓国軍の慰安所システムについては情報が少なすぎる。韓国軍でも本人や親の同意が必要とされていた可能性もゼロではない(疑わしいが)。

キム教授は、日本が悪い種を蒔いたと言うが、それは、親父が妾を囲っていたから自分も浮気をしたと言うようなものである。しかも、親父はちゃんと女性関係を清算したが、お前はどうなのかという話である。

我々の間違った過去を自ら正すことで、むしろ日本に恥をかかせる(?)ことが出来ると思います。私たちが日本に対し「貴方たちが蒔いた種のために間違って育てられた花である軍慰安婦問題を、私たちが自ら解決するのだ」としながら。 こうなれば、逆に(?)日本に日本軍慰安婦に対する責任をはっきりと糾明しろと堂々と促すことができます。

「日本のネットを調べると私の名前がかなり多く出て来ます。
・・日本の右翼が引用したものでした

キム教授によれば、彼女の勤務先に韓国軍慰安婦の研究を止めさせるよう国防部から圧力があったという。軍事編纂研究所から資料が消えたとのこと。また、彼女のニュースがマスコミのサイトから次々と取り下げられているのは政府の圧力ではないかと疑っているが、日本政府が関連文書を公開していないなどと言うような人だから、要確認といったところか。河野談話は「日本軍慰安婦動員の強制性を認めた」もので、国家賠償は当然という考えであるようだ。

プレシアン: 教授は、2002年「朝鮮戦争と女性:軍隊慰安婦と軍慰安所を中心に」という論文を通じて韓国軍慰安婦の問題を提起しました。当時、論文で陸軍本部が1956年に出した「後方戦史(要人便?)>に記載された「軍慰安隊」の記録に基づき実際の被害女性の証言も聞き取りました。論文に対する説明をお願いします。

キム・キオック: 当時論文では「後方戦史」をはじめ、朝鮮戦争時の国軍、米軍、北朝鮮派遣工作員、民間人、被害女性、予備役将軍の回顧録や証言などに基づいて韓国軍慰安婦の存在を立証し、それにともなう争点、課題を提示するのに力を注ぎました。

特に論文に記述したように韓国軍慰安婦を企画した人々が日本軍の関東軍出身であったという点に注目しました。1948年大韓民国の軍を創設した人脈の主流は関東軍の出身者などであり、日本軍での経験をそのまま韓国に持ち込みました。

実際の1948年大韓民国政府樹立以降、親日派は国家および軍部形成に深い影響を及ぼしました。特に合同参謀議長は初代がイ・ヒョングンで14代のノ・ジェヒョンまで、陸軍参謀総長は初代イ・ウンジュンから第21代の李世鎬(?)に至るまで日帝軍の経歴者などが軍部の中心でした。これらの事実から推測すると、韓国軍慰安婦問題とは清算されることが出来なかった親日派問題と直結しているということが分かります。

基本的に韓国軍慰安婦問題は日本の帝国主義の問題です。 韓国軍が慰安婦を作ることができたのは、単純に制度として日本軍慰安婦を模倣したのではなく、日本の植民地経験があったので可能だったと思う。 すなわち日帝が我が国に持ち込んだ植民主義の遺産が、制度だけでなく個々人の世界観、認識、人間性を形成する重要な要素として作用し、これが韓国軍慰安婦誕生に重要な影響を及ぼしたということです。そしてこれは朝鮮戦争当時韓国軍の主軸を形成した人々によって韓国軍慰安婦という形でよみがえりました。

プレシアン: 解放後、韓国軍の中心が光復軍でなく満州軍や関東軍で構成された理由は何ですか?

キム・キオック: 当時の状況にともなうアメリカの選択が主だったと思う。アメリカが見るのに当時光復軍は数も少なかったし、まともに訓練されていなかった。軍事的に粗末な部分があったと評価したのでしょう。

また、光復軍を主導した臨時政府は祖国の独立のために数十年間苦労し、民族自尊を強く意識した(?)集団だった。 このような組織が別の「外部勢力」であるアメリカの話をたやすく聞くはずはありませんでした。それでアメリカは光復軍の代わりに日本軍、満州国軍または、関東軍出身者を利用しました。

このような基本的な人的構成に加え、朝鮮戦争の状況も韓国軍慰安婦を作ることになった要因でした。朝鮮戦争当時、韓国軍の将軍や隊長、司令官は概して20台後半で30代そこそこが多かった。十分な指揮能力を備えないまま戦場の責任者の立場に置かれました。

ところで、1951年を前後で戦争状況が以前とは違った様相を帯びることになります。それまでは前線が南北に上下し激しい戦闘が繰り広げられていましたが、51年の7月頃停戦協定のための会談が開始され、戦闘は38度線を中心に展開し、小康局面を迎えましたた。無論一日の主な仕事は相変らず戦闘でしたが、以前と比べ激しい戦闘ではなくなりました。

こうなると将軍の統率力が落ち始めました。 前線が洛東江から鴨緑江に移される戦闘の中では生き残るために必死に戦った兵士たちが小康状態になると緊張が解け始めた。 これは将軍(一般兵士?)や佐官級、尉官級の将校も例外ではなく、彼ら指揮部は北から連れてきた女性たちを含め10台後半で20代始めの若い女性たちを取り(?)始めた。 部下の立場からこういった有様が良く見えるはずはありませんでした。

こんな状況で軍の指揮部は「このような場合、慰安婦を入れた方が良い」という考えたようです。兵士たちを共犯にしてしまうのです。過去日本軍にいた人々は、慰安婦を通じて概してこのような経験を共有したので、自然と慰安婦を作らなければならないと考えたのだと思います。

プレシアン: 最初の論文が発表されて12年が経った今、再びこのテーマで論文を書かれました。以前と異なり今回の論文では「東亜日報」と「京郷新聞」の報道を追加資料として提示した。特に「京郷新聞」の1953年11月16日の「将兵慰安所増設」という記事を通じ韓国軍慰安婦が拡充されたという見解を明らかにしましたが?

キム・キオック: 韓国軍慰安婦の記録が残っている後方戦史を見ると、当時は慰安所と위락 または、慰問施設を区分していました。記事(後方戦史?)では慰安所に対して韓国軍慰安婦の女性たちを韓国軍男性に(?)性を提供する慰安所だと明確にしていませんが、用語から見れば慰安所は日帝強制占領期間、朝鮮戦争当時慰安所と同一線上にあると分かります。軍を慰問するための公演を主にする군예대(軍-yedae)とは異なり性を提供する慰安所が実体的にも用語的にも別に存在しました

一方1953年は停戦になった時です。 停戦になっても突然軍隊を縮小することは出来ませんでした。以前と同じように最前方には軍人がいなければなりませんでした。 それで慰安所を作ることになり、当時最前線の軍人が休暇にソウルに立ち寄ったので慰安所がさらに必要だったと推論することが可能です。 このような情況での(?)記事がで言及した慰安所は韓国軍慰安婦の延長線上にある、すなわち軍人にセックスを施す(?)慰安婦がいる場所だと考えることができます。

プレシアン: ところで韓国軍慰安婦の存在を立証することが日本軍慰安婦問題を正当化させる口実を与えるという指摘もあります。実際、日本の右翼の中には「韓国にも慰安婦があった、日本軍慰安婦の何が問題なのか」という話を公然とする人もいます。

キム・キオック: 日本のインターネットサイトを調べると私の名前がかなり多く出て来ます。相当数は、日本の右翼が引用したものでした。私の論文の全体像(?)を紹介するものではなく、「朝鮮戦争当時、韓国軍によって創設された韓国軍慰安婦があった」という事実を明らかにした部分だけ引用しているのです。

それと共に日本の右翼は「韓国軍にも慰安婦があった。太平洋戦争の慰安婦がなぜ問題なのか」と、慰安婦を作った歴史的事実を歪曲したり糊塗しようとする態度です。

それでこの問題について正確につかなければならないと思いました。日帝によって作られた日本軍慰安婦問題と韓国軍慰安婦問題がどのように関連しているのか明らかにするのが私の問題意識であったのに、これが歪曲されているので、もう少し具体的に論証するという考えで論文を新しく発表することになりました。

ところで日本右翼が韓国軍慰安婦問題を事実と認定する限り、自らを縛る結果をもたらす他ないと思います。 韓国軍慰安婦は前に(?)調べたように日本軍慰安婦の経験がなければ生じなかったからです。つまり、韓国軍慰安婦は日帝の植民主義または、軍国主義を内在化した満州国軍や日本軍出身の韓国軍幹部がなかったとすれば生じなかったでしょう。したがって日本の右翼勢力が韓国軍慰安婦を認めるなら、日本軍慰安婦も認めるほかはない状況に陥ることになります。

また、韓国軍慰安婦問題は韓国軍の歴史において수치だが、現在の立場では、我々の間違った過去を自ら正すことで、むしろ日本に恥をかかせる(?)ことができると思います。私たちが日本に対し、「貴方たちが蒔いた種のために間違って育てられた花である軍慰安婦問題を、私たちが自ら解決するのだ」として。 このようになれば逆に(?)日本に日本軍慰安婦に対する責任をはっきりと糾明しろと堂々と促すことができます。

棺に入る時まで、口を閉ざすという韓国軍慰安婦被害者

プレシアン: 2002年教授の論文で韓国軍慰安婦問題が世の中に出ることになりましたが、今までこの問題が社会的に公論化されなかったことが不思議です。韓国社会内で親日勢力がそれだけ強く席を占めているためなのでしょうか?

キム・クィオク: 政府レベルでストップがかけられたようです。2002年初めて日本でこの内容を発表した時、日本の日刊紙「朝日新聞」がこれを報道しました。その後KBSの 「9時のニュース」、主要な日刊紙など国内でも多くの報道があった。ところが、今これらの記事を見つけることはできません。当時の記事が残っている所はオーマイニュースだけです。このようにいっせいに記事が全て無くなったのは、政府が介入したからとしか説明しようがないでしょう。

また、当時慶南大学の客員教授でしたが、国防部から学校に連絡が来ました。韓国軍慰安婦に関連した研究活動を自制させろということでした。その上、韓国軍慰安婦存在を立証する決定的な記録である「後方戦史」が軍事編纂研究所から消えたりしました。こうした状況を見ると(?)、当時の韓国政府がこの問題を非常に不都合に思い、直接的に制止しようとしたと思われます。国家レベルで死んだ声を(?)作ってしまったのです。

ところでオーマイニュースに記事が残っているので、朝鮮戦争の季節になると放送局からいつも連絡がきました。放送で要求されるのは、韓国軍慰安婦被害女性の証言でした。私は「後方戦史」という文書があるので、先にこれを放送して公論化させれば被害女性たちが声を上げることができると話しました。

韓国軍慰安婦の問題が公論化され、これが当時の政府が間違った行為というものが明らかになれば、この過程で自身の被害事実を明らかにしようとする被害者が出てくる可能性があるという考えでした。研究者の声だけでこの問題の解決を語ることには限界があるためです。

プレシアン: 日本軍慰安婦の場合、1991年キム・ハクスンさんの証言以降、社会的な関心事になりました。韓国軍慰安婦の場合も、問題解決のためにはやはり公けの証言が必要だと思いますが、被害者が証言しない理由は何でしょうか?

キム・キオック: 原因を確かめるためには誰を韓国軍慰安婦に連れて行ったのかを調べなければなりません。慰安婦として連れて行かれた女性は軍人によって性暴行にあった女性でした。これには南北の区別ありませんでした。当時には全国的にレイプが起きました。

戦時に起きる性暴行は偶発的なものと性格が違います。敵方を制圧するということが戦時性暴行の最も重要な要因です。敵方を制圧して恐怖化させること、屈服させるということが含まれた性暴行です。性的欲望のためにだけ起きるのではない。

また他の部類は思想的なレベルの問題が結びついたパターンです。自分の体験を棺に入るまでは話せないと語った被害者は北側で女性同盟(北朝鮮民主女性同盟)に所属していた人でした。人民軍に賦役した人だったということです。 このような女性たちを慰安婦として連れて行ったのは、遠からず潜在的な敵や敵になる可能性があるとか、時の家族を慰安婦として連れて行った(?)ことを意味します。

慰安所に連れて行かれはしなかったが、危うく慰安婦になるところだった女性の証言でもこのような側面が明らかになっている。 朝鮮戦争勃発当時、医大生だったこの女性は避難する事できず、そのためソウルを占領した人民軍に従軍することになった。 韓国の立場から見れば典型的な「赤」だが、この女性の立場では生きる為の止むを得ない選択だった。 ところが、人民軍が後退してからやって来た韓国軍によって慰安婦として連れて行かれる運命に。この女性は結局慰安婦になることはなかったが、戦場に連れて行かれると、女子中学生くらいに見える子供たちが数十人いたと証言した。

このように性暴行にあったという自身の辛い過去に加え理念的な問題も絡み、韓国軍慰安婦被害者は自分の被害事実について一貫して沈黙していました。 この話を公言した瞬間、自分の全人生が壊れてしまうという状況なのですから、国家が過ちを認めない限り自分の被害事実を語ることは非常に難しくないでしょうか。

また、日本軍慰安婦被害者はこの問題を解決する為に日本と戦いますが、韓国軍慰安婦被害者は自分の国と戦わなければならないという点も韓国軍慰安婦被害者が自分の話を持ち出し難くさせています。必然的に、国と争い反体制者と烙印を押されればどうなるかという心配が存在します。 被害者が背負っているこのような重荷を減らすためにも韓国軍慰安婦の誕生背景を研究することは重要です。

プレシアン: おっしゃるように日本軍慰安婦と韓国軍慰安婦は性格が多少違うようです。ところで日本軍慰安婦問題に人々が関心を持って見られる(?)理由が女性の人権よりは日本に対する韓国国民の反感に傾斜していると見れば、韓国軍慰安婦問題の責任を問うことは一層難しいのではないですか?

キム・クィオク: 容易なことではありません。それでも試みなければなりません。すでに数年の準備を経て米軍慰安婦被害者が訴訟を起こさなかったですか?米軍慰安婦は直接的には米軍が作ったと言っていませんが、米軍と韓国軍と事業主が三拍子のようにして共同で作ったのです。 米軍慰安婦まで生じたのは、結局韓国軍慰安婦を清算できなかったためであり、これは日帝植民清算を正しく行うことが出来ないことにまで繋がり(?)ます。韓国軍慰安婦と日帝残滓を清算できないことに対する戦いが広がっているのです。

現政権が日本軍慰安婦問題を解決するために韓日局長級協議を行っています。被害者が納得できるレベルの解決を示すには、韓日の過去の歴史を清算し非可逆的な平和の方式として持っていくべきなのに、実際には日本軍慰安婦問題だけ解決されれば成立するのではありませんか(注: 日本軍慰安婦問題だけ解決して終わりにしてしまう、という意味か)?

日本軍慰安婦問題は日本の植民支配の中で最も弱い人々が国家が犯した暴力によって人権を蹂躙された事件です。このような暴力的な事態を解決し、未来に真の和解が成立する基礎を作ることが日本軍慰安婦問題解決の要諦ならば、日本軍慰安婦制度によって作られた韓国軍慰安婦問題やはり必ず解決しなければなりません。 韓国政府が韓国軍慰安婦について顧みずに日本に日本軍慰安婦問題だけ解決しようとすれば自己矛盾に陥るほかありません。

一部の韓国軍慰安婦被害者が人民軍に加担したり、当時北朝鮮と関連があった人もいたというような理念的基準を突きつける可能性もあります。ところで、いわゆる「赤」だから不法に性暴行を受けても構わないということでしょうか?これは理念とは違うレベルの問題です。

その上、証言をした方は、人民軍がソウルを占領してやむを得ず賦役行為をした人々だ。これらを「赤」と追い詰めることが国家の役割なのでしょうか?国家はこれらが「赤」になる時までいったい何をしていたのでしょうか?

国家が国民の責任を負わないまま烙印を捺すだけ追い込むなら、国民は国家に対して忠誠をつくすことが難しくなります。さらに国家が女性人権を蹂躪し、それ以後も被害者に息詰まる社会の中で生きさせたとすれば、一体国家の役割は何なのかと疑問を抱かざるをえません。

棺に入る時まで自分の話を公にしないと話した被害者の苦痛を考えれば、国が一度は過去の過ちを払いのけるべきではないでしょうか?再び戦争のない、そして戦争のために被害を受ける国民がいない国を作るという確約が日本軍慰安婦問題を解決していくための政府の基本的な立場なら、より一層問題解決に乗り出すべきだと思います。

日本軍慰安婦、謝罪だけ要求するのでなく

プレシアン: 昨年日本軍慰安婦に関する局長級協議が何度も開かれました(引用者注: 慰安婦問題限定の協議ではない)。今年も両国間の協議は予定されていますが、現実的にこの問題を解決するのが難しいのではないかという観測もあります。慰安婦を研究する学者として、この問題の解決のために韓国政府がどのように接近するべきだと思いますか?

キム・キオック: まず日本軍慰安婦の真相を糾明することが最も重要です。日本はまだ歴史的真実を表わさないでいます。民間レベルや訴訟過程で関連資料が出てくる程度です。一方で日本が国家レベルで行った謝罪は、私たちも謝罪と認める必要があると思います。 謝罪したにも関わらず安倍晋三総理がひっくり返すことに対して問題提起しなければなりません。日本軍慰安婦動員の強制性を認めた1993年の河野談話や1995年の村山談話はとても重要な事実を指摘しています。 2010年間管直人総理は「韓日併合100年に際した総理談話」を発表した。中途半端な部分はありましたが、これも過去の歴史全般について重要な内容を含んでいます。私たちは今後の日本の政権にこういった談話内容を継続して守って行くよう要求しなければなりません。そしてこれと共に日本の侵略を立証する歴史的な文書と資料を出せと促さなければなりません。

日本と戦いを多角的、戦略的に解きほぐす必要があります。 日本の河野談話などを既定事実に受け入れた後これを証拠資料を通じてはっきりと証明をやり遂げろと要求しなければなりません。 私たちがずっと謝罪しなさいとだけ言えば日本は「謝ったのに、まだ何をしろといっているのか」と言い、これがずっと繰り返される可能性が高い。 もう日本の言葉だけの謝罪に対して確実な責任を負えるようにする知恵と戦略が必要です。

プレシアン: 一部では慰安婦被害者に対する日本国家レベルの賠償が事実上不可能ではないかという指摘も出ています。

キム・キオック: そんなことはありません。正確な真相究明が行われれば、国家賠償は当然ついてくるしかありません。日本は当時強制労働をしないと言う。ですが、日本軍慰安婦だけでなく強制徴用を通じ不法的に労働力を搾取した。これに対する責任所在を明確に選別しなければなりません。

また、慰安婦を含め強制徴用された人々が労働の代価をまともに受けることができなかった。解放後故国に帰れなかった人も多く、たとえ帰還しても無一文で戻った人が多かった。このような状況に対する真相が糾明されれば、当然日本という国家から当然返してもらわなければならないということも出てくることになります。

結局、国家賠償問題は日本軍慰安婦をはじめとして強制徴用の実体を正確に明らかにすれば自然と出る問題です。研究者や特定の政治集団が解釈して判断する問題ではありません。参考として、ドイツは戦後賠償を払いましたし、ウイリー・ブラント総理が謝るとすぐに強制徴用を敢行した企業らがその費用をみな返すこともしました。決して不可能だったり難しいことでなく、当然の手順です。

Pressian 2015.1.8[1][2][3] (原文

※ 昨年12月30日、漢城大学で行われたインタビュー部のみ。翻訳は不正確かもしれない。

2012/05/07

韓国軍の慰安所 キム・キオック(金貴玉)

キム・キオック(金貴玉)は朝鮮戦争世代ではない。男であれ女であれ、朝鮮戦争を体験した世代ならまた別の感想があったかもしれない。彼女の主張は、日本のフェミニストが語る慰安婦論に近い。

訳者の配慮かもしれないが、「」つきで「慰安婦」と表記し、軍の統計表を見て「慰安の強要」の回数だと言う(たぶん、資料には強制とは書かれていないだろう)。彼女によれば、韓国政府は日本政府と同様に「女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用した」のだそうだ。

戦後教育を受けた世代だけに、彼女も日帝嫌いで独立派贔屓であるようだ。日本軍を「日本帝国主義の戦争代理人」(この言葉の発案者は別人)と呼び、韓国軍の慰安所作り携わった韓国軍人の日本統治時代の経歴を、独立派に対する抑圧者として語るところからも、そんな心情が滲み出ているようである。

キムは1996年には韓国軍にも慰安婦が存在した事に気づいていたが、日本の「極右」を利するなどという警告もあり、長くこれを公表しなかった。冷静に考えれば、韓国軍慰安婦の存在を公にする事がなぜ日本の右翼を利するのか意味不明である。日本糾弾派の日本叩きがやり難くなるだけの話である。とはいえ、彼女は日本叩きに配慮して公表を躊躇ったわけではないだろう。彼女が韓国ではなく日本(立命館大学でのシンポジウム)でこの事実を発表したのはやはり不自然で、韓国では言い出せる雰囲気ではなかったというのが真相なのかもしれない。

彼女は日本の「右翼(保守派)」に対する偏見を隠そうとしないが、彼女自身認めているように、韓国の進歩的な人々も、韓国軍の慰安所も性奴隷制度だという彼女の考えに必ずしも同調してくれない。日本の場合も同じなのである。慰安所を「性奴隷制度」だと見做さないのは、何も右翼に限った事ではない。彼女が右翼と呼んでいる日本人の中には、比較的中立な立場の人もいるはず。

また、彼女は日本軍慰安婦を公娼と同列に扱う事に反発する韓国の運動家たちが「韓国軍『慰安婦』問題に対しては『公娼』であるとし、議論の余地のないものとする」という事にも気づく。そして、彼女が韓国軍の慰安所について発表してから、韓国政府は関連資料の閲覧を禁止した。あれほど執拗に日本政府に情報公開を迫る挺対協は、そのことについて何も言わない。

結局、日本軍の慰安所システムとは何だったのか?韓国では世界史上に類例を見ないとか戦争犯罪などと言われるが、彼女も察しているように、こういったシステムは洋の東西を問わず昔から存在したのである。しかし、彼女はまだそれを全面的に肯定する気持ちにはなれないようである・・・。

キムは、「インドシナ戦争時にフランス軍によって『移動式娼婦村』がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の『売春宿』が設けられたように、軍『慰安所』はあらゆる戦争の必要悪なのか」と疑問を呈しながら、けっきょく答えをはぐらかしている。


1991年8月の金学順さんの証言があるまで、日本軍性奴隷問題は周知の事実でありながらも、正史としてとりあげられてこなかった。

歴史を変えたこの証言(金学順証言)の後、日本軍性奴隷問題は韓国のみならう朝鮮民主主義共和国、日本、中国などを含む、まさに世界的な問題として関心を集めることとなった。[...]私は、1996年に[...]朝鮮戦争当時、大韓民国陸軍が徴集した軍「慰安婦」が存在したことを知った。だが、この事実を公開するまでには7年の月日がかかった。 
[...]韓国の国防部所属資料室にあった韓国軍「慰安婦」関連資料の閲覧は禁止され、ほとんどのメディアも示し合わせたかのように沈黙した。「日本軍『慰安婦』問題でもないのに・・・・」と言葉をにごらせたのだ。

この時、私はあることに気づいた。これまで韓国の学会や女性運動は、日本軍「慰安所」制度と公娼制の連続性があるとする主張に対して辛辣に批判してきたが、一方では韓国軍「慰安婦」問題に対しては「公娼」であるとし、議論の余地のないものとする傾向があるということが見えてきたのである。一部の進歩的な男性たちですら、民族主義の名のもとに私の研究成果を身内の恥をさらすものとみなし、日本の極右の弁明の材料となりうると警告した。私もこうした事実の発見を喜んだわけではない[...]

日本軍と同じように韓国軍が軍「慰安所」を作ったのは、男性の耐え難い生理学的本能が普遍的に存在するからなのか?インドシナ戦争時にフランス軍によって「移動式娼婦村」がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の「売春宿」が設けられたように、軍「慰安所」はあらゆる戦争の必要悪なのか?

ここに出てくるフランス軍の移動式娼婦村とは、Bordels Mobiles de Campagneのこと。遠征用移動式売春宿、といったところだろうか?しばしばBMCと略されるようである。


上の絵は、第3次リーフ戦争の一コマを描いたもの。もったいぶった足取りで「慰安所(BMC)」へ歩いて行く高級軍人を、部下たちが背後で笑っている。色黒の女性(慰安婦)たちはモロッコ人だろうか?当時モロッコはフランスの保護国であった。コリア・ヘラルドなどは、植民地の女性たちを使って売春宿を開設したなど世界史上例はないと言っていたが、そんな事はない(厳密に言うと、リーフ地方の支配者はスペイン)。

現時点で私は、大韓民国陸軍本部が1956年に発刊した『後方戦史(人事篇)』意外に軍「慰安所」に関する文書を探し出せていない。[...]以前私は、朝鮮戦争前後の国家暴力により女性に加えられたさまざまな性暴力を、4種類に類型化したことがある。[...]軍人の拉致あるいは強制結婚や性奴隷型も少なからずあった[...]一人、あるいは少数の女性たちが軍人により軍部隊へ拉致され、昼には「下女」として働き、夜には「慰安」を強要された[...]

私が1999年にインタビューした、朝鮮戦争に参戦した米国人ポール・フェンチャー(Paul Fancher)が属していた米軍部隊にも軍「慰安所」があった。また、韓国軍により体系的に「特殊慰安隊」が作られ、そこで軍「慰安婦」たちは軍人たちを「慰安」するよう強要されたのだ。[...]軍「慰安所」には、一定の場所に軍人が行くものと、「慰安婦」が軍部隊へと出張するものの二つの運営形式があったといわれている。

[...]設立当時、陸軍は軍「慰安所」を「特殊慰安隊」と呼んだ。この資料(引注:「後方戦史」)によれば、「特殊慰安隊」の内容は次のようなものである。
表面化された理由のみをもって、簡単に国家施策に逆行する矛盾した活動であると断じるなら別だが、実質的に士気昂揚はもちろん、戦争に伴う避け難い弊害を未然に防止することができ、それのみならず、長期間の代価なき戦闘で後方来往がなくなることにより、異性に対する憧憬が惹起され、その生理作用により性格の変化などの憂鬱症及びその他の支障をきたすことを予防するため、本特殊慰安隊を設置することになった。
軍記録によれば設置の表向きの目的は、第一に軍人たちの士気昂揚、第二に戦争による避け難い弊害に対する予防措置、第三に性欲抑制に伴う欲求不満や性格変化に対する予防であるとまとめられている。こうした設置目的は日本軍が「慰安所」を設置した主な理由、すなわち「節制しえない性欲」と性犯罪予防という理由と変わらない

[...]設置時期は不明確だが、1951年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で膠着状態に入ってからと思われる。閉鎖されたのは1954年3月である。


ここで彼女が「国家政策に逆行」と言っているのは、韓国では1947年に公娼制度が廃止されていたからである。日本軍慰安婦制度は当時の国内法にも違反!とはよく聞くフレーズだが、韓国でも慰安所政策は法のグレーゾーンに置かれていたようだ。そして、慰安所の設置目的は日本軍の場合と変わらないと。出張形式があったのも日本軍と変わらない。この話はイ・ヨンフン教授も書いている

米軍部隊専用の慰安所があったとも言っているが、「日本の謝罪を引き出し、再び女性が暴力の犠牲にならないことに役立つ」などと啖呵を切ったアメリカの議員たちから何かコメントが欲しいところである。

あなた方も当事者です

「慰安隊」設置の場所

①ソウル地区
第一小隊 ソウル特別市中区忠武路四街一四八番地
第二小隊 ソウル特別市中区草洞一〇五番地
第三小隊 ソウル特別市城東区神堂洞二三六番地

②江陵地区
第一小隊 江寮郡成徳面老巌里

③その他 春川、原州、束草など

[...]束草の軍「慰安所」は休戦以降私娼に変わり、その一帯に集娼地が形成されたものと考えられる。[...]1980、90年代初頭に至るまでこの私娼たちは一種の軍「慰安婦」としての役割を果たすことを強いられていたという。

予備役将軍、蔡命新(チェミョンシン)の証言によれば「当時わが陸軍は士気を振い立たせるために60余名を一個中隊とする慰安部隊を三、四個運営していた」という。60名一個中隊が三、四個ならば軍「慰安婦」の数はおおよそ180~240名前後と考えられる。

[...]上の実績統計表(引:後方戦史人事篇P.150)によれば、一人の「慰安婦」が一日に6回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。

蔡命新の回顧録によれば、前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる。もちろん勲章をもらえば優先権が与えられ、羨望の対象となった。また、功勲の程度によってチケットの枚数は変わったという。

このように日本軍性奴隷たちが強要された「慰安」回数との間にそれほど差はなかったといえる。

「慰安」の回数まで日本軍の場合と差がなかった、慰安婦の健康管理についても日本軍と韓国軍のやり方に違いはなかったと彼女は言っている。

衛生検査

「慰安婦」は一週間に2回、軍務官の協力により軍医官の厳格な検診を受け、性病については徹底的に対策が講じられたという。言うなれば公娼制や日本軍「慰安婦」制度における性病対策と同じやり方で、韓国も女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用したのである。

[...]連隊一課にて中隊別第五種補給品(軍補給品は1~4種しかなかった)受領指示があったため見てみると、わが中隊にも週8時間を限度として6名の慰安婦が割り当てられていた。これは過去日本軍従軍経験があった一部連隊幹部たちが部下の士気昂揚のために発想したもので、わざわざ巨額の厚生費をかけてソウルから調達してきたものである。(引注:当時尉官将校であった金喜午・キムヒオの回顧録より)

[...]日本軍出身幹部たちが身につけた日帝の軍隊文化は、それほどまでに彼らの意識と無意識の奥深くに内面化されていたのである。こうしたなか、日本軍性奴隷制度を当然視してきた彼らにとって、それを模倣することは別段おかしなことではなかったのかもしれない。[...]韓国軍「慰安所」は、継続する植民地主義の一つの表れであり、韓国軍「慰安所」制度は日本軍「慰安所」制度の延長とみることができる。

「日帝が諸悪の根源」というのが彼女の結論らしい。日帝の軍隊文化が悪いから、それに染まった親日派軍人たちも悪い考えを持つようになった?しかし、再び本当にこれは日本(軍)に固有な習慣だったのであろうか?

[...]韓国軍「慰安所」設置の直接的な責任の所在を考えるにあたって、陸軍本部恤兵監室を外すことはできない。ここで 恤兵監室の前身の厚生監室を1949年に設立した朴(王へんに景)遠がどのような人物かを見なければならないだろう。彼は朴正煕 政権下で4代にわたり内務長官を含む長官職を5回歴任、日帝時代には学徒兵として参戦し開放直前に少尉として除隊、開放後には軍事英語学校を経て中将として予備役に編入された経歴を持つ。韓国現代史の支配勢力の一人であるといえる。[...] 朴(王へんに景)遠は、木浦(モッポ)商業学校で皇民化教育を受け、卒業後学徒兵として太平洋戦争に参戦、九州八○六一部隊高射砲中隊の小隊長を歴任した。[...]日本軍参戦過程で「慰安所」と軍性奴隷経験を自然に受け入れたであろうことは十分考えられる。その結果、韓国軍にも「慰安所」を設立する企画を立てたのではないだろうか。

また朝鮮戦争当時の軍位階序列からみて、恤兵監室より上位の陸軍本部が当然「慰安所」設立自体を承認していたであろう。また、1950年7月に大韓民国政府は軍作戦識見を国連軍(事実上米軍)に譲渡していたため、軍「慰安所」に対する最終的な承認は米軍が行っていたと考えられるが、未だ決定的な文書資料は発見できていない。ただ最近聞き取り調査で証言した薫定は、米軍専用「慰安婦」たちが前方まで連れていかれて活動していたのを目撃したという。

韓国軍関係者が日本軍時代の経験を通じて慰安所のノウハウを吸収したのは容易に想像できる。しかし、日本軍の文化に染まったから性奴隷制を「自然に受け入れた」とまで言っていいのか。その理屈なら、ベトナムでアメリカ軍が日本軍のとよく似た(秦郁彦)「慰安所」を設置した理由も、日本占領期の経験と関連があるのだろうか?やはりここでも、キムがドイツ軍などのケースとの対比を放棄してしまったのが惜しまれる。

また余談だが、イタリア軍にも「慰安婦」が存在した。下は映画「国境は燃えている(Le Soldatesse)」 (1965年/イタリア)の一シーン。この娼婦たちは、イタリア軍がギリシャで調達して来た女性たちである[要確認]


[...]国家機構であるところの陸軍本部は当時、軍「慰安所」の性格を「公娼」としてとらえていたといえる。[...]例えば太平洋戦争のころに極少数でも、日本人「慰安婦」のなかには天皇に対する忠誠心と愛国心を抱いていた女性が、自らすすんで「慰安婦」になった場合があったと考える。では、朝鮮戦争期の韓国女性のなかにも、国家への忠誠心と愛国心の発露として軍「慰安婦」になった者がいたと考えられるだろうか。[...]公開募集をしたという記録も見つけることはできていないが、金喜午の回顧録に、その女性たちのほとんどが、かならずしも器量良しには見えない幼い女性たちであるとしており、戦争前に私娼で働いていた女性だとは考えにくい。実際に軍「慰安婦」として働くことになった女性たちの例からは、「自発的動機」がほとんどなかったのではないかと思われる。ある女性は十代後半の未婚女性で、1951年春まで咸鏡南道永興郡に住んでいた。ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。彼女はこのことに関する証言を拒んだが、拉致した北派工作員二名によりこの事実が証言された。

内戦という事もあり、韓国の慰安所政策は日本の場合よりも余裕のない中で計画されただけに、もしかしたら日本軍以上に過酷だった部分もあったのかもしれない。

すべての軍「慰安婦」たちがこのようであったと推定することは難しい。だが、他の「慰安婦」にされそうになった女性の証言からは、いわゆる「アカ」と疑われた状況におかれたため、軍人に殺されるかもしれないという恐怖心から軍「慰安婦」となることを拒めなかったことがわかる。また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。戦争による貧困と、家族から保護・扶養されることが難しいという困難な条件が幾重にも重なり、女性たちは軍「慰安婦」にならざるを得なくなったのかもしれない。こうしたことを考えてみても、また、朝鮮人女性たちの伝統的家父長制的純潔意識を考慮してみても、朝鮮戦争当時、特に未婚女性たちが自発的に軍「慰安隊」に志願したと判断することには無理がある。

よって国家の立場からみれば公娼であったとしても、女性たちの立場からみれば韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえるだろう。そして、何人かの男性の証言にもあるが、1954年3月に軍「慰安隊」が閉鎖されたとき、日本軍と同じように、大部分の女性たちを捨てたにちがいないのである。

一応日本軍の場合、慰安婦を連れ戻す努力はしている。

この後もキムは色々と悩んでいるが、なぜ韓国では日本軍慰安婦は性奴隷として認識されているのに韓国軍のそれはそうならないのか、それは考えなくても分かる(分かるからこそ、彼女は煩悶するのだろう)。運動家や一部の「専門家」以外の日本人が慰安婦を奴隷とは思っていないように、普通の韓国人は韓国軍慰安婦を奴隷とは考えないのである。

北朝鮮の軍隊についてのキムの評価も当たっている部分もあろうが、実は中国軍にも「性の問題」があったのである。いつか紹介する機会があるかもしれない。北朝鮮や中国に対して甘くなってしまうのも、進歩的韓国人の特徴なのかもしれない。

韓国軍「慰安婦」問題が語られない理由は何だろうか?[...]日本軍「慰安婦」問題と比較するならば[...]日本軍による犯罪行為だと認識することにより「性奴隷」概念が受け入れられるようになった。しかし、韓国軍「慰安婦」問題に関してはどうだろうか。[...]朝鮮戦争時に軍「慰安婦」と接した経験を持つ男たちが「韓国軍『慰安婦』は「日本人」とでなく「韓国人」とそうしたのだから、それでもましだろう」という弁明をしているが、この言葉からは、この問題の隠蔽に関して民族主義イデオロギーと家父長制イデオロギーの双方が同時に作用していることを確認できる。
[...]朝鮮人民軍もまた、戦時性暴力の問題から自由ではなかったようだ。軍による性暴力事件が時々発生し、その処理問題のために苦心した痕跡があるのだ。しかし、韓国軍とは違い、軍の立場は明確だったようだ。民心を得るためには民衆に好感を持たれなければならないというのが、人民軍と中国軍の徹底した村民政策の立場だ。[...]朝鮮人民軍もこうした規則を遵守し、性暴力事件が発生した際には即決処分も厭わなかったと考えられる。[...]このため、朝鮮人民軍に軍「慰安婦」制度があったという証言や資料がどこからも出てこないのは、ある意味で当然ともいえる。[...]正当性を認められるためには民衆に危害を加えてはならず、また物的基盤が脆弱ななかで軍の紀綱を保つためには、厳格な法を示す必要があったという現実的な理由が作用した結果だと考えられる。いずれにしても、これらの点で日本軍出身者が主導的に作り出した韓国軍とは明確な差異があったのである。

[...]韓国軍「慰安婦」問題に接近する過程でわかったことは、この問題が日本軍「慰安婦」問題と別個のものではなく、植民地主義が続く過程で現れたものであるという事実である。

軍隊と性暴力 20世紀の朝鮮半島



自国にも慰安所があったことが明らかにされた韓国の研究者は(国防軍事編纂研究所の関係者にとっては、既知の事実であったはず)、「日本軍が・・・一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と弁解している。ここでも、ポイントは「強制性」や「関与」ではなく、「強制連行」であるようだ。

「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張

日本軍の慰安婦制度を真似た慰安婦制度が、韓国戦争当時、韓国軍にもあったという主張が提起されたと朝日新聞が24日報道した。

韓国の慶南(キョンナム)大学の客員教授の金貴玉(キム・キオック、40)氏は、23日京都の立命館大学で開かれた国際シンポジウムでこのように発表したと同新聞は伝えた。

金教授は「1996年以後、5年間『直接慰安所を利用したことがある』、『軍にら致され、慰安婦になった』など男女8人の証言を聴取した」と明らかにした。

金教授はまた「韓国陸軍本部が1956年編さんした公文書『後方戦史』に『固定式慰安所-特殊慰安隊』と記録された部分を発見し、これには4カ所で89人の慰安婦が1952年に限って20万4560回の慰安活動をしたという統計資料が添付されていた」と同新聞は付け加えた。

一方、国防軍事編纂研究所の関係者は『当時、軍は売春婦と合意の下で場所を提供した。また慰安行為の対価は部隊運営費から支給されたと聞いている」とし「しかし、日本の植民地時代に日本軍が人権を無視し、一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と説明している。