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2019/11/17

女性は「米軍の慰安婦より日本軍の慰安婦の方がいい」と言う


米軍の慰安婦は、日本軍の慰安婦よりも厳しく悲しい体験をした。女性たちに聞けば、「米軍の慰安婦よりも日本軍の慰安婦でありたい(の方がマシ?)」と答える・・・とイ・ヨンフン教授

当時の韓国は貧しく、日本の慰安所システムを真似ても好待遇は保証出来なかったに違いない。豊かな米国が「慰安所」を公認していれば状況は違ったろうが、日本と異なり売春はタブーの国である。その点、公娼制度下の日本の場合、親方日の丸で慰安婦の面倒を見ることが出来た。待遇に差があるのは当然だろう。

しかし、公に「関与」した日本が、自らは手を汚さなかったアメリカに批判されている。理不尽な話である。

「反日種族主義」を掲げる韓国の恥ずかしい問題

ソウル大の図書館には1964年から1967年までの韓国の至る所にいた米軍慰安婦の調査論文があります。そのほかに民間の慰安婦に関する修士論文もいくつかあります。これらも全部集めました。彼女たちの悲惨なありかたは日本軍慰安婦より厳しく悲しかった。(調査で)女性たちに日本軍慰安婦と米軍慰安婦のどちらがいいかときいたら、日本軍慰安婦といいます。日本軍慰安婦は何より暴力から保護されました。所得水準もいいです。重要なのは妊娠から保護されました。それは重要なことです。米軍慰安婦は流産を強要されました。出産した子供たちは米国に移送されました。毎年1000人ぐらいの赤ちゃんが米国に移送されて行ったのでした。

この事実を知って私は本当にびっくりして怒りがこみ上げました。自分の歴史のなかにこのような悲惨な悲しい歴史を持っているのに、どうして28年間も日本軍慰安婦だけを外交問題にして両国関係を悪化させてきたのか。自分の内部には目を閉じて、敵対的な種族に対して批判するという均衡のない立場です。それが種族主義なのです。本当に、恥ずかしい問題なのです。

文春オンライン(一部)[2] 2019.11.14

2014/07/26

米軍基地村売春 米が日本を責めないのはブーメランを心配しているから? (キャサリン・ムン)


キャサリン・ムン

Sex Among Alliesは97年に上梓された

90年代に在韓米軍の買春問題を英語で告発したキャサリン・ムン。彼女が調査した基地村売春婦は、慰安婦とも呼ばれたが、キム・キッオク教授の調査で日が当たった狭義の(韓・国連軍)慰安婦とはまた異なる。ムンは、「(日本軍の)慰安婦は軍の関与がより直接的だったが、本質的に(日本軍)慰安婦と基地村女性が違わない」と言っているが、狭義の韓国軍慰安婦なら、民間人経営者が間に入っていない分、日本軍の場合よりさらに軍の関与が直接的だったと言えるかもしれない(要確認)。それはさて置き、

基地村売春婦問題と日本軍慰安婦問題の運動が連帯しようとした時、いわゆる「ハルモニ」がこれに反発したこと(思い返せば、イ・ヨンフン教授も「東豆川で体を売っている女と私たちを比較するなんて、あり得ない」「一発殴ってやりたい」と叱られていたものだが)、日本批判の矛先が鈍るのを恐れ韓国政府がこの問題に消極的だったこと、反日民族主義のようなエネルギー源に乏しい為に米軍の買春問題は社会問題化し難いこと(訳が正しければ)など興味深い指摘が少なくない。

「いつ国境を越えて米国に上陸し、沖縄・フィリピンなど他の米軍駐屯地での訴訟を触発するのか分からない」というのはそうかもしれないが、下院決議があるにも関わらず米国政府が日本に対して強く出ないのは、果たしてブーメランを恐れてなのだろうか?

ムンは、韓国人基地村売春婦の役割を補完する外国人女性が、韓国人売春婦よりも不利な立場に立たされている可能性を指摘し、現在進行形の問題にも関心を持つよう訴えている。「(日本軍)慰安婦問題は過去の歴史ではない」と啖呵を切った朝鮮日報はコメントなしですか?そうですか。

キャサリーン・ムン 米国ブルッキングス研究所の初代韓国学研究職(Chair in Korea Studies)「基地村女性問題も普遍的な女性人権と人身売買の観点で見るべき」

「日本軍慰安婦」はよく分かるが、「米軍慰安婦」は馴染みが薄い。しかし、「基地村女性」といえば誰もが頷く。

先月米軍の基地村女性112人が「米軍慰安婦」という名称を掲げ国を相手に訴訟を起こしたという知らせに反応が気になるのは、ブルッキングス研究所初代韓国学チェアであるキャサリン・ムン(50)だった。 ムン博士は米軍基地村売春問題を光を当てた先駆的研究である<同盟の中のセックス 韓米関係の軍隊売春(Sex Among Allies: Military Prostitution in U.S.-Korea Relations)>の著者だ。

米国生まれた韓国系米国人ムン博士は博士論文の現地調査のため韓国に滞在した1990年にこの女性たちと初めて会った。米軍基地村問題は「政治学徒として感じた倫理的義務感」から選んだテーマだったと言う。 「彼女たちは、韓国社会でインドのカースト制度の不可触民と同じだった」

周辺の引き止めにも東豆川、平沢(ピョンテク)、群山(クンサン)を歩きこの女性たちに会い話を聞き、「私がこんな環境で生まれていたら、私の人生はどう変わっていたのだろう」という思いに謙虚になったと言う。人間としての共感と学者として義務感は、韓米同盟を陰ながら支えてきた恥部を明らかにする作業につながった。

ムン博士は韓国社会のエリートたちと話し、「この女性たちは強制されてそのような仕事をしていたのではない」という通念を破ることが、その当時も今も難しいと言う。

「14才で強姦されて薬を服用すれば事実上強圧的な雰囲気となる。 車に乗せてどこへ行くのか分からないまま引っぱられて行くなら、それは事実上拉致だ。 一旦基地村に売られれば借金に縛られて抜け出しにくかった。 『雇用契約を結んだ奴隷』と異ならなかった」。

お金を稼ごうと自発的にしたというような話を、日本の右翼も慰安婦女性たちに対してする。 慰安婦は軍の関与がより直接的だったが、本質的に慰安婦と基地村女性が違わないとムン博士は話した。 「法律面で官が管理したか民間が管理したかという(のは?)重要だが、実際的に官と民はほとんど共謀関係にあった」ということだ。

基地村の場合、女性たちの募集に関与しなかったが米軍と韓国政府が女性たちを収容所に追い詰めて性病検査をした点に照らして官の役割を否定するのは難しい

「1970年代に大統領府管理は定期的に基地の村に出て行って女性たちに韓米同盟と国益のために多大な貢献をしていると励ました。 いくつかの米軍部隊は『娯楽』のために基地の村女性たちをバスに乗せ基地内に連れて来る場合もあったし、女性たちの性病検査をした場合もあった。 文献証拠は、韓国政府と米軍がこの慣行の一部に関与していたことを示している」。

ムン博士は「基地村女性のポジションを外国人女性が補っているが、彼女たちは法的地位のために過去の韓国人女性たちに比べ、さらに法の保護を受けることのできない可能性が高い」として現在進行形の問題にも関心を持ってほしいと注文をつける。

慰安婦問題は1990年代の中・後半、韓国市民社会で次第に関心を持たれ「戦時性暴行」を中心にした国際女性運動の流れに乗った反面、基地の村女性問題はまともに注目されることがなかった。

ムン博士は初期に基地村女性問題活動家らと慰安婦問題活動家が連帯しようとしたと振り返った。 だが、慰安婦被害ハルモニが「私たちはこの女性らと違う」と反発して失敗に終わったという。 ムン博士は「韓国政府でも基地村女性問題を扱えば日本に対する道徳的位置づけが弱まることを憂慮して基地村女性問題に相対的に一層消極的だった」と話す。

ムン博士は基地の村女性問題が政治問題(イシュー)化されるのが容易でない条件だということを認めた。「韓国人の日常生活の中で理解することが非常に遠い困難な問題と見なされやすく、絶えずエネルギーを提供する反日民族主義とは違い韓米関係で韓国人を憤怒させる大きな問題がないという点でも、タイミング上良くない」。

それでもムン博士は「女性たちがゴミのような待遇を受け、米軍がアジア女性たちの性を誤った観点で眺める態度が変わらなければならないという点で、基地の村女性たちが立ち上がった(?)という知らせに安堵している」と語った。

だが、米国政府は安心できる立場ではない。 女性たちが今のところ米国政府を相手に訴訟を起こしたことではないがそれがいつ国境を越えて米国に上陸し、沖縄・フィリピンなど他の米軍駐屯地での訴訟を触発するのか分からないからだ。 「パンドラの箱」であるということ。

米国の議会が日本に謝罪を要求する決議案まで通過させた慰安婦問題を米国政府が強く提起できないのは、日本との関係だけでなくそれが自身自身に返ってくるブーメランになる可能性があると分かっているからかもしれない

ムン博士は2007年下院慰安婦決議案通過直後のABC放送への寄稿文で「慰安婦政治が国家間に互いに民族主義的攻撃の機会になっているだけ、政府や人々に、戦時下の民間人保護と女性人権改善のために真剣に模索することでは続かないでいる」と書いた。 戦時にしても平時にしても、軍隊の女性に対する性暴行問題を見れば国家は加害者であっても被害者にはなれないのは明らかだ。

京郷新聞 2014.7.20[1][2][3]

캐서린 문 미 브루킹스연구소 초대 한국석좌 “기지촌 여성 문제도 보편적 여성 인권과 인신매매의 관점에서 봐야”

‘일본군 위안부’는 잘 알지만 ‘미군 위안부’는 생소하다. 하지만 ‘기지촌 여성’이라고 하면 누구나 고개를 끄덕인다.

지난달 미군 기지촌 여성 112명이 ‘미군 위안부’란 이름을 내걸고 국가를 상대로 소송을 냈다는 소식에 반응이 궁금한 사람은 브루킹스연구소 초대 한국석좌 캐서린 문(50)이었다. 문 박사는 미군 기지촌 성매매 문제를 조명한 선구적 연구인 <동맹 속의 섹스: 한·미관계에서의 군대 성매매> 저자다.

미국에서 태어난 한국계 미국인인 문 박사는 박사논문 현지조사차 한국에 머무르던 1990년 이 여성들과 처음 만났다. 미군 기지촌 문제는 “정치학도로서 느낀 윤리적 의무감”에서 택한 주제였다고 했다. “그들은 한국 사회에서 인도 카스트제도의 불가촉천민과 같았다.”

주변의 만류에도 동두천, 평택, 군산을 오가며 이 여성들을 만나 얘기를 들었고 “내가 이들의 환경에서 태어났다면 내 삶은 어떻게 바뀌었을까”라는 생각에 겸허해졌다고 했다. 인간으로서 공감과 학자로서 의무감은 한·미동맹을 은밀히 지탱해오던 치부를 밝혀내는 작업으로 이어졌다.

문 박사는 한국 사회의 엘리트들과 얘기하며 ‘이 여성들은 강제로 그런 일을 한 게 아니다’라는 통념을 깨는 것이 그때나 지금이나 어렵다고 했다.

“14세에 강간 당하고 약물을 복용하면 사실상 강압적인 분위기가 된다. 차에 태워져 어디로 가는지 모른 채 끌려간다면 그건 사실상 납치다. 일단 기지촌에 팔려가면 빚의 족쇄에 매이고 빠져나오기 어려웠다. ‘고용계약을 맺은 노예’나 다름없었다.”

돈을 벌려고 자발적으로 했다는 식의 얘기를, 일본 우익들도 위안부 여성들에 대해 한다. 위안부는 군의 관여가 더 직접적이기는 했지만 본질적으로 위안부와 기지촌 여성이 다르지 않다고 문 박사는 말했다. “법률적 측면에서 관이 관리했느냐 민간이 관리했느냐는 중요하겠지만 현실적으로 관과 민은 대부분 공모관계였다”는 것이다.

기지촌의 경우 여성들의 모집에 관여하지는 않았지만 미군과 한국 정부가 여성들을 수용소에 몰아넣고 성병 검사를 한 점에 비춰 관의 역할을 부인하기 어렵다.

“1970년대에 청와대 관리는 정기적으로 기지촌에 나가 여성들에게 한·미동맹과 국익을 위해 큰 봉사를 하고 있다고 격려했다. 어떤 미군부대는 ‘오락’을 위해 기지촌 여성들을 버스에 태워 기지 내에 데려온 경우도 있었고, 여성들의 성병 검사를 한 경우도 있었다. 문헌 증거들은 한국 정부와 미군이 이 관행의 일부로 관여돼 있었음을 보여준다.”

문 박사는 “기지촌 여성의 자리를 외국인 여성들이 채우고 있는데 이들은 법적 지위 때문에 과거 한국인 여성들에 비해 더 법의 보호를 받지 못할 가능성이 크다”며 현재진행형인 문제에도 관심을 가져달라고 주문했다.

위안부 문제는 1990년대 중·후반 한국 시민사회에서 점차 관심을 얻고 ‘전시하 성폭력’을 중심으로 한 국제 여성운동의 흐름을 탄 반면, 기지촌 여성 문제는 제대로 주목받지 못했다. 

문 박사는 초기에 기지촌 여성 문제 활동가들과 위안부 문제 활동가들이 연대하려 했다고 회고했다. 하지만 위안부 피해할머니들이 ‘우리는 이 여성들과 다르다’고 반발하며 무산됐다고 한다. 문 박사는 “한국 정부로서도 기지촌 여성 문제를 다루면 일본에 대한 도덕적 입지가 약화될 것을 우려해 기지촌 여성 문제에 상대적으로 더 소극적이었다”고 말했다.

문 박사는 기지촌 여성 문제가 이슈화되기 쉽지 않은 여건임을 인정했다. “한국인들의 일상적인 삶에서 이해하기 매우 먼 문제로 여겨지기 쉽고, 끊임없이 에너지를 제공하는 반일 민족주의와 달리 한·미관계에서 한국인들을 분노시키는 큰 이슈가 없다는 점도 타이밍상으로 좋지 않다.”

그럼에도 문 박사는 “여성들이 쓰레기처럼 대우받고 미군이 아시아 여성들의 성을 잘못된 관점에서 바라보는 태도가 바뀌어야 한다는 점에서, 기지촌 여성들이 일어났다는 소식에 안도감을 느낀다”고 했다.

하지만 미국 정부는 안도감을 느낄 입장이 아니다. 여성들이 아직 미국 정부를 상대로 소송을 낸 것은 아니지만 그것이 언제 국경을 넘어 미국에 상륙하고, 오키나와·필리핀 등 다른 미군 주둔지에서의 소송을 촉발할지 알 수 없기 때문이다. ‘판도라의 상자’인 셈이다.

미 의회가 일본에 사과를 요구하는 결의안까지 통과시킨 위안부 문제를 미국 정부가 강하게 제기하지 못하는 것은 일본과의 관계뿐만 아니라 그것이 자신에게 되돌아올 부메랑이 될 수 있음을 알기 때문일지도 모른다.

문 박사는 2007년 하원 위안부 결의안 통과 직후 ABC방송 기고문에서 “위안부 정치가 국가 간에 서로 민족주의적 공격의 기회가 되고 있을 뿐, 정부나 사람들로 하여금 전시하 민간인 보호와 여성 인권 개선을 위해 진지하게 모색하는 일로는 이어지지 않고 있다”고 썼다. 전시건 평시건 군대의 여성 성폭력 문제를 보면 국가는 가해자일 수 있어도 피해자가 될 수 없음이 분명하다. 피해자는 여성이었다.

2013/12/22

娼婦は村の救い主だった (朝鮮戦争)


[・・・]女性には貞操を守ることや淑女としてのモラルは厳しかった。私が生まれ育った村で戦後(引用者注:第二次大戦?)間もないうちに恋愛するカップルがいた。村人は村のおきてを守らぬ淫らな行為であることだと決議し、当事者の親族の男性が彼女の頭を殴って大騒ぎになった事件が起こった。

しかし朝鮮戦争の休戦直前から村のまわりには米軍が駐屯し、性暴行者が多かった。その最中に若い売春婦たちが多く村に現れた。村の人は売春婦たちを歓迎した。まるで彼女たちは村の救い主のようであった。彼女たちがいなかったら村の女性は全部性暴行される恐れを感じたのである。つまり性暴行を免れるために村の人々は売春婦を歓迎した。村人は売春婦たちに部屋を貸して収入も得られるし、村を性的安全から守るという一石二鳥と考えた。そして村は一気に売春村になったのである。

崔吉城 アジアの性 

2013/11/16

米軍基地村浄化運動と日本軍慰安所制度 (ハンギョレ 2012)


日本談児さんから。一年前のハンギョレ新聞より。米軍基地村(キャンプ村)浄化政策は日本軍慰安婦制度(システム)と同じだというハン・ホング(韓洪九)聖公会大教授。

[土曜版] ハン・ホングの維新と今日<20>基地村浄化運動

セヌリ党の朴槿恵候補が選挙の核心標語として‘女性大統領’を持ち出した。 生物学的な性(セックス)と社会的な性(ジェンダー)を厳格に区分する立場からは朴槿恵の女性大統領論は納得がいかない。 朴槿恵候補が同時代の女性全体はもちろん自身と同年輩の女性たちとも違うといえば余りに違う生活を送ったためだ。 ‘維新と今日’では女性大統領を標ぼうした朴槿恵が令嬢として、またファーストレディとして生活した維新時代に同年輩の女性たちは果たしてどんな生活を送ったかを見て回ろうと思う。 維新時代の女性たちの人生は、すでに見てきた女工よりさらに降りて行ってキーセン観光と基地村を覗いて見てこそ底が見える。

朴槿恵が救国の決断だったと称賛してきた維新の現実を覗いて見れば、日本軍慰安婦制度と本質的に違わない基地村の浄化運動が出てくる。 人民革命党や正修奨学会問題のようなもはや顔なじみの国家暴力事件の場合、直接的な被害者も、直接的な加害者や受恵者も国民全体から見れば少数と言えよう。 しかし基地村問題はその被害者が数十万単位で、受恵者も特定が難しいほど多い上に、あまりにも明確に現在進行形だ。 基地村浄化運動を通じて私たちは大韓民国という国家が事実上の公娼制を運営しつつ無力な女性たちの肉体を担保に国家安保と外貨稼ぎを同時に解決しようと思った不快な真実と向き合うことになる。

米軍撤収を防ぐために仕方なかったという弁解

解放後、韓国に進駐した米軍は旧日本軍駐屯地域に駐留した。 龍山(ヨンサン)米軍基地は日本の朝鮮軍司令部の場所であり、米空軍がいた平沢(ピョンテク)も日本軍飛行場だった所だ。 当然、日帝時に形成された遊郭は米軍を相手にした基地村に変わっていった。 社会安全網などは当然なかった時期、突然の戦争で夫を失ったり、共同体から遊離した女性が生きていくためにできることは多くなかった。 誰も彼女たちを守れない戦乱の中でも純潔は依然として命より大事な価値であった。 一度‘身を捨てた’女性たち、特に持てるものは‘どうせ捨てた体’しかない多くの女性たちは極度の家父長的な社会で行き場がなかった。 多くの純姫たちは疲れた身を横たえるところは基地村しかないということを悟って、エレーナに成っていった。 いったいどれほど多くの純姫がエレーナになったのだろうか? 韓国戦争から今日まで、基地村を経た女性の数を関連研究論文では大概30万人ほどと推算しているが、30万人と言えばベトナム派兵将兵数と同等の規模だ。

米国はニクソンドクトリンにより1971年3月、7師団と3ヶの空軍戦闘部隊など駐韓米軍6万2千人の内2万人余りの軍撤収を断行した。 米軍の撤収により恐慌状態に陥った朴正熙は、米軍の追加撤収を食い止めるため戦々恐々としていた。 ‘甲’である米国は '乙' である韓国に多様な経路で基地村整備に関する要求をしてきた。 米国大使館は主に韓国の基地村で韓国人が黒人兵士を人種差別することに対するニクソン大統領の憂慮を言い、米8軍側は基地村の不潔な環境と性病問題を提起した。 1971年12月に朴正熙が韓米1軍団司令部を巡視した時、副司令官イジェジョンは朴正熙に随行しながら米軍側が要求する基地村浄化について建議した。 米軍は志願兵制度を採っているが、子供を軍隊に送った両親たちが韓国が性病発病率が高く、人種差別も激しいとし子供の韓国配置に強く反対しているということだ。 駐韓米軍側はドイツや沖縄等の快適な基地村の例を挙げ韓国側に大々的な基地村整備を要求した。

大統領府に戻った朴正熙は数年前から内閣に指示していたが、なぜ浄化できなかったのかと強く怒り、大統領府が直接事案を取りまとめるよう指示した。 担当者は政務秘書官のチョン・ジョンテクであったが、彼はセマウル運動担当官を兼任しており、基地村浄化運動は基地村のセマウル運動と呼ばれるようになる。 1971年12月31日、大統領府では10余部署の次官を委員とする大統領府直属の基地村浄化委員会が発足し、米国側の要求を積極的に受け入れ基地村の環境改善と性病予防と治療などの課題をどのように処理するかを議論した。

米軍撤収が切迫している状況でズボンの裾でもつかむ心情で基地村浄化運動をせざるを得なかったという弁解は事実に符合しない。 基地村浄化運動が米国側要求によって始まり、推進も韓・米合作でなされたが、韓国政府は事実基地村浄化運動が公式に始まる前から基地村の整備に多くの努力を傾けていた。 朴正熙の指示で5・16軍事反乱の積極的加担者であり中央情報部ソウル分室長として強大な威勢をふるったペク・テハが主導した群山(クンサン)のアメリカタウンは米軍の快楽のために建設された計画都市であった。 1969年9月に開業したアメリカタウンは米軍のためのクラブ、食堂、美容室、各種商店、両替所に基地村女性のための500余の部屋まで備えた性売買のための自給自足型新都市であった。 女性学者は群山のアメリカタウンを政府主導の下で設立された‘軍隊娼婦株式会社’と呼ぶ。

日本軍慰安婦制度は戦闘力を最大化するには戦場の兵士たちがセックスを楽しむのは良いが、性病による戦闘力損失を防ぐためにきれいな性を供給するという国家管理性売買システムだった。 この点で基地村浄化運動は日本軍慰安婦制度と恐ろしく似ていた。 日本軍慰安婦制度は人間が作り出した最も野蛮な制度だが、この制度を作った者は野蛮人ではなく大日本帝国の最も優秀な息子らだった。 基地村浄化運動を立案した者も韓国と米国のエリート官僚らだった。 大日本帝国の最も優秀な息子らも、自由と人権という普遍的価値を守るために日本と戦ったという偉大な米国のずば抜けた息子らも、日本から米国に主人が変わっても何変わることなく常勝疾走した植民地朝鮮の秀才らも慰安婦の人権のようなささいな、もしかしたら初めから存在しなかったものなどを無視したのは同じだった。 朴正熙に基地村浄化運動を建議したイ・ジェジョンが率直に告白したように、基地村浄化運動は基地村住民のためのものでなく駐韓米軍のためのものだった。


‘駐韓米軍 戦闘力 最大化のためセックスを楽しめるようにはするものの
性病による戦闘力損失を防ぐためにきれいな性を供給する’
それは日本軍慰安婦制と酷似した、良く言えば国家抱主制であった

令嬢 朴槿恵はその時期に、元老級の人々を集めて忠孝思想を講演したが、
底辺で社会を支える基地村女性たちの手を握ったことはない

"安保とドルのために身を落としなさい"

基地村女性たちは清潔な肉体ときれいな性を販売するために少なくとも一週間に2回の検診を受けなければならなかった。 いくら身を売る女性とはいえ検診台に上がって男性医師に恥部を見せることは恥ずかしいことだった。 このように検診を受けてこそ検診証に印鑑を貰うことができた。 基地村の女性たちにとって検診証は身分証であり‘営業許可証’だった。 検診証を持っていなくて米軍憲兵の検問(基地村ではこれを‘討伐’と呼んだ)にかかれば即決審理に回付された。 当時、米軍の性病は驚くほど増えていた。 基地村浄化運動に対する卓越した研究であるキャサリン・ムーンの<同盟の中のセックス>によれば、1千人当り性病発生件数は1970年389件、1971年に553件、1972年692件へ急増した。 米軍部隊正門歩哨の主要任務は、外出に出る兵士たちにコンドームを配ることだったという。 検診で性病にかかっていることが摘発された女性はびしびし‘モンキーハウス’と呼ばれた性病診療所に監禁された。 反面、性病にかかった米軍人が完治するまで外出が禁止されることは絶対に無かった。 米軍人の7割が性病に関わっているものの、性病の責任はひたすら韓国女性の持分だった。 性病診療所では初めはペニシリンを投薬したが、副作用が度々生じ、頻繁な投薬で耐性ができ薬効が下がると投薬用量をどんどん増やした。 医者たちは副作用は殆どなかったと言ったが、女性たちは注射を打てば足が切れるように痛く、多くの人々が寝ながら亡くなり、トイレで亡くなり、ご飯を食べながら亡くなったと証言している。

まだ韓国経済がまともに成長できなかった時期、基地村経済の威力は猛烈だった。 イ・ナヨン教授の研究によれば、1964年韓国の外貨収入が1億ドルに過ぎなかった時期に、米軍専用ホールで稼いだ金額はおよそその10パーセントにあたる970万ドルに達した。 韓国政府は週末の外出に出た米軍人が沖縄や日本に行って買春するのを、基地村女性たちをアップグレードさせ国内で吸収するために彼らに英語とエチケットを教育しようとした。 基地村‘洋公主’から活動家としてそびえ立ったアメリカタウンの王姉さんキム・ヨンジャの回顧録によれば当時の講師はこのような形で話したという。「フムフム、エー皆さんは愛国者です。 勇気と誇りを持ってドル獲得に寄与することを忘れてはいけません。 エー、私は皆さんのような隠れた愛国者の皆さんに感謝申し上げるものです。 米軍人が我が国を助けようとして来たので、その前で服も端正に着て、その低俗で卑しい言葉はちょっと使わないようにして下さい。」 原材料を使わずに外貨を稼ぐ産業戦士であり、米軍を捕まえておく安保戦士として、あなたたちこそ真の愛国者の誇りを持って働けという話に、そんなに良いことなら自分の娘からやらせればよいと鼻でせせら笑う人もいたし、そうだ私たちは「熱心に膣を売って男根を洗おう」と自嘲する人々もいた。

英語講師は "メイ アイ シットダウン?" 式の教養英語を教えたが、女性たちは自分たちに必要な英語は"レッツ ゴー ショート タイム、レッツ ゴー ロング タイム、ハウ マッチ" のようなものだと考えた。 警察署や‘姉妹会’が主催するこのような教養講座に関心を持つ人はいなかったが、診症証を奪われたくなければ席を満たさなければならなかった。 日本軍慰安婦として連れて行かれた朝鮮女性たちは、学校に行ったことのない人々が大部分で日本語が分からなかった。 彼女たちは "ニッポンジン チョーセンジン テンノーヘイカ オナジネ" (日本人と朝鮮人は天皇陛下が同じです)などのサービス言語をやっつけで習ってすぐに覚えなければならなかった。

安保戦士らしく基地村女性たちもチームスピリット訓練に励んだ。 基地村とは異なり訓練に出てきて言うのは値段だった。 米軍も訓練の合間の短い時間に欲求を解決しようとすれば前の人が少しでも長引けばドアを叩いて大騒ぎした。 このように外には長い列を作っていて、中では5分もかからないようにコトを済ませ、女性たちはかつて挺身隊として連れて行かれた人々もこうだっただろうと考えた。 そうした渦中、韓国政府は野戦に臨時保健所を作り女性たちを検診した。 女性たちのためではなく米軍のためだった。 王姉さんキム・ヨンジャはそうした場所にまで金を稼ぎに行った女たちも本当にすごいが、そこにテントを張って保健所を作った政府も本当にすごい政府だったと舌を打った。


韓米同盟は価値同盟以前に‘セックス同盟

米軍基地からどれくらい離れた所までが基地村であろうか? 宝山里、安亭里、ヨンジュコルだけが基地村というわけではなかった。 米軍基地はどこにでもあった。 大韓民国全体がキャンプ コリアであり、大韓民国全体が巨大な基地村だった。 米軍が去れば私たちは皆死ぬとして、米軍のズボンの裾を掴んで引っ張る者が韓国の‘指導層’である限り、精神的に大韓民国全体が基地村にならざるをえない。 私たちは全部その巨大な基地村キャンプ コリアの住民だった。 私たちが抱え主でもなくポン引きをしたわけではなくとも、私たちは私たちの両親や私たちの兄弟姉妹がそのようにして稼いだ金でご飯を食べて学校に通ったわけだ。 基地村浄化運動はいくら良く話しても日本軍慰安婦制度との関連性を否めない国家抱え主制度であった。 イ・ナヨン教授の指摘の通り、大韓民国全体が‘洋公主’が担保する国家安保に依存して、‘洋処女’が稼いだ金、あるいは彼女たちの仕事場と関係した経済構造に寄生して、一定部分米国の‘慰安婦’となって生きてきたことは否めない。

軍隊がある所に売買春があるのは常だが、軍隊と売買春の間に必然的な相関関係があるわけではない。 サウジのようにイスラム律法が厳しい国の米軍基地前には売買春で浮かれる基地村は存在しない。 基地村浄化運動は道徳的に堕落した女性や事業主らと買春を望む米軍兵士の間の私的取引に対するものではなかった。 基地村浄化運動は米国、韓国二つの国家が緊密に協力して推進した国家的な産業であり政策だった。 韓-米同盟を語る時、価値同盟を話すのが常だが、価値同盟以前にセックス同盟があった。 米国は自国兵士たちの安全なセックスとストレス解消を望み、韓国は駐韓米軍の継続駐屯と米国兵士がばら撒くドルを望んだ。 両国は堅く手を握って基地村浄化運動を繰り広げた。

1960年代まで米軍犯罪に関する記事は新聞にしばしば載った。 しかし基地村浄化運動とほとんど同時に始まった維新時代の新聞紙上には米軍犯罪に関する記事は見つけるのが難しい。 政府は基地村女性たちを安保戦士であり産業の担い手だと持ち上げたが、実際彼女たちの人権と権利を保護するためには何もしなかった。 ‘混血’の子供たちは米国で養子に出され、一人ぼっちで残った彼女たちは今は老いて病気にかかった体で孤独な毎日を送っている。 去る8月31日、基地村女性人権連帯が発足した。 これまで基地村女性たちのために活動してきた人々が先に旗を掲げたが、どうしてこの問題が基地村女性人権連帯だけの課題だろうか? 巨大な基地村キャンプ コリアの住民皆がこの問題と関係なくはない。 基地村女性問題はすべての国民が責任を負わなければならない問題だが、国家抱え主制を建設し運営した首長のお嬢さんである朴槿恵候補は格別の責任を感じ、それに相応しい行動をしなければならない。 彼女たちは社会がほんの少しだけドアを開けてさえいれば、自分たちがこのように生きはしなかったと今痛恨の涙を流している。 彼女らが間違いなく安保戦士だと言うならば当然に国立墓地に迎えなければならないのではないのか? 国立墓地の門を開けてほしいと言葉には出さない。 ただし、彼女たちに向かって堅く閉ざされている私たちの社会の門、私たちの心の門を開かなければならないだろう。 その門を一番最初に、最も早く開かなければならない責任は他の誰よりも朴槿恵候補にある。 公主(王女)と洋公主はたった一文字違いだが、その間に我が国のすべての女性が入る。 令嬢朴槿恵はその時期に自身より2~3倍も齢を召した校長先生や元老級の社会人士を集めてセマウル精神鼓吹というタイトルで忠孝思想を講演したが、本当にこの社会を底辺で支えた基地村女性たちの手を握ったことはない。 朴槿恵候補よ、女性大統領を標ぼうするなら同時代を生きた同年輩の女性たちの犠牲に先に敬意を表わしなさい!

ハングル版 유신공주는 양공주 문제엔 관심이 없었다)

2013/11/12

「韓国もやっていた」の中身を考える人はいない(JCAST)



各国にも同様の問題があったのだから皆で反省しようと言う橋下大阪市長だが、「同様の問題」についてあまり具体的に語らない。専門家でない彼が詳細に踏み込むことに慎重になっているのだろうと思うが、彼が米韓軍の慰安婦の利用をハッキリ指摘しないから欧米メディアにはまるで理解されていない。韓国メディアはある程度分かっているはずだが、安倍晋三や橋下徹は彼らにとってバッシングの対象でしかないので話にならない。



ただ今回は、タイミング良くパク・チョンヒ時代の慰安婦について韓国の国会で取り上げられている。これを戦略的に利用することも可能なはずだが、橋下にはその気はないだろう。

なぜこれくらいの記事を一般紙は書けないのだろうか?この問題に関しては、マイナーだがJCASTが一番いい報道をしている。

橋下徹大阪市長が、再び「慰安婦」問題に踏み込んだ。謝罪を求め続ける韓国に対し、慰安婦と同様のことを「あなたたちもやっていた」と主張したのだ。

韓国では早速、「また妄言」(朝鮮日報)「挑発再開」(YTNテレビ)などと批判の大合唱となり、「韓国もやっていたこと」の中身を考えようとする人はいないようだ。

韓国も日本も、一緒に反省するべき

橋下市長は11月10日、「新報道2001」(フジテレビ系)に出演した。番組終盤、5月の「慰安婦発言」について出演者が触れると、待ってましたとばかりに、スタジオを半ば置いてけぼりにして持論をまくし立てた。

橋下市長はまず慰安婦問題を、今日の日韓緊張の「根底」にある最重要課題だと位置付けた。そして、これまで日本政府がこの問題に「なんでもかんでも謝ってきた」ことがかえって問題をこじれさせたのだという。その上で、「慰安婦問題を正当化するつもりはない」としつつ、問題解決への処方箋をこう解説する。

「世界各国でもこの戦場での性の問題はあったんだ。だから韓国が謝罪を求めてきても、『あなたたちもやっていたようなことでもあるから、あなたたちも反省しながら、我々も反省する』という、そういうスタンスで臨めばいいと思うんですよ」

他国、特に韓国でも慰安婦と同様の問題があったという意見は、波紋を呼んだ5月の「慰安婦発言」当時と変わってはいない。

なお橋下市長が代表を務める日本維新の会では、7日に河野談話など歴史認識問題を検証するプロジェクトチームを発足させると発表したばかり。座長は「強制連行」否定論者として知られる中山成彬元文科相だ。ここのところ埋没が著しい維新だが、「歴史問題」への取り組みをアピールすることで再浮上を図る構えのようだ。

ベトナム戦争で生まれた「ライダイハン」問題

橋下市長は今回、「韓国もやっていたこと」の具体的な中身については言及していない。しかし、過去には「戦場での性の問題」として、朝鮮戦争やベトナム戦争の名前を挙げている。いずれも、韓国にとっては触れられたくない「歴史問題」だ。

まず朝鮮戦争中には「特殊慰安隊」と称された、韓国軍に管理された「慰安婦」が存在していたという。漢城大学の金貴玉教授が、証言や記録などから2002年にその存在を明らかにしたもので、軍による10代少女の「強制連行」なども行われ、韓国軍・米軍兵士を相手に「慰安行為」をさせられていたと金教授は主張している。その運営は、日本軍の慰安婦制度を参考に行われていたとされる。

もっとも韓国メディアはこの問題をほとんど黙殺、金教授にも「身辺に気を付けたほうがいい」と警告が来るような状態で、韓国内では日本軍「慰安婦」と違いその存在はまったく無視されていると言っていい。

一方ベトナム戦争においては、韓国軍兵士による性暴行が頻発したとされる。また現地女性との間に生まれ、ベトナムに残された「ライダイハン」と称された子供たちの問題も存在、両国の間の「しこり」となっているが、これも韓国側はおおっぴらに認めたがらない。

朴槿恵大統領の父が「慰安婦管理」疑惑

さらに、最近韓国の左派系メディアで大きく報じられているのが、朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領の時代にも「慰安婦」が存在し、朴元大統領が自らその「管理」に携わっていたのではないか、という問題だ。

韓国紙・ハンギョレが11月6日、野党・民主党の兪承希議員の主張として報じたところによれば、当時の朴正煕政権では「外貨獲得」のため、韓国人女性9935人を在韓米軍向けの「慰安婦」として組織していたという(1977年時点)。性病対策などには政府が直接関与、書類では「慰安婦」という言葉がそのまま使われており、朴元大統領が自らこれらの施策を決済していたことも明らかになった。

こうした「慰安婦」の存在自体は以前から知られていたが、朴元大統領の具体的な関与が取りざたされたことは、娘である朴槿恵大統領には耳が痛い問題だ。

韓国のネット掲示板にはこうした自国の「歴史問題」を挙げ、「愛国者さまたちってのは、こういう現実もわからないバカなんだよなあ」とぼやく人もあるが、今のところはごく少数に留まっている。

JCAST 2013.11.11

2013/11/07

朴正煕、米軍慰安婦・基地村売春婦を直接管理



韓国も自国の政府や軍のこうした問題を問題視するようになったということか、それともパク・クネ政権への打撃という事も考えてなのか。

パク・チョンヒ政権『米軍慰安婦・基地村女性』を直接管理」

ユ・スンヒ議員、基地村(キャンプ村)女性強制収監「性病管理所条例」最初公開

パク・チョンヒ政府が外貨を稼ぐためにアメリカ軍慰安婦と基地村女性を直接管理したという主張が6日提起された。

国会女性家族委員会所属の民主党議員ユ・スンヒはこの日、1977年にパク・チョンヒ大統領が親筆決裁した「基地村浄化対策」を国家記録院から提出させて分析した結果このように明らかにした。

該当文書によれば、当時政府は基地村を62ヶ所、9935人と把握していた他、浄化対策の一環として基地村女性専用のアパートまで전립する計画だった。だが、被害者の証言によれば、専用アパート建設計画は政府が公娼を作るという議論により放棄されたと分かった。

ユ議員は「資料によれば、総財源16億9500万ウォンの中で未確保(?)された4億8200万ウォン中一部は『却下特別機金』で支援措置するという文章もある」として「長期的に米軍政部に対する住民対策を、内務部で静かに研究、計画するよう措置した内容も見つけることができた」と明かした。

ユ議員は基地村女性を強制的に収監した「性病管理所」の条例や登記簿謄本なども国家記録院の情報公開を通じて初めて公開した。 楊州、東豆川(トンドゥチョン)、平沢(ピョンテク)市、坡州(パジュ)市、フォーチュン、高陽(コヤン)市の性病管理所関連条例だ。

1973年議政府市条例改正案によれば、一条(?)の目的および3条(?)の機能に「国連軍駐留地域の慰安婦のうち性別保菌者を検診、探し出し収容治療と保健および教養教育を実施する」と明示されている。 政府が基地の村女性たちに対して「慰安婦」という用語を使い強制収用治療まで施行したということである。

深刻な人権侵害が発生した情況も出てきた。 「管理所長は、検診の結果性感染症患者があった時は、遅滞なく対応しなければならない」「性感染症患者が受け入れを拒否したり逃亡する時には市長または、警察署長の協力を得て収容治療を行わなければならない」等の条例規定が人権侵害だという指摘である。

被害者の証言によれば、被害者は性病が完治する時まで一般の医療行為より過剰なレベルのペニシリン注射を打たれ、この過程でペニシリンショックで死亡する女性もかなりいたことが分かった。

ユ議員は「基地の村が堕落防止法施行にもかかわらず、外貨稼ぎおよび駐韓米軍により国家的レベルで管理されたという証言があったが、資料発掘等を通じ深刻な人権侵害レベルの監禁治療および政府の直接的介入情況が明らかになった」として真相究明と実態調査を促した。



“박정희 정부, ‘미군 위안부·기지촌 여성’ 직접 관리”

유승희 의원, 기지촌 여성 강제 수감 ‘성병관리소 조례’ 최초 공개
박정희 정부가 외화를 벌기 위해 미군 위안부와 기지촌 여성을 직접 관리했다는 주장이 6일 제기됐다.
국회 여성가족위원회 소속 민주당 유승희 의원은 이날 1977년 박정희 대통령이 친필 결재한 ‘기지촌 정화대책’을 국가기록원으로부터 제출받아 분석한 결과 이같이 밝혔다.
해당 문서에 따르면 당시 정부는 기지촌을 62개소, 9935명으로 파악하고 있었고 정화대책의 일환으로 기지촌 여성 전용아파트까지 전립할 계획도 세웠다. 하지만 피해자들의 증언에 따르면 전용아파트 건설계획은 정부가 공창을 만든다는 논란으로 인해 폐기된 것으로 알려졌다.
유 의원은 “자료에 따르면 총 재원 16억9500만원 가운데 미확보된 4억8200만원 중 일부는 ‘각하 특별기금’에서 지원 조치하겠다는 문구도 있다”며 “장기적으로 미군정부에 대한 주민대책을 내무부에서 조용히 연구, 계획하라고 조치한 내용도 발견할 수 있었다”고 밝혔다.
유 의원은 기지촌 여성을 강제로 수감했던 ‘성병관리소’에 대한 조례 및 등기부등본 등도 국가기록원 정보공개를 통해 최초로 공개했다. 양주, 동두천, 평택, 파주, 포천, 고양시의 성병관리소 관련 조례다.
1973년 의정부시 조례 개정안에 따르면, 1조 목적 및 3조 기능에 ‘유엔군 주둔 지역의 위안부 중 성별보균자를 검진, 색출하여 수용치료와 보건 및 교양교육을 실시한다’고 명시돼 있다. 정부가 기지촌 여성들에 대해 ‘위안부’라는 용어를 사용하고 강제수용 치료까지 시행했다는 것이다.
극심한 인권침해가 발생한 정황도 나왔다. ‘관리소장은 검진결과 낙검자(성병환자)가 있을 때에는 지체 없이 수용하여야 한다’, ‘낙검자가 수용을 거부하거나 도피할 때에는 시장 또는 경찰서장의 협조를 얻어 수용 치료하여야 한다’ 등의 조례규정은 인권침해라는 지적이다.
피해자들의 증언에 따르면 피해자들은 성병이 완치될 때까지 일반 의료행위보다 과도한 수준의 페니실린 주사를 투여 받고 이 과정에서 페니실린 쇼크로 사망하는 여성도 상당히 있었던 것으로 알려졌다.
유 의원은 “기지촌이 윤락방지법 시행에도 불구하고 외화벌이 및 주한미군으로 인해 국가적 차원에서 관리됐다는 증언이 있었는데, 사료발굴 등을 통해서 심각한 인권침해 수준의 감금치료 및 정부의 직접적 개입 정황이 드러났다”며 진상규명과 실태조사를 촉구했다.

2013/07/15

米軍慰安婦、初めての実名告発


アメリカ軍の慰安婦がついに実名で名乗り出た(!)

金学順が名乗り出た時のように、全米を揺るがす大ニュースになるか?ニューヨークタイムズが一面で報じ、オバマ大統領が謝罪、アジア女性基金を立ち上げ、日本人慰安婦もついに補償の対象に?・・・なんて事にはなるまい。

元アメリカ軍人の中からも、早くから日本軍の慰安婦はキャンプ(基地)村の売春婦と変わらないという指摘があった。その事に目をつむり日本を叩く韓国の運動家たちを、彼は「偽善者」と呼んだ。

韓国のキャンプ村売春について報じた2009年のニューヨークタイムズは、慰安婦という言葉こそ使わなかったが(ネット上では「慰安婦」と訳した産経に対してバッシングを浴びせる左派系日本人も見られた)、今回のオーマイニュースの記事は、ハッキリとこれを慰安婦だと言い切っている。しばしば慰安所では日本名を強制されたなどと言われるが、韓国でも「源氏名」が使用されていたことが彼女の証言から分かる。

米軍基地村の女性、ジョンジャさんの証言を聞いて下さい

[書評] <米軍慰安婦キャンプ村の隠された真実>

「キム・ジョンジャがある窓を指差した。 人身売買された数日後、逃げて捕まり監禁された部屋だといった。その日、部屋に閉じ込められたまま彼女はチンピラに集団で暴行された。 その後にも警察に通報したとか、、米軍が買ってくれる(?)ご飯を食べたと、米軍(客?)を引っ張って来れなかったとチンピラに殴られたりした。その窓の前で彼女は泣き崩れた。ハンカチで口を塞ぎ座り込んで嗚咽した。

ヨンジュゴルの「慰安婦」たち

-本当に:この小部屋で・・・(泣)・・・この小部屋で閉じ込められ合って・・・(泣)・・・」 -<米軍慰安婦基地の村の隠された真実>

「米軍慰安婦キャンプ村の隠された真実」(ハンウルアカデミー編集)は我が国にも政府によって統制され管理された米軍慰安婦があったという事実を米軍基地村(キャンプ村)の女性が証言した記録、すなわち証言録だ。

証言者はキャンプ村の女性、すなわち米軍慰安婦として数十年を生きてきたキム・ジョンジャさん。16才の時、小学校頃の同級生が自分が働く紡織工場に紹介させる」と騙し、自分の借金まで押し付け、売春していた坡州ヨンジュゴルに人身売買した。 その後、米軍の慰安婦になった。

キム・ジョンジャ氏は坡州のヨンジュゴルに言った後、ポン引きの監視の中で数十年間米軍のキャンプ村を抜け出すことができなかった。 そうこうするうちにキャンプ村の女性たちの人権活動集いでこの本の企画者であるセウムトの助けで米軍のキャンプ村をかろうじて抜け出すことができた。

彼女は米軍基地村から抜け出すまで数十年の間、彼女の意志と全く無関係に何人ものポン引きに売られ、새코날 のような薬物中毒になり体を売った。 ひたすらポン引きのために金を儲けなければならなかった。 言ってみれば性奴隷であった。

数十年の間、数多くの米兵を相手に体を売って金を儲けたが、多くの売春女性たちがそうするように稼いだ金はほとんど全部ポン引きに奪われた。 また、売春婦として生きる生活が長くなれば長くなるほど理解不能な理由と計算法で借金だけが増えた

京畿道坡州の売春街、俗称「ヨンジュゴル」

彼女が転々としたキャンプ村は、坡州市のヨンジュゴルを始めとして、Munsanのキャンプ村とGwangtanのキャンプ村、東豆川の香港ヴィレッジ(?)、群山のキャンプ村、平沢市の安停里のキャンプ村(Camp Humphreys)、議政府市のPaesbeolキャンプ村、ソウルのSamgagjiキャンプ村、大邱市のWaegwanキャンプ村など米軍が駐留したところだ。

「韓国政府は1973年6月『韓米親善協会』の設立と機能に関する規定を公布し、その年の9月まで全国に68の「協会」が作られた。 この協会の韓国側構成員はキャンプ村クラブのポン引き、地方政府の関係者(市長や郡守、保健所長、広報官)、地元警察、韓国特殊観光協会、姉妹会(記者注:基地の村女性たちの福祉などのためという名目などでポン引きによって米軍キャンプ村女性たちを会員で登録管理したが、実は監視や管理などが主目的だった)代表であったし、米国側は基地司令官(あるいは、その代理)、憲兵司令官、軍医官、民事課将校(地域関係業務と将校)、公務将校などだった。

協会の集いは通常月に一度開かれたが、この会議で双方は「相互理解と関心の問題」を解決しようとし、キャンプ村クラブのサービスと施設の改善、性病伝染者などとキャンプ村女性たちにへの指示は、共通の理解問題で上位(?)に置かれていた」 (キャサリン・H・S・ムーン 2002:127) - <米軍慰安婦基地の村の隠された真実>

私たちにとって慰安婦は「日本軍慰安婦」だけだ。 このために米軍基地周辺で売春をした女性たちが、実際は韓国政府によって統制され管理された「米軍慰安婦」だったとの事実に衝撃を受ける人もいるかも知れない。 本によれば「1970年代パク・チョンヒ政権の『キャンプ村浄化事業』を通じ、米軍慰安婦はずっと存在した」と明らかにしている。

彼女は私たちに「洋パン(ヤンセクシ)」「洋公主」「ヤンガルボ」などと呼ばれた、後ろ指を差され蔑視されて米兵相手に性を売らなければならなかった米軍キャンプ村の女性たちと米軍のキャンプ村が韓・米両国政府によって直接管理されたことを生き生きと証言する。

「慰安婦」の健康証明書 

この本はキム・ジョンジャの証言の他に、証言旅行、その旅程により今でも厳格に存在しているキャンプ村(?)の姿などを写した写真と当時米軍キャンプ村を取り巻いて広がった事件と政策に関する新聞記事、米軍キャンプ村の人同士で交わされる用語や米国慰安婦あるいは米軍キャンプ村の現実が分かる関連説明等を含む。

これまでセウムトのような団体や女性運動家によって米軍キャンプ村あるいは米軍キャンプ村の女性問題を扱う試みは、稀にはあったという。 しかし、このようにキャンプ村女性が直接立ち上がって自身の経験と苦痛を証言したことは初めてとのことだ。

キャンプ村の女性が自身の経験と苦痛を証言したのは初めて

彼女が数十年間米軍のキャンプ村で呼ばれた(米軍のキャンプ村でつけられた)名前を捨て、両親がつけてくれた名前でこのような証言をするのは、証言を通じてはじめて息をすることができ、無くした自身を探し当てることができたからだという。

彼女が証言した理由は、米軍基地周辺で売春をした女性たちが意図的に統制され管理されて売春をせざるを得なかった被害者だという事実を国民に知らせたいからだという。 また、自身のように人身売買され言いなりになって搾取されるのも足りなくて米軍とポン引きに死んでいった数多くの米軍キャンプ村の女性たちの無念の死、今でも存在する米軍キャンプ村の女性たちの口惜しい事情を国民に知らせたいためだ。

基地の周りには売春街が出来る(ヨンジュゴル)

キム・ジョンジャが瞬間ギョッとするようだったのにさめざめと泣き始めた。

--本当に、空を屋根とし、大地(?)を床として、それと共に米軍を受けた・・・。동지섣달에 구덩이를 이렇게 파구서、거기에 들어가 팔으라 하면 팔고・・・体を・・・ある男(?)したらは枯淡にまた、別の男、また別の男、また別の男・・・ 洗うこともできず・・・パンツをどう履いて(?)・・・早くして金を儲けて持って降りてこなければならないのに…. お金でも与える? どうする時は毛布与えて、米軍の毛布。ムカデの食べるご飯、乾いたこと、それを与えて。 それを持って毛布持って明け方ぐらいなって降りてこなくちゃ。  환할 때 거기 올라 댕기는 거 알면 또 잽혀 갈까봐。 生きてきたのが本当に・・・死なずに、ここまでこの年を取るように生きてきたことだけでも本当に・・・本当に・・・生きてきたのが狂いそう・・・(泣)・・・」 -<米軍慰安婦基地の村の隠された真実>で <ブログ注:この部分話し言葉の為、手作業でも修正仕切れず>

彼女は死んで海に葬られ(?)たいと言う。 今は平凡な山に過ぎないが、一時米軍の訓練場で使われたムンサン(京畿道坡州市)の色々な野山に引きずられて行って訓練中の米兵に体を売らなければならなかった記憶とその苦痛のため、山をまともに見ないで(?)生きるためだ。

本を読み、ずっと子供の頃、隣近所の誰の娘誰それを「ヤンガルボ」あるいは「洋パン」「洋公主」と指差し悪口を言ったりしていた町内の大人たちの姿が浮び上がった。 カルボが何かも分からなかったその時、コソコソ話す大人たちからは、決して望ましくない何か、汚い何か感じたものだ。

このように幼い頃に知った米軍キャンプ村の女性たちに対する偏見は、その後、米軍キャンプ村の女性たちの一連の人権活動に接しながらも、あるいはパク・チョンヒ政権が米軍のために施したという話を聞いても同情さえ覚えなかった。

この<米軍慰安婦キャンプの村の隠された真実>を読みつつ、永い歳月抱いていた偏見を破ってくれて、個人的に本当にありがとうと思う。 今後他の証言者の勇気ある証言がさらに出て、多くの国民の公憤を得ることができたら、そして韓・米両国政府の責任を問う基礎になって欲しい。

また、キム・ジョンジャ氏の願い通り、搾取の結果で苦痛な生活を送る米軍慰安婦キャンプ村の女性たちが、せめて医療費の心配だけでもなしに治療受けることができるならば、そして私たちの社会でこれ以上放置されることのないように。


公平の為に言っておくと、現在のアメリカ軍は、少なくとも表向きはこういった(人身売買紛いの)売買春にアメリカ兵が関わる事を禁止している[Stars and Strimpes 2005.8.28]。また、キム・ジョンジャも働いていた安停里では、店が売春に関わっていると分かれば兵士の出入りを禁止すると軍は通達している。ただ、従業員によれば、そうした通達を店側が厳格に守っているかは疑わしい[Stars and Strimpes 2005.10.27]。この本を企画したセウムトという団体は、挺対協が日本政府にしたように、キャンプ村売春についての資料公開や関係者の処罰をオバマ政権に要求したらしい例によって、アメリカ政府はスルーしたようだが。

本文中に挿入した写真は京畿道坡州の売春街、俗称ヨンジュゴルの様子(要確認)。正確な撮影日は不明。

”パスポートを取り上げる行為は違法”
米軍主催の説明会(Camp Humphreys 2005)


미군기지촌 여성, 정자씨 증언을 들어보세요

[서평] <미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>

"김정자가 한 창문을 가리켰다. 인신매매된 며칠 후에 도망치다 붙잡혀 감금됐던 방이라고 했다. 그날 방에 갇힌 채 그녀는 깡패들에게 집단으로 폭행을 당했다. 그 후로도 경찰에 신고했다고, 또는 미군이 사주는 밥을 먹었다고, 미군을 끌고 오지 못했다고 깡패들에게 구타를 당하곤 했다. 그 창문 앞에서 그녀가 무너져 내렸다. 손수건으로 입을 틀어막고 주저앉아 오열을 했다.

- 정: 이 골방에서… 흑흑흑… 이 골방에서 갇혀서 맞고… 흑흑…." -<미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>에서

<미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>(한울아카데미 펴냄)은 우리나라에도 정부에 의해 통제되고 관리된 미군 위안부가 있었다는 사실을 미군 기지촌 여성이 증언한 기록, 즉 증언록이다.

증언자는 기지촌 여성, 즉 미군 위안부로 수십 년을 살아온 김정자씨. 16세 때, 초등학교 동창이 '자신이 일하는 방직공장에 소개시켜준다'고 속여 자신의 빚까지 떠넘겨 성매매하던 파주 용주골로 인신매매하였다. 그후 미군위안부가 되었다.

김정자씨는 파주 용주골로 간 이후 포주들의 감시 속에서 수십 년간 미군 기지촌을 벗어나지 못했다. 그러다 기지촌 여성들의 인권활동 모임으로 이 책의 기획자인 새움터(박스기사 참고)의 도움으로 미군기지촌을 간신히 벗어날 수 있었다.

그녀는 미군기지촌에서 벗어날 때까지 수십 년 동안 그녀의 의지와 전혀 상관없이 여러 포주들에게 팔려 새코날 같은 약물에 중독되어 몸을 팔았다. 오로지 포주들을 위해 돈을 벌어야만 했다. 말하자면 성노예였다.

지난 수십 년 동안 수많은 미군을 상대로 몸을 팔아 돈을 벌었지만, 대부분의 성매매 여성들이 그러는 것처럼 번 돈은 거의 전부 포주들에게 빼앗겼다. 또, 성매매 여성으로 사는 생활이 길어지면 길어질수록 이해하지 못할 이유와 방식의 계산으로 빚만 늘어갔다.

그녀가 전전했던 기지촌들은 파주 용주골을 시작으로 문산 기지촌과 광탄 기지촌, 동두천 홍콩빌리지, 군산 기지촌, 평택 안정리 기지촌, 의정부 뺏벌 기지촌, 서울 삼각지 기지촌, 대구 왜관 기치촌 등 미군들이 주둔한 곳이다.

"한국정부는 1973년 6월 '한미친선협회'의 설립과 기능에 관한 규정들을 공포했고, 그해 9월까지 전국에 68개의 '협회'가 만들어졌다. 이 협회의 한국 측 구성원은 기지촌 클럽 포주들, 지방정부 관계자(시장이나 군수, 보건소장, 공보관), 지방경찰, 한국 특수 관광협회, 자매회(기자 주: 기지촌 여성들의 복지 등을 위한다는 명목 등으로 포주들에 의해 미군기지촌 여성들을 회원으로 등록 관리하였으나 실은 감시나 관리 등을 주목적이었던) 대표들이었고, 미국 측은 기지 사령관(혹은 대리), 헌병사령관, 군의관, 민사과 장교(지역 관계 업무와 장교), 공무 장교 등이었다.

협회의 모임은 보통 한 달에 한 번씩 열렸는데, 이 모임에서 양측은 '상호 이해와 관심 문제들'을 해결하고자 했고, 기지촌 클럽 서비스와 시설의 개선, 성병 전염자들과 기지촌 여성들에 대한 지도는 공통의 이해문제로 우위에 놓여있었다." (캐서린 H.S.문.2002:127) - <미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>에서

우리에게 위안부는 '일본군 위안부'뿐이다. 이 때문에 미군기지 주변에서 성매매를 하던 여성들이 사실은 우리 정부에 의해 통제되고 관리된 '미군 위안부'였다는 사실에 충격을 받을 사람도 있을지 모르겠다. 책에 의하면 "1970년대 박정희 정권의 '기지촌 정화사업'을 통해 미군위안부는 계속 있어왔다"고 밝히고 있다.

그녀는 우리에게 '양색시', '양공주', '양갈보' 등으로 불리던, 손가락질과 멸시를 받으며 미군들을 상대로 성을 팔아야만 했던 미군 기지촌 여성들과 미군 기지촌이 한·미 양국 정부에 의해 직접 관리되었음을 생생하게 증언한다.

책은 김정자의 증언 외에 증언 여행, 그 여정에 따라 지금도 엄연히 존재하고 있는 기치촌의 모습 등을 찍은 사진과 당시 미군기지촌을 둘러싸고 벌어진 사건과 정책에 관한 신문기사, 미군기지촌 사람들끼리 오가는 용어나 미국위안부 혹은 미군기지촌의 현실을 알 수 있는 관련 설명 등을 담고 있다.

이제까지 새움터 같은 단체나 여성운동가들에 의해 미군기지촌 혹은 미군기지촌 여성문제를 다루기 위한 시도들은 더러 있었다고 한다. 그러나 이처럼 기지촌 여성이 직접 나서서 자신의 경험과 고통을 증언한 것은 처음이란다.

기지촌 여성이 자신의 경험과 고통을 증언한 것은 처음

그녀가 지난 수십 년 동안 미군기지촌에서 불린(미군 기지촌에서 지어준) 이름을 버리고 부모님이 지어준 이름으로 이와 같은 증언을 하는 이유는 증언을 통해 비로소 숨을 쉴 수 있고 잃어버린 자신을 찾을 수 있었기 때문이란다.

그녀가 증언한 이유는 미군기지 주변에서 성매매를 했던 여성들이 의도적으로 통제되고 관리되며 성매매를 할 수 밖에 없었던 피해자라는 사실을 국민에게 알리고 싶기 때문이란다. 또한 자신처럼 인신매매되어 끌려 다니며 착취당하는 것도 모자라 미군과 포주들에게 죽어간 수많은 미군기지촌 여성들의 억울한 죽음, 지금도 존재하는 미군 기지촌 여성들의 억울한 사정을 국민들에게 알리고 싶기 때문이다.

"김정자가 순간 멈칫하는 것 같더니 흐느끼기 시작했다.

-정: 하늘을 지붕으로 삼고, 땅을 방바닥으로 삼고, 그러면서 미군을 받았다…. 동지섣달에 구덩이를 이렇게 파구서, 거기에 들어가 팔으라 하면 팔고… 몸을… 한 놈 하고 나면은 고담에 또 딴 놈, 또 딴 놈, 또 딴 놈…. 씻지도 못하고… 빤스를 어찌 입어… 빨리빨리 해서 돈 벌어갖고 내려와야 되는데…. 돈이나 줘? 어쩔 땐 담요 줘, 미군 담요. 지네들 먹는 밥, 말라붙은 거, 그거 줘. 그거 들고 담요 들고 새벽쯤 돼서 내려와야지. 환할 때 거기 올라 댕기는 거 알면 또 잽혀 갈까봐. 살아온 게 진짜 … 죽지 않고 여기까지 이 나이 먹도록 살아온 것만 해도 진짜… 참… 살아온 게 미쳐 버리겠다… 흑흑흑…." -<미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>에서

그녀는 죽어서 바다에 묻히고 싶단다. 지금은 평범한 야산에 불과하나 한때 미군의 훈련장으로 쓰인 문산(경기도 파주시)의 여러 야산으로 끌려가 훈련 중인 미군에게 몸을 팔아야만 했던 기억과 그로인한 고통 때문에 산을 제대로 쳐다보지 못하고 살기 때문이다.

책을 읽는 내내 어린 시절 이웃동네 누구네 딸 아무개를 '양갈보' 혹은 '양색시', '양공주'라 지칭하며 흉을 보곤 하던 동네 어른들의 모습이 떠오르곤 했다. 갈보가 무엇인지도 몰랐던 그때, 수군거리는 어른들에게서 결코 바람직하지 못한 무언가, 더러운 무언가를 느끼곤 했다.

이처럼 어린 나이에 알게된 미군기지촌 여성들에 대한 편견은 이후 미군기지촌 여성들의 인권 관련 일련의 활동들을 접하면서도, 혹은 박정희 정권이 미군들을 위해 베푼 것이란 이야기를 들으면서도 동정조차 느끼지 못했다.

이 책 <미군 위안부 기지촌의 숨겨진 진실>을 읽으면서 오랜 세월 가지고 있던 편견을 깨줘서 개인적으로 참 고맙다. 앞으로 다른 증언자들의 용기 있는 증언들이 더 나와 많은 국민의 공분을 얻을 수 있었으면, 그리하여 한·미 양국 정부의 책임을 묻는 밑거름이 되었으면 좋겠다.

또한 김정자씨의 소원대로 착취의 결과로 고통스러운 삶을 사는 미군 위안부기지촌 여성들이 병원비 걱정만이라도 하지 않고 치료받을 수 있다면, 그리고 우리 사회에서 더 이상 버려지지 않았으면 좋겠다.

2013/01/13

[参考] 性労働者の権利に介入するのは憲法違反? 韓国


ソウルからヨボセヨ 売春禁止は違憲?

韓国では近年、売春のことを「性売買」といい「性売買特別法」で取り締まりが強化されている。その結果、都心にあったいわゆる「飾り窓の女」の「紅燈街」もさびれる一方だ。先日、ソウル市内の龍山駅で降りたところ、駅前でピンクの明かりを連ねていたその種の店が全部姿を消し建設工事現場になっていた。

 龍山駅は国民皆兵で入隊する新兵たちが訓練所のある「論山」に向かうための集合場所で有名だった。つらい軍隊生活を前に「せめて一夜を」と、そんな由来で駅前にそんな場所ができたという説を聞いたことがある。軍隊をめぐってはよくある話だ。

 ところで「紅燈街」を無くしても他の場所に分散、多様化するだけで性売買は無くならない。「韓国ほどお金で性を買うのがたやすい国はない」(11日付、東亜日報社説)といい、性売買女性は全国で40万人にのぼるという。

 彼女らが当局の取り締まり強化に対し「われわれは性労働者!労働者に働く権利を!」と抗議デモする姿がよく話題になるが、今度は性売買容疑で逮捕された女性が法廷で「成人男女の私的な行為に法律が介入するのは違憲」と異議を唱えた。そのため憲法裁判所で是非が判断されることになったと、性売買問題があらためて大きな話題になっている。(黒田勝弘)

産経 2013.1.12

2012/09/08

米軍人が見た韓国駐留米兵の為の性奴隷

3年以上前に旧ブログに上げたエントリーだが、資料性が高いと思われたので再度紹介。(追記:コメント欄でも指摘されたように、これを書いたのは、現在テキサス在住のGerry Bevers氏らしい。 https://www.blogger.com/profile/14311939520870098017)



今月7日(2009年1月)のニューヨーク・タイムズの記事は、2chや方々のブログで取り上げられて話題になったようだ。

このニュースに対するネット(日本人)の反応はと言えば、見たところ「マイク・ホンダのダブルスタンダード!」と「産経が売春婦を慰安婦と誤訳!」といった感じに二分されているような印象。それぞれ一理あるわけだが、自分には「売春婦か慰安婦か」はあまり重要な事のように思われなかった。むしろこの記事を読んだ在韓米軍に配属歴のある、とあるアメリカ人がネットに投稿した文章の方が気になった。

The Marmot’s Hole Korea… in Blog Formatの中のgbeversという人物のコメント(>>10)を日本語に訳した。


悲しい時代の韓国に関する悲しい記事だ。そう、女性達は日本の慰安婦たちが奴隷であったのと同様に奴隷だったのだ。借金と甘言に縛られて。

自分は1977年から79年まで合衆国海軍軍人としてピョンテク市近郊のキャンプHumphreysに勤務していた。当時の自分はかなりの遊び人で、キャンプの外の10軒かそこらの大きなクラブで働いていた沢山の女性達と馴染みだった。自分の記憶によれば、女性の多くは、雑誌に掲載された「米軍クラブのウェイトレス 高報酬」といった広告に騙されたと言っていた。実際、自分自身そんな広告を見た。

少女達は家具つきの住居を約束されていたが、それゆえポン引きの奴隷だった。なぜかと言うと、家賃の他に家具の賃料に法外な借金を背負わされたからだ。クラブのオーナーやポン引きが彼女らに利子の話をしたかは分からないが、おそらく大抵の場合教えていなかったのだろう。たとえ教えていたとしても、彼女らの多くは自分がどんな状況に置かれているか分からなかったろう。多くの少女たちは文字通り田舎者で教養がなかったからだ。

少女たちの収入は出費に追いつかず、生きる為に必然的に体を売らざるを得なくなる。彼女らは借金から逃げることは出来ない。なぜなら、ポン引きや警察が追っかけ来て、シコタマ殴った上で連れ戻されるからだ。

警察や店のオーナーだけじゃなく、ほかの水商売の女たちまでもがポン引きの見張り役だった。だから少女たちが町から逃げ出すことは難しかった。新入りが近所の銭湯に行く時でも、信用出来る女をポン引きが見張りにつけた。

実際的に町に入ることが出来た若い女性は、売春婦と女学生だけだった。女学生は制服を着ているから、すぐに見分けがつく。

もしも警官が学生服姿でない見慣れない女を道で見かけたら、彼らはVDカードの提示を求める。VDカードは性病検査を受けたことを証明する証明証だ。基地周辺の村の若い女性は、VDカードか学生証のいずれかを持っていることになってる。どちらも持っていなければ、警察に連れて行かれることになるが、そこでは酷い目に遭わされるので女の子たちは行きたがらない。

言葉を変えれば、基地の外の町でアメリカ兵が関われるのは売春婦だけという事になる。もしもソウルから韓 国人のガールフレンドが尋ねて来て、彼女がVDカードを所持していなければ、彼女は警察署に引きづられて行くことになる。米兵は同行を許されない。

アメリカ軍の憲兵は韓 国軍の憲兵と一緒にパトロールしていたが、彼らが少女たちをクラブから救出するのは見たことがない。たぶん彼らは喧嘩がないか見回っていただけで、確証はないが汚い仕事は私服の警官がやっていたのだろう。

モンキー・ハウスについても聞いた覚えがある。性病治療の為に少女たちが閉じ込められた場所だ。ロクな場所じゃないとも聞いた。

70年代、80年代の韓国は遊び人にとって楽園だった。韓国政府お墨付きの「借金漬け 性奴隷制度」のお陰でね。

そう、自分の国の「慰安婦制度」を無視して、第二次大戦の時の日本の「慰安婦制度」に文句を言う韓国人は偽善者だ

The Marmot’s Hole 2009.1
http://www.peeep.us/9e976676


※写真は、彼が勤務していたキャンプHumphrey。1977年の写真だから、ちょうど彼のいた頃ですね。


産経がNYタイムズの記事の中のEx-Prostitutes を「元慰安婦」と訳したことについては、自分も正確ではないと思う。自分なら「慰安婦」とは訳さない。しかし、産経の記事はあくまでNYTの記事の要約なのだから、目くじら立てるほどの事かな?とは思う。最近連続で取り上げている西野瑠美子も、千葉県にあった日本軍関連施設の近くの遊郭にいた女性を「慰安婦」と呼んでいる。(追記: 当時進歩的日本人ブロガーの間で、ちょっとした「祭り」になっていた)


A sad article of a sad time in Korea. Yes, the women were enslaved in very much the same way that Japan’s comfort women were enslaved, which was that they were enslaved by the use of debt and deception.

I was in the US navy stationed at Camp Humpheys, near Pyeongtaek, from 1977 to 1979. I was quite an active barhopper and whoremonger at the time and knew a lot of the women who worked in the ten or so large clubs outside the gates of Camp Humpheys. Here is what I remember:

Many of the girls at that time told me they were lured to the bars by ads in Korean magazines promising high-paying jobs as waitresses in military clubs. I read the magazine ads, myself.

The girls were also promised furnished apartments, which was how the girls became enslaved to their pimps, because, in addition to their rent, the girls were expected to make payments on the apartment furniture at exorbitant interest rates. I do not know if the clubowners and pimps explained interest rates to the girls or not, but I doubt that many did, and even if they did, I doubt that many of the girls knew what they were getting themselves into. At the time, many of the girls were literally right off the farm and were illiterate.

The girl’s salaries were not enough to pay all their expenses, so the girls had to start selling their bodies just to keep their heads above water. They could not walk or run away from their debt because the pimps and the police would hunt them down and bring them back after giving them a nice little beating.

The police, storeowners, and even other bargirls in the camptown were the watch dogs for the pimps, so it was hard for the girls to simply slip out of town. Even when the new girls went to one of the local bathhouses, they had to go with one of the pimp’s trusted girls to help make sure the girl did not run away.

Essentially, the only young women allowed in town were prostitutes and schoolgirls, and you could easily tell them apart because the schoolgirls had to wear uniforms.

If the police spotted a woman on the street they did not recognize, and she was not wearing a school uniform, they would stop her and demand that she show them her VD Card, which was a record of the woman’s visits to the veneral disease clinic. If you were a young woman in the village outside Camp Humphey’s, you either had to have a VD Card or a school ID showing that you attended one of the local schools. If you did not have a VD card or a school ID, you were taken to the local police station, which was a place the girls did not want to go because they were often abused there.

In other words, the only Korean women the American military were allowed to associate with in the village outside Camp Humphey’s were prostitutes. If a Korean girlfriend from Seoul visited you and she did not have a VD card, she would be hauled off to the police station and you would not be allowed to go with her.

US military police patroled with Korean military police, but I never saw them taking girls out of the clubs. I think they were only patroling to make sure there were no fights. I am not sure, but I think it was the plain clothes police who did all the dirty work.

I remember hearing about the “Monkey House,” which was basically a jail where the girls were treated for VD. I also heard it was not a pleasant place.

Korea was a whoremonger’s heaven in the 1970s and ’80s thanks to government-sponored, debt-based sexual slavery.

Yes, Koreans who complain about Japan’s World War II “comfort woman” system while ignoring their own “comfort woman” systerm are hypocrites.

2012/05/07

韓国軍の慰安所 キム・キオック(金貴玉)

キム・キオック(金貴玉)は朝鮮戦争世代ではない。男であれ女であれ、朝鮮戦争を体験した世代ならまた別の感想があったかもしれない。彼女の主張は、日本のフェミニストが語る慰安婦論に近い。

訳者の配慮かもしれないが、「」つきで「慰安婦」と表記し、軍の統計表を見て「慰安の強要」の回数だと言う(たぶん、資料には強制とは書かれていないだろう)。彼女によれば、韓国政府は日本政府と同様に「女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用した」のだそうだ。

戦後教育を受けた世代だけに、彼女も日帝嫌いで独立派贔屓であるようだ。日本軍を「日本帝国主義の戦争代理人」(この言葉の発案者は別人)と呼び、韓国軍の慰安所作り携わった韓国軍人の日本統治時代の経歴を、独立派に対する抑圧者として語るところからも、そんな心情が滲み出ているようである。

キムは1996年には韓国軍にも慰安婦が存在した事に気づいていたが、日本の「極右」を利するなどという警告もあり、長くこれを公表しなかった。冷静に考えれば、韓国軍慰安婦の存在を公にする事がなぜ日本の右翼を利するのか意味不明である。日本糾弾派の日本叩きがやり難くなるだけの話である。とはいえ、彼女は日本叩きに配慮して公表を躊躇ったわけではないだろう。彼女が韓国ではなく日本(立命館大学でのシンポジウム)でこの事実を発表したのはやはり不自然で、韓国では言い出せる雰囲気ではなかったというのが真相なのかもしれない。

彼女は日本の「右翼(保守派)」に対する偏見を隠そうとしないが、彼女自身認めているように、韓国の進歩的な人々も、韓国軍の慰安所も性奴隷制度だという彼女の考えに必ずしも同調してくれない。日本の場合も同じなのである。慰安所を「性奴隷制度」だと見做さないのは、何も右翼に限った事ではない。彼女が右翼と呼んでいる日本人の中には、比較的中立な立場の人もいるはず。

また、彼女は日本軍慰安婦を公娼と同列に扱う事に反発する韓国の運動家たちが「韓国軍『慰安婦』問題に対しては『公娼』であるとし、議論の余地のないものとする」という事にも気づく。そして、彼女が韓国軍の慰安所について発表してから、韓国政府は関連資料の閲覧を禁止した。あれほど執拗に日本政府に情報公開を迫る挺対協は、そのことについて何も言わない。

結局、日本軍の慰安所システムとは何だったのか?韓国では世界史上に類例を見ないとか戦争犯罪などと言われるが、彼女も察しているように、こういったシステムは洋の東西を問わず昔から存在したのである。しかし、彼女はまだそれを全面的に肯定する気持ちにはなれないようである・・・。

キムは、「インドシナ戦争時にフランス軍によって『移動式娼婦村』がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の『売春宿』が設けられたように、軍『慰安所』はあらゆる戦争の必要悪なのか」と疑問を呈しながら、けっきょく答えをはぐらかしている。


1991年8月の金学順さんの証言があるまで、日本軍性奴隷問題は周知の事実でありながらも、正史としてとりあげられてこなかった。

歴史を変えたこの証言(金学順証言)の後、日本軍性奴隷問題は韓国のみならう朝鮮民主主義共和国、日本、中国などを含む、まさに世界的な問題として関心を集めることとなった。[...]私は、1996年に[...]朝鮮戦争当時、大韓民国陸軍が徴集した軍「慰安婦」が存在したことを知った。だが、この事実を公開するまでには7年の月日がかかった。 
[...]韓国の国防部所属資料室にあった韓国軍「慰安婦」関連資料の閲覧は禁止され、ほとんどのメディアも示し合わせたかのように沈黙した。「日本軍『慰安婦』問題でもないのに・・・・」と言葉をにごらせたのだ。

この時、私はあることに気づいた。これまで韓国の学会や女性運動は、日本軍「慰安所」制度と公娼制の連続性があるとする主張に対して辛辣に批判してきたが、一方では韓国軍「慰安婦」問題に対しては「公娼」であるとし、議論の余地のないものとする傾向があるということが見えてきたのである。一部の進歩的な男性たちですら、民族主義の名のもとに私の研究成果を身内の恥をさらすものとみなし、日本の極右の弁明の材料となりうると警告した。私もこうした事実の発見を喜んだわけではない[...]

日本軍と同じように韓国軍が軍「慰安所」を作ったのは、男性の耐え難い生理学的本能が普遍的に存在するからなのか?インドシナ戦争時にフランス軍によって「移動式娼婦村」がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の「売春宿」が設けられたように、軍「慰安所」はあらゆる戦争の必要悪なのか?

ここに出てくるフランス軍の移動式娼婦村とは、Bordels Mobiles de Campagneのこと。遠征用移動式売春宿、といったところだろうか?しばしばBMCと略されるようである。


上の絵は、第3次リーフ戦争の一コマを描いたもの。もったいぶった足取りで「慰安所(BMC)」へ歩いて行く高級軍人を、部下たちが背後で笑っている。色黒の女性(慰安婦)たちはモロッコ人だろうか?当時モロッコはフランスの保護国であった。コリア・ヘラルドなどは、植民地の女性たちを使って売春宿を開設したなど世界史上例はないと言っていたが、そんな事はない(厳密に言うと、リーフ地方の支配者はスペイン)。

現時点で私は、大韓民国陸軍本部が1956年に発刊した『後方戦史(人事篇)』意外に軍「慰安所」に関する文書を探し出せていない。[...]以前私は、朝鮮戦争前後の国家暴力により女性に加えられたさまざまな性暴力を、4種類に類型化したことがある。[...]軍人の拉致あるいは強制結婚や性奴隷型も少なからずあった[...]一人、あるいは少数の女性たちが軍人により軍部隊へ拉致され、昼には「下女」として働き、夜には「慰安」を強要された[...]

私が1999年にインタビューした、朝鮮戦争に参戦した米国人ポール・フェンチャー(Paul Fancher)が属していた米軍部隊にも軍「慰安所」があった。また、韓国軍により体系的に「特殊慰安隊」が作られ、そこで軍「慰安婦」たちは軍人たちを「慰安」するよう強要されたのだ。[...]軍「慰安所」には、一定の場所に軍人が行くものと、「慰安婦」が軍部隊へと出張するものの二つの運営形式があったといわれている。

[...]設立当時、陸軍は軍「慰安所」を「特殊慰安隊」と呼んだ。この資料(引注:「後方戦史」)によれば、「特殊慰安隊」の内容は次のようなものである。
表面化された理由のみをもって、簡単に国家施策に逆行する矛盾した活動であると断じるなら別だが、実質的に士気昂揚はもちろん、戦争に伴う避け難い弊害を未然に防止することができ、それのみならず、長期間の代価なき戦闘で後方来往がなくなることにより、異性に対する憧憬が惹起され、その生理作用により性格の変化などの憂鬱症及びその他の支障をきたすことを予防するため、本特殊慰安隊を設置することになった。
軍記録によれば設置の表向きの目的は、第一に軍人たちの士気昂揚、第二に戦争による避け難い弊害に対する予防措置、第三に性欲抑制に伴う欲求不満や性格変化に対する予防であるとまとめられている。こうした設置目的は日本軍が「慰安所」を設置した主な理由、すなわち「節制しえない性欲」と性犯罪予防という理由と変わらない

[...]設置時期は不明確だが、1951年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で膠着状態に入ってからと思われる。閉鎖されたのは1954年3月である。


ここで彼女が「国家政策に逆行」と言っているのは、韓国では1947年に公娼制度が廃止されていたからである。日本軍慰安婦制度は当時の国内法にも違反!とはよく聞くフレーズだが、韓国でも慰安所政策は法のグレーゾーンに置かれていたようだ。そして、慰安所の設置目的は日本軍の場合と変わらないと。出張形式があったのも日本軍と変わらない。この話はイ・ヨンフン教授も書いている

米軍部隊専用の慰安所があったとも言っているが、「日本の謝罪を引き出し、再び女性が暴力の犠牲にならないことに役立つ」などと啖呵を切ったアメリカの議員たちから何かコメントが欲しいところである。

あなた方も当事者です

「慰安隊」設置の場所

①ソウル地区
第一小隊 ソウル特別市中区忠武路四街一四八番地
第二小隊 ソウル特別市中区草洞一〇五番地
第三小隊 ソウル特別市城東区神堂洞二三六番地

②江陵地区
第一小隊 江寮郡成徳面老巌里

③その他 春川、原州、束草など

[...]束草の軍「慰安所」は休戦以降私娼に変わり、その一帯に集娼地が形成されたものと考えられる。[...]1980、90年代初頭に至るまでこの私娼たちは一種の軍「慰安婦」としての役割を果たすことを強いられていたという。

予備役将軍、蔡命新(チェミョンシン)の証言によれば「当時わが陸軍は士気を振い立たせるために60余名を一個中隊とする慰安部隊を三、四個運営していた」という。60名一個中隊が三、四個ならば軍「慰安婦」の数はおおよそ180~240名前後と考えられる。

[...]上の実績統計表(引:後方戦史人事篇P.150)によれば、一人の「慰安婦」が一日に6回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。

蔡命新の回顧録によれば、前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる。もちろん勲章をもらえば優先権が与えられ、羨望の対象となった。また、功勲の程度によってチケットの枚数は変わったという。

このように日本軍性奴隷たちが強要された「慰安」回数との間にそれほど差はなかったといえる。

「慰安」の回数まで日本軍の場合と差がなかった、慰安婦の健康管理についても日本軍と韓国軍のやり方に違いはなかったと彼女は言っている。

衛生検査

「慰安婦」は一週間に2回、軍務官の協力により軍医官の厳格な検診を受け、性病については徹底的に対策が講じられたという。言うなれば公娼制や日本軍「慰安婦」制度における性病対策と同じやり方で、韓国も女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用したのである。

[...]連隊一課にて中隊別第五種補給品(軍補給品は1~4種しかなかった)受領指示があったため見てみると、わが中隊にも週8時間を限度として6名の慰安婦が割り当てられていた。これは過去日本軍従軍経験があった一部連隊幹部たちが部下の士気昂揚のために発想したもので、わざわざ巨額の厚生費をかけてソウルから調達してきたものである。(引注:当時尉官将校であった金喜午・キムヒオの回顧録より)

[...]日本軍出身幹部たちが身につけた日帝の軍隊文化は、それほどまでに彼らの意識と無意識の奥深くに内面化されていたのである。こうしたなか、日本軍性奴隷制度を当然視してきた彼らにとって、それを模倣することは別段おかしなことではなかったのかもしれない。[...]韓国軍「慰安所」は、継続する植民地主義の一つの表れであり、韓国軍「慰安所」制度は日本軍「慰安所」制度の延長とみることができる。

「日帝が諸悪の根源」というのが彼女の結論らしい。日帝の軍隊文化が悪いから、それに染まった親日派軍人たちも悪い考えを持つようになった?しかし、再び本当にこれは日本(軍)に固有な習慣だったのであろうか?

[...]韓国軍「慰安所」設置の直接的な責任の所在を考えるにあたって、陸軍本部恤兵監室を外すことはできない。ここで 恤兵監室の前身の厚生監室を1949年に設立した朴(王へんに景)遠がどのような人物かを見なければならないだろう。彼は朴正煕 政権下で4代にわたり内務長官を含む長官職を5回歴任、日帝時代には学徒兵として参戦し開放直前に少尉として除隊、開放後には軍事英語学校を経て中将として予備役に編入された経歴を持つ。韓国現代史の支配勢力の一人であるといえる。[...] 朴(王へんに景)遠は、木浦(モッポ)商業学校で皇民化教育を受け、卒業後学徒兵として太平洋戦争に参戦、九州八○六一部隊高射砲中隊の小隊長を歴任した。[...]日本軍参戦過程で「慰安所」と軍性奴隷経験を自然に受け入れたであろうことは十分考えられる。その結果、韓国軍にも「慰安所」を設立する企画を立てたのではないだろうか。

また朝鮮戦争当時の軍位階序列からみて、恤兵監室より上位の陸軍本部が当然「慰安所」設立自体を承認していたであろう。また、1950年7月に大韓民国政府は軍作戦識見を国連軍(事実上米軍)に譲渡していたため、軍「慰安所」に対する最終的な承認は米軍が行っていたと考えられるが、未だ決定的な文書資料は発見できていない。ただ最近聞き取り調査で証言した薫定は、米軍専用「慰安婦」たちが前方まで連れていかれて活動していたのを目撃したという。

韓国軍関係者が日本軍時代の経験を通じて慰安所のノウハウを吸収したのは容易に想像できる。しかし、日本軍の文化に染まったから性奴隷制を「自然に受け入れた」とまで言っていいのか。その理屈なら、ベトナムでアメリカ軍が日本軍のとよく似た(秦郁彦)「慰安所」を設置した理由も、日本占領期の経験と関連があるのだろうか?やはりここでも、キムがドイツ軍などのケースとの対比を放棄してしまったのが惜しまれる。

また余談だが、イタリア軍にも「慰安婦」が存在した。下は映画「国境は燃えている(Le Soldatesse)」 (1965年/イタリア)の一シーン。この娼婦たちは、イタリア軍がギリシャで調達して来た女性たちである[要確認]


[...]国家機構であるところの陸軍本部は当時、軍「慰安所」の性格を「公娼」としてとらえていたといえる。[...]例えば太平洋戦争のころに極少数でも、日本人「慰安婦」のなかには天皇に対する忠誠心と愛国心を抱いていた女性が、自らすすんで「慰安婦」になった場合があったと考える。では、朝鮮戦争期の韓国女性のなかにも、国家への忠誠心と愛国心の発露として軍「慰安婦」になった者がいたと考えられるだろうか。[...]公開募集をしたという記録も見つけることはできていないが、金喜午の回顧録に、その女性たちのほとんどが、かならずしも器量良しには見えない幼い女性たちであるとしており、戦争前に私娼で働いていた女性だとは考えにくい。実際に軍「慰安婦」として働くことになった女性たちの例からは、「自発的動機」がほとんどなかったのではないかと思われる。ある女性は十代後半の未婚女性で、1951年春まで咸鏡南道永興郡に住んでいた。ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。彼女はこのことに関する証言を拒んだが、拉致した北派工作員二名によりこの事実が証言された。

内戦という事もあり、韓国の慰安所政策は日本の場合よりも余裕のない中で計画されただけに、もしかしたら日本軍以上に過酷だった部分もあったのかもしれない。

すべての軍「慰安婦」たちがこのようであったと推定することは難しい。だが、他の「慰安婦」にされそうになった女性の証言からは、いわゆる「アカ」と疑われた状況におかれたため、軍人に殺されるかもしれないという恐怖心から軍「慰安婦」となることを拒めなかったことがわかる。また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。戦争による貧困と、家族から保護・扶養されることが難しいという困難な条件が幾重にも重なり、女性たちは軍「慰安婦」にならざるを得なくなったのかもしれない。こうしたことを考えてみても、また、朝鮮人女性たちの伝統的家父長制的純潔意識を考慮してみても、朝鮮戦争当時、特に未婚女性たちが自発的に軍「慰安隊」に志願したと判断することには無理がある。

よって国家の立場からみれば公娼であったとしても、女性たちの立場からみれば韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえるだろう。そして、何人かの男性の証言にもあるが、1954年3月に軍「慰安隊」が閉鎖されたとき、日本軍と同じように、大部分の女性たちを捨てたにちがいないのである。

一応日本軍の場合、慰安婦を連れ戻す努力はしている。

この後もキムは色々と悩んでいるが、なぜ韓国では日本軍慰安婦は性奴隷として認識されているのに韓国軍のそれはそうならないのか、それは考えなくても分かる(分かるからこそ、彼女は煩悶するのだろう)。運動家や一部の「専門家」以外の日本人が慰安婦を奴隷とは思っていないように、普通の韓国人は韓国軍慰安婦を奴隷とは考えないのである。

北朝鮮の軍隊についてのキムの評価も当たっている部分もあろうが、実は中国軍にも「性の問題」があったのである。いつか紹介する機会があるかもしれない。北朝鮮や中国に対して甘くなってしまうのも、進歩的韓国人の特徴なのかもしれない。

韓国軍「慰安婦」問題が語られない理由は何だろうか?[...]日本軍「慰安婦」問題と比較するならば[...]日本軍による犯罪行為だと認識することにより「性奴隷」概念が受け入れられるようになった。しかし、韓国軍「慰安婦」問題に関してはどうだろうか。[...]朝鮮戦争時に軍「慰安婦」と接した経験を持つ男たちが「韓国軍『慰安婦』は「日本人」とでなく「韓国人」とそうしたのだから、それでもましだろう」という弁明をしているが、この言葉からは、この問題の隠蔽に関して民族主義イデオロギーと家父長制イデオロギーの双方が同時に作用していることを確認できる。
[...]朝鮮人民軍もまた、戦時性暴力の問題から自由ではなかったようだ。軍による性暴力事件が時々発生し、その処理問題のために苦心した痕跡があるのだ。しかし、韓国軍とは違い、軍の立場は明確だったようだ。民心を得るためには民衆に好感を持たれなければならないというのが、人民軍と中国軍の徹底した村民政策の立場だ。[...]朝鮮人民軍もこうした規則を遵守し、性暴力事件が発生した際には即決処分も厭わなかったと考えられる。[...]このため、朝鮮人民軍に軍「慰安婦」制度があったという証言や資料がどこからも出てこないのは、ある意味で当然ともいえる。[...]正当性を認められるためには民衆に危害を加えてはならず、また物的基盤が脆弱ななかで軍の紀綱を保つためには、厳格な法を示す必要があったという現実的な理由が作用した結果だと考えられる。いずれにしても、これらの点で日本軍出身者が主導的に作り出した韓国軍とは明確な差異があったのである。

[...]韓国軍「慰安婦」問題に接近する過程でわかったことは、この問題が日本軍「慰安婦」問題と別個のものではなく、植民地主義が続く過程で現れたものであるという事実である。

軍隊と性暴力 20世紀の朝鮮半島



自国にも慰安所があったことが明らかにされた韓国の研究者は(国防軍事編纂研究所の関係者にとっては、既知の事実であったはず)、「日本軍が・・・一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と弁解している。ここでも、ポイントは「強制性」や「関与」ではなく、「強制連行」であるようだ。

「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張

日本軍の慰安婦制度を真似た慰安婦制度が、韓国戦争当時、韓国軍にもあったという主張が提起されたと朝日新聞が24日報道した。

韓国の慶南(キョンナム)大学の客員教授の金貴玉(キム・キオック、40)氏は、23日京都の立命館大学で開かれた国際シンポジウムでこのように発表したと同新聞は伝えた。

金教授は「1996年以後、5年間『直接慰安所を利用したことがある』、『軍にら致され、慰安婦になった』など男女8人の証言を聴取した」と明らかにした。

金教授はまた「韓国陸軍本部が1956年編さんした公文書『後方戦史』に『固定式慰安所-特殊慰安隊』と記録された部分を発見し、これには4カ所で89人の慰安婦が1952年に限って20万4560回の慰安活動をしたという統計資料が添付されていた」と同新聞は付け加えた。

一方、国防軍事編纂研究所の関係者は『当時、軍は売春婦と合意の下で場所を提供した。また慰安行為の対価は部隊運営費から支給されたと聞いている」とし「しかし、日本の植民地時代に日本軍が人権を無視し、一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と説明している。

2011/12/31

tweet


2011/11/27

韓国政府は情夫だった [韓国の慰安所とキーセン観光]



現実と理想の間にグレーゾーンを作っていたのは日本政府ばかりではなかった。韓国も米軍もまた建前と本音を駆使して現実に対応しようとした。公娼制度は当時でも違法---よって戦争犯罪であるという「強制連行派」の言い分は建前論の世界でしか通用していない。・・・少なくとも、(建前であっても)韓国やアメリカでは慰安所に「関与」した事で罪に問われた人はいない。しかも、一方では、売春する権利を求めて闘う女性たちもいるのである。

韓国軍の慰安所については今までも指摘されてきた。ハンギョレの記事も、新しい発見として報じている雰囲気はない。新聞記者のレベルならば今や韓国軍の慰安所の存在は知っていて当然なのだろう。それでも日本のケースのみを糾弾し続ける市民団体に苦言の一つも呈しようとはしない。特にハンギョレは、尹貞玉(ユン・ジョンオク)が慰安婦問題を引っさげてデビューした新聞である。


大韓民国政府が情夫だった

売春取り締まるふりをして女性を外貨稼ぎ手段と考えていた韓国政府…朝鮮戦争の時は慰安所設置、独裁政権は駐韓米軍・日本人対象に売春を助長

大韓民国では売春は違法だが、不法でない。 赤線地区の一角に派出所が共存する奇怪な風景は我が国では今更である。 こうした乖離はどうして生じたのか?

その答えの前に国家の二重的売春政策を見る必要がある。 パク・ジョンミ漢陽大HK研究教授(社会学)が今年書いた論文「韓国売春政策に関する研究」は売春に対する国家の意図的沈黙と統制の過程を暴いた。 400ページを越える分厚い論文の中で大韓民国政府は売春に一方の手では不法化の烙印を押しながら、残り一方の手では放任をしたり時には積極的に「情夫」の役割までこなした。

国連軍の為の慰安所運営

売春をめぐる国家のダブルスタンダードは1946年米軍政期まで遡る。 日本帝国主義を押し出した米軍政は先んじた植民統治との差別性を浮き立たせる必要があった。 1946年5月17日に宣言された「婦女子売買または、気売買契約の禁止令」はそのような背景から出た。 公娼制を維持した日帝とは明確に一線を引く措置と見えた。 新生国家の市民はこれを歓迎した。 1946年5月28一致<東亜日報>は「朝鮮が解放されたので…遊郭の女性たちが解放されなければならないことは当然」と報道した。

実際の米軍政の意図は違った。 ロチュィ軍政長官は「(禁止令が)公娼廃止でないのはもちろん、私娼には何の関係がない。 …本人が自発的に結んだ契約の下で従事するのは関係ない」と明らかにした。 すなわち個人が他意によって売春をすることになるのは不法だが、自発的に売春をするならば公娼でも私娼でも関係ないという言葉だった。 米軍は逆に日本強制占領期間の時から維持されてきた接客女性対象登録・検診関連規定をそのまま維持した。 米軍政の関心は韓国の売春女性と接触した米軍たちの間で広がりうる性病を制御するのことに限定された。

公娼制度を公式に廃止した側は新生国家の立法府であった。 南朝鮮過渡立法議員は1947年8月「公娼制等廃止令」を通過させた。「売春禁止主義」を法律で明らかにした最初の事例であった。 ところが法の力は微小だった。 1948年1月<京郷新聞>は「予算は皆無の状態で、中央庁に対し国庫補助を要請したが、これが見込みがなくてただ嘆くばかり」と報道した。
戦争を経て国家は自ら法を破った。 政府の1956年資料を見れば、陸軍本部はソウルと江陵など4ヶ所で慰安所を運営した。 資料で確認された「慰安婦」の 数は79人だった。 1952年この女性たちを訪れた男性は延べ人数が20万4560人だった。 陸軍本部は「(兵士たちが)異性に対する渇望から引き起こされる生理作用による性格の変化などでうつ病およびその他支障を招くということを予防するため」と趣旨を説明した。 チェ・ミョンシン将軍も回顧録「死線を越えて越えて」で「当時私たちの陸軍は志気の盛り上げのために60人余りを1個中隊でする慰安婦対を三,四個運用した」と書いた。
政府は国軍だけでなく、国連連合軍のため「慰安所」も運営した。 <釜山日報>の1950年9月記事を見れば、馬山市が「数日中に市内に連合軍の労苦に報いる連合軍『慰安所』5ヶ所を新・旧馬山に設置することになり、これに対する許可証をすでに発行した」. 当時政府保健婦防疫国で出した「清掃および接客営業衛生事務取り扱い要領」資料でも連合軍慰安所と慰安婦に対する指示事項を含んでいる。 政府が売春を斡旋した「情夫」役割を引き受けたと証言する文書は悲しくも、たくさん溢れていた。

米軍を代替した日本人「キーセン観光」

1960年代登場したパク・チョンヒ政権は「革命公約」で売春取り締まりを強化すると公言した。 1961年に制定された「売春行為など防止法」は新しい政権の意志を表した。 21組でなされた売春行為防止法は国家の売春禁止原則を再確認したことだった。 しかし翌年6月保健社会部は全国104ヶ所に売春を許容する「特定地域」を設置して、その中で9ヶ所をソウルに割り当てたと発表した。 同じ口から簡単に二つの話が出た。

国家はなぜ売春禁止原則を守ることができなかったのだろうか? 1961年交通部企画調整官室が出した公文書を見ればその答えがある。 公文書は「現在の我が国で最も容易に誘致できる観光客は駐韓国連軍」とし「外国人相手ホステス」を対象に教養講習を推進するという内容を入れた。 当時米軍兵士は主に日本や香港に休暇で出かけた。 1961年3月13日付の<東亜日報>は「我が国により多くの外貨を落とすようにするという点では、すべての消耗品に国産を充てるのが理想かもしれないが…酒も外国酒、ヌードの女子も外国女子、その上外貨まで使うと…」と嘆いた。 国家の先決課題は「ヌードの女子」を「国産」で代替することだった。 1962年4月25付<ソウル新聞>はソウル市警が「4千人に達する観光接客営業所(ダンスホール・キャバレーなど)のサービス ガールらに対する接客業務教育を実施」したとしその理由が「外国人らにより効果的なサービス」を提供するためのものだったと報道した。

1966年<新東亜>の記事はいっそ率直だった。 「洋公主が持つ巨大な力がある。 日陰に咲くこれらは皮肉にも私たちの国家政策の至上課題になったかのような外貨獲得の担い手になっている」 <新東亜>は当時全国190ヶ所の国連軍専用ホールから出る外貨が年に1千万ドルに達すると推定した。 1966年当時我が国が貿易で稼ぐ外貨は2億5千万ドルであった。

1970~71年駐韓米軍の規模が1万8千人減った。 政府は非常事態になった。 1971年8月内務長官が各警察に送った公文書で「保健当局と協力して慰安婦の性病予防策を講じて…教養を強化」しろと指示した。 ところが離れる米軍を捉えることはできないさだめだった。 米軍の空席は「キーセン観光」をしに来た日本人が満たした。 1965年韓-日修交が契機であった。 キーセン観光が絶頂に達した1977年韓国を訪れた日本人の96.8%は男性だった。 経済成長に没頭した政府は観光収入と観光客目標値を提示した。 一線旅行斡旋業者にも‘割当量’が落ちた。 目標を達成できなければ各種恩恵が消えたり、激しい場合、許可が取り消しになった。 1979年<新東亜>は「脱線観光がきわめて当然に当局の黙認の下成り立つ。 …妓生パーティーはほとんどすべての日本人観光客らに与えた」と報道した。 もちろん政府もずっと一役買った。 1972年ソウル市の資料を見れば、(引用者注:米軍)基地村接客営業所女性512人、観光料亭接客営業所女性1795人を対象に教育した記録が残っている。

今も変わらぬ国家の原罪

1980年代、国内経済が成長しながら内国人売春「客」の比重は増えた。 1982年夜間通行禁止が解除され、1984年ぜいたく性風俗店に対する規制を緩和した。 売春業者が育つ土壌はより一層肥沃になった。 アメリカのスポーツ週刊誌<ザ・スポーティング ニュース>は1985年10月ソウル オリンピック特別号で韓国料理を紹介してあるホテル食堂で広がった「妓生パーティー」の写真を掲載した。 当時取材過程で政府が便宜を図った事実が明らかになり、波紋が生じたこともあった。 キーセン観光を通じて観光客を誘致しようとする「政策」は当時までも維持されたわけだ。

事実上スローガンに終わった政府の売春禁止政策は1990年代と2000年代を経て少しずつ効力を発揮した。 1996年「売春防止法」と2004年「性売買禁止法」は主要な契機になった。 しかし相変らず売春という違法は「慣行」というマスクを使って2010年代大韓民国街を闊歩している。 その背景には国家が自ら行った「原罪」がある。


ハンギョレ21 2011.11.28号  [B-U]


대한민국 정부가 포주였다 [2011.11.28 제887호]


[표지이야기] 성매매 단속하는 척하며 여성을 외화벌이 수단으로 여겼던 한국 정부… 한국전쟁 때 위안소 설치하고, 독재정권은 주한미군·일본인 대상 성매매 조장해


대한민국에서 성매매는 불법이지만 불법이 아니다. 홍등가의 한편에 파출소가 공존하는 기괴한 풍경은 우리나라에서 새삼스럽지 않다. 이런 괴리는 왜 생긴 것일까?


답을 하려면 먼저 국가의 이중적 성매매 정책을 볼 필요가 있다. 박정미 한양대 HK연구교수(사회학)가 올해 쓴 논문 ‘한국 성매매 정책에 관한 연구’는 성매매에 대한 국가의 의도된 침묵과 통제 과정을 파헤쳤다. 400쪽이 넘는 두툼한 논문 속에서 대한민국 정부는 성매매에 한 손으로는 불법화의 낙인을 찍으면서, 나머지 한 손으로는 방임을 하거나 때론 적극적으로 ‘포주’ 노릇까지 떠안았다.


유엔군 위한 위안소 운영


성매매를 둘러싼 국가의 이중적 태도는 1946년 미군정기까지 거슬러 올라간다. 일본 제국주의를 밀어낸 미군정은 앞선 식민통치와의 차별성을 부각할 필요가 있었다. 1946년 5월17일에 선포된 ‘부녀자 매매 또는 기 매매계약의 금지령’은 그런 배경에서 나왔다. 공창제를 유지하던 일제와는 분명히 선을 긋는 조처로 보였다. 신생 국가의 신민들은 이를 환영했다. 1946년 5월28일치 <동아일보>는 “조선이 해방되었으니… 유곽의 여성들이 해방되어야 할 것은 당연한 일”이라고 보도했다.


정작 미군정의 의도는 달랐다. 러취 군정 장관은 “(금지령이) 공창의 폐지는 아닌 것은 물론 사창에는 아무 관계가 없다. …자기 자신이 자진해서 맺은 계약 아래에서 종사하는 것은 무방하다”고 밝혔다. 즉 개인이 타의에 의해 성매매를 하게 되는 것은 불법이지만, 자발적으로 성매매를 한다면 공창이든 사창이든 상관없다는 말이었다. 미군은 오히려 일본강점기 때부터 유지돼온 접객여성 대상 등록·검진 관련 규정을 그대로 유지했다. 미군정의 관심은 한국의 성매매 여성과 접촉한 미군들 사이에서 퍼질 수 있는 성병을 통제하는 데 한정됐다.


공창제도를 공식적으로 폐지한 쪽은 신생 국가의 입법부였다. 남조선과도입법의원은 1947년 8월 ‘공창제 등 폐지령’을 통과시켰다.‘성매매 금지주의’를 법으로 천명한 첫 번째 사례였다. 그렇지만 법의 힘은 미미했다. 1948년 1월 <경향신문>은 “예산은 전무 상태이고, 중앙청에 대하여 국고 보조를 요청했으나 이것이 가망성이 없어 그저 한탄만 하고 있다”고 보도했다.





전쟁을 거치며 국가는 스스로 법을 깼다. 정부의 1956년 자료를 보면, 육군본부는 서울과 강릉 등 4곳에서 위안소를 운영했다. 자료에서 확인된 ‘위안부’ 수는 79명이었다. 1952년 이 여성들을 찾은 남성은 연인원이 20만4560명이었다. 육군본부는 “(사병들이) 이성에 대한 동경에서 야기되는 생리작용으로 인한 성격의 변화 등으로 우울증 및 기타 지장을 초래함을 예방하기 위하여”라고 취지를 설명했다. 채명신 장군도 회고록 <사선을 넘고 넘어>에서 “당시 우리 육군은 사기 진작을 위해 60여 명을 1개 중대로 하는 위안부대를 서너 개 운용했다”고 썼다.
정부는 국군뿐 아니라, 유엔 연합군을 위한 ‘위안소’도 운영했다. <부산일보> 1950년 9월 기사를 보면, 마산시가 “수일 내로 시내에다 연합군의 노고에 보답하는 연합군 ‘위안소’ 5개소를 신·구 마산에 설치하기로 되어 이의 허가증을 이미 발부했다”. 당시 정부 보건부 방역국에서 내놓은 ‘청소 및 접객영업 위생사무 취급요령’ 자료에서도 연합군 위안소와 위안부에 대한 지시사항을 담고 있다. 정부가 성매매를 알선한 ‘포주’ 노릇을 맡았다고 증언하는 문서는 서글프게도, 차고 넘쳤다.


미군을 대신한 일본인 ‘기생관광’


1960년대 등장한 박정희 정권은 ‘혁명공약’에서 성매매 단속을 강화하겠다고 공언했다. 1961년에 제정된 ‘윤락행위 등 방지법’은 새 정권의 의지를 드러냈다. 21개 조로 이뤄진 윤락행위방지법은 국가의 성매매 금지 원칙을 재확인한 것이었다. 그러나 이듬해 6월 보건사회부는 전국 104개소에 성매매를 허용하는 ‘특정 지역’을 설치하고, 그 가운데 9개소를 서울에 할당했다고 발표했다. 한 입에서 두 말은 쉽게 나왔다.


국가는 왜 성매매 금지 원칙을 지키지 못했을까? 1961년 교통부 기획조정관실이 내놓은 공문을 보면 답이 있다. 공문은 “현재 우리나라에서 가장 용이하게 유치할 수 있는 관광객은 주한 유엔군”이라며 “외국인 상대 접대부”를 대상으로 교양강습을 추진하겠다는 내용을 담았다. 당시 미군 병사들은 주로 일본이나 홍콩으로 휴가를 떠났다. 1961년 3월13일 <동아일보>는 “우리나라에 보다 많은 외화를 떨어뜨리게 한다는 견지에서는 모든 소모품을 국산으로 충당하는 것이 이상적이겠지만… 술도 외국 술이요, 벌거벗은 아가씨도 외국 아가씨, 게다가 외국돈까지 쓰니…”라고 개탄했다. 국가의 선결 과제는 ‘벌거벗은 아가씨’를 ‘국산’으로 대체하는 것이었다. 1962년 4월25일치 <서울신문>은 서울시경이 “4천 명에 달하는 관광접객업소(댄스홀·카바레 등)의 서비스 걸들에 대한 접객업무 교육을 실시”했다며 그 이유가 “외국인들에게 보다 효과적인 서비스”를 제공하기 위한 것이었다고 보도했다.


1966년 <신동아>의 기사는 차라리 솔직했다. “양공주들이 갖는 거대한 힘이 있다. 음지에 피어 있는 이들은 아이로니컬하게도 우리 국가정책의 지상 과업이 되다시피 한 외화 획득의 한 역군이 되고 있다.” <신동아>는 당시 전국 190개소의 유엔군 전용 홀에서 나오는 외화가 1년에 1천만달러에 이를 것으로 추정했다. 1966년 당시 우리나라가 무역으로 벌어들이는 외화는 2억5천만달러였다.


1970~71년 주한미군의 규모가 1만8천 명 줄었다. 정부에서는 비상이 걸렸다. 1971년 8월 내무장관이 각 경찰에 보낸 공문에서 “보건 당국과 협조하여 위안부의 성병 예방책을 강구하고… 교양을 강화”하라고 지시했다. 그렇지만 떠나는 미군을 잡을 수는 없는 노릇이었다. 미군의 빈자리는 ‘기생관광’을 하러 온 일본인이 채웠다. 1965년 한-일 수교가 계기였다. 기생관광이 절정에 이르던 1977년 한국을 찾은 일본인의 96.8%는 남성이었다. 경제성장에 몰두한 정부는 관광수입과 관광객 목표치를 제시했다. 일선 여행 알선 업체에도 ‘할당량’이 떨어졌다. 목표를 달성하지 못하면 각종 혜택이 사라지거나, 심한 경우 허가가 취소됐다. 1979년 <신동아>는 “탈선관광이 극히 당연하게 당국의 묵인 아래 이루어진다. …기생파티는 거의 모든 일본인 관광객들에게 베풀어졌다”고 보도했다. 물론 정부도 계속 한몫했다. 1972년 서울시의 자료를 보면, 기지촌 접객업소 여성 512명, 관광요정 접객업소 여성 1795명을 대상으로 교육한 기록이 남아 있다.


오늘도 여전한 국가의 원죄


1980년대 국내 경제가 성장하면서 내국인 성매매 ‘고객’의 비중은 늘었다. 1982년 야간통행금지가 해제됐고, 1984년 사치성 유흥업소에 대한 규제를 완화했다. 성매매 업소가 자라날 수 있는 토양은 더욱 비옥해졌다. 미국 스포츠 주간지 <더 스포팅 뉴스>는 1985년 10월 서울 올림픽 특별호에서 한국 음식을 소개하며 한 호텔 식당에서 벌어진 ‘기생파티’ 사진을 실었다. 당시 취재 과정에서 정부가 편의를 제공한 사실이 밝혀져 파문이 일기도 했다. 기생관광을 통해 관광객을 유치하려는 ‘정책’은 당시까지도 유지됐던 셈이다.


사실상 구호에 그쳤던 정부의 성매매 금지 정책은 1990년대와 2000년대를 거치며 조금씩 효력을 발휘했다. 1996년 ‘윤락방지법’과 2004년 ‘성매매금지법’은 주요한 계기가 됐다. 그러나 여전히 성매매라는 탈법은 ‘관행’이라는 마스크를 쓰고 2010년대 대한민국 거리를 활보하고 있다. 그 배경에는 국가가 스스로 저질러온 ‘원죄’가 있다.

2011/04/19

挺対協 米軍基地村について勉強会



彼女たち(挺対協)のルーツを考えれば、彼女たちがこの問題を取り上げない方がおかしい。実際挺対協の幹部はベトナム戦争での韓国軍のレイプについて発言する事もある。しかし、韓国軍が日本軍と同じ慰安婦システムを持っていたという事には触れようとはしない。また米軍が基地村の売春(性搾取)に「関与」していた事実を知っていても、日本相手のように国際社会を巻き込む大騒ぎにはしない。


2.基地村女性人権連帯(準)の会議を事務所で行いました。 :トゥレバン、ヘッサル社会福祉会、在韓米軍犯罪根絶運動本部、挺対協、タシハムケ(再び一緒に)センター、性売買根絶のためのハンソリ会から9人が参加し会議を行いました。今日の会議では、連帯事業として1)基地村女性の人権運動のための研究会を運営することとし、①生涯史研究チームと ②法律チームを構成することにしました。テーマ別の学習も続けることにし、①在韓米軍の基地村の歴史 ②基地村に対する韓国の政府の政策と管理 ③米軍駐屯国の米軍を相手にした性売買政策、現状 ④米軍基地に関した地域開発 ⑤挺対協の運動と基地村の問題について勉強することにしました。

2011/01/19

韓国の女性写真家「忘れられた韓国の女たち・米軍慰安婦」





「アジアと命、ビジュアル・ストーリーテリング」展

主催者によれば、「フォトジャーナリズム、社会派写真ドキュメンタリー、対象に深く入り込んで記録されたビジュアル・ストーリーテリングのなかで『アジア』と『命』をテーマに写真的活動、出版プロジェクトに関わる写真家、編集者とともに写真を見ながら、プロジェクト、撮影にまつわる経験を共有することを趣旨」として開催される企画、なのだそうだ。

イスラエル、トルコ、グルジア、シンガポール、中国、韓国と言った国々の写真家の作品が紹介される。
気になるのは、韓国出身の女性写真家Jean ChungのテーマKorea’s Forgotten Women - comfort women for US army (韓国の忘れられた女たち・アメリカ陸軍のための慰安婦)。

この人はアフガニスタンやアフリカで活躍した写真家らしいが、運動家たちからは無視され続けているこの米軍慰安婦をテーマにして、何を訴えているのか気になるところである。

慰安婦問題を政治利用することしか考えていない人々は、日本軍が関わらない限り興味を示さない。ここが本物を見分けるポイントなのだろう。

来月12日、東京恵比寿の東京都写真美術館で開催される。 

問い合わせはココ

2010/12/21

公娼・日本軍/米軍慰安婦は同質【女性法廷シンポジウム】




立命館大学で「女性国際戦犯法廷10年の節目をテーマにしたシンポジウムが開かれた山下ヨンエがそれをtweetしたものがtogetterにまとめられているが、なかなか興味深い。ここでは引用者が省略したりコメントを書き入れたりしているので、全文はtogetterの方で確認してください。

自分は、慰安婦を「性奴隷」と呼びながら戦前の芸娼妓をそう呼ばないのは筋が通らないと思っているし、自国の軍隊が慰安婦の利用者であったことをスル―しながら、日本を糾弾している人達を懐疑的に見ているが、本質的に同じ問題だと主張する人は運動家寄りの人達の中にもいる。

山下もその一人だが、今回は女性戦犯法廷がらみであることと、韓国にも彼女の見解に近い研究者がいるのだと分かった点で、興味深かった。

次回はぜひ「米軍の慰安所は別だ」と言い放ったマイク・ホンダをゲストに呼んでやって欲しい。10年前の女性戦犯法廷で検事を務めたセラーズがスル―していることは、この前書いた。

しかし、ここまで来ると、安倍首相を「二枚舌」を詰ったワシントン・ポストをはじめとした多くの欧米メディアも、毎週水曜日に日本大使館の前でシュプレヒコールを叫んでいるグループも、アメリカで「日本軍性奴隷の碑」を建てている人達もついて来れない(来ない)だろう。



  • yy0902

    最初の発表者は、沖縄の報告からという題で、宮城晴美さん。
    2010-12-19 10:46:00
  • yy0902

    沖縄における米兵による性暴力事件のこと、そのようなことがしっかり処罰されない構造(引用者注: 慰安所での不祥事が処罰されなかった例をもって「強制連行」の証拠だとする主張がある)について話しています。日本政府の問題と、日本に住む人々の無関心について述べておられます。
    2010-12-19 10:56:34
  • yy0902

    日本の実状を端的にまとめて終わりました。次は、村本邦子さんが、南京ワークショップからの報告という題で話されます。
    2010-12-19 10:59:26
  • yy0902

    世代間トラウマのお話。過去に目を向けずして現代の暴力を解決することはできないとのこと。
    2010-12-19 11:03:22


  • 加害と被害の国の若者が和解をするための方法に関するお話でした。次は梁澄子さんの報告。宋神道さんの裁判闘争に関わったことから見えてきたことについて。
    2010-12-19 11:24:46


  • 宋さんの被害がどういうものだったか、を勝手に思い込んでいた面が、最初はあったとのこと。(引用者注: 発言者の真意は分からないが、支援者が自分の先入観と宋神道の本音とのギャップに困惑する話はこのエントリーを参照)
    2010-12-19 11:27:21


  • この1ヶ月に4回同じ報告をしたと、鄭さん。ここでは言いたいこと、重要なことだけ話したいとのこと。タブーの問題。天皇制の問題について語り始めました。
    2010-12-19 11:48:10
  • 未だ色濃く存在する天皇制。日本社会の異様さ。タブーは不問に付される。安心して日本人を信頼して暮らせる社会を作りたい、と思ったそうです。
    2010-12-19 11:51:57


  • 日本軍性奴隷を発想した女性観について。日本の中の性暴力に対する認識が低すぎるとの指摘。このような状況を変えない限り、慰安婦問題の謝罪などありえない、と。 (引用者: 彼女は関係者の処罰も求めている)
    2010-12-19 11:59:00


  • 敗戦直後の進駐軍慰安婦。これは韓国でも似たようなものがありますね。
    2010-12-19 12:01:02
  • 部落女性も占領軍慰安婦にされたと述べています(引用注: この本にもチラっと出ている)。
    2010-12-19 12:02:17


  • 日本政府はそれによって何を守ろうとしたのか。と問いかけています。
    2010-12-19 12:03:16


  • 日本には性暴力が犯罪であるという意識が欠けている。法律もない。との指摘。韓国は90年代の運動で性暴力は犯罪だという意識はある程度できつつあると思います。
    2010-12-19 12:07:48


  • この性暴力がいかに戦争や植民地支配とつながっているかを語っています。
    2010-12-19 12:09:03


  • 日本のフェミニズムの敗北だ、との指摘。厳しいですね。
    2010-12-19 12:10:30

  • 聴衆には男性もたくさんいますね。あ、基地問題について。沖縄の人たちの思い。そんなに基地が重要だと思うなら県外へどうぞ、との発言がありました。
    2010-12-19 12:19:06


  • 村本さん。愛することではなく、支配することを学んでいるのではないか、とのこと。その際、母親が息子をそのように育てているのではないか、と。私も顧みる必要が。また、自分の加害者性に気づくことの重要さについても指摘。
    2010-12-19 12:22:27
  •  

    鄭さんの発言。沖縄だけの問題ではない。性暴力の三文字を連呼するそうです。良妻賢母の大妻女子大学で。性暴力の鄭先生と呼ばれるとのこと。みな爆笑。 (引用者: 日本に対しては厳しい暎惠だが、自国の慰安所については批判していたっけ?)
    2010-12-19 12:27:51
  •  

    午後の部が始まりました。歴史と言説。宋連玉氏、イ・ナヨンさん、ヤン・ヒョナさん、岡野八代さんです。
    2010-12-19 13:35:30
  •  

    司会は姫岡とし子さんです。宋さんの話が始まりました。もっと抑圧的な時代に育ったと自己紹介。70年代に韓国にいった時の話から始まりました。
    2010-12-19 13:37:39


  • 植民地支配が朝鮮の女性の地位を低くした、という文章を読んで勉強を始めた、とのこと。
    2010-12-19 13:39:14
  •  

    慰安婦制度と公娼制度は線引きできないのではないか、という問題提起です。
    2010-12-19 13:40:47
  •  

    この両者に境界を設定しようとするのは帝国の目論見である、とのこと。
    2010-12-19 13:41:59


  • 最初にからゆきさんに関する言説分析。時代とともに言説の意味が変化しているとのこと。
    2010-12-19 13:46:04


  • 廃娼運動家についての批判がはじまりました。
    2010-12-19 13:47:06


  • 公娼制度と慰安所制度の境界をこわす必要性。名称が異なることで、実態が見えにくくされているとの指摘。境界を置かなくても国家の責任を問えるような論理を構築すべきとの主張。次は、韓国のイナヨンさん。
    2010-12-19 13:58:12


  • 日本軍慰安婦と、韓国米軍基地の洋公主について。
    2010-12-19 14:00:36
  •  

    韓国の雑誌、マル誌、朝鮮日報、本、ノグンリからメヒャンリまでに出ている言説の紹介から始まりました。
    2010-12-19 14:02:45
  •  

    韓国の公娼制度の成立過程については省略するとのこと。植民地女性を娼妓にすることの意味について語っています。
    2010-12-19 14:06:45
  •  

    公娼制度と慰安婦制度との共通性について。朝鮮での意味について。問題はその統制が日本の植民地支配が終わった後、米軍、韓国政府に引き継がれたこと。
    2010-12-19 14:09:18
  •  

    朝鮮戦争時の韓国軍と、米軍は慰安婦を使用釜山では74箇所。
    2010-12-19 14:11:04
  •  

    外国人を相手にする女性と、韓国人を相手にする女性。57年まで米兵は休暇になると、日本にいって女性を買った。韓国よりも管理されている日本の女性のほうが性病に感染する恐れが少ないとおもったからだそうです。
    2010-12-19 14:14:31


  • 57年頃から韓国でも性売買女性を隔離し、米兵が日本まで行かなくなったとのこと。
    2010-12-19 14:16:06


  • このあたりの経緯については、私も、軍隊と性暴力という本に論文を書きました。
    2010-12-19 14:18:16


  • 韓国の基地村の女性と日本軍慰安婦を一緒に見るということの意味について。
    2010-12-19 14:19:29
  •  

    軍事主義とジェンダーの問題になりますね。
    2010-12-19 14:20:07


  • 現在は基地村で働く女性の多くは外国人
    2010-12-19 14:23:18


  • イナヨンさん、大きな声で早口。通訳がついておらず、聴衆はペーパーを読んでいます。
    2010-12-19 14:24:57


  • 強制と自発という見方を克服することが必要だとのこと。慰安婦問題を強制という見方だけで接近すれば、基地村女性の問題は見えにくくなるという意味。
    2010-12-19 14:32:38


  • 力強い発表でしたが、日本語話者には通訳ないとわかりませんね。次は、ヤンヒョナさんです。ソウル大学の法学部で教えています。
    2010-12-19 14:35:56


  • 発表タイトルは、かんこくじんw、軍慰安婦問題に関して日本政府に法的責任を求めることは、民族主義の発露なのか。ー法的責任、道徳的責任、植民地の体系的強姦に関して。
    2010-12-19 14:38:38


  • 民族主義とジェンダーに関する興味深い発表です。
    2010-12-19 14:41:16


  • 法的責任と道徳的責任の性格についての分析をしています。ここで簡単な通訳が入りました。
    2010-12-19 14:45:36


  • 国民基金の大沼氏の議論について触れています。ヤンヒョナさんは、お詫びの中身について問うています。
    2010-12-19 14:46:46


  • 国際人道主義法による戦争犯罪の責任について話しています。2000年法廷裁判部の議論を紹介。
    2010-12-19 14:51:28


  • 強制性の問題。国際的な議論と日本軍慰安婦問題の解釈に関する微妙なズレについて話しています。話が早すぎてついて行くのが大変です。
    2010-12-19 14:54:48


  • 朝鮮人女性が受けた被害が最も残酷だったということを強調したいわけではない。ただ、それぞれの犯罪構成状況を見る必要があると主張。
    2010-12-19 14:58:54


  • トランスナショナル・フェミニズムの方法と倫理について最後に話して終わりました。次は岡野八代さん。
    2010-12-19 15:01:53


  • 題名は、日本軍慰安婦と日本の民主化。
    2010-12-19 15:03:01


  • 国民基金のデジタル資料館と、WAMの違い。
    2010-12-19 15:04:30


  • 二つのサイトを比較しています。早稲田にある、戦時性暴力に焦点を合わせた資料館です。これから闘い続けるための根拠として設立された資料館です。犠牲者たちの現在に至るまでの生。政府の立場とは 距離を置く。日本社会の現状を変えようと訴えている。
    2010-12-19 15:10:05


  • 国民基金のサイトでは、政府と国民の共同事業であることが謳われている。被害者の声については間接的な表現になっている。被害者の苦悩がなんであるかを示そうとはしていない
    2010-12-19 15:13:00


  • いかに基金がこの問題に取り組んできたかを示そうとしたのが国民基金のデジタル記念館。展示されている資料は90年代のもので、それから進歩していないのではないかと指摘しています。
    2010-12-19 15:15:48


  • 岡野さんは、国民基金が今後に与える影響の問題性について、厳しく批判しています。国民基金の解散は日本における慰安婦問題の解決だったというようなもの、とのこと。
    2010-12-19 15:19:26


  • 私たちの問題を認識することが必要だと話しています。また、大沼批判になりました。
    yy0902
    2010-12-19 15:22:09

    (引用者: 休憩)
  •  

    沖縄で強姦事件が報道されなかったことに関する質問と、沖縄の女性の民族は?という質問。
    2010-12-19 16:14:57


  • 民族については、沖縄の女性は沖縄民族と考えるようになったとのこと。
    2010-12-19 16:17:25


  • 村本さんへは、世代間トラウマに関する質問。また、加害者側と被害者側のトラウマの関係性について。沈黙、忘却、麻痺などは加害の側に出やすい。
    2010-12-19 16:19:53


  • 加害のトラウマ、自分の先祖が不正義をなしたことを受け入れるのは結構難しいだろうとのこと。被害者が被害者としてのトラウマを引き継ぐのも大変。
    2010-12-19 16:22:30


  • 被害者性と加害者性の関連について。何がしか傷ついているが、その事を理解しないと他者の被害を理解することもできないだろう、と。私も本でその事を少し論じました。
    2010-12-19 16:25:26


  • 午後の部の質問。松本さんからの質問。資料集にある具体的な質問です。韓国の軍慰安婦被害者が韓国政府を相手に起こした裁判について。日韓協定に関する文書を公開せよと求めた。また、個人請求権は失われていないことを確認した。と、ヤンヒョナさん。
    2010-12-19 16:47:02


  • 日本政府と韓国政府の解釈が異なっているとのこと。
    2010-12-19 16:47:54


  • 岡野さんが指名されました。立法が成立したらどうなるのか、との先ほどの質問について。
    2010-12-19 17:10:43


  • 立法までのプロセスが大事、との意見。ごもっとも。
    2010-12-19 17:13:22


  • 宋神道さんの支援運動の例も。裁判は負けたけど、プロセスが重要だった。
    2010-12-19 17:14:39


  • 村本さんの意見。法律と、一人一人の変化について。法律が変わることで確かに変わる面がある。社会のコンセンサスという意味で。しかし法律だけでは変わらないということが言いたい、とのこと。
    2010-12-19 17:18:59


  • ドイツの例。ASFのこと。
    2010-12-19 17:21:04


  • 池内さんが院内集会のことについて回想しています。ヤンジンジャさんがマイクを握りました。村本さんのお話を聞いて、生まれ変わったら心理学者になりたい、と。爆笑。
    2010-12-19 17:27:58


  • 自分の傷を見たくない人。国家との共犯関係に追い立てられている人たちがいる。運動の目標はそうした人たちを育てることではない。でもそういう人たちが育っている、とのこと。
    2010-12-19 17:32:25


  • 北朝鮮を敵にすればすぐ日本は被害者意識で団結してしまう。そうではなくて、個人としての被害について共鳴しあうことがじゅうようではないか、とまとめてくれました。
    2010-12-19 17:35:19


  • 宮城さんのお話に移りました。軍隊と性暴力の話。人を殺す訓練をしている兵士と沖縄では一緒に暮らしているよなもの。沖縄の問題だけでなく、軍事の問題にもぜひ関心を持ってくださいと訴えて終わりました。
    2010-12-19 17:39:05


  • ヤンヒョナさんが話しを続けました。韓国の徴兵制の話。最近の情勢の中で、服務期間を拡大しようという動きがあります。軍加算点制も復活させようとの議論がでています、とのこと。
    2010-12-19 17:46:06


  • 韓国政府が行ったことは二つ。慰安婦問題にかんして。生活支援と記念事業。しかし政府はなぜこれらをしているのかについて、曖昧な認識しかない。とのこと。
    2010-12-19 17:53:15


  • 韓国でそのような法ができたことは被害者に与えられた烙印を取ることにつながった。でも限界もある、とのこと。それ以上考えようとしない、という意味で。
    2010-12-19 17:55:37


  • 宋連玉さん。DVと戦争体験について。村本さんの話について、必ずしもつながらないのではないかと。戦争体験を持つ男性がいいお父さんになる場合もあるのではないかと。う~ん
    2010-12-19 18:02:34