2010年12月8日。日本の国会では岡崎トミ子(民主)ばかりが叩かれているが・・・。
水曜デモが終わった後、ハルモニたちと一緒に凍える体を温かい食事で暖めました。食事が終わるとすぐ鐘路にある事務所には移動せず、忙しなく西大門にある「ウリチプ」へ向かいました。「ウリチプ」には日本から国会議員の方々が訪問することになっていたからです。しかし、私たちより先に到着して玄関の門の外で待っているところに遭遇しました。門を開けて中に入り、ユン・ミヒャン代表が居間へと案内し、その居間を装飾している飾りの数々は、ハルモニたちが園芸治療プログラムと美術治療教室で作った作品を展示したものだと説明しました。
歓迎の挨拶と一緒に「ウリチプ」に一緒に住む4名のハルモニたちも紹介し、韓国の生存者たちの状況についても説明しました。日本の国会議員たちもハルモニたちに挨拶をし、ハルモニたちにまだ解決を届けられない事に対して申し訳ないという言葉もくださいました。キム・ボクトンハルモニは日本政府が当然しなければならない謝罪と賠償をしてほしいと要求しながら、この年老いた被害者を毎週水曜日に道に立たせることは日本政府と国会議員が恥ずべき事であると指摘し、今日のように寒い日にも私たちは水曜デモをしてきたと、これ以上生存者が死ぬ前に、一日も早く問題解決を見ることができるように努力してほしいと要請しました。キル・ウォノクハルモニは「被害者たちがみんな死んだからといってこの問題が解決するわけではなく、私たちが死んで一人もいなくなったとて、日本政府がこの問題をきれいさっぱり解決しなければ真の解決とは言えない。私たちが死んでも若い世代が続いてくれるから、時間稼ぎをせずに早く解決しろと日本政府に伝えてください」と要求しました。水曜デモが終わってから頭が痛いとおっしゃっていたイ・スンドクハルモニがちょうど病院から戻られました。ハルモニは頭を下げて挨拶をし、2階のハルモニの部屋へ戻ってしまいました。ハルモニのこの簡単な行動だけでも、私たちに日本軍「慰安婦」問題解決の緊急性を実感させてくれました。
日本の国会議員は日本に戻れば一生懸命「慰安婦」問題解決の為に努力すると言ってくれました。ハルモニはこれまで「ウリチプ」の園芸治療教室で作った石鹸をプレゼントし、キル・ウォノクハルモニが書道教室で作った「女性の人権と書いた私の絵」をプレゼントしました。プレゼントを受け取った方々が喜んでくださる様子は、ハルモニたちにも自負心を与えました。