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2014/09/24

[慰安婦問題はどう語られたか 2] 「人権感覚が狂ってる」 平野啓一郎

twitter 2014.9.19

「『業者使って欺して連れてきただけですから!』と胸を張るのは何なのか?理解力がないのか、人権感覚が狂ってるのか」と芥川賞作家平野啓一郎。彼は、日本政府が業者に命じて女性を騙して連れて来させていたとでも思っているのだろうか?海外では(意図的に)そういった風に語られていたりするから外国人がそう思い込んでいても仕方ないが、彼は日本人である。「日本軍が慰安所なるものを設置・運営して、深刻な人権蹂躙を行っていたこと自体を非難されてる」。日本軍がやったのは設置までであり、人権侵害と言われているのは、数十万の女性を拉致し強姦し、証拠隠滅の為に殺害したことだったりするわけだ(もちろん事実ではないが)。

「歴史を間違った形で修正しようとすれば、相手国は反発します」と言う前に、そもそも彼は何が正しく何が間違っているか分かっているのだろうか?続くツイートで平野が紹介しているのは、(隠れ?)拉致問題相殺論者である。個人的にはこういうタイプが一番悪質だと思っている。例によってスマラン事件を持ち出している。

仮に安倍首相が主張するように「狭義の強制性」「強制連行」を証明する証拠の文書がなければ、世界から非難されるような問題はないとした場合、北朝鮮の拉致問題も世界から非難される問題ではなくなってしまいます。


「いつまででも。日本としての反省が不十分なまま、唐突に人類全体の問題と抽象化することは出来ません」・・・何をもって不十分と言っているのか分からないが、この問題を普遍的な問題として売り込んでいるのは韓国側である。全体的に空虚な文章だが、この人の文学もこんな感じなのだろうか?ずっと前に日蝕を読んだきりだが(もう忘れた)。

twitter 2014.9.19

2011/12/28

田原総一朗 「金大中時代に決着」



田原総一朗はかなり早くから慰安婦問題には関わっていたので、この騒動については十分に知識があるはずだ。よって彼は、冷静にも「大統領は、慰安婦問題の解決について日本に期待していない」と見ている。今回の騒ぎは韓国の国内事情によるものであると彼は言い切る(各紙もそう見ていたようだが)。

ただし彼は政治家や民間人を問わず昨今かまびしい「日韓基本条約で解決済み」論には与しない。朝日新聞が最後の拠り所に選んだように、交渉の場で持ち出されたわけではない慰安婦問題は日韓基本条約の対象外という主張にも一理ありそうだ。

自分も、もしも日本人慰安婦が補償の対象になるなら、韓国人を含む外国人の慰安婦に対しても何らかの対応をしてもいいのではないかと考えている。ただし、日本人慰安婦の存在を無視した、いい子ぶりたいだけのパフォーマンスには反対である。アジア女性基金もそうしたパフォーマンスであったと自分は考えている。

話を田原に戻すと、彼はしかし、この問題は1998年の金大中の「過去は問わない」発言で終わったのだと主張する。この考えが妥当かどうは自分には分からない。ちょっと心許ないような気もする。ただ、彼が言うように、日本政府がこの問題を曖昧にしたまま総括していないというのは事実だろう。

糾弾する側もそれを要求しているのだから、政府は徹底的な調査をすべきで、それを日本語・韓国語・英語で公表すればいいと思う。政府調査は一度は行われているが、韓国側への遠慮も見られるし、十分情報が開示されているとは言えない(慰安婦に対する聞き取り内容とその検証)。英国政府が「血の日曜日事件」について徹底した再調査を行ったように、いつかは、外交的配慮も排した徹底的にドライな調査が必要だろう。

(中略)
12月17日に、韓国の李明博大統領が来日した。
日韓の首脳同士が交互に訪問する「シャトル外交」の一環である。
そして翌日、野田佳彦首相と京都迎賓館で約1時間の会談をした。
その会談で野田さんは、経済分野で日韓がいかに協力し合うかを
テーマにしようとしていた。
ところが、李大統領は従軍慰安婦問題にばかり言及し、野田首相を
追いつめたのである。
マスコミ各紙は「会談は慰安婦問題で緊張」「賠償請求問題が再燃」
といったトーンで報道している。
しかし、僕は問題の捉え方が違っているのではないか、と思う。

そもそも李大統領は、慰安婦問題の解決について日本に期待していない。
韓国では、来年4月に総選挙がある。
12月には大統領選がある。
今年10月のソウル市長選で与党は敗北しているため、
李大統領は日本に強硬な姿勢を示さないとならない。
韓国は「反日」で連帯するからだ。
だから、ここで日本に対して強く出て国内での支持率を
上げておきたいのである。
慰安婦問題が持ち出されたのはそのような韓国の国内事情がある。

野田さんも少し誤解をしているようだ。
慰安婦問題を「法的に決着済み」と伝えているが、一般的に
「決着済み」というときは1965年の日韓国交回復での協定を指す。
もしそうであるならば、野田さんはやや認識不足だろう。
当時、まだ韓国は慰安婦問題を十分にわかっていなかった。
これをもって「決着済み」と言うのは無理がある。
それでも、1998年の小渕恵三内閣のときに金大中大統領が、
「過去を問わない。未来志向でお互いの関係を発展させよう」
と言っている。
これでこの問題は、僕は「決着済み」だと思う

ただ僕が問題だと思うのは、日本が慰安婦問題を総括していないことにある。
総括をせずに曖昧なままにしている
僕たちは太平洋戦争についても総括をしてこなかった。
戦争が終わったあと、極東軍事裁判でA級戦犯が処刑されるなどした。
ただそれは、あくまでも連合国側が総括したのであって、
日本が総括したわけではないのである。(後略)

2011/11/27

[慰安婦問題はどう語られたか 1] 田麗玉「弁解しない方がいいと思いますよ」



様々な人が慰安婦問題をどう語って来たか。bloggerに引越してから、このシリーズは初めてだったと思う。今回は田麗玉。元KBS特派員。「日本はない」(邦題「かなしい日本人」)の著者である。

加瀬英明との対話から、田の発言部分だけを抜き出した。

加瀬先生は、先ほど、韓国がベトナム戦争に出兵したことにふれられましたが、それについては、ほんとうに残念で遺憾なことだと思っています。しかし、私の国は、ベトナムとの国交正常化のときに、はっきりとお詫び申し上げました。[・・・]ベトナム戦争の場合は、韓国人が傭兵として米国に使われたでしょう。お金をもらって。ですから、韓国とベトナムの間では直接には戦争が起こったことはありません。もちろん、私はそれでもお詫びしなければならないと思います。また、韓国の男性がベトナム女性を虐待したり、現地妻にしたことも、悪かったと思います。

売春も悪いことなんですけれども、女性に体を得らせる男性はもっと悪いと思います。特に、従軍慰安婦という制度については許せないと思います。従軍慰安婦という制度は今までの人類の歴史のなかで、なかったことです。これは軍隊が、女性をほんとうにセックスのおもちゃみたいに連れ回したんですからね。

(中略)

従軍慰安婦の問題ですけれども、これについては、私はこれ以上話したくないのですが、あれは歴史的事実です。ですから私は、あれはほかの国でもやった、ほかの国でもあったと言って弁解しないほうがいいんじゃないかと思いますよ。韓国ではほんとうに弱い者に対して、人間として恥ずかしいことを日本軍がやったということは事実ですので。


ベトナム戦争に関する田の言い訳はここでは追及しないが、韓国軍についてもいろいろな事が表沙汰になってきた今となっては、「従軍慰安婦という制度は今までの人類の歴史のなかで、なかったこと」「ほかの国でもあったと言って弁解しないほうがいい」などという上から目線の説教は虚しいばかりである。

2011/01/04

訃報【チョン・ユンホン】Korea Heraldはどう伝えた?




「日本軍慰安婦被害者」チョン・ユンホンが、昨年末90歳で亡くなった。それを報じる韓国の新聞記事を紹介する。一つ目は連合ニュース(ハングル・機械翻訳)。二つ目は、英字紙コリア・ヘラルド。

連合ニュースは22歳で「連行された」、コリア・ヘラルドは夫ともども「徴用(ドラフト)された」としている。ハンギョレには二十歳の時に先に夫が「徴用連行された」とある(20살 때 징용으로 끌려간 남편)。

夫の「連行」が1940~41年のことだとすると、国民徴用令は44年、官斡旋でも42年の3月からだから、 夫の場合も徴用というのは違うような気がする。チョン本人も終戦を待たずに帰国している。


1933年に結婚し二人の子供を産んだが、22才だった1942年連行されて(연행돼)中国で慰安婦生活を送り、1945年解放直前身ごもったまま帰ってきた。
連合ニュース(ハングル) 2011.1.4
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/01/03/0906000000AKR20110103029400004.HTML


Jeong was drafted as a comfort woman in 1942. She served in China after learning about the death of her husband, who was also drafted to the war. She was discharged the following year after becoming pregnant. 
チョンは1942年に慰安婦として徴用(draft)された。同じく徴用された夫の死を知った後、中国で働いていた。翌年妊娠を機に解放(discharged)された。

コリア・ヘラルド2011.1.4
http://www.koreaherald.com/national/Detail.jsp?newsMLId=20110103000719


英字紙コリア・ヘラルドの記事はかなり詳しく、チョンを日本兵のための性奴隷制に強制されたサバイバーとして紹介している。慰安婦問題は植民地時代の日韓間の問題としてもっとも困難な問題であり、日本政府は今だ慰安婦は自発的だったとして強く抵抗している、しかしながら国連その他はこれを非人道的な犯罪と定義し、アメリカの議会ではすみやかな解決を促す決議が上がったと解説している。

もちろんここは日本の英字紙が、日本は全ての慰安婦が自発的だったなどとは主張していない、むしろその境遇に同情とお詫びの気持ちを表明していると言った記事を掲載してバランスをとってくれる・・・などという事は期待できない2011年の正月なのであった。 明けましておめでとうございます。

日本語の記事は見当たらなかったので、参考までに3日に亡くなったイ・ギソンの訃報(連合ニュース・日本語版)を紹介する。

旧日本軍の元慰安婦、イ・ギソンさんが3日午前11時半ごろ持病のため病院で死去した。享年87歳。

・・・1923年に慶尚南道・統営で生まれたイ(ギソン)さんは、1939年に中国へ連行され慰安婦として暮らし、第二次世界大戦終戦(植民地支配からの解放)直後に統営に戻った。1993年に慰安婦被害者の申告を行い、地元を中心に慰安婦問題の解決を訴えてきた。

連合ニュース(日本語版)2011.1.4
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/01/04/0200000000AJP20110104000700882.HTML


한미희 기자 = 일본군 위안부 피해자인 정윤홍 할머니가 지난해 12월31일 오후 9시께 경기도 일산 자택에서 노환으로 별세했다. 향년 90세.

   한국정신대문제대책협의회에 따르면 1920년 충남 당진에서 태어난 정 할머니는 1933년 결혼해 두 아이를 낳았으나 22살이던 1942년 연행돼 중국 동안에서 위안부 생활을 하다 1945년 해방 직전 임신한 채 돌아왔다.

   1982년 경기도 평택으로 옮겨 노점상을 하며 생계를 이어왔으며 1995년 위안부 피해자 신고를 했다.

   앞서 같은 달 10일에는 1942년 싱가포르로 끌려가 위안부 생활을 한 이양근 할머니가 전북 익산에서 87세를 일기로 세상을 떠났다.

   작년에만 9명의 위안부 할머니가 별세해 정부에 등록한 위안부 피해 생존자는 이제 79명으로 줄었다.

連合ニュース2011.1.3
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/01/03/0906000000AKR20110103029400004.HTML



Jeong Yun-hong, one of the few surviving former “comfort women,” who were forced into sexual slavery for Japanese soldiers during World War II, died on Dec. 31 at her home in Ilsan, northwest of Seoul, a support group said Monday. She was 90 years old.

Her death reduced the number of the state-registered former Korean comfort women to 79.

Jeong Yun-hong

The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan, a civic group seeking compensation for comfort women, said that Jeong was drafted as a comfort woman in 1942. She served in China after learning about the death of her husband, who was also drafted to the war.

She was discharged the following year after becoming pregnant. She made a living by working as a street vendor in Pyeongtaek, Gyeonggi Province after giving birth. She stayed at the support group’s shelter in 2003 and fought to get the Japanese government to recognize and apologize to the victims.

“It is time the government should step up efforts to solve the problem. The witnesses and victims are dying,” a spokeswoman for the KCW told The Korea Herald.

The comfort women is one of the thorniest issues between Seoul and Tokyo regarding Japan’s colonial rule of Korea from 1910-45. Amid strong resistance from the Japanese government, which still claims the women’s sexual service was voluntary, the practice was defined by the U.N. and the International Labor Organization, as well as other international agencies, as an inhumane crime. In 2007, the U.S. Congress also passed a resolution requesting the Japanese government’s swift response to resolve it.

Supporters of the comfort women note time is running out to resolve the issue as many victims are now dying. Nine died last year and the majority of the survivors are in poor health.

Last month, lawyers from Japan and South Korea demanded the Japanese government apologize to the victims and pay them compensation.
A support group member pays tribute to deceased comfort women at a weekly Wednesday protest in front of the Japanese Embassy in Seoul on Dec. 29. (Yonhap News)

In November, activists from all over the world collected signatures of 300,000 people calling for a swift settlement of the issue.

“It is time to make aggressive progress,” Yang Noh-ja, director of the KCW, said in an interview held before the event.

By Bae Ji-sook (baejisook@heraldm.com)

コリア・ヘラルド 2011.1.3
http://www.koreaherald.com/national/Detail.jsp?newsMLId=20110103000719


일본군 위안부 피해자인 정윤홍(사진)씨가 31일 밤 9시 별세했다. 향년 90. 충남 당진에서 태어난 고인은 20살 때 징용으로 끌려간 남편의 사망 소식을 들었고, 22살 되던 해인 1942년 연행돼 중국 동안성에서 위안부 생활을 했다.

1945년 해방 직전 위안소에서 임신한 채 돌아왔고, 그해 9월 출산했다. 1982년 경기도 평택에서 노점상 등을 운영하며 생계를 이어왔다. 1995년 일본군 위안부 피해자 신고를 했고, 2003년 한국정신대문제대책협의회(정대협) 쉼터에서 1년간 머물기도 했다. 이로써 정부에 등록된 위안부 할머니 생존자는 79명으로 줄었다. 발인은 3일 오전 8시 동국대 일산병원에서 한다.

김민경 기자, 사진 한국정신대문제대책협의회 제공