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2015/10/09

SF市議会を後押しした関西ネットワーク

関西ネットワークのパンは2年前
慰安婦を連れて橋下市長と対決を試みるも、果たせず

慰安婦モニュメントを巡るサンフランシスコ市での攻防は日本側の完敗に終わった。同市では二年前に「慰安婦決議」を採択しており、癌がステージ3まで進行しているような状況で、この結果は避けられなかったのだろう。

結果はともかく、個人的には日本の左派系団体がアメリカにおける騒動に本格的に介入し始めたことに興味を引かれた。関西ネットワークwamといった名の知られたグループが、市会議員らにモニュメントの設置を働きかけるメッセージを送っていた。これも市議会を後押ししたのだろう。彼女らはカウンターアクションとして結成された「なでしこアクション」やGAHTと異なり、豊富な活動実績のある”プロ集団”として現在の「主戦場(米国)」に介入し始めた(関西ネットワークは、なでしこアクションを「極右」と呼んでいるが、当の本人たちは、朝鮮総連を支援しているとして韓国政府から警告を受けた身である)。

日系人団体NCRRのマサオカ
韓国系団体にとって心強い味方だろう

韓国系は、既に一部の日系団体と繋がっており、今回日本の左派系団体の協力を取り付けることに成功した。関西ネットワークは、サンフランシスコ在住のミホ・キム・リーの要請を受け、日本の他の市民団体にも応援を募ったが、彼女らが議員たちに送った手紙/メールには、「日本の一部に、『慰安婦』の存在を一貫して否定しようとする人々が」おり、橋下大阪市長がその一人だと書かれている。彼女らは日本軍の問題を特異事例のように扱うことに異議を唱える橋下大阪市長に対し、「日本軍は進軍するあらゆる場所に朝鮮人女性らを『慰安婦』として連れ歩き、あるいは現地の少女や女性たちを慰安所に閉じ込めて性奴隷にした」と説明しており、ここで方清子(パン・チョンジヤ 関西ネットワーク共同代表)らは、日本人女性の存在を抹消するなどして、あくまでも世界に類を見ない出来事として印象づけようとしている。

パリセイズパークを訪れ慰安婦碑を賞賛したwamの渡辺

確かに、関西ネットワークやwamは日本国内では影響力を失いつつある。彼女らは手紙/メールの中で「歴史を否定し、被害者を貶める『意見書』」が日本の各地で可決されたと訴えているが、彼女ら自身が認めているように、これは元々彼女らが始めたものである。それが問題化し、流れが逆転した。今さら勝手な言い草である。

今回の件では、地味ながらもキム・ミホ・リーや小山エミといった人々の貢献も小さくなかったと思われる。キム・リーがどういう人物か自分は知らないが、日本が憲法を「改悪」し「戦争国家」となるための準備段階にあると述べるなど、その主張はパン・チョンジャら日本の市民運動家とそっくりである。

アメリカでの慰安婦騒動は、中国系や日本の左派、在日系らしき人々まで巻き込み、益々複雑な様相を見せ始めている。 状況は、左派が無人の野を行くが如しだった10年前の日本に似ている。この状況を変えるのは容易ではない。しかし、不可能でもないだろう。

※ 関西ネットワークがサンフランシスコ市議会議員に送った賛同書(強調は引用者)

「決議案150764号(「慰安婦」記念碑建設要請)」への支持を求める賛同書

(組織名) 日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
Kansai Network for Justice of the Japanese Military “Comfort Women” Issue

XXXX議員殿

私たちのネットワークは2009年5月、日本軍による性暴力を受けた被害者に対して、日本政府が謝罪と補償を早期に実施することを求めて、大阪府、京都市、兵庫県、奈良県の団体・個人で結成しました。関西地方の各地方議会での意見書・決議の採択、署名運動の実施、集会や映画上映会などに取り組む一方、「日本軍『慰安婦』問題・解決全国行動2010」の関西ブロック担当として、全国集会や院内集会などでの行動を積み重ねてきました。とりわけ、2012年より続く橋下大阪市長の「慰安婦」問題への暴言に対し、一貫して抗議の声をあげ続けてきました。私たちは2010年、大阪市議会において日本政府に対する「慰安婦」問題の早期解決を求める意見書の採択を実現させました。しかし、2014年、橋下市長の下でこれを覆し、「慰安婦」問題を虚偽と決めつけ、不当に貶められた戦没者の名誉回復を求める意見書が可決されました。こうした「慰安婦」の歴史を否定し、被害者を貶める「意見書」は右派の人々によって各地の議会でも可決されてしまいました

この度、サンフランシスコ市・郡議会が審議している「決議案150764号(「慰安婦」記念碑建設要請)」に対しても、様々な反対や妨害があることと思いますが、屈することなく決議されるよう、強く支持を表明します。

国際社会は、被害者の証言と歴史研究の結果をふまえ、性奴隷制度、強制連行の事実を確認し、被害者への謝罪・補償を求める勧告や決議を、日本政府に対して何度も提出しています。それにもかかわらず、日本政府は「慰安婦」制度に関する責任の所在を濁しており、さらには歴史歪曲活動をサンフランシスコを含む世界各地で展開していることがもはや明らかになっています。

日本政府は1990年代初頭に、当時の内閣官房長官、河野洋平を通じて、日本軍が慰安所の設置、管理また「慰安婦」の移送、募集に関与したこと、募集と慰安所での強制性を認め、「お詫びと反省」を表明しました。しかしながら、日本の一部に、「慰安婦」の存在を一貫して否定しようとする人々がいます。大阪市の橋下市長は、そのひとりです。橋下市長は2013年5月、「慰安婦」は兵士に「休息」を与えたもので、「必要」だと述べたことで、支持率が大きく低下しました。今年5月の「大阪都構想」をめぐる住民投票で敗北するや、任期切れとなる今年12月で「政界から引退」することを表明しています。

サンフランシスコにおいても、国際社会や日本の多くの市民同様に、真実を直視した歴史を捉え、このような行為が再度繰り返されることがないよう、次世代に継承する義務を全うし、私たちはその意図を共有するものとして、決議案が採択されることを強く願うばかりであります。「慰安婦」記念碑の建設は、サンフランシスコの市民と政府が、このような人道に反する行為、犯罪行為を再発させないという強い決意を示すものだと理解しています。日本の大多数の人々も、この決意を支持するでしょう。

したがって、私たちは、貴議員にこの決議を支持するよう要請します

以上。

2015/10/04

朝日「副大臣が慰安婦を否定!」 他紙には相手にされず



自民党の原田副大臣が慰安婦の存在を否定した!慰安婦の存在を認めた河野談話と矛盾する、政府見解と相反する内容だ!・・・と煽ったのはご存知朝日新聞。昔はこんなことで大臣の首ぐらい簡単に飛ばせたものだが、朝日新聞には気の毒なことに、時代は変わった。

日本に長く暮らしているが、南京大虐殺はともかく、慰安婦の存在を否定する人には会ったことがない。相当いい加減な言説が飛び交うネット上でも、そんな主張は聞いたことがない。普通の人なら、原田議員の言葉足らずか言い間違えだと思ったろう。本当の所は、朝日新聞だって分かっているはず。河野談話で慰安婦の存在を認めたとか、よくもまぁ。ネットで検索した限り、他の全国紙のどこも後追いしていないようである。完全に朝日の独り相撲。

「南京・慰安婦の存在、我が国は否定」 自民・原田氏

世界記憶遺産登録をめぐる中国の動きへの対策を検討する自民党の国際情報検討委員会は2日、合同会議を開いた。委員長を務める原田義昭・元文部科学副大臣は会議後、記者団に「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、申請しようとするのは承服できない」と語った。発言は政府見解と相反する内容だ。

南京事件について菅義偉官房長官は昨年2月、「旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」と明言。被害者の具体的な人数について政府は「諸説ある」との立場だ。慰安婦についても、その存在を認めた河野談話の継承を表明している。

朝日 2015.10.3

2012/10/18

引揚者の母は嘘と言う。でもハルモニが証拠

母親は事実を語っていたのに・・・

涙を流して韓国人に恩返しをしたいと言っていた引揚者の母親ですら嘘だと言うのに、当時3歳だった彼女は慰安婦の強制連行(拉致)を信じて疑わない。なぜなら、ハルモニという生きた証拠がいるからだ。

しかし、「恥ずかしい歴史をきちんと教えない日本の教育は問題」「自身も...慰安婦問題を教えたことはない...自分にもよく分からなかったからだ」

「日本政府は...『北朝鮮は横田めぐみさんを拉致した』と興奮して言うことはあっても、元慰安婦たちに『拉致した』という表現は使わない」

なぜ日本政府は朝鮮人慰安婦を拉致(強制連行)したと認めないのか。それは母親が言ったように事実ではないからである。彼女は赤の他人ではなく、亡き母の言葉を信じるべきだった。

「日本政府と極右の人物たちが慰安婦の存在を否定するのが恥ずかしいと語った」「ナヌムの家のおばあさんたちこそ、まさにその証拠」

いい加減にして欲しいと思うが、同レベルでも国会議員でないだけマシか。

7年ということは、内紛でナヌムの家を追い出された村山一兵より古参ということか。

慰安婦:7年間「ナヌムの家」で世話する日本人女性

ナガマ・カズコさん(70)=音訳=は1942年、ソウル市竜山区青坡洞で生まれ、元山(現在は北朝鮮)の近くで暮らしていた。父親が韓半島(朝鮮半島)で体育教師をしていたからだ。ナガマさんが3歳だった45年、日本は敗戦した。ナガマさん一家6人は日本に引き揚げようとしたが、誰も寝る場所を貸してくれなかった。一家は、ロシア兵に捕まり殺される危険を、かろうじて逃れた。

 このとき、25歳の韓国人青年が一家を救ってくれた。日本人に激怒していた周りの人々を説得し、下関まで行く船便を教えてくれたが、特に見返りを求めることはなかった。たった3歳だったナガマさんがこうした経緯を詳細に覚えているのは、母親が「恩返ししたくてももうその青年は見つけられない」と毎日のように涙していたからだ。そんな母親も、テレビに従軍慰安婦の話が出ると「うそだ。実際にあんなことが起きるわけがない」とナガマさんにささやいていた

 認知症を患っていた母親が息を引き取ると、ナガマさんは元慰安婦たちが暮らす「ナヌムの家」(京畿道広州市)に向かった。2004年10月、ナガマさんが62歳になった年のことだった。「私の家族を救ってくれた韓国をありがたく思ったし、元慰安婦の皆さんに申し訳なくて…」という気持ちからだ。

 初対面は衝撃的だった。ナガマさんは「皆さん、日本軍がしたことを覚えていて怖かった。私が日本人だから感じる罪悪感だったと思う。一緒に食事をしているときに涙が込み上げてきた」と話す。元慰安婦たちは日本に帰るナガマさんに「気を付けて行きなさい。そしてきっともう一度来るんだよ」と言って手を振った。

それから7年間、ナガマさんは毎年、ナヌムの家を訪れている。日本に帰ってからも休むことはない。慰安婦関連の討論会を開き、周囲の人々にナヌムの家がどんな場所かを伝えることもある。日本軍からいろいろとつらい目に遭わされた元慰安婦たちは、最初はナガマさんを見て「あの子(日本人)は何でここに来てこんなことをしているのか。来るなと言ってよ」と話していたが、黙々と雑務をするナガマさんを見るうちに、今では「妹のよう」「家族のよう」と話すようになった。

 16日午前、ナヌムの家で会ったナガマさんは、腰を曲げながらも元慰安婦たちを支え、部屋を掃除していた。そして日本語ができるペ・チュンヒさん(89)と一緒に日本の昔の歌を歌った。

 東京で約30年間、小学校教師をしていたナガマさんは「恥ずかしい歴史をきちんと教えない日本の教育は問題」と語った。自身も児童たちに日の丸と君が代の意味を教えたことはあっても、慰安婦問題を教えたことはないという。教師である自分にもよく分からなかったからだ。ナガマさんは、日本人の約80%は慰安婦が正確にどういう意味なのか分からない、と話した。そして「拉致という言葉は強制的に連れていくという意味だが、日本政府はこの言葉をきちんと理解できていない。『北朝鮮は横田めぐみさんを拉致した』と興奮して言うことはあっても、元慰安婦たちに『拉致した』という表現は使わない」と批判した。

 ナガマさんは日本政府と極右の人物たちが慰安婦の存在を否定するのが恥ずかしいと語った。「慰安婦が強制だったという証拠を出せと政治家は言う。ナヌムの家のおばあさんたちこそ、まさにその証拠

京畿道広州= キム・ヒョンウォン記者

朝鮮日報 2010.1017